第13話 蟹座温泉 湯の町哀歌③

 宇津木さんは、カウンターに座った。

 すぐにいつものホットコーヒーが出されるがなかなか手を付けない。たぶんコーヒーが飲みたくて飲むわけじゃ無いんだろうなと思われた。


 この店に来る人は飲食のためだけじゃ無く、この場所は男女ともに何か言いたくなったり、聞きたくなったり、情報を探していたり、様々な理由で訪れるようだ。マスターはこの町で怖がられている人の一人なので、それを知ってわざと近寄ってくる人たちもいるらしい。

 マスターは背も高くて顔も大きいし強面だが、随分と昔から見ると丸くなったのだそうで、確かに実際アブナイ感じは店では見ない。理不尽に怒られたこともない。世話になったという父のおかげなのかもしれないが、そうじゃないのかもしれない。


 美登里さんは、よくわからないお客さんの相手が上手だ。笑顔でキツいことも言うし、言われたことで納得いかないことはさらりと受け流す。奈々恵はことあるごとくに「最強!」と思って見ていた。


 ところで美登里さんは、おでこを出してピッチリとまとめたポニーテールをしている。メイクはバッチリ濃い目で、青味のあるアイシャドウをしていることが多い。薄暗いこの店のカウンターにはそのくらいがちょうどいいようだ。正面から見るとオールバックにも見えて凜々しさもある。そして発言は強気の男前。服装はホール店員のような服装で、黒のタイトスカートに白のブラウスとグレー系のベスト。そして黒のパンプス。これは彼女が望んで採用された制服だ。それはちょっとバーテンダーにも見える。背後にはお酒がずらりと並んでいるから違和感は全くない。

 Tシャツにジーンズの奈々恵は浮いていたと思われるが、誰も気にして無さそうだった。


 さて、その「宇津木さん」は、コーヒーチケットのお客様ではあるが、ここ数ヶ月内に急にこの町に現れた四十代と思われる男性である。毎日では無く数日置きに来る人だった。それも忙しいランチタイムを外した時間にやって来る。来る度にカウンター越しに奥の厨房に居るマスターに向って大きな声で話し掛けている。マスターからの返事が無いまま立て続けに一人で喋っている姿がどこか可笑しく思えた。話の間には自分のため息が入る。


「マスター、最近どう?」

「ふーっ」

「何かいい話は無いかね?」

「ふう……」

「あの、この間話していた新商品、この町で売れないかなぁ?」

「マスター、ひとつ乗らんかね? 儲かるよ」

「ふーう……」

「いけると思うけどなぁ、ね、マスター」

「今ならお安く、百万円ほど……で」


(あるわけないよねー)


 奈々恵と美登里さんは顔を合せて笑った。考えていることは同じだ。マスターもタバコを吸いながら厨房とカウンターの間を行ったり来たりしつつ、適当な返事をしている。宇津木さんの思うようにいかないらしい。


 毎回コーヒーを頼んでいながらそれは飲まないままに冷めてしまい、水のお代わりばかりする人だった。この人はどう見ても怪しい。仕事の話もおそらく中身は無くて話だけの人で、うまくいった事は無さそうな気配が漂っている。懲りずにやって来ては、外れた話ばかりしているのでいつの間にか奈々恵の中では名前が決まっていた。

「ウツギさん」は「ウツツキさん」である。鳥の名前みたいにも思える。だけどそれは鳥に失礼だなと思った。


(でも本当はたぶん…嘘つきのウソツキさんなのだけど、本人の前でうっかり呼んじゃったらアブナイから、ウツツキさんに留めておこう、のウツツキさんなのだ)


 ある時とあるお姉さんと奥の席で「ウツツキさん」が話し込んでいる姿を見ることがあった。お姉さんの高いトーンの笑い声が聞こえて来るが、イヤな予感しかなかった。宇津木さんのコーヒーチケットで二人分ということでの声かけがあって、美登里さんと奈々恵は二人で首を傾げた。一時間ほどしてお姉さんが先に出ていく時には嬉しそうだった。二人のよりイヤな予感はより強くなるのだった。


 それ以来、そのお姉さんの姿は見なかったが、「ウツツキさん」は数日おきにやって来ては、冷めたコーヒーをちびりちびりと飲んでいた。少しずつ変わっていったのは、マスターにあれだけしていたお金儲けの話が減ったことと、コーヒーを飲む速度が速くなったこと。さらに最近は、なんだか楽しそうなこと。機嫌がいいのだ。


 そんなある日、いつだったか「ウツツキさん」と一緒にコーヒーを飲んでいたお姉さんが、大きな声を上げながら店に飛び込んできた。


「ちょっと、あの人、あの人は? 来てない?」


 美登里さんも奈々恵もすぐに誰のことだかわかった。


「そう言えば、ここのところ見てないですね。」


「いつもここに来てたでしょ?」


「三,四日ごとくらいにですかね。そろそろまたいらっしゃる頃ですけど…」


 お姉さんが真っ青な顔をしている。


「来たら、すぐにそうっと教えて。絶対。お願い。何か知らん? 居そうな所」


「知らないですね……」


「あんのやろうっ。なんだよっ」



 舌打ちをして、そう言って、電話番号や自分の普段の時間後との居場所を書いたメモを美登里さんに渡して出て行った。


 けれど、想像した通り「ウツツキさん」はそれっきり店に来ることは無かった。壁に吊された一枚だけ残ったコーヒーチケットを残して。


 後で美登里さんから聞くところによると、あのお姉さんは、住んでいる部屋に隠してあったタンス預金の数年分を持ち逃げされたのだそうだ。警察には来てもらったが、おそらく現金は返っては来ないだろうということだった。警察によるとどうも常習犯とのことで。お姉さんは、また新たに稼ぐぞと言っているらしい。


 大事が起きたはずなのに、懲りたのか懲りてないのか、そのあたりがわからないのがこの町だ。町の人たちも敢えてその話を本人の前では持ち出さない。「またか」という声は「路々」に来る人たちの間で話しているのは何度か聞いた。

 しかしほんの数週間すると誰もが忘れてしまったかのように話題にもしなくなる。似たような話は日常茶飯事。大きめの金額になると警察に届けることになるようだが、それも一年に一度程度は起きること。二、三年に一度だと、刺したり刺されたりというレベルでの話が起きている、そんな町だった。


 水ばっかり飲んで一人で喋っているいる人には注意した方がいい。宇津木さんは「ウツギさん」で「ウツツキさん」だったが、嘘つきの「ウソツキさん」だった。しかし今回見事に「オオウソツキさん」に名前が変わった。格上げだ。

 それっきり二度と店に来ることも会うことも無かった。もうこの温泉場には足を踏み入れるつもりは無いのだろう。マスターは起きることを全部知っていたかのように驚いてはいなかった。マスターが淹れるコーヒーは何時も同じ味なのだ。


 コーヒーチケットには有効期限がある。その日が来た、次の日。

 美登里さんは出勤して最初に、壁に吊されている数々のコーヒーチケットの中から一つを取り出し、一枚残っていたチケットをしっかりと破って、そうして捨てた。


(さよなら、オオウソツキさん)





 

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