30、聖獣ミルフィーユが精霊力を使えなくなった理由

「聖女様はこの世界を救おうと、聖魔法で光の道を作られたニャ。だけど道は細くて、聖女様ご自身には通れなかったニャ」


 白猫は、モンスターや女魔人プリマヴェーラのように埼玉ダンジョンを通って来たわけじゃないんだな。


「それで使役聖獣のワイが聖女様の力で変身する使命を帯びてこの世界に来たのにゃが――」


 白猫は大きなため息をついた。


「生まれてこの方、聖女様に食べ物をもらっていたワイは自分で狩りをしたことがなかったのニャ」


 つまりは飼い猫だったってことだな。


「おいしそうな食べ物が捨ててあったとしても、その場所はすでにほかの野良猫のテリトリーだから安易に手は出せにゃい。あいつらの威嚇、怖いニャ」


 厳しい野良猫事情を吐露した。


「ひもじい腹を抱えて路頭に迷っていたとき道端に、飼い猫たち用のごちそうが落ちてたニャ。ワイは無我夢中で食べたニャ。ふと顔を上げると少し先にもごちそうがあったニャ」


「なんだその罠みてぇな話は」


「そう! 罠だったニャ!」


 白猫は上半身を起こし、クリームパンみてぇなおててを振り下ろした。


「ワイは保護猫団体に捉えられ、ジューイサンとかいう男の元へ連れて行かれた」


 悔しそうにブンブンと首を振る。


「麻酔を打たれた後の記憶はにゃい。気付いたら股間のニャン玉が消え、耳の先が小さくカットされていたニャ」


 ああ、地域猫認定されたってことか。野良猫が増えすぎて殺処分されるのを防ぐため、ボランティア団体が避妊手術をほどこしてるんだよな。


「それでお前は精霊力を使えなくなっちまったってわけか」


「そうだニャ。聖女様の故郷は恐ろしい世界だったニャ」


 前脚で顔を洗っていると思ったら、涙を拭いているようだ。


「ぐすん。聖女様に合わせる顔がないニャ。聖女様の故郷を救う使命を帯びてワイはここへ来たのに」


 うーん、ちょっと可哀想だ。


「でもお前、背中の羽で逃げられなかったのかよ?」


「無理だにゃーっ!」


 白猫は猫そのものとしか思えない牙を見せて叫んだ。


「気付いたときには尻尾のうしろでガシャンと音を立てて柵が降りて、ワイはあっという間に閉じ込められたニャ! 横も上もどこにも逃げ道なんてないニャ!」


 ああ、猫ちゃん用の踏み板式捕獲器か。あれよくできてるもんなあ。


「ワイは必死で銀色の網目を四方八方カリカリひっかいてみたが、びくともしなかったニャ。これは異世界の聖獣だとバレて魔王の手下に捕まってしまったと思ったからワイ、言葉はしゃべらずシャーシャー威嚇してたんだが、効果なかったニャ」


 きちんと話し合って、この世界を魔人から救おうとする聖獣だと分かってもらえたら、獣医のところへ連れていかれずに済んだかも知れねえな。


「分かったよ」


 俺は白衣の袖を腕まくりした。


「哀れな野良猫を助けると思って、俺が一肌脱いでやろうじゃねえか」


「ジュキちゃん、言うことだけは勇ましいニャ」


「あん?」


 俺はまた猫の首を押さえ、じたばたする白猫に次の質問を投げかけた。


「それからお前、俺が変身する仕組みについてもよく分からねえんだよ」


「マイルドな言い方をすれば、発情したら変身するニャ」


 全然マイルドじゃねーよ、猫め。


体内たいにゃいの精霊力が高まると魔法のステッキが反応する仕組みニャ」


 精霊力の何たるかを考えれば、女魔人プリマヴェーラの裸を見て変身したのも理解できる。


 俺が舌打ちをしたところで、ぱたぱたと走ってくる足音が聞こえてきた。


樹葵ジュキ!」


 街灯の下、両手に大きなショップ袋をさげて、明るい水色のシャツワンピを着た少女が駆け寄ってくる。


玲萌レモ。わざわざ悪いな」


 学校で会うときは制服かジャージなので私服姿が新鮮だ。初夏らしい細いストライプ柄が、利発そうな彼女の雰囲気によく似合っている。


樹葵ジュキったら――」


 なぜか玲萌レモは目を潤ませた。


「ぶかぶか白衣に、低めの無造作お団子ヘア! 銀髪の後れ毛が頬にかかって色っぽい! 幼女だけど天才科学者って感じね!」


「なんの話してんの?」


 ぽかんとする俺に、玲萌レモはコホンと咳払いひとつ、


瀬良セラっちが電話くれてよかったわ」


 冷静さを取り戻した。


「私がいないのに変身しちゃうだなんて。ミルちゃんに強制変身させられたの?」


 玲萌レモは足元の白猫を見下ろしながら、片方のショップ袋からスポーツタオルを出した。


「おう、そんなところだ」


 目をそらす俺の肩にタオルをかけ、


「全身びしょ濡れだって聞いたから一応、着替えを持ってきたのよ」


 玲萌レモはショップ袋からトレーナーとロングスカートを出して俺に見せた。いや、気遣いはありがたいんだが、明らかに女の子の服だよね!?


 口を半開きにしたまま固まっている俺に気付いたのか、


「この時間、購買しまってるから私の服の中から大きめのを選んだの。でもさすがに靴は無理だろうからビーチサンダルを持ってきたんだけど、つっかければ履けるかしら?」


 早口で事情を説明してくれた。俺は感謝しつつも戸惑いながら、


「じゃあサンダルだけ借りる。服はこのままでいいよ」


「だめよ!」


 玲萌レモは毅然と首を振った。


「風邪ひいて声が出なくなったらどうするの?」


 確かにそれは一大事だ。俺はシンガーなんだから!


「それにいったん女子寮に避難するんだからレディースの普段着の方が自然よ。魔法少女の恰好は目立っちゃうわ」


 そっか、女子寮に入るのか。確かに胸元に大きなピンクのリボンをつけて、ひらひらのミニスカートを履いた女子学生なんて悪目立ちするに違いない。


「分かった。じゃあ着替えるところ見ないでくれよ」


「あら、樹葵ジュキったらつつしみ深くて女子みたい」


「うわーっ、じゃあ見てもいい!」


 あれ? 俺なんか乗せられてない? 玲萌レモは涼しい顔で、


「うしろ向いて着替えればいいわ。白衣が長いから見えないもん」


 と告げた。どこまでも冷静な玲萌レモの言葉に俺も落ち着いてくる。


 まずは一番気分が悪かったスニーカーと靴下を脱ぎ、玲萌レモが用意してくれたビーチサンダルに足を突っ込む。少しかかとが出るが、学園敷地内を歩くくらいなら問題ない。


 続いて、白衣の中でスカートとパンツを脱ぐ。魔法少女のコスチュームって普通に脱げるのかよ、と驚いていたら、


「濡れた服は貸して」


 玲萌レモに手から奪われた。


「あら、パンツと靴下がセットアップなのね。苺柄でかわいい。樹葵ジュキにぴったり」


 自分で選んだ服じゃないのになぜか恥ずかしい!


「はい、パンツ。新品だから気分悪くないでしょ」


 玲萌レモさん、気遣いの方向がずれてるんだよ!


「あの、ノーパンでいいです……」


 俺は白衣の前をぎゅっと握ったままうつむいた。




─ * ─




樹葵ジュキちゃんはパンツを履くのか、履かないのか!? それが問題だ!

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