第2話 聖贄姫


 闇の中にあって、一際異彩を放つものがあった。


 それは灰白色の岩で作られた祭壇であった。 特別な装飾がされているわけではない。


 だが明らかに人の手によって削りだされたそれは、人智を超越したなにかに向けて作られたものであることは明白。


 異形の面を被った女たちは、その岩を取り囲むようにして舞っているのだ


 突如、その祭壇の上で何かが動いた。すると篝火に照らされて、光が波を打った。


 ハラリと、絹で織られた純白のドレスが祭壇の上で柔らかな光沢を放った。


「ここは…」


 いまだ微睡まどろみより覚めぬ儚げな声が闇に溶けていく。


 だがその刹那。

 自身の身に降りかかった不運が脳裏によみがえり、美しいブロンドをした少女は眉をしかめた。


「すぐに離しなさい!この無礼者め!」


 気丈にも少女の口から出たのは悲鳴ではなく、毅然とした叱咤しったであった。


 まだ青臭さの漂う蔓で縛られた四肢を激しく暴れさせると、たちまち薄絹のような白い肌が裂け、血が滲じむ。


「このような狼藉、断じて許しませんよ!」


 皮膚の裂ける痛みなど微塵みじんもうかがわせず、毅然とした姿を崩さぬ少女の前に、鳥のような面をつけた女が顔を寄せた。


「かはっ。この状況だというのにそれだけの虚勢を張れるとは、さすがだね」


 口元まで面で覆われ声はくぐもっている。だがその声は思いのほか若い。祭壇の少女とそう変わらぬだろう。


わたくしにこのような真似をしてなにが目的なのです」


 少女もそれを案じたのか、緊張が薄らいだようだった。


「面白い小娘だね。決まってるだろ。昔から高貴なる生娘が祭壇に上がるとしたらしかないだろ」

「い、生けに……」


 思わず突いて出てきそうになる言葉を、少女は必死に噛み殺した。


「察しが良いじゃないか。そうさ生贄だよ。この地の混沌を鎮めるために、高貴な姫さまに生贄になっていただくのさ。まぁ生娘かどうかは知らないけどね」


くぇぇぇーーと、両手を鳥のように羽ばたかせ、面の女が鳴いた。


「シスル。喋りすぎだよ」


 虫のような面の女が、舞を止めることなくたしなめる。


「ふん」


 シスルーーと呼ばれた女の面の奥で、炎を映した瞳が微かに揺らいだ。


「あなた……」


 少女にはシスルの瞳が濡れていたように見えた。

 だかシスルはすぐに背を向ける。少女に激しく舞い踊る鳥面の奥を確かめる術はない。


「来るよ」


 そう言ったのは魚面の女だったか。

 突如、闇がその濃さを増したのだ。


 強烈に濃度を増した闇にあてられ息が苦しくなる。

 仮面の女たちに一斉に緊張が走った。


 それまでも充分に闇は濃かったが、この瞬間から明らかにそのたちが変わったのだ。


 例えるならばそれは、質量を持った闇。重く冷たい汚泥が闇に溶け込み、呼吸とともに身体に侵入してくるような不快感。

 

 少女は形のよい唇を噛み締め息を止める。だがそんなささやかな抵抗は長くは続かない。

 反動で大きく息を吸い込まぬよう、必死に耐えた。


 しかし森の奥から、ドブ泥が腐ったような臭いが這い寄ってきたとき、そのささやかな抵抗は無駄に終わった。


 まるで粘液のような臭いが身体の毛穴から染み込み、身体を汚されそうに思えて、少女は初めて泣きそうに表情を崩した。


だがそんな少女を一瞥いちべつし、獣面の女が祭壇の下からひと抱えもある皮袋を引っ張り出した。


 皮袋の表面は黒く濡れており、ズッシリとした重さを感じさせる。

 獣面の女が皮袋から取り出したのは、まだ血の滴る黒い山犬の死体だった。


「まずは前菜を喰らいな!」


 獣面の女が闇に向かいそれを投げると、一斉に闇が騒めいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る