第二話『農業への猜疑心』
【注意】本稿に農業従事者の方々への攻撃の意図はありません。私はお米やお野菜が大好きです。いつも色んな八百屋さんから、新鮮で、(おそらく)安全で、美味しい野菜を購入させていただいております。食料自給率よ、伸びろ!
__京都府
リューグジョニウム事件から約四ヶ月後。
ひろーいひろい畑に、つば広帽の乗った、小さく丸まった背中。
しゃがみ込み、俯いて陰る白い顔の持ち主は、浦田真白。
彼女の視線の先には、茶色い土に植った、緑色のギザギザ葉っぱたち。
水菜だ。
泥のついた白い手がその一株に伸びる。
\プチッ!/
長い根がごっそりと抜けたその株は、某天空の城のような姿をしている。
それを、そばにある籠へ、ポイっと捨てる。
ギザギザの葉がほどよくついた、中くらいの株を残しながら、残りを間引く。
\プチッ!/ \プチッ!/
それも、等間隔で。
株と株の間の間隔が、十五センチメートルほどになるように。
こうすれば、もう半月もすれば質のいい大株が収穫できる。
浦田真白の背後に、似たような格好の、似たような顔の女性が近づく。
彼女の母だ。
母は水菜を引っこ抜くのに夢中になっている娘に声をかける。
「もう真白、軍手くらいしなさいよ」
「いいの、この方が直接手を下してる感じがして気分がいいの……」
サディスティックな返事。
今や科学の表舞台から消えた浦田真白。せっかく心血を注いできた素粒子物理学から距離を置いていた。研究を続けたい一心で、どの研究所の扉を叩いても、どのみち入所拒否。『大ホラ吹き』や『詐欺師』といったレッテルが一人歩きしており、皆彼女の顔を見た途端に、まるでゴミを見るような目で睨みつけて追い返す。つまり、浦田真白は、科学界からの事実上の出禁扱いになっていた。
リューグジョニウム事件の直後、家族から多分に心配され、農家を営む実家に戻って、平和に、穏やかに、ひっそりと家族と暮らしていた。
だが、彼女を非難した世間の声は耳に焼きついており、反芻することをやめない。
夜も昼も脳に響く、罵詈雑言。
〈再実験の結果、同氏の実験には再現性の欠如が認められた〉
——〈うそだ! お前たちは再現できないフリをした!〉
〈やっぱり不正か。最初からなんか胡散臭いと思ったんだよな〉
——〈お前に何がわかる? 科学の
〈お得意の『リューグジョニウム』を使った時間逆行で……〉
——〈時間逆行……。そうだ、時間を、戻す! 旧石器時代だか縄文時代だかわからないけど、少数の原始人が木の実でも採集して、野生動物と小競り合いしている時代があった。でも原始人の集団が大きくなって、より多くの食料が必要になり、狩猟採集から農耕社会になった。植物を栽培し、収穫することを学んだんだ。栽培し収穫すると言うことは定住すると言うこと。ますます収穫量は増え、さらに人も増え、村ができ、町ができ、市ができ、県ができ、国ができ、ひいては隣の国と国境がぶつかり、土地の領有権を主張し、争うようになった。だからこんな暮らしにくい国際社会になったんだ! 広い地球でのほほんと暮らしていれば、どこか遠くの他人の業績を潰そうだなんて思うことはない。人間は愚かな生き物だ! 今あげた中で一番大きな転換点はどこだ……? そうだ、農業だ。食料の大量生産なんて思いついてしまったから、人が増えて争うようになった。ならば私は……狩猟採集から農耕社会への転換を阻止すればいいのでは!? 農業を……ぶっ壊す!!〉
浦田真白はパッと立ち上がり……
「お母さん、私、研究を再開する!」
と高らかに宣言し、間引いた水菜の入った籠を、ドンガラガッシャンとひっくり返す。
「真白? どうしたのよ急に」
困惑する母。
浦田真白は茶色い大地を一歩踏み込み、
「こんなことしてる場合じゃない! ちょっとごめん! 通るね!」
と、勇ましい歩みを始め、まるで闘牛のように母を蹴散らしていく。
「ちょっと、危ないじゃないの! ていうか、間引き作業の続きは?」
と、怒る母。
浦田真白は母の声に振り返りも立ち止まりもせず、
「そんなことより研究なの研究! お母さんあとはよろしくね!」
と、綺麗に整列した水菜の茂りの上を横断しながら、最短距離で家の方角へと猪突猛進する。
「ああちょっと真白! 水菜踏んでるってば!」
母の声は、娘の耳には届かない。
〈第三話『農? ノー。 脳!』に続く〉
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