婚約破棄されて傷心な悪役令嬢ですが、筆頭魔法使いな幼馴染に囲われています

@sakurairoharukaze

短編



「ソフィア!!君のアージアに対しての卑劣な悪行はこの国の王妃となる者として相応しくない!!僕はここに君との婚約破棄を宣言する!!」


 そう宣言されたのは王が隣国へ往訪し、王城で不在の間に王太子レオナルド・グリフォスが独断で開いた夜会でのことだった。


 王太子が婚約者の公爵令嬢に対して、婚約破棄の宣言をした事に会場が騒めき立つ。驚く者、好奇の目を向ける者、軽蔑する者、反応は様々だった。

 そんな中寄り添い合い、敵意を向ける茶髪赤眼の王太子、レオナルドとその恋人アージアを前にソフィアと呼ばれた少女は優雅に微笑んだ。


 櫛通りの良い真っ直ぐな銀髪に同系色の瞳。透き通るミルクの肌に華奢な肢体。その身を包むドレスは品がよく、佇むその姿は妖精のよう。そんな美貌から放たれる笑みに会場中が感嘆の息を漏らす。


「あら、ただ、常識知らずの平民の娘を躾直していただけですのに。こちらこそ、そんな芋臭い娘に御執心の王子なんて御免被ります。その婚約破棄承りましょう」


 そこで一区切りし、ソフィアはゆっくりと観客を見回した。そして、ドレスの裾を掴み、優美なカーテシーを披露する。


「それでは皆様、お騒がせしました。どうぞパーティーを心ゆくまでお楽しみください。私はこれにて失礼致します」


 完璧な所作で別れの挨拶をして、ソフィアはどよめく会場から立ち去った。

 自分の本心を噯にも出さず、淑女の仮面を被ったまま。ソフィア・イヴレーアは婚約破棄をされたのだった。




 ***




 屋敷に戻ったソフィアは、公爵令嬢としての武装を解き、動きやすいネグリジェに着替えた。そして、侍女達に、お気に入りのブレンドティーとありったけの菓子類を用意するように命じた。


 主人の命令をこなした侍女達を下がらせて、ソフィアは一人きりになった。自室で大きく深呼吸をし、助走をつけてベッドまで走り出す。


「〜〜〜うぅ………」


 勢いのまま、ベッドに埋もれたソフィアは声にならない声を発する。


「フラれたぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜!!!!」


 爆発したソフィアの心からの叫びは、フカフカの布団に飲まれ、館内に響く事はなかった。


「フラれた!!フラれた!!何でよぉ!!いや、分かってはいたけど!!レオナルド様が私の事なんて眼中にない事知っていたけど!!あんなポッとでの女に恋するなんて誰も思わないでしょう!?今は私の事好きじゃなくても、夫婦になれば愛が芽生えるわよね⭐︎って思っていたのに!!!しかも相手は平民よ!!身分差もあるのに馬鹿じゃないの!?」


 ソフィアの絶叫という名の愚痴は続く。


「あの女もあの女よ!!レオナルド様にベタベタ近づいて!!婚約者のいる相手に対して無礼なことをしている自覚あるの!?はしたないにも程があるわ!!それを注意したら過剰なまでに怯えるし!!レオナルド様もあんなブリブリ女にデレデレしちゃって!!私みたいに目つきが悪くて、威圧感を感じさせる女とは対極的な子だったから!?」


 ちなみにこの愚痴は部屋から漏れない程度の声で喋り続けている。

 例え、失恋して、自棄になっていてもそれを周囲に悟らせないのは、長年王妃教育を受け続けてきたソフィアのプライド故だった。


「……せっかく用意してもらったお菓子を食べましょう!!落ち込んだ時は美味しいものよね!!」


 うつ伏せになっていたソフィアはムクリと起き上がり、サイドテーブルに置いている菓子類に手を伸ばし、口に含んだ。イヴレーア家専属料理人が作ったクッキーはソフィアの好物なのに、美味しいと感じられなかった。口直しにフルーツの入ったブレンドティーも飲んだが、それも味気ない。その理由をソフィアはもう分かっていた。

 じわりと視界がボヤけていく。それを振り切るようにかぶりを振ったが、効果はなかった。


「……どうして、私では駄目だったのですか……レオナルド様……」


 耐えきれなくなった涙がソフィアの頬を伝って、ティーカップに零れ落ちた。次から次へと溢れる涙を止めようと強く目を瞑るが、堰を切った涙は止まらない。


 例え、政略的なものだとしても、ソフィアはレオナルドが好きだった。

 このお方と結婚するのだと両親に言われ続けて刷り込みのように恋したのかもしれない。それでも、レオナルドが微笑むと、ソフィアも嬉しくなって自然と頬が紅潮した。レオナルドと話す時はいつも緊張しているのに、胸が高鳴って仕方なかった。レオナルドと結婚する未来を想像しては頬が緩んだ。

 でも、夢は壊された。他でもない、レオナルド本人の手によって。


「うっ、うぅぅ……」


 アージアとの仲も、ほんの戯れだと思っていた。レオナルドの婚約者はソフィアだ。いつかは自分に目を向けてくれる。そう信じていたのに。


(その結果が婚約破棄だなんて……念の為、お父様とお兄様に話を通して、婚約破棄の手筈は整えていたけれど…本当にする事になるなんて……)


 ソフィアもただ見ていただけではなかった。婚約者の立場を守ろうと、レオナルドと対話した。アージアに苦言を呈した。けれど、行動すればするほど、レオナルドはソフィアから離れていく。恋しい人は冷ややかな目を向けてくる。二人の仲を見せつけられたソフィアは限界だった。このままでは、本当に醜い人間になりそうだったから、自分から婚約破棄の手筈を整えたのだ。…心のどこかでそうならないようにと祈りながら。


「そんなに私と結婚するのが嫌だったのですか…レオナルド様……」


 愛する人の心を掴むことが出来ず、辛うじて繋がっていた婚約者という関係を断ち切られたソフィアに残ったのは長年煮たたせ、燻ったままの恋心だけだった。


 嗚咽を漏らしながら、涙を拭う。そして、目の前のお菓子の山を処理しようと手を伸ばそうとした時、


「うわっ、お前こんなに食うのかよ。しかも夜にお菓子って…太るぞ」


 聞きなれた、意地悪く低い声が耳に入った。


 ソフィアは声の主である男ーー神出鬼没な幼馴染を睨みつけた。


「なに勝手に入ってきているのよ!!エドガルド!!」


 エドガルドと呼ばれた男は、銀色の髪を一つに結わえ、紅玉の瞳をした絶世の美男子だった。

 エドガルドはソフィアが五歳の時にイヴレーア家に引き取られた。現在は家から出て、魔法士団で功績を上げて、筆頭魔法使いと名高い人物だ。

 互いに血の繋がりはないが、歳が近いソフィアとエドガルドは本当の兄妹のように育ってきた。


「ここは俺の家でもあるんだぞ。どこに居ようが自由だろ」

「ここは私の部屋よ!!ここに転移するのはやめろって何度も行っているでしょう!!…って、お菓子を食べるなー!!ベッドに座るなー!!せめて私に許可をとりなさい!!」


 勝手にお菓子を食べ始めた上にドカッとベッドに座るエドガルドの横暴さに、ソフィアは必死に抵抗したが無意味だった。エドガルドは我が物顔で部屋の主であるソフィア以上に寛いでいる。


「ハァ……あんたが自分勝手なのはいつもの事だけど……なんでよりによってここに来るのよ…」

「ソフィアがぐずぐずと泣きじゃくっていると思ったからな」


 小さく呟いた独り言が聞こえていたらしい。


「お前、嫌なことがあった時はいつも部屋に篭って好きな物を食べるだろう。こっちに戻って来たら、屋敷中から甘い匂いがしたしな。案の定、今回もそうだったわけだ」


 そう言うと、エドガルドはくしゃりとソフィアの頭を撫でた。


「お前は人に慰められるのが嫌で部屋に篭ったんだろうが残念だったな。俺は、お前の弱った姿を見るのが好きなんだ。好きなだけ泣いて、食べて、我慢した事全部、吐き出せばいい。この俺がちゃんと受け止めてやるよ」


 どうして、いつもは意地悪なくせに、こんな時だけ優しいのだろうと思う。そんな事を言われたら、また泣いてしまう。本当に何かもを晒して、甘えてしまいたくなる。


「おい。食べないのか?美味いぞ」


 俯いて、涙を堪えようとするソフィアの口にエドガルドはクッキーを突っ込んだ。

 驚きながらクッキーを咀嚼するとサクッと軽い食感と柔らかな甘さが口に広がる。さっき食べたクッキーとは別物のように美味しく感じられた。


「……美味しい…」

「だろ?」


 ニヤリと悪戯が成功したようにエドガルドは笑う。それを前に、気づけばソフィアは涙を流していた。


「わ、私……」

「…うん」


 優しい声に促されるまま、辿々しい言葉を紡ぐ。


「本当に、本当に…レオナルド様が好きだったの……本当に大好きだったの……大好きな人と結婚できるって舞い上がって、私は世界一幸せな女の子だって思って、辛い王妃教育も頑張った…でも、頑張れば頑張るほど、レオナルド様は私から離れていって……アージアを好きになったのよ……それでも、いつかレオナルド様も私の事を好きになってくれるなんて夢を抱いていた……その結果が婚約破棄よ…滑稽でしょう?」


 ただ、エドガルドはソフィアの背中を擦りながら話を聞いてくれた。大きな手のひらがソフィアに全てを吐き出す勇希をくれる。


「でも……本当に愚かなのは、そんな事になっても、レオナルド様を好きなままの私……晒す様に婚約破棄されてもレオナルド様の事を嫌いになれないんだから…本当に馬鹿…」


「お前は馬鹿じゃねぇよ」

 その言葉に驚いて、ソフィアは顔を上げる。

 エドガルドは真剣な目をしていて、その秀美な眉は不満げに歪められていた。

 もしかして、彼はソフィアのために怒っているのだろうか。

(普段、バカバカ言ってくるくせに何なのよ…)


「お前は馬鹿みたいに一途だっただけだ。それは、お前の長所でもある。本当に馬鹿なのは、分かりやすいハニートラップに引っかかる王太子のほうだ」

「私の事も馬鹿って言ってるじゃない…」

「お前への馬鹿は褒め言葉だ」

「分からないわよ」


 グスグスに泣きながらもエドガルドとのやり取りにソフィアは自然と笑顔を浮かべていた。

 魔法師団に入ってから疎遠気味になっていた幼なじみなのだ。彼との会話は懐かしさを思い出させ、辛い気持ちを和らげていく。


「ありがとう。エドガルド、少し元気でた」

「そうか」


 そう微笑みかけると、エドガルドも優しい笑顔を浮かべていた。いつもは皮肉気に弧を描く顔が優しく見えて、ソフィアはドキッとなる。


(なんでそんな優しく笑うのよ…調子が狂う…)


 なんだかエドガルドの顔を見れなくなり、ソフィアはプイッと顔を背けた。


「おい、なんでそっぽ向いたんだよ」

「べ、別に……」


 返事を濁すソフィアの視界にエドガルドの手が映る。なんだろうと、ソフィアが瞬く。次の瞬間、ソフィアの白い頬はみょーんと引っ張られていた。


「に、にゃによ!!いひゃい!!」

「相変わらずよく伸びるほっぺだな」

「ひゃひゃめなさい!!」


 ソフィアがもごもごと怒鳴るが、エドガルドは手を止めてくれない。むにむにとソフィアの頬が上下左右に動く。しばらくして、満足したエドガルドが手を離した。


「よし、それだけ怒る元気があるなら大丈夫だな」

「ううっ…誰かさんのせいで疲れ切ったんだけど」


 ソフィアが睨むが、エドガルドは優しい笑顔のままだ。


「もう、相変わらずなんだから…」


 そうぼやきつつも、変わらない幼馴染を前にソフィアは心底嬉しそうに笑ったのだった。



 それから数日後。


 舞踏会の招待状がソフィアの元へ届いていた。手紙に蝋風されているのは王家の紋章だ。ソフィアは大きなため息をつきたくなった。


 王家主催ということはレオナルドとアージアも参加しているだろう。ソフィアは舞踏会に参加するか悩んだが、王家主催の舞踏会であり、断るのは失礼にあたること、兄から進められたのもあり参加することを決意した。


 そして、舞踏会開催当日。兄にエスコートされたソフィアが舞踏会に入場する。

 そこには当然、レオナルドとアージアもいた。二人の姿に胸が軋む。しかし、それも束の間。すぐに社交ダンスが始まった。兄にエスコートされ、軽やかなステップを踏み出す。

 その時、ふと、エドガルドの後ろ姿が見えた。


(なんでエドガルドがここに?)


 エドガルドは王城で働いているため、王城にいること自体はおかしくない。しかし、参加者の多くが貴族の舞踏会に魔法使いがいるのは違和感があった。


 不思議に思ったが、ステップを踏むごとにエドガルドの姿が遠のいていったため、あまり深く考えないようにした。


 この時、予想外の事が次々に起こるとはソフィアは思いもしなかった。



 一通りの社交ダンスが終わった後、王が長い黒髪を揺らしながら会場に現れた。会場の参加者全員が口を閉ざし、王に注視する。その鎮まり切った会場を赤眼で見渡してから、王はレオナルドの王位継承権を剥奪すると宣言した。


 会場が大きく騒めいた。レオナルドはどうしてと王に抗議した。しかし、王はそれを一喝した。


 レオナルドはアージアに溺れるあまり、アージアの実家、商会の裏の商売ーー人身売買や麻薬栽培の補助をしていたのだ。それも、国庫を独断で使用して。

 アージアは違うと言い訳をした。王はアージアを睨め付け、商会の黒い証拠が見つかっている事、商会が取り押さえられている事を告げた。


 抵抗しようとした二人は衛兵に押さえつけられた。


「これは何かの間違いだ!!僕は王子だ!!騙されていただけの被害者だぞ!!父上!!」

「こんなの可笑しい。何かの間違いよ。王子を籠絡して、権力を手に入れようとしただけなのに…」


 大声で喚き散らすレオナルドとぶつぶつと不気味に呟くアージアをソフィアは呆然と見送った。


(まさか、あの二人にそんな裏があったなんて…レオナルド様、そんな判断もつかないほど落ちぶれていたのね…)


 元婚約者の愚かで醜い姿は百年の恋も醒めるほど見苦しかった。


(どうしてあんな人を好きだったのかしら。私も可笑しくなっていたのかも…)


 レオナルドを純粋に慕っていた自分がにわかに痛々しく思えてソフィアは頭を抱えたくなった。


 そうしている間にも二人の断罪は続く。

 

「ち、父上!!僕はこの国ただ一人の王子なんだぞ!!僕がいなくなったら王位を継ぐものがいないではないか!!僕の王位が奪われるのは間違っている!!」


 最後の抵抗と言わんばかりに叫ぶレオナルドを冷たく睥睨して、王は「問題ない」と口にし、ある一点を見つめた。

 それが合図だったのか、上等な礼服に身を包んだ銀髪赤眼の精悍な青年が前に出てきた。


(エドガルド!?)


 皆、突然エドガルドが前に出てきたことに驚き声をあげる。


 しかし、エドガルドは観衆には目を向けず真っ直ぐに王の元へ歩み出す。

 一歩、歩むにつれて、エドガルドの月の光のような銀髪が夜を染める黒へ変わっていく。それを見て、息を呑む声があちらこちらから聞こえた。


「そ、そんな馬鹿な……」


 レオナルドの震えた声が妙に大きく会場に響き渡った。

 

 エドガルドが王の前立ち止まり、その場で跪く。黒髪赤眼の姿形を見つめ、王が口を開いた。

 

「第一王子だったレオナルドは王位継承権を剥奪された。エドガルド・グリフォス。貴殿を次代の王として任命する」


 王の宣言に会場が大きく騒めき、エドガルドに視線が集中する。


「エドガルドって…確か幽閉されていた王太子の名前じゃなかったか?」

「いや、魔法師団筆頭魔法使いだったと思うんだけど…同一人物だったのか…」


 ヒソヒソと交わされた会話にソフィアは耳を澄ませた。


(エドガルドが王太子だってことは一部の人間のみが知る極秘情報だものね。驚くのも無理ないわ。…私も知ったのは偶然だったんだけど)


 昔、エドガルドとソフィアで屋敷を抜け出して、花畑を向かった際にエドガルドの魔力が切れたのだ。その時に髪色を変える魔法が解け、エドガルドの髪が銀から黒に変わる姿をソフィアは目撃した。


 黒髪赤眼の容姿にエドガルドが王家の血を引くものだとソフィアは悟った。けれど、王家の者として扱われることは彼の本意ではなかったからソフィアはそれを知らないふりをしてきた。


(そんな彼が王位を継ぐものとして君臨することになるなんて)


 ソフィアは驚きを隠せなかった。


 しかし、驚くソフィアを追いて、エドガルドは時期王位継承者の証である紅玉のペンダントを粛々と受け取っている。


「そんなことがあるかぁ!!父上!!王家の血を引くのは私だけです!!どうかご再考を!!父上ぇぇ!!」


 レオナルドの絶叫は新たな王位継承者を祝う人々の歓声と拍手にかき消されていく。

 レオナルドとアージアが手首に縄をかけられて、地下牢は連れて行かれる中、会場では新たな王位継承者を祝うパーティが始まったのだった。




「ちょっと、エドガルドどういうこと!?」

 

 パーティが終わって、ソフィアはエドガルドを問い詰めた。


 怒り心頭といった様子のソフィアにエドガルドは両手を上げて、降参の体をとった。こういう時は早く謝るに限ると長年ソフィアと過ごしてきたレオナルドは理解していた。


「言ってなかったのは悪かったって。でも、俺が王家の血を継いでいることはお前も知っていただろう?」

「それは…知っていたけど、私に教えてくれてもよかったじゃない」


 剥れるソフィアは相当拗ねているようだ。

 エドガルドは謝罪を重ねながら、どうしたらソフィアの機嫌が治るか算段を立てる。


「あー…お前には言いたくなかったんだよ」

「なんでよ」


 ソフィアの眦が吊り上がる。余計に神経を逆撫でしたようだ。


「それはだな…」

「なによ。納得できる理由じゃないと許さないからね」


 口籠るエドガルドにソフィアの機嫌が急降下していく。


「……あー!!面倒くせぇ!行動で示してやる!」


 エドガルドはそう言うと、グイッとソフィアの腕を引っ張った。驚きで目を見張る。刹那、身体が浮遊する感覚に襲われた。

 いつのまにか、ソフィアの身体はエドガルドの腕の中に、お姫様抱っこのような状態で抱えられていた。


「〜〜〜っ!?」

「飛ぶぞ。しっかり捕まっておけ」


 ソフィアが羞恥と困惑で声も出せない中、エドガルドが窓枠へ向かう。

 そして、ソフィアを抱えたまま、窓枠から飛び降りた。


「ひゃぁぁぁ!!!」


 ヒュっと肝が冷える感覚に、ソフィアが悲鳴をあげる。ギュッと閉じた視界の中、バタバタと何かがたなびく音とヒュウヒュウと風の叩きつける音が溢れかえる。

 恐怖で竦むソフィアにエドガルドが力強い声で囁いた。


「大丈夫だ。俺を信じろ」

 

 その言葉を信じて、ソフィアが薄ら瞼を開ける。

 するとーー


「わぁ!!」


 視界いっぱいに美しい光景が広がった。上空に浮かぶのはチカチカと星が瞬く、宝石が散りばめられたような夜空。下方に広がるのは優大な月の光に照らされた王都の街並み。

 天と地に広がる景色は地上だと絶対に見られないものだ。空が近く、地面が遠い。手を伸ばせば届きそうで、全てが掴めそうな景色。

 

「すごい…」


 目の前に広がる絶景にソフィアは感嘆の息を漏らした。


「だろ」


 ソフィアの反応に満足して、エドガルドが得意気に笑う。


「お前、魔法が使えたら空を飛びたいって言ってただろ。お望み通り、空の旅にお連れしましたが、どうですか?お姫様?」


 囁くエドガルドにソフィアは呆れて笑みをこぼす。


「貴方、私のご機嫌とりのためにこんなことしたの?もう…本当に馬鹿なんだから」


 そう呟きながら、目前に広がる景色を一望する。


 不服だが、その企みは成功だと思う。こんな絶景を前にしたら、不満も苛立ちも全て吹き飛んでしまった。


 それに、小さな頃に言ったことをわざわざ覚えてくれて、実践してくれた。エドガルドの気持ちがなによりも嬉しかった。


 ソフィアはポツポツとオレンジの灯りが灯る街並みと影絵のようになっている王城を見下ろす。こうしていると、王城で起きた怒涛の出来事が遠い過去のように思えた。


「本当に色々あったわね…」

「まあな。流石の俺も今日は疲れた」

 

 ポツリと溢したソフィアの言葉にエドガルドがくたびれた調子で返す。


(こんなに疲れているのに、どうして今更王位継承権を求めたのかしら。普段は面倒くさがりで滅多なことでしかやる気を出さないのに)


 ソフィアはエドガルドの疲労が滲む横顔を見ながら思った。ただ、その理由を聞いても答えてくれないということは言いたくないことなんだろう。

 少しの不満を心の片隅に押しやり、ソフィアはエドガルドへ素直な気持ちを口にした。


「貴方だけの特別な景色を私に見せてくれてありがとう」


 エドガルドの秀美な横顔を眺めながら、ソフィアの言葉は続く。


「これから色々あると思うけど、私だけは貴方の味方だから。大好きよ、エドガルド」


 かつて無邪気な子供同士だった頃に伝えあった言葉。それを言い切ると、エドガルドの瞳が大きく瞠目した。

 しかし、それは一瞬だけのことで。エドガルドの顔色はどこか複雑そうなものに変わっていく。


「どうしたの?」

「…なんでもない、いや……」


 言葉を濁して、エドガルドはゆっくりと地上に降り立つ。降り立った場所は一面真っ白な花が咲き誇る花畑だった。馥郁たる花の香りがふわりと二人を包み込む。


 ストンと地面に降ろされたソフィアは花畑を眺めて、目を丸くする。そこは、幼い頃、エドガルドとよく一緒に抜け出した秘密の花畑だったからだ。


「覚えていたの?」


 ソフィアが問いかけると、エドガルドは当然だと頷いた。


「そうだったんだ。なんだか嬉しい」


 ここでの思い出を大切にしていたのは自分だけではなかった。それが嬉しくて、ソフィアが綻ぶ。

 そんなソフィアを真っ直ぐに見つめて、エドガルドは口を開いた。


「俺も、お前のこと大好きだよ。でも、お前とは違う好きだ」

「え…」

 

「ソフィア。俺はお前が好きだ。俺と結婚して欲しい」


 エドガルドは懐から重厚な青い小箱を取り出した。


「……開けても?」


 神妙にソフィアがそれを受け取って、箱を開ける。箱の中にはソフィアの予想通り、眩い輝きを放つ指輪が入っていた。


「……私、婚約破棄されたばかりの傷物令嬢よ。それに、私はまだレオナルド様のことを忘れきれていない。それでも……いいの?」

「いいに決まっているだろう。俺はそれを含めてソフィアを好きになったんだから」


 エドガルドの言葉にソフィアの胸が熱く甘いもので締め付けられた。早く脈打つ胸が酷く苦しい。それが何故なのかソフィアはすでに知っている。蕩けるような灼けるような感情がソフィアの身体に巡りわたる。

 心臓を落ち着かせるように深呼吸してから、ソフィアは白魚のような手指を差し出した。


「私、婚約者の指に指輪を嵌めようとしない浮気性で意気地なしな殿方は嫌よ」


 エドガルドはしばらく硬直した後に、ソフィアの手を恭しく取った。その華奢な指に花を象ったような指輪が嵌められる。


 銀色の月の光に照らされ、指輪に埋め込まれた紅玉が柔く光った。


「ソフィア・イヴレーア穣。私、エドガルド・グリフォスと結婚して頂けませんか?」


 今更王子様ぶる、幼なじみを前にソフィアは破顔して、勿論と頷いた。

  


 ***


 

 薄暗い王城の地下室。その最奥に位置する地下牢を目指して男は階段を降りていた。


 男ーーエドガルドは顔にかかる黒髪を鬱陶しそうに背中へ払いのけて、牢屋の前で立ち止まった。


「やぁ、兄上。久しぶりというべきかな?」


 エドガルドは冷めた瞳のまま、口角だけを持ち上げて、軽やかに男へ声をかけた。

 兄上と呼ばれた男、レオナルドはエドガルドを忌々しく睨み上げて吠える。

「よく抜け抜けと……!!貴様ぁ!この私にこんなことして許されると思っているのか!!」

「許されるとも。俺は第一王位継承者なんだから」


 「どこかの誰かと違って」と、付け足し、見せびらかすように、紅玉のペンダントを掲げる。


「貴様ぁ!!この国王子は俺一人だけだ!!それは貴様なんぞが持っていい代物ではない!!返せ!!!」


 レオナルドが取り返そうとするが、その動きは鎖に阻まれてエドガルドには届かない。


 エドガルドは嘆息しながら、次期王位継承者の証を懐に戻し、レオナルドを見下ろした。


「今は俺のものなんでね。返さないさ。それにしても本当に俺のことを覚えていないのか?馬鹿だ馬鹿だと思っていたけどここまでとは。…こんなのにソフィアは振り回されていたのか…」


 エドガルドの手に力が籠る。王族でもなくなったこの男で鬱憤でも晴らそうか。そう思った時、「やめておきなさい」と落ち着いた低い男の声が聞こえた。

 

「……」

 

 エドガルドが無言で声の主を見やると、そこには予想通りの人物が立っていた。


「やるなら今、ではなくキチンと準備をしてからです。今はアージアの準備中ですが、次は彼の番なので。余計なことをしたら苦痛に慣れてしまうでしょう?」


 レオナルドを庇い立てるわけではなく、そう言った男にエドガルドは呆れたようなため息を吐いた。


「分かったよ。どこまでも腹黒いお義兄さまおにいさま

「忌憚のない言葉をどうも。それと、僕はまだ貴方の義兄あにではありませんよ」


 ニコニコと目尻を下げた男はソフィアと同じ銀髪に銀の瞳を持っている。彼は、ソフィアの実兄のマイルズ・イヴレーア。ソフィアと兄妹なだけあって顔立ちは似ているが、中身が違うだけでここまで印象が変わるものなのだなとマイルズの顔を見て、エドガルドは思う。


「おや、言っている間に」


 マイルズがそう言うや否や、地下牢の一番奥から、絹を割くような絶叫が聞こえた。それは、徐々に喉を潰すような悲鳴に変わっていく。


「な、何を…何をしているんだ!!アージアは何をされているんだ!?な、なぁ……おい!!答えろ」


 異様ではないアージアの悲鳴にレオナルドが青ざめる。マイルズはキョトンとした顔で「存じていなかったのですか?」と首を傾げた。


「な、なにを……」


 ガクガクと震え始めたレオナルドの問いにエドガルドが答える。


「王城の地下に牢屋があるのは拷問部屋も兼ねているからだよ。つまり、ここに連れられた囚人は取り調べという名の拷問を受けるんだ」

「ぼ、僕は王族だぞ!!王太子なんだ!!なぜ、僕も拷問を受けなくちゃいけない!!」

「元王太子な。お前、セルンズ商会と取引をしていただろう?それには、人身売買、麻薬栽培、隣国との麻薬取引…そういったものに関わっていると調査がついている。念のため、詳しい取り調べをさせてもらうぞ」


 気づくと、アージアの絶叫は途絶えていて、血濡れの兵士達がこちらに向かって歩き出していた。レオナルドは悲鳴を上げながら、兵士達から遠ざかろうとする。しかし、無情にも錠前は開けられた。兵士達が牢屋の中に入り、レオナルドを拘束した。

「い、嫌だぁ!!!僕は関係ない!!全部アージアがやっていただけなんだ!!!僕は被害者だ!!!」

「だが、テメェはそれ以上に加害者だ。王位のことなら安心しろ。俺がいるからな。それに、腐っても王族だ。


 ズルズルとレオナルドが檻から連れ出される。その数分後、地下牢の一番奥。拷問部屋から男の絶叫が響き渡った。



「あんたもエグいことするな。マイルズ」

「ふふっ。それを言うなら貴方もでしょう?私の提案に乗ってきたくせに」

「………」


 言い返せずエドガルドが黙り込む。

 口をへの字にしたエドガルドを見て、マイルズは上機嫌に微笑んだ。


「晴れてこれで君は第一王位継承者となり、ソフィアの婚約者となった。君は好きな子と結婚できて嬉しい。私も妹を馬鹿の嫁にしないで済む。これで全てハッピーエンドですね」

「……今回のこと、ソフィアには言うんじゃねぇぞ」

「もちろん。私もソフィアにこのようなことを知られたくありませんから」

「ならいい…」


 エドガルドはふと瞼を伏せる。瞼の裏に浮かんだのはソフィアの優しい笑顔だった。


(あいつの笑顔だけは曇らせたくないな……)


 きっと、幼馴染や自分の兄が裏で血に濡れたことをしていると知ったら、優しいあの娘は傷つくだろう。


 そう思うと、胸が痛むが自分で選んだことだ。自分のエゴでしかない欲のために。


「俺はもう行く。後のことは頼んだ」

「ええ承りました。しかし、よろしいのですか?レオナルドを殴らないで」

「気が変わった。それに殴る価値もないだろあんな奴」

「なるほど、失礼しました。では、また後ほど」


 「ああ」と返事だけして、エドガルドは地下室から地上へと続く階段を登った。

 今は無性に愛しい婚約者の顔が見たかった。




 エドガルド・グリフォスは妾の子供だった。母は生まれた時からいなかった。病気で死んだらしい。


 エドガルドが不幸だったことは妾の子供が王家の証ともいえる黒髪赤眼を持って生まれたことだった。

 王妃との間に生まれたレオナルドの髪は茶色だ。王家に相応しい色を持っているのはエドガルドの方だった。


 怒り狂った王妃にエドガルドは幼い頃から狙われた。何度暗殺されかけたか分からない。口に入れるもの全てに毒が混じっているのが当たり前だったほど、毒と殺意に塗れた幼少期を送ってきた。


 そんな息子を哀れに思ったのだろう。王はエドガルドを幽閉したと宣言し、その裏で髪の色を隠したエドガルドを侯爵家に預けていたのだ。


 そこで、エドガルドはソフィアに出会った。

 ソフィアをいつ好きになったのか。エドガルドは分からない。明確な理由やきっかけはなくそれが当たり前のように自然とソフィアを好きになった。温かな笑顔が優しい声音がその全てが好きだった。


 だが、すでにソフィアはレオナルドの婚約者だった。

 ソフィアはレオナルドを一途に思っていた。エドガルドは叶うはずのない恋をしてしまったのだ。

 

 もし、自分が堂々と王位を主張できる立場ならソフィアと結婚出来たかもしれない。何度もそんな思いが過った。その度にソフィアが好きな人結婚できて幸せならそれでいいと抑え込んできた。


 しかし、レオナルドはソフィアを蔑ろにした。相手を思うからこそするソフィアの忠告をレオナルドは全て無視し、耳あたりの良い言葉を囁くアージアに溺れた。


 その時の激情は耐え難いものだった。

 俺だったらソフィアにそんな顔させない。ずっとソフィアを愛して幸せにして見せるのにと。


 そんな時、マイルズにある話を持ちかけられた。


 王妃を暗殺し、レオナルドを失脚させて、エドガルドが次期王位継承者になる話を。


 エドガルドはそれに乗った。王位なんて欲しくもなかったが、クズを退け、ソフィアを幸せにできる立場が欲しかった。


 そうして、マイルズ協力の元、王妃を毒殺し、王に話を持ちかけ、レオナルドを失脚させて、エドガルドは次期王位継承者になったのだ。


 血の匂い漂う地下室から出て、エドガルドは湯殿で体を清めた。

 血の匂いをもってソフィアに会うのは気が引けたのだ。


 王城の一角、歴代王太子妃の私室に入ると、ソフィアが行儀良くソファーに座り込んでいた。


「エドガルド!」


 パァッと顔を明るくして、ソフィアが笑いかける。その表情を見つめて、エドガルドの頬が自然と綻んだ。


「どうしたの?」

「なんでもねえよ」


 ジッと不思議そうに自分を見つめるソフィアから目を逸らす。ソフィアは意外と勘が鋭いため、何かあったのか言及されるのを避けたかった。


「そんなことより、この部屋はどうだ?代々王太子妃が使用する部屋らしいが、お前の趣味に合わなさそうだったんでな。俺がお前の好みに合わせてみたが感想は?」

「そ、それは家具も部屋の雰囲気も私の趣味に合ってるしいいんだけど……」


 もごもごとソフィアが口籠る。よく見ると、少し伏せた顔は頬が赤い。


「なんだ?妃扱いされるのが恥ずかしいのか?」

「そ、そんなわけ…ある、けど……」


 湯気が出そうなほど紅潮したソフィアを心底可愛いとエドガルドは思った。その可愛さで世界が救えると馬鹿みたいなことを大真面目に思った。


「お前は俺の婚約者なんだから堂々としていればいいだろう」


 少なくともレオナルドの時は堂々としていたはずだとエドガルドが言う。


「れ、レオナルド様とは違うの!!貴方のは…その気恥ずかしいというか…」

「……ってことは」


 その言葉を聞いて、エドガルドが一歩ソフィアに近づく。エドガルドが覆うようにソファーに手をついた。二人分の体重がかかってソファーが弛む。


「な、なによ」


 頬を赤くしたまま、ソフィアは自分を覆うエドガルドを睨み上げた。

 エドガルドはソフィアの髪の人房を耳にかけ、そのまま耳元に唇を寄せて囁いた。


「俺を意識しているってことか?」

「〜〜〜〜っ!!」

 耳朶を打つ低い声にソフィアは声にならない声を上げた。もはや爆発しそうなほど、首まで真っ赤になったソフィアは近くにあったクッションをエドガルドに投げつけた。


「こ、婚姻前なのに近すぎるのよ!!馬鹿!!」


 そう叫んで、ソフィアは部屋から飛び出した。

 その後ろ姿を見送り、エドガルドは無邪気に笑い出した。


 ソフィアが自分を異性として意識している。その事実は歓喜せざるを得ないだろう。エドガルドは一通り笑って、大切な婚約者を捕まえに立ち上がる。


「絶対に逃すわけないだろ」


 それは長年の片思いを拗らせた重たい執着が滲んだ声音だった。


 エドガルドはどんな手を使ってもソフィアを逃さないし、そのために為したことを隠し通すだろう。美しく清らかな彼女の目に入らないように。


 鮮やかな魔法で彼女の目を塞ぎ、血の赤を覆い続けるのだ。

 


 数年後ーー黒髪赤眼をした精悍な王太子と銀髪銀目の美貌の王太子妃の婚姻が行われた。


 二人は時に喧嘩し、時に笑い合いながらいつまでも仲睦まじく過ごしたという。





 



 

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婚約破棄されて傷心な悪役令嬢ですが、筆頭魔法使いな幼馴染に囲われています @sakurairoharukaze

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