第三章 イリクス■■

第90話 根切り

 血の匂いが鼻腔の充満し、口に血鉄の味が感じるようだった。

 数多の躯で作られた屍山血河。その中に一人、傷を負うことなく佇む私は最後の標的を前に拳銃型魔動機銃を突きつけた。


「た、助け……!」

「ワイズマンファミリーに仇なす者は、血に染まれ」


 涙を流し、糞尿を垂れ流す男に侮蔑の視線を落とす。

 引金を引き、パンッ!!と小気味よい音と共に眉間に穴が開いた。動かなくなった男を前に私は欠伸を溢して影に拳銃を放り込んだ。


「ふわぁ……これで何件目だ……?」


 血のついた手で瞼を擦り、影に吊るした羊皮紙の束を影の触手で捲る。

 私が――より正確には外皮であるティテュバ・ワイズマンがワイズマンファミリーの首魁に就いて半年が経過した。

 組織の掌握は大体を終わらせると共に、ファミリーの仕事を妨害する他の組織の粛清に明け暮れていた。


(薬物は儲けを生みやすいから分かるが、人身売買の組織が予想以上に多い。キャッツが齎した負の遺産か)


 半年前、ユカに冷蔵庫を許した猫人のリカントの顔を思い出し、目を細める。

 人の心を理解し、悪しき事を辞めて良いことを推し進めようとしたキャッツはその過去ゆえに人身売買と薬物を敵視していた。

 そして、それらは身内のシノギにも向けられており、人身売買や薬物に関わる構成員をことあるごとに粛清していた。

 結果、構成員はそのノウハウを他組織に流出させていた。その結果、ワイズマンファミリー以外にも似たような方法で金稼ぎをする者たちが現れ始めた。


(キャッツも潰して回ったが、私は違う)


 前提条件で交渉の場を設ける。

 組織の金で敵対組織そのものをヘッドハンティングし、金に乗ればファミリーの傘下に加える。

 しかし、交渉を断る、向かわせた使者を殺す、交渉の場で得物を向ける――ファミリーに敵対行動を取れば、鏖殺する。


 時には、暗殺者を差し向ける。


 時には、女を抱き込ませ毒殺する。


 時には、薬物で肉人形へ作り変える。


 時には、構成員に自爆させる。


 時には、時には、時には――


 大小合わせて58組織。イリクスとイリクス周辺の街、その暗黒街で潰えた組織の総数だ。


(存外、上手くいくものだな)


 身に纏う男物のスーツに飛び散った血を見下ろし、男の死体に背を向ける。

 組織の拡大、そして資金源の調達。

 たった二つの目的のためだけに骸の山を積み重ね、組織は無尽蔵に肥大化している。

 その中で私の命に届きかけた事は一度しか存在していない。


「いやはや、ボス。見事な悪辣でございますね」


 建物から出ると、馬車が止まり、デランが降りてくる。

 痩せぎすの体に高級なスーツを着こなし、慇懃に頭を下げる様子に欠片の優越も得ることなく、馬車の荷台に乗る。


「この街の販路は貴様に一任する。組織の顔に泥を塗るような真似になったら、お前の首が食卓に並ぶ事になる」

「畏まりました」


 冷や汗を垂らすデランを尻目に扉を閉じ、御者に合図を出す。

 すると馬車は動き、軽快に走り始めた。

 外から見える景色は街から森へと変わり、月明かりが照らす森の小路を駆けていく。


「……フィルナンド家の連中の根は存外広い」


 御者――に扮したリリシェーラは頭に被る帽子を外す。

 人身売買や薬物といった組織を吸収しているのにはファミリーの規模拡大以外の、裏の目的がある。

 それはフィルナンド家の目論見、『外宇宙』の邪神顕現のための妨害に他ならない。

 贄を用意し魂を食らい、『外宇宙』の怪物をこの世界に顕現させる――それが儀式の手順である以上、贄の確保は急務だ。

 しかし、『黒蟷螂』一匹顕現させるのに孤児院のシスターと子供たち、そして地下に幽閉されて奴隷を使った。

 では神の顕現にはどれだけの贄が必要だろうか。少なくとも百や二百では足りない。千、二千、或いは更に多くの供物が必要になる。


(が、奴隷たちは恐らくスペア。本命はシジルの方だ)


 シジル。魔法の命令文でありどのような形状・性質を与えるのかの図案でもある。また、今回の場合供物である事の証明にもなる。

 これを解除しなければ、供物は皆神の贄となる。


「逃げ道を封じてから本命を討つ……敵方も、それを理解していると思いますわ」

「だろうな。……が、連中も対応に追われているだろうよ。……馬車を止めろ、刺客が来た」

「畏まりました」


 私の命令に従い、リリシェーラはゆっくりと速度を落とす。

 森の中、周囲に民家の光がなく月明かりしかない。

 つまり、


「奇襲を仕掛けるなら絶好の場所、という訳だ」


 馬車から降りた直後、暗闇から金属の矢が飛来する。即座に影で防ぐと共に木々の枝から降り注ぐ稲妻の槍を影の触手で薙ぎ払う。


「……なっ!?」

「リリシェーラ」

「りょうかーい」


 驚きの声を上げた者に視線を向け、焼き付いたシジルの光を見つける。

 指を突きつけ指し示すとリリシェーラが手にした長杖を突きつける。


「【ソーンスレイブ】」


 逃げようと背を向けた敵対者は、リリシェーラの長杖から伸びる紫紺の氷茨。

 手始めに敵対者の足に縛り動きを封じ、次に両腕を後ろ手に、そして身体に巻き付く。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!?」


 木の幹から吊り降ろされた殺し屋――ヒュームバニーの青年は藻掻く。

 藻掻くたびに巻き付いた氷茨は肉に食い込み、絶叫を上げさせる。


「肉体干渉系呪咀魔法【ペイン】。傷つけた箇所に通常以上の痛みを与えるだけの呪いよ」


 リリシェーラは痛みに苦しむ口に手を挿れる。

 驚きに目を見開く青年の口から小さなカプセルを取り出して踏み潰したリリシェーラはその口を唇で塞いだ。


「んぐっ……!?」


 戸惑い、身を引こうとする青年をリリシェーラは逃さず貪る。

 時間としては十数秒程度の口付けの後、青年の目は虚ろに変わる。


「精神干渉系呪咀魔法【無量虚像】。一時的に無防備状態、無警戒状態にする呪い。無力化は終わらせたわ」

「その魔法は確か、肉体の物理的接触で行う魔法のはず。口付けする必要はなかったのでは?」

「シジルの解呪を同時に済ませるに必要でしたので」

「そうか」


 氷の茨を解き、少年を降ろしたリリシェーラはたおやかに笑みを浮かべ、少年の体を抱き上げた。


我が公主マイロード、彼を持ち帰ってもよろしいでしょうか。ええ、実験体には丁度いいですので」

「……勝手にしろ」


 頭を下げたリリシェーラを背に、私は馬車に乗りこむ。


(……ひと月の間に四回か。まぁ、これくらいはするだろうな)


 シジル持ちの暗殺者との戦闘は一度ではない。

 一度目、二度目はガラテアとベランが殺害。三度目は自殺。そして今回、捕縛に至った。


(しかし、トコヨの妹を寄越さない事に違和感がある。動かさないか、動かせないか……まぁ、後者だろうな)


 トコヨは『祭壇』造り。その妹は儀式の素体。

 妹は儀式のためにも、何かしらの制限があり、都市の外に出せない。


「まぁ、良い」


 馬車がゆっくりと動き出すのを感じながら、瞼を閉じる。

 イリクスに入るまでの間、少しばかり体を眠らせるのだ。





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