第34配信 太田陽菜
◇
犬飼が帰ると香澄は陽菜から詳しく事情を説明して貰っていた。それが一通り終わると深く溜息を吐く。
「はぁ~、陽菜さん、ちゃんと分かってますか? 一歩間違えれば……いや、結構間違いまくってましたけど、とんでもない事になっていたんですよ!?」
「ご、ごめんなさい……」
香澄に叱られて陽菜は正座しながら俯く。端から見れば母親から説教を受けている子供みたいな風景だ。もっとも体格的には陽菜の方が香澄よりも色々と大きいのだが。
「今回はとても運が良かったから何も起きなかったんですよ。あの……犬飼さんでしたよね。あの人本当に良い人ですよ。そうでなければ、今頃陽菜さんは最低でも三回はヤられています!」
「ええっ! さ、三回も……どうして!?」
「まず一回目に見ず知らずの男性を家に招き入れた時点でヤられます。しかも、この家で一人暮らしだって言っちゃったんでしょう? 誰も来ないと分かれば、家の中で二人っきり。ヤりたい放題だと思うでしょう」
「あっ……確かに」
「二回目、ご飯を食べに行った蕎麦屋のトイレでヤられます!」
「なんでぇ!? だって普通のお蕎麦屋さん……あ、もしかしてエロ漫画の居酒屋やカラオケ店のお手洗いでのシチュエーションを想像したんじゃ……」
「お、おほん! 三回目は再び自宅に招き入れた瞬間です。最早これ自分から誘ってるレベルですよ。――これまで男性とほとんど関わって来なかったとしても危機感が無さすぎます!!」
香澄に叱られ続け、しかもそれが全て的を射ていた為、陽菜はぐうの音も出ずに縮こまっていた。そんな様子を見ていて香澄は心底安堵する。
「……とにかく無事で何よりでした。あなたに不幸があったら、あたしだって悲しいんですから。これはあたしが陽菜さんのマネージャーだから言ってるんじゃないですよ?」
「……はい、分かってます。香澄さんが私をいつも気にかけてくれている事は分かってます」
「でしたら、今後はもう少し周囲に気を配りましょう。陽菜さんは自分がどれだけ魅力的な女性なのか自覚出来ていませんから。これだけ可愛くて、エッロい身体して、声も綺麗で性格は……少々ぶっ飛んでますけど基本お淑やかなんで、悪いオオカミが群がって来ます」
「自分の性格に難があるのは重々承知しています……」
「ふぅ……今はとにかく引っ越しの整理をやっちゃいましょうか。少なくとも今日は居住スペースを整えて、明日には配信部屋に取りかからないと。頑張りましょう――ガブリエールさん!」
「はいっ! よろしくお願いします!」
そう、犬飼の住むマンションのすぐ近くに建てられた一軒家。そこに住み始めた、この太田陽菜こそ、ぶいなろっ!!六期生、ゴッド&デビルの天使ガブリエール・ソレイユその人であった。
香澄はガブリエールのマネージャーでド天然なガブリエールこと陽菜の行動に振り回されている苦労人である。
そんな二人は陽菜の引っ越しの荷物整理を開始した。荷物を各部屋に移動させる際に香澄はあることに気が付く。
前屈みになって荷物を運ぼうとする陽菜の胸元が丸見えになっていたのだ。
「……ガブさん、もしかして荷物を運ぶ時にいつもそんな姿勢をしてました?」
「……え? うん、そうですけど……?」
「その時、犬飼さんってどのあたりに立ってました?」
「確か、このあたりに……」
香澄は陽菜の言った場所に立ってもう一度確認すると、やはり陽菜の胸元は丸見え状態であった。
嫌な予感がした香澄は他にも何かあったのではないかと考え陽菜に訊くと思い切り尻餅をついた件を説明される。その結果、香澄は再び大きな溜息を吐いた。
「ガブさん。あたしは今日ほど奇跡という言葉を実感した事はありません。あなたは犬飼さんの顔に胸を押しつけてしまったと言っていましたけど、それだけじゃないですよ。結構ガッツリ胸も下も見られてます。と言うか、あなたが見せてます」
「……へ? そ、そんな事は無いと思いますけど」
香澄の言動に反論しつつも自信なさげに言うと香澄はまくし立てるように言い始めた。
「それでは行きます! 位置的に犬飼さんから見るとガブさんが前屈みになった時、服の隙間から胸の谷間とかブラとか丸見えなんですよ!」
「へええええっ!? ふぁっ、本当だ!!」
「はい、次ッ! 尻餅をついた時にスカートの裾が上がっている上にM字開脚って……ショーツも下半身も丸見えですよ……って黒のTバック!? なんでこんなセクシーなの身に着けてるんですか? こんなの持ってましたっけ!?」
「こ、これは引っ越しのお祝いにセリーヌ先輩から貰って……引っ越し前のシャワーを浴びた後に下着を梱包しちゃったのに気が付いて、手元にこれしなかったから……。それじゃ、私は本当に犬飼さんにこんな恥ずかしいものを見せて……どどどどどうしよう!!」
「うっく……何て天然ミラクルを……。それにしても犬飼さんって何者なんですかね? 劣情を催したら死ぬ呪いにでも掛かっているんでしょうか? こんなセクシー下着とダイナマイトボディを見せられて胸を顔に押しつけられて……その上お昼ご飯をご馳走してくれたんでしょ? それなのに何の見返りもないとか……人生二周目なのかな?」
香澄があれこれ悩んでいる中、陽菜は劣情と聞いて犬飼に押し倒されてキスをされそうになった事を思い出す。その事実は香澄にも話してはいない。陽菜と犬飼だけの秘密だ。
男性とほとんど関わりのない人生を送ってきた彼女にとって同年代の男性に抱きしめられ、あのような状況になったのは初めての出来事だった。
あの時の彼は明らかに陽菜に劣情を抱いていた。あの時の彼の目には優しさの他に別の感情があった。そして男性特有の反応もあった。
犬飼には明らかに劣情――つまり性欲があったのにそれを我慢して最後まで優しく接してくれた。自分が無自覚に彼を誘うような事をしていたにも関わらず――。
「きっと優しいだけじゃなくて心が強い人なんだと思います」
それから二人は居住スペースの荷物の整理を終えると残りの部分は明日以降に回し、本日の作業はここまでにした。
香澄は本日は陽菜の家に泊まるので夕食は外のファミレスで済ませシャワーを浴びると就寝となった。
二階の陽菜の寝室でお喋りをしていた二人であったが、香澄は早々に寝てしまった。陽菜は窓を開けて街の夜景を眺めながら物思いに耽る。
「とうとう来ちゃった。この街の何処かにワンユウさんがいるんだ。ワンユウさん――」
胸に抱くのは彼女がVTuberとして活動を始めてからずっと支え続けてくれている青年への恋慕。
本名は知らない、声は知らない、知っているのはとても優しい男性で多分独り身であることぐらい。知らない事の方が遙かに多い。でも、それでも彼女の心の中にはずっと彼が居る。
しかし、今日この街に来て早々に思いがけない出逢いがあった。
犬飼優――彼は陽菜の家のすぐ近くにあるマンションに住んでいる青年だ。見ず知らずの陽菜の為に色々と大変な思いをしながらも優しく親切に接してくれた。
男性の事をよく知らない陽菜にも彼が善良な人物であることは良く分かった。優しい笑顔、優しい声、驚いた表情――今日一日だけでも色々な面を見せてくれた。
そんな犬飼が自分の中に存在している事に気が付く。今までワンユウ一人だけが占有していた自分の心に犬飼がいる。それが何故なのか具体的なことは陽菜自身にもよく分からない。
「もし……もしもワンユウさんが犬飼さんみたいに優しい人だったら嬉しいなぁ」
言ってからそんな事は都合の良いことだと思い直す。でも、それでも――。
ワンユウが住む街に引っ越して来た喜びと彼への恋心、それに犬飼への感謝を想いながら陽菜は就寝した。
陽菜は知らない。今日、自分に色々と親切にしてくれた犬飼こそが彼女が探しているワンユウ本人だと言う事を。
ガブリエールは知らない。そのワンユウがすぐ近くに住んでいて、今まさに半径百メートル以内の場所で眠っている事を。
ついでにワンユウは知らない。今後彼の後方百メートル以内の場所でガブリエールの配信が行われる事を。
そして二人は知らない。どのタイミングで二人がお互いの正体に気が付くのか、作者が悩んでいる事を……どうすっかなぁ……。
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