第91話 長の仕事

 翌朝。早朝から目覚めた私はいつも通り、仕事に取り掛かる。


「ふむ……」


 かつてキャッツの屋敷であり、今では私の屋敷である邸宅の執務室。

 そこで私は積み重ねられた書類の山を捌いていた。


(書類仕事自体は問題無い。が、量が殺人的だ)


 奴隷たちへの食費の見積もり。薬物の種類と成分の確認。詐欺で盗んだ資金の運用。表の仕事である用心棒の収入と給料。出資している孤児院の寄付金。

 その他様々な組織運営上必要な決済が山のように積まれており、一つ一つ速読かつ精読していかなければならない。


(冒険者たちの動向と迷宮の監視を行ってもらっているガラテアに経理を任せるのも悪いし、結局一人でやるしかないのだがな)


 書類仕事自体は目が疲れるが楽な部類だ。

 一番苦手なのが接待や会議で、話し合いが長引く事は勿論、懇意にしている貴族たちとの話は退屈極まりない。


「……ん?」


 コンコン、とドアが叩かれる音に手を止める。

 影の触手を伸ばし、ドアノブを引くと妖艶なエルフの女が立っていた。


「おはようございます、ティテュバ様」

「ん、おはよう、メルテナ」


 執務室の空間に入り込む異様な魔力に目を細めながら近づいてくるメルテナを見据える。


 黄金色の髪に青藍の瞳。

 妖艶なリリシェーラとは違う、気品ある麗しい顔立ち。

 しかし身に纏う装束は金属製とブラとパンツ、そして体に巻きつく黄金色の鎖と枷、身を飾る装飾品のみ。

 女王のような品位を保ちながら、隷属された女は執務机で事務作業をしている私の前に立つ。


「ゲスティ様の命で貴女様の作業の手伝いに参りました」

「そうか。態々済まんな」

「いえ、ご主人様の命令でございますので」


 柔らかく、けれど事務的な言の葉を紡ぐメルテナに私は書類の山を差し出す。

 メルテナはそれを受け取ると、ソファの座り書類仕事を始めた。


(……やっぱり呪われているな)


 メルテナの体内を脈動する魔力の流れ。歪で、歪み、それでいて壊れた魔力の流れを目視し目を鋭く細めた。


「……ティテュバ様は経理を雇わないのですか?」

「ん?ああ、今のところはな」


 書類を読みこみ、押印とサインを書く手を止めることなく、私はメルテナの問いに答える。

 メルテナはその端正な顔を僅かに顰めると書類の山に視線を向けた。


「これ程の書類を一人で処理し切るのは時間がかかり過ぎます。でしたら、人を雇い経理を任せてもよろしいかと」

「んー……そうしたいのは山々なのだが、見られない方が良い書類もそれなりに多いからな。外部の人間を雇うのは危険な以上、慎重にならざるをえない」


 裏金汚職、違法薬物。

 その他様々な組織的犯罪に関する書類を外部に見せる訳にはいかない以上、出来る限り外部の人間を雇う事は難しい。


「かといって内部の人間をこっちに回すにしても、やれる人間が少ない。最低限、交易共通語・魔族語・魔法文明語の読み書きと四則計算ぐらい出来る人材が欲しい。何ならメルテナ。貴様を経理として雇いたいぐらいだ」

「ご冗談を。この卑しきエルフの奴隷に、そのような良き立ち位置は身に余ります」


 メルテナの顔に笑みを浮かべる。

 己を卑下し、己を蔑む、自罰に満ちた笑みに私は額に青筋を浮き上がるのを感じる。


「私たちエルフは長命種。しかし、それは何も己が優れているからではありません。整った顔立ちも、均整のとれた体つきも、魔法の才能も、全ては奴隷になるためのものなのです」


 メルテナの手が止まり、頭を縦に振る。


「かつての私はエルフとして弱者を守り、民を守る矜持を持っていました。しかし、ゲスティ様に出会い、エルフとは何たるかを教わったのです」

「そうか」


 メルテナの体に巡る魔力、そして体を飾る服と装飾品に刻まれた魔法式を読み解き、心内を嫌悪感で満たす。


(思考矯正。精神的な抵抗力の低下。被虐的価値観の植え付け、倫理感の喪失――そもそも、元になる人格すら魔法による干渉を見て取れる。ここまで悪趣味な冒涜は魔族でもそうそうお目にかかれない)


 人から人としての尊厳を削ぎ落とし、奴隷に落とす。

 ゲスティという名前通り、下衆な魔法の使い方だ。


「まぁ、良い。……ゲスティの奴隷売買が上手くいっているようだし、その中で経理出来る者はいるのか?」

「難しいですね。奴隷売買の八割は魔族からの供給で成り立っていますので、不安定です。特に頭が回る人は立ち回るのが上手いので、手元に置く傾向が多いですので、必然的に回されるのは」

「頭が中途半端に回る者、か」


 頭の回る者は手元に置く傾向があること。

 そして、愚かな選択を取るものは必然的に抹殺される。

 結果残るのは己の身の危険を感じ、波風立てずひっそりと従った、中途半端に頭が回る者だけになる。


「資料を見る限り、奴隷の傾向としては12歳までの子供が多い、が……まぁ良い。三日後の夜、10時頃、確かゲスティの予定が空いていた筈だから、そちらに向かう事を伝えておいてくれ」

「畏まりました」


 そうして事務作業に戻り、書類を目を通していく。


 組織の長の仕事というのは面倒が多く、窮屈極まりない。





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