第57話 advent of the god of darkness


 気が狂いそうな激痛。アッシュが自身の腹部に視線を落とせば、そこには深々と脇腹に突き立てられた剣。脇腹は焼きごてを当てられたように熱を帯び、まるでそこに心臓があるかのようにドクドクと脈打って──


「………………ッ!!」


 ──なんとかアッシュが声を出さずに耐える。だが噛み締めた歯はバキバキと音を立て、痛みに耐えるように握った拳からは血が滴る。目の前ではニーナが「違うの! 違うのアッシュ! 私じゃないの! うぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ごめんなさい! ごめんなさいアッシュ!!」と絶叫している。離れた場所では音楽隊の男に組み敷かれたユーネが身を捩りながら泣き叫び、それを満足そうに眺めるビューネスの姿。



 痛い……

 痛い痛い痛い……

 うぅ……ごめんニーナ……

 大丈夫……

 僕は大丈夫だからそんなに苦しそうな顔しないでくれよ……



 そんな思いから、アッシュが優しくニーナを抱きしめ、背中をさする。声を出すことは出来ないので、大丈夫だよと行動で示すしかない。そんな二人に向け、シェーレが剣を構えてゆっくりと歩み寄る。表情は今にも死んでしまいそうなほどに苦しそうで、「アッシュ! 今すぐ私を殺して! お願い! お願いだから!!」と叫んでいるが、剣はしっかりとアッシュに向けられている。そうしてシェーレが構える剣の切っ先がアッシュの目に向けられ──

 つぷり──と、ゆっくり差し込まれた。


「あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!!」

 

 アッシュの目が焼けるように熱くなり、次いで耐え難い激痛から叫び声を上げる。そんな様子を眺めていたビューネスが「あらぁ? 声ぇ……出しちゃったわねぇ?」と言って笑った。それと同時、音楽隊の男が組み敷いているユーネのワンピースを乱暴に破く。

 「嫌だぁ! やめてぇっ」と泣き叫ぶユーネ。

 「違うぅぅ……違うのぉぉぉぉ……」と吐いてしまいそうな程の嗚咽を漏らすニーナ。

 「私を殺して!」と叫ぶシェーレ。

 楽しそうにくるくると回りながら、「あはぁ?」と笑うビューネス。



 痛い……

 痛い痛い痛いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……

 あ……あれ……?

 な……なんで僕はこんな……こと……に……?

 うぅ……

 痛……い……

 耐え……た先に……

 希望……は……

 なん……で……みんな……

 泣い……て……

 あ……あ……耐え……る……?

 倒……す……?


 

 朦朧とする意識と迷走する思考。もはやアッシュの頭は痛みに支配され、自分が何をしているのかを考えることもままならない。あまりの痛みで膝から崩れ落ち、そうして向けた視線の先では、ユーネがワンピースを全て破かれ、下着姿で泣きじゃくっている。


「あはぁ? よくよく考えたらこの出来損ないってぇ……ワンピースだからもう次で終わりぃ? それとも下着の上下で分けるぅ?」


 そう言ってビューネスが笑い、泣きじゃくるユーネの頭を楽しそうに踏みつける。吐き気を覚える程の純然たる悪意。ただただ他者の尊厳を踏みにじり、悪意を垂れ流しながらビューネスは笑う。

 そんな狂った光景をただ見ていることしか出来ないアッシュの背中に、新たに耐え難い激痛が走った。

 シェーレとニーナの握った剣が、アッシュの背中に突き立てられたのだ。

 喉が張り裂けんばかりのアッシュの絶叫。

 そうして「声ぇ……、漏らしたわねぇ?」と言ってユーネの下着を自ら破り捨てるビューネス。ユーネは泣きすぎて過呼吸のようにヒューヒュー喉を鳴らしていた。


「あはぁ? 次に声を漏らしたらぁ……、この出来損ないを犯して貰うわぁ! 一度声を漏らす度に一人だからぁ……、長ぁく楽しめるわねぇ?」

「ぐうぅ……くそ……、くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 一周目──聖者の力を授かった時、自分が魔王を倒して世界を救うのだと自惚れた。

 二週目──魔人の力を駆使すれば、一周目のバッドエンドを回避出来ると希望を持った。

 そうして今、自分は何も出来ないでただ叫んでいるだけだとアッシュが絶望する。

 一周目も二週目も、何一つ守ることは出来なかった。そのうえ自分のことでさえも分からなくなっている。自身を構成する詩音しおんやラグナスという二つの魂。失われた記憶とその映像や、腹部に浮かんだ縦縞バーコードの痣。自身の住むルナヘイムと、ホープの住む地球。ユーネが想いを寄せていた、ルシオンという詩音しおんと名前の響きが似た存在。ランナが言っていたこの世界の黒幕。

 何もかもが分からなくて、痛くて、悔しくて、ただ叫んでいる自分が情けなくて──


 じわり──と、アッシュの体から黒い霧が滲み、自身の心の底、何か暗い淀みのようなものが蠢いた。


 殺せ──


 蠢く淀みが、澱のように心の底に溜まっていく。


 抉れ──


 溜まった澱が迫り上がり、心の中から溢れていく。


 縊れ──


 溢れた澱が形を成し、アッシュという人格を蝕んでいく。


 落とせ──


 アッシュの中で、バチンッと何かが弾けた音が響く。


 灰燼に帰す雷撃を──


「あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!!! 殺してやる! 殺してやるよビューネスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」


 大気が震えるほどのアッシュの咆哮。怒りで体が震え、抑えきれない殺意が暴風のように吹き荒れる。どす黒く、ドロドロとした感情が体中の細胞から溢れてくる様な感覚。



 殺す!

 あいつを殺す!

 殺して殺して殺して……

 殺す!!!



 気付けばアッシュは、拳の骨が折れるほどの力でビューネスを殴り飛ばしていた。アッシュの灰色がかった髪と瞳は漆黒に染まり、ビキビキと音を立てて二本の角が額に生える。見た目は冥府の王によって変身するエクスルシオンのようではあるが、言葉では言い表せない程の禍々しさを醸している。体からはバチバチと雷を迸らせ、口からは「殺す」という言葉だけが漏れ出ていた。

 


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