第28話 母の真意

 夜。雨もあがり、満天の星空が草原の天上を埋め尽くす。

 その星空の下、暗闇の中を歩き母のテントに足を踏み入れる。


 以前にも増して濃い薬の匂いと暖色系の光を放つランプがテント内を照らし、その奥で母が製薬の作業を行っている。

 床に並べられた薬草類や毒草、血液を混ぜて作る黒いインク、それらを作るための道具類をカクテルの作るように手早く、そして正確に扱っていく。


(本当、魔法師としての一つの到達点だな)


 戦闘ではない、非戦闘能力に長けた魔法師。

 その迷いのない動きに私は少なからず尊敬の念はある。


「来ましたか」

「ああ。……それで、これが今回使う素体か」


 母から視線を逸らし、床に裸体で寝転がされた人族を見下ろした。

 性別は女。種族はヒューム。見た目的には15歳成人したて頃だろう。もっさりとした栗毛の髪が特徴的な、それ以外にこれといった特徴のない女だ。

 剣士をしてたらしく、体は鍛えられているもののその一部は肉に変わり、青い打撲痕が体の各所に残っている。


(普通の、何処にでもいる冒険者といったところか)


「【堕落浄土】に関しては一通り理解していますか?」

「まぁな。……不愉快極まりない、邪法だよ」


 カーペットの上で胡座をかいた私は影の中から本を――『堕心教典儀』手に取り、開いた。


【堕落浄土】とは即ち、人より堕ちて魔へ至る魔法。

 使用する材料は変えたい魔族の血と数種類の薬草、インク、そして別種の呪いで浸礼したナイフ。

 手順としては薬草を焼いて煙を焚き、魔族の血を塗りたくったナイフで腹に印を刻み、印に沿ってインクを濡らして魔力を流し込む――やること自体は単純だ。

 そしてそうして変質した者は精神が歪み、人族から魔族になり果てる。


(しかし、【堕落浄土】の本質は種族変化ではない。種族変化は副産物の代物であり、本質は精神への干渉だ)


 副作用的に種族を変化させるが、【堕落浄土】は刻んだ印を介して重篤な精神汚染を対象に発生させることが主目的なのだ。

 精神が汚染された者からは理性と狂気の境目が曖昧となり、個人差はあれど殺人衝動や猛烈な飢えや乾きといった人族としての一線を越えるようになる。

『堕心教典儀』は東の大陸で発生した、【堕落浄土】によってもたらされた厄災に関する書籍だ。


(人族はこの魔法を『禁忌』とし、使用や習得を禁じているが……納得はできる。これは人族社会に相容れない代物だ)


 本を閉じ、影へと放り込む。

 それと同時に、薬研を回していた母の手が止まり、私へと顔を向けた。能面のような無機質な顔で私を見据えると、香炉を焚き始める。


「【堕落浄土】は非常に強力な魔法です。それ故に、使用前に制御下に置くため、首輪をつけておく必要があります」


 薬と石――魔鉱石をすり潰し、植物油と混ぜ合わせたインクを指に塗り、別の薬と指の上で弄ぶ。


「魂を魔族に変えると呪いの効きが悪くなります。それが何故かわかりますか?」

「『穢れ』の影響だろ」


『穢れ』は元を辿れば異界の神からもたらされたものであり、魂に刻まれた呪いでもある。

 呪いの濃淡にもよるが、魔族は呪いへの耐性・病への耐性・毒への耐性を有している。

 自然発生的な呪いを人為的なものにしたことを発端とする呪詛魔法もまた『穢れ』由来の耐性に影響を受け、魔法が効きにくい部分があるのだ。


(バジリスクの種族特性『穢れ纏い』も『穢れ』による耐性由来だしな)


 本来なら『穢れ』を持っていたとしても、完全に呪いを無効化できる訳でも、病にならないわけでもない。

 しかし、バジリスクを含め一部の種は『穢れ』が極端に濃く、『呪い・病・毒にならない』という概念を纏っている。

 故に『穢れ纏い』。祝福を折り畳み、重ねて着込んだ概念防御だ。


「はい。コボルトやゴブリン程度の薄い種に変えるだけなら問題ありません。しかし、その程度ではつまらないので、この奴隷はサキュバスに作り替えます」

「サキュバスに、か。首輪はそのための前座、というべきか」


 母の隣に座り直し、寝息を立てて眠りにつく女を見下ろす。


 サキュバスは黒い角と蝙蝠を思わせる翼を持つ魔族。他者の精気を生殖行為などを介して捕食する性質があり、また女しかいない種でもある。

 顔立ちや体つきが良く、種族特性も相まって色仕掛による諜報能力に長けており、また女のみということもあって母体としても優れている。


「はい。では、見ててください」


 十を超える薬を指先で混ぜ合わせた、タール状の黒い薬液を女の胸に落とす。


「今回の魔法は【スレイブシープ】、特定の行動を封じる魔法です。……そして、貴女に呪詛魔法を見せるのは、詠唱の特性を実体験として理解してもらうためです」

「……詠唱?」


 女の体に部族的な紋様を描く母の言葉は私にとって虚を突かれたものであった。


 詠唱とは、魔法の威力や効力を高めるための技術である。

 魔法の歴史に深く関わっており、歌を介することで無意識の魔力を矯正、調律し魔法そのものの威力や効力を強化する。

 現在ではほぼ実戦で使われない技術――魔法技術の向上で、歌の詠唱せずとも十分な威力と効力が担保されたため――であり、魔法習得のための学習法の一つと位置づけられている。


(バジリスクは『蛇神憑き』の影響で生まれつき無意識の魔力操作ができるが……それが何故必要だ?)


「貴女の影魔法――【黒刀】は戦闘においては決定打になっていない。それが現実です」

「それは……まぁ……」


 ネクスとの訓練。


 冒険者との遭遇戦。


 幼き戦乙女との死闘。


 ネクスとコンビナートとの鍛錬。


 その多くで勝利を掴み取っているものの、決まり手は【黒刀】ではなく【魔力撃】――グランドールから教わった、魔力を溜めて打ち込む技術で終えている。

『【黒刀】が決定打になっていない』というのは紛れもない事実であり、本来なら秘すべきものでもある。


「人族の魔法理論を組み込む、という手段は悪くありません。しかし、それだけでは足りていない。でしたら、人族が切り捨てた技術を全て注ぎ込んでみてはどうでしょうか」


 蛇を思わせる紋様を描き終えたエレイナは紋様に合わせ、魔力を流し込む。

 黒い紋様は赤い光を放ち始め、魔力が焼き付いていく。


(生得魔法の長所であり欠点、か。技術として成り立っていないがために自由度が高い反面、強化の手段が限られる。古臭い手を使うというのも一つの手か)


 技術として成り立たないのなら、技術を取り込む。

 理論だけでは駄目で、魔法の歴史を辿ることもまた必要なのだ。


(呪詛魔法もまた人族に捨てられた技術。……これが目的か)


 技術は必要とされるから成り立つ。

 不必要とされれば、例えそれがどれほど強くても捨てられる。

 捨てたら技術の使い手として、自分の技術が必要とされたかったのだ。


「では、初めていきましょうか」

「ん……ああ」


 エレイナの言葉に思考を切り替え、蛇の紋様が刻まれた女を見下ろした。





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