第45話 Sランク冒険者


 ──冒険者ギルド『アースガルズ』前


 まるでアッシュの心を映すかのように、ザアザアと雨が降る。そんな土砂降りの雨の中、アッシュが冒険者ギルドの前に俯いて佇む。

 時間を巻き戻してからのこの短期間で、自身を取り巻く環境が激変した。いや、これまでは気付いていなかっただけで、自分は何も知らずにアホみたいに生活していたんだな──とアッシュが思う。


 自身を構成する「ラグナス」と「詩音しおん」という二つの魂。どこかバランスの悪いルナヘイムに、突如現れたビューネスと弱っていくユーネ。アランやシェーレ、ユーネが描かれた『ヴァンズブラッド─黒と白の英雄譚─』という本。その本の主人公、ノヒンの息子だというホープ。本の中でラグナスは大量虐殺を行い──


「もう訳が分からないって……」


 アッシュが顔を手で覆いながら、力無く呟く。考えなければならないことは他にもある。ターニャを抱いてしまう前、頭の中で響いた「殺せ」「殺しちゃダメだ」「抉れ」「守らなきゃ」「犯せ」「救うんだ」という相反する二つの声だ。

 頭の中で声が響くと同時、アッシュは自分の中にある劣情を抑えられなくなってしまった。暴力的なが自分の中で蠢いた感覚がして、ターニャを乱暴に抱いた。

 さらにアッシュに目覚めた新たな力──おそらく無詠唱特殊魔術──によって、ターニャは欲情させられていたのかもしれない。加護にもおそらく無詠唱特殊魔術が追加されているが、UNKNOWNと表記されて詳細は分からない。



 ターニャがあんなに興奮したのは、この縦縞バーコードの痣のせいだよな……

 ターニャは気にしないでって言ってたけど……

 いったい僕は何をやってるんだ……

 でもよくよく考えれば、この痣は元からうっすらとあった……

 もしかして今までも僕は周りによくない影響を与えていたのかもしれないよな……

 ああくそ……

 分からないことだらけでもやもやする……

 だけどとりあえず今は、ビューネスを倒すことに集中しないと……



 雑念を振り払うようにアッシュが頭を振り、冒険者ギルドの扉を開ける。ギルドの中は賑やかだったのだが、アッシュが入ると急に静まり返ってしまい、目を合わせないようにしている者も複数いた。



 前回はちょっとやり過ぎたか……

 まあ毎回絡まれてしまうよりはいいけど……

 それよりあの投げナイフの男がいないな……

 さすがに前回のことで気まずくて来れないのか……?

 


 そんなことを考えながら、アッシュがまっすぐ二階へと向かう。二階へ上がると、すでにユーネとベルジュが楽しそうに話していた。


「もう具合はいいのか?」

「うん! ちょっと寝たら元気になったよ!」


 そう言ってユーネがアッシュに駆け寄り、ギュッと抱きしめて「おかえりアッシュ」と笑顔を見せる。そのままユーネは「えへへ」と笑って依頼ボードの前まで行き、ふんふん鼻歌を歌いながら羊皮紙に書かれた依頼を眺め始めた。


「ユーネは相変わらず無邪気だなぁ。それよりベルジュもありがとうな」

「気にしないで。それに寝てるユーネちゃんを堪能させて貰えたから満足よ」

「変なことしてないだろうな?」

「変なことって何かしら? そんなことよりお姉さん気になるんだけど……」


 そう言ってベルジュがアッシュに近付き、耳元で「誰かとえっちしたでしょ?」と囁いて息を吹きかける。


「え……?」

「私そういう雰囲気が分かるの」

「い、いや……」

「……っていうのは冗談で……」


 再びベルジュがアッシュの耳に口を近付け、「首筋に少し口紅が残ってるわ。も少しするし……こういうのはちゃんとしないとダメよ」と言って、おそらく首筋に残っている口紅を指で拭ってくれた。


「そ、そういう匂いってなんだよ……」

「実は私、こう見えて上位職なのよ? 調香師っていう生産職だからステータスは低いけど、匂いには敏感なの。アッシュからは雨の匂いに混じってえっちな匂いがするわ」


 そう言ってベルジュがアッシュに顔を近付けて匂いを嗅ぐ。



 そういえばベルジュは調香師だったな……

 香りの媚薬とか研究してた気が……

 まあ僕は状態異常無効だから効かなかったけど……

 ベルジュ自身が興奮して大変だった思い出が……



 生産職──

 それは建築や生産、音楽や絵画など、主に戦闘に直接関係のない職業の総称。総じてステータスは低く、だが人々の暮らしを豊かにする重要な職業である。


「き、気を付けるよ」

「まあ恋愛は本人の自由だけど……、でもなんでかしら? 私にはアッシュが簡単にには見えないのよね。それになんだか苦しんでいるようにも見えるし……」


 そう言ってベルジュがじっとアッシュを見つめる。その長い睫毛に縁取られた、煙水晶スモーキークォーツのような淡く茶色い瞳は、まるでアッシュの全てを見透かすようで──

 ふいにベルジュが「一人で抱えられないなら、私の中に全部吐き出していいのよ」と真剣な表情で囁く。その言葉を聞いたアッシュの脳裏には、またも覚えのない記憶の映像が浮かぶ。

 浮かんだ映像の中、目の前には研究者が着るような真っ白な服を着たベルジュの姿。ベルジュはアッシュをじっと見つめ、「一人で抱えられないなら、私の中に全部吐き出していいのよ、詩音しおん」と囁いて、まるで挑発するようにゆっくりと白衣を脱ぎ始め──


 と、ここまでで覚えのない記憶の映像は途切れた。



 やっぱりベルジュも僕の失くした記憶と関係してるのか……

 詩音しおんって誰なんだよ……

 ああいや、、詩音しおんは僕ってことなんだよな……

 ラグナスと詩音しおん……

 頭がおかしくなりそうだ……

 とにかく、とにかくだ……

 今は僕のことよりもビューネスを倒すことに集中しないと……



「……ありがとうベルジュ。今はまだ色々と僕の中で折り合いがついてないから、そのうち相談させてもらうかもしれない」

「やっぱり何かあるのね。まあ……本当にいつでも頼って? 言っておくけど私、こんなに人に執着することないのよ?」


 ベルジュはそこまで言うと、「そういえば──」と受付カウンターの中に入り、棚からネックレスのようなものを取り出して持ってきた。ネックレスの先には黒いプレートが付いている。


「はい、Sランクのタグ」

「そういえば受け取るの忘れてたな」


 タグ──

 いわゆる認識票にんしきひょうやドッグタグと呼ばれるもので、登録者の体力と紐付けして、遠隔で位置情報や生死が分かるアイテムだ。さらには討伐した魔物にタグを触れさせることで、討伐情報を書き込むことが出来る優れもの。

 

「タグはランク事に色が分けられているの。黒はSランクね」

?」


 アッシュは時間を巻き戻す前にSランク冒険者だったので、知っている情報ではあるのだが、わざとらしく知らないふりでベルジュに問いかける。


「そうよ。黒のタグを持っていれば、ギルドの裏にある宿屋に無料で泊まれるわ。あとは何件かの飲食店も無料で利用出来るし、。やりたい放題よ?」



 そういえばそうだった……

 一人で散歩中、夜のお店のえっちなお姉さんに路地裏に引きずり込まれたことが何回かあったな……

 その度にどこからともなくシェーレが現れて助けてくれたけど……

 あれ……?

 もしかしてシェーレ……

 ずっと僕のことを見てたのか……?



「そ、それは夜のお店の前を通らないようにしないとな」

「ふーん。やっぱりアッシュって不思議よね。普通なら喜んでタグの力で酒池肉林するんだけど……」

「不特定多数はよくないって」

「特定多数はいいの?」

「そ、そんなつもりはないんだけど……」


 焦るアッシュをベルジュが満足そうに眺め、「ちょっといじめすぎたわね」と笑う。


「それより……、登録初日にSランクなんて、こんな特例なんてないのよ? 絶対に死なないでね?」

「任せてくれ。まあサクッと終わらせて戻ってくるよ」

「ふふ」


 ベルジュが微笑み、アッシュの耳元で「じゃあ戻って来たらご褒美ね」と言って息を吹きかける。驚いたアッシュがベルジュから離れると、ベルジュは人差し指と親指で輪を作り、口の前で前後に動かしながらウィンクしていた。


「じゃ、じゃあ僕は行くよ! ユーネも行くぞ!」

「はーい!」


 アッシュがユーネを連れ、逃げるように冒険者ギルドの外へ出る。外は相変わらずの土砂降りの雨で、ユーネが濡れないように雨具を着せる。


「これもアッシュの力で出したの?」

「ある程度必要なものは捕食花の呪いで小さくしてるんだ。食料や水もたくさん持ってるし、テントもある」

「じゃあ今日はテントでお泊まり?」

「どうだろうな。黒王丸なら目的地まですぐだし、日が暮れる前には戻って来れると思うよ」

「えー! テントでお泊まり出来ると思ったのに……」

「本当にユーネはテント泊が好きだなぁ。まあこれからずっと一緒なんだし、テント泊はいつでも出来るって」


 アッシュのその言葉に、「ずっと一緒……」とユーネが呟き、嬉しそうに「えへへ」と笑った。






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