第9話 青色の女神
「いつからいたんだ?」
「最初からよ。申し訳ないとは思ったんだけど、全部見ていたわ」
「そういえば聖闘士の加護に隠密行動ってのがあったか」
隠密行動──
視認されない限りは索敵系の能力から逃れることが出来る力。
「それよりアッシュのその姿……本当に魔人なのね?」
「全部見られてたなら隠してもしょうがないよな……」
アッシュはそこまで言うと視線を下げ、「魔人……だ」と弱々しく呟く。その様子を見たシェーレは少し頭を振り、僅かにため息をついた。
「謝る必要なんてないわ。魔人でもアッシュはアッシュ。今までと何も変わらない」
シェーレがふわりとアッシュを抱きしめ、聞いた覚えのある言葉を口にする。そう──
実は時間を戻す前も、シェーレだけには魔人の力のことを打ち明けていたのだ。
シェーレやアラン、ニーナは魔人を心の底から憎んでいる。アランは魔人と聞いただけで感情を抑えられずに激昂し、ニーナは恐怖から硬直してしまう。
だがシェーレはそんな二人とは違い、魔人に関して冷静に調べていた。本人によれば、「怖いからこそ調べるのよ?」ということらしいが──
シェーレは頭がいい。知らないことがあるのが気持ち悪いらしく、時間があればいつも本を読んでいた。シェーレのアドバイスはいつも的確で、
そんなシェーレにアッシュは魔人のことを打ち明けたのだ。その際にシェーレが口にしたのが「魔人でもアッシュはアッシュ。今までと何も変わらない」という先程と同じセリフ。
正直シェーレの体は震え、心の奥の方では魔人に対する恐怖心があることが見てとれた。そんな状態でもシェーレは優しくアッシュを抱きしめ──
正直とても安心した覚えがある。シェーレはアッシュと同じ歳なのだが、どこかお姉さん的な雰囲気で安心する。お姉さん気取りだが、妹のようなニーナとは対照的だ。
「見ていた限りで大体のことは把握したつもりだけど……いくつか確認したいことがあるわ。少しいいかしら?」
「シェーレはすごいな。僕なんていまだに時間を巻き戻すとかよく分かってないのに……」
「時間を戻す力に関しては正直あるんだろうなとは思っていたわ。回復魔法あるでしょ? あれってたぶん、受けた傷を正常だった時間に戻すんだと考えていたから。前に神官の人がヒールを使ったのを見たことがあるの。その際、落ちた血液が戻っていったわ。細胞を活性化させて治すんなら落ちた血液は戻らないはずよね? 蘇生魔法に関しては受けた傷にプラスして魂も戻す。蘇生するまでの時間制限があるのは、魂が近くにあるかどうかだと思うの」
シェーレはそこまで言うと唇に手を当てて考え込み、「でもそれなら……魂があると仮定して……いける……?」と独り言を呟き始めた。シェーレは昔からこうだ。気になったら周りが見えなくなり、自分の世界に入ってしまう。
「ははは。シェーレはほんとに変わらないな」
「あら、ごめんなさい」
「それで確認したいことってなんなんだ?」
「じゃあアッシュ。ちょっとそこに立って」
そう言ってシェーレが少し離れた場所を指差すので「……これでいいか?」とアッシュが移動する。
「……っておいおい何するつもりだ!」
「
シェーレが唐突に聖闘士の技を発動。体が陽炎のように揺らめいて消え、アッシュの左腕に痛みが走った。
「痛ったっ!! 何するんだよシェーレ!」
シェーレの技が左腕ギリギリ、当たるか当たらないかを掠めた。それでも痛みの増幅のせいでかなり痛い。
『記憶しますか?』 YES/NO
アッシュの目の前──
あの画面が現れる。そういう事かと理解したアッシュが、YESに触れる。すると左腕──シェーレの攻撃が掠った部分が燃えるように熱くなる。
『瞬影を記憶しました』
「やっぱり出来たようね。傷で術技を記憶するのなら、直撃じゃなくてもいけるんじゃないかしらと思って。これなら痛みはだいぶ抑えられるでしょ?」
先程まで目の前にいたシェーレが、アッシュの背後で優しく微笑む。瞬影は攻撃しながら瞬時に相手の背後に回る技だ。
「やるなら先に言ってくれよ……」
「説明してる時間がもったいないわ。ごめんなさいね」
そう言いながらシェーレがアッシュから離れた所まで歩いていく。二十メートルくらいは離れただろうか。
「さっきの技を私に使ってみてちょうだい。躱すつもりだけど、念の為爪はしまってね?」
「まあシェーレなら躱せるとは思うけど……、ちゃんと躱してくれよ? 瞬影!!」
アッシュの体が陽炎のように揺らめき、左腕に痛みが走る。体からは黒い霧状のものが滲み出した。
「
シェーレが瞬影の発動に合わせ、長弓を用いた弓技を使う。瞬速剛力、一撃必殺の燃え盛る紅蓮の矢。
だがアッシュは発動した瞬影によって、目視で躱すことなど出来ない致死の矢をすり抜け、シェーレの背後に回る。瞬影は背後に回る瞬間に攻撃行動を伴うのだが、アッシュの攻撃は普通に躱された。
シェーレの常軌を逸した反応速度だからこそなせる技。
「ステータスを見てちょうだい。下がってるかしら?」
シェーレにそう言われ、アッシュがステータス画面を確認する。
「ん? 下がってないけど……」
アッシュはそこまで言うとハッとした表情になり、「そういうことか!」と声を上げる。
「瞬影は無敵時間のある技。これで回避行動ではない回避方法ができたわね。発動距離は素早さ依存だから体で覚えて。すり抜ける際に自動で攻撃行動を取ってしまうけれど、慣れれば攻撃しないことも出来るわ」
そう言ってシェーレが唇に手を当て、「あとは……アッシュの負担を減らすには……痛み自体はどうにも……だったら……」と独り言を呟き始めた。
「シェーレ!」
アッシュは思わずシェーレを抱きしめていた。
「ほんとにシェーレが仲間でよかったよ。ありがとう」
「ちょ、ちょっともう……アッシュ? そういうのはあとにしてちょうだい」
そう言いながらも少し嬉しそうにするシェーレ。文句を言いながらも、しっかりとアッシュを抱きしめ返す。そうして気の所為だろうか──
一瞬、勝ち誇ったような目でユーネを見た気がした。
「あのー……ちょっとよろしいでしょうか? 私のこと忘れていませんか?」
ここまで静かに見守っていたユーネが口を開く。
「そう言えばいらっしゃいましたね? ユーネ様。今宵は月が綺麗ですね。今こちらは手が離せませんので、空でも眺めて休んでいて下さればと存じます。あっ! そうでした。お礼を忘れていましたね。私としたことが失礼いたしました。うちのアッシュがお世話になりまして、なんとお礼を申し上げたら……」
「うちのアッシュ? いえいえ。こちらこそ私が力を授けたアッシュがお世話になっております」
「授けた? 今のアッシュは魔人。魔人の力はユーネ様と関係ないとの認識ですが……勉強不足で大変申し訳ございません。もっと精進せねばなりませんね。ではもう少々お待ちください」
「んなっ! なんなんですかあな──」
「もう少々お待ちください」
ユーネの言葉に被せ、冷ややかな視線を送るシェーレ。そのまま二人は睨み合い、なんだかバチバチしている。
恐ろしいほどの緊迫感に、アッシュが後ずさる。だが──
睨み合う二人を見比べ、似ているな──とアッシュが思う。そっくりというわけではないのだが、顔の作りが似ていると言えばいいのか──
「ユーネ様には後ほど確認したいことがありますので、もう少しだけ辛抱してください」
「わ、分かったわ。終わったら声をかけて下さい」
ユーネが女神様らしくしようと頑張っているみたいだが、全部見られていた事を忘れているのだろうか?
そのうえ離れる際に「ぐぬぬ」と呟き、ぷるぷる震えていた気がする。
「じゃあアッシュ。この石を持って私から五十メートルくらい離れて立って」
「石を?」
アッシュがシェーレから石を受け取り、離れて立つ。シェーレが何をしようとしているのか、アッシュには見当もつかない。だがシェーレに対する信頼は厚く、質問などせずに黙って従う。
「ええ。じゃあ私に向かって全力で石を投げて。投げたら絶対に動かないで。絶対よ」
「了解。じゃあいくぞ」
アッシュが言われた通り、シェーレに向かって全力で石を投げる。投擲に関するスキルはないはずだが、魔人のステータスの高さ故だろうか──
投げられた石は凄まじい速度だ。
シェーレは上位職でアッシュは最上位職クラスの魔人。当たれば間違いなく大怪我だが、シェーレは微動だにしない。
「よ、避けろシェーレ!!」
アッシュがそう叫んだところで、シェーレが「
相手の攻撃を受け流し、そのまま返すことも出来る聖闘士の技だ。
シェーレは淡く光る手で石を受け流すようにして体ごとくるりと回り、アッシュに向けて石を投げ返す。その姿は正に流れる水の如く流麗でしなやか。
投げ返された石は淡く光り、威力が上がっているように見える。流水で返す攻撃はジャストタイミングで威力が上がるのだが、タイミングはシビアで刹那の間。
威力が上がった石は、先程の剛弓・紅蓮より速い気がする。直撃すれば痛みで気が狂うだろう。が──
シェーレの「投げたら絶対に動かないで。絶対よ」という言葉をアッシュは信じ、その場を動かずに目を閉じる。
それと同時、アッシュの左腕を襲う鋭い痛み。石は瞬影が掠った傷と、まったく同じ場所を掠った。そう、
『記憶しますか?』 YES/NO
現れたおなじみの画面のYESにアッシュが触れ、左腕が燃えるように熱くなる。
『流水を記憶しました』
こうしてアッシュは
本当にシェーレは凄いな──と思いながら、アッシュがシェーレを見る。
シェーレはその澄んだ空のように青く長い髪をかきあげ、微笑んでいた。
タイトなロングスカートの深めに入ったスリットからは、陶器のように美しい脚がさらけ出されている。かきあげた髪は月光に照らされてキラキラと輝き──
アッシュは思わず「め、女神だ……」と呟いた。
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