第23話 呪詛魔法
奴隷たちのテントはいつも以上に酷く鼻につく匂いに満たされていた。
血の甘く鉄臭い匂いと生臭い匂いに満ち、既存の奴隷たちはテントの片隅で体を震わせ、新しく入った人族たちは恐怖に涙を流しだす。
(……おおよそ、奴隷としての刷り込みは終わっているか)
私を見て尿を洩らす少年に眉を顰め、その横を通り過ぎる。
怒りは忘却し、人族としての尊厳を徹底的に破壊され、骨の髄まで魔族への恐怖を染み込ませることで反逆の意思を無くした『奴隷』。
子供の精神は大人以上に脆く、刷り込みし易い。そうした面で、長期的な目で見れば子供の方が抵抗が少なくて済む。
そうした奴隷たちの態度に舌打ちし、私はテントの奥へと進んでいく。
(しかし、まだ抵抗の意思を隠している者もいるか)
奴隷たちが向けてくる目線から強い敵意を感じ取り、視線を向ける。
向いた方向には数人の子供たちが体を寄せ合い身を縮こませながら、けれど明瞭な敵意と殺意が籠もった目で私を睨んでいた。
それは憎悪であり、魔族とは曖昧な形ではなく私へと向けられたものだ。
子供たちをざっと見回し、赤茶色の髪をしたエルフの少女と黒髪のヒュームの少年に合点がいく。
(神官に庇われて子供か。人数が少ないが……まぁ、殺されたのだろうな)
視線に気づかないフリをし、テントの中央に居る母へと近づく。
真っ赤な返り血に濡れ、エプロンを血で染めながら機械的に少年を生きたまま解体する母の前に立つと、母は顔を上げる。
「……どうかしましたか?」
「いや、何で幼子を解体しているのかと思って」
「逃げ出した者への見せしめです」
そう言いながら、少年の腹から肝臓が引き抜かれる。
「ゴヒュッ!?ヒュー、ヒュー……」
血を吐き出し、血を喉に詰まらせながらしかし意識だけはハッキリとしているようで目を見開き天井を見上げている。
死を待つ者に送る惨たらしく、苦痛しかない拷問。
(……呪いだな。強制的に意識を持たされ、生かされている)
その様子に気後れしていると、母は心臓を引き千切り適当な子供へと投げつける。
先程まで生かされていた者の心臓が顔についた少年は絶叫し、他の者にも恐怖が伝播していく。
「子供は愚者ではありません。罰を受ける姿を見れば多少なりともリスクの計算はできます。そして、生き残るためにより生存確率の高いだろう選択をします。ええ、恐怖とは人を縛る見えない鎖なのです」
母は息絶えた少年をテーブルから下ろし、グローブを外すと用意していた椅子に座った。
私もまた影で椅子を作り、その上に座った。
「なるほど。……それで、私をこんな場所に呼んだのは何故だ」
「それは、貴女に逃げてもらいたいからです」
「……逃げる、というのは」
「この集落の破滅から、です」
母の言葉に私の心臓がドクンッと跳ねた。
集落の滅び。それは人族の里を襲った事から端を発する破滅であり、自業自得のもの。
母もまた、私と同じような帰結に至っていたのだ。
「人族は無能でも無ければ凡愚でもなく、また規模を拡大し続けるこの集落を見つけない訳がありません。必ず見つけ、滅ぼします。このデンデラ大平原で私たちは暴れ過ぎたのです」
「……それで、私を逃がそうとする理由は何故だ」
「理由ですか。単純な話です。この集落に未来がないからです」
血のついた肉切り包丁を手の中で回しながら母は声を弾ませながら答えた。
曰く、この集落が滅びる以上逃げたい者は逃げるべきで、それを促したりすることを黙認している。
現に、そうした動きがあるためか既に何人かの同年代は逃げているらしい。
(未来が無い、か。その割には随分と楽しげだな)
本来なら悲壮感が漂うはずの内容なのに、その表情は笑みを浮かべ愉快げに語っている。気持ち悪いほどの違和感であり、また母らしからぬ態度だ。
「……おおよそ、それは目眩ましの時間稼ぎに過ぎないのだろ?」
「正解です」
警戒混じりの言葉に母は肉切り包丁を地面に突き刺し、拍手する。
標的の集落から逃げれば情報の収集と被害拡大を危惧し人族は動かざるをえない。
その間にいつでも戦える準備を整える――それが母と親父の目論見なのだ。
(そのためなら娘である私を使うか……合理的ではあるが悪趣味極まりない)
戦う前に逃げる臆病者は使えない。
なら、使えないなり集落のために時間を稼げ。
残忍で残酷な、自分以外の全てを用いる残虐な魔族らしい発想。
それをある程度理解できてしまう――魔族として染まっている私自身を認識し、舌打ちする。
「……それで、何人逃げた」
「三ヶ月の内に8人。皆、人族の冒険者に始末されましたよ」
「よくわかるな」
「呪詛魔法なら容易いですよ」
「なるほど」
テーブルに立て掛けていた杖を手に取り、抱くように持つ。
呪詛魔法は肉体・精神・魂へと干渉する魔法系統の一つ。
『初級魔法教本』によれば、人族社会では呪詛魔法はその凶悪さから習得を規制されている。しかし、人族の法が通じない魔族社会では社会維持や戦闘補助の目的で発達している。
母は薬師であると同時に呪詛魔法の使い手――呪詛師でもあるのだ。
(そも、母は戦闘特化の人間ではないからな。……戦闘特化でなくても戦いの才能があるのだが)
強者たらんとする戦士と強者は似て非なるもの。
前者は強きを目指し己を高める事を是としそれを目的とする者。
後者は戦いの才能があるだけでそれを高めようとしない者。
母は後者であり、しかし破格の才能を持つ者でもある。故に強いのだ。
「【万象千里】。視覚の情報を一方的に盗み見る魔法です。脱走者には皆これをつけているのですよ」
「……呪詛魔法、意外と便利だな」
「ええ、とても便利ですよ。……というわけで、本題です。今日から呪詛魔法を教えます」
「……はぁ?」
首を傾ける私をよそに、母は椅子の下に置かれていた本をテーブルに置いた。
全てが呪詛魔法に関する書籍であり、またその厚さは全て辞書にも匹敵する。
「呪詛魔法は搦め手にとても有効です。また、実際に使わなくても搦め手の知識と技術は決して無駄にはなりません」
「それはそうだが……」
母の言葉は正しい。
呪詛魔法は他の魔法と違い手間暇かけて魔法を発動させる。そのため、普通の戦闘には向かない。
しかし、普通の戦闘以外のこと――情報収集や拷問、暗殺など後ろ暗いことは他の魔法以上に使える。
(ふむ……そう考えてみると、学ぶ意義はあるか)
今までは直接的な戦闘に関する技術と経験を積まされてきた。
しかし、それだけでこの世界を生き残れるとは思えない。戦いを効率的に回避し、また効率的に勝てるようにするのも同じくらい意味がある。
(何より、私が持つ知識や技術以外を学ぶのもまた一興。ここは一転、新しい知識や技術の収集するのが吉か)
脳内を巡る思考を正し、立ち上がり頭を下げた。
「呪詛魔法、教えてください」
「ええ、構いませんよ。とりあえず前提知識、全て頭に叩き込んでください」
ニッコリと血に濡れた顔に満面の笑みを浮かべた母は、本を手に取り差し出してくる。
その本を受け取り、私は影の中に仕舞うのだった。
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