第12話 真相

6月2日㈯ 15:00 

 今日も、こども食堂は予定通り完遂できた。九条からの莫大な寄付金も入り、今月から毎週土曜日の開催となる。これまでは無償だったボランティアへの謝礼金もまかなえるかもしれないと、運営はいきり立っていた。


 由奈はいつものようにおばちゃんたちに挨拶をして帰り支度をする。


「由奈ちゃん、いつもありがとね! また来週!」


「おばちゃんこそ、いつもみんなのためにありがとね! 今日のご飯もおいしかったよ!」 


 自転車にまたがり、帰ろうとすると、凛が友達と遊んでいるのが見えた。自転車を横につけ、話しかける。


「凛、今日はお母さん帰ってくんの? 夕飯の分も、もらった?」


「わかんない。今日はもらわなかった!」


「えぇ? 明日まで食べるものあるの?」


「うぅ~ん。あ! 今日はね、絵画教室の日だから、大丈夫! 美味しいお菓子とかもらえるんだぁ!」


「絵画教室? なにそれ?」


「前にこども食堂に来てた先生がね、絵の勉強を教えてくれるの。マナちゃんとシュン君も一緒に行ったよ。お菓子もいっぱい食べさせてくれたよ」


「へー、そうなんだ。良かったね。でも暗くなるまでには帰りなよ」


「うん、わかった」


 由奈はいつものように近道を通って家路につく。


『あれ? これって九条の車じゃん? あいつ、何でこんな廃墟ビルに車停めてんだ? 九条ビル……? あぁ、ここあいつのビルなんだ。ふーん。そういや、今日はこども食堂に来てなかったな。まぁ、寄付金さえ出してくれてりゃ、どうでもいいけど』 


 九条の車は、黒い大きな車で車体番号が1だったので覚えていた。由奈は特に気にすることもなく家に帰った。


15:30 家に着く。 

 家では、母親が仕事に行く準備をしていた。昨日母親の帰りが遅かったことで母娘おやこ喧嘩をしてしまう。いつも、互いに気をつかいすぎて、言いたいことも言えず我慢していた節があった。母親は日頃のうっ憤を爆発させてしまう。由奈に出て行けと言ったのは本音ではなかった。そして、由奈もまた、日頃から頑張りすぎている母親が感情を爆発させ、心にもないことを言ってしまって悔やんでいることをわかっていた。


18:00 

 仙波浩平せんばこうへい来訪。 仙波浩平が父親だと知らされる。ショックは大きかったが、それよりも引っかかるセリフがあった。


『世の中には、表では立派なお方が、裏では金に物を言わせて、ガキを慰みものにするゲス野郎がいる』 


 金持ち・小児性愛者……。由奈の心臓がドクンと波打った。 


 凛の言葉を反芻する。


『絵画教室、先生。廃墟ビル、九条の車』


18:45 

 由奈はいてもたっても居られず家を出る。タイミングよく翔太と会ったので、このことを相談して一緒に付いてきてもらおうかと思ったが、まだ確信が持てず言えなかった。 

 廃墟ビルに向かう。九条の車がまだあった。正面玄関から声を掛けるが反応がない。そもそも辺りは暗く雨の音で声もかき消されていた。外付けの非常階段を上る。 

 外から見ると最上階にうっすらと明かりがついているのが見えた。非常階段からつながるドアを思いっきり叩くたり、蹴ったりした。


「九条先生っ! てか九条っっ! いるんだろっっ!」


 物音を聞きつけた九条が出てきた。


「あなたは確か……こども食堂の?」


「ちょっと、入れてよっ」


「あぁ、どうしたんですか? こんな雨の中? 申し訳ないのですが、ちょっと今作業中で、中をお見せできないんです」 


 由奈は九条に体当たりしてでも中に入ろうとした。しかし、細身とはいえ25歳の成人男性を押しやることなどできない。九条との押し問答の最中、腕越しに奥の部屋で寝そべっている女児が見えた。


「凛! 凛だろ?! 返事して!」 


 九条は一瞬しまったという顔をしたが、再び平静を装った。


「あなた、何か勘違いをしているようだけど、凛ちゃんには絵のモデルをお願いしているだけですよ」


「じゃぁ、なんでベッドに寝かせてるんだよ!なんで返事しないんだよ!」


「今はちょっと眠っているだけです。終わったら、送り届けますから心配はいりませんよ」


「信用できるか! この変態ゲス野郎! おまえ、小児性愛者だろう!」 


 この言葉に九条の顔つきが変わった。


「違う! 変態ゲス野郎とは、僕の父親のような人間のことを言うんです! 僕は変態でもゲスでもない! 純真無垢なあの子たちを汚したりしない! 違う! 違う! 僕はこの世で一番美しい彼女たちを、一番美しいこの瞬間を、絵に描いて残しているだけです! 何人たりともこの芸術を冒涜することは許しません!」 


 九条が本気の力を出せば由奈の力など全く及ばなかった。非常階段まで押し戻され、九条は扉を閉めようとした。それでも由奈は諦めなかった。渾身の力を振り絞り、九条を外に引っ張り出すと非常階段の踊り場にしりもちをついた。九条ともみあいになる。雨で滑る地面。古くなった鉄格子には由奈がギリギリ通るぐらいの隙間があった。足を滑らせた由奈は、そこから転落した。九条に殺意はなかった。 


***


 美月が落としたティーカップをそっとテーブルの上に戻す。九条は慣れた手つきで美月を抱き上げベッドに寝かせる。


「僕は高校生は大人っていう認識だったんだけど、君だけは違ったんだ。きっと、心が純粋なままなんだね。そして、どこかあの人に似ている」


 九条は中学時代の屋上での日々を思い出していた。美月の髪を撫でながら綺麗に整える。


「さぁ、もうあまり時間がない。これが最後の作品になりそうだ」


 九条は夢中で筆を走らせた。絵を完成させると、美月の枕元に絵をそっと置いた。


 非常階段を使って、屋上に上がる。空はきれいに晴れていた。仰向けに寝転がり、空を見上げる。


「もういいよな……。十分生きたよな。どうせあの時、死ぬつもりだったんだ。生きる目的もないし。……変態ゲス野郎か。確かにな。いつか僕も父と同じように最低な行為をする人間になってしまうかもしれない。やはり僕は生きていてはいけない人間だ。……斎藤さんには悪いことしたな……」


 そうつぶやくと、起き上がって鉄格子に足を掛けた。その瞬間、後ろに引っ張られ、しりもちをつく。振り返るとそこには広瀬琴美ひろせことみがいた。


「おそくなってごめん。一人にしてごめん。直哉に死んでほしくない。お願い。私もう絶対に逃げないから。生きて――」 


 そう言うと、琴美は九条を力いっぱい抱きしめた。九条は慟哭した。そこには、14歳のままの直哉がいた。

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