第3話 銀色の女神
「うぅ……ぐ……」
目を覚ますとアッシュはベッドの上にいた。気分は最悪で、吐いてしまいそうになる。そんなアッシュの手をニーナがしっかり握り、椅子に座って眠っている。外は真っ暗だが──
倒れてからずっとこうしてくれていたのか、ニーナの手はとても暖かい。アッシュがニーナの手を握り返し、また泣きそうになる。
「ありがとう。ニーナ」
アッシュがそう呟き、ニーナを起こさないようにそっと起き上がった。椅子に座りながらベッドに突っ伏しているニーナに、優しく毛布をかける。
「……アッシュは私が……守るんだ……」
ニーナが昔からの口癖をむにゃむにゃと呟く。
「はは……ニーナは変わらないなぁ。年も僕の方が一つ上だし、背だってだいぶ高いのに……僕が孤児院に初めて来た時と同じ、お姉さん気分のままだ……」
ここはタリア村の外れ。大木のある丘へと続く道の前にある孤児院。アッシュ達はここで育った。
といっても、アラン、シェーレ、ニーナが先で、アッシュは途中からこの孤児院へとやってきた。
アランとシェーレはタリア村出身で、ニーナは違う村の出身だ。三人ともが
孤児院に来た当初は何かに怯え、誰にも心を開かなかったと聞く。
ただ心を開かなかったのはアッシュも同じで、孤児院は好きだがタリア村は嫌いだ。
アッシュにはタリア村に来る以前の年齢以外の記憶がなく、いつの間にか住み着いて食料やお金を盗み、ゴミを漁って生活していた。村の人はアッシュを見かけると石を投げつけ、追い払おうとしていた。
そんなアッシュを守ってくれたのがアラン達三人だ。はじめは「ほっといてくれ」と思っていたアッシュだったが──
三人が怪我をするのも厭わず、アッシュを守ってくれる日々が続き、しだいに心を開いていった。
その際に「アッシュは私が守るんだ」と、ニーナがよく口にしていた。三人は家族を殺されたことで無力な自分を責め、アッシュを守ることで自分の存在意義を保とうとしていたのかもしれない。
実はアッシュという名前は、タリア村の人達が付けた名前だ。髪が灰色がかった黒髪で、目の色も濃い灰色。そのうえ盗っ人のような生活をしていたせいで、全身が埃や灰にまみれて薄汚れていた。その見た目から『灰まみれ』という意味も込め、アッシュと呼ばれ始めたのだ。
名前なんて気にしたこともなかったアッシュだが、「アッシュの髪って灰色がかってて綺麗な色だねー」とニーナに言われてから、気に入っている。
「ちょっと行ってくるよ」
気持ちよさそうに眠るニーナの頭を撫で、アッシュは部屋の外に出た。もちろん丘の上に向かうためだ。行けば今のこの幸せが崩れ落ちてしまうのは、なんとなく感じていた。だが放っておいていい問題ではないと、本能が叫んでいる。
「今度は僕が守るから……」
孤児院を出て振り返り、自分に言い聞かせるようにアッシュが声を出す。
静かな夜。
空には月が浮かび、まるで丘の上に誘うようにアッシュの足元を照らす。踏みしめる大地は朧気で、気を抜けば月の光から外れた闇へと引きずり込まれそうな気さえする。
そうして丘の上に辿り着いたアッシュの視線の先──
大木の前に、女性の後ろ姿が見える。
袖のない白いワンピースに、雪のように白い肌と美しい銀髪。少し丈の短いスカートからは、しなやかな脚が覗く。
女性はアッシュが訪れたことに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。銀糸のような髪がふわりと宙を舞い──
月明かりに照らされ、キラキラと輝いて見えた。
宝石のように輝く銀色の瞳。
息を呑むほどに美しい女神のような顔。
だがこの顔は──
「お、お前っ!!」
目の前の女神のような女性を見たと同時、「今度は絶対にやらせない!」とアッシュが怒りの表情で飛びかかる。懐からはカチャリとダガーを取り出し──
「はわわっ! ま、待って! 私はあなたが考えてる女神とは別よ! 髪の色も瞳の色も違うでしょ?」
言われてみれば、髪と瞳の色が違う。
「魔王……いや、あの金色の女神じゃない……?」
顔は瓜二つだが──
困惑したアッシュが「どういうことだ」と呟き、動きを止める。
「とりあえずダガーしまってくれない? 君も何となく違うのは感じてるでしょ?」
銀髪の女神のような女性が、澄んだ美しい声でアッシュに語りかける。その声音は慈愛に満ち、邪悪さの欠片も感じられない。
「すまない。あいつと顔も声もまったく一緒だったから……」
「いいんです。あなたの言うあいつ……ビューネスは、元は私と同じ存在ですから」
「ビューネス……? 君はあいつと別……なんだな?」
「別は別なのですが、元は同じ存在です。つまり厳密に言えば、私もビューネスということになります。ですが紛らわしいので……そうですね……」
そう言って美しい銀色の髪を風にたなびかせ、女神のような女性が考え込む。その姿があまりにも美しく、アッシュが息を呑む。
「私のことはユーネとでも呼んでください。いちおうこの世界の女神……ですね」
「ユーネ……」
アッシュが言い淀んでいると、被せ気味に「様は付けないで呼び捨てでかまいません」とユーネが言う。正直色々とあり過ぎて、女神と呼ばれる存在に「様」をつける気になれないアッシュの心情を察したのだろう。
「僕はアッシュ。僕のことも呼び捨てで構わないよ。それより聞きたいことがありすぎて、何から聞けばいいのか……」
「そうですよね。ひとまずアッシュには、この世界に何が起きているのかを知ってもらわなければなりません。そして
ユーネがその力と言ったのは、聖者とは別にアッシュに授けられたもう一つの職業──
魔人。
アッシュが絶対に使う訳には行かない力。
アラン、シェーレ、ニーナの家族を奪った呪われた力。
魔人の力を使うのであれば、三人と一緒にはいられない。未だ三人は魔人の恐怖に囚われている。
「はは……結局僕は居場所を失うんだな……」
そう呟いたアッシュだが、すでに心は決まっている。
みんなを守れるなら……
例え離れることになったとしても……
僕は……
魔人でもかまわない──と。
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