第9話「英雄愛好家の下準備」

 辺りに満ちていたのは、燃える木材と血肉、そして……白い雪の大地を真っ赤に染める鉄臭い赤黒い液体だった。僕はその液体が顔に飛び散っているのを確かに感じた。人肌と言うべき仄かな温かさが顔にこびりついているからだ……

「地獄だ……」

少年が瞳に映っていたのは、絶望だった。燃える家々を背景に村のみんなが命がけでに向かっていった。だが、魔王は刃物一つ持たず杖のみをもって武器を持った村のみんなを殴殺していった。少年はなぜこんなことになったのだろうかと思考を過去に戻していった。


 惨劇から四時間前、魔界の山の一角のある小さな魔族の村にて一人の少年はベット、いや布団からもぞもぞと這い出てきた。窓の格子の間から外の光景と共に日の高さを見るとお日様はまだ顔を出し切っておらず、光の弱さも相まってどことなくお日様も眠そうである。きっと、眠いに違いない。だって、僕もそうなのだからと少年は一人勝手に納得するのだった。

「これミハイル!起きたのならちゃちゃっとご飯食べて畑仕事手伝いなさい!」

お日様相手に感傷的になっているとママが家のキッチンの奥から出てきた。いつも着こんでいるエプロンとベレー帽のような魔牛の皮で作った帽子を被った姿だ。この姿を見るとママがいるのだなと不思議な安心感のようなものを覚えるのだ。

「はーい!ママ」

そう言って僕ミハイルは食卓へとついた。出てきたのはこの村で作られる芋と人参、タマネギと肉団子が浮かんだ魔界ポトフだった。毎朝村で食べられるのはこれである。味付けは年を取った魔牛の骨を煮込んでだしを取ったものである。これが濃厚なのだ。ミハイル以外の村の子供たちは毎日来る日も来る日も同じスープを食べさせられて飽き飽きだとみんな口をそろえて同じことを言うがミハイル違った、毎朝これを食べなければ一日が始まらないとすら思っているほどだった。ミハイルは里芋をすり潰して作ったパンをちぎってポトフに着けながらそれはもうおいしそうにパンを口に放り込みむしゃむしゃを味わっていた。

「相変わらず、おいしそうに食べるなミハイル」

パパが向かいの席で同じようにポトフを食べながら話しかけてきた。パパはあまり食が進んではいなかったがおいしそうに食べるミハイルを見てニコニコしていた。

「うん!僕ポトフ大好きだもん!」

笑顔満点に、裏表なく正直にはきはきと答えるミハイル。その言葉には大人特有の気遣いの類ではなく本心であると伝わってくるようであった。

「そうかそうか……じゃあお父さんの分を上げるよ」

そう言ってパパはお皿を僕の方へと手で持ってきてくれた。

「やった!ありがとう!」

そう言って僕はパパの分の朝ごはんも平らげることにした。

「あんた!まぁたぁあの子を甘やかして!もう14ですよ!自分が嫌いだからってやたすのやめてって言うたばかりでしょ!」

ミハイルの母は額に欠陥を浮かび上がらせながら自分の飯が食えんのかと言わんばかりに迫って来る。

「まぁまぁ……つい…ね?」

「あぁん?」

「イデマリモ……」

パパとママが何か言い合っているがミハイルからすれば自分には関係のない話だと視線の中にさえ入れていなかった。なにせ、毎日似たような光景を繰り広げられていればいずれ慣れてしまうという者である。ミハイルは両親の喧嘩に一切の悪感情がないとわかっているからでもある。そうしているうちにミハイル少年は食卓の上の食物を統べて食べ終えて皿に残ったものをぺろぺろと意地汚く舐めていた。

「さてと、ご馳走様!外で遊んでくるね!」

そう言って犬も食わぬ夫婦喧嘩を完全に無視してミハイルは村の子供たちと一緒に遊ぶと決めて家の外へとかけて行ってしまった。その様子を見て両親は毒気を抜かれたかのようにポカーンとした顔をしてしまった。

「まったく、子供と言う奴は偉大だね?」

「久しぶりにあんたと意見があったよ」

そういって仲直りした夫婦は畑仕事へと繰り出していったのだった。


 一方ミハイルは村の近所の子供たちと戦争ごっこを楽しんでいた。もっとも、近所と言ってもこの村は300人ほどしかいないため自然と村の子供たち全員が顔見知り程度の関係なのであるが、そんなことは狭い雪の地で生きてきた彼ら彼女子供たちには当たり前のことだった。

「えいっ!」

ミハイルが近所の魔族の少年の一人の頭をおもちゃの剣でたたく。

「いてっ!?」

木でつくられた訓練用にすら付けないような剣で叩かれたとはいえ痛みがないわけではないので頭を抱えてうずくまる魔族の少年。

「やったぁ!僕の勝ちぃ!」

「うぅ……やっぱりミハイルは強いや……」

この魔族の少年が言うようにミハイルは同年代の中でも抜きんでて腕が立った。特段体格に恵まれているわけでもない。ただ、生まれ持った戦闘のセンスがそれを覆しているのだ。

「へへぇんだ!僕は将来戦士になって魔王を倒してやるんだ!」

剣を太陽の方へと向けて高らかに夢を語るミハイル。それは幼さゆえの無謀さすら入っていた。

「何言ってんだミハイル。農家の子は農家にしかなれないんだよ」

子供の夢を否定するかのようにガキ大将の子供が子分を引き連れて草原に現れた。

「むぅぅ……親の仕事しかなっちゃいけないって変なルールだよ」

悔しそうにつぶやくミハイル。だが、ここで折れるほど大人びてはいなかった。

「でも!そんな村の常識いつか変えてやるよ!」

「なぁにぉ!ミハイルのくせに生意気だぞ!」

ガキ大将の少年は訓練用の剣を構えた。

「そうだそうだ!」

後ろで取り巻き達がガキ大将の威を借りて威勢のいいことを言っている。対するミハイルも今回こそは負けまいとおもちゃの剣を構えた。空気は緊迫し、一触即発の状況になってしまった。

「おめぇたち!遊んどる場合でねぇどぉ!」

村一番の年よりであるゲルマン爺さんが息も絶え絶えに子供の遊び場である雪の平原に走ってきた。

「ゲルマン爺さんどうしたんですか?そんなに慌てて……魔物でも村に来たんですか?」

魔物が村に来ることは度々ある。そのたびに子供は家に避難することになっている。

「ちげぇど……悪いことは言わねぇさっさと帰んな――――魔王が村に来たんだよ!!!」

その場の子供たちに驚きと恐怖が流行り病のように伝播していった。『魔王』それはこの地の支配者であり、絶対の強者。逆らうことはできなかった50年前ほどに反魔王主義者たちがいたが魔王に負け今では人間界に逃げてそのままである。魔王は時々『血』を求めてこの村に来る。先代の魔王の頃にはそんなものはなかった。だが、今代の魔王は血を求める怪物なのだそうだ。先週村に来たばかりなので来ないと油断していたらこれである。魔王が来たという話を聞いて子供たちは蜘蛛の子散らすように家の方へと去っていった。


 その魔王は前来た魔王とは違う人物だった。前に来た魔王は年老いた貴族という感じだったが、今回来たのは男装の麗人と言うべき女性の魔王だった。服装自体は何ら変化なかったが、サイズは調整され着こなしているような感じがした。

「初めまして、ムッシュ。私ルナ・フォン・ドラキュラと申します。この度魔王を継承しましたのでその後報告に……」

「どうもご丁寧に……」

村長は新たな魔王の差し出してきた手を握り返し挨拶の握手を交わした。

「それで?あんたに月一で生贄を差し出せばいいのかい?」

前の魔王も武力で脅しながらそう言ってきたのだ。今回も同じか、あるいはもっとこちらに有利な条件での契約をしたいと腹芸が得意な村長は考えていた。

「いえ、生贄は必要ありません……」

魔王のその言葉に村長は眉をひそめた。何か裏があるとそんなに有利すぎる条件を出す代わりに何か別の代案があるはず……

「なぜなら――」

来た!さぁ、鬼が出るか蛇が出る……かぁ?……あれ?なんで……わしは地面に逆立ちしたみたいになっとるん……じゃぁ………

「――この村の皆さんの命すべて頂きますので」

ギザギザの歯をむき出して新たなる魔王は村長の首を嬉々としてはねたのだった。




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