第一部 第一章︎ The game of the golden goddess

第1話 プロローグ─金色の女神─


「違……う……違うんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 薄暗い洞窟の中、一人の男性が叫んでいた。広大な洞窟内の湿った空気を震わせ、叫ぶ男性の名はアッシュ。身に纏った純白のローブは血で染まっている。


 髪は灰色がかった黒髪で、瞳の色も濃い灰色。中性的な顔立ちで、優しげな目元が印象的である。と蔑まれ、今はこの世界の希望──


 聖者せいじゃである。


 この世界はと呼ばれる存在に脅かされていた。


 その魔王に立ち向かう聖者アッシュの一行。皆が同じ孤児院で育ち、魔王を倒すための力を授かった四人組の聖なるパーティー。


 聖騎士せいきしアラン──

 真っ赤な燃えるような髪に、切れ長の紅玉ルビーのような瞳。長身でギチギチに鍛え上げられた肉体の前衛職。純白の重鎧を身に纏い、大剣と盾による圧倒的な突進力で敵を蹂躙する。


 聖闘士せいとうしシェーレ──

 澄んだ空のように青く長い髪に、切れ長の蒼玉サファイアのような瞳。身長も高く、細身の体がしなやかな万能職。動きやすさ重視のために防御力を捨て、ノースリーブの黒いタイトロングドレスを身に纏う。短剣や長弓、その他様々な武器種を網羅し、多彩な術技で敵を封殺する。


 光術師こうじゅつしニーナ──

 柔らかそうな薄い桃色の髪に、温かで優しげな紅石英ローズクォーツのような瞳。背はそれほど高くなく、ふわりとした雰囲気の後衛職。純白のローブを身に纏い、光り輝くロッドを用いて広範囲殲滅の光術を行使する。


 聖者アッシュ──

 現人神あらひとがみとさえ称される、人知を超えた魔力を有するこの世界の最上位職。灰色がかった黒髪で、慈愛に満ちた黒瑪瑙オニキスのような瞳も灰色がかっている。金糸きんしで装飾された純白のローブを身に纏い、この世の災禍をことごとく退ける。


 そうして今、アッシュのパーティーは絶体絶命の危機に──いや、バッドエンドを迎えようとしていた。



「ア、アッシュ……なんで……だ……」


 アッシュの目の前──

 長年一緒に戦ってきた幼なじみのアランが、ビシャビシャと血を吐きながら苦しそうに呻く。


 そんな中、アッシュの頭の中では「だから与えられた力を使ってと言ったのに……」と澄んだ綺麗な声が響く。以前からアッシュは、この頭の中で響く声に悩まされていた。


「ち、違う! 違うんだ!」


 そう叫ぶアッシュだったが──

 握りしめた剣はアランの背中に深々と突き立てられ、血を滴らせていた。そうして「違うんだ」と叫びながら力を込め、そのまま貫く。

 それと同時、アッシュの頭の中では「もうダメね」と、先程と同じ澄んだ綺麗な声が響いた。


「が、がはっ……」


 アランは力尽きたのか、膝から崩れ落ちて倒れ込んだ。すかさずアランから剣を引き抜いたアッシュが、現状を理解出来ずに呆然とするシェーレに斬りかかる。


 突然の事態に対処出来ないシェーレが斬り伏せられ、まるでスローモーションのように倒れる。倒れた地面には真っ赤な血が広がり、シェーレは目だけをアッシュに向けた。


「アッシュ……ゆ、許さない……絶対……に……」


 それだけ言い残すと、シェーレの目からは光が消えた。アッシュの頭の中には「もう戻すしかないわね」という声が響く。


「ち、違うんだ! 僕じゃない! 僕じゃないんだ!! 体が勝手に! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 力の限りにアッシュは叫んだ。悲鳴にも似た魂の慟哭を響かせ、この状況を何とかしようとはするが……


 体が自由に動かない。


「アッシュ! やめて! やめてよ!」


 そんな叫ぶことしか許されないアッシュを、後ろから抱きしめるニーナ。手は震え、ボロボロと涙をこぼしていた。


 相変わらずアッシュの頭の中では「でも次に力を使ってくれるとは限らないし……」と、澄んだ綺麗な声がする。


「ニーナ! 違う! 違うんだ!!」


 アッシュ自身もこの事態に理解が追いつかず、違うんだと同じ言葉を連呼する。ニーナはとても怯えていて、涙でグシャグシャの顔で震えながらアッシュを見つめる。

 そんなニーナの首筋を──


 無情にも剣で切り裂くアッシュ。


 ニーナの首筋からは噴水のように血が噴き出し、そのまま地面へと倒れ込んだ。


 倒れたニーナが「ア……シュ……だ………………」と、なにかを言おうとするが、聞き取ることは出来ない。そうしてアッシュの頭の中で響く、「だけどこれほどの力を持った人間がまた現れるとは限らない」という声。


「うぅあぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!!」



 なんだこれは──

 なんでこんなことになっている──

 みんな死んだ──

 みんな殺した──

 僕が……



 気付けばアッシュの純白のローブは、仲間の返り血でどす黒く染まっていた。困惑と絶叫。後悔と嗚咽。

 込み上げる吐き気の中、アッシュの体に自由が戻る。


「ニーナ! ニーナ!」


 アッシュが自由になった体で、血まみれのニーナを抱きしめて名前を叫ぶ。既に反応はなく、アッシュの腕の中で冷たくなっていくニーナ。


「リザレクション!!」


 聖者であるアッシュの蘇生魔法──

 リザレクション。

 もはや奇跡のような魔法で、死んだ者を蘇生することが出来るはずなのだが──


「なんで……だ?」


 なんの変化も起きず、しばしの静寂が訪れる。効果がない──などではなく、魔法自体が発動しない。


「リザレクション!」

「リザレクション!」

「リザレクション!!」


 薄暗い洞窟内に、アッシュの声だけが虚しく響き渡る。


「なんで発動しない! 魔力はまだある! まだあるのに!!」


 そんな叫ぶアッシュの頭の中では「あとがなくなるけどやるしかない!」と、あの澄んだ声がする。この状況も、頭の中で響く声も、何もかもが理解出来ずにアッシュが嗚咽する。そんな中──


「ふふふ、その返り血で染まったローブ……とっても似合ってますよぉ?」


 アッシュの耳に、今まで頭の中に響いていた声と同じ声が届く。そう──


 魔王だ。

 漆黒のローブを身に纏い、赤い瞳を輝かせたむくろのような魔王。いや、



 そうだ……

 僕達はこいつと戦っていたんだ……



 シェーレが引き付け、ニーナが魔法で牽制。アランが懐に飛び込んで攻撃し、アッシュは聖者として回復と支援。


 いい感じだった。あと少しだった。あと少しという所で、魔王は形態が変わったのだ。美しい金髪に金色こんじきの瞳。背中からは金色に輝く翼を生やし、思わず見とれてしまうような──


 美しい女神のような姿に。


「なにが起きたのか分からないみたいねぇ?」

「な、なんなんだ! 僕に何をしたんだ! い、いや……昔から僕の頭の中に語りかけていたのはお前だな!」

「話しかけるのは今が初めてよぉ?」

「ふざけるな! 『なぜ力を使わない、与えられた力を使え』と語りかけてきたじゃないか!」

「私の声と間違えるなんて……もしかしてあの子かしらぁ? まだ頑張ってたなんて嬉しいわぁ。それよりぃ……みんなを返せなんてぇ……殺したのはあなたよねぇ? 殺した感触なかったのかしらぁ? ふふふ」


 美しい金色の女神が妖艶に笑う。


「今ならまだ間に合うかもしれないんだ! 蘇生させてくれ! お前が何かしてるんだろ! お願いだ!」


 敵である相手に懇願するアッシュ。もう何がなんだか分かっていない。


「殺したり生き返らせようとしたり大変ねぇ? 必死なあなた……とぉってもかわいいわぁー」


 相変わらずの澄んだ綺麗な声で、緊張感の欠片もない調子で語りかけてくる。


「聖者のあなたじゃ私は倒せないのよぉ? あなた達からは魔王と呼ばれていますがぁ……実は私ぃ……神なんですぅ」


 そう言って金色の女神がふわりと浮き上がり、「女神様ってやつぅ?」と、楽しげに笑う。


「暇だったから魔王ごっこしてたのぉ。聖者は神に逆らえなぁーい。それどころか手足となって働いて貰うこともできるのよぉ? 聖なる属性である聖者は私のおもちゃなのぉ。つまりぃ……あなたが聖者だったからみぃーんな死んだのよぉー?」



 神だと……

 こいつが……

 聖者の僕を使って……



 困惑の表情でアッシュが金色の女神を見る。


「か、神ならなんでこんなことをするんだ! 世界に平和をもたらすのが神なんじゃないのか!? ……いや! そんなことを聞きたいんじゃない! とにかくみんなを生き返らせてくれ!」

「えぇー? 嫌よぉー。私は楽しいことがだぁーい好きなのぉー。苦しんで泣き叫ぶ姿って面白いじゃない? 神って楽しいわぁー。ふふふ」



 ダメだ……

 話が通じないとかそういうレベルじゃない……



 アッシュが絶望する。目の前の存在に体は全力で拒否反応を示している。震えが止まらない。考えがまとまらず、思考が停止してしまう。


「あらあらぁー、震えてしまってかわいそうねぇ? かわいそうだからぁ……そろそろ殺して楽にしてあげるわねぇ? ふふふ、あの子が邪魔に入ってもめんどうだしぃ……与えられた力というのは気になるけどぉ、ちょっと飽きちゃったわぁー。楽しかったわよぉ?」


 言いながら金色の女神がふわりとアッシュに近付く。



 ああ、今から殺されるのか……

 もうなにも考えられない……

 でもこれでみんなのところに行ける……

 ごめんなアラン……

 シェーレ……

 ニーナ……

 僕のせいで……

 僕が聖者だったばかりにこんな……



 どうしようもない現実にアッシュが目を閉じる。それと同時、アッシュの頭の中に「考えてる場合じゃないわ! 今から一度だけ時間を戻します! 諦めないでください!」と、あの声が響き──


 世界はまばゆい光に包まれた。


 

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