第3話 降りる、地球へ大地へ
目標の場所に近付いた後は、少しずつ高度を下げていった。
ひとつの生命体である、その存在は次の旅へと向っている。
この太陽系の中の地球寄りへと舵をきったのだ。地球が見えてくる。
地球の周囲には、今も地球へと向う予定のある生命が沢山存在しているのが見える。もちろん旅立っていく光も見える。でも今は地球に向う方向へと意識を集中させていこうとしているところだ。興味は落下していくことの方である。
手順を踏んで工程を進めていくことによって、自らの一部が地球化していくのだ。
多くの生命体が地球に向おうとしているのが見える。
もう、すぐそこにあるのは、太陽系の中で青く輝く地球である。生命体は、すでにある意味での覚悟は出来ていた。
自分の一部がもうすぐ地球という青い星の、その地上へと向って転落するのだ。
誰もが地球に存在している以上は経験しているということになるのだが、地上に生まれるということ自体、稀有な体験かもしれない。広大な宇宙の中において、それを望まないものも当り前にいるだろう。誰もがこぞってここに来たいと思い考えているわけでは無いだろうと思われる。そしてここ地球に来ることを望むのには、それぞれにそれぞれの理由があるのだ。
転落という体験、それは忘却を意味していた。
そのための準備もある。
元々の自分自身のことを思い出すきっかけとなるだろう、準備とはそのための細工である。それを持たせることで、きっといつか旅を始めることになるだろう。いや、その確証は無いともいう。源泉を思い出すまで、何度も生まれ変わって少しずつ近付いていくというような長い旅になる場合もあるだろう。
思い出すためのきっかけとなる「細工」が、いつか役に立つように祈りながら、その生命体は準備を進めていた。地球の大地へと突入するタイミングである。
それは母親と呼ぶ存在の身体の中へと入っていくことでもあった。何度も出たり入ったりを繰り返しながら準備は進み、地球人としての身体が母体の中で作られていく。そこから母体は出産という形で子供を産む。地球人として誕生することになるのだ。
地球に生まれてから数年は、全てを忘れてしまうのでは無く、地球の到着する前の様々なことを覚えていることもある。地上での体験が増えていくほど、それまでのことを忘れていく。そしてやがて身体という重たいものの中に入ってしまったのだということを思い知らされることになる。
それが地球で生きるということ。羽など無い、飛ぶことも浮くことさえも出来ない、地球人として生きるということなのだ。これが一つの転落である。
意識の何処かでそれを覚えているがゆえに、私たちは生まれて来たこと自体そのものが「傷」になっている側面がある。大きな宇宙のことを忘れて、その中の一つである地球の一部になってしまうような体験なのだから、離れて冒険の旅をしてくることを選んだのは自分だというのに、まるで大きな所から切り離されてしまったというような、捨てられたと言わんばかりの実感、感情があることも少なくない。
この世に誕生する時に体験するその傷を「バース・トラウマ」と呼んだりもする。出生時心的外傷と言われているものだ。通常は、子宮内での体験と記憶、出生時の体験と記憶によって、それがトラウマとなったり、人生に長く影響を与え続けることになったりすることがあるとされている。
母親と一体化していた状態から切り離されて個体として生きていかねばならない、それが地上での誕生だろう。それは人間にとって痛みでもある。
それは同時に大いなる自分自身から離れ、さらに忘却することで、失うという取り返しのつかない経験をしたということとも似ている。
それまで居た大きなところから切り離されたという体験を地球に生まれた存在すべてが体験している。おそらくは誰もが「見えない傷」を負った存在なのだ。
しかしその「傷」という言葉の意味は、地上的な意味そのものだけではない。少し違っている。
私たちは、抵抗したのに切り離された、わけではない。自ら切り離されることを選んで地球の中へと入り込んで行ったということが起きていたはずであり、それを見事に忘れてしまった存在なのだ。
占星術では、誰かのせいや何かのせいでは無くて、タイミングも自ら望んでこの地球に誕生したというのが前提となっている。それが自分の地球誕生時の出生図(ホロスコープ)である。私たちは個となってそれぞれが地球に何かをしに来たのだろう。そしてそれを忘れているところから人生は始まる。手探りの人生の始まりだ。
全て忘れ去ってしまった後に、地球に住む人間としての私たちの中に生まれてくる感情は、地球に突入する意志のある状態の時とは違い、今度はまるで逆のものとなる。「捨てられたような」「置いていかれたような」「独りぼっちにされてしまったような」そんな感情になることも少なくない。自らそう「した」のではなく誰かにそう「された」という話になってしまうのだ。
さらに母体の中にいる間の経験や生まれる過程での経験によって傷付くこともある。これが一般的に言われているバース・トラウマだろう。
地球に生まれた私という存在は、最初からいくつかの「傷」を持っている可能性があるし、それ自体は特別なことではない。
地上由来での人間としての個人としての始まりの、その環境下で発生する傷と、地球へと旅立った時の忘却による傷と。私たちには様々な傷があるらしい。
それは「傷そのもの」ではなくて「傷感覚」と言えるだろうか。その痛みには実は意味がある。ただ痛い、辛い、可哀相という被害者の位置に入るような、それだけの話では無いのだ。
さらなる隠されている意味を見つけ出し、思い出していけるかどうかによって、その体験の傷感覚はまるで違ったものになるだろう。それは人生を大きく拓いていく可能性がある。
(これでいい。これでいこう)
この「細工」でいくならば、ひょっとしたら何もかもを忘れることなど無いかもしれない。このやり方でいくなら、その可能性はあると思った。通常はすべてを忘れ去って、リセットされて誕生するのが人間なのだから。でも今回の旅は重要だった。出来る限り、仕事をしたかった。させたかった。
多くの場合、地球の人々は自分が名前の付いた存在として以上の、本質的には何者なのかということを忘れている。思い出すために何回も生まれ変わっているという可能性もある。ミッションがあってわざわざやって来たという存在も居るだろう。探すことさえ無い場合ももちろんある。
生命体は、様々な時間を移動して、地球という星の様々な時代の地上を生きている自分自身へとアクセスすることが可能だ。
自分が、あらゆる自分へと繋がっている。いつでも必要だと思う時に必要だと思える時代、時間、その瞬間へと入っていくことが可能なのだ。何度でも、いつでも、制限は無い。時と場所を越えていくというのは、物質依存の強い地球生活から見ると不思議なことのひとつだ。エネルギーとして出会うことになるということ自体が信じられないことも多い。
その物質性の高い世界を選択しているとある「地球」の中へと入っていく生命体たちがいた。それはイヤにリアルで色濃い物語の始まりだった。色彩の質感がより重たくなって変わっていく。生命体たちはそれまでのことを次々に忘れていく。光がそれぞれの器へと入っていった。
人間という生き物になる。人間になることで、最初から
そこでは当り前のように日が昇って日が沈んでいくだろう。
「いってらっしゃい」
自分のほんの一部を送り届け、その大きな手を離した。
青い地球での夢が始まる。
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