37、ジュキ、自分の気持ちに気付く

「このコンビニに魔法少女がいるって本当!?」

「駅構内からコンビニの入り口なんて見えないからガセだよ」

「でもコンビニの方に向かって行って姿を消したんだって」


 外から聞こえてくる声に耳をすましながら俺はトイレの中で息をひそめる。店内を行き交う足音は次第に増えていくようだ。


「あー、喉乾いた!」

「えー、ミネラルウォーター売り切れ!?」

「みんな足止めくらって喉乾いたんだろ」


 などという会話から察するに、魔法少女目当てではなく買い物のために入店した者も多いようだ。


「一番端のレジも開けまーす!」


 店長らしき年配の人が叫び、


「次の方どじょー!」


 と外国人の店員さんらしき声も聞こえる。しばらく様子をうかがっていると、魔法少女の話をする声は聞こえなくなった。どうやらあきらめて帰ったようだ。


 ドアを細く開けてこっそり目だけ出す。店内は花火大会前のように大混雑していた。俺は折りたたんだ玲萌レモのブラウスを抱きしめて、うつむいたまま顔を見られないようにしてコンビニから出た。


「おかえりなさい」


 コンビニ前に立っていた玲萌レモが笑顔で迎えてくれた。


「とりあえず寮まで俺のシャツ着ててくれ」


 チェック柄の半袖シャツを脱いで手渡すと、


「いいのに。気にしなくて」


 パタパタと手を振りながらも玲萌レモは、なぜか嬉しそうに俺の服を羽織ってくれた。


「うふふ、彼シャツだわ」


 ロータリーを見回すと、消防車が到着して火災を起こしたバスを消火している。だがハイオークはまだ倒れたままだった。


「考えてみたら俺、言葉しゃべれる奴の命、奪っちまったんだよな。モンスターとはいえ」


「単なる正当防衛よ」


 玲萌レモがシャツのボタンを留めながら涼しい声で言った。


「あのハイオークは樹葵ジュキけがそうとしていた。万死に値するわ」


 低くなった玲萌レモの声に怨嗟えんさの色が混ざって、俺は無意識のうちにブルッと肩を震わせていた。


「気にする必要ないニャ」


 甲高い声と共に放置自転車の陰から白猫が現れて、ひらりと俺の肩に乗った。


「ワイが仲良くなった野良猫は、雀もトカゲも蛙も獲って食べてたニャ」


「いや蛙は言葉しゃべらねえし、しかも野良猫は生きるためだろ」


「野良猫だって言葉はしゃべらないニャ?」


 白猫が不思議そうな顔をすると同時に、反対側から由梨亜ユリアのとぼけた声が聞こえた。


「わたしたちもハイオーク、食べるよ? ほら、うちのトラックがやってきた」


 由梨亜ユリアの指さした先には大きな冷凍車が見えた。車体には大神ハム株式会社と書かれている。


「大神グループって食肉加工業まで手出してたんだ……」


 舌を巻く俺に、


「じいじがずいぶん前にカブ食べた?」


 由梨亜ユリアがよく分からないことを言うと、すかさず玲萌レモが通訳した。


「大神会長がずいぶん前に株式を取得したそうよ。だから樹葵ジュキ、ハイオークの尊い命は私たちの中で生き続けるの。気に病む必要はないわ」


 玲萌レモは優しく俺の二の腕をたたいた。女の子になぐさめられるなんて俺はなんだか情けないな。視線を落とすと胸に抱きしめたままだった玲萌レモのブラウスが目に入った。


 女の子である玲萌レモが服を脱ぐ羽目になったのも、俺が泣いちまったからなんだよな。ほんと、弱っちい自分が嫌になるよ。


樹葵ジュキったら落ち込んでる? 貞操を奪おうとした相手の命を奪うのは正当防衛で――」


「いや、ハイオークの件はもういいんだ。そうじゃなくて俺、挑発されたくらいで泣きそうになるとか、男としてみっともねえなと思ってさ」


「何言ってるのよ!」


 玲萌レモは、彼女のブラウスを握りしめたままの俺の両手を包み込んだ。


「男の子は泣いちゃいけません、なんておかしな昭和の考えをまだ信じてるわけじゃないでしょ? 男性だって怖かったり寂しかったりしたら泣いていいのよ?」


玲萌レモせんぱいは、泣いてる樹葵ジュキちゃんを抱きしめてあげる妄想をいつもしてるし本望だよね」


 横から突っ込む由梨亜ユリアを無視して、玲萌レモは言葉を続けた。


「男とか女とか関係ない。私たちはみんな人間で感情があるんだから。それに私は、感受性豊かな樹葵ジュキが素直でかわいくて魅力的だと思ってるのよ」


 玲萌レモの言いたいことは分かるし、俺も賛同する。だって俺はアーティストなんだから感情を殺して生きてよいはずはない。


 だけどどうしてこんなにモヤモヤするんだろう?


樹葵ジュキ、おなかペコペコなんじゃない?」


 玲萌レモが優しく俺の手を握る。


「おなかがすいてると考えも暗くなるわ。少し早いけど寮に帰って夕食にしましょ」


「学食棟に行くのかニャ? それならワイもついていくニャ」


 三人と一匹で連れ立って浦和駅を横切りながら俺はふと、もし逆だったら、と想像してみた。玲萌レモがモンスターに泣かされて、俺がシャツを脱いで彼女に投げて渡すのだ。


 そう、服を脱がされて泣いている人を助けるのは、本当は俺がやりたいこと。ピンチを救ってくれた玲萌レモには感謝しているけれど、心の底では自分が助けられる側になるなんて望んでいなかった。


 俺たちは親友なんだから助け合ってしかるべきなのに、俺は心がせまいんだろうか?


 いや違う。自分の気持ちを見ないふりしてきたけれど、もう嘘は付けない。俺は玲萌レモを異性として大切に想っているって。親友じゃなくて、もっと違う関係になりたいんだって。


 駅を抜け、学校のある常盤ときわ公園方面へ向かって仲町商店街を歩くと、林立するマンションの間に夕焼けが見えた。


 俺、玲萌レモと恋人同士になりたいんだよな――


 いつか玲萌レモと結ばれたい。でもその日が来るまで俺は男でいられるのか? あと何回、変身できるんだろう。


 そもそも玲萌レモの前でドキドキしたら変身しちゃうんだよな? 一番かっこよく男らしく見せたい場面で俺は、ツインテ&ミニスカート姿になっちまうんだ。


 考えてみたらなんで俺一人が自分の人生を犠牲にして埼玉県を救わなくちゃならないんだ? ふつふつと疑問が湧いてくる。


 玲萌レモ由梨亜ユリアの絶え間ないおしゃべりを聞き流しているうちに、俺たちは学園に到着した。


 学食の前まで来ると、白猫が俺の肩から飛び降りた。尻尾であいさつして去って行こうとするうしろ姿を呼び止める。


「ちょっと待て、ミルフィーユ」


 名前を呼ばれて驚いたのか、白猫は足を止めて俺を振り返った。


 前を行く玲萌レモ由梨亜ユリアに、


「俺ちょっとこいつと話があるから先に行っててくれ。いつものカフェテリアだろ?」


 と確認し、俺は白猫を追って学食棟の裏へ回った。


 野良猫が数匹くつろいでいる裏庭に出ると、白猫は不安そうに俺を見上げた。


「どうしたニャ、ジュキちゃん?」


 学食棟から漂う出汁だしの匂いを含んだ夕風が、雑草を揺らしてかすかな葉擦れの音を立てた。


「ミルフィーユ、俺は魔法少女をやめる」


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