第98話 愚か者への罰

 サンサンと晴れた太陽が仮初の皮膚を焼く。

 私はリリシェーラを連れて貴族街に出向いていた。

 理由は単純に仕事で、貴族街に拠点を持つ闇金の元締め、バグダムとの会食に出向くためだ。


「……しかし、リリシェーラがこちらの仕事に興味を持つとは意外だな」

「本来なら私も出向く予定はありませんでした。けれど……あの犬っころに負けて護衛の仕事を押し付けられましたわ」


 馬車で揺られながら、外で御者をしているリリシェーラが頬を膨らませる。

 見るからに『不機嫌です』と言わんばかりに顔を顰めるリリシェーラに私は苦笑いを浮かべる。


 リリシェーラとベラン。ベランは女として気に入っているが、リリシェーラはベランを嫌っている。

 曰く、『清潔感が無い』との事らしい。


(私としては呪咀魔法のために人肉を喰らうお前も大概だが……言ったところで聞くことないか)


「それと、シジルの解析は終わりました。そのカウンターの準備も、整いましたわ」

「そうか。シジルの方にはなんて書かれていた」

「『汝、神の兵士として顕現を支えよ』、供物の方は『汝、神の贄とし捧げられよ』、と。神とは、随分と大きく出ましたわね」

「そうだな。……と、ここだな」


 貴族街の中ほど。

『プリエステス』と小さな看板の掲げられたレストランの前で降り、中へと入る。

 高級そうな赤い絨毯。天井から吊るされたシャンデリア。店内での私語は静かそのもので、店員達の動きも洗練されている。


「お客様、お名前は……」

「ティテュバ、そう名乗っている。バグダムが既に居るはずだが」

「はい、いらっしゃいます。ご案内しますね」


 店員の案内の下、店の奥へと足を踏みこむ。

 通路を通り、木の戸を開けると席に座るバグダムが高慢そうに笑みを浮かべていた。


「来たか。ああ、この部屋は防音性に優れてる。外から盗み聞かれることは無い」

「招待ありがとう、バグダム」


 店員が戸を閉じるとバグダムの対面に座る。

 筋肉質な体に似合わないスーツを着込み、鋭い目つきで私を見定めるバグダムは目を細めた。


「しかし、随分と良いドレスを着込んでいるな」

「私の趣味では無いのだがな」


 私が身にまとうのは漆黒のイブニングドレス。

 胸の谷間や腹部、背部を曝け出し、スカートは太腿まで見えるほど深いスリットが入り、身につける金細工のリングやネックレスが煌めく。 

 纏められた黒髪はティアラのような三つ編みにされ、残りは後ろに流されている。


(適当なドレスで構わなかったが、エルシャが許さなかった)


 エルシャ曰く『貴女様はもっと堂々と自分の体に自信を持った方が良いと思います』との事。

 事実、エルシャが選んだドレスはどれもこれも露出度の高いものばかりだった。


「だが、実に良く似合っている」

「……まぁ、悪い気分ではないな」


 己の身を褒められる。

 それ自体に悪意や害意、侮蔑を感じられないが故に、私は口角をつり上げる。

 店員がグラスに葡萄酒を注ぎ、私がグラスを摘む。


「まずは乾杯といこうか」

「ああ。新体制に乾杯だ」


 グラスを交わし、唇をつける。

 喉に流れ込む葡萄酒を流し込み、唇を舐めた。


「……悪くない味だ」

「それなら良かった。しかし、新体制になってから良く稼がせてもらっている」

「それなら良かった」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら前菜を食べるバグダムに、私は口角をつり上げる。


 バグダムが元締めをしている闇金業は弱者も強者も食い物とする仕事。

 それ故にキャッツの粛清によって多くの構成員が処され、バグダムも何度か粛清の憂き目に遭っていた。


「人間は自由にやらせた方が良い結果を出る。しかし、私の自由を履き違えた愚か者が組織に巣食っているのも事実だ」


 私は影より書類を取り出し、テーブルに置く。

 前菜を食べ終えたバグダムは書類を手に取り、目を鋭く細めた。


「闇金業のために組織から出した支給額と貴様の方から来た書類に記載された支給額、異なっているが貴様は何か知っているか?」

「ッ!?い、いえ。知りませんでした」


 嘘。


 書類を食い入るように目を見開き、額から脂汗を垂らし始めるバグダムに私は笑いかける。

 私の微笑みにバグダムは顔を青くし、食事用のナイフに手を伸ばそうとする。


「リリシェーラ」

「はいはーい」


 私が魔女の名を告げた瞬間、鈴の音のような軽やかな声が響いた。


「ガッ――!?」


 その瞬間、後頭部を殴られたかのようにバグダムは体を倒した。

 口を押さえ、白目を向くバグダムに私は笑みを絶やす事無く食事用のフォークを手に取り、太腿に突き刺した。

 軽くほじくればバグダムの口から汚い声が響き、部屋に入ってきたリリシェーラはワインボトル片手に私の隣にしゃがみ込んだ。

 僅か数秒。その数秒の時間さえあれば、リリシェーラはこのレストランの客及び従業員を手中に収めることができる。

 レストランで提供されるワインや食材に細工をする事も容易いことなのだ。


「貴様が支給した金の一部を懐に入れ、娼婦に入れ込んでいる事は知っている。私からすれば、組織の金を私的に流用する事は問題ではないんだ。……だがな、それは私個人の思想だ。組織が腐ってしまっては意味がない」


 この組織は使い潰す前提である事に代わりはない。

 しかし、使い潰す前に腐ってしまっては潰す事すら出来やしない。


「組織を腐らせる根は身を腐らせる前に切り落とす。……が、貴様はまだ身に栄養を送る根だ。少しばかり手心を加えてやらんとな」


 愚か者の髪を掴み、つり上げる。

 涙目を浮かばせる男にグニャリと邪笑し、引き抜いたフォークを愚か者の左眼を突き刺した。


「ギャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

「随分と良い声で鳴くなぁ。防音性に優れているから助かる」


 魚の肉をほじくるように、男の左眼球を引き抜き、神経を千切る。

 虚ろな穴が開いた左眼を押さえる男を見下ろしながら眼球を手に取り、床に落として踏み潰す。


「これにて着服の件は手打ちとする。……次やれば、右目は失われ、今回含め三度やれば命を奪う。良いな?」

「はいっ、はいいいっ!!」


 恐怖に顔を歪ませるバグダムはそのまま部屋の外に出ていく。

 静寂だけが残る部屋で私は席に戻り葡萄酒に口をつけた。


「恐怖による支配。随分と手慣れていますのね」

「恐怖を持って人を押さえつける、魔族流の支配方法だ。……不愉快極まりない、悪趣味なものだがな」


 飲み干したグラスに力を籠め、割る。眉間に皺が寄り、僅かばかり自己嫌悪に陥る。


 力と恐怖をもって自由を押さえつける。

 父や母、あの集落に居た多くの魔族たちが行った、人族を押さえつけ奴隷へと落とす邪悪な支配術。

 そのノウハウは教わらずとも父と母の悪行を見続けた12年で否応なく体と脳に染み込んでいる。


(……私は愚か者だな。だが、やると決めたならやるしかない。それが私が決めた生き方だ)


 迷いは、捨てた。

 己の内にあった罪悪感と後悔を洗い流し、リリシェーラに視線を向けた。


「リリシェーラ、あの愚か者のアジトに向かえ。そして、今回の着服に関与した者たちを血祭りに上げろ。やり方は問わない」

「畏まりましたわ」


 そう言ってリリシェーラは部屋を立ち去る。

 一人残された私は服と装飾品を脱ぎ、一糸纏わぬ姿となる。


「ついでだ、こちらに来る機会もあまりないし用件を済ませておこう」


 やるべき事はやれる時間がある時に行う。

 やるべき事が多い時はそのような心構えで挑むべきだ。














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