第3話 矢野翔太

幼馴染の由奈が死んだ――。


 俺は矢野翔太やのしょうた、大学2年生。由奈とはアパートの隣同士で、お世辞にも裕福とは言い難い家庭で育った俺たちは、時に助け合い、互いに兄妹のように慕っていた。2歳の時に両親が離婚して、それからずっと母親と二人で暮らしている。母親は働き詰めで、一緒に遊んだ記憶もなければ、疲れ切った顔と寝ている姿しか見たことがない。食事といえば、昼は給食、朝夕食は菓子パンか廃棄寸前の弁当があればいい方だった。身なりも適当で、ガハガハと品のない笑い方をする母を恥ずかしいと思っていた時期もあった。


 このボロアパートの住人はみんな訳ありの家庭ばかりで、事情を知る近くの商店街のおっちゃん達は、俺達によくしてくれた。店の売れ残りの総菜そうざいをくれたり、公民館横の武道場で、毎週土曜日の夜に剣道を無償で教えてくれたりした。寂しくないと言えば噓になるが、母親が自分を育てるために必死に働く姿をみて誇りに思っていたし、商店街のおっちゃん達が父親のような存在で、俺達を間違った道に進まないように地域ぐるみで育ててくれた。お蔭で、補助金を申請をして無事に大学に進学することもできた。


 由奈が中学2年になる頃には、年頃ということもあり、お互い家に行き来することはなくなった。由奈が高校受験に専念したいからと剣道を辞めた後はほとんど接点もなくなったが、高校生になり、スマホを互いに持つようになってからは、SNSを通じて近況は知っていた。


 あの日は、ちょうど剣道の練習に行く時で玄関の鍵を掛けているときだった。隣の扉が勢いよく開き、由奈が飛び出してきた。急いだ様子で鍵を掛けながら俺に気付き話しかけてきた。

「あ、翔ちゃん!今から剣道?」

「うん。そんなに急いでどこ行くんだよ?」

「うん、あのね…。…やっぱ、何でもない!剣道頑張ってね!」

 そういうと、走り去ってしまった。

「お、おい!こんな雨の中、どこに行くんだよ?!」

 最初に言いかけてやめた時の神妙な顔。何となく嫌な予感がしたんだ。あの時、呼び止めてきちんと話を聞いていれば、こんなことにはならなかったのではないか。由奈が自殺なんてするわけがない。誰かに殺されたに違いない。誰だ?後悔と疑念が渦巻く。


 ***

 

 葬式の翌日の夕方、家で悶々と思考を巡らせていると、インターホンがなった。玄関を開けると、そこには見覚えのある少女が立っていた。

「あの、私、田嶋美月って言います。由奈の親友で…、ちょっとお話したいことがあるんですが、いいですか?」

 確か、高校で出来た一番仲のいい友達だ。SNSでもよく見かけたし、一度アパートの廊下で挨拶をした気がする。あまり、気乗りはしなかったが、ここに訪ねて来るぐらいなのだから、余程の理由だろう。

「あぁ…。じゃぁ、家に入れるわけにはいかないから、どこか別の場所で…。」

「あの、できれば人気のない場所がいいんですけど…。」

「わかった。じゃぁ、近くにちょっとさびれた公園があるんだけど、そこでいいかな?」


 ***


 公園のベンチに距離を保って座る。

「あの…、これ見てもらえますか?」

 スマホを渡され、由奈と田嶋さんが移った写真を見せられる。由奈が楽しそうに笑っている。

「この写真が何か?」

「え?しゃべらないですか?」

「は?」

「おかしいな?あの、この写真の由奈と話せるんです。由奈から翔太さんのところに行ってほしいって頼まれて…。」

「は?あぁ…、俺スピリチュアルとか興味ないんで、そういう用事なら…。」

 この子も辛いんだろうなと慮りながら、そっとその場を離れる。

「ちょっと、由奈!なんでしゃべらないのよ?私、変な人だと思われてるんだけど。え?私としかしゃべれないってこと?どうやったらいいのよ?え?写真を?うん、うん…。」

 ずっと由奈と会話をしているような独り言をしゃべり続けている。『あの子大丈夫か?』

「あの!翔太さん!もう一度だけ、いいですか?お願いです!私の話を聞いてください。」

 あまりに必死な様子を見て可哀想になり、もう一度ベンチに腰掛ける。

「あの、翔太さん、スマホ持ってますか?由奈と二人で撮った写真ってあります?」

 いかにも地味でオカルト好きなこの子をどうやってやり過ごそうか考えつつ、スマホの写真フォルダをスクロールする。

 「由奈と二人で撮った写真はないなぁ。…あ、これならあるけど。」

 毎年度末に一度撮る、剣道の集合写真。3年前に撮った、由奈の中2最後の時の写真だった。二人で並んで写っていた。田嶋さんは、俺のスマホを手に取ると、俺たち二人が画面いっぱいになるように拡大して返した。

「この写真をじっと見てください。」

 『あほらし…。』と心で呟きながら画面を見ると、画面の由奈がいきなりしゃべりかけてきた。

「翔ちゃん!聞こえる?」

「うぉっっ!」

 思わず、スマホを落としそうになる。

「翔ちゃん、信じられないだろうけど、私まだ話せるの!」

 声が声にならず、隣にいる田嶋さんとスマホ画面を交互に見る。

「由奈と話せました?私には声が聞こえないな…。」

 田嶋さんが俺のスマホをのぞき込むと、途端に静止画へ戻った。田嶋さんが画面から離れると、由奈の口が動き出す。どうやらそれぞれのスマホで一人ずつしか話せないし、その間由奈の声は周りには聞こえないらしい。いや、待てよ。

「田嶋さん、3人で話せるか、色々試していい?」

 田嶋さんの了解を得て、俺と田嶋さんのスマホをLIMEで繋ぎ、3人が写った写真のように合成し、それを送信した。

「この写真を出したまま、3人で話してみよう。」

 田嶋さんが俺のスマホをのぞき込むと、3人の写真の由奈が話し始めた。

「やった!3人で話せますね!」

 それぞれのスマホで、同じ3人の写真を出して話すと、音質が途切れて聞こえづらいものの、それも成功した。これが可能だとそれぞれ別の場所に居ても3人で話せる。今日のところは、俺のスマホで3人で会話をすることにした。これまでの経緯や、互いが知っている情報を3人で共有する。俺と田嶋さんは、自殺ではないと確信していたが、由奈の内心は読み取れなかった。あの日、何に急いでいたのか、誰かと会っていたのか、それがわかればいいのだけれど。この日は、何の進展もなかったが、最後に由奈はこんなことを言った。


「二人に頼みたいことがあるの。今度の土曜日、11時半にある場所へ行ってくれないかな。」

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