08、魔法少女、男子トイレで男性教師と鉢合わせ

「えーっとだニャ……」


 ロビーの暗闇に浮かんだ白猫はページをめくるには適さない肉球で一生懸命、目当ての内容を探そうとしていた。


「変身解除の理屈はマナが溶け込んだ体液を一部排出し、体内のマナ濃度を低下させることらしいニャ」


 白猫が甲高い声のまま、小難しい説明を始めた。


「だから戦闘中に血を流すのも変身解除につにゃがってしまう。ゆえに必ずエンジェリック・バリアで守る仕組みらしいニャ」


「なんだかよく分からねえが、便所行って小便してくりゃあいいんじゃねえか?」


 ロビーから続く暗い廊下にWCの電光表示が光っているのを見つけて走り出そうとして、俺は玲萌レモを暗いロビーに置いては行けないことに思い至った。


「まずはあんたを部屋まで連れていかなきゃな」


「私、一人で戻れるわよ」


「こんな暗い中、一人で歩くのは不安だろ?」


「ううっ、樹葵ジュキったらなんて優しいの!」


 なぜか玲萌レモは感激した。だって俺だったら怖いもん。


「女子の部屋は三階だっけ」


「そうよ。私たちの部屋は突き当たりの五号室」


 不純異性交遊を避けるため、わざわざ階を分けているのだ。俺には全く縁のない話だと今まで鼻で笑っていた。


 だが現在、俺の腕には美少女の慎ましやかな胸が押し付けられているのだ! 夜の廊下を二人で歩く若い男女。一体どこへ行ってきたのか?


「こんなところを誰かに見られたら――」


 俺がドキドキしながら仮定の話をすると、


「女の子同士にしか見えないから問題ないわ」


 玲萌レモにバッサリと切り捨てられた。


 そうだった…… 一瞬、現実逃避してたよ、俺。


 うなだれつつ階段を登って三階の廊下を歩いていたら、上の階から人が降りてきた。


「まずいわ。四階に泊まってるのって教師じゃない?」


 玲萌レモが俺の腕にしがみつく。


 やばい! 教師に女装がバレる!?


 まっすぐ続く廊下に隠れる場所などない。白猫の奴は素早く舞い上がって天井にくっついた。そうか、俺も真似して――と思ったとき、女教師のキンキン声が耳に刺さった。


「あなたたち、まだ起きているの?」


「私、枕が変わると寝つけなくて。夜中にお手洗い行きたくなっちゃったんです」


 玲萌レモが間髪入れずに答える。


「まあそういうこともあるわね。それにしても派手な寝間着ねえ」


 視線が俺に突き刺さる。髪の色で俺だとバレるか!? いや、暗いからよく見えねえはずだ。大体、長さも違うんだ。


「あ、この子にお手洗い、ついてきてもらったんです。一人じゃ怖くて」


 玲萌レモが実に自然な言い訳をすると、女教師はあっさりと納得した。


「真っ暗だもんね。とにかく早く寝なさい」


「はーい」


 玲萌レモが良い返事をして事なきを得た俺たちは、無事目的地までたどり着いた。


「おやすみ、樹葵ジュキ。今夜はとっても楽しかったわ」


 玲萌レモが名残惜しそうに俺のツインテールを撫でた。


「うん、おやすみ。いい夢を見ろよ」


「キャッ」


 玲萌レモは興奮して両手で自分の頬を押さえてから、静かに部屋へ戻って行った。


 さて。俺は小便して元の服と髪型に戻らなくちゃ。


 便所に向かって歩き出すと、天井から飛び降りてきた白猫が肩に乗った。


「全く樹葵ジュキちゃんは優しすぎるニャ。あんな図太い女子、間違いなく一人で部屋まで戻れるのに送ってやるんだから」


「ああん? お前モテねえだろ。俺もだけど」


 くだらねえ話をしながら、俺たちの部屋がある二階のトイレまで降りてきた。


「ワイはここで待ってるニャ」


 白猫はトイレ前に置かれたゴミ箱の陰に隠れた。そういえばこいつ、いつまでついてくるんだろう? まあいい、今は女装を解くほうが先だ。


 トイレに入った俺はいつもの通り立ちションしようとして、スカートを履いていたことを思い出す。


 嫌な気分でスカートをたくし上げ、無理やり顎にはさんで見下ろせば――


「げっ、下着まで女物じゃねえか!」


 白地に苺柄のショーツがのぞいている。ソックスとコーディネートされていたとは。


「めんどくせぇな。下ろすのか? いや、横から出せば――ってちょっと待て」


 全身から血の気が引いてゆく。


 俺のモノって女児用下着におとなしく収まるサイズだったか!?


 何かがおかしい。背筋に冷たいものが伝うのを感じながら、勇気を出して股間を見下ろそうとしたとき、ドアノブが回る音がした。


「へっ!?」


 入り口を振り向いた途端、顎にはさんでいたスカートがはらりと落ちて股間を隠す。


 扉を開けて入ってきたのは――


 担任の瀬良セラ先生!?


 凍り付く俺の目の前で、先生はあたふたし出した。


「わっ、こっち女子トイレ!? 間違えました! すみません!!」


 勢いよくドアを閉めて去って行った。


 いや、何も間違ってねえんだけどな。男女の表示を確認して戻ってくる前にさっさと用を足そう。


 予想通り、小便したら元の姿に戻った。


 ホッとした途端、急激に睡魔が襲ってきた。布団にもぐって寝たい。


 小さな洗面ボウルの上で手を洗いながら、見るとはなしに鏡に映った自分に目をやる。白々しらじらとした蛍光灯に照らされて、伸びかけの白髪頭に目つきの悪い青白い顔が、いつも以上に不健康に見えた。


 冴えない自分から目をそらし、適当に泡立てた石鹸を洗い流す。童顔だし背も低いし、理想のかっこいい男の姿には程遠い。今の俺はコンプレックスの塊だ。だからいつか、皆に愛されるロックスターになりたい。


 便所から廊下に出ると、不思議そうに辺りを見回している瀬良セラ先生と鉢合わせしてしまった。やべっと思ったときにはもう遅い、


「あれ? 橘くん?」


 怪訝そうに俺の顔とトイレのドアを見比べている。


「おやすみなさーい」


 俺は眠そうな声で挨拶して、足早に横をすり抜けた。


 大体なんであいつ、教師のくせに二階のトイレ使ってるんだよ!?


 ま、すれ違った瞬間わずかに漂った酒の匂いから考えれば、粗方あらかた予想がつくってもんだがな。最終日の今日は教師ども、缶ビールで打ち上げしていたと見える。飲むと用を足したくなるからこの時間、四階の男子便所が使用中だったんだろう。


 部屋に戻ると同室の男どものいびきがあちらこちらから聞こえていた。


 俺は自分の布団にもぐり込むと、泥のように眠った。


 初めての変身とバトルで疲れ果てた俺は、白猫をトイレの前に置き去りにしたことを思い出しつつも、起き上がる力など残っていなかった。


 そしてもちろん、マスコミが魔法少女になった自分の姿を撮影していたことも、玲萌レモがスマホを操作していたことについても、深く考えることはしなかった。




─ * ─




次話『私がジュキを見つけた日(玲萌レモ視点)』です!

なぜ玲萌レモがいきなり樹葵ジュキの部屋を訪れたのか、最初から好意を持っていたのか理由が明かされます。

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