第5話 凶戦士


 それは色彩の狂宴だった。


 暗い闇の森の中に、暴力的なまでに強烈な原色が蠢いている。


 

 どぎつく強烈な色が蠢き、溶け合い混ざり合い、新たな色を生み出す。

 いや。溶ける混ざるなどと生やさしいモノではない。


 存在する色彩が互いを貪り喰らい膨張し、糞をひり出すように新たな色を産み落とす。

 眼が痛くなるほどハッキリとしていた色味は、混ざり合うたびに濁りくすんでいく。


 だがそれは、けっして単調にはならず無数の色を孕んだままのモザイク。


 決して自然界には存在しない狂った迷彩。狂った神が気まぐれで描いたカンヴァス《聖像画》。


 それは供物として捧げられた犬の死骸を核に、周囲のものをむさぼり食い生まれた極彩色のワーム。


 それが重なり合い溶け合い離れ、またひとつに溶け合う。無尽蔵としか思えぬそれが、狂ったように森を蠢いている。


 その光景に、イオは堪らず胃の中のものを吐いた。


「ロシェ…」


シスルの目の前で、触手に身体を巻きつかれたロシェが、こちらに手招きをしていた。


「行けないよ。あたしはまだ行けない」


シスルが声を震わせた。


「ぐぉべべべべ」


 ロシェの口から大量のワームが湧き出した。

 眼前を醜悪な悪夢が覆う。この後訪れるおぞましき自分たちの未来を思い、イオとシスルは無意識に手を握りあった。


 だがーー


 ボッビューーと、重い闇を貫いて疾風が走った。

 今まさに。イオたちに襲い掛からんとしていた触手が爆ぜた。


 その瞬間、森がざわめいた。それはマデイアシュと呼ばれる異形が上げる苦悶の悲鳴だった。


「なに?」


 錆びた剣が触手を射抜き地面に突き刺さっている。


「拾いモンにしちゃ、上出来だな」


 闇の奥から声が迫る。


「いやいや、いやいや。オレの腕が良いってことだよな」


 音も立てず、闇を押しのけるようにして分厚い黒ずくめの男が姿を現した。


 岩狼ロックウルフ

 その姿を見た瞬間、イオは森の主が現れたのかと思った。


「誰だ!」

「ただの通りすがりだよ」


 シスルの鋭い声に、男が口角を上げる。


「どなたですか?」


 髪は短く、無骨そうな男であった。背はそれほど高くない。だが古びたマントを押し上げる体躯は岩のようにごつい。その手に武器はなく、見たことのない籠手のようなものをはめたいるだけである。


「俺かい?そうさなぁーー」


 一見、強面であるが太々しい笑みは人を惹きつける磁味がある。

 男は眼の端に刻まれた傷を掻きながら、小首を傾げた。


 突然。

 まるで木の葉が舞うような、ゆるりとした速さで男が動いた。


「くっ」


 身の危険を感じシスルが身を固くする。


 だが、シスルとイオが動けずにいる脇を、男はそよ風のようにすり抜け、「ふんっ」と、腕を振るった。


 湿った皮袋が弾けるような音を立てて、不気味な触手が弾けた。

 マディアシュの触手が二人を襲おうとしていたのだ。

 それを男は腕の一振りで砕いたのだ。


「オレも、あんたらに聞きたいことがあるんだ。詳しい話は、コイツを片付けてからにしようぜ」

 

 拳についたアディアシュの破片を振り払う男の顔に、太い笑みが浮かんだ。


「バカな!死ぬぞ。濁灰神に勝てるわけがないだろ」


 シスルが呆れたように叫ぶ。


「濁灰神?」


 男は首を傾げ、再び襲ってきた触手を掴んだ。


「なんだよ鵺神ぬえがみじゃねぇのか…」


 なぜか男は肩を落とした。


「バカ、ぼさっとするな!喰われるぞ!」

 

 前のめりになるシスルの肩を、イオが止めた。


「何すんだ。アイツ死ぬぞ。いやそれより今のうちに逃げたほうが」


 背後の森に振り向きイオの手を引く。

 だが…


「大丈夫です。任せましょう」


 だが、毅然とした眼で男の背を見つめるイオに、シスルは動きを止めた。


「おい!お前も死にたいのかよ」

「不思議ですね」

「なにがだよ」

「シスルさんたちは私を供物に捧げようとしていらしたのに、今は助けてくれるのですね」

「あたしだって好きでこんなこと……」

「ありがとうございます」


 イオは微笑んだ。


「おい、嫌味かよ」

「違いますわ。助けていただいたことに、心の底から感謝しているのです」

「なら、今のうちにさっさと逃げるぞ」

「大丈夫です」


 強く手を引こうとするシスルを、イオは押し留めた。


「この状況では逃げ切ることは無理です。ですから、あの方にお任せしましょう」


 諦めではない。確信めいた調子でイオは言い切った。


「お、おい。お前なにを根拠に」

「ご覧になって」


 イオの示す方に、シスルも視線を走らせた。


「こりゃやっぱり、彼岸の向こう越えちゃったのかぁ」


 一瞬、触手を受け止めた男の掌が、かすかに淡い光を放ったように見えた。

 次の瞬間、男の掌に掴まれた触手が空気中にほつれるように霧散していく。


「でもタチ《本質》は似たようなモンだな」


 男の顔に獰猛どうもうな笑みが浮かんだ。それは獲物を狩る肉食獣の笑みだ。


 ゾクりーーと、シスルの背に冷たいものが走った。

 果たしてそれはマディアシュに感じたものか、或いは……


「おい。姉ちゃんたちは下がってな」


 言うや否や、男の身体がわずかにに沈んだ。 倒れるかと見えたその瞬間、しなやかな黒いが走った。

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