第15話 蟹座温泉 湯の町哀歌⑤

 早朝から山手の方で鳥が鳴く。

 今日もこの町には、いつも通りの朝が来る。早朝から温泉に浸かる宿泊客たちは多い。大浴場や露天風呂では掛け流しの湯の蒸気が上がっている。

 日本の、とある地方の掛け流しが自慢の本物の温泉。小さな町だが、その本物の湯を求めて訪れる客が途切れることは無かった。それがここ「蟹沢温泉」である。海も山も近い。冬にはこの温泉場の名前通り蟹が美味しい。蟹目当ての客が一気に増える。

 この温泉を奈々恵は中学の頃から独学で勉強していた占星術から引っ張ってきて「蟹沢」の「沢」を「座」に入れ替えて「蟹座温泉」と一人で呼んでいた。


(ここは、本当に蟹座っぽい……)


 旅館、温泉、そして旅館ごとに同じ柄の着物を着て、どこも朝から夜中まで働いている。ここは女たちの職場、お姉さんたちが居なければ成り立たない場所、本当にそう思えた。


 この町のお姉さんたちは、早い人だと四時半起きも当り前である。朝食の準備なのだが、個人の旅行客では無く団体旅行というバスツアーが流行っていた時代のこと。団体のツアーは順に観光地を巡る予定がある。朝早くから旅館を出発することが多い。そのため朝食時間がとても早い。チェックアウト後の出発も流れ作業のように早いのだ。お姉さんたちが一列に並んで手を振り、観光バスを何台も見送る。


 帰っていくのが早いということで、その後の休憩時間が増える。 個人の旅行の場合には逆に朝食時間は遅くなりがちで、チェックアウトもゆっくりで、約束のギリギリ時間までいる人も少なくない。その後の片付けと次のお客様を迎え入れるための掃除や準備に追われて大忙しとなる。

 お客様が居なくなってからが勝負なので、お掃除の担当やお姉さんたちが走り回って準備をしている風景というのを見ることはなかなかできないということになる。着物の裾をまくり上げて走る姿や、もう一つの制服のブラウスにスカートという姿に着替えてから走り回る人もいる。


 さて、その日の夕方からの担当が決まるのは午前中の遅い時間。個人なのか団体なのか、何人なのか、何時に来るのか、それが日毎、自分が何の担当になるのか係の者から発表掲示されると、お姉さんたちからくじ引きの結果発表のような声が聞こえてくる。お姉さんたちはここで毎日一喜一憂しているのだ。


「あぁ、やったー、いいことありそう」

「わ、団体やわ、わたし……遅いなこれは」

「家族やって、飲みは無しやな」

「男性ばっかりのグループだって、飲むよね」

「夫婦か、恋人、早く帰れるわぁ」

「指名だったわぁ、久しぶりの○○さん」

「旅行会社通し…散在しない人たちね」

「親戚中集まってのお祝いだってー」

「私は、おひとりさま、二部屋担当ぉ」


 とにかく色々な声が出る瞬間である。それぞれの思惑もあり、それぞれにとっての当たりハズレがあるらしい。というのもお客様によって、食事内容、お酒の量、その後の館内でのカラオケやBar、〆のラーメンなどの飲食代、仲居さんへの奢り、チップなど様々が大きく変わるのだ。


 お姉さんたちの中には、早く帰りたい人もいれば、遅くまであちらこちらでたくさんお金を使って欲しい人もいる。各お店からお姉さんにお礼があるらしい。お姉さんにも色々で、家族的な対応をする人もいれば、機械的な対応をする人もいる。

 中には季節ごとの果物を大きなダンボール箱で送ってくれるようなお客様と縁するお姉さんもいたりする。お話が楽しくて嬉しかったとか、足の具合がよくない人にたいするお世話の仕方を見て家族が喜んで感謝して、その後に長い付き合いになるというハートフルなお話もある。常連のお客様に季節の料理や見所案内を手書きで送っているというお姉さんもいた。


 その日の担当が決まると、心準備をしてようやくお姉さんたちは休憩に入る。


 午後からのチェックインの時間に合わせて、食事や休憩のために一度館内の外に出たお姉さんたちも戻ってくる。一度全館消されて静まりかえっていた館内中の電気が点き始めると、旅館は息を吹き返したかのように動き出す。さぁ、ここから次の一日が始まる。


 早くて十四時、通常は十六、十七時あたり~がチェックインが混むピークとなる。チェックインを済ませて、各部屋に荷物を置き、お茶を飲んで休憩した後、館内には大浴場そして露天風呂という掛け流しの温泉に入ることを楽しみにしていた観光客の浴衣姿が、徐々に増えていく。この町の温泉は、肌にもいいらしい。


 時間帯としてその頃が奈々恵のアルバイトの時間が終了する時間だ。喫茶の顔の「路々」からラウンジの顔の「路々」へと変身する。

 帰りがけにママが早めに店に表れることが時々あって、奈々恵はいつも派手なワンピースやドレス姿のママと出会う旅にドキッとした。高めのハイヒールも原色が多い。黒、赤、ピンク、白、黄色、青色、ラメなどで光っているものもあって、ヒールの底に金色が光っていたりした。日々スニーカーの奈々恵にはどれも縁が無さそうに思えた。


「丸ちゃぁーん、いらっしゃい」

「山田ちゃん、これから一緒に飲もうよぉ」


 いかにもお酒の時間の始まりのようなママの声を聞きながら、急いでテーブルの片付けや残っていた洗い物をして、そして帰り支度をする。昼のカウンターとはまるで違うカウンターの気配になるのが不思議だった。


「あらぁ、ありがとぅ。奈々恵ちゃん。助かるわぁ」


 声のトーンは高く、赤い口紅で笑ってはいるが、大体いつもママの目は笑ってはいない。たいした返事もしないまま、じゃっ!と奈々恵は店を出て行くのだった。


 帰り道、町の道路という道路には県外ナンバーの自家用車や観光バスが誘導される笛の音があちらこちらから聞こえて来て混雑している。進んだりバックしたり、何度も切り返しながら大型バスが誘導されていく。

 歩く方からすると危険と騒音でしか無いが、これが夕方一時の間に起きた後は、人気の無い車が静かに駐車場に並んでいて、翌日の出発時間まで人は戻ってこない。たくさんの人たちがこの温泉場のいくつもの旅館にどんどん吸い込まれて行くように見えていた。飲み込まれて食べられてるみたいに思えた。


(帰ったら、今日知った生年月日から、出生図を作ろう)


 お姉さんの出生図(ホロスコープ)を作ってみるのだ。見てもわからない、それでも見てみたかった。自分の出生図も見るが、教科書に照らしてもピンと来ないままだ。


(占星術って何だろう? どういうことなんだろう?)


 そう思いながら、また手描きの円をひとつノートに描いていた。




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 奈々恵のアルバイト日記


 ・コーヒーを淹れる練習を続けている。日中、味が変わっても怒らない人たちの時間に。

 ・お姉さんたちのことを他のお客さんたちの前で「お姉さん」と呼ぶことに慣れてきた。時々居る旅館で働くおじさんに「お兄さん」ということには慣れない。「あの」とか「すいません」と話し掛ける。

 ・定食の準備、タイミングは相変わらず難しい

 ・テーブルと座席をリセットすることは楽しい。


 ・ここ蟹座温泉は、その名前で存在しているわけでは無い。勝手に付けた名前。占星術の中での話で十二サイン(星座)というのがあるが、最初の牡羊座、牡牛座、双子座、そして四つ目の蟹座というのが、この温泉場のことをよく表わしてると思う。

 蟹座というと、例えばそれはひとつの風呂という括りであって、同じ仲間が一緒に居る。同じ制服で、同じ目的で走る一日、それが繰り返されていく。それはどこか船みたいでもある。

 ・ここは掛け流しの滞ることの無い流れ続ける水、一定の熱を持った温泉。

 ・お姉さんたちは、どの人のも出生図から見て占う占星術が当たらないように思う。教科書を開いて見ても、どうも合わない。この町の人たちには合ってない。なぜだろうか…… どう見たらいいのだろうか…… 






 終




「蟹座温泉 湯の町哀歌」終わり

 次のお話に続く。


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 2024/06/04 スタート

 2024/06/14 95%

 2024/06/15 100% 公開

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