第95配信 おなマン事件 File4

  クローゼットから出るとゆっくり扉を閉める。配信状況を把握するためにスマホは持って行く事にした。物音を立てないように忍び足でトイレを目指す。

 早速第一関門にぶち当たる。クローゼットがあった寝室から出てトイレに行くには配信が行われているリビングの前を通らなければならない。

 配信の為にリビンのドアは閉められているが、そこにはすりガラスが取り付けられている。ドアの前を通れば詳細は分からずとも誰かが通過した事実は分かってしまう。


 ――が、それを認識出来るのはシラフの人間の場合だ。飲んだくれて認識力が低下したライバー六名ならば誤魔化せるに違いない。

 何より時間の猶予が無い。俺のダム決壊は時間の問題。最小限の動きで素早く目的地に到着しなければならない。ダム決壊と共に俺の尊厳が失われるまであと僅か。


 スマホで配信の様子を確認すると酒に溺れたウーマン達がエロトークで爆笑している。――今だ!! 気配を消し忍び足でリビングのドアの前を通り過ぎる。


「……あれ!? 今ドアの前を何かが通ったよ!?」


「え? 見間違いじゃないの?」


「シャロン見たもん! 人影が通るの絶対見たもん!」


 やべっ、見られた! ええい、配信に集中していればいいものを……とにかく足音を立てないように急いで進まなければ!

 配信用機器が置いてある部屋に滑り込むとリビングのドアが開く音がした。あっぶねぇ、ギリギリセーフ!


「やっぱり誰も居ないじゃないか。驚かせるなよ、シャロン」


「酔ってるから見間違えたのよきっと」


「あれぇ? おっかしーなー、確かに人影が……あれ、おっかしーなー?」


「シャロンパイセンの見間違いだったんですよぉ。飲み直しましょ」


「そーそー。きっとルー達の姿が映ったとかそんなオチですよー」


「そうですよぅ、この部屋に私たち以外の人なんて……人……なんて……ふぁぁあぁっぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっぁあぁ!!!」

 

 人影は見間違いだったという流れになる中、ガブリエールの絶叫が響き渡った。スマホで配信を観るとガブリエールの顔が青ざめている。

 突然ご乱心の彼女を心配するコメントが殺到していた。


「うわっ! どうしたんだガブ、突然大声なんて上げて……」


「あ……いえ……何でも……ないです……」


「もしかしてワンユウ君の事でも思い出したとかぁ? そういや、今日彼は何やってるのぉ?」


「お、お家で……お留守番……ですかねぇ……はは……は……」


「なにそれぇー? 可愛いじゃーん。アハハハハハハハハーーーーー!!」


 ネプーチュのツボにはまったのか彼女は大笑いしていた。その声に紛れて俺はトイレのドアを開けて中に入るとそっと閉める。

 今俺の目の前には夢にまで見たトイレが鎮座していた。美しい白い流曲線状のフォルム。その便座を震える手で上げるとそっと腰を下ろした。

 その瞬間、我慢に我慢を重ねていたダムの放流を開始する。突き抜ける様な開放感、尊厳が守られたという安心感……それらがマリアージュを起こし、俺は……泣いた。


 この世に生きながらも極楽浄土を味わった俺は世界は何故争いが絶えないのだろうと疑問に思った。だって用を足した瞬間ってこんなにハッピーなんだよ? これは全人類にも同じ事が言えるよね。皆一日何回かはこのハッピー気分を味わっているのにどうして争うの? 傷つけ合うの? イジメかっこ悪い! 皆で幸せになろうよ。


「ふぅーーーーーーーーーーー。花摘みに来たら頭がお花畑になってしまった。さーて何とかしてクローゼットに戻りますかね」


 俺は油断していた。無事にダム放流を終えて今の自分の状況を忘れていた。元の場所に戻ろうとしてトイレの水を流した瞬間、それは起きた。


「……え? 何この音……?」


「これってぇ……トイレの水を流す音じゃなぁい?」


「ちょっと待て……今、ここに全員……いるよね?」


「あらぁ? ということは誰がトイレにいるのかしらぁ?」


「あわわわわわわわわわわわ!」


「どうしたのよ、ガブぅ? さっきから様子おかしいよ。え、なになに……アーーーーーーーーーっ!!」


 スマホを見ると自分がポカをやらかした事に気が付いた。トイレの水を流したらこうなりますよね。

 同時進行でガブがルーシーに何かを伝えるとルーシーは一気に酔いから醒めた様子だった。ようやく俺の事を思い出したらしい。もう何もかも遅いが……。

 トイレから出て洗面室に逃げ込むとリビングとこの場所以外のブレーカーを落とす。それによりルーシーの部屋はリビング以外は真っ暗になった。


「ひっ! ウソ、何でいきなり電気が落ちたのぉ!?」


「誰も居ないはずのトイレから水を流す音が聞こえて……電気が落ちて……これってもしかして……」


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! もしかしなくても心霊現象だよぉぉぉぉぉぉぉ!! 何で何でぇぇぇぇぇぇ!? シャロン達、楽しくお酒飲みながら配信してただけじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


「ルーシーちゃん、この部屋ってお化け居るの?」


「そんなのいませ……いや……実は時々……人影を見たり誰も居ない部屋の電気が急に点いたりなんて……あったりしてー。あははははははははははは……」


「シャロン先輩、お化け居るみたいよ?」


「助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! ポリスメェェェェェェェェェェェェェェン!!!」


「シャロン先輩、警察が来ても幽霊は専門外だと思いますよ?」


「だったら霊能力者!? お坊さん!? ……そうだ! 助けてーーーーーーーー!! ゴーストバ〇ターーーーーーーーーズ!!!」


 恐怖に駆られたシャロンはメチャクチャな事を言い出した。彼女は死者や霊を扱うネクロマンサーのVTuberなのだが怖いのが大の苦手なのでホラーゲーム配信では絶叫が止まらず多くのリスナーが助かっている。もはや現状において彼女お得意のクソガキムーブをかます余裕はゼロ。


 ライバー達が混乱している間に作戦を立てる。だが俺一人では出来る事なんてたかが知れている。だから『彼女』に助っ人を頼む事にした。


「セシリー、俺を助けて」


『――フフッ。随分面白い事になっていまスネ、ワンユウ様』


 洗面室に置いてあるスマートスピーカーを通してセシリーにSOSを出すと半笑いで応答した。ダム放流直後で平和主義になっている俺は笑われた事を気に留める事無く要件を伝える。


「このままだと彼女たちに見つかる。それを回避するために力を貸して欲しい」


『具体的には何をすればよいのデスカ?』


「幸い彼女たちは心霊現象が起きていると勘違いしている。だからこれから心霊現象っぽい事をやって驚かせ配信終了の流れにする」


『……お言葉デスガ、そんな面倒な事をする必要は無いのデハ? そこの洗濯機内には既に乾燥済みの衣類が入っていマス。それを着てサッと玄関から出て行けばそれで済む話デス』


 セシリーが指摘した乾燥機付き洗濯機を見やる。その中から自分の衣類を取り出して着ると再びセシリーに語りかける。


「このまま出て行けば玄関に鍵が掛かっていないって事で最終的には俺が居た事がバレるだろ。それだと面白くないじゃないか」


『面白く……ナイ? それだけの理由で自らを危険に晒すのデスカ?』


 スマホで配信状況を確認するとコメント欄は「マジで心霊現象発生か!?」というノリで賑わっていた。


「――そうだよ。いちリスナーとしてこれだけ温まった雰囲気を壊したくない。この楽しい配信を興ざめさせたくない。今の俺はぶいなろっ!!の裏方としての役割も持っている。だから、この配信を楽しいまま終わらせたいんだ。それにキャニオン社長がいつも言ってるだろ?」


「『――人生はエンターテイメントッ!』」


 キャニオン社長の名言をセシリーと一緒に言うと互いにフフッと笑ってしまった。


『承りマシタ。それでは作戦を教えて頂けマスカ?』


「ありがとうセシリー。頼りにしてるよ」


 こうして俺とセシリーによる『なんちゃって心霊現象でぶいなろっ!!ライバー六人ビビらせ作戦』が開始された。

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