第三話『農? ノー。 脳!』
——農業革命。
約一万二千年前に起きたと言われる人間社会におけるイノベーション。それは一見素晴らしい発明だが、捉えようによっては、悲しみの始まり、終わりの始まりなのだ。浦田真白は、一万年二千年前にタイムスリップして、農業の誕生を阻止することを思いついた。当然ながら、タイムスリップにはタイムマシンが必要。その実現のため、リューグジョニウムの研究を再開しようと、四ヶ月ぶりに
__兵庫県 神戸市 中央区
周長十キロメートル、金属まみれのドーナツ型の施設の中。
元いた研究者は去ってしまい、閑散としている。
新元素の捏造に加担した、とされるいわくつきのラボに所属し続けるのは、研究者のキャリアに泥を塗ることになるので、こうなるのもやむを得ない。
そこに唯一残るのは、
原子核物理学の
リューグジョニウム騒動に巻き込まれた阿久田博士は、せっかくの加速器を持て余し、ヨレヨレの白衣を妖怪一反木綿のように漂わせて、ラボの中を無気力に徘徊する毎日を過ごしていた。
そしてそこに、浦田真白が帰ってきた。
「おーい! 阿久田博士! 私よ! 浦田真白! 研究を再開しに、地獄の底から舞い戻ったわよ!」
元気いっぱい、おろしたてのパキッとした白衣の浦田真白。
ヨロヨロ歩く、阿久田博士に駆け寄る。
「おお! 浦田くんじゃないか! 騒動後、急に消えてしまったものだから心配していたよ。まぁ、無理もないが。で、元気にしていたか?」
浦田真白は『騒動』と聞いて、瞬時にあの悪夢を脳内で反芻し、やや元気を削がれ、
「ど田舎の実家に引きこもり。正直、気分はずっとダダ落ちだったわ。博士こそどうなのよ?」
と、少し口調が落ち着く。
「加速器の建設費用の支払いで散々だよ。あの騒動以来、国からも、諸機関からも資金提供がストップ。五千億円だぞ? もはや高飛びする気力も出ない」
と、阿久田博士もなかなかに厳しい状況だった様子。
「そんな調子だとは思ってたわ。で、暇なら研究に協力してくれないかしら? 私、今とても研究意欲がみなぎってるの!」
浦田真白は、両手で握り拳を作って、やる気をアピールする。
「ほぉ、立ち直りが早いな。若いねぇ。次は何の研究を……」
と、勘違いする阿久田博士の言葉を、
浦田真白はすぐさま遮り、
「違うってば! 『リューグジョニウム』の研究を、もう一度しに戻ってきたのよ!」
と、言い放つ。
もう終わったはずの『リューグジョニウム』という語を聞いて、
阿久田博士はキョトンとする。
「まさか、本気か?」
「ええ、本気よ。リューグジョニウムを実用化してタイムマシンを作って過去へ。取り立て屋から逃げましょう?」
浦田真白は犯罪幇助を提案する。
「おお! 浦田くん、その手があったか! 過去に逃げて借金踏み倒し!」
と、阿久田博士は嬉々として賛同する。
「でもごめんね博士、逃げるっていうのはちょっと違うくて、本当の目的は、過去の人類に会って、農業をやめさせる。それで人口が増えなくなって、大きな集団、国とかはできなくなって、このクソみたいな国際社会は生まれなくなるの! そしたらもう、どこの誰が何を発見しようが、その発見を揉み消したり、なんてことは起こらない。わかるわよね?」
という途方もない壮大な提案に、
さすがの阿久田博士も冷静になり、
「えーっと、ちょっと待ってくれ浦田くん。面白い発想だが、飛躍がとんでもないし、どこから突っ込めばいいのやら……とにかくそのアイデアにはどこか穴があるような気がする……」
「穴? まぁ! 博士まで私を否定するの……? 国際研究公正委員会や、世間のように! シクシク……」
浦田真白は、泣き真似をする。
間違いを指摘されることが、トラウマになっている。
阿久田博士は慌てて、
「いやいや、そういうわけじゃない。おしい、と言いたかったんだ。人類と農業……知り合いに人類学者がいるからそいつを呼ぼう。浦田くんのアイデアの蕾が花開くかもしれない!」
とフォローする。
「本当? じゃあお願いするわ」
***
明る日。
阿久田博士は、友人の人類学者、
「佐備円周作さん、よろしくお願いします!」
浦田真白は、握手のために、真っ白な両手を差し出す。
それを、佐備円周作の毛深い手が迎える。
「うん。浦田さんのアイデアの斬新性につい惹かれて、来てしまったよ」
「えへへ、私、突飛な発想だけは得意なんです」
照れる浦田真白。
「だろうね、リューグジョニウムの件でそれは折り紙つきさ。で、なんでも浦田さんは、農業をぶっ壊したいらしいね」
浦田真白は拳を握り、
「はい! ぶっ壊します!」
と言って、隣にいる阿久田博士を小突く。
「いでっ」
「農業をぶっ壊すっていうのは、何を持って農業をぶっ壊すことになるんだろうか? ちょっと見えないなぁ。人類学者の僕が思うに、それよりも、『農業を利用しなければ維持できないほどの大集団ができること』の方を阻止するべきなんじゃないかな?」
と、学者っぽく小難しい主張を始める佐備円周作。
「どういうことです? 農業が発達すれば自ずと人は増えるし、集団ができて当然ですよね?」
浦田真白は、畑違いの議題にも、ズバッと切り込む。
「確かに、農業は人を増やす。食べ物が増えれば、それだけ多くの人を養えるからね。ただ、人が増えることそのものに問題があるというより、その増えた人が組織や国といった『ひとまとまりになる』ことが争いの発端になるわけだ。いくら人が増えようと、それをひとまとめにする何かが存在しなければ、すぐに分裂してしまうだろう。つまり何が言いたいかというと、増える能力ではなく、まとまる能力をなくせばいいんだ。
増える。まとまる。その二つの言葉の意味は全く異なる。
「まとまる能力……その視点はなかったです。まとまる能力って、具体的にはどんなものかしら?」
「まとまる能力。つまりは『虚構』を生み出して、それを人と人の接着剤にする能力のことだよ。例えば、ある地域を『A国』という無形の概念でひとまとめにしてしまえば、その地域に住む人々は、自分は『A国人』だ、と認知する。でも『国』なんてフワフワしたものは、実際には存在しない、人々の脳内にある『虚構』なんだ」
虚構。我々の周りの、あらゆるものが、虚構。
「なるほど。じゃあ、農業じゃなくて、脳内の『虚構』をぶっ壊すのね! そのためには、いつの時代にタイムスリップすればいいのかしら?」
と、浦田真白は、とにかく早く何かをぶっ壊したくてたまらない。
「人類の脳が、虚構を生み出す能力を身につけたのは、どれだけ早く見積もっても、四万年ほど前。四万年前に戻って、原始人に接触して、虚構を生み出すことを阻止するんだ!」
「はい! 是非ともそうします! でもどうやって、人類が虚構を生み出せないようにするんでしょう? 脳みそを
「それは僕も、今考えているところだ。どんな方法が効果的だろうね……難しい」
人類学者をもってしても、難儀な問題らしい。
議論が滞ったところで、ほぼ空気と化していた阿久田博士がメスを入れる。
「ちょっと失礼。浦田くん、虚構をぶっ壊すのは構わないが、それよりもずっと重要な問題を、忘れてるんじゃないのか? そもそもまだ過去に戻れると決まったわけでは……」
「えーっと、はい。リューグジョニウム自体は確かに過去に戻るけど、それを使ってどうやって人間を過去に送るかですね。ああ、前途多難だわ! でもあの時ほどじゃない!」
こうして、タイムマシンの開発に向けた、リューグジョニウムのさらなる研究が始まった。
〈第四話『タイムマシン完成!』に続く〉
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