#05 奇妙な酒盛り
夜になってから、セディクは将軍の天幕に改めてお邪魔した。
「おう、来たか。座れ座れ」
将軍は軽い調子でセディクを出迎えた。たまにこの人は自分の身分を忘れてるんじゃないかと思う。
シドはすでに来ており、憂鬱そうな顔で厚いラグを敷いた地面に座っていた。
ラグの真ん中には酒とつまみが用意されている。
酒を囲むように、セディクは空いた場所に座った。
「仕事が山積みなのに酒盛りなんて……また嫌味を言われるな、です」
「こういうのはやれる時にやっとくもんだろ。後回しにしてたら、誰か死ぬかもしれん」
将軍の言葉はここが敵地であることを嫌でも思い出させた。
帝国軍はバルカニア半島に進軍を続けている。大軍を前になすすべもなく、これまで通ってきた村や都市は降伏した。よってまだ大規模な戦闘は起きていないが、いつまで続くかはわからない。
確実なのは、バルカニア半島の連合軍は決して黙っていないことだ。
「あまり気を張りすぎるなよ。今から心配したところで、どうにもならん。いざって時に最大限動けるように、気を抜けるときは抜いておけ」
「はい。恐縮です、閣下」
将軍に酒をついでもらい、緊張しながらセディクは杯を受けた。
「素敵な女性との恋に」
杯を掲げて、将軍は一息で酒を飲み干した。とても美味しそうに酒を飲む人だった。
セディクとシドも杯を掲げて酒に口をつけた。芳醇な香りの蒸留酒だった。セディクではめったに飲めない高級品だ。
「つまみがしょぼいのが難点だな。補給が滞ってるせいだ」
ナッツをぽりぽりと食べながら将軍はぼやいた。つまみがあるだけ恵まれているほうだ。こころのところ一般兵のパンは日に日に小さくなっており、すべてにおいて節約を求められていた。
「腹をすかした兵が付近の村なり民家に略奪に行かないよう、そろそろ警告しないとな」
「言いたくはねぇですが……抑えのきかない兵の気晴らしを取り上げると、鬱憤をためて何をしでかすかわからんですよ、閣下」
兵の鬱憤解消のために略奪を認めるべきと聞こえるシドの進言に、セディクは居心地悪く視線を落とした。
セディクの所属する第一近衛隊は将軍の護衛を務める。そのため、ある程度身元のしっかりした信用に足る人間ばかりで構成されていた。
だが戦争になれば様々な人間が集まる。参戦義務を負う騎兵貴族が連れてきた兵士たちはまだ統制がとれていたが、傭兵として志願して来た者の中には、ごろつきのような人間も多かった。
そういった犯罪者のような人間すら活用して戦わなければならないのが戦争なのだ。それを突きつけられる思いだった。
「必要があれば根こそぎだろうと徴発はする。降伏した以上、帝国の麾下だ。何だろうと協力してもらう。だからこそ俺の命令なしの略奪は許さん。帝国の予備の物資に手を付ければどうなるか、必要なら見せしめにしろ。戦下において物資に手を付けたものは、どんな理由だろうと絞首刑だ」
「はい、閣下」
涼しい顔で副官は頷いた。わかっていての確認だったのだ。セディクだけが青い顔で、二人の雑談を聞いていた。
「仕事の話はいいだろう。俺は『手紙の君』の話が聞きたい」
たった今、人を絞首刑にする話をしていた将軍に興味津々で話を振られ、セディクはたじろいだ。
シドも聞きたそうな様子だ。二人は誤解している。
手紙の相手とセディクが付き合っていると思っているのだ。だが手紙はリーシャからの礼状だった。
リーシャの話はセディクには出来ない。会ったのは港へ迎えに行った一度きりで、よく知らないのだ。複雑な家庭環境のことはファトマに少し聞いたが、それをベラベラ喋るわけにはいかないだろう。
結局、セディクは誤解を誤解にしておくことにした。
「ファトマとは……劇場で知り合いました。歌劇の新作を見たいと妹たちにせがまれて連れて行ったんです。そこで、男にしつこく付きまとわれている彼女を見つけました」
男は顔見知りを偶然見つけた様子で、話もしたいからファトマのボックス席で一緒に見ようと馴れ馴れしく要求していた。ファトマは嫌がり、侍女は追い払おうと奮迅していたが、男は聞き入れる様子がなかった。
「それで助けた、と?」
シドの質問に、セディクは苦笑しながら本音をもらした。
「貴族同士のトラブルだし、関わりたくない気持ちもあったんですけどね。二人とも、かろうじて名前のある我が家とは違う高位貴族だとわかりましたから。でも妹たちに『助けてあげて』と言われては、見て見ぬふりもできず……」
ラインハルトが笑い飛ばした。
「妹の前で格好悪い姿は見せられなかったか」
「うちは僕以外、文官なんです。そのせいか、妹たちは僕を英雄のように思っている節があり……」
机に向かうのが苦手で、家族の中でも劣等感のあったセディクにとって、妹たちからの憧れの眼差しは家での居心地をずいぶん良くしてくれた。裏切ることは出来なかったのだ。
酒を飲みながら将軍は副官を見た。
「お前に足りないのは可愛い妹か?」
「妹つくれって話なら勘弁しろ、です。親父がもう死んでる、です」
「俺が――」
「それ以上言ったらその口縫い合わせるぞ、です」
殺しも厭わないとばかりの据わった目でシドは断言した。ラインハルトは肩をすくめて酒を流し込む。副官で遊ぶのは程々にしないと命に関わることを彼は自覚すべきだ。
「それで出会って――?」
付き合いに発展した経緯をシドは知りたいようだった。
「後日、お礼の手紙が届きました。お茶に招待されて、固辞しようかとも思ったんですが、妹たちがぜひ行ってきて貴族のお嬢様のお屋敷の様子を教えてほしいと」
シドは複雑そうな顔をしていた。やはり妹が必要なのか、なんて考えている気配がする。
「俺の協力が必要ならいつでも言えよ」
美貌の将軍が親切とばかりに言ったが、「死んでもごめんだ、です」とシドは断固拒否した。
「お茶会はどうだった?」
貴族の女性からの招待が日常的な将軍に尋ねられ、「別世界でした」とセディクは苦笑した。
「広い庭に綺麗なバラ園があって、手入れをする専属の庭師さんがいて。外国産だという茶葉に、芸術品みたいな砂糖菓子。緊張で味なんかよくわからなかったです。妖精の園にでも迷い込んだような気分でしたよ」
これが彼女の日常なのかと、セディクは強く身分の差を感じた。一方で妹たちに十分な土産話が出来たと思えば、どこか気楽なものだった。
お茶会にはお礼以上のものはなく、もてなしは心のこもったものだった。セディクにはそれで十分だったのだ。
「助けもらったお礼にと、高価な絹のハンカチをもらいました。お礼を言って受け取って、長居せずに辞そうと思ってたんです。帰る前に一言、ご両親に挨拶したいと言ったら、彼女の顔が青ざめました」
お茶会もハンカチも、それなりにお金をかけて用意されたものだった。高位貴族の家では些細な出費かもしれないが、許可してくれた彼女の両親にきちんと礼を言うのが筋だと思ったのだ。将軍の護衛を務める第一近衛隊に所属しているので、貴族の間ではそうした礼節が特に重要だと教え込まれた。
セディクが礼を欠けば、将軍の教育がなっていないと言われてしまう。
「父君も兄君も不在だと彼女は言いました。お茶会もお礼の品も好きにすればいいと言われたそうですが……ショックでしたよ。家族が怖い思いをしたときに助けてくれた人がいるなら、ぜひお礼が言いたいと思うのは当たり前だと思ってましたから」
セディクの両親なら間違いなくそうしただろう。妹や弟を誰かが助けてくれたなら、セディクだって心から感謝して頭を下げる。お礼がしたいと言われて、「好きにすればいい」とお金だけ出して放っておくなんて考えられない。
「広いバラ園のある大きな屋敷に住んで、豪華なドレスを与えられても、彼女は孤独でした。母君を早くに亡くして、姉君が嫁いでからは、家は火の消えた冬の部屋のようだと言っていました。友人は多いようでしたが、それだけでは埋められないものがあるように見えました」
心配になって茶会の後に様子を伺う手紙を書くと、すぐ返事がきた。ファトマは家族のことを話せる相手に飢えていたのだ。
女友達には言えないのだという。「一番身分の高い女は、一番幸せな振りをしなくてはならないの。弱みを見せて舐められたら、何もかも終わってしまう」と彼女は言った。
「身分とお金があっても、彼女は幸福ではありませんでした」
「そんなものだよ。同情したか?」
平然と将軍に言われて、セディクは言葉に詰まった。少し笑って、ラインハルトは酒杯をあおった。
「不幸な女に弱いのは、うちの副官もだけどな。こっちは騙されてばかりだ」
「ちょっと待て、です」
なんで知ってるんだとシドは気色ばんだ。
「祖父の介護があるとか、父の借金があるとか。金せびられて終わるんだよな」
「おい、閣下!」
「やめとけって言っても『そんな子じゃない』と言い張るし。もう好きにすりゃいい。母上のことは俺に任せろ」
「人の母を口説くな!!」
「年の差なんか些細な問題だよ。身分差に比べればな」
唐突に釘を差されて、セディクは飲もうとしていた酒にむせた。そっと将軍をうかがうと、目があった。やはり自分に向けた忠告だったらしい。
「……やっぱり上手くいきませんかね?」
「間違いなくな。幸運の女神のお告げでもあって、父親が信仰心に目覚めれば別だが」
それは薄々、セディクも察していたことだった。
「実は、出征前に少しケンカをしまして。それで不安になったのか、戦争が終わったら結婚しよう。駆け落ちしてもいいと手紙が来たんです。なんて答えるべき迷って、まだ返事を出せてないんですが……」
酔いが回ったせいか、セディクは言うつもりのなかったことまで話してしまった。ファトマのことはうかつに人に相談できないので、抱え込んでいたせいかもしれない。
彼女は美しく、裕福で高貴な貴族の姫君だ。妬みや嫉みで他人に悪意のある助言をされたくなかった。
その点、二人なら大丈夫だと無意識に考えていたのだろうか。シドは善人だし、ラインハルトはセディクに嫉妬する立場にない。
「副官。固まってないで助言してやれ」
将軍に話を振られてシドは慌てて酒器を置き、姿勢を正した。
「ええと……話を聞いただけだが、彼女は家で孤独を感じ、お前が唯一の頼りなんだろう? ……拒絶しては可哀想だ」
「……そうですね」
痛いところを突かれてセディクは苦く笑った。セディクが返事を書けないのもそれが理由だった。拒絶したら、彼女はきっと絶望してしまう。
「同情で女と付き合う奴はこれだから」
呆れて酒をすする将軍の声は、無慈悲に斬り捨てる通り魔のようだった。
「上手くいくと思ってないのに一緒になったところで、どうせ破綻するぞ」
「上手くいくと思ってない? クーアが?」
不思議そうな副官に将軍はやれやれという顔で説明してやった。
「出征前のケンカ。些細なことなら戦争に行く前に仲直りするし、そもそも些細なことでケンカにならないよう気をつけるだろ。今生の別れになるかもしれないんだから。それでもケンカしたなら、些細なことじゃないんだろ」
(怖いなぁ……)
将軍ともなると、うっかり漏らした一言で何もかも察してしまうんだろうか。酔った状態では誤魔化せそうになかった。
酔いのせいで熱い顔を拭って、セディクは正直に白状した。
「彼女には妹がいるんです。事情があって長く離れて暮らしていましたが、一緒に暮らしていた祖父君の体が弱ってきたこともあって、戦争が始まる前に赤ん坊ぶりに戻ってきた。その彼女に対する態度が……」
「理想通りじゃなかったか。お前は特に、妹を邪険にするような人間は信じられないだろ」
将軍に指摘されてセディクは気付いた。自分は確かに妹たちを可愛がっている。そのせいで余計に過敏になっているんだろうか。
「……家族に顧みられなくて寂しいって彼女は言ってたんですよ。なのにもっと寂しい思いをしてきた妹に、自分と同じ思いをさせて平気なのかと思うと――」
身勝手だと思ってしまったのだ。寂しいのは嫌だとあれほど言っていたのに、彼女の言葉は結局「自分が寂しいのは嫌だ」ということでしかなく、幼い妹のことはどうでもいいのかと。嫁いだ姉がいたころは気にかけてもらっていたのに、ファトマ自身は姉のようになるつもりがなかった。
「まだ若いんだろ。自分の寂しさで手一杯の人間が、他人の寂しさを埋めるのは難しい。誰かに手を差し伸べてやれるようになるのは、自分の問題がある程度なんとかなってからだ」
そうかもしれない。ファトマはまだ若い。幼いままの部分もきっとあるんだろう。
「一緒に年を取っていけば変わるんでしょうか……」
「さあな。変わる人間もいるし、変わらない人間もいる」
ファトマはどちらだろう。本質は変わらないのではないかという諦観と、寂しい思いをしてきた分、愛情深い人間になるのではないかという期待が同じくらいあった。
どちらか選ぶなら信じたいとセディクは思った。彼女を愛しているからだ。
「悩むのも恋愛なら当然だ。好きにしろよ。上手くいかなくても、いっとき夢が見られれば、一生の思い出にはなる」
「けっ。女の敵がなに言ってやがる」
シドは居心地の悪さをごまかすためかずいぶん飲んだようで、べろんべろんだった。粗雑な敬語さえ失っている。
「クーア、そこの無礼者をたたっ斬れ」
「閣下の命令でもそれはちょっと……」
慣れているのか、将軍は「ここで寝るな。自分の天幕に行け」と副官を蹴り飛ばした。
「母に手を出すな、バカ野郎ー!」
泣きながらシドは将軍を罵った。お手本のような酔っぱらいである。とてもたちが悪い。
「ああ、うるさい。10年以上会ってないよ。俺が口説いたところで相手にされないから、お前はいい加減、身を固めろ」
「努力してるのに上手くいかないの知ってるだろうが」
五股に相当傷ついたようだ。セディクだってファトマに他に恋人が4人いたと出征前に知ったら立ち直れないだろう。
「わかった、帰ったら合いそうな相手を探して仲介してやる」
「やだ。その子も結局、お前に惚れるもん」
酒瓶を抱きしめながらシドはしくしく恨み言を言った。前にそういうことがあったのだと察して、セディクは彼に同情した。
「ひょっとして三人目か? それで恋人が出来ても俺に紹介しなくなったのか」
将軍には思い当たるふしがあるようだった。ばつの悪い顔をする彼に、唐突にセディクにある考えが浮かんだ。
ひょっとして将軍は、副官の話を聞いてやるためにこの場を設けたんじゃないだろうか。セディクのことは単なる口実だったのでは。
くだを巻くシドの隣で、ラインハルトは辛抱強く付き合った。この二人が長年の友人であることを、今更ながらにセディクは思い出していた。
「今だから言うが、実はお前の一人と二人目の恋人にも粉をかけられた。だからやめとけって言ったんだ」
「絶望的な真実をどうも、です……」
シドは塩をかけられたナメクジみたいになった。
置物と化していたセディクだが、あまりにシドが気の毒で口を挟んだ。
「……閣下とどうこうなろうなんて、その女性たちも度胸がありますね」
セディクは「身の程知らず」を言い換えてシドの過去の女性たちを非難した。ラインハルトは市井の女性が迫れるような相手ではない。
シドとラインハルトは黙り、気まずい空気が流れた。
何か失言したのかとセディクは焦ったが、
「……あの頃こいつ、身分を隠してた。です」
忌々しそうに、シドは説明した。将軍が補足する。
「家と縁を切って、名前と年齢を偽って軍に入った頃だからな。正体を知ってる人間は誰もいなかった」
「それは……」
つまり身分や金目当てではなく、単純にラインハルト自身を目当てに乗り換えられたのか。余計に気の毒で言葉が出なかった。
「悪いな。すべては母譲りの美貌と美声のせいだ」
「一回刺されろ、クソ閣下」
地獄の底から祟るような呪いの言葉を、美貌と美声の将軍は笑い飛ばした。
「お前にだって自慢の母君がいるだろ」
心からの称賛に、シドは顔をしかめた。
「そうだが……あいにく俺は美貌に縁がない」
あまりに正直に言うので、セディクもつい笑ってしまった。
将軍がセディクに目配せした。
「そんなことありませんって言ってやるところだろ」
「閣下は言って差し上げないので?」
「俺が言うと嫌味だからな」
「それで本当に言わないのが嫌味だ、です」
ラインハルトとセディクは声を上げて笑った。
「気の毒な男に一つ秘密を教えてやる」
ラインハルトがそう言い出したのは、酒をずいぶんと飲んだあとのことだった。セディクは眠気で意識が半分飛んでおり、酔いを覚ましていたシドは少し元気を取り戻していた。
「俺の母と浮気したって話じゃないだろうな、です」
「俺は人を羨んだことはほとんどないが、初めてお前の家に招かれた時、これが幸福な家庭なのかと衝撃だったよ」
自分が聞いてはいけない話だと察し、セディクは寝た振りをした。
「……親父が早くに死んで、苦労だってしてた、です」
「うん。それでも死んだ夫君が忘れられないからと、再婚もせずに働いて、お前を育てた母君を見て、なんて素晴らしい女性だろうと思ったよ。知的で、芯が強くて、何より夫を愛してた。付き合いでずいぶんいろんな結婚式に出たが、お前の両親より幸福そうな夫婦はいなかった」
シドが無言で、将軍に酒をつぐ音がした。
「俺に遠慮しなくていいから、お前が先に結婚しろよ、です」
「別に遠慮はしてない。理想の相手が見つからないだけだ」
「無駄に顔のいい男にふらふらされるとこっちが迷惑だ、です」
「母の形見を無駄とか言うな。……俺を先に結婚させたいなら、相手探しを手伝えよ。知的で、優しくて、可愛くて、俺が人を殺しても受け入れてくれる相手。それなりの身分があればなおいい」
「理想が高すぎだ、です」
呆れ果てるシドに将軍は笑っている。
「……お前は一回、本気の恋愛をしたほうがいい。です」
「本気の恋愛ね。してみたいな」
「それでズタボロになればいい。です」
「ふうん? 想像つかないが……俺がズタボロになったら世話するのお前だぞ」
「げ」
「何より相手がいないのがな……クーアが破局したら、手紙の女性をもらうか」
唐突に名前が出てセディクは動揺した。そっと目を開けると、起きていることに気づいていたらしい将軍と視線が合う。
ほどよく酔って艶めいた空気をまとい、くつくつと彼は笑っていた。美男はこれだから困る。
「勘弁してください、閣下」
「上手くいったら花を持って祝福してやる。ダメなら俺に紹介しろよ」
これは焚きつけられているのだろうか。奪われたくなければ手段を選ぶな、と。
「人の恋人をねだるな、です」
「二人いるなら片方もらってもいいだろ」
酔い覚ましの水を飲もうとしていたセディクは盛大にむせた。
「は? 二股……?」
最低最悪のクソ野郎を見る目をシドに向けられた。
「五股された男の怒りはすさまじいな」
「閣下、誤解です」
焦ってセディクは弁明した。
「どういうことだ、です?」
困惑顔のシドに、「あの手紙はクーアが劇場で知り合った恋人からのものじゃない」とラインハルトが説明した。何もかも見透かされている。
「あの、どうして……」
「わからないわけないだろ。お前の恋人は未成熟で幼稚だが、手紙の女性は知性的で気遣いのできる人だ。まったく違う」
ファトマ。君、妹より幼稚だと思われたよ。――自分の話しぶりが悪かったのかとセディクは落ち込んだ。決して恋人を貶める意図はなかったのだが、酔って失言したのだろうか。
「手紙だけでそこまでわかるのか? です」
「女性から手紙をもらい慣れてればな」
刺されればいいのにこいつ。シドの目は雄弁に表現していたが、将軍はどこ吹く風だった。悪癖が出ている。
観念してセディクは白状した。
「決して騙す意図は……あの手紙は、彼女の妹君からのものなんです」
「お前……姉に幻滅したからって妹に手を出す気か。埋めて帰るぞ」
「二股野郎のために穴を掘る手間が惜しい、です。吊るしたほうが見せしめにもなって効果的だ、です」
珍しくシドが将軍に全面的に賛同を示していた。
セディクは悲鳴を上げた。
「手を出すなんて……そんなことしませんよ! 彼女はまだ11歳です!」
ぽかんと二人は口を開けて固まった。
「誤解されているのはわかってたんですが……閣下が『年の差は気にしない』と仰ったので、興味を持たれるのを懸念して――」
なにせ将軍には大抵の不道徳を押し通してしまえる権力がある。
幼女趣味は唾棄すべきものだが、貴族や金持ちが弱い立場の子供に無理強いするのは珍しくない話だった。彼らは恥知らずにも合意があったと主張し、その罪にふさわしい罰を受けることはめったにない。
「ええ……11歳の筆跡じゃなかっただろ」
「それは僕も驚きました。とても聡明な子なので、違和感はないんですが」
「筆跡はともかく、あの文章を? 11歳が? ……騙してないか?」
「いいえ、閣下」
疑われても本当のことしか言っていないので、胸を張ってセディクは断言した。
将軍は深い溜め息をついてラグの上に寝転がった。
「くそ。あと5年早く生まれてくれてれば口説きに行ったのに」
(そこまで?)
「そこまで?」
セディクは心のうちにとどめたが、同じことを思ったらしいシドの声が出た。
「最近、心躍るような出会いがなかったからな。せっかく戦争後の楽しみが出来たと思ったのに」
「お前それ……死ぬやつだぞ、です」
「クーアよりマシだろ。戦争が終わったら結婚しようなんて考えてるんだぞ」
「いや、実際結婚できるかどうかは……」
彼女の父親が許さないだろう。一度はぶつかってみようと思っただけだ。
「まあ五股されて戦争に行くよりは、帰ったら結婚しようと思って戦争に行くほうが、気分は明るいよな」
「次その話題出したら殺す、ですよ、閣下!」
それが、三人で交わした最後の会話だった。
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