第13話 それから

 九条と琴美が話をしている頃、翔太もビルに駆けつけていた。由奈から急いで九条ビルの4階に行くように言われたのだ。

「美月が危ない! 美月を助けて!」

とスマホの中から叫んでいた。非常階段から登り、4階の非常口が開いていることに気付く。中に入るとローマ調の部屋があり、奥のベッドの上で美月が横たわっているのが見えた。


「田嶋さんっ! 田嶋さんっ!」


 ゆっくりと目を開ける美月。 


「あれ……? 翔太……さん? 私眠って?」


 睡眠薬がまだ残っているのか、頭がぼんやりとする。横にある絵に気付く。


「この絵……、九条先生が描いたんだ……」


 絵の裏には『ごめんなさい』と書かれていた。

 

 屋上から階段を下りる足音が聞こえてくる。九条の姿が見えると、翔太が勢いよくつかみかかった。


「おまえっ! おまえが由奈を殺したのか!」


 琴美がすかさず間に入る。


「ちょっと、やめて。違う! 違うのっ! 落ち着いてっ! ……あれ? あなた翔太君?」


「え? 広瀬さん?」


「翔太君も大きくなったね。ごめんね、今からこの子と一緒に警察に行くから。また今度ゆっくり話そう」


 琴美の有無を言わせない眼に気圧けおされ、美月と翔太は二人の背中を見送るしかなかった。

 

「ちくしょう! なんだよ! 結局、何で由奈は死んだんだよ――」


 ***


 後日、九条直哉が未成年者誘拐罪で逮捕されたことをニュースで知った。由奈に関しては保護責任者遺棄罪や過失致死罪などの罪に問われる可能性があり、今後も詳しく捜査を続けるとのことだった。

 ニュースによると、『九条は子ども食堂で出会った子どもを絵画教室と銘打って廃墟ビルに誘い、睡眠薬で眠らせその子の絵を描いていた。それを知った女子高生ともみあいになり、足を滑らせ転落死した』というものだった。

 記憶を取り戻した由奈の話とも食い違う点はなく、九条ともみあいになり、足を滑らし転落死したというのが、由奈の死因だった。

 

 ***


 事件が解決してからも、美月・翔太・由奈の3人は時々会って他愛もない話をした。由奈の四十九日の法要の前日も、いつものように公園で3人で会っていた。


「翔太さんのお母さんってどんな方なの?」


「俺の母さん? うぅ~ん……、絵に描いたような、肝っ玉母ちゃんって感じかなぁ?」


「うん。間違いない!」


「子どもの時は、周りのお母さんたちと比べて、みすぼらしいし、遊びに連れて行ってくれないし、嫌で仕方がなかったけど、今となっては、俺を育てるためにがむしゃらに毎日を生きていたんだなってわかるよ」


 翔太の母親は、夫つまり翔太の父親からひどいDVを受けていた。翔太に危害が加わらないように機嫌をとり、歯向かわず、自分に矛先が向くよう努め、暴力に耐える日々だった。DVは自尊心じそんしんも、逃げる気力も奪ってしまう。


 ある時、父親はついに2歳の翔太を殴った。それを見た母親は決死の覚悟で父親に抵抗し、裸足のまま翔太を抱いて、警察に向かった。その後シェルターに保護され、離婚に至り、今がある。


「父親から逃げた日、母さんは顔に大きな傷を負ったんだ。母さんが初めて抵抗したから、割れたガラス瓶の破片を持って暴れたらしい。女性の顔に一生残る傷って、きついよな。でも『俺を守った勲章くんしょうだ』って、ガハガハ笑うんだよ。笑ってりゃ、人間何とでもなる!ってさ」


「翔太のお母さん、カッコいいよねー。昔から大好きなんだよね」


「由奈のお母さんだって、スゴイじゃん。一時期は、ひどかったけどさ。あそこから立ち直るってすごいことだって、うちの母さん感心してたぜ」


 美月は会話に入っていいものかどうかわからず黙っていると、由奈は美月に向かって、自分の幼少期の話を始めた。


「うちの親さ、今は全然マシっていうか、きちんとやってるんだけど、私が小学生の時はホントひどくてさ。今の凛みたいな感じ。家事はしないし、部屋も汚いし、夜は出歩くし、てか、何日も帰らない時もあったし。いつも酒臭いし、ヒステリックだし。話しかけても無視だし、私の存在がないように扱われてたんだよね。ホントひどいもんだったよ。で、児相に一時保護されてさ。その後、広瀬さんが一生懸命動いてくれて、翔ちゃんや、翔ちゃんのお母さんも助けてくれて、母親は立ち直って、また一緒に暮らせるようになって、今に至るんだ」


「そうそう、広瀬さん、毎日のように家庭訪問にきて、一緒に片付けやら、母親のフォローやらしてたもんな。俺の家庭のことも含めて、一緒に話してたな。懐かしい」


「そうだったんだね。全然知らなかった。由奈は、美人で明るくて人気者で、私の憧れそのものだったから……。そんなつらい過去があったなんて想像もしなかった。それで、広瀬さんのことを良く知ってたんだね。凛ちゃんのことも、あの時、広瀬さんに連絡するように由奈が言ってくれなかったら、私、どうすればいいかわからなかった。広瀬さんがたまたま通りかかってくれて、本当に良かった」


「うん……。でもホント、あの人、昔からタイミングよく現れるんだよねぇ~」


「確かに。スーパーマンなんじゃねぇ?!」


翔太と由奈は、笑った。


「それにしても、やっぱスッキリしないなー。九条の奴、ただ絵を描いてただけってホントかよ?」


「それな。まぁ、私のことに関しては、殺されたわけじゃないってことは事実だわ」


「由奈が九条先生が原因で亡くなったことには変わりはなくて、悔しくてたまらないし、別に庇う気もないんだけど……。誘拐した子どもたちを傷つける行為はしてないと思う」


「どうして、そう思うの?」


「うん。アトリエに行った日、先生の絵を見たんだ。聖母マリアの絵と、笑顔いっぱいの天使の絵ばかりだったの。淡い温かい色調の絵。心が純粋でないとあんなふうに描けないよ。性的なことはむしろ嫌悪しているように感じたんだよね」


「ふーん。まぁ、子どもを誘拐して絵のモデルにするって……、変態なことには変わりないけどね! なんか、急に変なスイッチ入って、豹変するやつとかいるじゃん」


「そうだよね……。でも、あの日は凛ちゃん一人だったけど、何人も呼んで食事を振る舞って、絵も教えてたみたいだよ。純粋に問題のある家庭の子たちを救いたい気持ちもあったって……、 そう信じたい……な」 


「はいはい。わかったよ。美月がそういうならさ」


「俺は憎しみしかねーけどな」


「ホントホント。私は無駄死にかよぉ~!」


「違うっ! それは違うよ! 由奈があの時気付かなきゃ、この先、九条先生はもっと行為がエスカレートしていたかもしれない。凛ちゃんに、取り返しのつかない傷を負わせることになったかもしれない。由奈の行動が、九条先生に過ちを気付かせ、止めてくれたんだよ。凛ちゃんや他の子ども達、そして九条先生を救ったんだよ!」


「そっか……、じゃぁ私が死んだ意味、ちょっとはあったかな……?」


「俺は、由奈の死ぬ意味なんていらない。無茶なんかせず、生きててほしかった……」


「私だってそうだよ……。生きててほしかったよ……」


「私だって、二人と一緒ならまだ生きたかったよぉ……。死にたくなかったよぉ……」


 みんなで声をあげて泣いた。三人とも、由奈が死んで以来、初めて泣いた。


「あのさ、二人に話さなきゃいけないことがある。明日さ、四十九日の法要があるでしょ? 私、多分、明日消えると思う」


「え? もう由奈とこうやって話せなくなるってこと?」


「うん。まぁそもそも、こうやって話せること自体、おかしな話なんだけどね! それで……、二人に最後のお願いしてもいい?」


 ***


 四十九日しじゅうくにち法要の日。

 美月と翔太が、由奈の自宅のインターフォンをならす。

 生気せいきを失った喪服姿の母親が姿を現す。益々やつれていた。


「準備で忙しいと思うんですが、少しお時間よろしいですか?」


由奈と翔太は奥へと進む。母親は今にも自死を選びそうな顔をしている。


「おばさん、スマホ持ってる? 写真見せてもらっていい?」


だまって、翔太に差し出す。


「由奈が死んでから、写真とか見た?」


「ううん。由奈の顔を見ると、つらくて。責められてる気がして……見れない」


「これ、いい写真じゃん。おばさんと二人で楽しそうに笑ってる」


 奈津子にスマホを差し出すも、振り払われてしまう。


「何? 見たくないって言ってるじゃない。どうしてそんなことするの?」

 

「お母さん……」


「え? 由奈? 」


 慌ててスマホを拾い上げる。

「うん。私だよ、お母さん。どうしたの、そんなにやつれちゃって。ちゃんと食べてる?」


「あぁ、由奈、由奈! ごめん、お母さん、ごめん。あなたに何もしてあげられなかった」


 奈津子は嗚咽する。


「ううん。そんなことないよ。お母さんは、一生懸命私を育ててくれたよ。寂しくて辛い時期もあったし、お母さんに嫌われてるんだろうなって思うこともあったけどさ、私は嫌いになれなかった。だって私のお母さんは、お母さんだけだもん。余所よそのお母さんより、ちょっとだけ『母親業が下手』だっただけだよね。苦手な料理も頑張って作ってくれて、私のために朝も昼も夜も働いてくれてありがとう。本当に感謝してる。今まで育ててくれてありがとう。だから、自分を責めないで。それだけ伝えたかったんだ」


「由奈ぁ……、どうして先に死んじゃったのよぉ。私はこれからどうやって、何のために生きればいいのよぉ…」


「大丈夫だよ。もう私がいなくても生きていけるよ! これからは、自分のために自分の人生を生きて。お酒は飲みすぎないようにね。それと、変な男につかまっちゃだめだよ。……お母さん、バイバイ。元気でね。空で見守ってるからね」


「由奈ぁぁぁぁ――――」


 奈津子は泣き崩れた。

 美月たちに、由奈の声は聞こえなかったが、二人が会話できていることは見て取れた。美月と翔太はそっとその場を離れ、いつもの公園に向かった。

 

***


「あれで、良かったの?」


「うん、良かった。面倒くさい事、頼んでごめんね。とんでもなく手のかかる母親だったけど、あれでも愛すべき母親なんだよね。親ガチャはずれだったけど、他の子じゃなく私に当たってよかったわ! それより私がいなくなって、今後が心配だけどね。仙波浩平のこととか」


「死んでまで、親の心配することね~よ。由奈は十分頑張ったし、母親を支えてきたよ」


「そうだね~。どっちが親でどっちが子なんだか、わかんない時あったわ。ホント最後まで手のかかる親だったよねぇ。でも、なんかそれも含めて親子愛っていうかさ。自分が必要とされてた、存在意義があったって、嬉しい気もする。親子の形も様々だね——」


「親子って何だろうね……。実は私ね、両親と血のつながりがないの」


「「え?」」


「私はね、赤ちゃんポストに入れられてた子なんだって。1歳になる前に今の両親が養子縁組をして、戸籍上親子になったって。最近、虐待のこととか分籍や養子縁組のこととか調べてたらさ、もうすぐ18歳になるし、今が言うタイミングじゃないかって、両親が先日詳しく話してくれたんだ。実は中学の頃、役所からの通知をまたまた見て、実の両親じゃないことはすでに知ってたんだけどね」


「そんな、大事なこと、どうして私たちに話してくれたの?」


「話を聞いた時は、やっぱりショックだったんだけど、今は落ち着いてるし、なんか二人には聞いてほしかったの。血のつながった我が子にひどい虐待をする親がいる一方で、ずっと子宝に恵まれず、赤の他人の私を子どもとして迎えて、大切に育ててくれる両親のような人もいる。実際、血縁関係がないと聞いても、やっぱり今の両親だけが『私の親』だし、どこの誰だかわからない生みの親に会いたいとも思わない。血のつながりが重要だとは、どうしても思えなくて……。だったら、家族って、親子って何だろう? って思ったんだよね」


「うん。家族って、血のつながりだけじゃないよね。仙波浩平なんて、血のつながりがあるって聞いても、赤の他人としか思わないもん」


「確かにな。もし、今、母さんが実は本当の母親じゃないって言ったとしても、『ふ~ん、で?』ってなるかも」


「親子って、家族って、ある日突然なれるものじゃないよね。寄り添ったり、本音で話したり、感情的に思いをぶつけたり、だらしない自分や嫌な自分を見せたり、喧嘩もして色々なトラブルを乗り越えて、そんな風にお互いの人生の共有部分が増えて、いつの間にか家族になってるんだと思う。そして、その共有部分が濃い程、絆も深まるっていうね」


「確かに、そうかも。どんな事があっても、離れず一緒に居たいと思えるのが家族なのかな……」


「私ら3人ならさ、いい家族になれそうじゃない? てか、私らが子育てしたら、最強じゃない? 絶対幸せにできる自信がある!」


「「そうかもね。」」

 3人で笑った。


「そういえば由奈、亡くなる前に様子が変だった理由は何だったの?ずっと、気になってて」


「あ――、何だったかな? 進路の悩みだったかな? うん、多分そうだったと思う。大した悩みじゃないよ」

 

 本当は違った。3年生になり、九条が赴任してくると、美月が九条に熱をあげているのが見てとれた。由奈は美月が好きだった。ただ親友を奪われたというヤキモチだったのかもしれない。でも、美月を誰にも奪われたくないと心から思った。美月が愛おしかった。おそらく『友情の好き』を超える愛情だった。その自分のただならぬ想いに気付いてから、由奈は悩み、苦しんでいた。美月に打ち明けるつもりもなく、この想いは永遠に胸にしまっておこうと決めていた。その決心は今も変わらなかった。

 

「さ、そろそろ法要の時間だねー。いよいよ、私も成仏しなきゃだわ。凛と母親のことはちょっと心配だけど、二人に託したよ! たまにでいいからさ、気にかけてやってよ。じゃ、そろそろ行くわ。翔ちゃん、子どもの時からいつも助けてくれてありがとう。美月、2年ちょっとの付き合いだったけど、美月が私の生きる糧だったよ。美月こそ私の憧れの人だったよ。二人のことが本当に本当に大好き! いつか生まれ変わったら、また二人と出会いたい! 二人とも今まで本当にありがとう! じゃぁ、元気でね!」


 最後は、自分の言いたいことだけ言って、あっさりと消えてしまった。ジメジメしたお別れは嫌だったのだろう。それから、由奈がスマホに現れることはなかった。


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