第6話 能力覚醒
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彼はまだ帰ってこない。それなら、俺だけで秘密の特訓を行おう。木にロープを吊るし、たくさんのタオルを布で包んでロープに引っ掛ける。これで簡易的なサンドバッグの完成だ。モンスターの討伐にも、己の拳を使う時がある。右、左、左、右、衝撃で動き続けるサンドバッグを感覚で見極めながら、次々にパンチを繰り出していく。
バシバシッ!
左、右、左、蹴り上げ!
何故か前よりも、体を動かすのが楽になっていた。足だって簡単に上がるし、何度サンドバッグを殴っても痛くない。衝撃で揺れるサンドバッグが顔面に当たりそうになっても、危険を察知してすぐ避けれるようになった上、ロープがちぎれる程のパンチを出せるようになった。不思議な力だな。
そうやって戦闘訓練や、日常生活を違和感なく送るための訓練を、1日かけて積んだ。モンスターと戦うためだけの訓練じゃない、人と戦うためのも。いつ何が起こるか分からない、目が見えない分、他の感覚でも補えない脅威に襲われるかもしれない。そういう時に役立つのは、身体能力と戦闘力だ。
他にも日常生活を送るために必要な訓練をした。周りから見ても違和感なく過ごせるように、フォークを掴んで肉を刺し、それを口に持っていけるように、何度も何度も訓練を積み重ねた。身体能力がどんなに優れていても、日常生活を送る上で不都合があったら、それはそれで嫌だ。他にも、皿を落としても空中で拾えるように、身体能力を応用した訓練も行った。
これなら、外に出ても違和感ない。
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次の日の夕方、彼が大きな荷物を持って帰ってきた。1ヶ月分の食事がパンパンに詰め込まれているんだろう。匂いから肉だけでなく野菜が詰められているのが分かる。それだけじゃない、彼の顔も分かるようになった。空間の音の細かい増減から、彼の顔にあるシワや、顔つきまでもが見える。とはいっても、まだ未熟だからか正確に見える訳でもない。
「荷物持ちます」
「……頼んだ。野菜は机の上に、肉は地下倉庫に俺が持っていく」
俺は彼の言う通り、野菜を机の上に運んだ。物伝いに歩く訳でもなく、一直線に机に向かう俺を見て、彼は何か思ったのか俺に話しかけてきた。
「……覚醒したか?」
「はい?」
覚醒、彼が言う覚醒というのは、俺が身体能力を覚醒させたというのと同じ意味なのか。視覚以外の全ての感覚を覚醒させたはさせたが、机に向かった俺を見て、何で彼は「覚醒」という言葉を使ったんだ。そこだけが疑問で、心の中に引っ掛かっている。他の言葉を使えばいいのに。
「……包帯を剥がせ」
さっきの言葉の意味を説明することなく、彼は俺にそう命令してきた。意味も分からず、でも命令を実行しない意味もないため、ここは彼に従って、目を覆っている包帯を剥がした。もう出血は止まっており、傷口は完治しているようだった。失われた視力を取り戻すことはできないが。
「……黒目も白目もある。外から見れば普通の人間と変わらない。だが、包帯を巻いておけ」
そう言って彼は新しい包帯を俺の目に巻いてくれた。傷口は塞がっていて、包帯なんて必要ないはずなのに。彼は包帯を巻き終えた後、俺に新たな命令を下した。
「……暖炉の側に杖があるだろう。それを持ってこい」
訳が分からない、それでも彼の指示に従い、暖炉の横に立てかけてあった杖を持って、彼に渡した。その杖は普通の杖で、足腰が弱い老人が使うような、そんなものだった。というか、彼は杖を使っていなかった。なら、この杖は誰のなんだ。使わないのなら、地下倉庫とやらにしまえばいいのに。
彼はその杖のネジを外し、杖を棒の部分を伸ばした。もしかして、これは……彼の妻が使っていたものなのかも。盲目の人が聴覚や触覚で位置を特定する時に、サポートになるアイテム。これは木製じゃない、鉄で出来ているから頑丈だ。
「……お前が使え」
彼は俺に杖を渡し、そのまま玄関の扉を開けた。彼の側に行くと、彼は俺のことを外に押し出そうとしてきた。必死に抵抗するも虚しく、俺はまた外に放り投げられてしまった。身体能力があっても、咄嗟に判断することはできないものなんだな。いや、というか、何で彼は俺のことを追い出したんだ。
「……助言をしよう。ここから出ていけ」
彼は俺に聞こえるように、そう大きな声で発した。何が何だか分からず、俺は思わず聞き返してしまった。
「何でですか?」
「……お前は普通に生きられない。結局は俺と同じ人間だ。絶対に自分を偽るな、杖を持ち、盲目の人間として生きろ。杖は俺の妻の形見だが、お前にくれてやる」
尚更意味が分からない。まず妻の大事な形見をなんで俺にくれるんだ。それに唐突すぎる、視力を補えるようになったから追い出したんだろうが、何で彼は全てを見通したような口調で全てを語ろうとするんだ。それに「自分を偽るな」って、彼は過去に何かあったのか?
「……お前は全てを出し切った。出ていけ」
そう言って、彼は扉を閉めた。俺はまた、締め出されてしまった。もう日は暮れ、辺りは真っ暗な頃だろう。今から俺はどうすればいいんだ。彼の家に戻ることはもうないだろう。戻ってもまた締め出されるだけ。診療所も当てにならない。
というか、視力以外は完治しているし、その視力も他の感覚で補うことができる。それなら都市に向かって、どうにかしてウォーリアーズの4人に会ってみるしかないか。俺の変わり果てた姿を見たら驚くだろうな。良い意味でも悪い意味でも。
そもそも、ここがどこかも分からない。向こうにある都市が、俺の暮らす都市であるとも限らない。とりあえず俺は彼の妻の形見である杖を手に、何もない草原を歩くことにした。彼の言う通り、自分を偽らずに。そこだけは受け入れるべきだと、俺の心が無意識にそう悟った。
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「……行ってしまったか。達者でな、青年」
また孤独となった老人は、自分しか写っていない写真を握りしめ、嘆いた。
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