第47配信 陽菜アフターセンシティブドリーム②

 スーパーで鉢合わせした犬飼と陽菜は帰り道を共にしていた。


「犬飼さん、済みません。荷物を持っていただいて」


「これぐらい何てこと無いですよ。でも女性だとちょっと重いかなと思っただけなので。力仕事は任せてください」


 犬飼は陽菜の買い物袋も持って歩いて行く。陽菜は彼のさりげない気配りに胸がドキドキしているのを感じていた。


(犬飼さん、さりげなく道路側を歩いてくれている。それに歩く速度も私に合わせてくれてる。以前一緒に食事をした時にも思ったけど、自然に気遣いが出来る人なんだ……)


 一緒に歩きながら陽菜はふと犬飼の方を見る。犬飼は半袖ワイシャツを着ていて腕に血管が浮いている。それに首元のボタンを幾つか外していて喉の辺りが見えていた。

 女性の自分とは違う男性の筋肉質な部分を見て陽菜はドキッとする。

 社長であるキャニオンの方が遙かに筋肉があるのだが、彼に対して陽菜は性別を超えた存在として捉えているので除外する。


 そして陽菜の脳裏に浮かぶのは先日の夢の件だ。あの中でワンユウは犬飼の姿をしていた。まあ、実際同一人物なのだが、その事実を今の陽菜が知る由もない。

 夢の中で犬飼の姿をしたワンユウに抱きしめられ、強く求められ、気持ちと本能の赴くままに激しくお互いを求め合った。

 今まさに隣を歩いている男性のたくましい腕の中で、彼と何度も唇を重ね舌を絡ませ、ドロドロに溶けていくような快感を得ていたのだ。

  

 その時の甘美な感覚が生々しく思い出され陽菜は下腹部の奥がキュンとなり動揺する。その感覚が何を意味するのか十分理解している。

 この街の何処かに思い人であるワンユウが居るのに他の男性にそんな感情を抱いている自分を酷く卑しい人間だと思い陽菜は自責の念に駆られていた。


「太田さん、顔赤いですけど大丈夫ですか?」


「ふぁっ!? あ、はい大丈夫です。今日は暑いですねぇ」


 手うちわをパタパタさせて羞恥で赤くなったのをはぐらかす陽菜。彼女の胸中を知らない犬飼は素直に同意する。


「確かにここ数日で暑くなってきましたよね。だから最近はスーツから半袖ワイシャツに変えて出勤してます。初夏でこの調子だと夏本番はどうなることやら」


「そうですねぇ。私はリモートワークで家にいるのでエアコンをつけっぱなしにすると思います」


「この辺りの夏はエアコンは必須ですよ。家の中でも熱中症になるからつけておかないとヤバいです。――それにしてもリモートワーク羨ましいなぁ。ウチの会社もリモートにしてくんないかな。そうすれば朝っぱらから電車に揺られずに済むし、もっとゆっくり寝ていられるのになぁ」


 たわいもない会話の中、犬飼の緩みきった言動に陽菜はクスクス笑ってしまう。

 犬飼は優しい人間ではあるが決して聖人君子ではなく、適度にだらけている部分もあってそこに人間味を感じる。


「私は少し羨ましいです。出勤は確かに大変でしょうけど、会社に行けば同僚の人――仲間が沢山いるじゃないですか」


「仲間……仲間か……そう言われれば確かにそうかな?」


 帰路の途中、オレンジ色だった空は急速に暗くなり、それに伴い街には夜の帳が下りて街路灯が自宅までの道標となっていく。そのやや心許ない明かりの下を犬飼と陽菜は歩いて行った。


 二人は陽菜の家に到着し玄関のドアを開けると中に買い物袋を置いて犬飼は外に出る。その際、陽菜は自分が寂しさを感じていることに気が付いた。

 あともう少しすれば配信の時間が……楽しい一時がやってくるのに、それでも犬飼との別れを惜しむ自分がいることに陽菜は気が付いてしまった。


「それじゃ、俺は行きますね。お休みなさい」


「は、はい、お休みなさい。ありがとうございました」


 陽菜は動揺でたどたどしいお辞儀をする。そして顔を上げると目の前には玄関の明かりに照らされている犬飼がまだ立っていた。


「犬飼さん、どうかしました?」


「あ、いや、その……ちょっと気になった事があって。もし、俺の勘違いなら申し訳ないんですけど……」


「……?」


 犬飼が頬を指で掻きながら悩んでいると陽菜はどうしたのだろうと小首を傾げる。しばらくの逡巡の後に犬飼は躊躇いがちに口を開いた。


「その、もしかして太田さんは……寂しいのかなって、ちょっとそう思ってしまって。あっ、勘違いだったら本当にごめんなさい!」


 陽菜は自分の本心を言い当てられて驚く。もしかしたら自分が犬飼に抱いた不純な気持ちも見透かされているのではないかと思い恐る恐る聞き返す。


「……どうしてそう思ったんですか?」


「うーん、上手く説明は出来ないんですけど、会社の話の時に同僚を仲間と言った瞬間とかさっき挨拶した時とか一瞬だけ寂しそうな顔をした気がしたから」


 陽菜は自分の胸に手を置くと動悸が凄い事になっている事を自覚した。

 ドキドキどころではなく、ドクドクドクドクドクドクドクと心臓が壊れるんじゃないかと思うくらい鼓動が早くなっている。


 どうしてこの人は気づいてしまうのだろう? どうしてこの人はこんなに優しいのだろう? どうしてこの人は私の中で急速に大きな存在になっていくのだろう?


 そんな「どうして」を何度も繰り返す度に犬飼の存在が自分の中で増していく気がした。

 今まではワンユウ只一人が占有していた居場所を乗っ取る勢いで犬飼の勢力が拡大していく。その優しさを心地よいと思ってしまう自分がいる。

 今感じている安心感はかつて彼女が太陽として独りぼっちで配信をしていた時に手を差し伸べてくれた、あの人のものにとても似ている気がした。


「私……私は……少しだけ……そうなのかも知れません」


 最初は回答を濁そうと思っていた。でも、その優しさが余りにも嬉しすぎてつい本音を口走ってしまう。

 言ってしまってから陽菜はこの後どうなってしまうのだろうと少しだけ怖くなる。陽菜が寂しさを感じていると知った犬飼は何をするのだろう?

 自分の偏った知識から推測すると男性はその寂しさを埋める為に肉体的接触を図ってきたりする。もし彼がそうしてきたら自分は抗えるのだろうか?

 

 色々と考えながら下を見ていた陽菜は思い切って顔を上げる。すると犬飼は慌てた様子で何やら考えている様子だった。


「犬飼さん……?」


「あ……や、済みません。あんな質問したのに、俺ノープランで……あっ、そうだ! AINEの連絡先を交換しませんか? そうすれば手軽にやり取りできるから気が紛れるかも」


「AINEの交換ですか?」


「嫌ならいいんです! プライバシーに関する事だし。他にも何か気晴らしになるような良い方法があると――」


「AINEの交換……します。よろしくお願いします」


「いいんですか?」


「はい、よろしくお願いします」


 陽菜は慌てふためく誠実な犬飼の姿を見て癒やしを感じていた。それに自分が男女関係をセンシティブな目線で見がちなことに気恥ずかしさも感じていた。

 きっと犬飼とは今後も自分の価値観を超えた友人として交流していける。そんな希望を抱きつつAINEの交換を終える。


「太田さんのAINE交換できましたよ。そっちに俺の行きました? ……あれ?」


 陽菜から反応が無かった為、不審に思った犬飼はスマホの画面から陽菜に視線を移す。すると彼女は食い入るようにスマホの画面を見つめていた。


「太田さん?」


「えっ? あ、はい!」


「俺のAINE交換できていましたか?」


「はい……コメント打ってみますね」


 犬飼のAINEに陽菜から「よろしくお願いします」とコメントが入力されたのを確認し彼も返信する。犬飼からのAINEのコメントを見た陽菜はスマホをそっと自分の胸に当てて微笑んだ。

 

「それじゃ……また」


「はい。それじゃ、また後で……」


 陽菜の嬉しそうな表情を見た犬飼は照れくさそうに自分の家へと帰っていき、陽菜は彼の姿が見えなくなるまでその後ろ姿を見送っていた。


 ――この時、完全に焦っていた犬飼は忘れていた。自分のAINEのプロフィールをユーザネームにしていた事を。そして彼は知らなかった。陽菜がガブリエールだという事実を。

 今、陽菜が宝物の様に抱いているスマホのAINEチャット画面には今しがたやり取りを行った相手の欄に『ワンユウ』と記載されていた。

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