第14話【最終話】 5年後 

 大学で福祉を学び、卒業後ソーシャルワーカーとなった美月は、長栄ながえ市役所の児童福祉課の相談員として勤務して、4カ月が経った。上司の中には広瀬琴美もいた。慣れない仕事ばかりだったが、先輩たちにアドバイスを受けながらなんとか仕事をこなしていた。

 

「美月ちゃん、午後からの訪問、一緒に行ける?」


「はい、今日は午前中に一件面談が入っているだけなので大丈夫です」


「そう。じゃぁよかったら、昼休みになったら出て、昼食一緒に食べてから、そのまま訪問に行かない?」


「はい、ぜひお願いします、広瀬係長」


 就職してからも、お互いに案件が多く、すれ違いばかりで、まだゆっくりと話したことがなかった。

 天気が良いので、コンビニでおにぎりを買って、誰もいない公園で昼食をとる。


「いい天気! 気持ちいいねー!」


「はい。あの……」


「うん。あの事件のことだよね。あの時は、美月ちゃんは関係者じゃなかったから、詳細を話すことはできなかった。わかってると思うけど、この仕事は、絶対的に『守秘義務しゅひぎむ』が遵守じゅんしゅされなければならないからね。ホントは情報漏洩を防ぐため、外部で話すのもタブーなんだけど、ここは人が来ないし、小さな声で話そう。今後の勉強のためという名目で何でも聞いていいよ」

 

「はい。私、今の職に就ついてから、事例検討の勉強のために、過去の記録をたくさん読みました。その中には、凛ちゃんや、凛ちゃんの母親や九条先生が子どもの時のケース記録もありました。特に知っている人のケース記録は、家庭内の見られたくない部分を覗き見ているようで、いい気はしなかったのですが、自分のスキルアップのために読みました」


「うん。いいと思うよ」


「凛ちゃんは、あの時一時保護になって、その後は母親が引き取りを拒否して、里親さんのもとに行ったんですね」


「うん。凛ちゃんも、一時は母親のもとに帰りたいと言っていたんだけどね、ちょうどその頃、母親が勤め先のお金を横領して逮捕されてね、里親さとおやさんのもとへ行くことになったの。里親さんに愛情一杯に育ててもらって、今は元気に中学校へ通ってるよ。もちろん、どんなに幸せでも、母親のもとに帰りたい気持ちが消えたわけではないと思うよ」


「そうなんですね。九条先生の事件に巻き込まれたことはトラウマになったりはしなかったんですか?」


「うん。凛ちゃんは直哉のことをしたってたからね。先生は悪い人じゃない。なんで逮捕されるの? って逆にかばってた」


「そうですか。広瀬係長は、九条先生とどういったご関係だったんですか? 名前も呼び捨てだし、何となく気になってて……」


「直哉の過去の記録は読んだんだよね?」


「はい……。読んでいるだけで眩暈めまいと吐き気がおこりました」


「だよね。直哉とはね、この仕事に就く前から交流があったの。あのビルの横をたまたま通りかかった時に、中学生だった直哉が飛び降りそうなのを見かけてね、止めに行ったのが始まり。家庭の問題で心を閉ざしていたあの子が、私にだけ心を開いてくれてね。まだ未熟な大学生の私は、可哀想な直哉を助けるヒーローになったつもりでいたんだ。もともと児童福祉の仕事に就くつもりだったし、大学で学んだことを活かして、カウンセリングもしてみよう、元気づけてあげようと、予行演習よこうえんしゅうをしているつもりで張り切ってた。今思えば、本当にあさはかで危険な行為だよね。素人しろうと下手へたに手を出すと、クライアントを死に追いやることだってあるのに……。卒業して今の仕事に就いて、ついに本当の意味で直哉を助けられるって思った。直哉の許可をとって、内部で情報共有をして、九条家を家庭訪問したり、関係機関を訪問したりして、詳しく調べたの。そしたら、元使用人から情報提供があって、その内容が自分のキャパシティーを大きく超えるものでね。当時の私の力量では直哉の担当が出来なかった。直哉の顔を思い浮かべるだけでつらくて、食事も喉を通らないし、眠れないし、ついには私自身が体を壊してしまったの。直哉が遠方の親戚に引き取られる前に、私に会いに来てくれたんだけど、無視をしてしまった。あれほど孤独を恐れ、拒絶におびえていたのを知っていたのに、また独りぼっちにしてしまった。あんなに信頼してくれていたのに、私は逃げたの。直哉とはそれっきり、会ってなかった」


 「5年前、直哉が養護教諭ようごきょうゆになってこの街に帰ってきていると風の便りで聞いたの。その矢先、今度は由奈ちゃんがあのビルで自殺をしたって聞いて、何かあるんじゃないかと疑った。あの辺をウロウロしていたら直哉とばったり会えるんじゃないかと思って、仕事の合間に由奈ちゃんのお参りに行ってたの。それであの日、直哉がまた飛び降りようとしているところに私が鉢合はちあわせたってわけ。ずっとわだかまりがあったんだけど、あの時は直哉も私も、学生だったあの頃に戻れていたと思う。当時の未熟だった自分の愚行を詫わびたわ。それから、直哉にあの事件の真相を聞いて、警察に自首しに行った、というのが事の顛末てんまつだよ」


「そうだったんですか……。勤める前から知り合いだったんですね。あの……、九条先生に余罪よざいはなかったんですか?」


「うん。ペドフィリアという自覚があったみたいだけど、行動を起こしたのはあの時が初めてだったみたい。あの時はまだ性的欲求はなくて、結果的に凛ちゃんに心身の傷を負わせなかったことは、不幸中の幸いだった。直哉は、精神鑑定せいしんかんていの結果、精神年齢がまだ小学生のままだったの。父親からの虐待の影響で男性器も機能しない体になっていたし、性的なものには嫌悪感しか抱いてなかった。彼は純粋無垢じゅんすいむくなものを愛する人間だったの」


 色々な感情がせめぎ合い、美月は口を開くことができなかった。



「美月ちゃん、この仕事に就いて4カ月経つけど、どう?」


「はい……、自分の想像をはるかに上回るケースばかりで、正直心がしんどいです」


「そうだよね。人道に反する行為を度々目の当たりにするし、目の前に苦しんでいる子どもがいるのに介入できないケースもある。公的機関だからこそできることもあれば、その逆もある。理不尽りふじんもジレンマも盛もり沢山だくさん。ホント嫌になっちゃうよね。でも、自分が壊れる仕事のやり方をしてはダメよ。この仕事は一人で抱え込んじゃダメなの。だからこの仕事は、チームを組んでやるのよ。各専門家がケース会議で集まって情報交換するのも、それぞれの視点で支援計画を立てるのもそのため。チーム一丸となって課題解決を目指すのよ。悔しい思いも辛い思いもするけれど、私たちが体を壊してしまったり、諦めてしまったら、最もつらい状況にいるこども達を救うことはできない。私たちは最後のとりでだからね。」


「自分の言動一つで、この子の将来が変わってしまうかもと思うと、どう動けばいいかわからないことも多かったんです。だからこそ、チームで課題解決を目指すんですね。最後の砦か……。身に沁みます」

 

「他に話したいことはない?」


「私、虐待って親が絶対的な悪だと思っていたんですが、そうじゃないケースもあるんだなって。あ、もちろん親が悪いんですけど……。あれ、私変なこと言ってる」


「うん、言いたいことわかるよ。虐待する親は、なぜするのか? 最初から悪だったのか、悪の意識があるのか? ってことだよね。かつて愛情をかけて育ててもらえなかった子どもは、やがて親になった時、子どもの育て方がわからない。自分がされた子育てしか知らない。もしくは養育者自身が病気だったり障害だったり。もちろん、どんな理由があっても、無抵抗な子どもがその被害を被こうむることはあってはならないのだけど」


「はい。凛ちゃんのケースのように、凛ちゃんのお母さんもまた、かつて子どもの頃は、助けてもらうべき対象だったんだなって。それを知るまでは、なんでかわいい我が子にひどい仕打ちができるんだろう、ひどい母親だ! って思ってました」


「親がただの悪鬼あっきだったら、子どもと引き離して、成敗せいばいして、めでたしめでたし。で終わるのにね。実際、自分の快楽や欲求を満たすためにやってる本物の悪鬼もいるけど。そんな悪鬼には子どもにした行為をそのまま返してやりたい!っていうのが本音だけどさっ!」


「そうですね。そんな風にシンプルに解決できたらいいですよね。虐待は、閉ざされた空間で起こるから、発見するのが難しいだけで、発覚したら単純に親子分離をして、解決できるものだと思っていました」


「そうだね。悪鬼を成敗することを望まない、むしろ失うことを恐れる子どもが多いのも事実。そして、親自身、もがいて苦しんでいるケースもあるね。昔 担当した児童が、大人になって、今度は虐待する側のケースで入ってきたときは、本当にむなしくなるよ。これまでやってきたことは無駄だったのかって」


「それ、つらいですね」

 

「『慈烏反哺じうはんぽ』って言葉知ってる? 親孝行や、恩を返すって意味なんだけどね。慈烏じうはカラスの異称いしょうで、反哺はんぽは口移しで餌えさを与えることの意味。カラスはね、幼いときに親が口移しで餌を与えてくれた恩を覚えていて、老いた親に口移しで餌を与えるんだって。これってさ、親が毒を与えて育てたら、きっと子も同じように年老いた親に毒を返すのかなって。小さいうちは親の力の方が強いけれど、この力関係はいずれ逆転する。毒で大きくなった子どもは、親に、社会に、自分の子どもに逆襲するかもしれない。私たちは、この毒の餌付えづけを早急に発見し、それを阻止し、解毒する役目も、その連鎖を食い止める役目も担ってる。そして、親の立ち直る力を信じて、具体的にどうやり直せばいいのか、『やり方』を教えてあげなきゃいけない。そしてさらに、どうしてもその親にその能力がないのならば、代わりの養育者を探さなきゃいけない。それが私たちの仕事だと思ってる」


「発見、阻止、解毒、指導、新しい親探し…。……発見。私はまだ、通報があって、家庭訪問する時が一番怖いです……」


「うん、怖いよね。突撃家庭訪問して、いい顔して迎えられるわけがないし、一刻を争う場面に出くわすこともある。それでも、実際に虐待の可能性があるなら、どんな相手でも食い下がらなければならない」


「『はぁ? 虐待? 何言ってんの? 帰れ!』って、怒鳴どなられたこともあります。カッとなる人が多くて、怖いです……」


「うん、わかるよ。……一方で、毎晩大声で泣き叫ぶ声が聞こえる家庭を虐待の可能性ありと訪問したら、特性のあるお子さんが毎晩お風呂が嫌で癇癪かんしゃくを起していただけというケースもあるね」


「障がいを持つお子さんを、日々一生懸命に育児されているお母さんのもとへ、突然『市役所の人間が虐待通告を受けて来た』時のショックといったらないでしょうね」


「そうだよね。親の方が子どもに傷を負わされて疲弊ひへいしているパターンもあるしね。だから、私たちはどんな時も親の『敵』になってはならないの」


「なるほど……。でも、ひどい親をみると、どうしても感情的になってしまいます……」


「そうだよね。その気持ちわかるよ。私たちの最優先事項は『こどもの幸福』。子どもを守るために養育者との関係性をどうするのが最善か、子どもにとって一番の幸せは何かを、常に子どもの視線に立って、冷静に考えていくことが大事だね。親子分離がその子にとって幸せなのかどうか、どういう養育環境が最も望ましいのか、残酷だけど、時には子ども本人の意思決定も重要となる場合もある。私たちは、プロとして、些細な違和感を見落としてはいけないし、決めつけをしてはいけない。傾聴けいちょうと寄り添い、そして何より、当事者と信頼関係を築くことが大事だね」


「はい。これからもっと経験を積んでいきたいです」


「うん。美月ちゃんは将来有望だな!」

 

「そういえばこの間、児童手当じどうてあて増額のニュースが出ていましたね。少子化対策しょうしかたいさく・子育て支援に有効なんでしょうか。広瀬係長はどう思われます?」


「そうだね。大半の人が子どものために使用していると思いたいけど、私たちはひどい親ばかり目の当たりにする職種だから、何とも言い難がたいよね。金銭がひっ迫ぱくしている家庭にとっては本当にありがたい施策だと思う。それが少子化対策に有効なのかは疑問だけど……。出生率が下がり、労働力人口が低下しているから、子どもを産もう増やそうというのが政治家たちの考えなんだろうけど、どちらにしろ、『産んで数が増えたらOK』ではないよね。『育児は誰でも普通にできる』っていう考えが、まだまだ蔓延はびこってるから、そんな呑気に『数を増やせばOK』っていえるのかなって思ってしまう。数を増やすのも大事なことかもしれないけど、それ以上に『子どもが幸せに育つ環境を整える』施策が必要だと思うの。女性の社会進出推奨して、男性は育児に積極的に参加してって、何だかすべてが上辺だけで、本質を見失っているというか、見誤っているというか……」


「子育てを軽視している、大人の都合で社会全体が動いているという感じでしょうか?」 


「やさぐれた言い方をすると、所詮、法や仕組みを作るのは、上流階級の男性たちだから、この下流に蓄積された歪みに気付いて、仕組みや支援方法を考えるなんて無理ないんじゃない?って思っちゃう。かといって、この問題は根が深くて、私ごときでは解決策を思いつかない。くやしいけど、やれることといえば、今私たちがやってる対処療法たいしょりょうほうしかないんだよね。でも、そうも言ってられない。金銭的にか環境的にか理由はわからないけど、人の心が貧しくなって、虐待が増えているのは事実。虐待の本当に恐ろしいところは、連鎖れんさがおきるところ。心の傷は見えないからね。この毒の反哺がもたらす、負の連鎖、負の拡大は、今後ますます社会を侵蝕しんしょくしていくと思う」


「根幹こんかんから断ち切る対策を考えないといけないということですよね……。子育てがわからない、できない大人が増えているんですよね? じゃぁ子育てをできないと判断した人の赤ちゃんは国が育てるとか?」


「そうだね~。そうしてほしいのはやまやまだけど、じゃぁ、『子育てをできない人』というのは、誰がどうやって判断する?」


「そうですね……。世帯収入せたいしゅうにゅうや、心理テストや、お試し期間的な?」


「貧しいからといって不幸なわけでもなければ、お金持ちだからといって幸せな子育てができるわけではないよね? その心理テストは誰が作って、お試し期間のジャッジは誰がする?」


「そっか……。じゃぁ明らかな虐待がわかれば、救出……、あっ、それだと今と同じか! せめて、以前虐待歴がある親には子どもを渡したくないですけどね……」


「ほんとそう。でも心を入れ替えてくれる場合もあるからね」

 

「『子育て学』を、学校の必修科目ひっしゅうかもくにするとかどうですか?」


「それ、いいね。ホント、それぐらい重きを置いていいよね」


「でも、それだとますます、子どもを産みたくないという選択者が増えそうですね。子育ての大変さがわかってしまうから」

「確かに。でもそのくらい子どもを作るって覚悟がいることだと思うの。そして、覚悟を決めて産んだ後には、安心して子育てができる手厚いサポート体制が欲しいなって思う。お金だけじゃなくてね。叩くのが悪い! 虐待だ! と責める代わりに、なぜ力の強い大人が弱き子どもを叩かなければならなかったのか、そこの原因究明げんいんきゅうめいと解決が重要よね。子どもを傷つけることはいけないことだけど、その事実を『家庭』という殻からに閉じ込めて、ないものにされることが一番悲惨ひさんなのよ」


「悪い事をしてしまった、隠そう! ではなくて、こんな私と子どもを助けてと言える、相談できる場所が必要ですね」


「そう。だから、私たちはどんなひどい親でも、責めちゃいけないのよ。シャットアウトされたらそこで終了しちゃう。介入できなくなったら、救えるはずの子どもも救えなくなっちゃう」

 

「『こどもにとって最大の味方でありながらも、親にとっても敵であってはならない』ということですね」

 

「そういうこと。あぁ、お昼休憩終わっちゃったね!さ、家庭訪問行きますかー!」


「はい! 世界一地味なヒーロー出動ですね!」


 ――現在、児童虐待又はその疑いがあるとして警察から児童相談所に通告した児童数は年々増加の一途をたどっている――


 


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