第16話 残された仲間【シェーレサイド】


 ──アッシュがいなくなったタリア村孤児院、アランの部屋


「嫌だ! 私もアッシュのところに行く! 止めないでよシェーレ!」


 ニーナが興奮した様子で叫ぶ。その紅石英ローズクォーツのように優しげな瞳には涙を湛え──


「ニーナ。お願いだから言うことを聞いてちょうだい。アッシュは私たちのことを考えて出ていったの。アランもニーナを止めて」


 シェーレに水を向けられたアランが「ちっ」と舌打ちし、ガシガシと頭を掻きむしる。


「なんで俺が? つーかアッシュは勝手に出ていったんだろ? 俺やニーナになんの相談もなくな。あいつはもう仲間じゃねぇ」

「なんでそんなこと言うのアラン! アッシュは仲間だよ! ずっとずっと大切な仲間だよ……うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」


 そう言ってニーナが膝から崩れ落ち、わんわんと泣き出してしまう。


 あの丘での出来事から一夜明け、シェーレが今現在の状況を二人に説明した。もちろん今の段階で全てを話すのは得策ではないと思ったので、嘘の話をだが──


 シェーレの心がチクリと痛む。


「シェーレ……アッシュは魔人になっちゃったの……? アッシュ……どうなっちゃうの……?」


 縋るような目でニーナがシェーレを見る。


「正確には魔人じゃないわ。魔人の前段階の魔徒ね。聖者の力のおかげで魔人化はゆっくりだけれど……確実に進んでいるみたいね。だからこそ魔人化を防ぐ方法はないか探しに行くって」

「みんなで行けばいいじゃん! なんで一人で!!」

「アッシュは私達のことを考えて出ていったのよ? 魔人化を止める方法が見つからなければ、私達を襲ってしまう。そうなってしまうことをすごく怖がっていたわ」


 シェーレのその言葉に「なんで止めなかったの!!」と、ニーナが声を荒らげる。


「魔人化してもアッシュは襲ってこない! だってアッシュだもん!」


 そんなニーナをシェーレが優しく抱きしめ、背中をさする。


「ニーナだって魔人がどんなものかは理解しているでしょ? さっきも魔人って聞いてあんなに怯えていたじゃない。それにニーナだったら自分が魔人になるって分かったら……どうする?」


 泣きながら「……出で……いぐ……」とニーナが答え、嗚咽する。


「アッシュの気持ちも分かってあげて。それにアッシュが言ってたわよ? 絶対に魔人化を止める方法を探し出して……またみんなに会うんだって。アッシュを信じましょ? ね?」


 シェーレに背中をさすられ「……う……ん……わがっだぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙」と、再びニーナが泣き崩れる。


「はっ! 俺はごめんだね! もうあいつにゃあ戻るとこなんてねぇよ! 勝手に魔人にでもなればいい! 魔人になったらその時は俺がよぉ……」


 アランがバキバキと拳を鳴らす。息も荒く、やはりと聞いて平静ではいられない様子だ。


「それ以上はダメよ? ……それ以上言ったら私はアランを許せなくなるわ。アランだって本当は分かっているんでしょ? アッシュが一番つらいんだって……」


 シェーレの言葉に、アランが「ちっ」と舌打ちする。


「いーや、分かりたくもねぇな。俺に相談もなくあいつ……」


 そこまで言うとアランが壁を殴る。壁には穴が空き、「仲間じゃなかったのかよ……」と力なく呟いた。


 シェーレの予想に反し、アランが一定の理解を示している。魔人と聞いてもっと激昂するかと思っていたが──

 シェーレが思っている以上に、アッシュのことを大切に思っているのだろうことが伺い知れる。


 問題はニーナだ。


 ここにいる全員が魔人に家族を殺されているのだが、


 シェーレとアランはタリア村出身で、ニーナは隣村出身なのだが、今でもシェーレの脳裏をよぎるあの日──


 魔人の襲撃があったあの運命の日──


 幼いアランとシェーレは外で一緒に遊んでいた。遊んでいる途中、家の方が騒がしいので帰ってみれば、家族はすでに魔人に殺されたあとだった。

 その時の恐怖と喪失感は今でも忘れない。


 タリア村を襲った魔人は満足したのか飛び去って行き、途中で馬車を見つける。

 そう、ニーナ達家族が乗っている馬車だ。家族で出かけていた帰り、運悪く魔人に見つかり──


 両親を……

 弟を……

 ニーナは目の前で殺された。

 魔人の気まぐれなのか、ニーナだけは殺されずに助かったのだが……


 その時の恐怖は凄まじく、ニーナは心が壊れて失語症に陥った。

 その後、隣村の人達は身寄りのなくなったニーナを、タリア村の孤児院に押し付けた。「タリア村で魔人を逃がしたからこうなった」と、訳の分からない理由をつけて。


 それからのニーナは完全に心を閉ざしていた。壊れた人形のようになんの感情もなく、ただ生きているだけの毎日。ニーナが死のうとする場面を、シェーレとアランで止めたこともあった。

 そんな中、ニーナはアッシュに出会ったのだ。村人から石を投げられて頭から血を流し……

 それでも生きようと頑張っている、埃まみれで灰まみれの子供。


 そんなアッシュを見たニーナは、気付けば走り出していた。アッシュの目の前、村人達の前に立ちはだかり──

 両手を広げて投げつけられる石をその身で受けた。


「……守るんだ! 今度は絶対に守るんだ!! 私が!!」


 そうニーナは叫んだ。

 孤児院に来てから、ニーナが初めて発した言葉。

 とても強い意志に満ちた声。


 その声を聞き、気付けばシェーレとアランも走っていた。アッシュの前に立ち、両手を広げた。


「私だって守りたかった!」「お、俺だってそうだ!」


 そんな日々が幾度か過ぎ去っていき、気付けばアッシュに石を投げる人はいなくなっていた。そうして三人でハイタッチした記憶がある。

 アッシュとはそこからの付き合いだ。

 孤児院には「三人でアッシュの世話をするから」と、無理やり頼み込んで入れてもらった。


 三人は誰かを守れたことが嬉しかった。アッシュという守るべき存在ができて、自分達に存在意義が生まれたようにも感じた。

 ニーナは特にそうだ。

 アッシュの方が歳上なのだが、弟のように可愛がった。正直アッシュという存在に依存しきっていたように思う。

 ニーナにとってアッシュは──


「……それにね、ちゃんと希望だってあるのよ。聖女って聞いたことあるかしら?」

「あぁん? 聖者じゃなくて聖女だぁ?」

「そう聖女。魔徒や魔人の力を消せる能力を持っているかもしれない職業」


 なんの淀みもなくシェーレが嘘を吐き、心がまたチクリと痛む。


「アッシュを魔人にさせなくて済むってこと……?」


 泣きじゃくっていたニーナが顔を上げる。その顔がまたシェーレの胸を締め付け──


「ええそうよ。アッシュはこの世界の希望……聖者だから、女神様からお告げがあったみたいなの。おそらく女神様も聖女を探してくれると思うから……」


 ニーナとアランの表情が明るいものへと変わる。


「希望はあるってことだな! よし! アッシュのやつは戻ってきたら三発ぶん殴ってやる!」

「なんで三発も殴る必要があるのかしら?」

「みんなの分だ!」

「私は怒ってないから数に入れないでちょうだい。ニーナもそうよね?」


 シェーレがニーナの頭を撫でながら、優しく問いかける。


「私も怒ってないけど……絶対また会える……よね?」

「ええ。絶対よ。私が言うんだから信じてちょうだい」

「うん……、私も頑張る……ね!」


 ニーナが涙を拭き、拳を握って「えへへ」と笑う。


「アッシュがいなくなった分は俺が二倍やりゃあいいしな!」

「アッシュの分は二倍じゃ足りないわよ。百倍は頑張ってちょうだい」

「そ、そんなに差があるかぁ?」

「そうよ? 気付いてなかったのかしら?」


 そう言ってシェーレが柔らかく微笑み、「じゃあ私は少し調べ物があるから……」と自室へ向かう。自室へ向かう途中、主のいなくなったアッシュの部屋が視界に入り、耐え難い喪失感が胸に去来する。

 

 そうして自室に戻ると、「やっぱり嘘をつくのは心が痛いわね……」と呟き──

 ベッドへと倒れ込んだ。

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