第7話 契約の終わり、その約束の日まで④
風の爽やかな季節には合わない話だった。
「ある時ね。兄ちゃんが言ったの。暗闇の中で……」
雪乃が話を続けていた。
(えっ、なんて……?)
「毎日部屋に来るようになって、タオルケット掛けられたりしてたけど、なんか
意味不明でしょ。それってさ」
黙って立っていた兄はやがて雪乃の寝ている側に座り込んで、どれだけかの時間を過ごすようになっていた。時には朝になっていることもあった。
気が付いた頃には、兄はいつも側に居た存在だった。それだけではない。普通の一般的な家庭では考えられないだろう、毎日のご飯の支度や片付け、風呂や朝起きること、学校への準備、考えればどれもこれも兄がやってくれていたことだった。
両親は店で酔いつぶれて帰って来ないことも多かった。。帰って来た日には父親も母親もそれぞれが自分の部屋で時間を惜しむように眠っていた。泥のように眠っていた彼らは、それを壊されることを何より嫌がっていた。静かにしてくれという父と母は家の中には居ないも同然であって、実質的には兄と妹の二人の生活みたいだった。ただ、お金だけはある程度食卓の上に置かれていたり、兄に手渡されたりしていた。
「兄ちゃんが言ったの。暗い中で……」
「なんて?」
「……ごめん、って」
「なに、それっ……ごめんって」
「意味わからないよね」
「うん」
「そーだよね」
「泣いたんだ、わたし」
「えっ」
「そう言ったの聞いて……泣いたんだぁ」
それで、眠っていないのがバレたっていう話だった。それでどうして、どうなって、被害者というような位置に入ってしまうことになるのか、奈々恵にはわからなかった。わからなくなった。
(あれ……そもそもそういう話じゃなかったっけ?)
淡々と雪乃は話を続ける。肩まで伸びた細くさらさらな黒髪が、風が吹く度に追われるようになびいていた。どこか頼りない存在に見えた。
「兄ちゃんも……同じだったんだよ」
「えっ」
「私と、一緒で……辛かったんだ」
兄に酷いことをされた、され続けているのだという告白の話だと勝手に思っていた。そう思い込んで聞いていた奈々恵は、自分はもしかしたらとんでもなく間違っているのかもしれないと感じた。
そう思ったと同時に、怖くなる。
「じゃぁ……」
(じゃぁ、いったい……)
それまでに無い恐怖がやって来た。たぶん何かを知ってしまうのだと思った。
(そう、逃げられない現場なのだ、今この瞬間も)
自分はその何かを知ることを受け入れているのだと思った。その場から立ち上がる気なんてまるでなかったから。だから選んで、自分で決めて、一緒に風に吹かれていた。
(そう……地球なんだよな、ここ……)
思い出したのだ。諦めに似た感情だった。それが次の言葉になって出た。
「宇宙人は地球には……やっぱり降りて、来ないよね……」
「え。あはっ……そうだよね、奈々恵ちゃん。
その声は途中からは笑い話では無い「音」だった。聞いていた奈々恵は、わざとそこはスルーした。
「説得力あるなぁ……雪乃ちゃん」
どうにか大人びた振りをしようとして、口から出た言葉だった。それが明らかに上手くない、そんな自分にがっかりした。小さくため息を付く。
「やっぱり……話してよかった。奈々恵ちゃんに」
急に想像していない言葉が返ってきて、だけどやっぱり上手く返事は出来なかった。ただ、ここから先へとおそらくは話が進んでいくことの、その抵抗はしないことはもう決めていた。
(だって、ここは……地球だから)
同時に自分が知っている以上のことを、自分のどこかがすでに知っているのを感じていた。聞く度に確認するかのように、自分はこの星のことに詳しくなっていくだろう。そんな冷静な自分もいた。
そしておそらく今日はとても重要な日で、雪乃にとって何か大きな決断の日なのだと思った。その大きな、決めたことの、自分は証人なのだろうと勝手に思った。何の日だったのか、それはわからなかったけど。きっとそうなのだと思った。
雪乃とは、小学生からの忘れられない思い出がすでにある。
自分の乗る自転車を一頭の「馬」として 私たちは見ていたのだ。それぞれの馬に名前を付けて、馬に話し掛けながら田舎道をたくさん走った。馬に声を掛け段差を飛んだ。声を掛けながら一緒にメンテナンスをしていた。二台ともよく走る馬だった。私たちそれぞれの相棒だったのだ。
近所の長く空き地になっているところに変形のコンクリートのブロックが置いてあって、何かの資材なのだろうが、そのまま長い間放置されていた。それは三角形の形になっていて、誰が組んだのか、定期的に草刈りだけはされているのだろう空き地の、その真ん中の土の上に置かれて並んでいた。
私たちはその三角形の周りを自転車という振りをしている「馬」に乗ってグルグルとよく回っていた。 時には横に自転車を置いて、三角形に置かれたブロックの周りに火に当たるかのように座って、キャンプファイヤーのような体験をした。二人で陽が落ちてゆく空を見上げて、徐々に紺色の空が覆ってくるとその方向に星を探した。
そして未確認飛行物体といわれている、空を素早く飛ぶUFOと呼ばれるものがいないかも探していた。 呼んだりもしていた。三角形の周りを思い付きの踊りを踊って回る。思い付きの歌や言葉を空に投げていた。宇宙人は絶対いる、そう思っていた。
(とどけ……とどけっ……)
空を見上げて、真剣にやっていたような気がする。テレビやなんかでよく言うような人間とは違う姿を現したり、光の点滅なんていう返事らしいものは無かったけど、私たちは時々変わった夢を見ていて、それを報告し合っていた。何かのメッセージなんじゃないかって話をしていた。その点、私たちは他の子たちと少し違っていた。私たちは、よく空を見上げていた。二人の時も。一人の夜にも。
「あっ、あそこに光! 動いてる!」
そう言いながら踊って、歌って、笑い転げて、何の証拠も手に入らないようなこんな時間が、ずっと続けばいいと願っていた。
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