第18話 少しの疑念


「ごめんってユーネ。悪かったよ」

「やだ! 許さない! アッシュ嫌い!」


 ユーネの語彙力がどんどんと失われていく。見た目も随分と幼くなり──


「あっちいって! もうアッシュと口きかない!」

「分かったよ。ごめんなユーネ。これからは離れて歩く。でも危なくなったらちゃんと守るから……」

「え……ほんとに離れちゃうの……?」


 ユーネが泣きそうな顔で振り返る。


「あの時はほんとに心配したんだ。ユーネに何かあったらって怖くなって……それでちょっとパニックになってすぐに動けなくて……」

「アッシュ……」


 そう、アッシュはデストラップで麻痺して動けないユーネをすぐには助けなかった。捲れ上がったスカートを直し、見えそうで見えないを堪能したのだ。


「本当にごめんな……」

「もう! そんな顔しない! 心配してくれてありがと!」


 ユーネの顔に笑顔が戻り、アッシュに抱きついて顔をぐりぐりと擦り付ける。



 そういえばユーネといると演技しないで済むな……

 自然体でいられるというか……



 時間を戻す前のアッシュは、殊更に聖者らしく振舞っていた。それこそえっちな流れになった際も、わりと紳士ぶっていた。



 みんなが聖者としての僕に期待している……

 


 そんな思いがアッシュを聖者らしくいさせた。

 もちろんアッシュの本質は清く正しいのだが──

 普通に嘘もくし、えっちなことにも興味がある。


 聖者という名前のせいか、勝手に清廉潔白な聖なる存在だと思われてしまう。ユーネの前ではそんな重圧から解き放たれ、本来の自分をさらけ出すことが出来ている気がする。

 もしかすれば聖者ではなく、魔人でいることの影響なのかもしれないが──

 ユーネの存在が大きいように思う。


「ユーネはほんと純粋だなぁ。自分が汚れて感じるよ」

「そう? アッシュは純粋じゃないの? すごく優しくて汚れてなんかないって思うよ?」

「はは。ありがとうユーネ」


 ユーネの純粋さがアッシュの胸に刺さる。今も目を閉じれば──

 眩しい朝日と輝く純白のパンツ。四つん這いでお尻丸出しのユーネの姿がアッシュの脳裏をよぎり──

 見たものを記憶する能力とかないかなぁと思った上で、「見たものを記憶する能力とかないかなぁ」と心の声をだだ漏らした。


「え? なんて?」

「い、いや! なんでもないよ!!」

「『見たものを記憶』って次に覚えたい能力? でも『ないかなぁ』ってことはアッシュもシェーレもあるかどうか知らないってこと? 記憶したい映像でもあるの?」

「ぐぅ……聞こえてるじゃないかよ。まあでも、覚えたい能力はある。寄りたいところがあるって言っただろ?」

「そういえば言ってたような……」

「しっかりしてくれよ。まったくユーネは抜けてるなぁ」

「ご、ごめんなさい」


 アッシュが流れるように話をすり替えた。


「とりあえず覚えることが出来ればかなり有用な能力かな。強化して再現って点を考慮すれば、お金の節約にもなる」

「お金の節約? どんな能力なの?」

「それは見てからのお楽しみだ。正直が術技なのか分からないから、覚えられるかどうかが怪しくて」

「ふーん。シェーレでも分からないの?」

「いや、教えてくれたのはシェーレだ。たぶん時間を巻き戻す前のシェーレならのステータスも分かってたと思うんだけど……、今のシェーレには記憶がないから詳細は分からない」


 実は覚えたい能力を使用する魔物とは、時間を巻き戻す前に戦ったことがある。シェーレに言われるまでは忘れていたのだが──


 その魔物はグランヘルムの冒険者ギルドで討伐依頼が出ている魔物だ。だからこそまだタリア村から出ていないシェーレがその魔物の話をした際は、もしかしてシェーレには記憶があるんじゃないのか? とアッシュは疑ってしまった。


 シェーレは「聖都へ行ったことのある大人から得た情報よ」とは言っていたが……


 ちょっと待てよ──とは思ってしまう。──とユーネは言っていたはずだ。


 確か時間を巻き戻す前のシェーレは、

 つまりシェーレは前回とは違った動きをしている。もちろんアッシュが前回と違う行動をしている影響かもしれないが、時間を巻き戻してアッシュが目を覚ました


 時間を巻き戻したことでのアッシュの異変にシェーレが気付いたとして──

 日中、シェーレはアランと丘の上で戦闘訓練をしていたはず。ではいつ情報を仕入れたのかということになる。もちろん時間がない訳ではないのだが──

 



 やっぱりシェーレは記憶が……

 いや、それにしては覚えていないこともあったな……

 そもそもということが演技なのか……?

 なんのために……?

 いや、シェーレに限ってそんなことはないはずだ……

 ユーネも言ってたじゃないか……

 時間を巻き戻したとしても、って……

 基本的にってことは、例外もあるはずだし……



 アッシュが色々と考えを巡らせ、目の前でふんふん鼻歌を歌っているユーネに「なぁユーネ。時間の巻き戻しってさ、んだよな?」と問いかける。


「そうだよぉ! でもたまに例外もあるけどね!」

「例外?」

「うん! なんて言うのかなぁ……、職業は才能や性質で決まるのは知ってるでしょ? その才能や性質がことわりを超えてるって言えばいいのかなぁ?」

「理を超える?」

「うん! 理を超えた存在がこの世界にはいるんだって! エラーみたいなものって言ってたかな?」

「エラー? いやいや、言ってたって? 誰が?」

「え? あれ? 誰だっけ……?」


 そう言ってユーネが不安そうな顔になり、「うぅ……思い出せないよ……。ご、ごめんねアッシュ……」と泣きそうに呟く。


「ああいや、大丈夫だよ。変なこと聞いてごめんな?」

「うん……。でも理を超えた存在ってなんだかシェーレみたいだね! シェーレって女神様っぽいし! 私なんて全然だめだめだよぉ」


 ユーネが「えへへ」と笑い、鼻歌を歌いながら歩き出す。


「先を歩くのはいいけどさ、どこに向かってるか分かってるのか?」

「分からないけど道なりにまっすぐ行けばいいんでしょ?」

「まあそうだけど……」


 タリア村からグランヘルムまでは街道で繋がっている。基本的に一本道で、道中にはいくつかの町や村。

 その街道をタリア村から徒歩で五日程かけて北上した位置に、グランヘルムの国有地である「まどいの森」と呼ばれる深い森がある。そこに例の討伐対象の魔物はいる。


 惑いの森は街道から東へ数キロメートル進んだ位置にあり、国有地ということもあって立ち入り禁止地区。立ち入ったことがバレてしまえば、罪に問われて投獄される。今現在立ち入ることが出来るのは、ギルドで討伐依頼を受けた人間とグランヘルムの騎士団のみ。


 と言っても、立ち入りを厳重に管理している訳ではない。監視員が常駐している訳でもなく、侵入しようとすれば出来る状態だ。侵入がバレるという心配もそれほど高くはない。


 ただ、この世界で聖都グランヘルムは神聖視されている。わざわざグランヘルムの意向を無視して森に入ろうとする者などいない。そのうえまどいの森と呼ばれているように、入ったら最後。に惑わされ、戻って来られなくなると言われている。


 それもあってまどいの森の情報を知る者などほとんどいないのだ。冒険者ギルドで依頼が出てはいるが、


 唯一戻って来られたのは、グランヘルムの騎士団の精鋭のみ。その騎士団の精鋭ですら、森の奥に潜む討伐対象の魔物を倒すことは叶わなかった。そうして討伐対象の魔物情報が冒険者ギルドに共有され、今に至っている。今では依頼を受ける者もほとんどおらず──



 シェーレはやけに詳しかったよな……

 まるで見てきたように……



 こうしてアッシュは少しの疑念をシェーレに抱きながら、まどいの森へと進む。

 

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