16、魔法少女の変身は突然に

 音楽室のドアには鍵がかかっていた。


「職員室から鍵借りてこねえと開かないんじゃね?」


 俺の言葉に玲萌レモは一切動じず、片手で自分の髪に触れた。


「このタイプの鍵はヘアピンで簡単に開くのよ」


 指先につまんだヘアピンを鍵穴に差し込み何度か回すと、カチャッと小気味良い音がして鍵が外れた。


「まじかよ」


 あっけにとられる俺に、


「安心して。住居の鍵は構造が複雑だからヘアピンなんかじゃ開けられないから」


 涼しい顔で答えて音楽室に入ったところで一限開始を知らせるチャイムが鳴った。


玲萌レモ、授業出なくていいのか?」


 俺みたいなアウトローと違って玲萌レモは特待生なのだ。


「一人で教科書読んだ方が早いのよ。あっ」


 表情一つ変えずに答えた玲萌レモが何を思いついたのか、目を輝かせて振り返った。


樹葵ジュキには私があとでしっかり個別指導してあげる! 放課後は二人きり、図書室で過ごしましょうね!!」


「お、おう」


 気圧けおされてうなずいてしまった。音楽準備室からアコースティックギターを持ってくると、玲萌レモはグランドピアノの前に座っていた。


「あの、JUKIさん」


 いきなり敬称つけて呼ばれるとビビるからやめて欲しい。戸惑う俺に、


「もし嫌じゃなかったら新曲のコードとか送ってもらえたり、しますか?」


 彼女らしからぬうかがうようなまなざしで尋ねてきた。


わりぃ悪ぃ、セッションするんだったな。昨日アップした曲でいいの?」


 俺はアコギを机に寝かせてスマホを操作する。玲萌レモはあごの下で手を組んで、


「もちろんですっ! 『窓をあければ』気に入って昨日の夜からエンドレスで聴いてたから歌詞、全部覚えちゃった!」


 幸せそうに告白した。


 再生数は確かに回ってるのにチャンネル登録者が一向に増えない理由が分かった気がする。檸檬さん一人が聴きまくってたんだ。いや、ものすごくありがたいんだが。


「いま送ったよ」


 歌詞にコードを記入しただけの自分用メモをメッセージアプリで玲萌レモに送信する。


 玲萌レモはいそいそとスマホを操作し、


「ふわぁっ! これが私の尊敬する作曲家が書いた和音進行!!」


 興奮してその場で足踏みを始めた。


「作曲家ってそんな大げさな」


 アコギをチューニングしながら苦笑する俺に、


「何言ってるの! 時代が違えば樹葵ジュキは、肖像画があそこに並んでいたような才能を持っているのよ!?」


 玲萌レモが指さす壁を振り返ると昔の作曲家たちの肖像画が並んでいる。うっかり目が合ったベートーヴェンににらまれて、俺は慌ててギターのフレットに視線を戻した。


「いやいや」


 褒められ慣れていない俺が恐縮すると、


「昔ピアノコンクールの小学生部門で優勝した私が言うんだから間違いないわ」


 玲萌レモはピアノの椅子に座ったまま胸を張った。


「ええっ、全国一位の腕前?」


 そんなすごい人とこれから合わせるのか!?


「あー昔の話よ」


 玲萌レモはパタパタと手を振った。


「小学校卒業と同時に音楽教室は辞めて、今は趣味でジャズピアノを練習しているわ」


「なんか勿体ねえ」


「姉がピアノを習い始めたから妹の私も通わされただけなのよ。小さい頃はほかのジャンルを知らなかったから夢中になって練習してたら姉を差しおいてコンクールに出るようになって、心の狭い姉から無駄に嫉妬されて、面倒くさいからクラシックは辞めたわ」


 さらりと経緯いきさつを説明してから、


「さ、始めましょ」


 譜面台に立てかけたスマホを見ながら鍵盤を押した。


「前奏はこんな感じかしら?」


 玲萌レモが跳ねたリズムでいくつか和音を弾くと、学校の音楽室が照明の暗いジャズバーに一変した。


「めちゃくちゃかっこいい」


樹葵ジュキが書いた和音進行よ?」


 言われてみればそうか。七度だの九度だのを加えて複雑なテンションコードになってたから、俺の書いたコードとは一瞬気付かなかった。


 自分の曲だとは思わず歌に入れなかった俺のために、玲萌レモはもう一度イントロを弾いてくれた。即興演奏だからか一度目のプレイとは異なり、より複雑になっている。歌メロのピッチが分からなくなりそうなので、俺はアコギでシンプルな三和音トライアドを鳴らしてから歌い始めた。


「The real life, I say goodbye

 Hey fantasy, come tonight――」


 生ピアノが加わることでオケの音域が広がり、曲の世界が厚みを増してゆく。


「You know I've been waiting for this night

 So long time」


 一人で歌っているときより何倍も気持ちよくて、自分の声が昨夜より伸びやかに響くのを感じる。


 玲萌レモは俺がブレスを取るタイミングで巧みにオブリガートを入れ、曲を華やかに彩ってくれる。


 昨夜、俺が一人でレコーディングしたバージョンが黒一色の線画なら、二人で演奏する『窓をあければ』はキャンバスに次々と色を重ねていく油絵のようだ。


「Mom held on my wings saying “No”

 I asked her “Let me go”

 Before the moonlight disappears, I have to go.」


 コーラス前のタイミングで、玲萌レモがドラムのフィルインのように洒落たフレーズを差し込んできて、俺の心は星空を舞うように躍った。


「窓をあければ、ほら見えるだろう

 空に浮かぶ下弦の月に 腰掛ける少女の姿が」


 弾き歌いしながら玲萌レモを見ると、彼女は声には出さずに歌詞を口ずさみながら、なんと笑顔で涙を流していた。なになに、どういう感情!? 驚きながらも俺は何とかワンコーラスを歌い通す。


「小さな手を振って 手招きしているんだ

 素敵な旅に出たいから」


「うおおおおっ! 良い! 良すぎる!!」


 いきなり玲萌レモが立ち上がってピアノの鍵盤を上から下へ、また下から上へと撫でて激情をあらわにした。グリッサンド奏法というやつだ。


「ど、どうした……?」


 目が点になる俺を見つめ、滂沱ぼうだの涙を流し、


しの生歌なまうた、最高!」


 震える声でつぶやいた。


 頭もいい、ピアノもプロ並み、さらに美少女――なんでこんな完璧な子が俺なんかに関わってくるんだろうと思っていたが、やっぱり檸檬さんなんだな。俺をずっと応援してくれていたリスナーさんなんだ。


 玲萌レモは手の甲で涙をぬぐい、白昼夢を見ているかのように、おぼつかない足取りで近づいてきた。


「あなたの声がじかに私の鼓膜を震わせる。ネットごしじゃない、生きているあなたの声」


 暴走の止まらない玲萌レモが詩人になった!


「なんて綺麗なの。やっぱり素顔で歌ってる樹葵ジュキ、最高だわ。ずっと見たかったの」


 玲萌レモの言葉で俺はまた、自分がずっとダサいメイクで撮影していたという悲しすぎる事実を思い出してどん底に突き落とされた。だが感極まった玲萌レモは気づかず、細い指を伸ばした。


「ねえ、触れていい? 美しい君が今ここにいるって感じたいの」


「え、あ、どうぞ?」


 魂が抜けたままうっかり答えてしまった。


 玲萌レモの手が俺の白い髪にそっと触れた。もう一方の手も伸びてきたと思ったら、指先で俺の耳たぶをはさんだ。うるんだ瞳が近づいてきて、上気した頬に涙のあとがうっすらと残っているのが見えて、俺は我に返った。


 吐息のかかる距離まで少女の美貌が迫ってきて、一気に沸騰した血潮が全身の血管を駆け巡る。


樹葵ジュキ、綺麗――」


 彼女が俺を抱きしめたとき、俺の高揚は頂点に達した。と同時に左側から突然まばゆい光が放たれた。


「なんだ!?」


樹葵ジュキの耳が光ってる――んじゃないわ、それ、魔法のステッキよね!?」


 そうだ、左の耳介にはイヤーカフ形状になったステッキを装着していたんだ! 気付いたときにはピンク色の光に包まれて、俺はあっという間に魔法少女のコスチュームに変身していた。


「なんでだよーっ!?」


 午前中から、しかも学校で変身するなんて地獄だ!!




─ * ─




突然変身してしまった樹葵ジュキ。誰にもバレずに変身解除できるのか!?

と思っていたらちょうどよく女魔人がやって来たようです。

次回『女魔人と二度目のバトル!?』

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