第8話 戦闘分析


「かはっ……はぁ……はぁ……しんどいって……」


 正直苦戦しないと思っていたアッシュだったが──

 息が切れ、その場に倒れ込む。文字通りの苦戦という訳ではないのだろうが、痛みの増幅のせいで強敵と丸一日戦った気分だ。


 そんな倒れて息を切らすアッシュの元に、「だ、大丈夫!?」とユーネが駆け寄る。顔は今にも泣きそうで、アッシュの手を握りながら目を潤ませていた。


「ああ。ちょっと痛みの増幅を軽く考えていただけで問題ないよ。それより予想以上に魔人の力は強力だ」


 そこまで言うとアッシュは上体を起こし、「回避行動でのステータス減少と痛みの増幅……デメリットに慣れさえすれば……傷を記憶して術技を再現ってこういう事か……術技での攻撃を受けると痛みと傷ごと記憶する……戦略の幅はかなり広がるけど……やっぱり痛みは厄介だな……」と、今の戦闘で得た情報をブツブツと呟きはじめた。


 爪での傷やロックランスでの傷は聖者の加護ですぐに回復した。さらに聖者の加護にはや、という力もある。それらと合わせ、体力の高い魔人であれば簡単に死ぬことはない。


「冷静に分析してる場合じゃないでしょ!」

「ステータス見てたなら死なないのは分かるだろ? 魔人は体力が高いし、なかなか死ぬことはないと思う。日に一度は死亡も回避するしね」


 アッシュのその言葉に、「そういうこと言ってるんじゃない!」とユーネが叫ぶ。


「人って痛みで狂っちゃうこともあるんだよ!?」

「ま、まあ確かに痛すぎて頭がおかしくなるかと思ったな」

「『思ったな』じゃないよ! なんで他人事ひとごとみたいに話すの!?」

「ご、ごめん……」

「心配したんだからね!」


 ユーネが泣きながら抗議する。確かに頭が狂ってしまうのではないか──という程の痛みがアッシュを襲ったが、今はなんともない。痛みの持続時間はそれほど長くないようで、それもあって冷静に分析できている。正確に時間を計った訳ではないが、おそらく増幅された痛みの持続時間は一分程。


「ごめんごめん。痛みの増幅具合は想像以上だったんだけど、思ったより早く引いたんだ。痛みが早く引いてくれるのは助かるよ。どうやら呪いの半分は優しさで出来てるみたいだ」

「ばか! こんな時に軽口叩いて! もう知らない!」


 そう言ってユーネがぷいっと顔を逸らす。

 困ったアッシュがユーネの機嫌を取ろうと「ごめん」と謝るが、ユーネは「知らない! アッシュなんて知らない!」と拗ねる。もはや出会った当初の女神様らしさなど欠片もない。

 それにしても と違和感を覚えなくもないが……



 なんだか明らかに子供っぽくなってるよな……

 いや、これが本来のユーネなのか……?

 まあ……とりあえず機嫌を直してもらわないとな。



 アッシュがユーネの手を優しく握り、「心配かけてごめん」と申し訳なさそうな顔で視線を合わせる。


「ユーネはほんとに優しい女神様だな。涙まで流してくれて……、こんなに優しくて綺麗な女神様に心配されるなんて僕は幸せ者だ。ありがとうユーネ」


 アッシュのその言葉に、ユーネが「……ううん。私も取り乱したりしてごめんなさい」と謝る。

 だがごめんなさいと言いつつも、ユーネの顔は嬉しそうで、再びアッシュがちょろいな──と思ってしまう。いや、思っただけではなく「ちょろいな──」と思わず口にしてしまった。


「ちょろい? なにが? え? もしかして私のこと?」


 怪訝な表情でアッシュを見るユーネ。


「ああいや! 違う違う! 言葉が悪かった! ユーネがいい人過ぎて心配って意味だよ! 悪い人に『ちょろいな』って思われて騙されたりしないかなって心配になって……『ちょろいな』の部分だけが口に出てしまった」


 苦しい言い訳だな──と、アッシュ自身も思うが、予想に反してユーネが満面の笑みへと変わり、「嬉しい」と目を潤ませている。


「そんなに私のこと考えてくれてるんだね……嬉しいよ……」


 あまりにも純粋でちょろいユーネに、アッシュは「お、おう……」としか答えられなかった。


「……それより覚えたロックランスがバカみたいな威力になっていたのは闇の力のおかげか?」

「たぶんそうだと思う。闇の力で再現って言うより、強化して再現って感じだったね」

「強力ではあるんだけど……」


 「術技を記憶する度に傷痕が増えるのか」と、アッシュが自身の左頬を抉った傷──ロックランスを記憶した証を触る。


「その傷痕……痛くないんだよね?」


 ユーネがアッシュの頬に触れ、心配そうに問いかける。顔が近く、唇が触れそうな距離。ユーネからはふわりと優しく甘い香りが漂う。


「痛くはないんだけど……」

「え? だけどってことは何か問題が……? どこか体に違和感とか……?」


 ユーネが途端に不安な表情になり、傷痕をさする力を弱めた。美しい銀髪が風にそよぎ、潤んだ銀色の瞳がアッシュを捉える。泣いたせいだろうか──

 その雪のような肌はうっすらと上気し、吐息は切なげだ。



 いやいや問題って……

 ちょっとこれはさすがに……



「……ちょ、ちょっと距離が近い……かな?」

「え? あ! は、はわわ……」


 ユーネが攻撃を受けたロックパンサーのように飛び退く。そうして顔を真っ赤にしながら、「は、恥ずかしい……」ともじもじしている。

 その姿をたまらなくかわいいと思うアッシュだったが、距離感を覚えて貰わなければ身が持たないな──とも思う。


「……とまぁ、魔人の立ち回りはなんとなく分かった。慣れるまで時間はかかりそうだけど、十分に戦えると思う。いや……むしろ記憶する術技を厳選すれば、最強なんじゃないか?」

「うん。まさかこんなに魔人が強いなんて思わなかったよね」

「……それでユーネに聞きたいんだけど、ビューネスと戦うまでどれくらい時間的な猶予がある? 時間を戻す前と一緒か?」

「確かビューネスに動きがあったのは……アッシュ達が職業を与えられてから二年後。私の時間の巻き戻しなんだけど、『私』と『私が指定した相手』以外は記憶が残らないのね。それはビューネスも例外じゃない。それもあって基本的にはみんな、時間を巻き戻す前と同じ行動をするの。だから二年間はだいじょうぶだと思うんだけど……」

「ビューネスも例外じゃないって知ってるってことは、何度か時間を巻き戻してるのか?」

「何度かね。でもこの力は中途半端で使いどころが難しくて……」


 ユーネの時間を巻き戻す力は何度でも使えるらしい。ただ戻せる時間は現在を起点に五十年までの任意の日。一度使うと百年のクールタイム再使用時間があり、しばらく使えなくなる。世界が分断された際はクールタイムがほぼ百年残っていたらしく、どうにも出来なかったということだ。


「つまり前回の聖者パーティーの時もクールタイムが残ってたってことか。ばんばん使えたら強力だと思ったけど、僕が生きている間はもう使えない……。だからあの時『あとがなくなる』って言ってたんだな?」

「中途半端な力でごめんなさい」

「何言ってるんだよ。ユーネの力のおかげで今僕は生きてるんだ。本当に感謝しかない。ユーネは自信を持っていいと思う。ありがとうユーネ……ってうわうわっ!」


 ユーネがアッシュに抱きつき、「私……ダメな神様だってずっと思ってて……」と涙を流す。体は震え、「私……私……」と何度も弱々しい言葉を呟く。

 そんなユーネの頭をアッシュが優しく撫でる。するとユーネはせきを切ったように大声で泣き始め──


 アッシュはしばらくの間、泣きじゃくるユーネを抱きしめていた──



 

---




「よし!」


 しばらく泣いていたユーネが、気合いを入れるように自分の頬を叩く。


「もうだいじょうぶ! もう後ろ向きにならない! 一緒にビューネス倒そうね!」

「ああ。こちらこそだよ。とりあえず時間的な猶予があるのは分かったし、まずはレベルを──」


 アッシュはそこまで言うと、百メートル程離れているだろうか──

 前方の岩場に鋭い視線を向け、「僕の後ろに隠れるんだユーネ! そこにいるやつ出てこい!!」と叫ぶ。


 岩場の陰に動く人影が一瞬見えたのだ。魔人の目を常時発動し、広範囲を索敵していたはずだったのだが──

 索敵を無効化する能力だろうか、全く気付かなかった。

 アッシュが魔人の爪をダガーくらいに伸ばし、身構える。

 そうして岩場の陰からは──


「あれ? シェーレ?」


 澄んだ空のように青く長い髪を月光に照らされ──

 切れ長の蒼玉サファイアのような瞳を輝かせたシェーレが姿を現す。背中には背丈程ある長弓を背負い、タイトスカートのスリットから覗く脚が美しい。

 シェーレはゆっくりとした歩調でアッシュに歩み寄り、「孤児院にいないから心配したのよ?」と優しく微笑んだ。

 



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