#06 戦争の終わり
秋の初めに始まった戦争は、年が変わる前に終結した。
帝国はバルカニア半島の連合軍を打ち破り、見事な勝利を収めた。ファトマの恋人も無事帰ってきた。
戦場から遠く離れた帝都で起きた影響といえば、小麦や薬の高騰くらいのものだった。それさえも戦争のせいというより、政治の失策だった。
帝国中から物資をかき集めておきながら、大半はどこかの倉庫に留め置かれ、前線の兵士に届くことはほとんどなかった。しかも倉庫の物資は多くが窃盗と横領の被害にあい、高値で売りさばかれていた。
連日、新聞各社が批判記事を掲載しているものの責任者はのらりくらりだった。当局の反応も鈍く、政治腐敗を感じさせる。
自室のテーブルにリーシャが新聞を広げて読んでいると、ハサンがやってきて新聞の上に座った。
「ハサン? そこに座られると読めないよ」
知らないよ。ぼく猫だから。知らん顔してハサンはあくびをしている。新聞を読んでいる時に邪魔すれば、かまってもらえると学習してしまったらしい。
リーシャは開くところまで頁をめくって、隙間から次の記事を読んだ。不満そうにハサンはリーシャの肩に乗った。構え、のアピールがすごい。
「はいはい、降参」
諦めてリーシャはハサンを撫でた。しかし新聞の続きが気になるので控えめにして下ろすと、「ぼくよりそんな紙切れが大事なのか!」とばかりにハサンは拗ねてしまった。自分の寝床に戻り、ふてくされたように丸くなっている。
「あとで遊んであげるから」
リーシャが声をかけても微動だにしないが、後でおやつをあげたら機嫌を直すだろう。
リーシャは新聞をすみずみまで読むと、丁寧に畳んで図書室に戻しに行った。暖炉に火が入ってない図書室は冬の冷気でひやりとしている。
部屋に戻ろうとすると、ファトマが珍しく朝から起きており、玄関広間で使者の応対をしていた。
「お姉様?」
「あら、おはよう、リーシャ。早いのね」
使者を見送ったファトマはずいぶんと機嫌が良かった。
「どこかの家から知らせですか?」
リーシャがひと目で使者とわかったのは、儀礼用の服を着た従僕だったからだ。身分の高い家からの使いなのは間違いない。
「皇宮からよ!」
ファトマは興奮した様子で封蝋の押された手紙を見せた。
「新年の祝賀会への招待状よ。年越しを宮殿でするの。戦争のせいで今年はやらないかもしれないと思っていたけど、開催するんですって。新調したドレスで一晩中、遊び倒すの! 楽しいわよ」
不快な気持ちを顔に出さないよう、リーシャは顔に力を入れた。
勝ったとはいえ、戦争では多数の死者が出た。特に両軍が激突したドキア平原での戦いでは、弾丸も医薬品も足りず、帝国は苦戦を強いられ多くの犠牲が出ている。
戦地に散った兵たちの慰霊式も行われていないのに、祝賀会? 兵の命をなんだと思っているんだろう。
もっともそれをファトマに言ったところで仕方ないので、リーシャは興味のない振りをしておいた。
これでもファトマは恋人が戦地にいるときは気の毒なくらいふさぎこんでいたのだ。戦争が終わって恋人も無事に戻ったので、パーッと遊びたい気分なのだろう。
「楽しんできてください」
「え、あなたは行かないの?」
「はい。ハサンとお留守番してます」
行きたくないとは言えないので、リーシャはあいまいに笑って部屋に下がった。
ドアを開けるとハサンが出迎えてくれた。さっきまで拗ねていたのに「どこ行ってたの?」という不安そうな目でリーシャを見上げる。
ハサンを抱き上げて、リーシャは暖炉の前に座った。
「……疲れるなぁ」
猫の喉を撫でながら、ぽつりとリーシャはつぶやいた。
公爵邸に来て数ヶ月。家族との交流はほとんどなかった。父も兄も屋敷にいることがあまりないのだ。
父はだいたい会社と妾の家で過ごしていて、週末に帰ってくるだけ。週末には家族で集まって食事をするので、父は家族との交流はそれで十分と思っているふしがある。
リーシャが仲間外れにされることはなかったが、一週間の報告会のような、楽しさとは無縁の食事会だった。
その父の教育を受けた兄も、夜は帰ってこないことが多かった。
ファトマも以前は夜会や茶会で留守にすることが多かったようだが、戦争が始まってからは夜会は自粛になり、彼女自身セディクのことが心配なのか、家でふさぎこむようになった。
時々リーシャは彼女を散歩に誘って出かけたが、会話ははずまず、気まずい時間を過ごすだけで終わった。ファトマはリーシャを警戒して心の内を明かすことはなかったし、セディクの話をするのは特に嫌がった。
お礼状に対してリーシャは返信不要とセディクに伝えたが、彼は律儀に戦地から手紙を送ってくれた。まだ大きな戦闘にはなっていないと安心させるための手紙で、異国の地でのたわいない日常が綴られていた。
感じの良い手紙だったが、扱いには困ることになった。手紙が来たことをファトマに話すか悩み、隠すとバレた時が厄介そうなので、それとなく伝えたら、ファトマには返事が来ていなかったらしく余計にリーシャと姉の関係はこじれた。
手紙を見せて特別な関係ではないことを説明したが、かえってファトマは傷ついたようだ。
セディクとの結婚を認めろと父に迫るようになり、家族の問題から逃げる癖のある公爵は帰宅する頻度が減った。
「……年が変わる前に、領地に帰る? ハサン」
リーシャに敵意はないが、いるだけで公爵家の環境は悪化している。自分がいなくなっても良くはならないだろうが、罪悪感はあった。
祖父からは頻繁に「辛かったらいつでも帰ってきていい」と手紙が来ていた。
自分から送り出しておいて、いざリーシャがいなくなったら寂しくなったらしい。「父はめったに帰ってこない」とリーシャも正直に手紙に書いてしまったので、取り返したいという思いもあるようだ。
「うん……帰ろうか、ハサン」
家族との不仲は大して辛くないが、リーシャは帝都での生活に疲れていた。
することが何もないのだ。
家庭教師はついたが、勉強の内容は知っていることばかりで、知らない振りをするのも気疲れする。街を散歩したり、裏庭の一角を借りて植物を育てたり、本を読んだりと趣味を持とうと努力もしたが、虚しさは消えなかった。
こんなことをしても呪いは解けないのに――何を楽しもうとしても、頭をかすめる無力感がある。
余暇を楽しむことにリーシャは向いていなかった。それなら領地に戻って、祖父の世話や家政といった仕事をしているほうが気が楽だ。
週末恒例の家族の食事会で、リーシャは父に領地で戻る許可を求めた。許しさえ出れば、さっさと荷物をまとめて年内にも祖父のところへ帰るつもりだったが、予想外に父はリーシャの求めを蹴った。
「向こうに戻ってどうするというんだ? こちらのほうが家庭教師の質もいいし、戻る必要はない」
「ですが――」
「新年の祝賀会に連れて行ってあげるから、我儘はやめなさい」
話はそれで打ち切られた。リーシャの意見を聞く気は父にはなかった。
好きな人と結婚したいというファトマにも、父は同様の対応だった。話が通じないクソ親父にファトマは憤ったが、リーシャは無駄なエネルギーを使うのもバカバカしく感じ、諦めた。
部屋に戻ると、リーシャは猫と遊びながら言い聞かせた。
「ハサン……巨大化してこの家、踏み潰してもいいよ」
猫は小首をかしげてリーシャのことを見上げるばかりで、巨大化はしてくれなかった。
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