#04 戦地にて


「失礼します、閣下。セディク・クーアです」


 ひどく緊張してセディクは将軍の天幕に声をかけた。

 近衛として将軍の護衛を務めるとはいえ、相手は身分的に雲の上の人だ。心当たりもないのに突然呼び出され、声は自然と上ずった。


「どうぞ」


 将軍の副官が天幕の中に招いてくれた。

 広い天幕の中で、セディクを呼び出した張本人は折りたたみ式の椅子に座って書類を熟読していた。

 セディクが天幕の中に入っても顔すら上げようとしない。困り果ててセディクが副官に視線で助けを求めると、彼は呆れ顔でため息をつき、容赦なく将軍の椅子を蹴った。


「人様の手紙を熟読するもんじゃねぇですよ、閣下」


 不敬罪に問われないかヒヤヒヤする言動だった。

 しかし当のラインハルト将軍は気にした様子もなく、読んでいた書類を丁寧に折りたたむと、セディクに渡した。


「一つ助言してやる。この人は死んでも大事にしろ」

「はい?」


 何のことかわからず、セディクは目を瞬くしかなかった。


(手紙……?)


 渡された書類は便箋サイズだった。中を開くと文字に見覚えがあり、出征直前にリーシャから送られた手紙だと気づいた。


「あれ……!?」


 どうしてこれが将軍の手に?

 混乱してセディクはラインハルト将軍を見たが、彼はもうセディクに興味はないようで、つまらなそうに机の前で業務書類に目を通し始めていた。


「……説明してやれよ、です。閣下」


 困惑するセディクに同情して副官が気を利かせてくれた。彼の敬語が将軍限定でおかしいのはいつものことなので、引っかかってはいけない。

 しかし将軍は難色を示した。


「逃がしちゃいけない女性の見分け方を? 俺の経験則に基づく機密だぞ。金積んでも簡単に聞けると思うな」

「そうじゃねぇよ、です」


 将軍の副官――シド・ケレクは、何もかも諦めた様子だった。彼は来年30歳になる叩き上げの軍人で、将軍が一番信頼する人だが貴族ではない。同期で同い年だと思っていた同僚が、ある日突然、高貴な身分で年下だったと発覚し、将軍になっただけでも意味がわからないのに、慣例を無視して副官に取り立てられ人生が狂ったという悲劇の人である。

 「ふざけんなクソバカが」などと罵り合っていた相手に敬語を使わなければいけなくなり、教養もないので苦労していたら周りに陰口を叩かれ、なんでこんな目にと諸悪の根源に談判したら「語尾に『です』って付けときゃいいだろ」と雑に助言されて今もその通りにしているらしい。「『ですわ』でもいいぞと言われて、あまりに腹が立ったのでしばらくその通りにしてたら、『まったく萌えないが戦場じゃそのお嬢様成分も貴重になるだろ。モテるといいな』と言われた時の気持ちがわかるか? 敬えないから正しい敬語なんか一生使わない」という断固たる決意を持った人である。

 将軍のフォローには慣れているのか、シドは代わりにセディクに説明した。


「落ちていた手紙は自分が拾った。封筒は踏まれて汚れていたので宛名がわからなかったが、女性の字だったので大事なものだろうと持ち主を探すことにしたんだ。封筒の宛名が読めないので中身を読むしかなかったんだが……プライベートの覗き見になると躊躇していたら閣下に見つかって──取られた。悪いな」


 心外だとばかりにラインハルト将軍は綺麗な眉をひそめた。


「俺を強奪犯みたいに言うな。勝手に読んで持ち主が貴族のぼんぼんだったら平民の自分は文句言われそうって悩んでたから、俺なら誰も文句言えないだろって代わってやったんだ」


 それで将軍の手元に手紙があり、自分が呼ばれたのかとセディクは納得した。


「お心遣い、ありがとうございました」


 心からセディクは礼を言ったが、シドは本当に申し訳なさそうだった。


「すまない。あまりに綺麗な女性の字だったので……とても教養のある貴族の女性だろうと尻込みしてしまったんだ」


 筆跡は人となりが出る。リーシャの字体は美しく、子供のものとは思えなかった。文体も大人びており、港に迎えに来てくれた感謝がとても丁寧に綴られていた。戦争に行くセディクの身を案じ、武運を祈ると共に、ハサンも運んでもらったお礼が言いたいそうですと肉球が押されており、お茶目さが可愛らしかった。


「大切な手紙ですので、手元に戻ってありがたいです」


 返事は不要と書かれていたが、丁寧な手紙をもらったお礼を言いたかった。だがいかんせん、届いたのが出征直前で時間がなく、従軍中に余裕があったら返事を書こうと持ってきたのだ。

 リーシャの手紙は自分が善人だと思わせてくれるようで、読み返すと元気が出た。返事はもう出したが、折に触れて読み返していたのが災いし、落としたことに気づかなかったようだ。


「身分違いでも尻込みしない精神は、うちの副官にはない美徳だな」


 机に頬杖をついた将軍がからかった。ファトマとの関係を指摘されたようでセディクはぎくりとしたが、シドは怒った。


「余計なお世話だ、です。閣下」

「出征前に恋人の五股が発覚した傷に触れたか」

「なんで知ってやがるんだ、です!! 閣下!!」


 シドは将軍の胸ぐらを掴み上げる勢いだった。


(五股……)


 気の毒すぎてセディクは言葉がなかったが、将軍はしれっとしたものだった。


「笑い話にでもしなきゃやってられないだろうが。何回目だよ」

「黙れ。です。人の事情に首を突っ込むな」

「2回目までは忠告してやったのに、聞こうとしないからだろ。そもそも初対面で『将来的に母と同居してほしい』なんて言うな。まともな女が残るわけないだろ」


 将軍の厳しい正論に副官は衝撃を受けてよろめいた。


(これ僕が聞いてていいのか……?)


 セディクは気配を消して道端の石になりきった。いたたまれない。


「お前の母君がどんなに良い人だろうと関係ない。理想を追い求めて甘言に騙されるのはいい加減、卒業しろ。お前がズタボロになろうと自由だが、そのたびに心を痛める母君が気の毒だ。――口説きたくなる」


 最後がなければいい忠告だったかもしれないのに。


「母に手ぇ出したら殺すぞ!! です!! 閣下!!」

「次に振られたら俺を父君って呼ぶ練習を始めるんだな」

「死んでも呼ぶか!! です!!」

「その決意でクーアの相手ぐらい良い人を見つけろよ」


 しれっと言い放って将軍は仕事に戻った。この人には副官をおちょくって遊ぶ悪癖があると思う。


(まともに忠告しても聞かないから、こういう形で言ってるんだろうけど……)


 とはいえシドが将軍からの忠告を聞きたくない気持ちも理解できた。

 将軍自身の女癖があまり良くないのだ。高貴な血統に加え、美貌と美声の将軍は国中の女性たちのあこがれの的だった。同じ男として鼻持ちならないし、選び放題の彼に恋愛面で指摘されても素直には聞き入れにくい。彼の言い分が正しいとしてもだ。

 亡者のような顔色で、シドは恥を忍んでセディクに尋ねた。


「良ければ参考までに、手紙の人とどうやって知り合ったか教えてくれないか……」

「えっ!?」


 驚いてセディクは飛び上がったが、五歳以上も年上の同性に正面から頼まれては断ることはできなかった。


「僕の話でよければ――」


 耳ざとく将軍が身を乗り出した。


「それはぜひ俺も聞きたい。まぜてくれ。高い酒を提供しよう」

「お前は来るんじゃねぇ、です……」


 哀れな副官の懇願は、無慈悲な将軍によって黙殺された。

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