第31話 母体の女

 コボルトの共用テント――繁殖場は交尾の匂いと麝香の匂い、そして鮮血の匂いで満たされていた。

 生臭く、甘く、鉄の香りで吐き気がするほどに満ちた空間に顔を顰め、足を踏み入れる。


「ア、アァァァァ……アビゲ、イル様……」

「助け、助けて……」

「死ぬ……あの女に食い殺されて、死ぬ……」


 簡素なカーペットの敷かれた床に転がるのはコボルトの男たち。窶れ果て、枯れ果てた様子の彼らは口々に私へと助けを求める。

 中には精も魂も枯れ果て、或いは肉を引き千切られて息絶える者もおり、恐怖に引きつった顔で天井を見上げている。


(これはまた酷い)


 ひとまず影でテントの中から食い散らかされたコボルトたちを放り出し、ため息をつく。

 本来、コボルトたちの管理は母と共にネクスが行っていた。

 しかし、母は多忙で殆ど顔を出さず、ネクスも数日ほど里から離れていた。離れた結果、見張りが居なくなり彼女の暴虐を許すこととなった。


「あら、ため息かしら?」

「……誰のせいだと思っている」


 鈴のように軽やかな、けれど妖婦の如き邪悪さを隠そうとしない声に私はテントの奥を一瞥する。


 テントの奥にいるのは一人のサキュバスだった。


 大きな乳房と肉付きの良い体。


 栗毛の髪から伸びる羊を思わせる角。


 背部から伸びる蝙蝠を思わせる翼。


 少女のように愛らしく、しかし妖婦のように色気だつ顔立ち。


 二ヶ月前、ヒュームからサキュバスに転じた女、シケイはこちらに顔を向け、にこやかに手を振る。


「んっ、いいわ」


 シケイの下には、コボルトの少年がいる。

 まだ10歳ほどの、成人したての少年の目は虚ろであった。

 息も絶え絶えな――それこそ、喰われる寸前にまで精を搾り取られたコボルトの股に跨り、それでも貪ろうとするように、腰を動かす。


「あはっ、いいわ。もっとちょうだい……」

「いい加減にしろ」


 甘く、蕩けるような声を響かせるシケイへ肉薄し、足に魔力を籠めてローキックを打ち込む。


 無駄に大きく肥大化した乳房を避け、脇腹にめり込むと同時にパンッ!!と肉と肉がぶつかり合う音と共に、その体がコボルトから離れて転がっていく。

 テントの布を突き破り、外で倒れるのを確認すると同時に足元に転がっているコボルトへ視線を向け、


「さっさとテントから出ていけ。川で水浴びして飯食って寝て、精魂を養え」

「は、はい!!」


 慌てた様子で四つん這いになりながら走り、テントから出ていくコボルトを見送り、シケイへ視線を向ける。

 シケイもまた起き上がり、もの惜しげに私を見つめてきた。


「食事の邪魔しないでよー……アビゲイルさまー」

「食事でも暴食が過ぎる。食い過ぎは辞めろと言っているだろう」

「むー」


 頬を膨らませて不満げな様子を露わにするシケイに私は何度目かのため息をつく。


 手軽で不可逆的な、禁忌の呪いである【堕落浄土】には構造上致命的な欠陥がある。


【堕落浄土】による精神汚染は術者にも左右出来ない。汚染の方向性を導く事は出来ても、完全な制御はできない、というものだ。

『堕心教典儀』の実験記録において、最も実験として行われたのが、汚染の方向性を定め、特定の症状を発症させることにあった。

 そほ実験は失敗を繰り返し、記録を元に再現した呪詛もまた欠陥を解消できていない。


(その結果がこれか)


 シケイの精神汚染は苛烈なまでの加虐性。

 サキュバスの強い性欲と相まってコボルトたちを積極的に食べるのは勿論、抵抗するようなら肉を千切り血を生み出した上で犯す。抵抗しようにも種族特性に対する抵抗力が低く、難しい。

 結果、本来の立場が逆転しコボルトたちはシケイの奴隷に成り果てた。


(私個人としてはどうでも良いが、流石にコボルトたちが可哀想だ)


「アビゲイル様もやれば少しは楽しさが分かると思うわ」

「私は見ず知らずの男を抱く趣味はない。それに、お前自体は快楽より闘争を好む魔族だろうに」


 残忍に、残酷に、他者の尊厳を踏み躙る事を愉しむ怪物――少なくとも、シケイは既に人族の心を失い、怪物に成り下がった。


「あら、良くわかっているわね」


 クスクスと妖しく笑うシケイが呼吸を整え魔力を生み出す。瞬間、私は地を蹴り距離を零にし、影を纏わせた手刀を放つ。

 シケイは無駄な脂肪の塊を揺らし、身を引いて躱す。そして、手にした石――魔法の媒介に作り替えた『愚者の石』を私に向ける。


「【サンダーレイ】」

「【黒刀】」


 私は身を翻し、影を纏わせた足をハイキックを打つように振るう。影の斬撃と化した足とサキュバスの手から放たれる雷の砲撃と衝突する。

 拮抗は一瞬、雷の砲撃は切り裂かれ、コボルトのテントは斬られた雷に当たり消し飛ぶ。


(母め、戦闘能力を奪わなかったな)


 空中を飛翔し、放たれる雷の槍を影を纏わせた手刀で切り裂いて逸らしながら舌打ちする。


 シケイはサキュバスになった事で才能に開花した稀有な存在だった。


 母はあの日、シケイを『武器の使用』を呪詛で禁じた。そのため、シケイは生来の武器である剣を使うことができなくなった。

 しかし、皮肉な事にシケイは魔法の才能があった。サキュバスという魔族に転じ、生来培ってきた武器を失った彼女はサキュバスの種族特性を通じて魔力操作の感覚を掴み、コボルトを使って魔法の知識と魔法の媒介を獲得した。

 結果として、彼女は本来決して戦闘能力が高いとは言えないサキュバスでありながら戦闘能力を有してしまった。


 雷の矢――【サンダーアロー】を掌で受け止め、握り潰すとシケイに向けた。


「いつもはネクスに見張らせているのだがな……」


 掌に魔力を籠め、シケイへと糸のように伸ばす。

 シケイの体に出来ていた影から糸が伸びる。

 糸はシケイの体に巻き付き、蜘蛛の巣のように縛りあげる。


「影がある以上私の射程と知れ」


 翼に糸が伸び、手早く操り捻り上げる。


 翼は糸に抑制され動かせず、飛行能力を失ったシケイは空から落ち始める。


「よっと」


 墜落の最中、私の横をコンビナートが駆け抜けシケイを空中でキャッチする。

 綺麗に着地し、抱き上げるコンビナートに私は目を細めた。


「当たり前のようにキャッチするか」

「死なれても困るからな。……てか、俺が見張っていること、分かっていただろ」

「流石にな」


 コンビナートもネクスと同様、奴隷の管理を任せられている。ネクスと違い、サボリ気味ではあるがそれでも最低限の仕事はする。

 落下の恐怖で気絶したシケイを見つめ、魔力を解くとコンビナートも威圧的な殺意を隠す。


「テントの片付けは頼んでいいか?」

「ぬかせ。テメェも手伝うんだ」

「はいはい」


 私はコンビナートとシケイに背を向け、倉庫へと向かうのだった。



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