第2話 始まりの丘


 ──風の吹き抜ける丘


 晴れ渡った空、燦々と太陽が輝く。


 気がつくとアッシュは見覚えのある場所にいた。見渡す限りの緑の絨毯。どうやらアッシュが住むタリア村からほど近い丘の上のようで──

 晴れた日は風がサワサワと気持ちよく、お気に入りの場所。その丘の端、村を見守るように鎮座する大木に寄りかかり、眠っていたようだ。


 ただそんな晴れ渡った空とは真逆で、アッシュの気分はどんよりと曇った空のように重い。なにか悪い夢を見ていた気がする。とても恐ろしく、自然と体が震えてしまうほどの悪夢を。


 思い出そうとするが、頭はずっしりと重い。そんな中、アッシュの耳に届く聞き慣れた声。


「さすがね聖騎士アラン! なかなか踏み込めないわ!」

「はっ! そういうシェーレこそ信じらんねぇ速さだな! それが聖闘士の力ってやつかぁ!?」


 寄りかかった大木の裏──

 アランとシェーレの声がする。この丘は、アッシュがアラン達と稽古と称してよく遊んでいた場所。


 真っ赤な燃えるような髪に、切れ長の紅玉ルビーのような瞳。長身でギチギチに鍛え上げられた肉体の、威圧感がすごいアラン。聖騎士の初期装備は純白の重鎧なのだが、稽古中はいつも上裸だ。


 それとは対照的に、澄んだ空のように青く長い髪に、切れ長の蒼玉サファイアのような瞳。細身で身長も高く、幼なじみながら美人だなと思うシェーレ。聖闘士の初期装備は純白の軽鎧なのだが、好みじゃないからとノースリーブの黒いタイトロングドレスを身に纏う。


 アッシュが二人の声を聞き、頭の重さもやわらいできたところで──

 先程まで見ていた夢のことを思い出す。


 それと同時、まるで心臓を鷲掴みにされたような激しい動悸に見舞われ、息が切れる。足に力が入らず、倒れそうになりながらもアッシュが二人の元に駆け寄る。


「アラン! シェーレ! 無事だったのか!」


 アランとシェーレが「なんのことだぁ?」「どうしたのかしら?」と首を傾げ、アッシュを見る。


「なんのことも何もないだろ! アラン! 傷は!」


 アッシュがアランの背中を強引にまさぐるが──

 傷がない。訝しんだ目でアッシュを見つめるシェーレにも、傷があるようには見えない。


「確かに僕の剣で貫いたはず……、いや! それよりあいつは! あの金色の女神はどこだ!」

「ははっ。金色の女神だぁ? 寝ぼけてんのかアッシュ? まあ確かに今日は天気もいいから昼寝日和だ。ってもさすが聖者アッシュ様は余裕だなぁ?」


 嫌味たっぷりのアランの言葉。


「アッシュが聖者だからって僻まない。聖騎士だって上位職なんだから」

「ちっ、そんなんじゃねぇよ」

「え? 私には僻んでるようにしか見えなかったけれど、違うのかしら?」

「あぁん? やんのかシェーレ?」


 いつも通りの仲の良い二人の口喧嘩。



 やっぱり夢だったのか……

 いやでも……

 あの生々しい血と肉の感覚は……



 アッシュが困惑するが、よく考えなくてもここは村の外れにあるいつもの丘。アランとシェーレを見ても、があったようには感じられない。いや、そもそも二人は生きているのだから、あれは夢だったということなのだろう。



 胸がザワザワする……

 あれがただの夢だったなんて……

 それよりアラン、シェーレがいるってことは……



「ニーナは! ニーナもいるのか!」


 夢の中、首筋を切り裂いて殺したニーナの名前をアッシュが叫ぶ。


 すると先程まで寄りかかっていた大木の方から「呼んだー?」と、ニーナの声がした。


「ちょっと待っててー……よっと」


 柔らかそうな薄い桃色の髪に、温かで優しげな紅石英ローズクォーツのような瞳。背はそれほど高くなく、いるだけで場が和むようなニーナ。光術師の初期装備である、胸元と肩から先が透けた純白のローブを身に纏っている。

 確かニーナは「透けているのが恥ずかしい」と、純白のローブに装備を変更したはずだ。この初期装備を装備していたのは、みんなで旅に出る前の僅かな期間だけ。つまり


 これはどういうことだ──とアッシュが困惑していると、ニーナが大木の上から飛び降り、沢山の果実を抱えながアッシュの元に駆け寄る。この大木には春先に一度、レムの実という薄い紫色の果実がなる。それはとても甘く、ここにいるメンバー全員の好物だ。


「ニーナ! よかった……」


 満面の笑みで駆け寄るニーナを、アッシュが抱きしめる。


「ちょ、ちょっと苦しいよアッシュー」


 レムの実をボロボロと落としながら、ニーナが狼狽える。


「ニーナ……ニーナ……もうダメだと……僕のせいで……ごめんニーナ……」

「どうしたのアッシュ?」


 夢か現実かなんて関係ない。目の前にニーナがいる。それだけでアッシュの目からはボロボロと涙が溢れた。


「……もうしょうがないなぁ。怖い夢でも見たのかな? よしよし、私はここにいるよ?」


 アッシュはニーナに抱きしめられ、周りも気にせず大声で泣いた。これほど泣いたことなどなかったかもしれない。それだけアッシュにとってニーナは大切な──妹のような存在だった。


「おいおい。昼間っから見せつけてくれるじゃねーか! つーか泣きすぎだろ! 怖い夢見て泣くとか子供かよ!」

「アッシュはアランと違って繊細で優しいの。シナプスまで筋繊維で構成されているアランとは違うのよ? 夢でも人のために泣けるアッシュを見習ったらどうかしら?」

「シナプスだぁ? なんか分かんねぇけどよ、俺の筋肉が凄ぇってことだよな! っし! やる気出たぜ! 続きやるぞシェーレ!」

「はー、本当に全細胞が筋繊維なんじゃないかしら……?」


 本人達は否定するが、こんな感じでアランとシェーレは昔からとても仲がいい。シェーレが「仕方ないわね」といった感じで頭を振り、アッシュに向けて微笑んでからアランとの稽古に戻る。


 そうしてひとしきり泣いたアッシュが落ち着きを取り戻し、今のこの状況に赤面する。


「ご! ごめんニーナ!」


 アッシュが急いでニーナから離れ、涙を拭く。妹のように大切に思っている存在の前でめちゃくちゃに泣いて、あやされていることに恥ずかしくなったようだ。


「もう落ち着いた?」

「あ、ああ。もう大丈夫」

「私はもう少しあのままでもよかったのになー」

「情けないところ見られたな」

「子供みたいでかわいかったよ? 今の感じ、たまには見たいかなー?」


 ニーナがニヤニヤとイタズラっぽい笑顔でアッシュを見る。



 やっぱりあれは夢だったんだ。

 目の前にはニーナやみんながいる。

 あの夢のようにならないように強くなろう。

 みんなは僕が守る。

 聖者として──



 アッシュが決意を新たにし、拳を握る。


 だがそんなアッシュに現実を叩きつけるかのように、「夜になったら一人でまたここにきて下さい」と、あの澄んだ綺麗な声が頭の中で響いた。


 フラッシュバックする悪夢。

 アランを貫く剣。

 切り伏せられたシェーレ。

 首から血を吹き出すニーナ。


 そうしてアッシュの意識は遠のき、その場に崩れ落ちた。

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