第3話 五色灰濁


 闇が犬の死骸を包み込んだ。それはまるで闇が死骸を喰らうにみえた。


 否。違う。

 犬の死骸が闇を吸い込んでいるのだ。


 いやそれも少し違う。

 眼、鼻,耳…だらしなく舌を出し弛緩し切った口吻に肛門。犬の死骸に開いた穴という穴に向かい闇が吸い込まれていく。


 そうではない。逆なのだ。

 闇が犬の死骸の穴という穴に潜り込んでいるのだ。

 

 それは潜り込むなどという可愛いものではない。短い獣毛の根本、全身の毛穴にすら闇は貪欲に潜り込んでいく。


 闇に蹂躙される犬の死骸。

 まるで痩せこけた犬に無理やり餌を食わせているかのように、犬の身体が張りを取り戻していく。

 

 赤褐色だった犬の身体が黒く染まり、膨れ上がった水風船のようであった。


 その光景に仮面の女たちは奇声をあげ、さらに激しく踊り狂う。


 しかし、シスルと呼ばれた鳥面の女だけが一瞬、その様子に身を固くしたが、何かを振り切るようにすぐに舞いはじめた。

 

 そしてその時は唐突に訪れた。

 むくり…と、死んでいたはずの犬が立ち上がったのだ。


 パンパンに膨れ上がったその身体は、犬というより肉でできた鞠のようである。

 しかも赤褐色だった毛に灰色や青赤緑橙などの染みが生じ、斑なモザイクのように変色している。


 それだけではない。

 醜悪なことにそのモザイク自体が生きたアメーバーのように蠢き、身を寄せ合い離れ増殖していく。


「マッディ…」


 舞を止めた蛇面の女の声が震えている。


「うぶぉ」


 その醜悪さに虫面の女が堪らず吐いた。


「バカ!舞を止めるなーー」


 獣面の女が叫んだ。だがーー

 突如、犬の表面で蠢いていた濁ったモザイクアメーバが鞭のように触手を伸ばした。


 それが虫面の女に喰らいついた。鞭のようであったそれの先端が膨れ上がり、獣のような顎が生じ、仮面ごと頭を呑み込んだ。


 バリ

 ボリ

 めり

 ゴキュ


 灰濁色の鞭の先端が女の頭を咀嚼するたびに、弛緩した身体が陸に上がった魚のように跳ね上がる。


 その無惨な光景に、他の仮面の女たちも舞を止めていた。

 

 唯一、祭壇に縛られた少女だけが顔を向けることができず、その光景を目の当たりにせずに済んでいた。


「な、何が起こったのです。いったいどうしたのですか」


 それが幸か不幸か。それゆえにこの場にあって少女一人が声を発することができたのだ。

 

 だがそれが更なる惨劇の引き金になってしまった。ことを誰が責められよう。


 最初に、少女の声に我を取り戻した蛇面の女が悲鳴を上げた。背を向け逃げ出したそこに別の触手が襲いかかった。


「きひっ」


 脊椎を噛み砕き、触手は胸を食い破ると蛇面の女の顔を呑み込んだ。

 そこからは地獄だった。



 腐り濁った触手が踊るように暴れる。斑のアメーバを貼り付けた触手が女たちを貪り食うたびに、犬の身体が膨れ上がっていく。


 闇を取り込み女たちを血肉とし、巨大な岩のような化け物がそこに産まれていた。




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