第97話 術理理解

「……久方ぶりにこっちに来れたな」


 工房の戸を開け、中へと足を踏み入れる。


 ひと月前、再会したフランメと協力関係に至ったエルシャ。二人が仕事の処理を手伝ってくれた事で余裕が生まれた。


(余裕が出来たからこそ、こちらも動くことが出来る)


 地面に影が広がり、一つの死体――トコヨの亡骸を取り出す。


 潤いの保った色白の肌。一切のほつれの無い金色の髪。

 衣類の一切を剥ぎ取った姿である事と首が切断された事を除けば生きているような質感が残る。


「時間も作れた事だ、彼女を復活させる手を少しでも打っておきたい」


 地面に流れる血で作られた領域に魔力を流し込む。


 地面が、壁が、天井が、血脈さながらに赤い光を隆起させ、明滅させ始める。

 光はトコヨの周囲に円陣を生み出し、数字とアルファベットが重なる言語――魔法文明語が文字列となる。


「魔法陣の作成完了。次は――」


 影を広げ、中から一振りのナイフを取り出す。


 柄は黒。刃渡りは20セルチ。赤黒い刃は禍々しく赤い光を生み出し、点滅する。

 手にした柄を握り、肩辺りでトコヨの髪を切り裂く。

 散った髪を集めて髪束ねると、ナイフを突き立て、手のひらを置く。


「【束ねよ紡ぎ、紡いで繋ぎ。繋がりは転じ、転じて狂い逝け】」


 魔力を流し込み、歌を歌う。

 韻を踏むと共に魔力は赤い光と共にトコヨの髪に纏わり付く。


 束ね、紡ぎ。


 混じり、紡ぎ。


 繋がり転じて呪いと成す。


「【赤紡ぎ】。――呪糸、完成だな」


 光が完全に収まった時、髪は一つの金糸となった。


 呪糸――人の死体などから取られた髪で作った糸は呪いの材料として用いられる。


(品質は……うん、普通くらいか)


 金色に輝く糸を腕を搦めて八の字を描いて纏め、手触りや色艶、そして魔力の通りを確かめ目を細める。


 髪は女の命――前世でもそう呼ばれていたが、長い髪はそれだけで良質な素材になる。

 それは経過した時間によって自然発生した魔力を影響を受けるため。魔力の影響を受けた髪は糸にした際、魔力の通りが良くなり、より複雑な魔法を行使できるのだ。


(紡ぎ方や素材を変えればもう少し良いものが出来たかもしれないが、これでも出来なくはない)


 影から一本の針を取り出し、糸を通す。

 そして、針を断たれたトコヨの首に刺した。


「っと、意外と針の通りが良くないな」


 少し力を籠めて針を通し、首の断面にも通す。

 そして、糸で断面同士を繋いでいく。


(まさか、服の補修が死霊操作系の呪咀魔法に役立つとはな)


 死霊操作の呪咀魔法、その分野の一つであるアンデッド作成には死体の補修は必須事項だ。


 四本脚の机から脚を一本取るだけで倒れるように、足や腕を欠損した死体はバランスが悪くなってしまう。そのため、アンデットにする生物は出来る限り損傷が無いよう殺すことが定石とされる。

 特に頭――より正確には脳は腕や足以上に重要で、記憶の保持や戦闘技能の行使のために破壊は出来る限り回避しなければならない。

 首を刎ねるという殺害方法は毒殺や絞殺、溺死といった脳を物理的に破壊しない殺害方法が出来ない場合有効な手になる。


(一番手っ取り早く殺すために首を刎ねたのが良い方向に転がったな)


 首を縫い付け終えるとナイフを手に取り、己の左手首を掻っ切る。


 吹き出る血潮。流れ落ちる血がトコヨを濡らす。赤黒い血で指先を濡らし、接合部をなぞる。


「【焼き上がり、焼き付き、沸き上がりて繋がれん】」


 再度歌を歌い、魔力を指先から接合部に流しこむ。

 魔力は私の血に伝わり、トコヨの皮膚と肉、そして呪糸に繋がり、肉と皮が沸き立つ。

 沸き立つ肉と皮は泡のように膨れ、そして繋がり合う。


「【血肉繋ぎ】、完成」


 トコヨの首が繋がったのを確認し、魔力を止めて影の糸で手首の傷を縫う。


(死体の修繕はこれで完了。……さて、本題に入ろうか)


 死体の修繕は前座。本来の目的は別にある。


 地面に魔力を流し、魔法陣を起動する。

 魔法陣は赤く光り、円の縁から赤い液体が湧き上がる。

 液体はトコヨの体を覆い、体の内より染み込む。すると全身を覆う文様が赤く輝き、蒼い線が浮かび上がる。

 指先で十字を切ると魔法陣は光を失い、赤い液体も霧散する。


「――これは、実に惨たらしい」


 トコヨの全身を覆う蒼い文様――腕・足・脳・心臓・肺・胃・小腸・大腸・肛門・膀胱・子宮の位置にある蒼い塊に私は冷徹な目で見下ろし、僅かばかり手に力が籠もる。


 先程の魔法の名は【術理理解】。呪咀魔法や薬物の影響を調べるための呪咀魔法。

 復活させたトコヨに呪いの影響が出ては話にならないために、呪いを排除せねばならない。


(しかし、呪いが直接仕込まれた部分が多いのは想定外も良いところだ。腕や足の機能を取り戻す事自体は可能だが、体の内側は方法論が限られてくる)


 肉体改造系の呪咀魔法は体への負担が大きく、また不可逆的な処置が施されやすい。

 それ故に、呪いを解くだけでは意味がない。物理的な取り替えや、作り直したりするの方法論以外を取ることが出来ない。


(――一番手っ取り早いのは取り替えだ。だが、魔力の生成に多大な影響が出てしまう。そうなると、作り直しが最善手か)


 羊皮紙のスクロールを取り出し、開いてトコヨの胸部に乗せる。

 すると羊皮紙に描かれた魔法陣は蒼い光を放ちながら消失し、その代わりとしてトコヨの肉体情報が刻まれていく。


「見様見真似で作ってみたが、存外便利だな」


 スクロールに描いた魔法は【整体模写】。

 現在の肉体状況から逆算し、『呪咀魔法や薬物の影響が無かった場合』を演算し抽出する呪咀魔法。

『エインズの呪詛記録』に記載があった魔法であり、今回始めて使用した。


 情報の抽出が終わると羊皮紙を手に取り、影の中に放り込む。

 同時に影を広げてトコヨの死体を影の中に沈めると、放置されたソファに腰掛ける。


「とりあえずの術理は理解した。――後は、材料の確保だな」


 解呪のための材料と、復活のための材料。

 その準備を進めなければ、彼女の復活は成し遂げる事は出来ない。

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