第8話 メリ

第8章 メリ


今日はなぎはひとりでPPCへ来た。そう、年末ライブの打ち合わせだ。これは、会社の関係者数人と、それからライブに出るユニットリーダーのみの会議だ。


「うーん、、、新曲新曲、、、」


コートにマフラー。すっかり冬の装いだ。冬休みはまだ少し先だが、それどころではない。

大きい会議室へ向かう。

挨拶をして入室する。


「凪屋!!」

「!」


すると、とうまがいきなりなぎに抱きついてきた。


「青木先輩!」

「良かった!知り合いだー!知り合いきたー!知らん奴らの中に俺ひとり残されてすみっこで存在感消すハメになるかと思った!」

青木とうま。ポップコーンのユニットリーダーだ。ポップコーンは今年急躍進したユニットで、メンバーはそれぞれの活動に忙しく、社内やほかのユニットにあまり知り合いがいないのだ。

まだ会議室には他に社員がぽつりぽつりといるだけで、なぎは頭をさげて、それからとうまに向き合った。

「青木先輩、よろしくお願いします。俺も年末ライブは初めてなんです。」

「いや、俺もよ!?しかもファーレンハイトとかサンライズとかと一緒だろ!?こえーよ!心臓がもたねーわ!!いや、殺される!インキャには無理!!!」

とうまはなかなかに変なテンションだった。いつものことでもあった。

「あ、ミーハニアは、、、ぎんた君と仲良くなかったでしたっけ?」

「逆だ逆。水島とはポップコーンは仲良くねーの。」

ぎんたを、ポップコーンの3人が一方的に敵視しているのである。

たしかことの顛末は聞いたが、もうあまり記憶にない。

「話しやすそうなのは誰?」

「あ、えっと、ななみ君はどうですか?紹介します。ツインテイルのリーダーです。」

「あ!あれか、ゆうやの推しか。そりゃいいや!頼むぜ凪屋〜」

ふたりが雑談をしていると、次に入室してきたのが渦中のななみとぎんただった。


「なぎ君!」

「ななみ君!ぎんた君!いっしょに来たの?」

3人はプライベートでも仲が良い。なぎがふたりに駆け寄る。ロビーで合流したらしい。

「なぎ君、ライブ、なぎ君といっしょに出られるの、すごい楽しみだよ!嬉しい!」

「なぎなら大丈夫だって俺は信じてたけどな」

ふたりには、メリがクリエイティブイベントで6位以内に入り、首の皮一枚のところで解散を免れている状態であることは即日報告した。ふたりとも喜んでくれた。

「水島〜、、、」

「げっ」

3人のもとに、とうまも合流する。

「あ、ふたりとも、こちらポップコーンの青木先輩。すごく良くしてくれたんだ。ぎんた君は知り合いだっけ?」

「いやぁ、、、どうかな?」

「知り合いじゃない!」

このふたりは因縁、、、というか、じゃれているだけだ。

なぎは苦笑いで、ななみはきょとん、としていた。

「えと、ななみ君ははじめまして?」

「よろしくお願いします。青木先輩」

にこり、とななみが微笑む。なぎが先輩、というが、おそらく芸歴はななみのほうが上だ。

とうまはぎこちなく挨拶を返した。声優として活動している時のとうまはあんなにかっこよかったのに、となぎは思った。変なところであまり社交的ではないのが、ポップコーンの特徴だ。

「あとは、ファーレンハイトとサンライズかな?」

4人で指定された席へ座る。

なぎ、ななみ、ぎんた、とうまの順だった。

ひゅうがが来ればなぎの隣か、後ろに来るだろうし、あつしがくればひゅうがとは距離を置くだろう。

「確か、七星さんと不破さんって、仲悪いんじゃなかったか?」

とうまがなぎに話しかける。

「おー、、、そうだったなぁ。」

しかし返事をしたのはぎんただ。

「らしいけど、、、いっしょに来たりはしないだろうし、多分だいじょ、、、」


ばん


なぎの発言を遮って大きな音がした。ドアが開く音だ。

そこにふたり、長身の男。

ひゅうがとあつしだった。


ざわ、と会議室がどよめく。

なぎはその場で立った。ななみも続く。

「ひゅうが君!あつしさん!おはようございます!」

なぎの大きい声がすると、ひゅうががなぎの方へ寄ってきた。ななみも同じように、ふたりに挨拶をした。ぎんたは座ったままひらひらと手を振った。その後、この椅子、いまいちだよな、とかとうまに話しかけるので、とうまはひゅうがとあつしの険悪な雰囲気に気おされて、それに同時ないぎんたにイラついて、百面相だった。

あつしは後ろの方に座った。

そこから話かけてきた。


「なぎ、ななみちゃん、おはよ。水島も。」

「あ、あつしさん。こちらポップコーンの、青木とうま先輩です。俺かなりお世話になったんです。初対面ですよね?」

「ぉあ!?」

ちなみにとうまは、その場を存在感を消すことでやり過ごそうと思っていたのだが、なぎが気を利かせたために、失敗した。

「あぁ。よろしく。青木。」

「あ!ウッス!よろしくおねざっす!!!」

とうまは仕方なく立って、挨拶をした。それを聞いてぎんたが笑う。

「てめぇ!」

「そんなに緊張しなくても、なぁ。七星も不破も噛みついたりしないのに」

くすくす。ぎんたはマイペースだ。

とうまは、ぎんたのこういうところが羨ましい反面、気に触るのだ。

「ひゅうが君も初対面かな?青木先輩です。すごく面白いんだよ」

「あぁ。」

ひゅうがはなぎの隣から、とうまを見た。もう、とうまは生きた心地がしなかった。

「よろしくおねざっす」

とうまはひゅうがにも挨拶をして、座って、それからはまた存在感を消すことに徹した。しかし、なぎがさっさと紹介をしてくれたことは心の中で感謝していた。嫌なことはさっさと済ませるに限る。

「ひゅうが君、あつしさんとどこであったの?」

「、、、ロビー」

ひゅうがは不機嫌そうになぎに答えた。ふたりは音楽性や活動の方向性の違いから不仲なのだ。有名な話だった。一緒に来るはずがない。

「おまえは?ひとりで来たのか」

「今日は歩いてきた」

「、、、帰りは送る」

ふたりが会話をしているとななみが指折り人数を確認した。

「じゃあ、これで6ユニット揃ったんだ!すごーい」

一部険悪な雰囲気を打ち消すかのような、ななみの朗らかな声がひびく。

ファーレンハイト

ツインテイル

ミーハニア

メリ

サンライズ

ポップコーン


年末ライブに出演するユニットのリーダーが、揃ったのだ。

それから、代表の悦子がやってきて、ライブに関しての情報などを伝えた。ライブもまたユニットの自主性を重んじる方針で、セットリストや曲の順番はアーティストが考える。会議の内容は常連のファーレンハイト、ツインテイル、ミーハニアは知っていることがほとんどだった。


「それでは私からは以上です。年末のライブはその年の活動の集大成で、社の維新がかかったものです。がんばりましょう」


悦子の言葉で締められて、会社の役員なとが退出していく。残されたのは6人になった。そう、なぎ、ひゅうが、ななみ、ぎんた、あつし、とうま、、、の6人だ。


「それで、今回は誰が仕切るんだ?」


しん、と、張り詰めた空気を変えたのが、ぎんただった。

「え?」

なぎが疑問を呈する。

「そりゃあ、ファーレンハイト、ツインテイル、そしてウチは年末ライブ常連だから、慣れてるし、リーダーシップ取るのがふさわしいだろうけど、、、それじゃあ面白くないだろ?」

ちなみに横でとうまが余計なことぬかして話を長引かせるな、という顔をしている。

「そっか、、、メリと、、、ポップコーンははじめてだから、、、あ、あつしさんは?サンライズは年末ライブ出たことありましたよね?」

なぎがあつしに話を振る。

「あぁ、一度な。サボった時もある」

「え」

「ははは、俺たちほら、めんどくせーメンツの集まりだからよ」

つまりこの場で、ライブ常連のファーレンハイト、ツインテイル、ミーハニアと、それ以外のサンライズ、メリ、ポップコーンに別れたことになる。


「あの、みなさん、それぞれお忙しいですよね。今日時間の許すかぎり話をすすめませんか?実は僕も、ライブ以外もいろいろあって、、、」

提案をしたのはななみだ。

すかさずとうまが手をあげた。

「さ、賛成!できるだけ今日決めよう!俺も忙しい!あとはリモートで頼む!てか誰かの決定に文句言わねぇ!ウチ初参戦だから!」

「おー、そうだな。」

ぎんたも、今日は空いているらしい。

「俺も、空いてるよ。このまま話し合うかんじかな?ひゅうが君と、あつしさんは?」

なぎがふたりに話をふる。場の空気を読んでる、とかではなく、なぎはこのふたりを、とうまのように怖いだとか全く思っていない。それぞれが「優しい先輩」だ。

「かまわない」

「いいよ、なぎ」

ふたりも了承した。6人は引き続き、この場で話し合いを進めることにした。


「提案がある」

すると、ひゅうがが発言をした。

「今回は、なぎに仕切ってもらいたい」


「は!?」


驚いたなぎがひゅうがを見る。

「おお、その心は?」

ぎんたが問う。

「先日のファーレンハイトのライブで、一部演出をなぎに任せた。完璧な仕事だった。慣れてるファーレンハイトやミーハニアよりも、新しくて面白い試みができると思う」

「ええ!?」

なぎがまた声をあげる。

年末のライブは社の、それぞれのユニットの集大成だ。そんな大事なライブを、初参加のなぎに任せるというのか。

「わ〜、、、そういえば、話題になってたよね。なぎ君なら、きっとできるよ」

「な、ななみ君!?」

ななみはひゅうがに賛成のようだった。

「いいと思うが、、、なぎちゃんひとりじゃかわいそうだな」

ひゅうがに意見をぶつけたのはあつし。

「じゃあ、初参加のユニットリーダーで仕切るのはどうかな」

「水島てめぇ!」

ぎんたの提案に、即座にとうまが反応した。つまり、なぎをメインにとうまにそれを手伝わせて、ライブの演出を仕切れ、ということだ。

「無理無理無理無理!年末ライブだぞ!?ファーレンハイトにツインテイルにミーハニアに名だたるメンツが揃うのに俺が!?いや、凪屋はいいと思うぜ!責任感あって、優しいし柔軟でリーダー向きだ。だって、ここで全員と顔見知りでハブなのが凪屋だもんな。けど俺は違う!俺は無理!」

とうまがまくしたてる。ぎんたに向かって。さすが声優だけあって、まるでラップのように滑らかに一言もかまずにリズミカルに自分の主張を言い切った。

「なぎ」

「ひゅうが君、、、」

「どうするかは、なきが決めろ。俺は従うし、当然手伝う。だが、、、」

「だが?」

「年末のライブはここ数回は人気ユニットがほぼ固定で、マンネリ化していたように思う。初参加のメリと、ライブに強いポップコーンで仕切るのは、当然悪い提案ではないはずだ。よく考えてほしい。」

「、、、」

「青木。」

「うっ」

「おまえもだ。もう一度よく考えろ」

ひゅうがが睨むととうまはこの世の終わり、といった顔になった。ぎんたが助け舟を出す。

「ははは。何もそんなに難しいことじゃないさ。もちろん俺も手伝うよ。確かに、ここ数年のライブは目新しいことがなかったしなぁ」

「うん、、、そうだよね。順番もくじびきだったし、、、」

ひゅうがの意見には、ななみとぎんたも同じように感じているようだった。

なぎは、考えた。

メリは、年末のライブで、人気3位以内に入らないといけないのだ。つまりここにいるメンバーは同じライブに出る仲間であり、ライバルともなり得る。メリ、として完全な味方はれいとだけなのだ。

「俺、、、あの、皆、、、えと、、、」

なぎはひとりひとりの顔を見た。

ひゅうがの意見は全く妥当だったし、あつしが言うことも正しい。年末ライブの経験豊富なななみとぎんたも頼もしいかぎりだし、とうまの反対意見も最もだ。

なぎは、れいとの顔を思い浮かべた。それから、熊谷。

話さなくてはならない。


「あの、皆、俺、えと、メリの事情なんだけど、、、」


ひゅうがやななみ、ぎんたには周知だったことだか、なぎは改めて、話した。

「メリは、せつな君、、、皆知ってるよね?せつな君が抜けて、商業的価値が低いから、年内で解散するように言われたんだ」

広い会議室。

なぎはしっかりと、状況を説明した。

「それで、解散を免れる条件として、まず、クリエイティブイベントで人気6位以内に入るように言われたんだ」

「そ、そうだったな、、、そういや、、、」

とうまがつぶやく。とうまもあつしも、知ってはいた。

「そこからさらに、年末ライブで3位以内に入れば、解散しなくていいって言われてるんだ。」

なぎはぐっ、と顔を上げて、全員を見た。ほかにも、フォトブックの売上も関わってくるのだが、それは省いた。


「ここにいる皆は、俺にとって、先輩で、いっしょにライブに出る仲間で、それでいて、ライバルなんだ。俺に演出を任せて、ほんとにい

いの?俺、メリが有利なように、皆の出番を減らしたりするかもしれないよ?だから、皆にこそ、よく考えて欲しい。俺は、、、」

「なぎ君はそんなことしないよ!」


なぎの発言を遮ったのは、ななみだった。

「!」

「そんなことしない。僕はわかるもん」

にこり。

ななみが笑う。

ななみはなぎを、心の底から、信頼していた。友人として、同じアーティストとして。

「そうだなぁ。」

ぎんたも続く。

「ふたりとも、、、」

「いいんじゃねぇの?むしろメリが有利にしちまえば。俺はなぎに任せるぜ。」

あつしが発言すると、ひゅうがが少し睨んだようにも感じた。

「え、何この空気、マジ?」

とうまはひとり、困り果てていた。

「青木先輩」

「え」

「みんな、、、俺、やりたい!俺に、任せてもらえますか!?」

なぎは力強く答えた。


そう、ファーレンハイトのライブでなぎの心に浮かんだアイデア。ライブの演出をもっとしてみたい、という思い。それがこんな形でふたたび、チャンスとして舞い込んだのだ。


「決して、メリに有利なようにしないと誓います!みんな平等に、みんな仲良く!やらせて下さい!」

なぎは全員に頭を下げた。

「あーーー!もう!」

横にいるとうまが、根を上げた。

「わかったよ!わかった!やります!やるよ!凪屋ひとりにここまで言わせて無視できねぇよ!やる!凪屋をメインに、、、俺がサポートする!」

「青木先輩!」


とうまがも覚悟を決めた。後輩を放って自分だけ逃げるわけにはいかない。


「決まりだな」

「がんばろうね!なぎ君」

「楽しみだなぁ」

「ま、なぎちゃんなら大丈夫だろうよ」


みんながなぎの、メリの事情を汲んで、信頼してくれた。裏切るわけにはいかない。

なぎの、もしかしたら最後の大仕事になるかもしれない。

最高の仕事をしなくてはならない。

なぎは責任感とそれと同時に、うれしく感じていた。熱いものが込み上げる。

ライバルでもあるこの場にいる仲間に、同じレーベルの友人らに、感謝と、それから精一杯の気持ちをもって、尽くそうと決めた。



ーーーーーーー




さて、年末ライブについて、決まったことがいくつかあった。

セトリや演出を、なぎととうまを中心に決めること。それをななみやぎんた、ライブ常連組がサポートすること。

さっそく今日、学校の放課後、とうまと待ち合わせをしたなぎは、ライブ会場の下見に行くことにした。


「凪屋!」

とうまは人気声優だ。タクシー移動でも顔を隠していた。

「青木先輩!」

「おまえ、いつも顔出してんの?すげーな」

なぎと合流してタクシーから降りて、そこでようやくとうまはマスクを外した。カジュアルなスタイル。学校帰りに寄ったなぎとは違う。なぎは素直に、とうまがおしゃれだと感心した。

ひゅう、と冷たい風がふいて、ふたりは身を寄せた。とうまは建物に入るまでずっと寒い寒いと言っていた。

会場へ入る。当然大規模なコンサートなどに使われる会場だ。広く、大きい。


「うわぁ、、、」

ファーレンハイトのライブを経験した後でも、驚くようなキャパだ。

「ん、、、でけーな。ちまちました立ち位置だと後ろの席がかわいそうなことになるな、、、」

ライブに力を入れているポップコーンのとうまだけあって、すでに会場の状態を観察し、考察していた。スタッフから見取り図や、去年の仕様について資料も説明を受ける。

「で、なぎ、どっから考える?」

「あ、はい。えと、まずば順番というか、セトリとかから考えたいなーと」

とうまが話を振る。

なぎもある程度はあらかじめ考えてきたことがあった。

例えば、ツインテイルは歌わない。つまり、インストゥルメンタルのように、他ユニットの間に挟む方が良い。もしくは最初と最後など、使い方を工夫するべきだ。ファーレンハイトとサンライズは後の方が良い。パワフルでエネルギッシュなパフォーマンスをトリにしたい。逆に、ポップコーンやメリやミーハニア最初の方が良いだろう。ファーレンハイトやサンライズの後だと、印象が薄くなってしまってしまうような気がした。


「なるほどな。ツインテイルをどーすっかと、、、俺らか。」

「あの、青木先輩って、新曲ですか?できれば聞いてから順番決めたかったんですけど」

「え、逆にお前ら新曲じゃねぇの?」

「え、、、あ、あはは、、、えーと、、、」

「メリ以外全員新曲だぞ」

とうまがスマホをなぎに見せた。そこには、とうまが作った、メッセージアプリの新しいグループがあった。件の6人のグループだ。

「えっ!?」

「凪屋、、、既読つかねーと思ったら、見てねーな!」

「ご、ごめんなさい!あれ?うわ、通知きてた。ほんとにごめんなさい!!」

「いや別にいーけど、、、そんなこったろうと思ってました。ほら、音源ももらったんだ。やるわ」

あれだけ嫌がっていたとうまだが、実に有能に副官としてすでに働いていた。リーダーより、サブリーダーに向いたタイプなのかもしれない。てきぱきと話を進める。

「全員の新曲ですか!?」

「そ、俺はもう聞いたけど、凪屋の意見でいいなーとは思った。トリがサンライズかファーレンハイトで、、、ミーハニアが最初がいいかなぁ、、、。あ、てか今いっしょに聞こうぜ」

ステージに腰掛けて、とうまが曲を再生する。なぎはとうまがてきぱきしていて驚いたが、コラボの時もこうだった。本来は頼れる先輩なのだ。なぎはメモをとりながら、曲に聴き入った。

「やっぱり、、、うん、ミーハニアを最初にして、、、メリ、、、ここでツインテイル、かな。ポップコーン、、、あはは、盛り上がるだろうな〜、、、サンライズ、ファーレンハイト、かな、、、」

「最初、どーする?ミーハニアとツインテイルに挟まれても存在感出せるような曲今から作れるか?」

とうまなりに、メリの行末を心配していた。3位以内に入らなければ、解散。

なぎの性格からして当然、自分たちにだけ有利になるように演出をする、そんなことはできない。

しかし、なぎは、笑っていた。

「大丈夫!今、みんなの新曲聴いて、、、どれもすごい良くて、びっくりしました!俺も、負けないような曲、作りたい!作ります!」

「お!、、、へへ、そっか。いいじゃねぇか!」


不安や責任感よりも、わくわくとしたポジティブな感情が強かった。

それは、今まで、クリエイティブイベントでは、後輩のれいとのためにも自分がひっぱっていかなければ、と張り詰めていた時とは状況が異なるから、でもある。

頼れる先輩や友人がいる。心強いかぎりだった。

「じゃあ、俺が皆に伝える。皆忙しいから基本はメッセージでやりとりな!何か意見があれば皆言うだろうから、凪屋もちゃんと読むように」

「はい!青木先輩、ありがとうございます。先輩といっしょでほんとに良かった」

「よせよ。こっちのセリフだって。まじで。凪屋いて良かった。いなかったら今頃逃げ出してた。南極ぐらいまで」

「えぇ?」

オタクはたまに、例えの規模が大きい。

ふたりは会場を後にした。

なぎには課題が残った。そう、新曲だ。これは、れいとと考えなくてはならない。

他のユニットに負けないような、メリらしい新曲を考える必要がある。

なぎはさっそく、グループに参加して挨拶をして、それかられいとに連絡を取った。


ーーーーーーー



「新曲な」


次の日。

学校の昼休みだ。れいとから電話があって、なぎは昨日のことを話した。

「なぎー」

「なぎなぎー」

からんところんが、電話を邪魔してくる。

もう!ふたりとも、となぎが注意をする声。れいとはふたりを知らない。

「今日は?放課後」

「うん、会社行く?」

「行く。話そう、じゃあ」


れいとと業務連絡的に通話を終える。しかし、からんところんがつまらなさそうにしていて、なぎはふたりの機嫌を取らなくてはならない。

「ごめんね。ハナシ終わったから、、、」

「なぎが俺たちを捨てた、、、」

「オヨヨ、、、」

ふらふらと教室を徘徊するふたりに、級友からやじが飛ぶ。なぎ、そんなでかいのふたりも捨てるな、と。

なぎはふたりを元の席に連れ戻した。

「はぁ〜、白鳥せつなとかいうのが消えて、なぎが戻ってくると思ったのになぁ〜」

「こら、そんな言い方、、、」

「いや、次こそわからんよ。ねぇ、なぎ」

「もう、ふたりとも、俺のこと応援してくれないわけ?」

なぎは弁当、ふたりは菓子パンだ。他愛無い、どこでも同じような、高校生の昼休み。

「なぎ、これは俺たちなりの優しさだよ。いつだって、芸能人なんかやめて、フツーの生活に戻ってきていいんだから」

「そうそう。そゆこと」

「ふたりとも、、、」

ふたりはふたりなりに、なぎを心配している。

教室の様子こそ、ごく一般的な、平和な「日常」。

「ありがとね。、、、けど俺、がんばりたいからさ」

「んー、、、まぁ、あの、なんとか?は白鳥せつなよりはいいかんじ?」

「白鳥せつなよりはね」

「ふたりとも、、、」


せつなの名前は、ファーレンハイトの騒動の際に聞いて、それ以来だった。

別れる際に、いつでも連絡をしていいとは言われていたが、せつなも忙しいだろうと思い、これといった連絡はしていない。

そして、なぎはすっかり忘れていた。せつなが帰国している、個人事務所を立ち上げる、、、という噂についてだ。れいとのことや、ファーレンハイトとのコラボに手一杯だったからだ。

ふと、なぎは、連絡してみよう、と思った。せつなとの別れから、あの後からあったことを、だ。れいとと組んだことや、イベントでのコラボのことや、これからのライブのこと。

帰国や、個人事務所の噂も気になった。

なぎは、長めのメッセージをせつなに送った。あの日空港で別れてから、実に約7ヶ月ぶりだった。



ーーーーーーー




「道明寺さん!」


ppcへふたりがつくと、偶然道明寺と出会った。

「おー!ふたりとも!」

「お疲れ様です」

先日、完成したフォトブックはふたりがOKを出したので、無事に予約が始まった。道明寺の仕事は終わりだ。相変わらずにこやかにふたりに近寄ってきた。そして今日は特に機嫌が良さそうだ。

「ふたりとも、おめでとう」

「え?あ!ありがとうございます」

なぎが答える。それはクリエイティブイベントの結果を受けてのことだと思ったのだ。

「あれ、もう聞いたのか?ふたりのフォトブック、通販サイトで予約一位なんだって!すごいよほんとに!」

「ええっ」

初耳だった。なぎもれいとも驚く。

「いや、最新のランキングだからね。マネージャーさんは?知ってると思うけど。予約特典も面白いし、こりゃ来年も期待大だな!」

予約特典はふたりで考えた。キーホルダーだった。沖縄で会った、海亀の形をしている。顔はなぎが描いた。なかなかの画伯だと話題になっていたのだ。

「知らなかった、、、でも、道明寺さんのおかげです。ありがとうございます」

「これからもご贔屓に!年末ライブもカメラマンとして俺も見に行くからさ、楽しみにしてるからな」

道明寺はからからと笑って、去っていった。


ばっ。

「れいと君、通販サイトって!?」


道明寺が去るなりふたりはスマホを取り出した。

「これだ。うわ、ほんとだ」

「え、見せて見せて!」

「なぎ君、白樺君」

ひとつのスマホを覗き込むふたりに声がかかる。熊谷だ。

「熊ちゃん!」

「こんにちは。道明寺さんと話していましたね。では、もう聞きましたか?」

「うん!聞いたよ!見て!」

なぎが、れいとのスマホをかざした。

通販サイトの書籍の売り上げランキングの上位が表示されれていて、予約第一位がメリのフォトブックだった。

「代表も驚いて、喜んでましたよ。ふたりともおめでとうございます」

「熊ちゃん、、、」

「ふぅ、安心した。見向きもされなかったら、どうしようかと思ってた」

「え、れいと君がイケメンだもん。俺は最初から売れると思ってたよ!」

フォトブックの売り上げはメリ存続のためのもうひとつの課題でもあった。数ヶ月に渡り取り組んできたことが、こうして結果を出したのだ。なぎもれいとも、心から安堵した。

これで、取り組むべきは定まった。年末ライブ。本腰を入れて、全力で取り組むだけだ。

なぎは熊谷にライブのことと、作曲についてを相談した。ふたりが作曲したものを添削してくれるというので、ふたりはさっそく、作曲にとりかかった。


「じゃーん、他のユニットの新曲の音源です」

「俺も聞いていいのか?」

「いいって。ただし秘密にね。順番的に、ミーハニアの後のつもり」

「次ツインテイルか、、、」

れいとは相変わらずたくとに師事をしていた。おかげで作曲はできるようになってきたが、たくとは厳しい。毎度ボロクソだ。

小さめのミーティングルール。熊谷は仕事のため一旦退席した。年末なので、忙しいのだ。なぎは既ににどんな曲がいいかを考えていた。

「一年間の思い出をまとめたかんじの曲にしたいな。れいと君と会った日から、、、ライブまでのいろいろを歌にしたいな」

「なるほど、、、」

「それで、俺とれいと君できっと解釈が違うだろうから、それぞれ作曲してみてその違いを楽しみたいな」

「一年、、、か」

一年。長いようで、あっという間だった。なぎとの出会い。れいとは考えた。先日のファーレンハイトのライブでの、if、の実現。自分がもしファーレンハイトに加入していたら。

しかし、あれは泡沫の夢。

自分は、メリだ。

これからも。

「いいと思う。俺もそのテーマでいく」

「よーし、決定!がんばろう!れいと君、楽しみにしててね!」


最後の挑戦へ向けて、すべてがうまくいっているかのような運びだった。

先輩や仲間とのライブへの期待感。フォトブックも順調以上だ。なぎとれいとは、これまでの経験を踏まえてより一層絆を深めた。もう、障害はない。このまま波に乗って全てがうまくいく。そんな機運さえ感じた。


、、、だが。

なぎは作曲に夢中で気が付かなかった。

なぎの送ったメッセージに返信が来ていた。

それは7ヶ月会っていない、かつての相棒、白鳥せつなからのものだった、、、。






「よし、できた!」


1時間か2時間か、なぎの新曲のおおまかな形が完成した。れいとも同様だった。

「うわ、外真っ暗」

「冬は日が落ちるの早いよな。帰るか」

作曲に夢中で気づかなかったが、いつの間にか外はすっかり日が落ちていた。

窓際は寒いくらいだ。12月の、あわただしくも寂しい雰囲気をたたえた夜空。

なぎは立ち上がった。

「熊ちゃんにコピー提出して帰る。れいとくんも添削してもらう?」

「あー、、、じゃあ、あ、どーすっかな、歌川先輩に見てもらおうかな」

「たくと君、今PPCに来てるよ。個人の仕事で。2階だって」

「そうなのか?じゃあ挨拶がてら会ってくる」

「じゃあ、ロビーに集合ね。一緒に帰ろ」

ふたりはそれぞれの目的のために、会議室を後にした。


なぎは熊谷のいるオフィスへ向かう。社員も帰宅する頃合いだが、年末の忙しい時期だけあって残って仕事を片付けている者が多い。

「あ、クリスマスかぁ、、、」

社内の飾り付けを見て、なぎは気づいた。もうすぐクリスマス。社内の至る所に、サンタや雪だるまの人形や、ガーラント。もうすぐロビーには毎年恒例の大きなツリーが設置されるはずだ。PPCの窓から見える歩道の街路樹はイルミネーションで輝く。

当然、なぎはクリスマスは学校も冬休みで、いつもは家族と過ごしていた。妹たちはプレゼントを買ってもらうだろうが、なぎはもうそんな年でもないので、家族と夕飯の際にケーキを囲む、そのくらいの一般的なクリスマスだった。今年も今の段階では予定はない。せつなの方針で、過度に季節のイベントごとに出張ることもなかったからだ。それが今も続いている。

オフィスに入る。熊谷を見つけた。

「なぎ君」

「お仕事中ごめんなさい。新曲ができたのを、見てもらいたくて、、、置いていっていい?」

「もちろんです。もう帰るんですか?送りますよ」

「れいと君と帰るから大丈夫!熊ちゃんもお仕事がんばってね」

他愛ない会話。その後なぎはさらに、風邪をひかないようにだとか感染症に気をつけるようにだとかいろいろを熊谷から気遣われた。大事なライブが近い。心身ともに万全を期す必要がある。


一方れいとは、なぎに言われたとおりに、2階のミーティングルームあたりで、たくとを探した。メッセージを送ったら待っていてくれると返ってきた。廊下を進む。不自然に誰もいない。いつものPPCじゃないような、静まり返った廊下。きょろきょろとあたりを見回す。たくとはどこだろうか。

すると、こつ、こつ、足音がする。

なので、そちらを振り向く。



「!」



「、、、やぁ」


、、、目の前に、スーツの男。

櫻井宗一郎。

れいとの実父だった。ファーレンハイトの騒動で、ビルで別れたきりだった。


「、、、なんでPPCに、、、」

「宣戦布告かな?あ、いやこちらの話だ。」

「また何か企んでるのか!?」


語気が荒くなる。

当然だった。ファーレンハイトとのコラボの最中の出来事を思えば。


「れいと、、、聞いたよ。おめでとう。年末ライブへのチケットを勝ち取ったそうだな」

櫻井は笑っているようで、笑っていない。高圧的で、不気味で、不遜な態度。

わざとらしく手を広げて見せて、れいとを激励した。

「、、、」

「ライブで人気3位以内に入らないと解散させられるそうじゃないか」

「、、、」

「そうなったら、私の所へ来なさい。」

「誰が」

「今のうちに、来た方がいい。、、、あぁ、そうだ、れいと、彼、七星君、、、」

「は?」


れいとは数カ所、ひっかかった。

まずは今のうちに、の部分だ。それから七星、つまりひゅうがのことだ。


慣れたはずのあたたかいPPCの廊下が、あの時無理やり連れ去られたビルの廊下に重なって見える。

寒い。

寒気がする。


「不法侵入や暴行の件、揉み消したのは彼が私と取引をしたからだよ。」

それは、なんとなくは聞いていた。一体どんな内容なのかは、れいとは知らない。身構える。

「なんでそこまで、、、と思っていたけれど、あぁ、いや、そうだ、れいと、彼は元気かな?」

「、、、」

「凪屋君だよ」

「あんたには関係ない」

櫻井と話していると、正直に気分が悪かった。れいとは話を切り上げてこの場を立ち去ろうとした。しかし、、、。

「彼にも、うちに来るように誘うつもりなんだ。」

「!」

うち。つまり櫻井の会社のレーベルのことだ。

「なぎは、行かない。」

「どうかな」

「、、、!あんた、何考えてるんだ!」

「れいと」

櫻井が詰め寄る。れいとの腕をぐ、と掴んだ。

「何、物事は時間をかけて計画し、実行するものなんだ。短絡的なのは母親に似たな。、、、いずれすべてがわかる」

「な、、、」

その時だった。


「れいと!」

強い声。それから走る音。

ばっ、とれいとと櫻井の間に、ふたりよりずっと華奢な体が割り込んだ。


「歌川先輩!」

「あんた誰だ!こいつに何してる!」

おそらく、はたから見れば、櫻井がれいとを押さえつけているように見えたのだろう。それを見つけたたくとが、即座にふたりの間に割り込んだのだ。

「ああ、、、。失礼。それでは」

櫻井は大人しく引いた。廊下を去っていく。れいとはたくとと、それを見送った。

「おい、なんだあいつ、大丈夫か!?」

たくとが見上げてくる。れいとは心底、この小さな先輩をありがたいと感じた。それどころか、自分よりかなり体格差のある人間の間にとっさに仲裁に入る気概にひどく助けられた気分になった。

「ありがとうございます。大丈夫です、、、」

「顔色わりーぞ」

「、、、」

「なんか、あんまり聞かれたくないかんじだったか。俺余計なことしたか?」

「いや、、、助かりました。ほんと、、、」

れいとはふぅ、と息を整えた。

櫻井の本懐は、何なのだろう。ひゅうがとの交渉とは?、、、ひゅうがに会わなくては。話を聞かなくては。いや、もっと早く話すべきだった。甘えていた。


「れいと、ほら、曲書いたのよこせよ」

「あ、、、っス。」

「ひとりじゃないよな?気をつけてさっさと帰りな」

「ん、、、」

たくとはれいとから新曲の構想を受け取り、れいとに帰宅をうながした。

最後にれいとはたくとに、小さいんだからあまりああいうことはしない方がいい、と言いたかったが、やめた。本当に今日はたくとに助けられた。



ーーーーーーー




ロビー。ふたりはようやく合流した。離れていた時間はたいしたことはない。

「なぎ」

「れいと君、たくと君に会えた?元気だった?」

「あぁ。、、、あのさ」

合流して、明るいロビーから、屋外へ向かう。既に真っ暗だが、通りは帰宅のサラリーマンや学生で賑わう。

「七星先輩と話したいんだけど、、、」

「え?」

「あー、、、」

ここで、れいとは考えた。

交渉、の件を話すかどうか。

なぎは今、年末ライブを仕切るという大役を仰せつかった。忙しいはずだし、余計な心配をかけたくない。

「家のことで、世話かけて、一回話したけど、ちゃんと、、、と思って」

「おー、、、そっか、、、ん、あれ、そういえば、なんか俺たちれいと君助けるのにいろいろ犯罪行為したのにお咎めなしだったね。なんかひゅうが君のおかげらしいんだけど、知ってる?」

「!」

なぎはピンポイントで核心をついてきた。

話しながら歩く。先に向かうのがなぎの家だ。いつもなぎを送ってかられいとは家へ帰る。

「、、、」

考える。なぎは、相棒だ。

「その件も、確認してみる。、、、俺の実の親父の櫻井ってやつ覚えてるだろ。、、、嫌なやつだから。七星先輩が、変なことになってないか、心配なんだ。、、、おこがましいかもだけど」

櫻井。なぎは櫻井とは直接対峙した。嫌なやつ。それは確かだ。したたかでずる賢くて手段を問わない汚い男。

なぎの表情も険しくなった。ファーレンハイトとのコラボの際の一件は、決して楽しい思い出ではなかった。

「おこがましくはないと思う。そう、、、だよね。俺、いつも、ひゅうがくんに甘えてばっかりだけど、、、」

「この間会ったんだろ?何か言ってた?」

「フツーだった。あつしさんいたから機嫌悪かったけど」

「、、、」

なぎはあっさりそう言ったが、れいとは少なくともその空間に同席したくないと思った。

「それで、なぎ、今忙しいだろ?俺が話そうと思って」

「うーん、、、ひゅうが君のマンションの場所、教えようか」

「!」

それはつまり、今から会いに行け、ということだろうか。

「家にいるのか?」

「今日はいる日」

「行ってみる」

「俺も行くよ!」

「いや、、、改めてお礼もしたいし、ふたりで話したい」

「そう、、、?」

れいとはなぎを家に送った後に、ひゅうがのマンションへ向かうことに決めた。


しばらくしてなぎの家へついた。

なぎは手を振って、道中気をつけるように言った。れいととはここで別れた。

家族に帰宅の挨拶をする。そこでスマホを見た。メッセージに気がつく。


「!」


「へ、返事きてる、、、うそ、、、」


せつなからの、返信だった。

そこには、一言、シンプルな文面。





「なぎ、会いたい。いつ会える?」






ーーーーーーー




入れてもらえるかはわからない。それでも、れいとはなぎに教えてもらったとおりに、ひゅうがのマンションに来た。

驚くことに、普通のマンションだった。芸能人向けのセキュリティの高いマンションだったり、るきの家のようなコンシェルジュがいたりとか、そういうこともない。

外廊下。同じ形の部屋が並ぶ。ありふれた住まい。

オートロックなので、教えられた部屋番号を押す。

しばらくして、返事があったが、それはひゅうがではなかった。


「はーい、、、うわ!?イケメンがいるぞ!ひゅうが!ひゅうが!なんかイケメンがきてるぞ!」

「、、、!?」

おそらくは、男性の声。たしかにひゅうがと言ったので、ここが七星家であることは確定した。家族だろうか。

「あの、夜分遅くに突然訪ねてきてすみません。PPCでお世話になってます、後輩の白樺です。七星先輩はご在宅でしょうか」

「いるいる。あけるよ。入ってきたまえ!」

インターフォン越しの人物はなかなかのテンションで、ひゅうがも在宅しているとのことだった。オートロックのドアが開いて、れいとはマンションの中へ足を踏み入れた。

エレベーターに乗り、目的の部屋へ行く間、どう話を切り出すかを思考したが、たとえまとまらなくても、考えていることを全部話すほかにない。そう思った。部屋の前について、改めてインターフォンを押そうとした時だった。


「あいてるよ!おいで」


がちゃり、とドアが開いた。

細身の青年。顔がひゅうがに似ていた。一瞬で、ひゅうがの兄弟だとわかった。


「おじゃまします」

「どぞどぞ〜、ひゅうがー!後輩くんだぞー!」

リビングへ通される。あまり行儀のよい行いではないとわかってはいたが、それとなく横目に部屋を観察した。清潔感と生活感の同居する、ありふれた室内。

「白樺君は、あれだよね、なぎの相方だ」

「!なぎを知ってるんですか?」

「もちろん。友達だもん。俺は七星アリス。ひゅうがのおにいちゃんだよ。」

「!」


「アリス」

すると、リビングの奥から、ひゅうがの声がした。本当になぎの言うとおりに、いた。ここがひゅうがの家なのだ。少し、いや、かなりイメージと違う。

「お兄ちゃんでしょ!いつもそうやって呼び捨てにする〜」

「話あるから、悪いけど外してくれ」

「え、やだよ。聞く」

「、、、」

れいとは、いたたまれない気持ちであった。ひゅうがのプライベートを暴く気はなかった。別の場所にするべきだったかもしれない。目の前で、あのひゅうがが、自分の兄という存在に振り回されている光景。自分が知ってしまって良かった部分なのか、悩む。

「白樺君、何飲む?」

「あ、いえ、おかまいなく、、、」

「外寒かったでしょ。俺のお気に入りのフレーバーティーをご馳走しよう!」

「あ、ありがとうございます」

「おい」

「!」

アリスに促され、ソファに腰掛ける。ひゅうがは座らない。れいとの目の前に立っている。上はシャツ。下はスウェットだ。この姿も、普段きっちりと着込んでいる様子のひゅうがからは想像できないものだった。

「何だ。要件は」

「あ、、、」

ひゅうがとのこれまでの邂逅を考えた。正直、ロクな記憶がない。

それでも、けじめはつけたい。

「先日、ファーレンハイトととのクリエイティブイベントの時に、俺の、、、家庭の問題で、助けてくれましたよね」

台所で、アリスが鼻歌まじりに紅茶を用意している音がする。ティーカップではない。マグカップだ。

「、、、」

「櫻井、、、俺の、実の親と、どんな交渉をしましたか?」

「、、、」

「あいつは、ろくでもない奴だ。余裕が無くて、考えられなかったけれど、どんな交渉をしたのか、俺知りたくて、それで来ました。俺のせいで、、、俺のために、何か、七星先輩が困るようなことになっていないかと。不利なことを要求されたりしてないかって」

あまりまとまってはいなかったが、十分にれいとの要件と、話したいことは伝わっていた、

アリスが台所から戻ってきて、れいとにマグカップを手渡す。

「あ、ありがとうござます、、、」

「いい香りでしょ。バニラコットンユニコーン!」

甘い香り。甘ったるいほどの香り。それはひゅうがにも、れいとにも、この場の話題にも似つかわしくない異質なものに感じた。

「ガキが余計な心配してる必要ねぇよ。お前はメリを1番に考えろ」

チッ、と舌打ちとともに、ひゅうがは吐き捨てた。

アリスがれいとの隣に座る。

「白樺、オマエの杞憂だ。交渉は、、、あっちの弱みを、俺が偶然持っていた。それだけだ」

「え、、、」

「おいしい?」

「え、あ、いただきます」

アリスが話に割って入るので、れいとはひゅうがを見たりアリスを見たり忙しくなる。それから紅茶を一口。香りだけではない。砂糖たっぷりの紅茶は、この季節は体に染みる。たった一杯の効果は大きい。

「だが、、、そのせいでひとつ、噂が真実だとわかった。なぎは何も言ってねぇか。なぎをよく見てやれ。もう帰れ」

「えっ」

ひゅうがはそう言って、リビングを後にして奥の部屋に消えた。甘ったるい香りと、アリスとともに、れいとは残されてしまった。

「、、、」

「ごめんね、あの子態度悪くて」

「い、いえ、、、」

「交渉はね、あの子が有利に進めたはずだか心配しなくていいと思うよ」

「え」

「つまり、違う事実があって、こっちが強請った側ってこと」

くすり、とアリスが笑う。

なんとも言えない笑みだった。いたずらで、怪しく、どことなく得体の知れない、つかみどころのない表情。

「でも、いいね。嬉しいなぁ。ほら、あいつ、ああやってカッコつけだからさぁ!心配してくれる人間は貴重なんだ!来てくれてありがとう!」

「あ、いえ、、、俺こそ急にお邪魔して、、、」

「いいの、いいの。退院したばっかで暇でさ〜。もっと来てよ。ま、とにかく、今君が追うべきは違う事実ってことだね」

「違う、事実、、、」

その頃、つまり、れいとの揉め事、ファーレンハイトとのコラボ、その頃にあった、他の話はなんだったろうか。れいとは考えた。

そもそもにして、なぜ自分はあれほど、メンタルをやられていたのか。回想する。考えろ。


「!」

「気づいたか少年。なら、こんなとこいないで、早くなぎと話せよ。いいね?」

今度のアリスは、笑ってはいなかった。

「、、、っ、帰ります!ありがとうございました!」

れいとは紅茶を飲み干して、ひゅうがのマンションを後にした。不思議なことにあれだけ甘ったるい香りがしていた紅茶は、冷めるとフルーティーさと、ほんのり苦味の残る味わいだった。




ーーーーーーー




「あら、せつな君って、アメリカに行ったコよね?久しぶりね」


一方、凪屋家。

12月の夜の外気とは対照的に、リビングからあたたかい光が漏れていた。凪屋家の食卓。ごく一般的なダイニング。家庭の象徴。家族5人が揃っていた。

「うん!そう!久しぶりに連絡取ったら、会いたいって、見て!」

なぎはコートを脱いでそのあたりにおいて、やや興奮気味に、スマホの画面を母親に見せた。帰ってきたばかりなので、まだ制服だが母親は夕食の準備をしながら、それに応じた。

「よかったね。いつ会うの?」

「うん!返事まだしてない!いつにしよう、、、ライブのことで頭いっぱいで、、、」

「もうすぐ冬休みだし、会える機会が来るよ。」

「うん、そうだよね、あ、ごめん着替えてくる!今手伝うね!」

「じゃあ、みあとかれんを呼んできてくれる?2階にいるから」

「はい!」


どたばたと、なぎはバッグやらコートやらを持って、リビングから一度出て、廊下へ。階段を目指す。その時だった。


コンコン。


ドアを叩く音。

インターフォンではなく。


「、、、?」


コンコン、もう一度。

誰かが訪ねてきたようだ。

「はーい、、、」

不思議に思いながらも、ドアを開ける。

しかし、、、。


「誰もいない」


びゅう、と寒い風が吹き付けるだけで、そこには誰もいなかった。

「へんなの」

なぎはドアを閉めて、それから鍵をかけた。

夕食の後にせつなに返事をしようと思ったため、スマホは部屋で充電器にさしてしばらく放置した。

その後スマホを見ることなく、その日を終えた。




ーーーーーーーー



「れいと君!?」


翌朝。

凪屋家に、れいとがなぎを迎えにきた。なんなら少し、怒っていた。

「あんたスマホ見てないだろ」

「えっ、あ!あー!部屋にある」

「はぁ、、、まぁいい。昨日あれから、誰かに会ったか?」

早朝。インターフォンが鳴って、モニターから見るとれいとで、なきは驚いて玄関へ向かった。まだ、登校の支度が途中なので、いつもよりややだらしないような中途半端な服装だった。

「話がある。待ってる」

「寒いでしょ!中どうぞ!」

「朝早くからお邪魔できない。待ってる。」

「え、じゃあ1分!すぐ来る!」

なぎは部屋に戻りスマホや荷物を持って、家族に挨拶をして足早に玄関へ戻った。

れいととは、帰宅は何度も共にした。しかし、登校は珍しい。なぎは少しばかり、変わり映えしない日々の新鮮な出来事に心がはずんだ。

「おはよう!」

「さっきも聞いたよ」

「これは形式!話って何?」

「あぁ。実は、あれからあんたに教えてもらったように、、、」

「あ、待って、俺も話ある。じゃーん」

じゃーん、そう言ってなぎが、スマホの画面をれいとに見せてきた。

「!」


「せつな君!連絡くれたんだ!会いたいって!」


なぎは、満面の笑みで、心から嬉しいと言わんばかりの顔で、れいとにそう、告げた。


「、、、」

「あ、れいと君、先に言っとくけど、せつな君とまた組むとかないから、安心してね。わかってるよね?」

「え、あ、あぁ、、、」

なぎの表情が変わる。ややいたずらなような、そんな顔だった。滅多にしない。多分それほど、せつなからの連絡が嬉しかったのだろう。もしくは、今のこの状況が。

「白鳥、せつな、、、帰国は本当だったんだな、、、」

はぁ、と息をはくと、それは白く存在感を示すので、朝の澄んだ空気がどれほどの冷たさなのかがよくわかった。

なぎは手袋をつけて、れいとに寒くないかと聞いた。学校へ向かい、ふたり並んで歩く。

「そうみたい。で、れいと君の話は?ひゅうが君どうだった?」

「あぁ、、、」

れいとが昨日のことを説明する番だ。

どこから、と考えたが最初から話すことにした。少し動悸がする。

「昨夜、七星先輩の家に言った。櫻井とどんな方法で交渉をしたのか、それの件で不利な目にあってはいないか、聞いたんだ」

「うん、、、」

なぎの歩幅に合わせる。なぎは歩くのが遅い。

「心配する必要はないって言われた。根拠も提示されて、、、なんでも、ひゅうが先輩の方が先に櫻井の弱点を握っていたらしい」

「弱点?」

「それで、考えた。アリスっていう人がいて、、、ヒントをくれた。七星先輩の兄らしい。なぎのことも知ってた」

「アリスは友達!」

「まじか、、、」

なぎはあっさりと、どう考えても年上で、掴みどころなく得体の知れない男を友達と言い放った。れいとはなぎのこういう所をたまに恐ろしく思う。

「退院したんだ!良かった!会いにいこうかな!」

「、、、そうしてやれ。それで、話の続きだが、その頃、つまり俺が櫻井と揉め事があった頃、ファーレンハイトとのコラボの頃だが、そのあたりでひとつ、噂があったろう」

「噂?何だっけ」

「白鳥せつな」

「あっ」

「白鳥せつなが帰国していて、個人事務所を立ち上げてあんたを引き抜こうとしている、、、っていう噂」

「、、、」

「櫻井はあれで俺を精神的に揺さぶってきたわけだが、、、」

なぎの顔は真剣な表情に戻っていた。れいとの苦難を茶化すような性格ではない。

「や、待って、それ、えーと、何の話だっけ?」

しかし、話がややこしいので、詰まる。理解しているのはれいとだけだ。

「多分、あれは本当なんだ。それで、いいか、なぎ。会社の情報とかってのはそう易々流出ささせちゃだめだってのはわかるだろ?秘密保持契約とか書くだろ?」

「うん、、、」

「櫻井はそれをやった。櫻井の会社は一部上場もしてる。情報漏洩はマネーロンダリングとか株式の違法な操作にも繋がりかねない重大なコンプライアンス違反なんだ。七星先輩はそこを叩いた。噂が本当だって、根拠があったかは、、、わからないけれど、的中した。だから櫻井はいろいろを揉み消しに図ったし、俺からも手を引いた。一旦はな。」

「そう、なんだ、、、」

なぎはちゃんとは話を理解していないだろう。少し難しい話だから。しかし、それでももうこの話は次の展開が重要だ。

「白鳥せつなと、、、会うのか」

「えっ」

そう、れいとはその事実に気づいて、今朝なぎにスマホを見せられる前から、せつながなぎに接触を図るだろうと踏んでいた。

だから、なぎがスマホを見ていないことに苛立っていたし(少しだけだが)、朝早くになぎの家を訪問した。

さくさく、と進むたびに落ち葉を踏む音がする。街路樹は枯れ葉も散ってすっかり寂しくて、車の走りつけるアスファルトは冷え切っている。

しかし、日差しはほんのりと、温もりがあった。

「えと、れいと君、ごめん、俺あんまり話わかんなかった。ひゅうが君は大丈夫ってことであってる?」

「あってる」

「れいと君は?あいつ、、、あ、ごめん、いや、でもあいつ、櫻井ってひと、また何か企んでるの?」

「さぁな」

「れいと君、、、」

なぎの顔が歪む。れいとにも手に取るようにわかった。れいとの生活の平穏が脅かされることに、憤りと悲しみを感じているのだ。

なぎは親しい人物の状況の変化に、本人よりも一喜一憂できる心を持っている。

昨今はかわいそう、という言葉を憚る風潮があるが、なぎなら言う、かわいそうだと、そして怒る。不平や理不尽に対して。

「PPCで櫻井に会った。何でいるかわからなくて、、、何かまた考えてんのかもな。歌川先輩が助けてくれた。それで、白鳥せつなのこともあるし、あんたにもいろいろ気をつけろって言いたくてさ。」

恨みを買ってると思う、とは言わなかった。なぎが怯えるかもしれない。白鳥せつなのことも悪く言うつもりはなかった。けれど、表現が難しい。

「うん、、、ありがと。あ、そうだ。ライブのリハの日付決まったんだ。」

「あぁ、そうだった。」

「新曲、それまでにはなんとかなるね。」

つまりそれは、その間を縫って、なぎは白鳥せつなに会うつもりなのか。

れいとは、動悸の正体に、気づいていた。嫉妬かも知れないし、憐憫にも似ていた。

なぎが白鳥せつなを優先するのはなんとなく、嫌だった。先を聞きたくない。

「それでね、せつな君にまだ返事してなくて、、、」

「、、、」

「れいと君もいっしょに会わない?」

「は?」


れいとにしては珍しい声色だった。

「え、、、」

「せつな君にれいと君を紹介したくて、、、」

れいとは、一気に、自分の杞憂がばからしくなった。力が抜ける。なぎは、自分よりずっと、広大だった。澄んだ海の水のように透明だと感じる時があるし、凪いだ水平線のように、どこまでも、真っ直ぐに正直で、嘘や欺瞞や、駆け引きの存在さない、静寂の世界。

「れいと君にもせつな君を知ってほしいし、うまくやってること伝えたいし、、、いや、やっぱり、正直、れいと君を自慢したい、が強いかも!どうかな?」

「あ、、、あぁ、、、ええと、、、」

ないが笑う。

予想外の展開になったが、れいとは即決した。これ意外の解答はない。

「俺も、、、白鳥、先輩に会ってみたい」

「だよね!良かった!」

「でも、いいのか、そのメッセージの感じじゃ、ふたりきりでって意味だろ?」

「いいよ!」

「そうか、、、」


れいとは前をしっかり向いた。ふたりで進む。それだけのことだ。

その後、なぎがせつなへ返事して、ライブのリハの後に3人で会うことが決まった、、、。



ーーーーーーーー


「うわー、、、!」

ライブのリハ当日。

当然、ライブに出る全員が集まっていた。


「壮観ですね」

熊谷がなぎに声をかける。それもそのばず。PPCのPレーベルの生え抜き、精鋭が揃ったことになる。これほどの機会は滅多にない。

これから通しでリハをして、あとは全員が揃うのはライブまでない。全員が多忙だった。

なぎは舞台の上をうろうろして、照明や音響についての確認を指折り思い出す。自分が中心に、それからとうまのサポートと、他のユニットのリーダーも意見をくれた。それぞれのユニットの良さを最大限に引き出すようなライブにできるはずだ。


「あ、そうだ」

舞台袖へ向かうなぎが振り返る。

「はい?」

「せつな君帰国してるの知ってた?」

「噂程度には。私の方には連絡はありません。本当だったんですね」

「会うことにしたんだ」

「!」


熊谷は意外そうな表情だった。

「なぎ君、大事なライブ前に、、、大丈夫ですか?」

熊谷が心配をしているのはなぎのメンタル面だ。なぎは実質せつなに捨てられた、のだ。それもいきなり。それを、せつなの都合で会いたい時に会うなど、話の筋が通らない。

「れいと君といっしょにね。大丈夫」

「白樺君も?、、、そうですか。」

「熊ちゃんも来る?」

「、、、いえ、辞めておきます。元々せつなとは、ビジネスライクな関係でしたから、今会って話すこともありません。なぎ君、何かあれば、すぐに私に相談を。」

「もちろん!ありがと」

なぎが舞台袖に行くと、ライブに出演する他のメンバーのほぼ全員が集まっていた。

「わ、、、」

まずはツインテイル。ななみもたくとも制服だった。ななみがなぎににこやかに手を振る。そこに、れいとがいた。たくとに作曲の師事をしていたのだろう。なぎとはいっしょにここまで来たが、別行動をしていた。

「なぎ君!」

「ななみ君、たくと君、よろしくね!」

「おう。どうだ、変わりないか?」

「うん、あ、この間、れいと君を助けてくれたそうで、、、」

なぎはたくとに慇懃に頭を下げた。

「たいしたことねぇよ。」

「いや、先輩小さいので、あまりああいう行動は避けた方が、、、」

れいとがたくとに進言すると、たくとはれいとを小突いた。

すると、やや遠くから、なぎたちに声がかかった。

そこにはミーハニアの5人全員がいた。ぎんたがなぎに近寄る。すると、どこからかとうまが来て、ぎんたに軽く蹴りをいれた。さらにポップコーンの他のふたり、りおとゆうやも集まってきて、ぎんたを囲む。

「水島!」

「いたた、なんで?」

「拙者はポップコーンは水島を許さん!なぎたそななみたそに近寄るな〜!」

そんなぎんたをほおっておいて、あやがなぎの所へ来た。

「久しぶりですなぁ!」

「はい、あやさん!元気でしたか?」

「もうかってますで、なーんて。そんなことより、なぎちゃんがライブの、、、ウチらのプロデューサーなんて、えらい出世しましたなぁ!えらいえらい」

あやがなぎの頭をぐりぐりと撫でた。

「ひさしぶりー!元気だった?」

次に話しかけてきたのがエリックだ。人懐こい笑顔。

「白樺君、背伸びたか?」

「いえ、変わってません」

いおりは相変わらずとぼけた感じがあって、ほまれはそれを見て遠巻きにくすくすと笑っていた。

ミーハニアは全員が温和で朗らかで協調性がある。全員ライブを緊張して迎える、というよりはリハだけあって、リラックスしているように感じた。ミーハニアは年末ライブの常連なので、なぎたちとは場数が違う。

「サンライズと、ファーレンハイトは?」

れいとが問う。すると、後ろから足音。

「来てるよ。」

サンライズのふたりだった。あつしととらちよはいない。ゆうひと、ふれいだ。

なぎが挨拶を、する。

「竹見先輩、五十嵐先輩!」

「あつしはタバコ。ライブ会場完全禁煙で、機嫌悪いよ。とらちよは、、、何かの電波を受信したとかで消えたけど、多分そのうち戻ってくるよ」

ゆうひがふたりのことを伝える。しかしふれいはそわそわした様子だ。

「なぎー、れいと!助けて!いや、なぁ、俺も本番まで消えていい?兄貴たちに会いたくねぇ〜」

「そしたらサンライズが僕ひとりになるだろうが!」

サンライズは各々がとにかく自由だった。ゆうひがふれいの逃避行を妨害する。直後だった。バックヤードの暗がりから、長身の男。

「睦月先輩」

「おーす、ヒーローは遅れてやってくるもんだよなぁ」

ひかるだった。たかろひと、それからつきはもいる。

「おはようございます!3人で来たんですか?」なぎが近寄って挨拶をした。

「ひかるの素行は甚だ許し難いが車の趣味と運転は評価に値する」

「高級車いいよなー」

たかひろとつきはも緊張している様子はない。当然、つきはとふれいの間に何かやりとりはなかった。

「ひゅうがととうやも来てるけど、楽屋。」

「あの、、、るき君と三宅先輩は?」

「広報担当だからな。なんか入り口で動画撮ってた。一ノ瀬は付き合わされてて、もうすぐ来るよ」

なぎの問いにひかるが答える。

つまり、ライブに出る全員が揃っている。この会場に。


なぎは緊張、というよりもさらに別の感情を持っていた。気が引き締まるような、恐れ多いとかそんな感じの、とにかく、言い表せない類の感動に近かった。これだけのメンバーが一同に介したことを、誇らしく、それでいて、なおさら責任重大に感じた。

ひとりひとりを尊重し、それぞれのユニットを過不足なく魅せて、観客を満足させる。そんなライブに、できるだろうか。

「よし、なぎ、いよいよだな!」

とうまがなぎに声をかける。スタッフらも準備ができた。リハが始まる。


ーーーーーーー


リハは予定通りに進行した。

まずはミーハニア、それからメリだ。

ステージを去る際ぎんたがなぎに手を振ってくれた。緊張がほぐれる。


「れいと君行こう!」

「よし」


ふたりでステージへ向かう。ギターが重たい。足取りは軽い。

ミーハニアは一曲は新曲で、もうひとつはなぎも知っている、ミーハニアの中で今年1番のヒット曲だった。なぎも好きな曲だ。自然と気持ちが上がる。

なぎとれいとはふたりでステージの真ん中へ来た。

無人の観客席はファーレンハイトのライブと同じくらいの規模で、こんなステージに立つ日が来るとは思わなかった。



ふと、観客席の、手前の方に、人が動くのをみた。

スタッフや社員が動き回っているので、特段おかしいことではないはずだが、その人物が、なぎには、信じられない人物に見えた。


「せつな君、、、?」


観客席を見る。

いてもおかしくはないが、そんなはずはない。

「なぎ?」

「あ、なんでもない、、、」


大丈夫か?とれいとに問われる。

もう一度同じ場所を見たが、もう誰もいなかった。

それから、演奏を始めた。

気のせいだ。

集中しよう。


なぎはギターにピックを添えた。


ーーーーーーー


「いい感じなんじゃねぇの!」


リハが終わって、なぎに真っ先に声をかけてきたのがとうまだった。

トリがファーレンハイトだったので、なぎととうまは舞台袖から終わりまでを見ていた。一部メンバーは多忙のため帰った者もいるが、なぎと親しい者が中心に、リハを最後まで見届けた。

とうまはファーレンハイトの曲が終わるなり、なぎに振り向いた。

さらにぎんたやななみもなぎの元に寄ってきた。


リハは滞りなく終了した。

スタッフやその場にいた社員から拍手喝采、本番さながらのリハは、誰もが文句なく成功間違いなしの出来栄えだった。


まばゆい照明。

音響の余韻。

他のユニットも、過不足ない仕上がりだった。年末ライブはどのユニットにとっても力の入るイベントだ。

PPCの維新、Pレーベルのプライド。

全員、目指す所は同じだった。


しかし。


しかし、

なぎは浮かない顔をしていた。


「、、、」

れいとが声をかける。

「なぎ、大丈夫か。集中できてなかったように見えたが、、、」


なぎはファーレンハイトのメンバーがステージから下がるのを見ながら、その表情は決してポジティブな感情のものではなかった。


視界がぶれるような感覚。


「なぎ君?」

ななみが声をかける、

ぎんたも心配そうにしていた。


「俺たち、、、」

全力で考えた。たとえばツインテイルを活かすならどんな演出が良いか。ミーハニアは?サンライズは?

ファーレンハイトとのコラボで学んだことを活かして。自分もそれぞれのユニットのファンであるからこそ、仲間であるからこそ、全力で。


だからこそ。

全力で考えたからこそ、わかってしまった。



メリは、人気投票3位以内に入れない。





実力で、負けている、、、と。



ーーーーーーー


どうしよう。

どうしたら。


こんなにも、絶望に近いほどの気持ちは久しぶりだった。せつなと別れた時以来だった。


なぎはなんとか気持ちを切り替えて、とうまやななみやぎんたらと再度、リハを受けての話合いをした。スタッフや社員も交えての会議であった。

それから解散して、本番までに変更点があれば考える。その後は全ユニットが揃うことはないが、ポップコーンなど一部ユニットは自分たちのみでリハを行う予定だ。


「なぎ」

れいとは、会議では発言をさほどしなかった。

ばらばらと人が散ってゆく。

なぎはまるでその場に取り残されたように見える。

「れいと君、、、」

「どうした?」

「あ、、、」

れいとに隠すわけにはいかない。

気持ちを伝えなくてはならない。伝えて、その上で対処療法になる。

「えと、、、」

「俺たち、負けるな」

「!!」


あっさりと、れいとはその事実を口にした。

なぎは驚いてれいとを見上げた。


「俺も、なぎも、もちろん全力だし、新曲だって頑張って作った。けど、なんというか、レベルが違うというか、敵わないなって思う瞬間ぎあったよな。」

「、、、」

「俺も、なぎも頑張ってる。けど、ミーハニアやツインテイルは、頑張ってないわけじゃないけど、楽しんでるっつーか、、、俺たちが頑張らないとできないことを、あっさり越えてるよな」

「、、、」

れいとの指摘は、最もだった。

ざわざわとスタッフが行き交う。

れいとも、同じ気持ちだったのか。


「れいと君、、、俺、、、も」

そう思った。そう、言おうとした。

「で、どうする?」

「!」

「負けるとわかってて、何もしない。逃げ出す、じゃカッコつかないだろ。」

「れいと君、、、」

なぎは顔を伏せた。泣き出しそうだった。4月、あの日、出会ったばかりの頃は想像もつかなかった。自分よりも年下で、音楽の経験も浅いはずの相棒は、いつの間にか、頼れる味方に成長していた。

「逃げないよな。わかってても。」

「うん、、、うん、、、!」


これまでのことを思い出す。4月から、ひとつひとつ、積み重ねてきたものがある。

努力が必ずしも報われないことは知っていた。ただ納得はできないし、納したくもなかった。浅く、若いと言われても良かった。愚直でも良かった。努力の方向性を間違っているとか、効率が悪いとか、言うだけの人間にはわからない、まだ途中の道の上。


それでも、最後まで進む。


「なぎ」


「!」


ひゅうがの声だった。

顔をあげる。すると、ほかにも、ななみ、たくと、ぎんた、とうま。

「ったくなんだその顔は!」

「るき君!」

リハの本番まで会うことのなかったるきもいた。なぎに近づく。

「あんたらしくないと思うけど」

「う、え、、、」

後ろからゆっくりと、あつしととらちよが近づいてきた。とうまがポップコーンは全員いると言った。いや、ミーハニアもまだ楽屋にいるらしい。サンライズも、ファーレンハイトも。

「みんな、もう帰ったかと、、、」

「なぎ君の様子を見て、、、なぎ君の考えてることが、わかっちゃって、、、」

ななみが控えめに発言をする。

「負ける、って思ってるだろ」

るきが言う。

「まぁ確かにメリはこの中じゃサンライズやツインテイルに見劣りするかもしれねぇ。俺が入ったおかげでファーレンハイトは去年よりもパワーアップしたし、、、」

るきの尊大な発言を横にひゅうがは少し呆れたような、それでもるきを認めているので何も言わないような、そんな態度だった。

「けど、お前らのいいところって、比べられて計るもんじゃないだろ?」

「るき君、、、」

るきの発言にたくとがうなづく。

「メリの状況は皆知ってる。芸術は正解がない。優劣をつけるのは商業的目線でクリエイティブじゃない。それでも、俺たちも、お前らも、クリアしなければならないハードルがある」

たくとの発言には、この場の全員が同意しただろう。本来競い合うものではないクリエイティブの世界と、それを使って稼ぐということ。全員がその矛盾と、それから難しさと、そういう人生を選択したという覚悟を持っている。ここにいる全員が少なくとも若くして成功したというアドバンテージを持つとしても、先はわからない。

「俺たちがなぎに、、、メリに、してやれることは何かなって考えてんだ」

ぎんたがにこりと微笑む。

「え、、、」

「なぎ、新曲、、、添削してもいいのなら、俺たちが見る。ガラじゃねえけど、皆でメリを良くしようって話だな。」

「あつしさん、、、皆、、、」

なぎが、れいとが、頑張っていることは全員が知っていた。

手を差し伸べる理由はほかにはいらない。

「曲を見たり、他にも何とかメリが解散にならないように、考える!皆で考えりゃなんとかなるだろ!」

とうまがなぎの肩を叩く。明るく、力強い。


なぎはれいとを見上げた。

もう、表情は暗くない。

「先輩たち、、、」

れいとも、なぎを見た。


なぎは、目の前の仲間に頭を下げた。大きな声で、伝えた。


「はい!よろしくお願いします!」


全員がメリの曲を見ること、アドバイスをすること、それからライブが、メリを含めてもっと良くできないかを考える方針になった。メリのために。


年末ライブはもうすぐだ。

どんな結果が待つか、それは誰にもわからなかった。




ーーーーーーー




冬休みになった。


年末ライブのリハから、なぎたちは編曲や自分たちのみでの練習などを重ねた。

ほかのユニットも、なぎたちメリの存続のために様々な提案をしてくれた。


そんな中、いよいよせつなに会う日になった。それはなんとライブの3日前だった。12月24日。




「れいと君お待たせ」

「なぎ」

ふたりは駅で待ち合わせた。それから、せつなに会う。駅はイブの喧騒で、賑わっていた。

「緊張するな」

「え?」

「だって、元メリだぞ。どんな人かもいまいちわからないし」

「うーん、、、えーと、、、どんな人、、、」

ふたりで待ち合わせ場所へ歩く。

実際せつながどんなひとか、と問われるとなぎも返答に困った。正直、掴みどころのない人物ではあった。物腰柔らかく穏やかで、優しく、いつでもなぎを優先してくれた。なぎはせつなに対して、悪いような印象は一切無かった。

そんななぎの態度に、れいともますます疑心暗鬼だ。いったい白鳥せつなとは、どんな人物なのか。

「あー、、、けど、今日せつな君に会うのに、、、別な意義があるというか、、、」

「意義?」

「せつな君、天才だもん!えーと、つまりね?この間のリハの後、みんながメリをよくしようと、力を貸してくれたよね」

リハの後、ひゅうがやあつしは歌い方へのアドバイスをくれた。たくとやななみが作曲の見直しや編曲を考えてくれたし、ぎんたやるきは歌詞を見てくれた。ポップコーンの3人は爆発物が足りないと言っていた。

「みんな、、、の中に、ひとり足りないって思った」

そう、メリの原点。

「せつな君」


今のなぎを、なぎの作曲や作詞のスタイルを、メリを作り上げた張本人。

突然の別れ。そして、今日、再会する。


「せつな君と話せば、何かが変わるかも、、、そうしたら、、、もっと、良くなれるかもしれない」

「なぎ、、、」


もし、メリの解散がかかっていなかったら、もっと自由に、悩まずに活動ができたのだろうか。ここまでのなぎとれいとはいつだって駆け足で、あちこちにぶつかって、転んで、それでも、ここまできた。

それが、白鳥せつなに、わかるだろうか。


待ち合わせは公園だった。あまり人がいない。色彩を失った冬の木々はもの寂しい。しかし、極度に寒いというほどでもない。外でも話せる。

「あ、、、」

公園に足を踏み入れる。もう、せつながいるのがわかった。

なぎにとっては、懐かしい人物。


「あれ、あそこ、せつな君」

「あれか」

なぎが控えめにれいとの袖を引いて、せつなを指差す。

痩身麗人。これでいて作曲や作詞の才能もある天才。

遠巻きに見ていた件の人物が、ふたりに気づいて振り向いた。

近寄ってくる。


「なぎ」


れいとはよく、その人物を観察した。ピーコートはブランドものだろうか。人好きのする綺麗めなファッション。笑顔は凛々しく、さながら物語に登場する騎士のように、身振りは上品でマナー的でそれでいて美しい。

「久しぶり、なぎ」

「せ、せつな君、、、久しぶり、えと」

「会えて良かった。変わってないね?、、、ひとりじゃないんだ。なぎ、紹介してくれる?」


なぎは、再会に何を思ってか、どうにもいまいちはきはきとしない。

せつながリードする。


「あ、うん。こちらが、れいと君。白樺れいと君です。今の俺の相棒です。メリに入ってもらったの。えと、歌すごく上手くて、あ、楽器もできるよ。それで、、、」

「白樺です。はじめまして。」

れいとも挨拶をした。

「初めまして。僕は白鳥せつな。なぎの元相棒。」

せつなはにこりと微笑むが、れいとはどうにも、彼に得体の知れないものを感じた。

「でも、良かった、なぎが彼を連れてきてくれて。手間が省けた」

「えっ、そ、そう?」

「うん。彼に話があるから、なぎにセッティングしてもらいたくて、なぎを呼んだから」

「え、、、?」



ざぁ、と、一陣の風が、強く、3人の間を引き抜ける。



空気が変わる。

つまりせつなは、なぎに会いたかったわけじゃない、ということだ。

なぎとの再会や近況報告のためにこうして来たわけではない、と言うのだ。


「せ、せつな君」

「なぎ、帰っていいよ。彼と話したいんだ」

「えっ」

なぎはひたすらに困惑していた。

せつなから連絡があって、あんなに、嬉しかったのに。


「白樺れいと君、君に僕の事務所に来て欲しい」

「あんた、、、」


せつなはなぎをもはや一瞥もせずに、れいとを真っ直ぐ見て言った。

なぎは言葉もない。

「っ、あんた、そんなこと言うためになぎを呼び出したのかよ、何様だ!なんだその態度は」

「れ、れいと君!」

れいとが激昂するので、なぎが止めに入る。昼間の公園に似つかわしくない、今にも食ってかかりそうなほどの剣幕。

「せつな君、えと、俺は、えと、、、久しぶりに会えて、その話とか、、、」

「なぎ、ごめんね。今は、、、なぎとはもう話すことはないんだ。今は白樺君と話さなきゃならないんだ」

「、、、?」

今は。いったい何の話だろう。なぎにもれいとにもわからない。この場を掌握しているのは確実にせつなだった。


「どういうことだ、、、」

「まぁ強いて言うなら、君みたいな才能を見つけるために、なぎを使ったと言う所かな」

「え、、、」



「最初から全部、計算してたんだ。」


ひゅう、と、また冷たい風が吹き付ける。

最初から。


「さ、さいしょ、、、って」

なぎが問う。

「最初だよ。君を選んだその時から。」

「え、、、と」


せつなが何を言っているのか、ふたりともよく理解できなかった。しかし、れいとは、これから良くないことが明かされると勘付いた。いや、本当はれいとはせつなの告白の内容を予想できていた。それは当たっていた。しかし、それが事実であれば、あまりに、なぎが不憫で、それ以上を考えないように、思考を止めた。少なくともここ数ヶ月、いっしょにいた友人が、相棒が、そんな扱いを受けていたと信じたく無かった。正常性バイアスだとわかった上で、考えるのをやめていた。臆病だった。戦うべきだった。後悔しても、もう遅かった。


れいとはなぎの腕を強く掴んだ・


「なぎ、帰るぞ!」

「え、でも」

「こいつと話すことはない!行こう」

「ま、えと、、、」


そのまま手を強く引いて、無理やり来た道を戻る。


「れいと君、、、っ」

「白樺君、、、交渉は決裂?」

「そうだ!ありえない!」

「まぁいいか。わかった。そうだ、なぎ。」





「僕のためにありがとう。君を選んで良かったよ」





ふたりにわざとらしく手を振るせつなは、あまりにも綺麗な笑顔を浮かべていた。



ーーーーーーー




なぎは、まるで白昼夢、駅に戻るまでの記憶が無かった。

せつなとの久しぶりの、束の間の再会のつもりだった。なのに。


「なぎ、大丈夫か?」

「あっ」


れいとの声にようやく反応する。

「、、、れいと君」

「あいつの言ってたことは、気にするな。もう帰ろう。家まで送る」

「、、、」

「なぎ?」

「く、熊ちゃんと話したい、、、」

「!」


熊谷。メリのマネージャー。せつなを知るであろう人物。


「、、、そうだな。なら俺も話すことがある」


ふたりはそのままPPCへ向かった。

しかし、道中、ふたりは無言だった。



PPCへ着くと、熊谷はオフィスにいるというので、れいとは熊谷を手近な会議室へ呼び出した。すぐに熊谷がきた。ただならぬ様子に熊谷も面食らっている。


「、、、ふたりとも、どうしたんですか?」


「なぎ、最初に熊谷と話したいんだ。ふたりで。悪いけど外にいてくれ」

「えっ」

「熊谷、中に」

「、、、」


なぎは、道中話すべきことを整理してきたつもりだった。しかし、れいとがなんだか性急な様子なので、熊谷を譲った。と、いうかそうせざるをえなかった。

さきほどまでぼんやりと現実感がなく、せつなと会ったことさえ、夢幻のようだったのに、現実に戻る。

何らかの非常事態に自分よりパニックになっている人間を見ると自分は冷静になる、という現象があるが、それに近かった。

表面上はいざ知らず、れいとの方が、冷静ではないように見えた。

れいとが熊谷と会議室に入室して、ドアが閉まる。かちゃん、と静かな音がした。しかし次の瞬間に、ガシャーン、と大きい音がして、なぎは驚いて会議室のドアを開けた。


「何!?」


すると、れいとが、熊谷の襟をつかんで、壁へ押し付けていた。

椅子が倒れていて、大きな音はそれが原因だった。


「ちょっ、何何何!?やめなよ!れいと君!」


なぎは慌てて、れいとの腕あたりを押したり、引いたりするが、びくともしない。

「なぎ、表にいろよ。こいつと話がある」

「ちょ、いや、は!?話って!暴力はだめだよ!」

熊谷の方は冷静にれいとを見下ろしていた。いつもよりずっと冷たい視線をしているように感じた。

「全部知ってたんだろ!白鳥せつなとかいう、あいつの、、、オマエも協力してたんだろ!」

「、、、」

「えっ?いや、ね、れいと君!離して!落ち着いて話そう?ね!」

れいとは、せつなと会って、これまでのことがあまりにも滑稽なまでにすべてがせつなの手のひらの上の出来事であったと察した。

なぎはまだ、何もわからない。

熊谷は、どうなのか。


「なんとか言え!」

「れいと君!」

「、、、せつなに会ったんですね」


ようやく熊谷が口を開く。

「彼か全部話すなと思ったのに、話さなかったんですね。驚きました。彼にも人間らしい情があったんですね」

「、、、?」

れいとが、熊谷から手を離す。熊谷は襟元を整えた。いつもと声のトーンも違うようにすら感じる。

「く、熊ちゃん、、、」

「なぎ君、白樺君。私が知っていることをすべてお話しします。ですが、、、いえ、何を言っても言い訳に過ぎない、、、か。ふたりとも、座って。」

熊谷が椅子を直す。

れいととなぎは言われるがままに着席した。長机を挟んで向かい側に熊谷が座る。


知っていることとは。

熊谷は少し、遠くを見ているように感じた。

いまだになぎは、全てがちんぷんかんぷんだった。せつなと会って、実は自分に用は無かったと言われた。別にそれはいい。少しばかり悲しかったし、ショックだった。しかしそこから、れいとを勧誘したり、れいとが怒って熊谷に詰め寄ったりと、わけがわからない。

「なぎ君、大丈夫ですか?何か飲みますか?」

「え?あ、大丈夫、、、」


聞かなくてはならない。



「まずは、私の身の上話からになります。せつなととの出会いからです。」






熊谷は順を追って話だした。


「まず、私は過去にシンガーソングライターとして活躍していました。売れていましたし、今でも印税が入って来て収入は安定しています。ですが、、、3年ほど前に精神的な問題から、音楽を作ることができなくなりました。」


なぎもれいとも黙って話を聞いていた。

外はいつのまにか小雨が降っていた。12月の雨。曇り空は冷たく、無彩色だ。


「その時にせつなに会いました。彼は幼少期から才能を認められた音楽家でした。ですが何か企みがあって私に接触してきたんです。そのことは理解した上で、せつなの話に乗ることにしました。」


「企み、、、?」

質問をしたのはなぎだ。

熊谷がなぎを見る。


「なぎ君、なぎ君は何故、創作活動をするんですか」

「え」

「楽しいからですか?好きだからですか?」

「、、、え、と、たぶん、、、」

「私もせつなも、違います。」

「、、、」


れいとはこの話の着地点が見えていた。腕を組んで、不機嫌そうにしているが、熊谷やせつなの気持ちがわかる立場に近かった。


「人生は、理不尽で不公平なことの連続です。運の良いものが、、、恵まれた生まれの者が優遇され、地を這い泥をすすり生きる人間から搾取する、、、構造は固定され格差は是正されず、先の見えない閉塞的な毎日に摩耗する、、、」

なぎには、よくわからなかった。決して裕福な家庭ではないだろうが、衣食住に困ったことがない。家族は円満で、大病やいじめにあったこともない。

「そういった内面の昇華のために、私は音楽を作りました。いえ、、、もちろん、私のような人間が大金を手にするためにはエンターテイメントを利用するのが手っ取り早かったから、というのもあります。どこかの国ではサッカー選手か、ミュージシャンか麻薬の売人か、という話らしいですけど、それと同じです。自分の人生を好転させるためには勝負に出るしかなかった。と、言っても、容姿も才能も自覚があったので、比較的有利にことは進みましたけれど。」

「、、、」

れいとも、もとは金のためにオーディションを受けた。熊谷の話は十分に納得ができた。

「ですが、、、だからこそ、こんな理由で生きて来たからこそ、、、光が眩しすぎる時があるんです。繊細に鬱屈した精神が、自分と違う恵まれた人間のそれとの差異に刺される時があるんです。簡単に言えば嫉妬や、嘱望の凝り固まった澱でしょう。自分が音楽が作れなくなった理由はそれでしょう。汚泥にまみれたことのない人間の間にいるのが嫌になったんです。ひとりになりたかった、、、。いえ、、、もう取り返しのつかない人生に絶望していました。死ぬことも容易い選択でした」

「く、熊ちゃん、、、」

「、、、それで?」

熊谷の告白に、なぎは困惑と、それから悲しいような顔をしていた。熊谷とは長い付き合いで、仲の良いなぎにとって、熊谷の過去を、暗い部分を知ることは、辛い選択でもあった。

「せつなは、私に、後生、人生の光になるようなものを見せてくれると言いました。だから、ミュージシャンをやめて、マネージャーとして働くようにと言ったんです」

「光、、、?」


「ええ。光、と彼は言いました。もちろん最初は意味がわからなかった。けれど、、、それはせつなの実験でもあったんでしょう。私もまんまと利用された側です。、、、共犯だなんて思ってはいません。せつなは聡いし、賢い。」

「なぎのことか」

「えっ?」

れいとが言い当てた。

これは、正確だった。

「そうです」

「へ?俺?」

「なぎを、あんたに会わせて、あんたは見事になぎのことを好きになって、持ち直したわけだ。白鳥せつなの実験、そういうことだな」

「え?え?」

「3年前、なぎ君の妹が、なぎ君が歌って踊っている動画を動画サイトに投稿して、せつなはそれを見てなぎ君を見初めたんです。」

「あ、うん、、、あー、そうだったけど、、、」

「そして、せつなは自分となぎ君とのユニットを作りました。メリ、です。そのマネージャーが私です。私は、最初は、なぎ君にそんなに才能があると思いませんでした。失礼ながら、歌はもっと上手い人間はたくさんいます。、、、ですが、なぎ君の、素晴らしい部分はそんなことではなかった。」

「、、、」

「私やせつなには無いものが、なぎ君にはありました。愛され、大切に育まれてきた人間のみが持つものです。嘘偽りのない心からの他者への思いやりや、愛情です。駆け引きや計算なく、失敗を恐れず、演技や裏表を持たずに、ありのままの自然な自分でいて、それでいて、、、とにかく、私は、、、なぎ君が、、、なぎ君が、確かに、人生の光だと、、、言えます。なぎ君に会ったことで、人生が変わったと言い切ることができます。いつ、どこでも、誰の前でも、何百、何千の人間の前で、言えます。それ程、、、私は、、、」

「く、熊ちゃん、、、」

壮大な話だった。なぎ自身は自分をそんなに、ひとりの人間の人生を左右するような人格者だとは当然思っていない。これは、凄い、とか偉いとかのものさしで図る話ではなかった。非常に狭い関係での、ありふれた、陳腐な、それでいて古典的な、、、人間関係の話だった。


「あんたになぎを引き合わせた。あんたは見事になぎにハマったわけだ。で、そこからだ。白鳥せつなは次に何を計画していた。」

「、、、ここからは憶測も入ります。私も全容は知りませんから。、、、せつなは、なぎ君を利用して、人を集めることができると考えていたようです。」

「ひと?」

「結局、ひとが集まるひと、というのは、なぎ君のような人間だと、せつなは考えていたのでしょう。私やせつなに群がるような人間ではなく、、、白樺君、あなたやひゅうがのような、才能と人格のバランスの取れた若者のことです。」

「実際、なぎの周りはいいやつが多い」

「せつなは、メリの活動を、なぎ君が世間擦れしない程度の活動にとどめたり、作曲も教え過ぎない程度にコントロールしたりしていました。そして、なぎ君を突き放しました。今度はなぎ君をひとりにして、この、、、白樺君との状況を作り出したわけです。クリエイティブイベントや年末ライブのことまで計算に入れていたでしょう。状況はすべて、せつなの計算通りです。今、PPCのPレーベルは国内有数のアーティストを抱え、彼らの全盛期であると言っても過言ではない、、、。そして彼らはなぎ君、、、メリとの交流の中でなぎ君と懇意になり、メリに力を貸す、という所まで来ました。」

「なぎ君を、、、メリをエサにすれば、ひゅうがや他のユニットは、動くでしょう。彼らはメリを見捨てない。」

「、、、櫻井か」

れいとは、答えが出ていた。

「櫻井の、、、GGI、グランレーベルへ、全員引き抜く、、、そういう計画なのか。メリを人質に」

「白樺君はいつから答えが出ていたんですか」

「白鳥せつなと会ったからな。顔見て、とんでもねぇクソ野郎だって思った。それで、先日櫻井と会ったことと繋がった」

「せつなが当然櫻井氏と、金なんかで動いているわけではないとは思います。ですが櫻井氏は5年前にもPPCを潰そうと、アーティストの大量の引き抜きを行っています。実際PPCはかなり苦境に立たされましたが、それを立て直したのが悦子、、、代表ですね。櫻井氏がなぜここまで弊社を目の敵にしているかは不明ですが、櫻井氏、せつな、このふたりの間には何かしらの利害の一致があったのでしょう。」

「、、、ちっ、あの野郎、、、」

「れいと君に声がかけられたように、、、ツインテイル、ミーハニア、ポップコーン、サンライズ、ファーレンハイト、、、彼らにも声がかけられているでしょう。移籍しないかと。、、、メリを人質にして、ね。さらに、、、」

「、、、俺か」


「そうです。白樺君、あなたです。櫻井の目的はふたつになりました。そのため、せつなとその面でも手を組むことにしたはずでしょう。あなたを手に入れる。そのために、、、黒瀬、、、覚えていますか?懲戒になった新人の教官の黒瀬です。」

「あいつも?」

「買収されてました。黒幕は、櫻井氏だったです。」

大事になってきた。黒瀬の悪行を暴いたのは自分だ。会計のあの日に。まさか黒瀬の黒幕が櫻井だったとは。


「あっ、あのさっ、、、」

がたん、なぎが立ち上がる。

「俺、えと、話難しくて、よくわかんなくて、、、それでも、かんばって考えて、、、合ってるか、きいてほしいんだけど、、、」

なぎの声が、震えているように感じた。

ここでれいとはようやく、まずい、と感じた。急ぎ過ぎた。自分が情報を整理したいがために。なぎには、もっと時間が必要だった。


「せつな君は、俺とメリで活動してたのは、、、全然、楽しいとかじゃなくて、計画があって、、、ってこと?」

「、、、なぎ君」

「熊ちゃんは知ってて、、、けど、それで、せつな君はなんか目的があって、俺のこと、ひとりにして、俺が、俺ががんばって、、、れいと君のこと見つけて、、、それからも、、、それで、みんなが、俺たちに力を貸してくれるくらい仲良くなって、、、それが、、、」

れいとも熊谷も何も言えなかった。




「お、俺が、かんばってきたこと、作曲とか、コラボとか、、全部いろいろ、、、」




「俺が、、、頑張ったせいで、みんなに迷惑かけてる、、、ってこと、、、?」





れいとも熊谷も、答えはひとつだった。そうだった。せつながそう仕向けた。なぎに、メリに、他ユニットが入れ込むように仕組んだ。それも、土壇場でメリを見捨てるような人間ではなく、最後まで仲間のために戦う、そんな人間の集まったユニットが、メリに接触するように仕向けた。クリエイティブイベントはコラボユニットは抽選だが、それも何か仕組まれていたのかもしれない。全部だ。いや、そうではない。全部だ。なぎが、せつなに会って、メリとして今まで活動してきた全部、すべてが。


せつなの計画のためだった。


「なぎ、、、」

れいとも立ち上がる。

「ごめんなさい、、、」

「えっ」

「ごめんなさい!」

なぎは大きく叫んで、それから走って会議室を出た。

「なぎ君!」

熊谷も立ち上がる。しかし、れいとに制止される。

「白樺君、なぎ君を追わないと、、、」

「俺たちが?」

「、、、」

「白鳥せつなの味方のあんたに、、、なぎが、努力して手に入れたと思ってたもののひとつである、俺が?」

「それは、、、」

「今なぎに声かけるのは俺たちじゃないだろ」

「、、、」

「、、、七星先輩に連絡を。」

「わかりました、、、」


なぎは、どこまで行ったのだろう。

れいとは窓の外を見た。もう、暗くなりはじめている。

外は小雨だ。奇しくも、これはまるでなぎがせつなと別れた日の空港の天気と同じだった。

自分の軽率な行動がなぎを傷つけてしまったかもしれない。

いや、、、なぎは傷ついているだろう。

自分と、熊谷といるべきではない。

自分がすべきは何かをれいとは考えた。

れいとはなぎの後を追わずに、ビルの外へ出た。向かった方向は、誰も知らなかった。




ーーーーーーー




「おにいちゃん、歌ってよ」


これは過去の回想だ。

なぎは、ひとり冬空の下を走りながら、3年前のことを思い出していた。


3年前。なぎはまだ13歳だった。どんな子供かと言われれば、平凡の一言につきる。マイペースで、乱暴ではなかった。おっとりしたタイプだった。それなりに、ゲームや漫画やアニメが好きで、それなりに勉強をしていた。

ある日、妹ふたりがなぎの動画を撮った。ファーレンハイトの新曲を歌ったものだ。それを勝手に、なぎの許可なく、動画投稿サイトに投稿したのだ。


なぎはそのことを知らずに、それから数日して、突然自宅に、せつなと熊谷が来た。

なぎの動画を見て、なぎをスカウトしにきたのだ。

両親と、なぎが揃っている時間帯で、ふたりは難しくい契約書なども持って来ていた。なぎをPPCに迎えたいと、せつなは熱心に話をした。

当然、両親もなぎも時間をくれ、といった。両親はなぎの意見を尊重すると言った。学業との両立が条件だった。

なぎは、考えた。ファーレンハイトや、他にも好きな音楽グループはたくさんあるが、じゃあ自分が作詞や作曲をする気があるかとしたら、別だった。歌うのか好き、も多分、ごく一般的な、カラオケが好き、程度だった。繰り返すが平凡な子供だった。何が、何故、せつなが自分を選んだのかわからなくて、なぎはせつなに連絡をして、ふたりきりで会った。

せつなは、こう言った。

「楽しそうだったから。それも、才能だよ。君のために曲を作るよ。作らせて欲しい。歌ってくれる?」

嬉しかった。

だからなぎも、メリとしての活動をがんばった。

嬉しかったのは、どの部分だろうか。

せつなに認められたことか。新しい友人になれたことか。自分のための曲か。歌うことか。メリとしての活動か。


今はもう、すべてが、よくわからない。



ーーーーーーー





PPCを出て、冷たい外気の中をひたすらに走った。もうすっかり暗い。気温も落ちて、凍えそうだった。それでも。


とんでもないことになってしまった。

自分は選択を間違えた。

そのせいで、多くのひとに迷惑をかけている。


なぎは自責や恥じらいでいっぱいだった。

選択を間違えた部分は、せつなに別れを切り出された後だ。せつなが行ったことが一字一句脳裏に蘇る。





それでね、なぎにはふたつ選択肢があるんだ。僕が脱退して、そのままメリを解散するか、それともなぎひとりでメリとしてやっていくか。





これも、せつなに仕組まれていたのだろうか。自分が選んだと思っていた。違ったのだろうか。


今頃、他のユニットのメンバーはどうしているのだろう。メリを盾にゆすられて、きっと皆困惑している。大事な年末ライブを前に、こんなことになるなんて。


それだけじゃない。

せつな。

せつなのことを心から信頼していた。

熊谷のことも。熊谷が言う、光だのなんだのの部分は、自分のこととは思えなかった。熊谷ほどの実績を持つ人間が自分のどこに惹かれたというのか。

せつなは、本当にすべて、自分とメリとして活動していた時間のすべてが、計画のためだったのだろうか。

優しい態度や、自分のために作ってくれた曲や、一緒に共有した思い出はすべて、演技だったというのか。


れいとのことも、考えた。

こんなことになるなら、彼をメリ誘うべきではなかった。先日ファーレンハイトのライブで見たif、の世界。れいとがファーレンハイトに入っていたら、というもしもの実現。あれが、本来の正しい未来だったのだ。自分が、まんまと乗せられて、それを潰してしまった。


「、、、」


気がつくと、無我夢中に走って来たせいで、まったく知らない場所についた。

公園だ。昼間せつなと会った公園を思い出して、気分が沈む。小川も流れている。川のせせらぎは、いつもれいとと通る河川敷を彷彿とさせた。


どうでもいいとも思った。

何も考えたくなかった。

このまま消えてしまいたいくらいだった。

しかし、バイクの音が近づいてくるのがわかった。それが誰かも。


「なぎ!」

「ひゅうが君、、、」


頭に浮かんでいたとおりの人物だった。

バイクを降りて、近寄ってくる。

「来ないで!」

「!」


なぎは、ひゅうがから遠ざかり、小川へ入った。ひざくらいの高さだが、真冬だ。あまりにも水が冷たい。

「なぎ!」

ひゅうがが後を追うが、なぎは再度、来ないで、と言った。

「なぎ、、、話、全部聞いた、、、」

「、、、」

「とりあえず、帰ろう。寒いだろう。早く、こっちに、、、」

ひゅうがも珍しく、狼狽しているようだった。せつなの真実や、それこそ、なぎが心配できたのだろう。ましてやなぎがこの12月も半ばの真冬に川に突入したのだ。早く事態を切り上げなくてはならない。


「お、俺のこと、恨んでるでしょ、、、」

「は、、、?」


なぎの口から、予想だにしない発言を受けて、ひゅうがは困惑した。


「誘われた?GGIのグランレーベルに、、、」

「、、、あぁ」

「メリを助けるから、って言われた?」

「近いようなことを」


やはり。

「俺の、、、せいで、、、」

「なぎ。違う。違うから、こっちに。早く。寒いだろう。」

ひゅうがも、ざぶ、と川に入る。

水は刺すように冷たい。体に障る。

なぎを早く、水から上げないと、と思った。


「なぎのせいじゃないし、恨んでもいない。だから迎えに来た。俺の気持ちは、変わらない。白鳥だの櫻井だの、どうでもいい。なぎ、、、お前は俺の、、、ファーレンハイトの恩人だし、大切な友人で、後輩だ。兄貴の友人でもある。、、、お前が心配なんだ。」

これが、ひゅうがの心からの気持ちだった。

嘘偽りない、心からの、言葉。


ひゅうがは先ほどまで、PPCで事務的な作業をしていた。慌てた熊谷が現れた。

なぎがせつなと会ったことや、熊谷が自身のことを打ち開けたことなど、それから、なぎが出て行ったことを聞いた。

せつなに関しては、絶対に、何か裏があると思っていた。自分が清廉潔白だとは思わない。自分も悦子との「契約」の上で動いている。それでも、せつなとは違う。

せつなの突然の脱退、それから帰国の報に、櫻井暗躍。何かがあるとは思っていた。それでも少しばかり、期待と信用をしていた。同じアーティストとしてだ。せつながなぎを、ここまで酷い扱いにするとは、考えていなかった。

ざぶ、ともう一歩踏み出す。なぎに近寄る。

熊谷はなぎをスマホのGPSで追っていて、それをひゅうがに伝えて、ここに辿り着いた。

簡素な公園。手入れもされていない小川。


「ひゅうが君、ぜんぶ、それも、全員、せつな君が、、、」

「なぎ、声、震えてるから、こっちに、、、」

「俺に、恩、、、?それだって、、、」

「嘘じゃない。あの、、、3年前だって、、、俺たちを助けてくれた件だって、選択を、、、行動を、したのはなぎ自身だ。それを、俺は尊敬している。白鳥なんか、関係ない。」

「でも、、、」

さらにもう一歩近づくと、手を伸ばせばなぎの腕を掴めるほどの距離まで来た。

「あいつの、、、したことは、酷いことだと思う。許せないと、、、。なぎは、悪くないだろうう?誰もなぎを悪いと思ってない。話そう。だから、、、」

「でも、、、」

ようやく、なぎの顔を見た。

泣いている。寒いのだろう。酷い顔色だった。


「俺、、、どうしよう、、、」



川の音に消え入るような、ほとんど静寂に近いような、ただただか細い声だった。


ひゅうがは、ぐ、となぎの腕を掴んで、引き寄せた。抱き寄せる。どうしようもない感情だった。負けるな、と言わなくてはならなかった。


負けるな。俺も、お前も!

ひどく冷たい体を引っ張って、川を出た。指先は氷のようだった。


なぎはもう、何も言わないし、抵抗もしない。

濡れたままなので、どうにかしないといけない。熊谷になぎを見つけたと連絡をした。それから、なぎの家よりも自分の家が近いと思って、アリスになぎを連れて帰宅すると連絡をした。俯いたままのなぎをバイクに乗せて、バイクを走らせた。


ーーーーーー




家に着く。なぎの手を引いて急いで部屋へ向かう。なぎも自分もずぶ濡れなので誰にも会わなかったのは幸いだった。

部屋のドアを開けると、アリスがなぎに抱きついた。

「!」

「なぎ、辛かったね。おいで、もう大丈夫だよ」

すぐにアリスは離れて、なぎを部屋へ誘う。

リビングを通ってバスルームへ。廊下で、なぎは、自分がずぶ濡れなことに気づいて、部屋を汚してしまうから、とここで初めて、立ち止まった。アリスは笑って、ひゅうがが掃除する、と言った。なぎは、涙や鼻水で顔はぐしゃぐしゃで、アリスはそれを、袖でぬぐった。アリスは湯船にあたたかいお湯を張って待っていたのだ。上着や、靴下を脱がせる。

「あ、あの、アリス」

「ひとりでできる?ちゃんとゆっくりあたたまってから出て来れる?」

「お、俺、俺よりひゅうが君、、、」

「え?あいつは大丈夫。拭いとくから。」

アリスはひゅうがを雑にもののように言ったが、冗談だろう。

「とにかく、なぎ、ほら早く早く。風邪ひいちゃうよ。うち狭いからふたりは無理だからね」

「あ、、、」

どうにもぱっとしないなぎのために、アリスが本当に全部、脱衣を手伝った。

シャワーもした。暖かいお湯で、犬みたいに、なぎを洗った。それからなぎを湯船に入れて、20分は入っているように、と言って、アリスは出て行った。

なぎはアリスの言う通りにした。ひゅうがが心配だったし、他人の家の風呂を借りるの恐れ多い気持ちだったが、なんだかどっと疲れたような気がして、何も考えたくなくて従った。


「任務完了〜」

アリスがリビングに戻ると、ひゅうがは着替えていて、なぎの靴を乾かしていた。ドライヤーで。アリスが笑う。

「明日までに乾く〜?」

「服は洗濯機回した。靴は、、、サイズが、貸せないから。」

明日まで。アリスもひゅうがも、なぎが泊まる前提で話をしている。

「熊谷呼び出した。兄貴は、、、大丈夫か?疲れてないか?先に休んでていいけど、、、」

「え、やだやだ。体調全然いいから、なぎのお世話したい。自分より小さい弟、貴重!」

「でかくて悪かったな」


アリスはキッチンへ向かって、集めている紅茶を選んだ。仕方なくインドア気味なので、趣味は多岐にわたる。そのひとつがフレーバーティーだ。リラックス効果のあるものがいい。けれどなぎなら、フルーツフレーバーがいいかもしれない。鼻歌まじりで、キッチンから話しかける。

「熊谷って、あの、元シンガーソングライターのだよね?味方なの?」

「、、、今のところ、一先ずは。」

「微妙ー。顔すごく好きなの。男前だよね」

「白鳥との件だけで言えばロクデナシのひとりだ」

アリスは、すべてを知っていた。ひゅうがが話した。なぎの友人で、力になれる存在だと思ったからだ。PPCのPレーベルのアーティストではない上で、事情を知っていてもおかしくない友人の枠。

「アリス」

「んー?」

「、、、俺も、いや、俺に、これから何かがあっても」

「、、、」


「なぎの味方でいてやって欲しい」

ドライヤーの音に混じって、随分と小さい声だった。

キッチンからは、ひゅうがの後ろ姿しか見えなかった。表情はわからない。

しかしアリスには、十分に聞き取ることができた。ひゅうががどんな顔をしているが。


「何があっても、お前たちふたりの味方でいるよ」



すると、バスルームのドアが開く音がした。ぺたりぺたりと、裸足の音。

なぎだった。

「あの、、、お風呂ありがとうございます、、、」

控えめに言うなぎを見て、ひゅうがは靴を、乾かすのをやめた。

「あったまったか?、、、顔赤いな。アリス、何度だったんだ」

「え、40度」

「熱いだろ。」

「え、そう?なぎ、熱かった?それで早くあがってきたの?あたたまったかな?」

「あ、、、はい、あの、、、」

「なぎ」

アリスが近寄る。なぎをもう一度抱きしめてみた。じゅうぶん温かい。それを確認して離れた。

「なぎは酷い思いをしたよね。傷ついてる。なぎを労いたいんだ。癒してあけだい。何でも言って?わがまま言って発散した方がいい。今、なぎの要求が、俺にはわかる、、、」

「え、、、」


「お腹すいた!でしょ!」

アリスがいると、場が明るくなる。屈託のない性格。ちなみになぎが言おうとしたのは違う。

「ひゅうが、ピザにしよ!ピザパーティーだ!」

「なぎ、何食べたい。」

「え、えと、、、」

「泊まるようにお家に連絡済みだから大丈夫!くつろいで!ひゅうがのカードだから、ウナギとかにしちゃう!?」

はしゃぐアリスにひゅうがは呆れたようにため息をついた。結局、ピザにうなぎにアイスやオードブル、アリスは思いつくままの出前を頼んだ。


食事を終えて(といってもなぎはあまり食べなかった)ソファで、なぎはぼーっとしていた。頭が回らない。

「なぎ、はいどーぞ」

アリスが紅茶を持って来た。花の香り。

「あ、ありがとうアリス、、、」

アリスが隣に座る。ひゅうがはキッチンで、残り物を冷蔵庫にしまっている。アリスは食べたい所にだけ手をつけて、たいていが中途半端で残った。これらはすべてひゅうがが残りを食べる。いつものことらしい。

なぎは、何度もひゅうがの家に泊まっているので、リラックスしてきたし、気持ちが落ち着いてきた。家に帰るよりも正解だったように思った。逃げる場所がある。恵まれている、という、熊谷の話に何回か浮かんだワードが思い起こされた。

「高校はもう冬休み?明日クリスマスだよ。明日の予定は?」

アリスが問う。

「あ、、、」

そうだ。学校のことを思い出した。明日のクリスマスを経て、もう年末ライブだ。

「一年って早いよね〜」

「明日、、、」

明日のことは考えたくなかった。

どこにも行きたくない。級友に挨拶をする気力も無かった。

「ね、いつまでいる?一生?ならもっといいとこ引越しだね!」

「へっ」

アリスが、とんでもないことを言い出した。


「なぎここに住んでよ〜。なんもしなくていいよ。いるだけでいいよ。毎日遊ぼうよ!」

「え、、、と、、、」

明日の予定、まではわかる。それ以降はあまりに飛躍していた。

「こら、アリス」

キッチンからひゅうがが戻ってくる。手にはコーヒー。

「じゃどーすんのさ!なぎは傷ついてるんだよ!なんだっけ、白鳥せつな?とかPPCとか、もう忘れさせてあげようって提案なの!」

アリスはソファから身を起こして、自身の主張を続けた。

「なぎはメリを辞める!学校は高卒でオッケーで、その後は、ひゅうがに養ってもらお!ニートニート!なーんもしなくていいよ!そういう人生もアリじゃない?あ、いっそ外国に移住しよっか!ギリシャ行こうギリシャ!」

「、、、」

「なぎ」


ひゅうががなぎの向かい側のカウチに腰掛けて、話しかける。

「俺、、、は、、、」

なぎはようやく状況を振り返った。

せつなの、真実。

それを受けて、どうするか。

ひゅうががなぎを見つめる。優しい眼差しだった。

「それでもいい。どんな形でも、助ける。、、、けれど、ライブが近い。ライブに出たくないなら、それを決めなきゃならない。、、、俺が引き継ぐ。青木もいるしな。」

「、、、」

どうしたいのか、どうするべきなのか。

すると、アリスがなぎの手を握った。

「俺、なぎの友人として、なぎを助けるよ。ね。何でも話して?」

「アリス、、、」

「それに、何も、思い詰めることはない」

ひゅうががスマホを取り出す。

メッセージアプリの画面を見せてくる。

それはライブに出るユニットのリーダーで作ったグループだ。




「みんな、、、!」


そこには、なぎを気遣うメッセージが入っていた。

それぞれが、移籍を打診されたこと。メリを盾にされたこと。


、、、断ったこと。


卑劣なやり方への非難や、なぎへの気遣い。


ななみは誰よりもなぎの心身を心配していた。

ぎんたはいつでも頼れ、と言っていた。

とうまは櫻井に怒りを滲ませていた。

あつしはなぎのためなら何でもすると言う。




そして。


「誰も、なぎを責めてない」

「、、、」

「なぎが悪いなんて思ってない。」

「、、、」

「迷惑をかけられたとも思ってない」


なぎの荷物を預かっていたアリスが、スマホをなぎに返却した。

留守電やメッセージの通知がたくさん入っていた。

「、、、」

じわりと目頭が、熱くなる。

仲間たちはこんなにも、強い。

強く、優しい。

すると、インターフォンが鳴る。

「来たか」

ひゅうがが立ち上がって、誰かを迎えに行った。

しばらくして現れたのは熊谷だった。

「熊ちゃん、、、」

「なぎ君、、、」


なぎがソファから立ち上がる。

熊谷の懺悔。

複雑な気持ちだった。

しかし、ひとり足りない。

「あ、、、れ、れいと君は、、、?」

「、、、私はすでに、白樺君がなぎ君と合流していると思っていたんですが、、、」

れいとはどこへ行ったのか。


熊谷がなぎに近寄る。頭を下げた。


「すみませんでした」

「!」

ひゅうがとアリスは無言で一連の、流れを見守った。

「え、、、と、、、」

謝罪をされても、なぎは熊谷に何かされたわけでもない。

「せつなが何か考えていることを、、、黙っていたこととです。それに対する謝罪です。怒っているでしょう。失望したでしょう。」

「あ、、、」

それなら合点がいく。

しかし、なぎはもう、別のことを考えていた。

れいとは、どうしたのか。

ちゃんと帰宅したのだろうか。

彼もまた、困惑しているはずだ。ひとりではないのだろうか。誰かがそばにいるのか。


熊谷を見る。

せつなとの再会。それから、熊谷の告白は衝撃的だった。いまだにどう受け止めたらいいのか、わからない。


「どんな罰も、処分も受けます。なぎ君の思うようにして下さい」

「、、、」


ひゅうがが迎えに来てくれた。

アリスが世話を焼いてくれた。

仲間たちの気遣い、勇気。


せつなだけで、世界が回っていた。

今は、違う。

考えや選択が、すべてせつなにコントロールされていたのかもしれない。

それでも。


「熊ちゃん、、、俺、、、」

「はい、なぎ君」

熊谷が顔を上げる。


「熊ちゃんのこと、好きだよ」

「なぎ、君、、、」

「だって、俺、いつも熊ちゃんに頼りっぱなしで、助けられてて、、、謝らないで、ほしい。俺あんまり、よくわかってないことも多いんだけど、、、。 」


「どうしたらいいかまだわからない。このまま続けるのが、多分楽だとは思う。けど、楽かどうかで選択したくない。けど、本当に熊ちゃんのこと、怒ってもいないし、失望してもない、、、」

それが、本心だった。

熊谷は驚いていた。ひゅうがとアリスは、さも当然といった顔だ。

「なぎ君、ですが、、、」

「ほんとだよ。」

「私は、、、」

これからのことは決まっていない。これから、もあるとして、熊谷に罰を与えるとか、解雇だとか、そういうつもりはなかった。

なぎひとりでは考えられない。

れいとと話さなくてはならない。

れいとに会いたい、、、。

なぎは、顔を上げた。


「れいと君は?れいと君と、話したい、、、」

「熊谷、あいつは?」

「それが、連絡がつきません。メッセージが既読にもならないし、電話も出ません。私だからかと思うのですが、、、」

すると、アリスがなぎのスマホを勝手に操作した。何も恥ずかしいことはないので、なぎは特段気に留めなかった。


「あー、これまずくない?」

「!」


一同がアリスに注目する。

アリスも珍しく、真剣な表情だ。

アリスはなぎに届いたれいとからのメッセージを読み上げた。




「白鳥せつなに会いに行く」





ーーーーーーー



れいとが失踪した。


それは、ライブに出演する他のユニットにも告げられた。

ライブまで、あと二日。


「失踪!?」

驚いた声をあげたのはたくとだ。

この日、PPCに、年末ライブ出演のユニットのリーダーが集まった。

ほかに余暇のある仲間が集まった。当然、れいとのことを話すためだ。

召集をかけたのはなぎだ。

「ど、どうして、、、?」

ななみが不安そうにする。

ほかに、この場にいるのは、るき、ぎんたととうま、あつし、ひゅうが。

それから、つきは、エリック、ほまれ、とらちよ。

「いや、またかよ!あいつは姫かなんか!」

つきはが言う。未成年の失踪なので、事は重大だが、ファーレンハイトにとっては2度目だ。

「うちにも来てねぇし、、、どこ行ったんだ?」

るきもれいとを心配している。それだけではない。るきはリハの後からもなぎのことも心配していた。当然、それは隠していたが、ファーレンハイトのメンバーらにはばればれだった。

「もちろん、できるだけ手を貸すよ。」

「う、うん!メリの解散を食い止めることも大事だし、皆で力を合わせよう」

ほまれとエリックが、協力を申し出る。ふたりは学生なので、今は冬休みだ。

「あ、ありがとう皆、、、ほんと、迷惑ばっかりで、、、」

「迷惑なんてこれぽっちも思ってねぇよ。んな顔すんな」

「ほら!俺の言った通りだった!使徒は試練を乗り越えねばならない!」

あつしととらちよも続く。

「えと、そ、それでね、、、話さなきゃならないことがあって、、、れいと君の失踪というか、メリそのもののことで、、、」

「なぎ」

ひゅうがが止める。

「ひゅうが君、、、」

そう、あの後、れいとの家で、アリスがれいとからのメッセージを読み上げた後、一悶着あり、今に至る。

ひゅうがは夜遅くまでれいとを探してくれたし、熊谷も同様だった。落ち着かないなぎのそばに、アリスはずっといてくれた。れいとに連絡はつかない、家にもいない。せつなにも連絡はつかない。ふたりは会ったのだろうか。どこへ行ったのだろうか。


なぎは当然、れいとが心配で仕方がなかった。

どこへ行ってしまったのだろう。せつなと、何かがあったのだろうか。

れいとの家族は1週間帰ってこないようなら警察に相談すると言っていた。未成年にしては長いが、いなくなることはたまにあるらしいとのことで、逆になぎを気遣うくらいだった。


「、、、」


話さなくてはならない。

せつなの真意を。

すべてを知ったら、目の前にいる皆も、態度が変わるかもしれない。

それでも、話さなくてはならない。


「話があって、、、」

「なぎ」

「だ、大丈夫。話す。、、、自分だけ情報を隠して、皆に協力させるなんてこと、したくない」

せつなから移籍の打診はあったものの、当然、ひゅうが以内は、ことの経緯は知らない。

話さなくては、ならない。

なぎ自身にとってもそれは、辛い事だった。恥ずかしいことだった。心から信頼していた人物が、自分に対してした仕打ち。


それでも、話さなくてはならない。


れいとを思い出す。

まだ中学生だ。大切な相棒だ。自分が、守らなくてはならなかった。

今は、自分のことなどもはやどうでもよかった。メリも、ライブも。れいと本人を、どうしても取り戻したい。


「皆」


なぎは顔を上げた。


「メリ、、、メリ結成のいきさつの真相とせつな君のほんとの計画のことを、話します。それで、それを聞いた上で、、、今後も、れいと君を探すことや、俺たちを助けてくれること、、、考え直してほしい、です。」


なぎは、深呼吸をして、できるだけ、ゆっくり、話を始めた。

それは自分へ言い聞かせるかのような、自分を説得しているかのような、そんな口調だった。


「まず、せつな君は、俺と音楽がやりたくて、俺を勧誘して、メリを作ったわけじゃ、なかった」

「!」

その場の一同全員、突然の話に驚く。

皆はあまりせつなを知らない。

「と、待て待て、白鳥せつなだよな?」

るきが問う。特に、PPCに入ったばかりのるきは、せつなの情報を、ほとんど持たない。

「白鳥せつな。天才音楽家。PPCでの活動はマイペースで他者と交流を持つタイプでもなかったから、僕たちもあまり知らないんだ」

解説をしたのはほまれだ。

謎の多い人物。全員の共通の認識だ。

なぎは話を続ける。


「せつな君は、俺に、、、人を惹きつける才能があるって、考えた。それは、ただの人じゃなくて、皆みたいな、、、才能もあって、性格もい人たちのこと。それで、まず、熊ちゃんを、、、実験として、俺に会わせた。それで、実際熊ちゃんは俺と仲良くなってくれたから。それを見て、そう確信したみたい。」

会議室の隅に立っていた熊谷に目線が集まる。メリのマネージャー熊谷。なぎにべったりなことは有名だった。それにすら、ただならぬ理由があったというのか。

「それで、俺を使えば才能ある人物を集められると思った。だから、俺を、うまく、利用して、、、」

凪の、声が震える。

「な、なぎ君!」

立ち上がったのはななみだ。

なぎへ駆け寄る。

「話したくないなら、いいよ、無理しないで!こんな、、、こんな話、、、!僕は、白鳥さんは、なぎと楽しくメリをやっていると思ってた。それが、なぎを、ただ利用していただけだっていうの?ひどいよ!」

ななみにしては珍しく、強い言葉だった。親友のなぎを心から思っているのだ。

「う、ううん。、、、ありがとう、けど、話さなきゃ。」

「なぎ君、、、」

なぎは今にも泣き出しそうな声だった。

「メリを急に抜けたのも、計画だったらしくて。そうしたら俺は、新しい人材を見つけたり、クリエイティブイベントで他のユニットとコラボして、いろんなひとと親しくなる。そうしたら、俺のまわりに、たくさん、才能あるひとが集まる、、、」

ここで、一同は気づいた。年末ライブ。出演するのは全員、メリとコラボをしたユニットだ。偶然か、運命か。

「結果的に、白鳥の望むような人材が集まったのが、年末ライブの出演ユニットってわけか、、、」

ぎんたの発言がことの真相だ。

こくり、なぎがうなづく。

全員が、せつなからの、移籍の打診を受けている。

「し、白鳥さんの望むような人材って、、、?僕、そんなたいした人間じゃないけど、、、」

エリックが問う。

「ただのアーティストならごまんといる。そうじゃなくて、人格面も含めてってことだろう。」

「人格?」

答えたのはあつしで、さらに隣のとらちよが疑問を重ねた。


「、、、メリを見捨てずに助けようとする、だろ」

とうまが答える。

そう。自分たちは、解散を迫られているメリに手を貸した。困っている後輩への手助け。アーティストとしての相互関係。なぎやれいとを、見捨てられない。

これまでの状況が、せつなによる人事のジャッジだったのだ。そして、選ばれた者へ勧誘というチケットが渡る。GGI、グランレーベルへの移籍の打診。

一同はあまりの状況に、驚き、困惑していた。

白鳥せつな。

あまりにも、恐ろしい男。

それでいていまだに、真意がわからない。


「俺が頑張るほど頑張るほど、せつな君の思う通りになっていった。俺は何も気づかずに、、、この、状況にしてしまった。皆、なのに、優しくしてくれて、優しくしてくれたのに、、、」

なぎはゆっくりと頭を、下げた。深々と。


「ごめんなさい、、、」


涙声だった。

なぎ君、と横にいるななみまでつられて泣きそうになっていた。

すると、今度立ち上がったのは、ぎんただった。

なぎへ近づく。

しゃがんで、なぎを覗き込んだ。


「なぎ、話してくれてありがとうな」

「、、、」

なぎの肩をそっと支えて、顔を上げさせる。

「俺は、、、なぎの話を聞いて、改めて決めた」

にか、とぎんたが、笑った。

「なぎを助ける。」

「!」


なぎは驚いて顔を上げてぎんたを見た。

すると。

「僕も!」

「もちろん僕もだよ」

エリックと、ほまれが立ち上がる。

「俺たちも、な」

「言われなくても助けてやるっつーの」

つきは、るきが続く。

「サンライズも全員、なぎの味方だ」

「なぎ、使徒の指名を果たそう!銀河を守るんだ!」

あつしと、とらちよも、なぎへ視線を送る。

「み、みんな、話、聞いてた?俺のせいで、いろいろみんなに迷惑を、、、」

「迷惑だなんて思ってねぇよ!」

「青木先輩、、、」

「謝る必要もない。つーか、その白鳥とかってやつをぶっとばしてやりてー気分だよ!何様だっつーの!」

とうまは不遜に足を組み直した。

「皆、、、」

「なぎ」

「ひゅうが君、、、」

「メッセージの通りだ。真相を知っても、誰ひとり、なぎが悪いとは思わない。謝罪もいらないし、なぎを、、、白樺を、メリを助けたい。」

ひゅうがの声は落ち着いている。

なぎはひゅうがを見つめた。

昨夜、公園で、冷たい川に入ってまで、自分を迎えにきてくれた。それだけじゃない。ひゅうがには、過去に何度も何度も何度も何度も、助けられ、支えられている。

「どう、、、して、、、」

「なぎを助けたいから。白鳥の勧誘も断った。自分で決めたことだ。、、、お前に恩を返したい。生涯を、かけて。」

恩。

そう、あの時の。

それを、ひゅうがはいつも、口にする。

「つかよ、話してくれ良かったよな。白樺は白鳥と一緒にいるかも、なんだろ?話がすすんだじゃねぇか。早速探そうぜ」

つきはが話を切り替えた。ファーレンハイトなら情報通はすずだ。

「白鳥せつなの行動も考えるべきだな」

「それぞれできることをしよう。白樺くんの行き先、、、考えてみるよ」

「あっ、心当たりあるよ!」

たくとと、それからほまれも切り替えは早い。エリックも話に乗る。

皆、同じ気持ちだった。

白鳥せつななど、関係ない。

たとえせつなの計画どおりにことが進んでいて、せつなに操られていたとしても。

自分で選んだ道だと、胸を張って言える。言えるように。言えるようにするために。

ざわざわと、その場にいた全員が各々行動を始める。他のメンバーへの連絡や、相談。れいと捜索の道。


「皆、、、」


ひとりじゃない。

ぎんたが立ち上がる。

横にななみと、ぎんた。それからひゅうが、熊谷や見守る。

あの時の光景のようだった。


では、自分は。

仲間たちが人事を尽くしてくれているというのに、自分だけがいつまでも立ち止まっていていいはずがない。


決断を。

選択を。行動を。


「俺、、、は、、、」


後悔のないように。

本当に大切なもののために。


なぎはもう一度、頭を下げた。

なぎらしい、大きい声が、出た。


「みんな!ありがとう!!!!!」


一同、なぎが、立ち直ったのをしっかりと感じ取った。

真剣な、強い、眼差し。


「俺は、、、メリを続けたい!」

なぎは上着を着た。

れいとを探しに行くつもりなのだ。

「れいと君と歌いたい。解散したくない。来年も活動したい。ライブをしたい!みんなの、Pレーベルの一員でいたい!」


なぎは、ななみとぎんたのもとをそっと離れた。ひゅうがが見守る。

そして、壁際にいた熊谷のもとへ行って、腕をひく。走り出す。


「なぎ君!?」


珍しく、本当に熊谷が心から驚いているであろう顔をした。

「行くよ熊ちゃん」

「なぎ、君、、、!でも、私は、、、!」

「熊ちゃんにマネージャーでいて欲しい!」


「まだ俺の、、、俺たちのマネージャーでいて!これからも!力を貸して!」

「、、、!」


光。

せつなはそう言った。

さきほどの、会議室ではそれがわかる人物と、わからない人物が混在していた。

圧倒的な光。心奪うもの。心を癒すもの。人生の指標になるような存在。暗い海で行く末を示す灯台のように。真夜中の森で暗示をかける星空のように。

それに出会う側なのか。はたまたは本人がそれなのか。


せつなは言った。

たしかにそうだった。

なぜせつなは、あの短い動画でそれを感じ取ったのだろう。なんの変哲もないホームビデオだ。

なぜなぎを、選んだのだろう。


「なぎ君、私、私は、、、」


廊下をふたりで、走る。

なぎがふりむいて、にこりと笑った。


光。

一瞬の、刹那の、光。光の衝撃。

彼は見たのだ。

そして自分も今、やっと、見えた。


せつなの計画。彼の深淵。そこに近い場所にいると思っていた。違った。

なぜ、せつながメリを、メリと名づけたのか。


「なぎ君、もちろん、私でよければ、、、!」

「!熊ちゃん!」

「なぎ君、私は、、、酷いことを、なのに、あなたは、、、」

「酷いことなんて!今まだどおり、やっていこうよ!」

「何でも言ってください。どんなことでも。」

「うん!もちろん!いっしょにれいと君を探そう!年末ライブに出る!メリは解散させない!」

なぎが力強い表情をした。


やるべきは定まった。

いや、はじめから決まっていた。

ライブへの出場。

メリの存続。

れいとと、歌うこと。




なぎは熊谷と、時間の許すかぎりれいとの捜索を続けた。




ーーーーーーー






「情報を整理します」


れいと失踪から一日と、それからもう一日が過ぎ去ろうとしていた。明日が、ライブ当日だ。しかし。


「れいと君、、、」


れいとは、見つかっていない。

駅前のカフェで熊谷となぎは会っていた。

なぎは覇気がない。昨日も今日も、れいとを捜索したのだ。しかし、どこにもいない。連絡もつかない。せつなにもだ。いよいよ家族も失踪届けを警察に出すことを考えているという。

「まずはファーレンハイトの面々からの情報です。」

「うん、、、」

ほかのメンバーも、忙しい合間を縫って情報を集めたり、捜索に協力をしてくれた。他にも、ライブでの諸連絡やなぎの仕事を手伝ってくれた。


「三宅君が、れいとくんのスマホの動き、せつなのスマホの動き双方を調べましたが、どちらもつかめませんでした。またふたりの口座や、せつなのクレジットカードなどにも動きがまったくありません。監視カメラに映った様子もないので、繁華街なとにはいないのではないか、とのことでした。」

すずは相変わらず、そんな違法な捜索をどうやってやっているのか。情報はあまりに完璧だ。

「五十嵐君は、昔不良グループにいた頃の知り合いに聞いてくれたそうです。手がかりなし。他のメンバーも、自分たちなり白樺君を捜索してくれたそうなのですが、手がかりは掴めなかったそうです」

それから、他のユニットの報告も、熊谷から寄せられた。

サンライズ。あつしととらちよ、ゆうひ、ふれい、それぞれ自分たちのツテにれいとの話を聞いた。環境保護や人権擁護に熱心な知り合いが多かったために、未成年が行方不明とのことでかなりの人数が力を貸してくれたらしいが、これも手がかりはなし。

ミーハニアはほまれがかなりがんばったらしい。金の力だ。自家用ヘリで海上や山などを捜索した、と告げられなぎは開いた口が塞がらなかった。さらには海外の港や空港にも情報網を広げて調べてくれたらしい。あまりにも壮大な話だが、それでも手がかりはなかった。

ツインテイルは、たくとが、個人的にれいとを指導しているので、ふたりで行った場所などを回った。

それだけじゃない。カメラマンの道明寺や、るきの友人の井口など、れいとを知る人物は快く捜索に協力してくれた。

しかし、れいとはどこにもいない。


「ど、どうしたんだろう、、、どうして、、、」

焦る。

れいととの最後の別れを思い出す。

自分が、せつなから明かされた真実を受け止めるのに精一杯で、同じくらいにショックを受けていたであろうれいとを気遣うことができなかった。

なぜ、あの時、れいとを置いて飛び出してしまったのだろう。

「お、俺が、、、もっと、、、」

「なぎ君。なぎ君は悪くありません。それよりも、一旦、別のことを考えなくてはなりません。ライブのことです。明日です。このまま白樺君が見つからなかった場合、、、どう、しますか?」

「えっ、、、」

「なぎ君ひとりでステージに立つが、出演そのものをキャンセルするか、です。」


「、、、」

その選択肢はまるで、せつなに脱退を告げられた時のものと同じような選択肢だった。


ひとりでやるか、やめるか。


「明日のライブまでに決めなくてはなりません。」

「う、、、うん、、、。えと、、、」

れいとの顔を思い出す。

れいとなら、どうするだろう。

「私は、なぎ君ひとりでもステージに立つべきだと思います」

「えっ」

珍しく、熊谷から、なぎへ意見を述べた。熊谷は基本的に受け身で、なぎの意見を肯定する。先に自分の見解を話すのは珍しい。

「白樺君が帰ってくる場所を、守る。それが、なぎ君が今やるべきことだと思うんです」

「、、、!」

年末ライブに合わせて、れいとの作った曲。なぎの作った曲。これが、メリとして最後の曲になるかもしれない。

いや、させない。


「うん、、、!」


まだ、負けていない。

なぎは気持ちを切り替えるようにした。

れいとは心配だが、なぎはライブの演出の責任者だ。

「熊ちゃん、わかった。これから会場に行ける?最終確認をしたい!」

「はい。行きましょう」



ーーーーーーー


会場につく。

もうライブは明日なので、準備は整っていて、何も、することはない。


「あ、ここ、ちゃんと照明の角度直してある!」

なぎととうまが指摘した点などが改善されていた。会場を歩く。

「!」

無人の観客席に、ひとり女性がいた。

「悦子さん」

「お疲れ様さまです」

「お疲れ様、熊谷、凪屋君。」


PPC代表取締役波々伯部悦子。

「さっき、一ノ瀬君にも会いましたよ」

「るき君来てるんですか?」

「ええ。、、、白樺君は、、、」

「えと、まだ、、、」

熊谷が悦子に状況を説明した。当然、ことの次第は悦子にもすべて入っていた。

せつなのことも。


「明日は、メリはどうするつもり?」

「えと、俺一人でも、歌います。、、、最後になるかも、だから」

「そう、、、」

悦子はなぎをよく知っている。悦子自身なぎに恩がある。なぎを見捨てたくはない。そのために猶予を、チャンスを許した。それすら、せつなの計画だった。

「白鳥君のことは、、、何と言ったらいいか。私には理解できない情報量だった、、、。」

「、、、」

悦子が無人のステージを見つめる。

3年前のあの時を、思い出す。悦子がはじめてなぎを認識したあの日。

「けれど、あなたの努力を、私は認めています。白鳥君なんか関係なしに、あなたは素晴らしいアーティストです。」

「悦子さん、、、」

「明日、楽しみしています。、、、そうだ、聞かせてもらえる?今ここで」

「えっ」


悦子が提案する。

今ここで、なぎに、新曲を披露しろ、という話だ。

「えーと、いいけど、あ、れいと君のとこどうしよう、、、」

「そりゃ、俺だろ!」

ステージの前方から手を振る影。

「るき君!」

るきがなぎたちのところへ近寄ってくる。

「よ、大丈夫か?」

「う、うん、、、」

「明日までにきっとあいつ見つかるって。」

「うん、、、だと、いいな、、、」

るきは勤めて明るく、なぎを励ました。

「あなた、メリの新曲を歌えるの?」

「皆知ってますよ。皆で添削したんで。覚えました」

悦子の問いにるきが答える。

「なぎ君、歌えば、少し気分も、晴れるかもしれません。一ノ瀬君と、歌ってみては?」

「そっか、、、そうだよね、じゃあ、、、」

なぎとるきが、メリの新曲を披露することになった。悦子と熊谷が見守る。なぎたちがステージへ向かう。

「なんか新鮮」

「そうだね。ファーレンハイトのライブの時は、3人だったもんね。、、、俺、れいと君とるき君のデュオ聞きたい」

「じゃあ、来年だな。」

ギターを少し調整して、るきとなぎが並ぶ。

るきも楽器がかなり上達した。ファーレンハイトでは、楽器の担当はないが、今後はわからない。るきも、日々努力を重ねていた。

自分がリーダーに、、、などという大口は、今だって嘘ではない。


なぎのギターがイントロのメロディを紡ぐ。最初はなぎが歌う部分だ。

しかし。


「?なぎ、、、?」

なぎが歌わない。歌い始めない。るきが不思議そうになぎを見た。

観客席にいる悦子と熊谷も、何かがあったと悟る。

「なぎ、おい、どうした?」

なぎはぱくぱくと口を動かしている。

なぎ自身も何が起きているのかわからない、そんな状況のようだ。のどを抑える。


「なぎ、、、なぎ!」

るきの声に悦子と熊谷が急いでステージへ向かう。

なぎは、るきの手をとって、その手のひらに、ふるえる指で文字を書いた。





こえが、でない。






ーーーーーーー






「どうでした?」



病院。

熊谷と悦子と、それからるき。なぎを病院に連れてきた。熊谷が、医師から診断を聞いた。診察室から出てきたふたりに、悦子とるきが近寄る。


「精神的な理由、、、だそうです。」

「病気とか怪我とかじゃないってこと?」

るきが問う。

「はい、、、なので、、、いつ回復するかも不明、だそうです。」

「、、、!」


ライブは明日だ。

れいとの失踪。今度はなぎが、精神的な理由で声が出なくなった。

「なぎ、、、」

るきがなぎを見つめる。

なぎは顔面蒼白で、虚無を見つめていた。

「お家まで送って、ご両親に説明をしましょう。」

「わかりました。なぎ君、一ノ瀬君はどうしますか?」

「、、、」

悦子と熊谷、ふたりがいればなぎは大丈夫だ。

なぎは、どうして声が出なくなったのだろう。

れいとが、あいつがいれば。


「俺も、、、ついてきます。なぎの家まで」

4人で、なぎの家へ向かうことになった。


車の中は静寂だった。悦子が2回ほど、短い電話をかけたが、熊谷も、当然なぎも無言だ。

熊谷が運転して、悦子は助手席だ。

後部座席になぎとるき。

るきがなぎを見る。

何を考えているか、わからない。

普段明るく能天気ななぎがこの様子なのは、心配になった。

るきは考えた。れいとのことを。

なぎが回復するきっかけがあるとしたらそれはれいとの帰還以外に他ならない。

れいとを、探さないといけない。


車が進む。代表自ら、なぎの両親に話をするという。

代表は、メリに、いや、なぎに優しいというか、どうにも甘い、るきはそう感じていた。

それで、ファーレンハイトの、顔あわせの時を思い出した。ひゅうがが、るきに言ったこと。他にも、るきが入る前のファーレンハイトは全員がなぎに恩がある、と。

ずっと疑問だったことを、聞こうと思った。


「代表」

「なんですか?」

「ずっと気になってたんスけど、、、3年前、ファーレンハイトはなぎに助けられたって、何のことですか?」

「、、、」

「凪屋君このことは、、、」

悦子が鏡越しになぎを見る。

「なぎ君、話しても良いことですか?」

熊谷も確認する。すると、なぎは、こくりとうなづいた。

「、、、では私から話します。」

悦子か少し、換気のために窓を開けた。冷たい風が車内に吹き込む。


「クリエイティブイベント、それから年末ライブ。この2点は私が考えたことで、5年の歴史があります。3年前のクリエイティブイベントで、はじめてファーレンハイトは年末ライブに出場が決まったの。」

5年前。るきは少し、ひっかかった。聞いたことがある。確か、れいとの本当の父親の櫻井とかいうやつが、5年前にも何らかの計略で、PPCを潰そうとした、、、と。

「5年前、、、他社に大量にアーティストが流出する事件があり、、、PPCは大きく傾いたの。それを打開するために考えたのが、クリエイティブイベントと年末ライブなの。そして私が最も力をいれて育てたユニット、ファーレンハイト。この3つをPPC再建の柱に、私は社運を賭けて打って出たのよ」

「、、、」

るきがファーレンハイトに入る前の話だ。そして、誰も、教えてくれなかったことだ。

「ファーレンハイトは大いに成功しました。そして年末ライブ、、、これへの出演、ライブが成功すれば、PPC、Pレーベルの評価は一気に上がる。PPC再建の重要な足掛かり。絶対に失敗できないステージだったの」

だった。つまり、何かがあった。

「ファーレンハイト全員がライブ会場へ向かう途中、高速道路で事故があって、会場への到着が大幅に遅れることになったの」

「!」

そんなに都合よく、事故が起きるだろうか。るきは真っ先に、櫻井を疑った。妨害だ。あの男ならやりかねない。

「ライブに出演する他のユニットに、ファーレンハイトが到着するまでの前座を頼めないか打診したのだけれど、どのユニットも及び腰だった。」

それも、もしかしたら櫻井が手を回していたのかもしれない。何もかもが疑心暗鬼だ。

「誰でもいい。近くにいるアーティストに片っ端から連絡をしたの。唯一、前座をしてもいいと言ってくれたのが、、、」

「せつなだったんです」

熊谷が話に入る。

「その時せつな、なぎ君、私の3人はライブの観客として関係者席にいたんです。せつなに確認をしました。私はてっきりせつながステージに立って、ファーレンハイトが来るまでの前座をするのかと思ったんです。」

「思ったんです、って、、、まさか、、、」

るきは、驚いてなぎを見た。まさか。

「そう。白鳥君は、なぎをひとりで、ステージに送り出したんです。まだデビュー前の、まったくの素人のなぎを、、、」

「、、、!」

あまりの話に、るきはくらりとめまいすらした。

そんなことがあり得るのか。

「観客には、事故でファーレンハイトが遅れるので、訓練生が前座を務めるとその場でアナウンスし、凪屋君は一曲を歌い切りました。ひとりで。」

「、、、あんたはそれを承知したのかよ」

るきがミラー越しに熊谷を見た。

「ええ。せつなに、、、従いました。今なら、止めるでしょう。、、、ですがその時の光景は、、、私の人生で、、、最も色鮮やかな瞬間のひとつでした、、、」

「ただ、一曲では当然、間が持たなくて、2曲目も、ということになりました。その時に、凪屋君に協力したのが、ツインテイルの音村君と、ミーハニアの水島君なの」

「!」

「この日ふたりも観客としてきていたの。ふたりはこの頃は顔見知り程度だったそうよ。それでも、ひとりでステージに立つ凪屋君をみて、いてもたってもいられなくなったそうなの。ステージに乱入したと言ってもいいわね。ふたりは凪屋君の隣にきて、いっしょに歌ってくれたの。その後に、なんとか、ファーレンハイトが会場についたのよ」

ツインテイルのななみ、それからミーハニアのぎんたはなぎの親友だ。このことがきっかけだったのか。

「ステージから戻ってきた凪屋君の顔を今でも覚えています。、、、緊張や不安や、やりきったという高揚感や、様々な、、、複雑な機微をもった表情でした。せつなも凪屋君を褒めていました。きっとこの時にも、せつなは凪屋君が人を惹きつける才能があると感じたことでしょう。彼の実験のひとつだったんでしょうね」

「、、、」


るきは、なぎを見た。

なぎは俯いている。

ずっと疑問だったことが、ようやく明かされた。ひゅうががなぎに尽くす理由。

「これが、ファーレンハイトが、凪屋君に助けられたという事実の真相です。凪屋君のおかげで、ライブは成功したと言っても良いでしょう。そしてPレーベルは勢いを増して、PPCそのものの再興の礎ができた日でもあります。凪屋君には私個人からも、会社も、恩があるのよ。」

「、、、そのなぎのいるメリを解散させるってのは意味わかんねーけどな」

るきが悪態をつく。

素人が何万人もの観客の前でいきなり歌えるような偉業。それができるような精神の持ち主のなぎが、ストレスで声が出せなくなった。そもそもの原意は白鳥せつなで、メリの解散だ。

「ええ。私も抵抗したわ。けれど役員や株主は私のあやつり人形じゃない。ファーレンハイトだっていつメリと同じになってもおかしくないわ。ウチは実力主義。社内評価を覆すには、メリの実力を見せてもらうしかない、、、」

車がなぎの家へ近づく。駐車場を見ると、両親が揃っているのがわかった。

「なぎ君、大丈夫ですか。つきましたよ」

なぎは無言で頷いた。とにかく、家で休んだ方がいい。

「熊谷。行きましょう。一ノ瀬君はどうしますか?」

「、、、俺、も降ります。なぎの両親見たいし」

車が停車して、それから、るきがなぎを支えた。別にその必要なないのだが、なんだかそうしなければいけないような気がした。

当然、大所帯で押し寄せたので、なぎの両親は面食らっていたが、悦子にも会ったことがあるし、熊谷は言わずもがな。全員が、リビングに通された。妹たちが、なぎを心配して、なぎの側にきた。


「おにいちゃん?」

「おにいちゃん、おかえり言わないと!お兄ちゃん?」

なぎは心配をかけさせまいと、ぎこちなく微笑む。両親と、悦子、熊谷が話す間、なぎは妹たちが邪魔にならないように、リビングから続く和室へふたりを誘導した。なので、るきもそちらへついていく。

「あ、あの、、、もしかして、、、」

すると、みあが、るきを見て話しかけてきた。

「よう、俺は一ノ瀬るき。知ってるか?」

るきは妹ふたりに声をかけた。子供は好きじゃない。けれど、なぎの妹だ。

「は、はい!ひゅうが様の、、、あっ、ファーレンハイトの新メンバーの!」

どうやらみあはファーレンハイトのファンらしい。さらにかれんもはしゃぐ。こんな形でも、兄の友人の訪問は一大イベントだ。

「えー!かっこいい!れいと君と同じくらいだ!」

「こ、こら、かれん、、、」

「れいと君知ってる?かっこいいんだよ」

「あー、知ってる知ってる。けど、俺の方がかっこいいだろ?」

るきがからかう。するとかれんがわざときょとん、としたので、るきはかれんを追いかけるようなそぶりをした。するとかれんは喜んでその辺りを走る。

その様子を見て、なぎは少し、気持ちが落ち着いたようで、表情が柔らかくなった。

かれんがるきの背中によじのぼってきた。随分と人懐こくて遠慮のない子供だと思ったが、肩車することにした。


「なぎ」

るきがなぎに声をかける。

「さっきのあんたの話すげー驚いたよ」

「、、、」

なぎは喋れないので、無言でるきを見上げた。

「あんた、すごいやつだったんだなー」

そう言いながらるきはかれんをあやす。

みあがかれんを注意する。凪屋家のいつもの光景。珍しく、るきが素で笑っているような気がした。

るきの家とは真逆の凪屋家が、新鮮なのかもしれない。適度な汚れ、生活感。子供のいる家庭のにおい。

「いやマジで、最初会ったとき、なんだこのちんちくりんって思ってさ、なんか邪魔してくるし、なんだこいって、、、」

るきとの出会いも、れいととの出会いと同じ日だ。

「あれから、いろいろ、あったよな」

「、、、」

「な、明日、ライブ来るよな」

「!」

歌えない。声が出ない。れいともいない。行っても、何もできることはない。

「れいとのこと、待とうぜ。ステージで。歌えなくたっていい。俺が隣に立ってやるよ」

「、、、」

「だから、来いよ。簡単だろ。あんたならさ。信じてるよ。できるって。」

少し前に、るきが言ったことを、なぎは思い出した。


おまえの、ふたりの、味方でいる。何があっても。だから、、、


ファーレンハイトとのコラボで、れいとが攫われる前の、夜の河川敷。るきの、弱々しい声だが、はっきりと聞こえた、本懐。


「、、、」

「泣くなよ、、、」

気がつくと、涙が出ていた。

「おにいちゃん?」

「おにいちゃん!」

妹たちが心配そうにしている。

るきはかれんを下ろして、それから妹たちがティッシュを持ってきたので、それをなぎに渡した。

「明日な」

なぎが頷く。

何度も頷く。

あの日、あの夜の、河川敷で、るきが決めた、覚悟。ふたりの味方でいる。最後まで。

るきは妹ふたりにそれぞれ、手を振って、それから悦子と熊谷のもとへ行った。

ふたりともちょうど話を終えたようだった。

るきも頭を下げた。

「おじゃましました」

「あ、いいえ。なぎのために、わざわざ来てくれてありがとう」

なぎの母親。なぎに似ていると思った。

「るき君、よね?れいと君と、るき君っていう、すごく仲の良いお友達がいるって、なぎがよく言っているから、、、今度、ぜひ遊びにきてね」

「え、、、あ、っす、、、はい、、、」

友達。なぎは普段、どんな話を親とするのか。親との交流のほぼないるきには想像もつかない世界だった。

「あの、俺も、、、」

何を言えばいいのか。見舞いの言葉か。きっと悦子と熊谷から散々聞いた。

「なぎ、君、のこと、なんでも、力になります。えーと、おだいじに、、、」

熊谷がくすりと笑った気がした。るきの年相応な面がおかしいのだろう。

また悦子が、丁寧に挨拶をして、三人でなぎの家を後にした。


「なぎ君、何か言ってましたか」

「あー、、、明日、送迎。なぎを会場まで連れてきて」

「!」

熊谷の問いに、るきが答える。

「あいつは、、、立ち直る。大丈夫。強いやつだから。けど、状況が改善しないといけない。」

「、、、白樺君ね」

白樺れいと。彼の存在がキーだ。

「けど、れいとも、、、強いやつだ。だから、、、、俺は、、、なぎと、ステージで待つ。れいとは、絶対に来る。メリはライブをする。人気投票で、3位以内に入る。必ず、来年もメリとして、あいつらふたりで歌う」

熊谷はあまり、るきを意識したことがなかった。生意気なルーキー。しかし、どうだろう。強い眼差し。たしかに、50000人の頂点に立つだけのものを持つ。ファーレンハイトの一員だけはある。彼もまた、特別な人間なのだ。


れいとはせつなに会ったのか。

ふたりはどこへ消えたのか。

ライブへ間に合うのか。

なぎは声を取り戻すことができるのか。

メリは解散を免れることができるのか。


嫌でもすべてが、明日、決まる。





ーーーーーーー


ライブ当日。

朝からSNSやニュース番組の芸能欄はライブのことで持ちきりだ。PPCのPレーベル中でも生え抜きが集う年末ライブ。さらに今年は注目度の高いユニットが揃った。このライブの成功はPPCのさらなる飛躍に繋がる。


なぎが自宅を出る。熊谷が待っていた。

もちろん、れいとはまだ見つかっていない。

なぎの声も出ない。


「それじゃあなぎ、後でね」

今日は、なぎの家族も、関係者席に来る。全員だ。なぎはにこりとした。家族に手を振って玄関を出る。

「なぎ」

なぎが車に向かうと、母親が追ってきた。

「なぎ、、、よく、かんばったね。」

「、、、!」

「いつでもなぎを応援してるよ。これからも。」

「、、、」


なぎはにこりと笑って、それから車に乗り込んだ。

「なぎ君、体調は?」

なぎは珍しく、助手席に乗った。

熊谷に、スケッチブックを見せる。そこに、大丈夫と書いてあった。れいと君は?とも。

「、、、白樺君はまだ見つかっていません、、、」

熊谷の声も心なしか暗い。

当然、なぎも、れいとへの心配や、メリや自身の今後を考えると、能天気にしてはいられなかった。


話せなくなってから、なぎは、考えた。

最初は、病院では、どうしたらいいか戸惑うばかりで、とにかく頭の中がパニックだった。しかし、家について、普段と変わらない様子でなぎを気遣ってくれる家族と接して、ようやく心が落ち着いてきたのだ。


何も、変わらない。


メリが解散したとしても。

家族はそばにいてくれる。

仲間や、友人もきっと。

年末ライブに出るとのことで、普段交流のあまりない級友が応援してくれたり、もちろんからんところんもなぎをねぎらいに来た。


何も、変わらない。


熊谷が悦子は自分を過大評価していると思う。自分はそんな大それた人間じゃない。

メリが無くなれば、ただの平凡な普通の男子高校生だ。それでもいい。

ただ、最後まで諦めない。

応援してくれる家族や、仲間や友人に、恥ずかしいような真似はしない。

何より、やるべきことがある。


れいとだ。

れいとを、待つ。


彼は来る。

ふたりで最後まで、メリとして歌う。

そう、誓った。

彼は約束を破らない。

必ず、来る。


車は、ライブ会場へ近づいていった




ーーーーーーー



一方、れいと。

彼は無事だった。



2日間。


れいとはせつなの手配で、これまでにせつながなぎとライブをしたという会場を見て回るという旅を続けた。

飛行機まで使った。

せつなの目的はわからない。

それでも、従った。

せつなから今は敵意も感じない。


「ここはね、なぎと僕が最後にライブをした場所、、、」


小さめのビルのホール。

せつなの靴がこつこつと鳴る。

「、、、」


これまでの流れも同じだった。

せつなに言われるがまなに、ホールやライブ会場を回った。

せつながなぎとの思い出を懐古する。それだけだ。

時計がない。スマホもない。なので、今日が年末ライブの日だというのはわかるが、

時間がわからない。


「それで?」

せつなが最後、と言ったのでここが旅の終点のはずだ。

れいとはずっと、考えていた。

旅の目的を。せつなの目的を。

「、、、なぎといるの、辛くはないかい」

「は、、、?」


ぽつりとせつながつぶやく。

「何、、、を。どういう意味だ」

「君は何のために作曲をするの?」

せつなはその窓際に腰掛けた。窓は防音素材の、分厚いアクリルだ。

太陽の入射角度かられいとはだいたいの時間を想定した。

おそらく、昼すぎごろだ。

まだライブに間に合う。

「何のために創作するの?」

「、、、」

れいとはこれには答えられない。

いや、答えがまだない。

作詞や作曲とは無縁の人生だったし、本来はファーレンハイトに入るつもりだった。

「あんたは?」

「そういうあんたは何で、歌を作る」

「、、、」


せつなのことは表面的にしか知り得ない。

天才音楽家。

「僕か、、、」

せつなが遠くを見る。

「君だって、水の中じゃ生きられないよね。呼吸しないと、もう生きていけない」

「、、、?」

「そういうことだよ。溺れるのは怖いよね。、、、海は嫌いだ」

「は、、、?」

れいとは考えた。何を言っているのだろうか。

「つまり創作は、僕にとってはライフワークなんだ。呼吸や睡眠と同じ。義務であり、惰性。精神の昇華のサイクルであり、ルーティン。、、、そこに感情はない。いや、、、無かった、、、かな、、、」

無かった。それは、つまり。


「離れてわかることがあったんだ」


この2日間、れいとは考えていた。

白鳥せつなは敵か、どうか。

どうしたらいいのか。

今はっきりと、敵だ、と感じていた。


「僕がこっちで個人事務所を立ち上げる、、、か。この噂、信じた?、、、間違ってるよ。」

しかし、実際せつなは、れいとたちを勧誘した。僕の事務所、とはっきり言った。

「僕の事務所はね、櫻井が出資してる。櫻井にくれてやるものを揃えただけだよ。まぁ、全員に反対されたけど、これは想定内。計画は年単位で考えているし。僕も気が変わってさ。今の、

僕の計画はね、、、」


れいとは、問題を解決しなくては、ライブに行けない、とはっきりと理解した。

それは時間だとか距離だとか目的だとか、そういう物理的な話ではない。

この問題を放置したままライブに行っても、何も解決しない。

たとえメリの存続が決まっても、

今ここで、この、敵と、

白鳥せつなと、決着をつけなくてはならない。

そうしなくては、なぎとの、メリの、未来が、ない。


「なぎを連れてアメリカに行きたいんだ。」


白鳥せつなはすべての真相を語り始めた。





ーーーーーーー





これは、白鳥せつなの回想である。

なぎと出会う前。いや、白鳥せつながこの世に生を受けてからの挿話である。


白鳥せつなは、世界を飛び回る音楽家の両親のもとに生まれた。自身も幼少期から両親と世界を飛び回ることになった。

当然のように楽器と、楽器を手足のように扱う大人たちに囲まれて育まれたのは、音楽の才能、センスであり、それは生涯の高下駄であり、同時に足枷のように重い鉄の下駄であった。


物心ついたころには「創る」ことが、当たり前に存在していて、それは呼吸ほどの距離で、法律のような義務で、生活の中心だった。


一日に何時間もピアノや、バイオリンと過ごした。

勉強もした。スポーツもした。自発的にできたことだった。素地があった。両親の期待に応えるだけの。



やる。


やるしかない。


他の選択肢は、なかった。


ーーーーーーー


「日本へ行く?」

「はい、お母さん。日本で、芸能界で活動をしたいんです」


年齢でいえば高校に入る頃だったが、飛び級で海外の高校を卒業していたため、大学に行くとしても余暇ができた。時限つきで、旅をしたいと決めた。


「失礼ですが、せつなさん。日本の音楽業界は低俗でレベルも低い。あなたの将来に必要な道程でしょうか?」

せつなの母親の問いは、最もだった。

「低い、とは?」

「サブカルチャー依存の拝金主義、流行を無理やり作り出して消費する資本主義の澱のような点です」

せつなの家は、カリフォルニアの10億円ほどの邸宅だった。広く、無機質で、母親の声が遠い。

「それでは、クラシックやオペラの世界は、そうではないと?」

「少なくとも」

「まぁ、否定はしませんけれど、、、旅なのですから、苦労も一興だと思いませんか?時間を下さい。3年、、、そのくらいで、構いません。20歳には戻ります。大学へ行きます。あなたたちの後を継ぎます。」

「、、、約束ですよ」


時限つき。

せつなの旅は、思いつきだった。海外が拠点とはいえ両親は日本国籍だ。自分のルーツを見てみたかった。

せつなは帰国した。初めての日本だった。


空港では、マスコミがせつなを待ち構えていた。せつなは既に有名な作曲家で、たとえばプロのスケーターにオリジナル曲を提供したり、ハリウッド映画の主題歌を作ったりしていた。それが既に日本でも有名だった。

そのせつなの来日はしっかりとニュースになっていた。


「白鳥さん、今回の来日のご予定は?」

「白鳥さん、ご両親は?」

「白鳥さん、日本のファンへひとこと」


マスコミの喧騒に笑顔を向けて、せつなは考えた。何をしようか。

どうせなら、面白いことがしたかった。

では、面白いこととは?自分が面白いと感じることは?


「白鳥さん、音楽のどのような点が好きですか?」


ひとり、若い記者が、スーツケースを片手に進むせつなに話しかける。

せかせかとした様子に、おろしたてのようなスーツはまるで新品だ。


好き?


音楽が好き?


選択肢がなかった。

音楽の道に進む意外の道がない僕に、どこを好きかと問うというのか。


「、、、今度答えるよ。君、名前は?」


記者の所属する会社と名前を覚えた。どうせ忘れる。せつなは空港を後にした。

ホテルでpcをチェックすると、仕事の案件がいくつもきていた。楽曲制作依頼や、芸能事務所に所属しないか、というものがあった。


これは逃避行だった。

生まれた頃から、上質、価値が高い、ハイコンテクトで、階級主義的で、階層化した思想に傾倒した両親といた。

ありがたいことはネットの発達した時代だったことだ。

くだらない、下世話でポップなサブカルチャーに、興味を持ったのは、両親へのアンチテーゼだった。

もし、自分が、音楽を捨てて、両親が嫌うような低俗な世界に身をやつしたらどうなるだろうと夢想する。

しかしきっと、どうにもならない。

両親はせつなを見捨てる。それだけだ。想像に難くない。


空港であった記者の質問が脳内でこだました。

ベッドに仰向けになる。

どうしたら。

これから、輝かしい未来が待つはずの身は、たまらない閉塞感と気だるいモラトリアムに潰されそうだった。


音楽なんて、たぶん好きじゃない。

自分が好きなものなんて、わからない。

呼吸ができなければ死ぬから、ひとは無意識に呼吸をしている。


ただできるだけだった。ひとよりも。

生まれつき容姿の良い人間を褒めることと同じだ。

両親に恵まれただけだ。

そこにアイデンティティはなかった。

ないものねだりでそれを追い求める人間の方が、誠実で、美しいと思った。

できれば、叶うのならば、一度、泥にまみれてみたかった。

地を這い、汚泥に濡れ、何度も傷ついて、それでも立ち上がる、そんな人間になりたかった。

自分にはそんな壁は訪うことはなかった。這い上がるような人生ではなかった。もともと上にいた。つまり、地の利があった。人生そのものに。


純粋なものを、見たかった。

見つけたかった。

人生で、両親の影響なく、これだけは、自分が自分の力のみで手にしたものだという、何かを、作り上げたい。


そのための旅だ。


3年。

作ったものをどうするかなんて、考えていなかった。

どうでもよかった。


ひとりになると哲学に夢中になれる。

悩むのは嫌いではない。


日本で、話題のアーティストを幾人か調べた。せつなのお眼鏡にかなったのは、わずかだった。

熊谷のあ。音楽性に共感した。聡くて、やや繊細なことがうかがえた。精神の昇華。彼の音楽は儀式だった。憐憫と、泥。美しくて、美しくない所が好きになった。しかし、しばらく新曲がない。


七星ひゅうが。歌が抜群に上手い。才能だ。しかし、自分と真逆の人間性に嫌悪感があった。光の存在だった。愛され、真っ当に育まれた人間にしかないそれを感じた。美しいだけのものを見ると、なぜか自分が責められているよな気分になって、鬱屈とした気持ちを持った。


そのあたりにちょっかいを出してみるか、と考えた。

旅の終わりには両親は結果を求めてくる。わかりやすいものさしは、金だった。

ビジネスホテルの安っぽいシーツの布擦れの音が不快だが、スマホを見る。動画サイトを適当に開いて時間を無駄にしていると、新着動画が目に入った。


「、、、」

子供がいたずらで投稿した、ホームビデオだ。

お兄ちゃん、と呼ばれる少年が歌う。カメラはぶれていて、音質も悪い。


笑える話だ。

自分とは隔絶した世界の別の生き物。

歌っているのはさきほどの七星ひゅうがのソロだ。

きっと何も考えていない。

こういう奴らには、僕の音楽なんて、理解できない。

創作とは、魂の問題だ。

商業主義に左右されなくては作品を作れないなんて愚の骨頂だ。

資本主義が、自由主義が、芸術の意義を殺す。

大切なことは、こんなことじゃない。

スマホを放り投げて、シャワーを浴びて、考えることにした。

しかし。




先ほどの動画が頭から離れない。



「、、、」


何が魅力的なのだろう。

言語化できなくては意味がない。

考える。

自分と違う所かもしれない。

何が、、、。



「、、、」


早々にシャワーを終える。

何もかもが不愉快だった。

外を見る。狭い空は暗くなっていて、地獄の入り口のような色の夕焼けに街が焼かれているように見える。

ひとつひとつの、マンションや民家から漏れるあたたかい光の中に、ひとつひとつ、家庭という機能が存在していて、その中で人々はあたたかい食事を囲んで団欒という人生で最も尊ぶべき時を過ごしている。自覚もなしに。


この時間帯は苦手だった。

悲しい気持ちになる。


ベッドの上でしん、としているスマホを見る。

あの動画のどこに、そんな魅力を感じた?


それこそ、理由はないのかもしれない。

良い所、なんて明確にわからない、それでも好きだと言えるものが、この世にはある。

それこそが、真に、魂の呼ぶ声なのかもしれない。

他者にはわからない、滑稽でおろかな選択肢かもしれない。


もし、そんなものが、自分にもあるとして。


いや、わからない。

こんなことは初めてだった。初めて自分への信頼が揺らいだ。


試すしかない。


この子供は生贄だ。

僕に、僕に、、、僕のために犠牲になってもらうしかない。


それに理由を見つけなくては。

自分が凡人と同じなのか、確かめる必要がある。

創作とは何か。

なぜ、作るのか。今、音楽を作る理由をこれからも貫けるのか。


なぜ、この動画が頭から離れないのか。


スマホを手に取る。

もう一度、動画を見ようとしたら、削除されていた。やはり、子供がおふざけで投稿したのだろう。再生回数、1。画面には、この動画は削除されました、と表示される。


せつなはpcを立ち上げた。

旅の始まりだった。

まずは、熊谷を使おうと思った。それから、熊谷がPPCという事務所に所属しているとわかった。ひゅうがもだ。代表は意外にもまだ若い女で驚いた。、、、面白くなる、と思った。




ーーーーーーー




熊谷のあは、実に「惜しい」男だった。

だが鏡を見ているようで哀れだったので、救ってやろうと思った。もし並行世界なんてものがあって、創作に潰された自分がいるとした、こんな感じだろうな、と思った。


PPCの代表に、事務所に所属したいと願い出た。当然、二つ返事で話が進んだが、代表としか話さないことと、熊谷のあに会いたいとも申し出た。せつなほどの大物であれば、許される程度のわがままだった。

代表、波々伯部悦子が、熊谷を連れてきた。

PPCの一番良い会議室があてがわれた。


「はじめまして、白鳥です」

「はじめまして。私は波々伯部悦子。」

熊谷は悦子の横でこちらを睨んでいた。タッパがあるので迫力がある。悦子が熊谷を小突いた。


「ごめんなさい。熊谷をご指名のようだけれど、彼は、、、最近体調が良くないの。ちゃんと話し合いができるかどうか、、、」

「、、、熊谷です。はじめまして」

ようやく熊谷が口を開く。にこり、完璧に胡散臭い笑顔だ。

せつなはこのふたりが、そういう関係なのかとも考えたが、悦子は隙のあるタイプに見えなかった。体調、とはメンタルの方だというのは、せつなは察していた。なので、少なくとも本当に熊谷が不調なのだと信じたのだ。ほくそ笑む。使える。人生はチャンスの連続だ。


「かまいませんよ。日本で活動するにあたり、、、僕のスタイルは知っていますよね?クラシックだとか、大衆受けしないジャンルばかりなので、ポップやロックを勉強したいんです。日本のアーティストを何人か調べて、、、熊谷さんは、いいな、と思ったんです」

「日本で活動、、、ですか。それで、PPCに所属したいと?」

「はい」


会議は、顔合わせのようなものだ。

せつなは窓際に移動して空を眺めた。

「もちろん、独断で決めるわけにはいかないかと思いますが、力添えいただけますか?」

「、、、PPCの現状をご存知で?」

悦子は聡く、賢いと、せつなは思った。リスクヘッジのとれるタイプだ。

PPCの現状。そう、この頃のPPCは決して、飛ぶ鳥落とす勢いの会社ではななかった。と、いうのも、2年前、GGI、つまり櫻井の会社のひとつのグランレーベルへ、アーティストの大量の引き抜きがあった。

PPCの経営は傾き、役員は責任を取って辞任。たいした経歴もない悦子は、いやいや出世した。人身御供。よくやっている方だ。

残ったアーティストの筆頭の熊谷を切らずに面倒を見ているのは、彼にかけているからだろう、と考えた。それとも、個人的な感情か。

つまりせつながPPCに入ることは大きな意味があるし、悦子が疑うのも無理はない。GGIの方が良い。


「帰国してすぐにGGIからも打診があって、好きにさせるから、グランレーベルに所属しろって言われましたよ」

「そうなの。」

「海外展開を中心にした新しい企画を僕に任せたいって。まぁ、でも、やめました。使えそうな人間がいなくて、、、」

「使えそう、とは?」

「熊谷さんとふたりで話がしたいんですけど」

「!」


悦子が身構える。熊谷は悦子の後ろから、せつなを見た。無表情だ。

「白鳥さん、熊谷は、、、」

「いいですよ」

「熊谷!」

「時間をもらえますか」


悦子は黙って退出した。せつなと熊谷のふたりになる。

熊谷はゆっくりと、適当な椅子に腰掛ける。


「それで?」

不遜な態度。

「、、、熊谷のあ。君には僕の手足になってもらいたい。僕がいなくなった後の保険でもある。具体的にはアーティストは引退だ。マネージャーに転向するように」

「できるとでも?」

それは、いろいろな状況を鑑みて、だった。ひゅうがではなく熊谷を選んだ理由は単純に学歴でもあった。それから、近しい肉親がいなかったこと。

が、当然、熊谷を動かすにはそれなりの理由かいる。悦子が熊谷を繋ぎ止めているのは、PPCのためだろう。七星ひゅうが率いるファーレンハイトは駆け出しで、今年が勝負だろう。

「君次第だ。君も、、、僕は知っているだろう?」

「昨日連絡を受けた時点で調べました。それだけです」

熊谷からは、せつなはどう映ったのだろうか。きっと鏡のようだとは思っていない。むしろ、同族嫌悪めいた感情だった。信用ならない男。他人を支配して、傷つけることを難なく、むしろ楽しんでできる、そういう、生来のもの。

「手足だなんて、良く言いすぎたね。奴隷が欲しいんだ。馬車馬のように働く、ね。」

「それほどの対価が出せますか」

「君に、後生、人生の光になるようなものをプレゼントするよ」


しん、と室内が静まり返ったような気がした。



「光?」

「そう、光」

光、とは。熊谷は、わけがわからなかった。

「自分が嫌いだろ。汚くて、価値が低いと思ってるだろ。自分自身と、アーティストの自分が乖離してるだろ。寄ってくる連中が見てるのは本当のお前じゃなくて、ミュージシャンの熊谷のあだよ」

「やめろ、、、」

せつなが熊谷に近寄る。逆光で、表情はまるで見えない。薄明光線が差し込む空を背負うせつなはまるで、運命の使徒のように見えた。後光が訪う。死か生か。返答に、人生がかかっていると熊谷は気づいた。気づいたが、遅かった。逃げるという選択肢はもぎ取られていた。

「代表取締役は、仲がいいのかな?君に入れ込んでいるね。まぁ、PPCを立て直すのにお前が必要なんだと思うよ」

「、、、違う、彼女は、、、」

「へぇ、そう。そうだといいね。実現しよう。欲しいものは全て手に入れる。そうだろ?お前に僕は欲しいものをプレゼントする。だから、お前は僕のために働くんだ。」

「、、、」

「光を見せてやるよ。お前は後生、その光を頼りに、どんな暗い森も、嵐の海も、もう迷わない。それは、誰もが喉から手が出るほど欲しがるけれど、手に入れることのできないまま人生を終える、そんな宝物だ。それから、代表取締役も、お前を見直すよ。彼女も手に入る。人生のすべてが良くなる。」

「、、、」

「PPCを立て直すきっかけを僕が作るよ。僕が事務所に所属する、、、それだけで十分話題になる。年末ライブだっけ?僕の計算だと、あれがもっと盛り上がるとPPCは一気に回復すると思う。ファーレンハイト、、、七星が使えるよね。」

「それ、は、、、」

せつなには、すべてが見えていた。

熊谷は、どうして、創作が、曲を作れなくなったのか、わからなかった。わからなかったが、対処療法を心得ていた。何もしないことだ。一年、作曲ができなかった。創作を人生の羅針盤にしたことのあるものでないと、わからない。精神を食むものが、急に解決することはない。何年、何十年、廃人かもしれない。悦子の家にやっかいになっていた。ただ寝たり起きたりをしていただけだが、このままでもいいも思っていたし、このままではいけないとも思っていた。

悦子が、昨晩、せつなとの件を熊谷に話した。悦子は、熊谷に無理をしなくていいと言った。せつなに会えば、何らかのきっかけになるかも、とも言った。

それが、熊谷のあ本人のためなのか、アーティストとしての熊谷のためなのか、この時の熊谷には、わからなかった。

目の前は常にぼんやりと薄暗くて、何かの途中だと駆け抜ける雑踏に、つまされる。

自分の現状を分析できる程度には、頭が働いていた。

だから、これがとてつもない暁光だと、理解した。

せつなの提案に乗る意外なかった。


廊下で待っていた悦子に、せつなは声をかけた。交渉が成立した、と言った。

「熊谷、、、?」

何の交渉だと言うのか。会議室の中の空気が、先ほどまでと違うことに、悦子は気づいた。せつなの発言の前に、熊谷を今日ここに連れてくるべきではなかったと、後悔した。

「代表取締役、熊谷と交渉が済みました。彼には引退してもらって、僕のマネージャーになってもらいます。僕はPPCに入社します。PPCを立て直すことに貢献しますよ。まずは年末ライブを成功させましょう」

この件は、悦子の意見は関係なしに、役員会議で即座に決まった。


ーーーーーーー


数週間後、せつなは熊谷とともにとある民家へ向かっていた。



「これを見て。この動画。このコに会いに行くよ」

「、、、」

熊谷は運転しているので、横目でその動画を見た。特段、感想もない。いったい何だと言うのか。

「大丈夫大丈夫。僕のやることは一見目的とは何も関係ないように思えるけれど、いずれわかるよ。君は僕に従う。それだけでいい」

せつなのPPC所属は大いに話題になった。マスコミはその件で持ちきりで、すでにCMのタイアップや、取材の仕事を取り付けた。

熊谷はマネージャー業は当然初めてだが、芸能事務所では元アーティストや元アイドルや元タレントがマネージャーをしていることは珍しくない。熊谷は難なく仕事を進めた。意外にも、こういった仕事が合っているように感じた。

PPCで、せつなに課せられた使命がひとつあった。年末ライブを成功させること、だ。どんな形でもいい。しかしせつなは年末ライブに出る気はないらしい。

連日、せつなはユニットを組むのか、とか、ソロでやっていくのか、とかせつなの今後についての話題でもちきりだ。

いったいどんな手を使うというのか。

「調べるのに苦労したよ。この動画サイト、サーバーが東南アジアでさ。そこから情報もらって突き止めたんだ。凪屋家。」

一軒の、平凡な民家の前で、車を停めた。

家の車があるのと、土曜日なので、在宅の気配だった。リビングの窓の向こうのレースカーテンの奥で、小さい子供が走っているのがうっすらと見える。

「書類は持ってきた?」

「はい、どうぞ。スカウトですか?」

「そう。援護は頼むよ」

ふたりは車から降りて、アポなしで、この日はじめて、凪屋家に足を踏み入れることになった。


ーーーーーーー



「え、、、?」


凪屋家には、母親、長男、長女、次女が在宅していた。

今、本当に心の底から驚いている、という表情で固まっているのが、長男の凪屋なぎ。せつなと熊谷が訪ねた目的の、渦中の人物だ。


「もう一度話すね、凪屋君。僕といっしょにデビューしよう」


熊谷はたいして話を聞かされていなかったので、内心驚いていた。

たったひとつの短い動画で、あの白鳥せつながいっしょにユニットを組む相手を決めて、自ら勧誘しにきた、というのだ。

凪屋家は、本当にごく一般的な、普通の家庭だった。車はありきたりなワンボックスカーで、安っぽいカーポートに、庭は子供用の自転車や、ガーデニング用のプランターなどがあった。決して汚いわけではないが、生活感があった。室内もそうで、使い込まれた靴が端に寄せられていて、ソファにはクレヨンのらくがきを落とした汚れが残っていて、ダイニングは子供のいる家庭のにおいだった。

母親と、なぎ、それから向かい側にせつなと熊谷が対面した。

妹たちはうろうろとしいた。テレビにでているお兄ちゃんだ、と下の妹は言った。

せつなは熊谷とともに、まずアポ無しでの訪問を謝罪した。それから目的を話し、熊谷は横ですでに書類を用意していた。暗に断れない雰囲気を出す。


「動画を見て、一目で君だって思った。どうかな、凪屋くん」

「なぎ、動画って?」

母親はどうやら動画の件を知らないらしい。

「えと、、、」

「ママ怒らない?」

長女の方が話に入ってきた。

あの動画は、子供がふざけて撮ったものを、子供がふざけて投稿した、そういうものに見えた。実際にすぐに動画は削除された。どうやら親には話してもいなかったようだ。

「待って、かれんもみあも悪くないんだ、俺がちゃんと、、、えーと、、、」

なぎは、妹たちをかばった。

せつなは既になぎの性格を見抜いていた。あえて動画の話を出したのだ。

なぎは動画投稿の経緯の説明をした。

「動画、、、すぐ消したのに、見たんですか?」

「うん。見たよ。とても良い動画だった。それで、君に会いたくていろいろ調べたんだよ」

せつなの笑顔はまるで救国の騎士のようだった。完璧な態度。熊谷はスーツだが、せつなは綺麗めの私服だ。威圧感もない。

「あの、、、俺、そんな、プロとかそういう気なくて、、、」

「だろうね。けど、考えて欲しい。凪屋さん、こちらは契約書の雛形です。本契約の場合は別途書類にサインをいただくことになります。」

なぎの母親は書類を受け取るものの、なぎがあまり乗り気ではないのを受けて、困っている様子だった。

「これは私の名刺です。何かあればこちらへ」

「これは僕の個人的な連絡先。」

熊谷はふたりにそれぞれ名刺を。せつなはなぎに、メモを渡した。電話番号だ。

「良い返事を期待してるよ」

ふたりは凪屋家を後にした。


ーーーーーーー


熊谷は、いまいちピンときていなかった。

ただの子供だった。

彼のどこに、せつなは何を感じたというのか。

「熊谷、彼が連絡先してきたらよろしく」

「はい」

「GGIへ送ってくれるかい?櫻井って、、、会長だっけ?話があるって呼び出されたんだ。帰りはいいよ」

「どういうことですか?」

「脅されてる」

「、、、そうですか。」

「冷たいなぁ。他にないの?」

「ありません」


熊谷はせつなにさほど興味が無かった。そう、この時は、なぎにも。ただ淡々と仕事をしていた。

悦子の家を出て、また一人暮らしだ。

身なりも整えた。精神を病んでいた頃より持ち直したはずだが、悦子の反応はあまり良く無かった。

熊谷はせつなに従った。

「ねぇ、そうだ。七星ひゅうがに会ってみたいんだけど。代表の秘蔵っ子。どんな奴?」

「ひゅうがですか。無口で、おとなしい男です。ファーレンハイトのフロントマンの時の彼とは印象がだいぶ違いますよ」

「へぇ、、、」

ファーレンハイト。悦子肝入りのグループだった。リーダーの七星を中心に、どのメンバーもプロフェッショナルだ。一体どうやってあれほどの鬼才を集めたのか。PPCの立て直しの重要な要。


使えるだろうか。


せつなの計画は順調だった。

あとは時間が答えをくれる。


ーーーーーーー





「はじめまして、櫻井さん」

せつなは呼び出された側だが、ひょうひょうとしていた。正直なところ、せつなは怖いものがなかった。全能全知。これは決して、若者の妄想ではなかった。


「はじめまして、白鳥君。」

「えーと、僕に、GGIに移籍しろとのことですが、、、」

「みなまで話さなくても、君ならわかるね。PPCを潰したいんだ」

「ふーん、、、」


2年前にGGIのGレーベルは、PPCのアーティストを秘密裏に大量引き抜きして、大きな話題となった。

「君のために会社を作る。君が代表だ。いくらでも出資する。どんなアーティストが欲しい?用意しよう。」

「うーん、、、」


どんなアーティストが欲しい。

考える。それこそそれは、実力的には、熊谷かひゅうがが頭に浮かんだ。

「PPCを裏切ってそっちにつくようなアーティストはいらないかな」

革張りの高級なソファにだるくもたれかかったまま答えた。櫻井は窓際に立っている。

Gレーベルに移籍したアーティストは売れっ子もいたが、せつなのお眼鏡にかなうものはいなかった。

「ふむ、、、」

「プロデューサー業は楽しそうだから興味があるけれど、、、」

「白鳥君、これは、交渉ではなくて、脅しだとは思わないかな?」

「もちろん。」

櫻井の声は、冷たい。

「あなたのような、、、創らない、側の人間にはわからないかと思いますけど、、、」

せつなは体勢を直した。


「アーティストって、売れているから正義、というわけではないんですよね。売れている、生活できている、なんて、所詮、流行りの稼ぎ方に乗れるかどうかですよ。それよりもっと、アーティストとして大事なことがあって、僕はそこを重視しているので、、、」

「大事なこと?」

「人間性」

「、、、」

せつなはふざけているようで、これは真剣な話だった。

せつなの本心だった。

「知ってる?本当の人間性って、僕やあなたのような者は持ち合わせていないんですよ」

「、、、」

櫻井は微動だにしない。ふたりは互いを探り合っている。空調の音がしずかにこだまする。


「生まれた時から両親や周囲の人間に心から愛されて育てられた者だけが、持ってるんですよ。他人を心から思いやる気持ちや、愛すること。善悪や利益に囚われない無償の、人間性をね。」

せつなも立ち上がる。

「PPCにどんな恨みがあるか知りませんけど、、、潰したいから、協力しろ、ですよね。仕方ないな。あなたみたいな人に恨みを買うと怖いからなぁ。まぁ、あなたが集めたの程度のアーティストじゃPPCを潰せないって自覚あるのはさすがですけど。」

そう、櫻井自身、わかっていた。PPCを裏切り、GGIにきたアーティストたち。今は売れているかもしれない。しかし、先がないように感じた。10年、20年人々の心に残り続ける。そういうアーティストでは、なかった。今、PPCを倒せるかもしれない。しかし、どうだろう。本当に勝ったとは、言えなかった。

「僕が、、、本当のアーティストを集めますよ。後はあなた次第。どうです?ピックアップのお手伝いと、、、そうだな交渉のテーブルにつかせる、そこまでかな。」

「、、、いいだろう」

「僕の働きに、対価は?」

「何か欲しいのかな」


せつなの欲しいもの。

それが、櫻井程度に用意できるものではないことは、せつなはわかっていた。

櫻井を舐めていたのだ。


「自由、かな?」


せつなは驚いた。

「、、、」

櫻井ならやるのだろうと思った。

両親に恨みはなかった。

「できるの?」

「できますよ。白鳥さんは、できないのですね。だから、人間性などと言うのですね」

「、、、そうかもね」

「では、私に見せて下さい。あなたの言う、真のアーティストを。対価はそれからです。それに納得できたら、にしましょう」


この時から、せつなは考えることが増えた。

どうすれば、自分の理想のアーティストをあつめることができるか、である。簡単なことではない。しかし、櫻井の提案は魅力的だった。どんな手法を使えば、それが手に入るのか。


自由。


すると、せつなの携帯が鳴った。

なぎだった。

せつなは櫻井との話を切り上げて、ビルを後にした。電話にでる。



「も、もしもし、、、?」

「やぁ。」

「白鳥さん、、、?」


こんなに早く連絡が来るとは思ってもいなかった。

「今、話せますか?」

「大丈夫だよ」

櫻井のいた時の自分と切り替える。できるだけ、声を優しくした。


「あの、せっかく、家まで来てもらって悪いんですけど、お話を断りたくて、、、」




ーーーーーーー




夜。

といっても、まだ20時くらいだ。せつなはなぎに従って、なぎの自宅の近くの公園へやってきた。誰もいない。目の前のコンビニはちらほらと人の出入りがあった。



「白鳥さん!」

「やぁ」

「すみません、呼び出したりして、、、」

「僕も君とふたりで話したかったから」



せつなは公園の、なんともいえない像の形のオブジェで待っていた。子供の頃、こんなもので遊ぶことはなかった。


「あ、懐かしい、、、。昔よくこれで遊びました」

「昔?今も子供でしょ」

くすり、と笑う。

雑談をするだけの余裕はあるようだ。初対面の時は家族がいたこともあり、気を遣っていたのだろう。屈託のない表情。


「それで、あの、、、」

「歌ってよ。」

「えっ」

「僕の申し出を断るなら、選別に、君の歌が欲しい。」

「えっ、、、」


せつなにとって、なぎひとり操ることなど、容易かった。しかし、それでは意味がない。


「は、恥ずかしいからやだ、、、です。」

「ふふ、そう?」

人並みの反応。からかっているわけではないが、困惑が見えて、安心する。

なぎからは、裏表や、計算や、打算、そういうものを感じない。ただ子供だから、純粋なだけかもしれない。


「歌うことは好き?」

「え、、、ど、どうだろう。ファーレンハイト、、、知ってますか?妹が好きで、、、えと、メインボーカルのひとがかっこいいって。」

「あぁ、、、」

「あの」

「ん?」

「なんで、俺を、、、選んだんですか?俺、何の才能もないんですけど、、、」

「、、、」


才能。

そんなものに、どれほどの価値があると言うのか。結局、人間、わがままだ。欲しいものは無償のものだ。承認、賞賛、愛。

愛される側でありたい。

選ばれる側でありたい。

間抜けな妄想だけは人種を問わない原罪なのだ。


「僕はね、曲を、、、歌を作る側なんだ。」

「あっ、は、はい。調べました。すごいひとだって知らなくて、、、びっくりして、、、」

「だから、どんなひとに歌って欲しいか、の基準で考えて、君を選んだんだよ」

「、、、はぁ」

なぎはまったくピンときていない様子だった。

「熊谷のことも調べた?僕の隣にいたでしょ」

「あっ、はい。有名な人で、、、やめちゃったんですか?マネージャーって、名刺に書いてあったから、、、」

「そう。僕のためにね。話戻すけどさ、君は、もし僕の立場だったとして、どんな人に、自分の作る歌を歌う許可を出す?上手い人?だれでもいい?犯罪者とかでも?」

「え、、、」

創作者は、作品を世に出すだけだ。誰にそれを受け入れてほしいか、そんなことを選ぶおこがましい権利はない。ましてや、受け手の感想がどんなものであろうと、それを制限するなどはありえない。選民意識。許されないことだった。

「どんなひとにも僕の作品を受け入れてもらいたい。だからこそ、歌うひとを選ばないと。誰が歌うかも含めて、作品なんだよ。それで僕はね、小賢しい人間が好きじゃないんだ。できれば、清廉潔白で、嘘をつかなくて、自分に正直で、しっかりと意見をもっている、、、そんな人間がいい。」

「、、、?」

せつなの条件に、なぎは自分はあてはまらないと思った。そんな、大層な人間ではない。

「君は、直接僕に会いに来たよね。えらいね。やっぱり、君と歌いたいな」

「あ、、、でも、俺は、、、」

「そうだ。じゃあ、僕、一曲作ってくるよ。君のために。それを聞いて、それでもっていうのなら、諦める。どう?」

「え!?」


あの白鳥せつなが、自分のために、曲を。

「そうしよう。あー、、、明日も会える?」

「あ、会えます。けど、、、」

「じゃあ、今日と同じ時間ね。よろしく」


気まぐれだった。

なぎと話していると、なんとなく、なぎのための曲が頭に思い浮かんだ。

せつなはホテルに戻って、一晩で曲を仕上げた。


ーーーーーーー


「はぁー、、、」

一方。

なぎは帰宅して、うまく断れなかったことを後悔した。気を持たせてしまったかもしれない。


「お兄ちゃんが芸能人かぁ〜、、、」

なぎの隣で、みあが笑う。しかし、そんなつもりはない。

「断るよ、、、。俺そんな、、、」

「そう言うと思った!」

「あはは、、、」


せつなの話は要領を得ない。

なぜ自分を選んだのか。

自分のどこが良いと思ったのか。

自分とこれから、どんなことをするつもりなのか。

当然、いきなり芸能人にならないかとスカウトされて、おいそれと返事はできない。両親は、なぎの好きにするといい、と言ってくれた。


歌が好きか?

、、、人並みだ。作曲とも無縁だ。学校のリコーダーと鍵盤ハーモニカも、うまくはない。ピアノもできないし、なんなら楽譜もさっぱりなのだ。

「明日、、、会って、断るよ。ごめんね、みあ。楽しみにしてたりした?」

「お兄ちゃん、、、ううん。いいの。お兄ちゃんが選ぶことでしょう?」


「うん、、、」



ーーーーーーー



翌日、同じ時間に公園でせつなを待っていただが、現れたのは熊谷だった。


「乗って下さい」

「え、、、」

社用車。白いバン。あまり親しくない人間についていっていいのか、なぎは迷った。

熊谷を見る。無表情だ。どんな人間なのか、わからない。しかし、せつなにも熊谷にも、誠意を示す必要がある。自分を選んでくれたのに、断るのだから。

なぎは意を決して、車に乗り込んだ。

車内は無言だった。

なぎは熊谷を観察した。

運転はスムーズで、あまりにも静かだ。

「、、、あの」

「はい」

「ぐ、具合わるい、感じですか?こないだもあんまり、顔色良くなさそうだなって、、、」

熊谷は怪訝そうになぎを見た。

するも、なぎは持っていた鞄からペットボトルのお茶と、飴をとりだした。

「どうぞ!」

にこりと、なぎが笑う。

子供と接するのは、久しぶりだったので、熊谷はたいした気遣いもできずに、ただどうも、と答えた。

車が向かった先は、ホテルのプールだった。


「白鳥さん」

「や、なぎ。」

「プール、、、?」

「もうすぐ、プール解禁で、きれいにしたばっかりなんだってさ。」

そこは夏にはナイトプールとして女性に人気になるスポットだった。今はライトアップも無く、ただ水がはってあるだけだ。夜なので、水は暗闇をたたえていた。


「ほんとは海に行きたかったけど」

「海、、、?」

「僕、泳げないんだよ。海が嫌いなんだ。子供の頃に溺れたから。笑えるでしょ?」

「そ、そんなことないです。」

「そう?それでね、僕は君とユニットを組むなら、メリ、っていう名前にしたいんだ。フィンランド語で海って意味だよ」

「、、、?嫌いなものの名前をつけるんですか、、、?」


夜のプールが珍しいらしく、なぎは辺りをうろうろとした。

せつなはギターを準備する。

熊谷はただ立っていた。なぎを帰りに送迎しなくてはならない。

「じゃあ、聞いてもらおうかな。」


せつなが歌う。なぎはせつなの前で、ただ歌を聴いていた。なぎのためのせつなのワンマンライブ。贅沢な時間だった。

水面は静かに揺らめいていた。

なぎはせつなの誘いを断るつもりできた。

しかし、どうだろうか。

せつなの曲を前に、そうもいかなくなった。




、、、自分のために、この曲を?



ギターの調べは魔法のようだった。せつなの声は幻の鳥のさえずりのようだった。

せつなはなぎに、なぎを選んだ明確な理由を伝えなかった。伝える必要がなかったからだ。聞けばわかる。せつなは音楽家なのだ。創作者なのだ。

自分の主張は、作品を通してできる。

雄弁も、準備も、計算もいらない。

せつなの音楽を前に、すべては陳腐な茶番だった。

プールの水面は、キラキラと、強く揺らめく。

なぎの瞳に光が入る。


せつなは、自分を知っていた。

面倒で、やっかいな性格だった。

音楽は自分を表現する術だった。精神の昇華であった。魂の叫びであった。幼い頃からそれが当たり前になってしまったことが幸か不幸かわからない。人間は意見を言ってぶつかりあわなくてはならない。だからせつなは、自分の性格だとかいう理由で意見を言わないような人間を軽蔑していた。人と人の関係の本質は争いと和解の繰り返しでしか見えないのに。

なぎを説得するつもりはなかった。せつなは負けたことがなかった。

最初から、自分そのものをぶつける気でいた。それで、十分だった。わかるはずだ。

音楽が手段になることが、少し悲しい。できれば、この世に、何の杞憂もなく、ただ歌うことそれを楽しむこと、そんな営みが当たり前のように続く幸福を祈る。


「す、、、すごい!すごいです!」

歌が終わる。なぎは拍手喝采を送った。

「ありがとう」

「一晩でこの曲を?すごい、、、!すごい!」

笑顔ははじめて見た。

年相応の、幼い表情。

「話すより、やっぱりこっちだな」

「白鳥さん、、、」

「せつな、でいいよ。だってこれから、僕たちふたりでやっていくんだから」

「えっ」

「君の心は変わった。そうだろう?」


せつなが問う。

いや、もはや、その必要はなかった。

「、、、」

なぎは答えない。

「そうだ。ファーレンハイトだっけ?君の歌ってた曲、練習した。歌ってよ」

「えっ」

「一曲づつ。公平にね」

「えっ、えっ」

「いいんだ。なぎ、楽しんで!」

せつなのギターが鳴り響く。いつのまにか、せつなに合わせて、なぎは歌っていた。

それからまた一曲、もう一曲と続く。

帰る頃には、すっかりなぎは心変わりしていた。



楽しい。


それ以外に理由はなかった。




ーーーーーー




それから本社の方で、なぎの両親を交えて難しい書類のやりとりがあった。ちなみになぎはこの時はじめて割り印を知った。

せつなが仕切っていたので、いろいろと話はスムーズに進んでいった。

せつながなぎのために作ったあの曲が、デビュー曲になった。しばらくは練習生だ。デビューまでは時間がある。せつなはなぎのために、ゆっくりとしたスケジュールを組んだ。


「なんか実感ないなぁ〜」

「楽しくやっていればいいよ。最初のうちは難しい仕事もしないつもりだから」

ふたりでのユニットの名前は、メリ、になった。当然、マネージャーは熊谷だ。せつなはメリとしては、最初のうちは、過度のメディア露出やCMタイアップなどは断るつもりで、ゆっくりと、実直に活動をすることにした。ライブも最初は小規模に。ファンを重視して。せつなの計画どおりだった。なぎが楽しいかどうかを重視した。それでいい。どうせ、時限がある。それまでに、答えが出せればいい。

なぎのその後の人生だとか、そういうものは考える必要はない。

己の今後に、指標として残るものをこの3年で作り上げる。

疑問への答えを探す。

なぜ、なぎの動画が頭から離れなかったのか。



ふたりでスタジオへ向かう。なぎのボイストレーニングだ。プロがいるが、せつなも同行する。送迎の熊谷に、なぎは挨拶をした。ぺこり、と頭を下げる。

「おはようございます」

「はい。おはようございます」

まだ他人行儀のふたりを見て、しょうもない気持ちになった。熊谷が疑っているのはなぎではなく、多分僕だな、と。僕の計画を察知してなんとか自分の心に抗っているのだ。愚かなことだ。

「暑いね」

「ええ、そうですね」

まだ真夏ではないが、確実にじりじりと肌を焼く季節だ。

「妹がね、夏風邪ひいちゃって。熊谷さんは大丈夫?」

「ええ」

せつなはなぎについて気づいたことがある。おしゃべりだと思ってはいたが、その大半は、おはよう、とかおやすみ、とかの挨拶と、ありがとうとか、それから大丈夫、とか無理をしないように、という気遣いだった。おそらく母親や、家庭全体がそういう雰囲気なのだろう。せつなも、そのように、なぎに返した。挨拶と感謝をのべて、気遣い。笑えるのは熊谷だ。会話がたいてい一方通行なのだ。悦子といた時はどうしていたのか、聞きたいほどだ。


ふたりにしてやる必要があるな。


「なぎ、熊谷、悪いんだけど、今日はふたりでボイトレに行ってもらえる?個人の仕事で、急用なんだ」

「え?」

「!」


「なぎ、僕がいなくても平気?」

「う、うん」

「熊谷はね、知ってると思うけど、元ミュージシャンだから、わからないことは彼に聞いてね」

「う、うん!」

「、、、せつな。戻ってきますか?」

「戻らないよ。なぎを送ってね。それじゃあ」


熊谷は苦虫を噛み潰したかのような表情だ。

なぎとふたりきり。この、子供と。

「熊谷さん、よろしくお願いします」

「はい。では、行きましょう」

正直に言うと、せつなのいう、光、の意味はもはや身に染みていた。

なぎと接するのを義務的なものに留めた。

せつなの思惑にハマるのが灼だったからだ。

じりじりとした気持ちになるのは、この季節のせいだ、と思うことにした。


ーーーーーーー


この日ボイトレに当たったのが、黒瀬だった。黒瀬教官。PPCの新人は大抵、この男の指導を受ける。

「なんだぁ、白鳥はいねえのか?毎日毎日金魚のフンみてーに付き纏ってきてたのによ」

「本日はせつなは急用で外しています。」

「おはようございます。黒瀬教官」

黒瀬はなぎの挨拶に、豪快に笑って挨拶を返した。熊谷はなぎを置いて、自身はオフィスへ向かうことにした。仕事がある。

しかし、去り際の熊谷をなぎは、行かないで、という風に、見つめていた。

熊谷はこれに心当たりかあったが、無視をした。

黒瀬がなぎの背中をばしばしと叩く。

「そうだ、お前と同期のふたり。今レッスンが終わったばっかりなんだ。紹介してやる。おい、水島、音村!」

PPCの多目的ホールには、黒瀬のほかにふたり、人がいた。

「凪屋、こいつらは水島と音村だ。水島、音村、こいつは凪屋。あの白鳥せつなのご指名だからな。お前ら同期3人、仲良くしろよ!」

黒瀬に紹介されて、ここで初めて、なぎはななみとぎんたと出会った。ただし、この時は、社交辞令的な挨拶を交わしただけで、交流は終わった。

音村ななみ。なぎと同じ歳で、これからツインテイル、というユニットで活動をするとのことだ。楽器が得意で、作曲の才能がある。

水島ぎんた。なぎと、ななみより年上だ。友人らと結成したバンドが、PPCからメジャーデビューする、とのことだった。

ふたりは好印象だった。ふたりともにこやかに挨拶をしてくれたし、仲良くしようとも思えた。しかし、なぎはこの日はあまり、良い気分ではなかった。レッスンは楽しい。ただし、せつながいれば、である。なぎは、黒瀬が苦手だった。この日も、黒瀬のスパルタ的なレッスンを受けて、終わる頃にはなぎはへとへとになっていた。





「なぎ君」

「あ、、、熊谷さん、、、」


レッスンが終わる頃に、熊谷がなぎを迎えにきた。なぎを送る、そこまでが熊谷の仕事だ。


「黒瀬教官にしごかれたようですね。」

「う、うん。俺、、、あはは、がんばらないとね、、、」

成り行きだが、やると決めた。せつなは楽しくしていればいい、となぎに言うが、そんな時ばかりではない。人前に立つと緊張するし、レッスンはこのように、辛い時もある。


黒瀬は引き上げて、既に多目的ホールはなぎひとりになっていた。

「あの、熊谷さん」

「はい?」

「俺、居残りで、練習をして帰るので、送迎は大丈夫です。ひとりで帰ります。ありがとうございました!」

「、、、そうはいきません。ご自宅まで少し遠いでしょう。」

「大丈夫です!白鳥さ、、、あ、せつな君といて恥ずかしくないように、がんばりたいから。」

「、、、」

メリは歌のみのユニットなので、特段ダンスの練習などはないが、体力作りやリズム感を育てる一環として、ダンスや、運動もさせられたようだ。

熊谷はため息をついた。

「、、、この間」

「?」

「私に飲み物と、飴をくれましたよね。お返しをしないといけませんね」

「え」

熊谷は、その辺にあったキーボードのそばに移動した。スーツの上着を脱ぐ。いくつか、多目的ホールには楽器が置いてある。

「居残り、付き合いますよ」

「えっ、でも、、、」

「せつなの思惑に乗ってみよう、と思います。どうなるかはわかりませんけど」

「?」

「こっちの話です。」



それからふたりは1時間ほど、ふたりきりのレッスンをした。

なぎにとって、熊谷のレッスンは、黒瀬のレッスンよりも楽しく、有意義だった。なぎの性格や特性にあわせてボイスレッスンやリズムレッスンをしてくれたのだ。


「すごい!熊谷さん、楽器、上手いんですね!元ミュージシャンだって聞いてて、、、知ってる曲もあったけど、ほんとにすごい!」

黒瀬といた時の消耗した顔はどこはやら、なぎはすっかり元気になっていた。

安心した。居残り練習の申し出はなぎのためではなかった。なぎに何かあったとして、それを理由にせつなに面倒な絡み方をされるのがいやだったのだ。

なぎが機嫌を取り戻したのなら、それでいい。

「まぁ、人並みには」

熊谷は抑揚のない声でかえした。

はしゃぐなぎとは対照的だ。

すると、なぎが熊谷をじっと見つめる


「せつな君のところ、歌ってほしいな、、、」

「私が、、、?」

なぎの提案に、熊谷は自分が1年以上歌っていないことに気がついた。それから、実は楽器を触るのも久しぶりだったことに気がついた。

「、、、」

「熊谷さん?」

「、、、私は、一年以上歌ってないんです」

「そうなんだ。、、、どうして?」

「、、、歌えなくなった、からですかね。少し難しいかと思いますが、気持ちの問題なんです」

「気持ち、、、」

大人の、創作論と人生観のからんだ小難しい哲学は、なぎにはわからない。熊谷は適度に話を濁した。たいていの大人なら、ここで訳ありだと考えて、追求はしない。しかし、なぎは近づいてきた。

「熊谷さんはどうしてミュージシャンになったの?」

多目的ホールは、ふたりで使うにはあまりにも広くて、夕焼けが差し込む窓辺は意味深なほどに色めいていた。

「強いて言えば、、、ロックの精神とか、そんな所の実現でしょうか」

「ろ、、、?え、、、?」

熊谷はふふ、と笑った。あえてなぎにわからない話をする。こんな子供に、本当の自分のことを話すことはない。

「生き方、です。つまり、自己実現です。虐げられた環境にいた人間が、実力のみで這い上がって、新しい理想のライフスタイルを実現する。夢があるでしょう?それを、やってみたかったんです。」

「はぁ、、、?」

なぎには当然、ピンとこない話だった。たとえば熊谷はこの後に、たとえばこんなグループがいて、、、などと、前例を挙げることもできた。わかりやすく。しかし、しなかった。

「夢を叶えたってこと?」

「そんな所です」

「ふーん、、、?」

「もう、歌う必要はないんです」

なぎが大きな鏡の方へ向かう。

熊谷は、なぎとの会話で、気づいた。

そう。モチベーションの問題だった。自分のろくでもない生い立ちへの反骨や、絶望感や、閉塞感や、憐憫、他者への嫉妬や社会への不満、、、。歌を作るきっかけは、精神の昇華だった。感じたことがテーマであり、モチーフだった。それは決して、明るい、キラキラした綺麗なだけのものではなかった。


マネージャーに転向して正解だったと思った。

もう、歌えない。自分は達成してしまった。成功を、夢みた理想の自分の姿を。

いや、想像よりも矮小で、ずさんだが、生活水準が向上したのが大きかった。数十円、数百円を数えることがなくなった。保険や年金が痛い出費だとも思わなくなったし、スーパーで見切り品を手にすることない。随分と、庶民的な話だが、熊谷にもそんな頃があったのだ。外国の大学に行っていた時はもっと悲惨だったが、もう過去のことだ。

高いスーツ、時計、靴。家賃の高いマンションに質の良い家具や物。食事の値段なんて見ない。


すべて、手にしてみたら、たいしたことはなかった。

金で買えるものなんて、いつでもゴミにも変わった。

精神を病んで、悦子の家にいた、少し前の時を思い出した。片付いてはいたが、狭い部屋だった。彼女の作る料理がまずかったことを思い出した。一番に、思い出した。


「じゃあ、やめてから、もう一回歌うはじめての日だね」

「え、、、」


壁一面の大きな鏡の方から、なきが窓際に移動する。

夏の夕暮れの日差しは鮮烈で、フレアがかった光がなぎを包んでいた。


「俺、熊谷さんとも歌いたいなぁ」



熊谷は、もはや何も言えなかった。

歌ってほしい、と言われたことはたくさんあった。

それが、金になるから。

悦子は、歌わなくてもいい、と言ってくれた。でもそれは、自分を保護して介抱してくれたことは、PPCの再建のためだと思っていた。


違う、と今、わかった。


悦子に謝罪しなくては、とも思った。

今まで、わからなかった。

信じてこなかった。

あるとは知ってはいたが、自分とは関係が希薄すぎて実在の証明に至らなかった。


せつなは言った。

光だと。


それは、何も、ヒーローめいた慈善的な行為や、劇的でドラマチックな瞬間でもなかった。

常日頃から、社会の中に漠然とただ存在していて、だれにでもふりかかるもので、それでいて意識しないと見えない物だった。


光。


ひととひとの間にある、なんの駆け引きも計算も裏表もない、触れ合い。


ひとが、無意識に、求めるもの。


なぎは今、ただ、楽しいから、という理由で、熊谷を誘っているのだ。

自分が歌っていると楽しいから、熊谷もそうだろう、と。

せつなに初めて会った時を思い出した。

しかし、そんなものは今この瞬間をもってして、過去の物に成り果てた。セピアに色褪せた古い写真のように、もはや止まった思い出だった。

光輪。

光あれ、と誰が言ったのだろう。


そして、ひとはなぜ歌うのか。

なぜ、創るのか。


「ええ、、、」

熊谷は、少しだけ、微笑んだ。無意識に。なぎは熊谷の笑顔をはじめて、見た。


「、、、何に、しましょうか。デビュー曲の練習にしますか」

「えっ、えー、、、うん、それと、あ!ファーレンハイトの新曲!」

「七星君の?」

「うん!熊谷さん、会ったことあるの?」


この日、時間の許すかぎり、熊谷はなぎに尽くした。

求めること、求められること。

心地よい時間はあっという間だったが、その短い間に、なぎは熊谷を「熊ちゃん」と呼ぶようになった。それからである。メリのマネージャーとして、なぎに公私ともに過保護なほどになったのは。すべては、せつなの計画どおりだった。それでも、良かった。せつなの計画に、乗ると決めた。いつかすべてが頽落し、罰をうけるその日まで。



ーーーーーーー



なぎを送迎した帰りに、熊谷はPPCに戻り、悦子のオフィスへ向かった。

悦子はまだ会社にいた。秘書はもういなかった。

「ノックしなさいよ」

「ひとりだとわかっていましたので」

悦子は怪訝そうに熊谷を見た。

いつもの余裕のある態度には見えなかった。

「大丈夫?何かあったの?」

「ええ。凪屋君を送って、急いで来たので、、、」

「あぁ、白鳥君の、、、。」


白鳥せつな。

悦子にとっては会社の再建のジョーカーだ。どう働くか、まだわからない。せつなはずっと年下だが、得体の知れない、掴めない何かがあった。

それで、悦子はここ最近の熊谷の動向をあまり好ましく思っていなかった。

せつなとどんな話をしたかわからないが、表面上は、精神を病んでいたミュージシャンが持ち直した、そう見えるだろう。しかし、そうは見えなかった。

デスクチェアから立って、熊谷に近寄る。

しかし、今日は、せつなといる時の、心を殺したような表情ではなかった。

「何か、いいことでもあった?」

「!」

熊谷が驚いた表情を見せた。感情を面に出さない男なので、悦子はくすりとした。

「、、、わかり、ますか、、、」

「どうだろ。いいことと、悪いこともあったみたいな、複雑な顔をしてます。まぁでも、最近の中じゃ一番マシかも」

「マシ、ですか」

マシ、そう。好転ではない。そうは、言えない。せつなのたくらみに乗る。それが、なぎにとって、どういうことなのか。

いつか、せつなが、なぎを傷つけた時に、そばにいようと誓った。何食わぬ顔で、何も知らないふりをして。彼が、自分よりも頼れる人間を見つけるまで。


「謝りたくて、、、」

「え?」

「私を家に置いて、面倒を見てくれましたよね。」

「あぁ、、、。だってそうでもしないと、あなた死んでたでしょ。自分がどれだけ酷い状態だったか覚えています?そのくせ人の料理に散々文句言って。まぁ、私も、あれ、人に振る舞うものじゃないとは思ってたけど」

「私は、あなたが、、、PPCの代表だから、よく接してくれていると思っていたんです」


悦子のオフィスには花が飾ってある、彼女も秘書も花が好きだからだ。

熊谷は花の名前も知らない。興味もない。けれどたまに悦子が話すと、覚えてはいた。

悦子は熊谷の世話を焼いてくれた。

食事を一緒にした。悦子の料理は、野菜を切っただけだったり、ゆで卵だったり、出来合いの惣菜だった。味噌汁はだしがないし、適当にこねたすいとんが入っていた。一日中寝ていても何も言われなかった。汚物の掃除も無言でしてくれた。無理やり風呂に入れられて丸洗いされた後は、ドライブに連れ出された。ただ、運転していたのは熊谷だ。よく精神を病んでいる人間にハンドルを預けるな、と思った。高速に乗って、降りて、知らない土地の道の駅についたのを覚えている。悦子はそこで果物を買う。旬のものがおいしい、と教えてくれた。悦子なりに、食卓を整えることを楽しんでいたのだ。その概念を、熊谷は知らなかった。それは、きっと自分ひとりの時にはしないことで、他人と共有するためにある行いで、これも、自分のためだったのだと後から気づいた。それから、飼っている猫も見せてくれた。熊谷には懐かなかった。たまに猫の世話をした。やることを与えてくれていたのだ。何もかもが、後から気づくことばかりだった。


「今更、、、そうじゃないと、気づいたんです」

「どうして?きっかけは?」

これほど。

これほどしてくれたのだ。

見返りなど一切求めずに。

当然過去にどうしてここまでしてくれるのか聞いたことがあった。

ただそうすべきだと思ったから、と悦子は答えた。

「凪屋君が、、、教えてくれました。」

「そう」

「子供は、すごい、ですね、、、」

「ええ。そうね。そうよ。若い子は、すごいのよ。」

「久しぶりに歌いました。」

「良かった。」

「、、、せつなの、考えに乗ります。」

「、、、」

「きっと良くないことも起こるかと思います」

「、、、」

「凪屋君を守りたいと思います」

「ええ。そうして。」


悦子もせつなを無碍にできない。乗るしかないのだ。選択肢はない。

悦子に恩返しができるとしたら、共に戦うことだった。

これだけは、せつなの思い通りにはしない。

熊谷は、なぎの笑顔を思い浮かべた。

自分なりに、せつなに抵抗ができるだろうか。

自分にも何かができるだろうか。

水をあげたばかりのピンク色のゼラニウムの鉢が、ふたりを見守っていた。




ーーーーーーー





メリの、なぎのデビューが決まった。来年の1月だ。

メリの一年目の活動は、クリエイティブイベントへの参加などもなく、年末ライブも参加はなし。なぎが「楽しく」やれる程度に活動をセーブして行うことも決めた。学業も重視した。

会社はせつなに稼いで欲しい、と暗に伝えてきたので、その分せつなは、年内から、練習生としてのなぎのデビューまでの面倒を見ながら、個人での活動でPPCに大いに貢献した。曲を作るほかに、CM、雑誌の出演、音楽番組、ラジオ、他アーティストへの楽曲提供、、、。

年末ライブも参加はしないものの、参加アーティストへ楽曲を提供した。

せつなは年末ライブに出ないことについて、ファーレンハイトのためだと言った。ファーレンハイトのための舞台であるべき、だと。ファーレンハイトは売れる。そのための布石のひとつが年末ライブであり、自分はノイズになる、と。


それとは別に、ファーレンハイトはこの一年、GGIから妨害と呼べるレベルで困難を強いられていた。

アルバムを出せば、GGIのアーティストもまた同日にアルバムをリリースする。似たような楽曲や仕事の連発、マスコミは対立を煽り、どちらのアルバムが売れるかを競い合う方向の報道をした。ライブも、ファーレンハイトのライブにあわせてそれより大きな規模のライブを行った。

そして、年末ライブ。

これも、GGIはまた同じような、GGIのアーティストが集結するという一大イベントを同日に被せて打ってきたのだ。


「やるなぁ」

駅前のビルに、堂々と、GGIのアーティストの広告が貼られている。

せつなはそれを見てぽつりとつぶやいた。

12月の雑踏はあわただしくて、せつなは外出が嫌になっていた。どいつもこいつも、季節性のイベントに浮かれる虫のようだった。

櫻井がファーレンハイトを目の敵にしているのはなかなかの心眼だが、自社アーティストは宣伝効果で売れているにすぎない。実力はファーレンハイトの方が上だ。見た目も、センスも良くない。せつなは笑い飛ばした。


せつなはその日徒歩でPPCに来た。もうすぐクリスマス。年末年始は予定を入れない。日本人は働きすぎだ。

「熊谷、なぎは、、、ん、それは?」

今日は来年の活動に向けてのミーティングだった。会議室へ入ると、熊谷がクッキーの袋を持っていた。手作りらしい、かわいらしいラッピング。

「なぎ君の妹さんからです。せつなの分もありますよ。」

「へー、、、家でこんなことしてんのか、あのコ。で、肝心のなぎは?」

「飲み物を買いに行きました」

「、、、僕が連れてくるよ」

PPCには無料で使える自販機がある。なぎはそこへ行ったという。せつなはなぎを迎えに行くことにした。



ーーーーーーーー



「うーん、、、熊ちゃんはコーヒーかな。せつな君は、、、紅茶かな」


休憩スペースの自販機で、なぎは飲み物を選んでいた。熊谷が行くと言ったが、なぎが行きたいと言った。会社の自販機、なんて、なぎには新鮮で面白いものだった。

休憩スペースは誰もいないかのように静まり返っていた。厳密には、ひとり、いた。

パーカーのフードを深く被った男。椅子に前屈みになっている。具合が悪いように見えた。

「え、、、」

なぎは飲み物を選ぶ手を止めた。

それから、近寄ってみる。

「だ、大丈夫ですか、、、?」

男の様子を観察する。男だ、と思ったのは、体格だ。多分立てばかなり身長が高いだろう。顔はまったくわからないが、白い手は血色を感じない。

「あの、、、」

「大丈夫だ。頭痛、、、低血糖。なんでもない。」

「!」

男からの反応がなかったので、もう一度話しかけようとして、そうしたら反応があった。

けだるげで、小さい声だった。ほんとに具合が悪いんだ、となぎは思った。頭痛はわかる。低血糖とはなんだろう。

「あの、これ」

「、、、」

なぎはしゃがんで、鞄から、妹の作ったクッキーを出した。男の手をとる。ひどく冷たい。手のひらに、クッキーの袋を乗せた。

「手作り、大丈夫だったら、どうぞ。」

「、、、あぁ」

「何か、飲み物いりますか?」

「、、、いや、、、、」

「、、、」

ほかに、できることはないか、なぎは考えた。

「なぎ」

「!」

背後から声がする。

せつなだ。

「せつな君!」

「あれ、誰?」

「わかんない!具合悪いみたいで、、、」

「、、、僕が、対応するよ。なぎは熊谷のところに戻って、先に話を進めておいて?」

「俺も手伝うよ!」

「大丈夫。まかせて。ね。」

「う、うん、、、」

せつなが言うと、なぎは飲み物を持って、会議室へもどった。

完全になぎがいなくなる。その足音は、パーカーの男にも聞こえていた。

目眩で地面がかすむ。その視界に、せつなの靴が映り込んできた。

「お前、七星ひゅうがだろ」

「、、、」

男が顔をあげる。

丹精な顔立ち。強いて言うなら、顔色が悪い。

「働きすぎだよ。」

せつながクスクスと笑う。

それを、ひゅうがはじろりと睨んだ。

「会いたかったよ。多忙でずっと断られていたけどね。」

「、、、俺は用はない」

そう言うとひゅうがは椅子から立って、なぎが向かった方とは逆へ歩き出した。

せつなは特に何も言わずにそれを見送った。

せつなはたいてい、顔をみるか、一言二言で、相手のほとんどを理解できた。ひゅうがの印象は、これもまた熊谷とおなじような感想だった。惜しい男だ。哀れな男。

どうやったら計算だとか、狡猾さだとか、利益だとか、そういうのと無縁なままでいられるのだろう。

せつなは、ひゅうがは使えない、と感じた。

ひゅうがは、どちらかといえば、なぎと同じ方の人間だ。

もう少し早く見つけていればまた違った道があったかもしれない。

せつなは休憩室を後にした。


ーーーーーーー




「はい、これ!せつな君のぶんです。妹と俺で作りました」


会議室に戻ると、せつなへなぎから、クッキーが手渡された。

「さっきのひと大丈夫だった?」

「あ、あぁ、うん。」

「良かった」

「クッキー、さっきのひとにあげちゃったのかと思ってたよ」

「あげたのは俺の分なんだ。でもまだ家にあるから」

「そう、、、ありがと。クリスマスだからね、あ、そうだ、年末ライブの日、予定は空いてる?」

「え、、、」

「年末ライブに僕らは出ないけど、見てく?ファーレンハイトの出るとこだけでもさ。なぎ、練習生として半年すごくがんばっただろ。ごほうびに」

「え!いいの?」


なぎの目が輝く。ライブに出ないのはせつなの方針でもあるし、なぎのためでもあった。

なぎのいうファーレンハイトが好き、は家でCDを聴く程度のことだった。それから、なぎの両親がまだ夜遅くの活動を許していない。ライブなどに行ったこともない。


「俺、ライブ行ったことない、、、!」

「だから、少しだけ、ね。練習。そのうち、ご家族や友達と行く機会ができるよ。」

「関係者席を抑えます。外出の許可は下りますか?ファーレンハイトの出演は、遅くない時間ですから」

「う、うん。全部は無理だと思うけど、ちょっとなら。」

「それではご両親には私からも連絡しますので」

「えっ、えー、、、やった!ファーレンハイトのライブ、うれしい!ライブってどんな感じ?」

「どんな、、、うーん、そうだね。来年からは僕たちも積極的メディア露出していこうと思う。ライブもしたいよね。だから、お勉強だね。」


こうして、年末ライブを、ファーレンハイトの部分だけ見る、そういう運びになった。



ーーーーーーー




年末ライブ当日。


「やだやだ。ほんと年末って車があわただしくて、最悪だよ」

「すごい人だね、、、」


会場までの道は年末特有の空気にごった返していた。間に合いはするだろうが、すでにせつなはうんざりした気持ちだった。

「せつな君は、人混み苦手?」

「うん、、、日本は、どこも狭くて、、、まだ慣れないよ」

「そっか、、、。無理しないで?俺ライブ見れなくてもいいよ?」

「いや、、、」

実のところせつなが苦手なのは人混みだけではなかった。ライブ、なんてものも正直好きじゃない。うるさい会場。バカみたいなネオン。やかましい観客の喧騒。

「もうすぐ着きますよ。、、、事故があったみたいですね」

カーナビに、事故の情報が流れてきた。高速道路なので、せつなたちの車には関係ない。

だが、熊谷は、なんとなくだが嫌な予感がしていた。ファーレンハイトだ。ファーレンハイトは前日まで別の仕事で他県にいて、ギリギリに会場に着く算段だったのを、悦子から聞いていた。

「、、、何もないといいのですが」

熊谷のつぶやきは、残念なことに打ち破られる。



ーーーーーーー



「え、ファーレンハイトがまだ到着しない?」


先程の高速道路の事故で、渋滞に巻き込まれたらしい。

「ファーレンハイトの出演って、どのあたり?」

「、、、最初です。」

せつなの問いに熊谷は難しそうな顔で答えた。

せつなたちのいる関係者席はざわざわとしていた。

「事故って、、、」

「はい、高速道路で車の事故があったんです。怪我人がいないのが幸いですが、それで付近が渋滞しているそうで、ファーレンハイトのメンバーも巻き込まれたらしいんです」

なぎに熊谷が説明をする。

もうすぐライブが始まる。ファーレンハイトは今年かなりの躍進を遂げた、ライブの目玉だ。そしてこのライブはPPCの威光がかかっているといっても過言ではない。

せつなは真っ先に、ピンと来た。

櫻井だ。

奴が、何かをした。

「ふーん、、、どうするんだろ、もう完全に間に合わないよね、これ。他のメンバーは?」

「それが、ファーレンハイトの前座が嫌なのか、アドリブに弱いのか、代わりを務める気がないそうです」

「ど、どうなるの?」

単純に、開演を遅らせるか、ファーレンハイトを飛ばすか。ファーレンハイトが間に合えば、途中にねじ込めばいい。

が、櫻井のことだ。おそらくしくじりはしない。

「間に合わない、、、か。」

「社員が直接迎えに行ったようなので、あとは運ですね」

「そんな、、、」

「なぎ、せっかく見に来たのに、残念だったね」

せつなは横のなぎに声をかけた。

なぎは不安そうにステージを見つめている。

ここでせつなは、あることを思いついた。

そうだ、なぎを、試せばいい。

今、ここで。


「ねぇ、なぎ。この年末ライブって、PPCにとってすごく重要なライブなんだよ」

「え、、、?」

熊谷はせつなの思惑に気がついたのだろう。眉間に皺がよる。

「なぎ、さっき聞いたんだけど、社員の話によると、個人的にライブを見にきているうちのミュージシャンに、前座の出演について交渉しているらしいよ。」

「そ、そうなの、、、?」

「会社も往生際悪いよね。まぁ、仕方ないよね。このライブでファーレンハイトを売り込むことができるかどうかがPPC再建のカギだもんね」

なぎには、難しい会社の事情はわからない。

「、、、個人的に来てるひとが、ファーレンハイトが来るまで代わりに出てくれるの?」

なぎが、せつなを見た。

そう、なぎの性格なら、助けになりたいと思うはずだとせつなは考えた。しかし、こんな規模の人数の前で歌ったことなどない。当然、易々と、気持ちを口にできない。探り探り、なぎは話す。

「会場に、水島君と、音村君が来ています。ふたりとも今年デビューした新人ですから、、、」

「!」

熊谷が返答する。

そのふたりに、なぎは会ったことがある。ふたりの実力はなぎよりも上だとなぎはかんがえていた。もしふたりが出てくれたら、、、と。

「でも、メリットないよね。練習もしてないだろうし、、、」

どうしたら。

自分なんて、何もできない。それでも。

「あ、、、あの」


「なぎ、だめだよ。」

「!」


せつながなぎの言わんとしたことを止める。

「僕たちは力になれない」

「、、、」

「俺ひとりじゃ、そうかも、けど、ほら、せつな君、、、」

なぎは、困ったようにせつなを見つめた。懇願するようなそんな態度だ。つまり、せつななら、と言うのだ。

、、、すごい子だな、と肝心した。

自分にはない概念だ。他者は従わせるものであって、「お願い」して、話を通すものではない。

「、、、ステージに上がって、ファーレンハイトを助けたいんだね」

せつなは椅子にもたれかかっていたが、体をゆっくりと起こして、それから前屈みになって、なぎに視線を合わせた。

「歌えるの?目の前に何万人っているのに。、、、僕が嫌だって言ったらどうする?」

「、、、で、でも」

「ファーレンハイト、君、知らないだろう。見ず知らずのひとに、施すのは、どうして?」

「、、、」

「それって正しい?楽しい?」

熊谷がなぎの背中ごしにこちらを睨んでいる。熊谷め、もはや完全になぎの味方か。

会場内はトラブルを察知した観客のせいかざわざわとし始めた。このままではまずい。


「せつな、君」

「ん?」

「た、、、俺は、正しいというか、そうしたい。楽しくは、、、ないかも、けど、、、で、できることをしたい。だめでも。」


反応に困る。

子供だから、じゃなくて、単純に性格だろう。なぎは物怖じしない。誰にも、こんな状況でせつなにも、媚び諂うことはないし、食い下がらない。失敗を恐れないし、自分の意見を言う。


「、、、僕はステージには行かない。けど、君に付き添うことはできる。途中までね。どうする?」

「、、、!」

「せつな!」

熊谷が止める。

何かあればなぎのキャリアに、会社の維新にかかわる。冷静に考えればリスクを負えない。

しかし熊谷も、せつなを止めることはできない。なるようにしかならない。


「面白くなってきた」

「え?」

「だって、デビューもこれからの新人を、こんな、数万人の前に立たせるなんで、面白いでしょ」

「そ、そうかな」

「驚かせてやりなよ。」


さぁ、行こう!と、せつながなぎの手を引いた。関係者へせつなが直接話を取り付ける。関係者は、悦子も含め、なぎひとりではなく、せつながなぎといっしょにステージに立つと思った。それなら、前座どころか、ファーレンハイトに勝るとも劣らないサプライズだ。

しかしせつなはなぎをひとりステージに立たせると決めていた。

理由はひとつ。なぎを試す。それだけだ。

見ず知らずのの他人を助ける、なんてそれだけのためにそこまでできるか。

口先だけじゃないと証明できるか。

できたら。

できたら、計画は次の段階へ進む。


「せ、せつな君、歌、どうしよう、何歌おう。」

「動画で歌ってたでしょ」

「えっ」

ステージ袖へやってくる。突貫で、前座の準備が進められた。すぐに歌える。ファーレンハイトは、まだ来ない。

「ファーレンハイトの歌。僕はあれが聞きたいな。ほら、動画だと途中だったから」

「えー、、、うーん、、、」

「できるよ。怖い?」

ちらりと、ステージを見る。めまいのするような光景だった。ひとが星のよう。何万人という観客の前に、立つ。

「どうしてファーレンハイトを助けてあげる気になったの?妹がファンだから?」

「えっ、、、」


スタッフから声がかかる。

準備ができた。ステージへ。時間だ。

なぎが去り際にせつなへ返答した。

「えと、同じ事務所の仲間、あっ、先輩だから、、、」


せつなは笑った。

行っておいで、となぎの背中を押した。



驚いたのはライブを見に来ていた悦子だけじゃない、スタッフらもだ。せつなもステージに立つ算段だった。なぎひとりだ。

「どういうこと!?」

「、、、」

悦子は、関係者席の後ろから、熊谷を見つけて詰め寄った。

あの夜、オフィスで話したことを思い出す。

「こんな、、、どうして!」

会社の維新、それだけではない。もし、何かあればなぎに一生立ち直れないような心の傷を残すかもしれない。

悦子はスタッフを探した。

「止めさせなきゃ、、!」

「待って」

なぎのステージの中止を求めようとした悦子の腕を熊谷が掴む。

「あなたね、、、!」

「なぎ君に賭けます」

「、、、」

熊谷は、期待と高揚と、焦燥と不安と、、、。

どうしようもない感情だった。

それは悦子もまったく同じ感情だった。

イントロが始まる。少しキーが高めだ。


会場には前座としてPPCの新人が歌うと言うアナウンスが流れた。


なぎが、歌い始める。


存外、一番驚いていたのはせつなだった。

なぎをひとりで送り出したはずなのに。

ついうっかりなぎのもとに駆け出して隣に並びたくなった。


「へぇ、、、」


観客はなぎの歌声に聞き入っていた。

ファーレンハイトの最近のシングルのB面でひゅうがのソロだ。

なぎが動画で歌っていたあの曲。


「、、、、、、」

悦子ももはや言葉はなかった。

この状況で。

なぎたった1人に数万人が注目している。

なぎの様子が心配だった。どんな気持ちで今ひとりで歌っているのかと。

しかし、緊張しような歌声ではない。佇まいっも自然体だ。

そう、むしろ、、、。




「楽しそうに、歌うのね、あのコ、、、」




その時だった。

「代表、七星が、、、」

「!」

社員が先にひゅうがを連れてきたのだ。

「間に合ったのね!」

「遅れました」

ひゅうがが悦子の元へやってきる。息が上がっている。よほど急いで来たのだろう。

幸いなことに他メンバーももうすぐ到着すると連絡が入り、スタッフはいよいよ本番だと慌ただしく動く。

「!あいつは、、、」

ひゅうががステージで歌うなぎに気がついた。

「訓練生の子よ。1月にデビューする予定の、、、知り合い?あなたがいれば場を十分繋げますね。他メンバーが到着するまで、、、」

なぎを下がらせてひゅうがをステージへ。

当然の選択だ。しかし、、、。

「、、、」

「ひゅうが、、、?」

ひゅうがは微動だにせずにステージに見入っていた。


なぎが歌い終わる。もう一曲だ。

会場からは拍手喝采だ。


やったのか。やれたのか。

なぎはできるだけ意識しないようにしていた観客席をこの時ようやく見た。


真っ暗な会場に、何万の人がいるはずなのに、ひとりひとりはよく見えない。

暗い、夜の空と、海のようだった。

ここに漕ぎ出すのはあまりにも心細いことだった。

急に不安になった。

ファーレンハイトは着いたのか。

自分はいつまで歌えばいいのか。

イントロが始まる。歌わなければ。やりきらなくては。



その時だった。



「な、凪屋さん!」

背後から声がして、いつの間にか隣に人がいた。

「!あ、、、」

PPCの多目的ホールで挨拶をした、音村ななみだった。

「俺も参戦するぞー」

さらにもうひとり。なぎの肩を支える手。

水島ぎんた。

なぎを挟む形で2人がなぎに並ぶ。

「ふ、ふたりとも、、、!」

「あの、覚えてますか?この間挨拶した、音村です。よ、よく頑張ったね!アドリブで前座なんて、、、ほんとにすごいよ!協力できればって思って、、、」

「ひとりで頑張ってるの見過ごせないわな。改めて、俺は水島。じゃ俺がコーラスで。」

「メインは凪屋さんね。あのね、ファーレンハイトの人たちが今会場に着いたって教えてもらったの。もう大丈夫だよ。だから、、、頑張ろう!」


「、、、!」


2人とも急遽前座の打診をされていたのだ。

しかしぎんたもななみも迷っているうちに、なぎが歌った。

同期だ。まだデビュー前だ。なのにたったひとりで。数万人の前で。

こうなれば、ただ見ているわけにはいかない。

2人は走り出した。スタッフに無許可で、なぎの隣へ来た。



ひとりじゃない。途端になぎは、歌える、そう思った。

Bメロが始まる。3人が歌った。


せつなはその様子を遠巻きに眺めていた。

関係者席にひゅうがを見つける。間に合ったのか。

ひゅうがは、何を考えているのだろう。

なぎのステージを見つめていた。

ばかなやつ。

そんなものくれてやる。

上々だ。ここまでうまくいくとは。


なぎの後ろ姿を眺める。

ついこの間出会ったばかりの子供。

でも、ずいぶんと大きな拾い物をしたと感じた。

使える。

これほど上手くいくとは。いい札持ちになる。

いよいよ自分の人生に光明が差したのだ。

なぎを照らすスポットライトが軌跡に見えた。


せつなはその場で櫻井に連絡をした。

つい、スマホを操作する手が震えた。

計画ははじめは大味だった。今は違う。必ず成功する。

なぎの周りには、これからもひとが集まる。

それも、本物の才能と人間性を兼ね備えた稀代が。

それを櫻井に差し出す。代わりに自分は自由になれる。

白鳥せつな、を辞めることができる。

想像する。どこへ行こう。誰でもない自分が、名もなき場所で旅をしている。

そんな夢想はまるで本物のようだった。


歌が終わる。万雷の喝采の中、なぎたち3人はステージを

後にした。


「おつかれ」

「!!」

せつながなぎに声をかけると、ななみとぎんたが驚いた顔をしていた。

それもそうだ。せつながいながら、あえてなぎをひとりにしてステージへと

送り出したのだから。


「せ、せつな君、、、」

せつなはなぎをぎゅ、と抱きしめた。

息が上がってせかせかとしていて、温かい。

犬みたいだな、と思った。

「君に会えて、本当に良かった。」

「、、、、、?」


褒められていることはなぎにも伝わった。

「あの、、や、俺ひとりじゃなかったし、、、ふたりが、、、」

なぎはななみとぎんたを見た。

ふたりともせつなとは初対面だ。

「、、、どうも」

「は、はじめまして、、、」

「やぁ、ふたりとも。素晴らしいね。なぎを助けてくれてありがとう。」

せつなはなぎを離して、それからにこやかに挨拶をした。

ななみもぎんたも、あまり反応が芳しくない。

なんとなくカンが働いているのだろう。せつなに対して。それもまた才能のひとつだ。

音村と水島。せつなはふたりともこの時点で良い商品の候補だと思った。

計画のあかつきにはわかるだろう。

すると、スタッフの声がかかった。

「ファーレンハイトが全員到着したよ!すぐにステージに出る。さあ君たちはこっちへ!」


スタッフの誘導に従う。別の通路から、ファーレンハイトのメンバーがステージへ向かうのが見えた。

なぎは一瞬、ひゅうがと目が合った気がした。


「はー、、、」

「ゆ、夢みたい。現実感ないや。」

なぎとななみはここでようやく、我に帰った気がした。

とんでもないことをした。


「あ、あの、僕勝手に、、、凪屋さん、白鳥さん、怒られない、、、?」

ななみが問う。それもそうだが、ななみとぎんたからしたら、なぎがひとりでステージに立たされている、と思ったのだ。(実際そうだが)

駆けつけるのはもはや無意識だった。

「問題ないよ。何も心配しなくていい。」

答えたのはせつなだ。

「ライブ始まるなら俺は戻ろうかな。椅子いまいちなんだけどな。それじゃおふたりさん、また」

ぎんたが伸びをした。彼がおそらく、1番平常心だった。

ぎんたが緊張した素振りを見せないから、場が持ったとまでそこまで考えた。彼はライブには個人的に来ていたのだ。一般席らしい。

「あ、あの、ありがとう!水島さん!」

なぎが声をかける。ぎんたはひらひらと手を振って去っていった。

「凪屋さん、俺も戻ります。あの、、、またね。」

ななみがにこりとした。

なぎも笑う。

「俺こそ、、、ありがとう!」

ななみも手を振って去って行く。せつなとふたりになる。

「戻ろうか。代表の反応を見てやろうよ。」

「え、、、お、俺大丈夫かな、、、」

「ふふ。君は彼女に大きな貸しを作ったね。」

「ふたりとも」

熊谷だ。ふたりを連れ戻しに来た。

「く、熊ちゃん、、、」

「なぎ君。素晴らしいステージでしたね。」

「、、、!」

熊谷が認めてくれた。なぎの表情が明るくなる。

3人でステージを後にした。

それから、ファーレンハイトの出演する部分だけ鑑賞して会場を後にした。

なぎはなんだかどっと疲れてしまって、家に帰って

泥のように眠りについた。


結局、ライブは世紀の大成功に終わった。

トラブルがあったにもかかわらずファーレンハイトは世間に実力を知らしめた。

なぎの臨時のステージは収録もされずに、この日ライブに訪れた者のみが記憶の中で知るだけの伝説になったのだった。




ーーーーーーー




「え、、、」


数日後。

年が明けた。

メディアは連日ファーレンハイトの話題で持ちきりだ。そんな中、ひっそりと、メリはデビューした。

それに際して、悦子からはなぎは個人的に感謝を言われた。ライブの前座の件だ。

だがなぎは正直なところあまりにも必死で、夢中で、あまり実感がなくて、そんなに感謝されることをしたとも思っていなかった。

それよりもななみとぎんたと連絡先を交換したことが嬉しかった。悦子が仲介してくれたのだ。さっそく話をしたところふたりとはとても気があって、実績を作ったことよりも、同期の仲間と仲の良い友人になれたことが、なぎにとってはライブでの一番の収穫となったのだ。

メリの活動はといえば、1年目はメディア露出無し。マスコミ受けしなかったのか、どちらかと言えばせつなの個人的な活動の方がよっぽど話題になっていた。年末年始はせつなが働きたがらないのでなぎも予定はなし。年末ライブでファーレンハイトが一気に話題になったことで、PPCも当然その名を上げた。メディアは連日ファーレンハイトについて報道した。

なぎはぼんやりとテレビの向こうのファーレンハイトを眺めていた。


2日。母親が妹ふたりと初売りに行くというのだが、なぎは学校の勉強が遅れていたので取り戻すために外出を遠慮した。父親は親戚と会う予定があり出かけた。なぎは家でひとりだ。


そんな時、凪屋家にとんでもない訪問者が訪れた。



ひゅうがだった。



「急に来て悪い。熊谷に聞いた。すぐ帰る。」

「えっえっ、あの」


ひゅうがのファンのみあがいたら卒倒していたかもしれない。

玄関先に現れた人物は明らかに場違いだった。

いわゆる、芸能人のオーラ、とかいうものだろう。

高身長。細長い手足。花の美貌に声までいいのだから。

インターフォンに映ったひゅうがを見て、なぎは驚いて飛び上がって玄関へ走ったのだ。


「わかる?俺」

ひゅうがが自分を指差した。

「え、ハイ!同じ事務所の、、、」

同じ事務所の先輩。ファーレンハイトのボーカル七星ひゅうが。

ありきたりな、正確な回答。それを察知してか、ひゅうがは話を遮った。

「クッキーありがとう。」

「へ、、、」

クッキー。

そう、あのPPCの休憩室での一コマ。

「あ、、、!え!?あれ、あの時の、七星先輩なんですか!?」

「そう。、、、助かった、本当に。ひかるにも怒られたし。」

ひかる。睦月ひかる。ファーレンハイトのサブリーダーだ。ひゅうがと違い、体調を整えることが大切だと知っている。

「それから、ライブ。」

「ライブ、、、」

ちなみになぎはもうライブのこともすっかり頭から抜けていた。


「あ!いえ、えーと、、、」

「楽しそうに歌うんだな。」

「え!?」

ひゅうがが、ふ、と微笑んだ。

なぎはえらく驚いた。

ひゅうがはメディアの前で笑わないことで有名だ。それが。あの、ひゅうがが。

つられて、なぎも笑った。

へへへ、と、ひゅうがに比べたら絵にもならない、そんな笑顔。

「そ、そうかな、、、あんまり、その、覚えてなくって、、、。少しでも、七星先輩たちの助けになれてたら、、、」

「ひゅうがでいい。」

「え!?」

なぎはまた驚いた。この日2回目だ。

「復唱。」

「え!?えと、、、ひゅうが先輩、、、。」

「微妙だな」

「ひゅうが、、、さん?ひゅうが君、、、?」

「、、、それでいい。これ、俺の連絡先。何かあったら言え。、、、借りは必ず帰す。おれだけじゃない。ファーレンハイト全員で。それからこれ、菓子折り。家族とどうぞ。ちゃんとカギかけろよ。寒いのに悪いな。じゃ。」

「あ、、、は、はい!」

ちなみに菓子折りは高級どらやきで、アリスのチョイスだったが、ひゅうがはこのこと言わなかった。なぎがアリスを知るのはだいぶ後になる。

ひゅうがの背中を見送る。

この後から、なぎはひゅうがと仲が良くなった。

ひゅうがはよくなぎの面倒を見てくれたし、なにかと気にかけてくれた。

その仲は今も続いている。



ーーーーーー




さて、メリがデビューしてからの経緯は知ってのとおりだ。


派手なパフォーマンスや広報活動を省き、音楽を楽しむことそのものにフィーチャーしたマイペースなスタイルでの活動。幅広く奥深いせつなの音楽性は誰にでも受け入れられた。ファーレンハイトの成功からPPCの再建はあっという間で、メリも当然その波に乗ったが、メディアに期待された爆発的な売り上げや流行化というわけではないものの、拝金主義に左右されない地に足のついた確実なクオリティの音楽性で活動数ヶ月でしっかりと話題になり、(最初の一年こそ、なぎを気遣ってライブや音楽活動以外の仕事をセーブしていたが)二年目からは映画の主題歌に選ばれたり、cmタイアップが決まったりと、売り上げ以上に着実に実力派として、PPCそしてPレーベルの中でも一目置かれる存在になっていった。



、、、裏でせつなの「計画」が着々と進んでることを、誰も知らずに。


せつなは簡単に、公私ともに、なぎをコントロールできた。

優しいせつな君、を演じた。なぎを適度に成長させて、適度に成長させすぎないように、完璧に育てた。

なぎを利用して、ひとを集める。

生来の魔性だ。せつなにも理由はわからなかったが、なぎの周りにはたくさんのひとが集まった。

せつなの計画通りに。


そして、なぎをひとりにした。


熊谷がなぎを支えた。それからは予想通りになぎは行動した。

クリエイティブイベントを通して、才能ある選ばれし人間が選抜された。

櫻井などでは100年かかっても集めることはできない、そんな素晴らしい人材だ。

せつなは約束どおり、それらを櫻井に引き渡すことにした。

メリを人質に、だ。

自分の事務所に来るように、なんて詭弁だった。そんなものはあくまでお飾りだった。本気でプロデューサー業をやる気ははない。


自分は自由だ。

自由になった。

櫻井もまた約束どおりすべてを手配してくれた。

もう白鳥せつなでいる必要もない。

なんでも選べる、なんでもできる。どこへでも行ける。

もう音楽はいらない。もう苦しくてもかまわない。

溺れて、呼吸ができなくなって、死ぬ。

そうして、生まれ変わる。

作ったものに興味ももうない。おもちゃがなくても眠れる。



なのに。



なのに。




なのに。


回想は終わりだ。

せつなと、れいと。現在のふたりの戻る。







「なのに、なんだよ」

これから紡がれるであろう言葉に予想がついて、れいとはせつなを睨んだ。


そんな勝手が許されるものか。

「うまくいかないよね。みんな移籍しないって言うし。」

せつなはそれでも十分に仕事をこなした。櫻井との約束は人材のピックアップまでだ。

「自由になって、、、わかったんだよね。」

「、、、」

「ひとりになると、音楽のことを考えてしまう。この世は音で満たされていて逃げられなくて」

「、、、」

「ここまでは想定済だった。、、、ここからは、予想外すぎて、自覚したらほんと、本末転倒で笑えたよ。こんなミス、僕がするなんてね。」

「、、、、、、」



「なぎの歌が、、、聞きたくなったんだ。」

異国の調べに身を委ねるとき。

波の音や砂浜の感触を覚える時。

木々と鳥のざわめきに目覚めえる時。


せつなが遠い所を見つめる。




なぎの顔が、浮かんだ。


「、、、あんたにその権利はない」

れいとの声にたしかに怒りが混ざっていた。

せつなはなぎを利用して、捨てた。

「まぁね。けどさぁ、なぎだよ?僕の悲しい生い立ち聞いたら同情しちゃって、僕を許してくれるよ。」

「どこに悲しい生い立ちなんてあったんだよ。、、、なぎに近づくな。もう消えろ。」

「、、、僕は欲しいものは手に入れる。ゲームには負けない。」


「、、、私もな」

「!」


第三者の声がする。

すると、コツコツ、と革靴の音がした。


聞いたことのある声、見覚えのあるスーツ。



「櫻井、、、!」


櫻井。

れいとの実父。

許すべきではない、相手。


「あれ、、、何しに来たんです?」

せつなが問う。

せつなにも予想外の人物の登場らしい。

その後、ああ、ここ、あなたのビルでしたっけ、と続けた。陽が翳る時間帯で、ホールが薄暗くなる。


「、、、白鳥君、また私と取引をしよう。君は欲しいものを手に入れる。私も。」


れいとはじり、、、と、数歩引いた。

良くない状況だ。不利だ。ライブに行かなくてはないのに。

なぎのもとに行かなくてはならないのに。

「私はれいとを手に入れる。君は凪屋君を。どうかな。」

「へぇ、、、」

「、、、」

三つ巴ならまだしも、1対2。

れいとは、考えた。白鳥せつな。櫻井。ふたりとも、なんとかしなくてはならない。

メリの今後のために。自分のために。なぎのために。


「だってさ、ほら、お父さんの所、行きなよ。」

「、、、聞くとでも?」

せつなが雑にれいとに指示を出した。

「察しが悪いな。話聞いてた?君のお父さん、正直僕嫌いだよ。美学がないよね、他人のこと何とも思ってないんだよ。僕は自由になれたけど。、、、意味わかるよね?」

せつなの話はずっと聞いていた。どの口が。ふたりとも最悪だと思った。

常識が、性善説が、ひとの善性を持たない獣だった。

「れいと。お前が私のもとに来るなら、もうPPCには手を出さない。」

「、、、」

「あはは。良かったじゃん。じゃ、僕はなぎをもらってくよ。」

ふざけるな、と思った。自分もなぎもモノじゃない。さらに、櫻井の発言は信用ならない。たとえ自分がこの身を犠牲にしたとしても、PPCに手を出さないなんてことは保証されない。


どうにか、手を考えなくてはならない。

戦わなくては、ならない。自分が、今ここで。


考える。

ふたりのお得意の弁舌も、取引なんてものも、自分にはできない。

武器がない。

それでも。


「、、、、、、」


なぎは何をしているだろうか。熊谷とは和解できただろうか。

なぎのことだ、大丈夫。ひゅうががいる。るきもいる。ななみやぎんたがいる。

きっと今頃ライブ会場にいる。自分を待ってくれている。


自分はどんは手を使えば、今その場を切り抜けることができるのか。

考えた。

帰りたい。

仲間のもとに。なぎのもとに。


「、、、、、、俺は、、、」


すぅ、と息を吸う。

「俺はあんたらみたいに、駆け引きだの取引だの、計算だのはできない、、、」

それから、ゆっくり吐く。


ふたりがれいとを見る。


「はっきり言わせてもらう。、、、俺は、なぎと、これからもずっと、歌いたい。櫻井、あんたの所に行く気はない。、、、白鳥、あんたになぎを渡す気もない。、、、どうか、俺たちを、ほっておいて欲しい。、、、頼む。」

「、、、交渉でわかりあえたら人類は発展してなんだよ。」

せつなの方が先に発言をした。れいとはせつなを見た。

誰もが己の欲望のために動いている。利己と利己のぶつかりあいが起きる。

だから手回しをして、折り合いをつける。それぞれのカードを切って。

しかし、今の自分には手札がない。平等にカードが配られるなんて幻想だ。

素直に気持ちを話す、そんな子供みたいな手段しか、残されていなかった。

あきらめと、青い希望のきざし。


「あんたらが納得してくれるまで、、、言うしか、俺はにはもう、、、ない。」

「あはは、じゃあここまでだね。メリは解散する。結果オーライだ。」

「、、、頼む。」

「嫌だよ。」

「、、、」

「僕は、幸せになりたい。満たされた状態のことだよ。わかったんだ。なぎが必要だ。」


せつなが笑う。

なぎが必要。

自分のために?

違う。


間違っている。

間違って、いた。

せつなも、自分も。

自分のことばかりだ。




、、、違う。


「、、、違う。」

「ん?」

櫻井はふたりを黙って見ている。様子見だろう。この中で1番賢いのが櫻井なのかもしれない。


「あんたは、そんなんじゃ、一生孤独で、満たされない。たとえ、なぎがいっしょにいても。」


「、、、、、、は?」


暗く静まり返ったホールの冷えた空気に、れいとの吐く息が白く染まる。

寒い。

しかし不思議と冷静な気分だった。

それは、どうあがいても勝てない強大な敵を前にした自棄でもあった。

玉砕する覚悟に似ていた。


せつなの声色が変わったのがわかった。


「あんたのこと、、、得体の知れない化け物みたいに思ってたけど、違うんだな。」

「、、、」

「けっこうフツーの、望みを持ってるんだな」

「、、、そうだね。それが?」

れいとは周りを見た。ライブに行かなくてはならない。どうやったらここから逃げ出せるのか。なぎと、ビルからビルへ飛んだあの夜を思い出した。なぎが先に飛んだ。自分を導いてくれた。それを思い出した。

なぎがここまで自分を連れてきてくれた。

なぎが、与えてくれた。

もし、自分に指標があるとすれば、それはきっと、自分の隣で歌う相棒のことだ。

なぎの真似をしたい。それが、良いことだと、正しいことだと思うから。


「白鳥せつな」

「、、、何」

「俺と、、、」



「俺と歌おう」






ーーーーーーー





れいとの口からあまりに突拍子のない言葉が出てきたので、せつなも、櫻井さえも面食らっていた。

「は、、、?」


「俺といればいい。俺が、あんたにくれてやる。人生の答えってやつ。」

「はぁ、、、?」

「なぎを追いかけてるだけじゃ手に入らなんだよ。俺が、、、あんたの理想の人生の手助けしてやる。俺と歌えばいい。どうだ。あんたの欲しいものを与えてやれる」

「な、、、何言ってんの、、、?」


れいとがせつなに一歩、また一歩、近づく。櫻井は驚いた。せつながこんな表情をするとは。

せつなが後ずさる。

「なぎじゃない。俺を選べ。自信がある。俺はなぎから、、、周りの人間から、家族から教わったから。できるから。大丈夫だ。だから、、、櫻井なんかと手を組んだりするな。もう、わかったから。」

「、、、、、、」

「俺を選べ。」


完全に日が落ちる。

ライブがもう始まった頃だろう。

諦めたくはない。しかし、れいとは、ここで、なぎに、心の中で謝罪をした。

なぎを、メリを諦めるかもしれない。

それでも。

それでも。

今、目の前の、白鳥せつなを、助けたいと思った。

ひどい奴だと思っていた。なぎへの、友人への、仲間たちへの仕打ちを許せない。

しかし、それでも。

せつなをわかっていなかった。

得体の知れない化け物が、今は自分と同じくらいの、いや、それよりも小さい子供にすら

見える。

自分のことばかり考えていた。なぎなら違う。きっと、違う。




音楽は彼に何を与えたのか。

何を奪ったのか。

何故、創るのか。


どうして海の中で息ができないのか。

なのにどうして、ひとは海へ向かうのか。

水に足を取られて、それでももがくのか。


ずっと、暗い海で彷徨っていたのは誰なのか。

ずっと、光を探していたのは何故なのか。




「俺と、歌おう。また、作ろう。何度だって、同じことができる。できなくなっても、誰に認められなくても、ひとりでも、また、歌える。歌い続けるかぎり、誰かが来てくる。一緒に歌える。

苦しいのも。わかる。それでも、、、」


れいとはふ、と笑った。


手を、差し出した。

せつなに必要なもの。掛け値無しのそれ。

与えてやる、なんて、おこがましいことだ。

4月、PPCの多目的ホールで、なぎがれいとを見つけた時の気持ち。

それがわかった気がした。なぎがあんなにはしゃいでいたのがわかる。今の自分のそれはきっと違うのだけれど、それでも、この、真似が、正しいと思った。

嘘はない。




「俺と歌おう。」


れいとはもう一度、はっきりと、真っ直ぐにせつなを見て、伝えた。


光の衝撃。

せつなは、光を、見つけた。





次の瞬間。


がたん!と大きな音がして櫻井が急に走り出して、ホールから出た。

そしてドアを閉じる。


「あ!?」


れいとは驚いて後を追った。扉を叩く。施錠されていた。閉じ込められたのだ。



「いや、何なんだよあいつ!」

ガンガンと扉を叩く。防音設備の一つも兼ねている。びくともしない。

急に櫻井はどこへ行ったのか。

れいとのもとにせつなが近寄る。

「、、、僕が君に付くと思って作戦変更したんじゃない?」

「はぁ?」

「僕は櫻井の秘密を知ってるからね。」

それはつまりせつなを「自由」にした件のことだろう。

「、、、君と歌いたかたったな。僕、消されるのかも。」

「!」


せつなはまるで憑き物が落ちたかのような表情をしていた。

尊大で全能全治の天空の使徒のような、浮世離れした雰囲気はもうない。

等身大の、怯えた青年に見えた。

「させるかよそんなこと!」

メインのドアは諦める。

あたりを見渡す。非常口を見つけた、、、が、外側から何かで押さえつけられているようで役目を果たしていない。

「!」

通気口を見つける。まるでハリウッド映画だ。だがあそこからなら脱出できる。

しかし、椅子がない。というかモノが何もない。

どちらかがどちらかを肩車するなりすれば、なんとかなりそうではあった。

「ねぇ、、、」

「何、、、なんだ、この臭い、、、」

「焦げ臭い、よね」


最悪の選択がふたりの頭をよぎった。

櫻井はどこまでもやる男だ。せつなの口ふうじ。れいとのことだって

手に入らないのなら、、、。

その瞬間、火災報知器の爆音が響いた。


「ああくそ!やっぱりな!」

「まずいね。焼死はごめんだ。」

「通気口がある!来てくれ!」


ふたりで通気口へ向かう。

れいとが壁に手をついた。

「は!?」

「いいから!あんたが行け!外から鍵を、、、いや、助けを呼んでくれてもいい、何でもいい!とにかく早く!」

「し、正気?、、、君が先に行けばいい。ライブにも間に合う。僕を見捨てて行けば邪魔者も消える。ハッピーエンドじゃないか!」

せつなが声を荒げる。

床を見ると、ドアの隙間から室内に煙が入ってきた。時間がない。

「まだンなコト言ってんのかよ!ふたりでライブ会場に行くんだよ!」

「僕が逃げたら!?君が消えたら、なぎを手に入れることができる!このことを証拠に櫻井を消して、僕が完全に勝利する!」

「そうしたいならそうしろよ!俺はあんたを信じる!早く!」

「、、、、、、、っ」

「この部屋から脱出して俺を助けてくれ!」



せつなはれいとの背中を登って、通気口の入り口のカバーを外した。そこから通気口へ侵入した。

がたがたと鈍い音がする。狭くて、暗くて、何も見えない。

少し先にあかりが見えて、そこまで四つん這いで進んだ。

明かりの正体はダクトの途中に存在する点検用の入り口のカバーでそれを蹴破って廊下へ着地した。


「!」


廊下はもう煙が充満していた。それどころか、ごうごうと、壁や天井が燃え、ボヤではすまされない規模になっていた。

櫻井め。

あらかじめガソリンか何か、燃えるものを用意していたのだろう。

正面のメインの扉はもう近づけない。

ホールの非常口へ向かう。

非常口は不自然に椅子が積まれて、開かないように細工されていた。

「くそっ!」

椅子をかたっぱしからどかす。早く脱出しないと、焼死の前に煙で死ぬ。

「う、、、げほげほっ、、、」

廊下がどんどん煙で薄暗くなっていく。

椅子の山を崩して、ようやくドアノブが見えた。もう少し、、、、、、。



「ぐあっ」


「!」


非常口の内側から、せつなの動向を伺っていたれいとに、悲鳴が聞こえた。


「白鳥!?」

返事がない。ドアノブを力任せに動かす。

「う、、、」

「白鳥!どうした!?」

廊下の様子はわからない、それでもただ事ではない、そう感じた。


一方、煙で薄暗い廊下。

絨毯にぽたぽたと、鮮血がこぼれた。


せつなが、頭部から血を流して地に伏していた。


「櫻井、、、」

「逃げたかと思ったかね。」

櫻井の手には、消化器。それで、れいとを助けるために障害物をどかすのに懸命になっていたれいとを背後から殴りつけたのだ。


やられた。

せつなは、周りが見えていなかったことを後悔した。れいとを助けようと必死だったからだ。

けたたましい火災報知器の音がうるさい。

首と後頭部がズキズキと傷んだ。

めまいがして、上手く立ち上がれそうにない。

早くれいとを助けなくてはならない。

すると、櫻井が再び、消化器を振りかぶる。

咄嗟に顔を庇おうと手が前に出て、モロに消化器を受け止めてしまった。骨がみしりといったのがわかった。


「うぁ、、、!!!!」

床にのたうちまわって、二撃目を避けることができたのはまぐれだった。しかし、今度は櫻井の革靴が腹を的確に狙ってきた。やわらかい臓器の部分に蹴りを喰らうと、灼熱の痛みが襲った。その場で丸くなるしかできなかった。

しかし、煙に櫻井が咳き込む。

チャンス。せつなは這って、逃げた。非常口といえば、すぐそばにあるもの。そう、非常階段だ。誘導灯の先に、屋内型の非常階段を見つけた。

ろくに立ち上がれないまま、なんとかドアノブを回す。非常階段の空気は新鮮だった。ドアを開けたまま様子を伺う。れいとをここまで連れてこなければならない。

しかし、すぐに櫻井が追いつく。

「しつこいな、、、!」

「白鳥君、ここまでだ。君も、れいとも、もういい。」

「やりすぎだよ。痛い目見るよ。行きなよ。手を切ろう。僕も、、、忘れる。」

せつなは背中から壁にもたれてなんとか半身を起こした。指先がひどく震えていた。恐怖。それでも、櫻井を睨みつける。そうはいかないさ、と、櫻井が笑った。

猛獣使いと猛獣なら、どちらをしつけるべきか。なんにせよ、過去の自分を嫌悪した。櫻井と手を組むなんて、ばかなことをした。間違えた。間違えていたのだ。すべてが。


「、、、こうしよう。」

せつなが提案を申し出る。口の中は血の味がした。頭が痛い。腕が痛い。

「僕のことは、好きにすればいい。、、、僕を殺した後で、れいとは、、、彼は助けてやってくれ、、、」

「、、、ほぉ」

「まだ、中学生だ、、、!助けてやれ、息子だろう!これから、彼には、未来があるんだ、、、!」

せつなは心の中で笑っていた。こんなに必死になったのは、生まれて初めてだった。しかも、こんなボロボロで、自分の命とひきかえに他人の命乞いをしている。

「頼む、、、!どうか、、、!」

心から、櫻井へ訴えた。もはや自分はどうなってもいい。


「いや、貴様もれいとも死んでもらう」



「、、、!」


絶望感。

こんな感情は、初めてだった。

それだけじゃない。

怒りだ。

れいとは何も悪くない。それなのに。

櫻井が近寄る。もう消化器は持っていないが、強かにれいとの横っ面を蹴った。れいとは地面に這いつくばった。


「うっ、、、!」

櫻井がれいとの胸ぐらを掴んで、そのままひきずって、非常階段に連れ込む。

床にせつなを投げ捨てる。横たわったまま抵抗もできないせつなに足を乗せて、踏み躙る。

「黒焦げになれば打撲の後などわからん。君の死因は、火事に焦って逃げて、階段から落ちた、、、そういうことになる。」

「、、、下手なシナリオだな」

せつなは笑った。

「、、、死ね!」




その時だった。

「させるか!」



バキ、と鈍くて重い音がした。

れいとだ。

せつなが椅子をどかしてくれたおかけで、ホールから脱出できたのだ。

れいとが櫻井に、拳を入れたのだ。

「!!」

その瞬間、せつなは力を振り絞って、櫻井の足に飛びついた。櫻井がバランスを崩す。


「あっ、、、」

そのまま櫻井は階段から落ちて、踊り場まで転がって動かなくなった。


「、、、」

「あっ、お、おい!」

れいとも踊り場へ向かう。

櫻井はぴくりともしない。

脈をはかる。

「い、生きてる、、、」

せつなははぁ、とため息をついた。

「良かった。正当防衛でも殺人なんて後味悪いしね」

れいともため息をついた。

すると、どこからともなくサイレンの音がする。せつなは手すりを使って立ち上がる。れいとのもとへ行く。その様子を見てぎょっとした。かなり重症に見えた。

頭から出血していて、腹と背中と顔も、どこもかしこも痛々しい。

「だ、大丈夫か!?」

れいとはすぐさまにせつなの体を支えた。

「、、、ま、ちょうどいい罰でしょ」

「あほか!すぐ病院いくぞ!」

階段を降りる。幸い出口は空いていて、外にでると野次馬が驚いて集まってきて、まだ中に櫻井がいることを伝えたら、消防がすぐに救助に向かった。

せつながどう見てもボロボロなので、救急車へ向かうように言われる。

「れいと、、、車に戻るよ」

「は!?」

「うまく言って逃げなきゃ。ライブに、、、」

「いや、あんたは病院だ!付き添うから、、、」

「れいと、、、頼むよ」

「だめだ!」

「君たちの歌が聞きたいんだ。、、、さっきの、僕を懐柔する嘘じゃないだろ?来年メリがなくなってたら、どうやって、、、」

「それは、、、」

「頼むよ、、、」

「、、、」

救急車の入り口に腰掛けていたら、すぐに隊員が来て、手当を始めた。

頭の傷は、病院に行かないといけないらしい。手配するというのを、れいとは、断った。

「き、君たち、だが、、、」

当然隊員はそれを認めない。

「よし、白鳥。捕まれ。駐車場まで行くぞ。」

「おんぶ」

「、、、あー、ほら!」

「君たち!」

「すいません、ライブ行くんで!何かあったらPPCに連絡下さい!俺は白樺れいと、こいつは白鳥せつなです!熊谷のあってやつが対応します!」

れいとはせつなをおぶって走る。めんどくさいことは熊谷に押し付けることにした。これは八つ当たりだったが、このくらいは許される。

野次馬が、せつなとれいとの正体に気づき始めたところなので、ちょうどいい。路地へ走り始める頃には、救助された櫻井とすれ違った。これでいい。すると、ホールの方で大きい音がした。脱出できて良かった。死んでいたかもしれない。近くの有料駐車場へ走る。

「てか、僕運転できないかも。目眩やばいし、肋骨折れてる。腕も多分、、、」

「はぁ!?」

「僕が支持するから、れいとがハンドル操作をする。、、、どうだ」

「フツーに捕まるだろ!」

駐車場に着く。車を探す。キーはせつなのポケットだ。ドアロックのボタンを押すと音がしてそちらへ向かう。

背中のせつなが静かになったので、ぎょっとして話しかける。

「白鳥、大丈夫か!?」

「いき、、、てるよ、、、車、、、」

「大丈夫じゃねぇな!くそ、、、」


「おふたりさん」



「!」



ふたりが乗ってきた車のボンネットに誰かがこしかけていて、ふたりに声をかける。上体を起こす。すると、ビルの灯りに照らされて、顔が照らされて、正体が判明した。


「!あんたは、、、、」


「ほら、急ぐぞ〜」

アリスだった。

ひゅうがの兄。


「ど、どうして、、、!」

れいとは驚いて固まるが、アリスが近寄ってくる。

「ひゅうががね、白鳥せつななら絶対このビルには来るだろうって言ってて、張ってた。なぎとの楽しい思い出の場所だからね。、、、で、この極悪人どうするの?俺はれいとを探しにきたからさぁ。こいつは置いてく?」

「、、、アリス」

「、、、わかってるよ。連れてくんでしょ。言っとくけどみんながそいつを許すとは限らないよ。お前が庇っても。それでも、いいの?」

「、、、いい。こいつは許されないことをした。罰は受けた。罪なら、、、俺も背負う。だから、アリス、あんた運転できるのか?頼む、俺たちをライブ会場に連れて行ってくれ!」

「しょーがないなぁ!」

アリスが笑った。

せつなを乗せる。れいとはせつなの介抱のために後部座席に同乗した。スマホをしまえと言われた箱があって、開ける。連絡をとらないといけない。しかし、電源がもう無い。アリスが自分のスマホをれいとに貸した。


「飛ばすよ!」


れいとがスマホを見るか見ないかのうちにアリスがアクセルを踏む。ものすごいスピードで発信する。

アリスの運転は、、、かなり見た目に合わないタイプの運転だった。

電話をかける。なぎに。出ない。熊谷に。出ない。両親に。留守電を残す。心配をかけた。それからせつなの血をぬぐったりした。せつなはぐったりと、れいとにもたれかかって動かない。


「ライブ間に合うか!?」

「うーん、ギリギリ!メリの出演は間に合わない!メリが最後になれば、、、わからない!とにかく急ぐから、捕まってな!!」



安っぽいレンタカーは師走の末に賑わう街を走り抜けた。




ーーーーーーー





「円陣組もう!」


ライブ会場。いよいよライブが始まる。ライブ出演の、れいとを除く全員が集まっていた。

提案をしたのは、いおりだった。

「そんな暑苦しいことウチはしないんだが?」

たかひろが反論する。

「ミーハニアは必ずやるぞ?」

「ファーレンハイトはやらない」

このふたりはいつもこのような感じなので、誰も気にしない。採決はリーダーに委ねられる。

「ぼ、僕はいいと思う!」

「そうだなぁ。せっかく今年は全員仲がいいし」

ななみとぎんたが賛成する。

「仲良くねーよ!いや、やる時はやるけど、隣に誰が来るかによる!」

「いいんじゃねーの?」

とうまは複雑なことを言っていたが、あつしは皆に任せるようだ。

「、、、なぎが決めるといい」

ひゅうががそう言ったので、いっせいに視線がなぎに集まる。

なぎの横にいたるきがなぎにどうするかを尋ねた。

なぎが声が出なくなったことは皆知っている。

「なぎはやりたいって」

るきが答えると、渋っていたメンバーも混ざって大きな円陣を組んだ。


掛け声は、言い出しっぺのいおりだ。

ライブ成功させるぞ、おー!、、、と、熱く青い掛け声。


「よーし、テンション上がってきたわぁ」

「よろしくお願いします」

にこにこと楽しそうなあやは常連だけある。つきはは周囲に挨拶をしていた。

そして、もう本番だが、れいとがまだ来ない。

るきはなぎを見た。何を考えているのかわからない。しゃべらないでおとなしそうにしてるなぎを見ているとなんだか不思議な気分になる。


「あー、ちょっと待って欲しい!実は一個、提案がある」

解散し始めていたメンバーに声がかかる。

とうまだ。横でりおとゆうやががんばれ!と応援をしている。

とうまはなぎと、今回の演出を担当した。


「なぎ、、、と皆。今日まで問題が解決しなかったら、っていう場合に備えて、実はもう一個、案を考えてたんだ。聞いて欲しい!」

問題。れいとのことだと誰もが察した。


「メリの順番を最後にしたい」

「!」

つまり、セトリの変更だ。ここにきて、である。

「と、いうと、、、ミーハニア、ツインテイル、サンライズ、ファーレンハイト、、、そしてメリ、の順番か」

ゆうひが確認をとる。とうまが頷いた。

「いや、今日まで白樺が見つかんねーなんて思ってなかったからよ。けど、、、あいつ、いや、言わなくても皆はわかってると思うけど、無責任に逃げ出すやつじゃねぇ、から。来ると思うんだ。」

とうまのは真剣な表情で、全員を見回した。

「それに、、、メリは最後になるかもしれないよなぁ。確かに、歌わせてやりてぇな」

ふれいがそう言うと、皆が納得した雰囲気だ。こうなることを予見していたのかもしれない。

しかしなぎはあわてて、持っていたスケッチブックに迷惑をかけられない、と書いた。それから身振り手振りでも伝える。

「その後は?メリを最後にして、それでも、、、白樺君が来なかったら?」

エリックが不安そうに聞いた。

しかし、それに即答した人物がいた。


「俺が歌う」

「!」

ひゅうがだ。

「ギリギリまで、俺が歌って、繋いでやる。あいつは、必ず来る。」

なぎは驚いたようにひゅうがを見た。

あの時の、3年前のように。ひゅうがが歌うと言うのだ。

、、、恩返しだ。ひゅうがはいつもそう言っていた。必ず恩を返す、と。


なぎの目に涙が溜まるのにるきは気づいた。ひゅうがが言わなくても、るきがそうするつもりだった、いや、、、。


「そうなった時は俺たちも出るから。泣くな、なぎ。不肖の弟子の始末は取る」

たくとだ。なぎの横にきて、なぎの肩に手を乗せる。

「いいね。アドリブ嫌いじゃないよ」

ほまれが笑う。

「使徒と使徒は呼び合うんだよ。れいとは間に合うと拝火の儀が告げている、、、!」

とらちよが意味不明なことを言う。

「おい!提案者は俺だぞ!ポップコーンが歌う!なぁ!」

「リーダーがそう言うなら!」

「なぎたそ、泣かないで〜!」

ポップコーンの三人も乗り気だ。


みんながメリのために力を貸してくれる。

なぎは、自分がこの空間にいる奇跡を、噛み締めた。こんなにも素晴らしい仲間に恵まれたことを、感謝した。せつなは自分を利用して人材を集めたと言っていたが、自分にそんな能力はない。仲間たちは音楽を通してここまできたのだ。ものを作ること、せつなといた時はそれがどんなことか考えもしなかったが、一日一日、考えるようになった。心との対話。自分は、今日この、日の感動を伝えるためなら、100曲だって作れる。そう思った。


スタッフの声がかかる。ミーハニアのメンバーはなぎに手を振って、ステージへ向かった。


できることは、ない。

待つ他に、ない。

れいとのことを考えた。

どこにいるのだろう。安全だろうか。困っていないだろうか。どうか無事でいてほしい。



なぎはるきとライブを見守ることにした。

ミーハニアの曲が始まる。新曲だ。

「、、、!」


るきがなぎを見ると、なぎの目がキラキラと輝いていた。

そうだ、この状況で心が躍らないわけがない。

れいとさえいれば。完璧に楽しめたはずなのに。


ミーハニアの曲が終わると次はツインテイルだ。

るきはなぎに「そろそろ行く」と言ってそばを離れた。

ひとりになる。

ツインテイルの曲が終わる。ポップコーンがステージへ。

新曲だ。ミーハニア、ツインテイルは年末ライブの常連だけあり流石の貫禄だった。

ポップコーンは初参戦。しかも今年一気に躍動した時のひと。会場が熱気を帯びる。


ライブはあっという間に後半だ。

楽しい時間は過ぎていくのが早い。

しかし、れいとの姿は見えない。


ひとり。

スタッフがざわざわとしている。

観客の熱狂。

なのに、なぎは、自分の周りだけが静寂に、闇に包まれたように、

音までもが無くなってしまったかのような虚無の錯覚に包まれたように感じた。


こんな機会はない。

PPC肝入りの実力派ユニットによる歴史に残るライブ。

なのに、自分はそこに行けない。

れいとが心配でたまらない。

行くことができない。


指先が冷たい。

二律背反する心が警鐘を鳴らす。

どうしたらいいのかわからないいのだ。




「なぎ君!」


「!」

ななみとぎんたが戻ってきて、なぎのそばに寄った。

ふたりともステージを終えたばかりだ。

なぎが心配で戻ってきたのだ。

「なぎ君、大丈夫だよ、、、!」

「なぎ、大丈夫。」

ふたりがなぎのそばに寄る。


ふたりが側に来た途端、音が、空間が戻ってきた。いや、現実に引き戻された。そんな気がした。根拠のない言葉。だがそれが、なぎには十分力強い応援だった。



「なぎ、あのな、、、なぎは今れいとのことが心配なのと、ライブを楽しみたいのと、どっちも感じていて、どうしたらいかわからない、こんな感じだろう?」

「、、、、、、」

ぎんたがなぎの心境を言い当てる。

かがんで、なぎに目線をあわせる。ぎんたはいつもこうだ。マイペースで、優しい。

「あのね、どっちも正しいと思う。だから、れいと君を待つのを、楽しめないかな。」

ななみがなぎの手を握った。

楽しむ。れいとの消息も安否もわからないというのに?

そう言いたかった、

「れいと君は、白鳥さんに会うって言っていなくなっちゃったけど、、、僕は白鳥さんには1回しか会ったことないけど、悪いひとじゃないって思うんだ。」

「俺も同感。少なくとも、完全な化け物じゃない、、、そう思いたい。いや、思ってる。」

ぎんたもななみに続く。つまり、れいとはせつなと一緒にいて、安否は確かで、そして必ず間に合う。だからこのピンチも余興として切り替えて楽しもう、そういう話だ。

ふたりの意見が、すんなりと頭に入ってこない。

せつな。

そう、せつなだ、、、。


せつな君。

なぎは心の中で、彼の名を呼んだ。

もう一度。

せつな君。



せつな。本当の彼はどんな人間だったか。考える。

優しい姿は、自分を騙すためだった。

今はもう、記憶の中のせつなの輪郭がぼやけてさえ見える。

わからない。


「!」


なぎの後ろから手が伸びて、なぎの目を隠す。

驚くが、すぐに誰だかわかった。

ひゅうが君?と心の中で答えた。

手の正体、たしかにひゅうがだった。


「なぎ、考えるな。聞くんだ。ただ、、、待ってろ、それでいい。」

「!」


なぎは言う通りにした。

目を閉じる。それでも隣に、ななみとぎんたの気配を感じた。

それからひゅうがが去っていくのがわかった。


聞く。

サンライズの歌だ。あつしの声。力強い歌。

そういえば、せつなの帰国の知らせを受けたのは、サンライズとのコラボの最中だった。


「、、、、、、!」


聞く。

何を?

せつなのことがわからない。すべてが嘘だった。それでも。

せつなの、、、。

せつなの曲を思い出す。

それなら明確に思い出せた。


せつなの曲。それは決して、冷たいものではなかった。

なぎを騙している、そんなものではなかった。

せつなのことなど何もわからない。

騙されていた。

それでもわかる。


せつなの歌は、

創るものだけは、

本物だった。





「、、、、、、、!」


目を開く。前を見る。

あんなに遠くに感じていたステージが目の前に見える。

すぐ近くだ。手を伸ばせば、届く。

行きたい。行ける。

ステージだけがまばゆい。

歌を届ける場所だ。自分が立つべき、場所。


サンライズの曲が終わる。

ステージが暗くなる。そしてまた明るくなる。

ファーレンハイトだ。


ひゅうがが歌う。


れいとは来ない。

だが、しかし、先ほどまでとは違う。


れいとは、来る。

確信した。

そして、それを待つことができる。


なぎの表情が変わったことに、ななみとぎんたが気づいて、笑った。

メリの出番だ。しかしまだれいとは来ない。

すると、曲の合間にるきがなぎのもとへ戻ってきた。

ななみとぎんたが背中を押す。るきに手を引かれる。

ステージへ向かう。先日の有言実行だった。たとえ歌えなくても、ステージでれいとを待つ。るきが隣にいる、、、と。



関係者席も、ステージの一挙一動を見守っていた。

クリエイティブイベントも年末ライブも、アーティストの自主性を重んじるスタイルだ。

悦子も熊谷も、見守るしかない。


観客もざわめいていた。

予定とは異なるセトリに、メリの順番が最後に変わったこと。

るきに手をひかれて来たなぎの様子。

ひとりなこと。れいとがいないこと。

さらに予定を変更して、ファーレンハイトが続けてステージに残る。

るきは、ずっと、なぎの腕を掴んでいた。しっかりと。

ひゅうががソロを歌う。

なぎが過去に好きだと言ったB面の曲だ。

待つしかできない。

たとえ、れいとが来ても、歌えない。声が出ないのだ。

それでも。

すると、ステージへ、出演が終わったはずのユニットのメンバーが現れた。

ツインテイル、ミーハニア、ポップコーン、サンライズ、、、。



「、、、、、、!」


ここにいてもいい。

歌えなくても。皆がなぎの、メリの味方だった。


言葉はいらない。

舞台は整った。

れいと。

最後のピースが届けば。


彼を待つ。

皆で。


ライブは、もうすぐ終わりを迎える。

歌が終わる。

それでも、れいとが来ない


会場の観客の戸惑いが手に取るようにわかった。メリは出演しないのか。なぜなぎは何も言わないのか。

本来ならば説明しなくてはならない。


なぎは前へ出ようとした。

しかし。

るきがそれを押さえた。


すると、

もう一曲、イントロが始まる。

ひゅうががもう一曲、歌うのだ。

メリのために。

なぎのために。れいとのために。


3年前のあの時と同じ光景だった。

今度はひゅうががなぎに。メリに。

なぎはひゅうがを見た。泣きそうだった。いや、涙がもう溢れそうで、堪えた。


ステージ、スポットライト、音響機材、観客、力強い歌声。

なぎの目の前のすべて。しっかりとなぎは、この一瞬一瞬を、記憶すべく脳裏に焼き付けた。



待つ。それだけだった。





ーーーーーーー





ライブ会場の関係者向けの駐車場に一台のレンタカーが風を切るような速さで侵入した。

カラーコーンを薙ぎ倒して、どう考えてもスピード違反のまま、急停止する。停止するかしないかの所でドアが乱暴に開く。


「れいと、これ関係者パス!ひゅうがにもらった!行け!」

後部座席からひとりの少年が降りてきた。

れいとだ。運転席のアリスから声をかけられる。

ライブはもうすぐ終わる。いやもう終わっているかもしれない。

それでも走るしかない。

ステージを目指すしかない。

しかしれいとは車から降りると、自分が座っていたのとは反対の座席を目指した。ドアを開ける。

「白鳥が、、、」

後部座席でぐったりと動かなせつなを心配して、れいとは戸惑う。

このまま置いて走り去っていいものか。

「行けよ!なんとかする!早く!」

「でも、、、」

「早く!こいつは僕にまかせろ!」

「、、、っ!頼む!」

せつなを見る。顔面蒼白で、ぞっとするほど静かだった。

れいとは駆け出した。

行かなくては。

関係者用の通用口へ向かう

全力で走った。

途中すれ違ったスタッフがれいとの登場の驚いて、あわてて連絡を始めた。


間に合った。

間に合ったのだ。


れいとは走った。






ーーーーーー



「おい!起きろ、オマエ!死んでないよな!?」

アリスは自分も車から降りて後部座席へ向かい、懸命にせつなを起こそうとした。息はしている。しかし呼吸が浅い。

れいとはライブ会場への到着までに、ここ2日間の出来事、せつなとの間にあった顛末を話してくれた。

約束したのだという。せつなを会場に連れていかねばならない。

なぎを、、、れいとを。ふたりのステージを。せつなは見届ける義務がある。

アリスはせつなのシートベルトを外して、ゆっくりと上体の重心を自分のほうに寄せる。重い。

意識のない人間の弛緩した体を運ぶのは至難の技だ。しかし、せつなをライブ会場に連れていかなくてはならない。


「あっ、、、」

バランスを崩してしまった。

まずい!




、、、その時だった。


アリスの体を誰かが支えた。


「!」


熊谷だった。

「マネージャー、、、、!」

「ご苦労様でした。」

熊谷の支えでアリスは体勢を直した。

「君!ライブは!?観客はまだいる!?れいとに会った!?なぎは、、、」

アリスは疑問をすべて一気にぶつけた。

しかし熊谷は意外な行動に出た。

せつなの頬をしたたかに叩いたのだ。

「おいおい!」

驚いて怪我人だぞ!と続ける。

「起きなさい、せつな。ほら、行きますよ」

「、、、、、、」

せつなの目がうっすらと開く。それを期に熊谷がアリスと場所を交替した。

せつなの体に腕を回して車から降ろす。

「アリスさん、ありがとうございました。」

「手伝うよ」

アリスは熊谷と逆の方向からせつなの体を支えた。

「彼、大丈夫?ライブ終了と同時に満足してあの世に行っちゃったりしない?」

「そんなにヤワな男じゃありませんよ。死なせたりしません。私が無理にでも三途の川から引き上げます。」

「聞こえてるからな、、、」

ようやくせつなが声を発した。

3人で関係者席へ向かう。

足取りは重く、まるで水に囚われているかのようだった。


歓声が聞こえる。

まだだ。

見届けなくてはならない。


ーーーーーーー


ひゅうがのソロ、2曲めが終わる。


ひゅうがはまだ下がらない。いや、れいとが来るまで絶対に引き下がる気はなかった。

歌い続ける。何時間でも。観客を繋ぎ止める。

メリのふたりを、この場の全員に見届けさせる。

ひゅうがはこの日喉を潰して、後生歌えなくなってもいい、そう、覚悟をしていた。


観客がざわめいているのがわかった。

もう一曲。


すると、スタッフがやってきた。

ステージの後方のユニットにこそりと話しかける。会場を使える時間は決まっている。今、れいとが来なければ、もうタイムアウトだと伝えられた。

ステージの全員が苦い顔をした。

、、、間に合わないのか。


すると、なぎがるきの手を振り払い駆け出す。

ひゅうがの元へ行く。


なぎは歌い続けるひゅうがの腕を掴んだ。


ひゅうががなぎを見た。

なぎの言いたいことは伝わった。

タイムリミット。

それでも、、、、。




ひゅうがはマイクを下さなかった。

なぎは驚いた。


そう、

まだ、終わりじゃない。



そう、伝わった。


なぎはここで、自分が泣いていることに気がついた。

ひゅうがは歌い続けている。

、、、なぎはゆっくりと、前を見た。

歌えなくても、いい。みっともない泣き顔でもいい。ひゅうがの隣に立っていよう。


最後までステージにいる。そう、決めた。




観客席では、悦子はステージと時計を交互に見ていた。

そしてスタッフを呼ぶ。

「タイムリミットだと、、、私が伝えます。」

悦子は踵を返してステージへ向かった。ステージまでの道のりで、つい思わず、涙ぐんでしまった。

全員、よくやった。だが、ここまでだ。この年末ライブに参加したユニット全員が、誇りだった。PPC、Pレーベルのことを心から自慢に思った。この先にどんな未来が待っていても、今日この日のことを絶対に忘れない。


悦子が舞台袖へ着いた。

なぎと、ひゅうがを見る。

まばゆいライトの中、歌うひゅうが。

隣に立つ、なぎ。

悦子は目を閉じた。この光景を忘れてはいけない。脳裏に焼き付ける。

そして、口を開いた。


「ふたりとも!ここまで、、、」




その時だった。



悦子の横を、誰かが、走り抜けた。



その人物が、大声で、ステージへ叫んだ。







「なぎ!」








ーーーーーーー




声が出なくなった。


病院では、ストレス、心的要因だと言われた


大事なライブを前にれいとが消えた。自分は歌えない。

メリは事実上瓦解していた。

不思議と、絶望感が無かった。現実感が無かった。れいとはどうしたのかとか、これからどうしようとか、考えなくてはならないことがたくさんあるのに、しゃべれないと、いつもより思考が、別な方によく回るような気がした。


これまでのことを思い描いた。

4月、せつなとの別れ、れいととの出会い。

路上でのゲリラライブ。

クリエイティブイベントへの参加。

コラボしたツインテイル、ミーハニア、ポップコーン、サンライズ、そしてファーレンハイト、、、。

課題を乗り越えて仲間ができた。

年末ライブへのチケットを勝ち取った。

なのに。


せつなの裏切りを知った。自分のせいで仲間に迷惑をかけた。

それでも。


自分の周りにはひとがいてくれた。

家族。友達。ひゅうが。熊谷。アリスやるき。ななみやぎんた。、、、たくさんのひとが。


円陣を組んで、この場にいるひとりひとりの顔を確かめた。

側にいてくれるひとから力を貰った。

待つと決めた。

ライブが始まると、期待と不安が降り混じる。

まだ、まだだ、という諦めたくないという気持ち。

ここまでやった。もう諦めてもいいという気持ち。

何度も挫けそうな気持ちになった。


いや、

もうとっくに、ひとりだったら諦めていたんだ。

マイクを下ろさなかったのは自分じゃない。

数万の観客のいる席は夜の海のように真っ暗だった。

灯台は、光は、ひとつ。

自分がいるのは闇に燻る大海原ではない。

光のふもとだ。

強い光。光の衝撃。


どんな結果になっても立っていようと決めた。

タイムリミットを数えた。

あと、1秒。











声が、聞こえた。





わっ、と歓声が上がった。

れいとがステージに間に合ったのだ。

ステージにいた全員が背後を振り向いた。

れいとだった。


「れいと!」

「れいと!?」

「白樺!」

おのおのが声を上げる。

間に合った。間に合ったのだ。

「いや、なんで血!?」

るきが驚いてれいとに駆け寄った。

れいとの服はところどころ血がついていた。これはせつなの血だ。

走ってきたので、息が上がっていて、答えられない。

だが、ここへ来た理由はただひとつ。

明確だった。


歌うため。


「おい、大丈夫か!?顔見せろ!」

るきがれいとの安否を気遣う。

しかし、がくり、と膝が笑う。

るきが腕をつかんで、れいとを支えた。

歌える状態には見えない。他にもそう思ったメンバーはいたはずだ。しかし、るきは何も言わなかった。れいとの望みが、1番わかっていた。れいとを引っ張って、ステージの前の方へ連れ出す。

「しっかりしろよ、、、!」


まぶしくて、よく見えない。

れいとは瞬きを繰り返した。

視界の先に誰かがいるのはわかる。

足元が早くなる。駆け寄る。

よく見えない。けれど、わかる。


「なぎ、、、!」




相棒の顔が、見える。




「れいと君、、、!」



声が、聞こえた。





その声に真っ先に振り返ったのが、なぎの隣にいたひゅうがだ。

「なぎ、声、、、!」

「えっ、あ!」

なぎが自分の喉を抑えた。

れいとは何も知らない。

「なぎ、、、!」

るきの顔が綻ぶ。ふたりを1番といっても過言ではないほど心配していた張本人。

すると、ひゅうががなぎにマイクを渡した。肩を軽く叩いて、微笑む。るきは驚いた。笑っている。そして気づいた。なので自分も、持っていたマイクをれいとに渡して、ひゅうがの後を追って、ステージの後方へ下がった。




ステージは、メリふたりになった。



「はぁ、、、」

「れ、れいと君、、、」

「悪い、フツーに、、、話すと長いんだけど、、、」

「血が、、、」

「俺の血じゃないから、大丈夫。」

なぎは実に2日ぶりに声が出た。上手く話せない。涙や鼻水で顔がぐしゃぐしゃだった。

「お、俺、、、」

「ん?」

聞きたいことがたくさんあった。

、、、もう、過去のことだ。

「あんたこそ大丈夫か?声って何の話だ」

「えと、、、話すと、長く、、、なるんだけど、、、」

「そっか、、、」



ふ、となぎが笑った。

れいともつられて笑った。


年末ライブがどれほど重要かわかっている。なのにふたりともこの状態だ。万全じゃない。

それでも。


ふたりは並んで、歌い出した。


なぎは声が出るようになったばかりで、れいとも完全なコンディションとは言い難い。

それでも精一杯に歌った。





ーーーーーーー



「せつな、起きてますか?」

関係者席。

あの白鳥せつなが現れたのだ。

その場の社員やスタッフは騒然とした。

しかも血まみれで。


「なんとかね、、、」

椅子に座ると全身の痛みが強くなった。

特に後頭部はひどい痛みだった。肋骨が臓器を傷つけていないことを願った。満身創痍だ。それでも、ここに来た。


なぎとれいとのステージに耳を傾ける。

目を閉じる。

自分が作った曲ではなく、なぎとれいとが作った曲だ。

なぎにもっといろいろ教えてやればよかった。まだまだ荒削りだ。


そのうち睡魔が襲ってきた。疲れた。ここまで来るのに。だいぶ遠回りをした気がする。

せつなはいつの間にか意識を手放した。


「え、動かなくなったんけど」

体の弛緩したせつなを見て、アリスが心配そうに熊谷に尋ねる。

「眠ったのでしょう。、、、病院に連れて行きます」

もう十分だ。

熊谷はせつなの顔を見た。

眠っている表情は、年相応に見えた。


メリは歌いきった。

仲間たちに支えられて。

そして、ライブは少し時間をオーバーして、無事に終了した。







ーーーーーーー




年始。1月1日。ライブから数日経った。なぎは家族と初詣に来ていた。


「お兄ちゃんが喋れないままだったら、お兄ちゃんが治りますようにって神様にお願いするつもりだったの。」

「あはは。ありがとう。それじゃあ、もう自分のことお願いできるね。」

神社の境内には列ができていて、なぎはみあと並んでいた。かれんは並ばずに、両親と買い物をしている。

「お、、、願いは、、、やっぱり、お兄ちゃんのこと、かも。メリが解散するのやだから、、、」

「ありがとう。結果発表、、、もうすぐだけど、どんな結果でも、満足してるよ。やり切ったんだ。」

だから、自分ことを願いしていいよ、となぎは続けた。

1月にしては晴天で、しっかり着込んでいれば寒さは感じない。

なぎの笑顔は空のように清々しいものだった。

さて、年末ライブの後の顛末を話さなくてはならない。


ライブの後すぐに、メリのふたりがステージから戻ると、当然れいとは全員に詰め寄られた。どこにいたのか何をしていたのか、なぜ服が血で汚れているのか、心配かけさせやがって、後すこし焦げ臭い、、、などである。

れいとがけがをしているわけじゃない、とわかると、るきやたくとやつきはにどつかれていた。

また、なぎも、声が出るようになったことについて、まだ心配されたり、ひとまず安心したとか、とにかく大混乱だった。

れいとはここで、なぎが声が出なくなっていたことを知った。

なぎも、れいとがに何があったかを聞こうとして、そこで、せつなを病院に連れて行く、と言ったので、一同はまた混乱した。

ライブが完全に終わる頃には、悦子からせつなの件には説明があり、なぎ、れいと、それからメリのために全員が奔走したこともだいたいが説明されて、事件のすべては終わった。

なぎは終始、泣きながら全員に、ありがとう、と言い続けていた、、、。



ーーーーーーー


列がすすんで、なぎとみあの番になった。

なぎは特に今更メリの進退への願いは無かった。なので、家族と自分の友人たちについての健康とか、交通安全とか、ありきたりなことを祈った。

「みあ、何お祈りしたの?」

「、、、ひゅうが様が今年も活躍しますように。」

控えめな願い。会いたいというのなら手配もできるのに。みあは推しには接近しない主義なのだ。本当は会いたいはず。だが、迷惑になる気もない。そんなところだろう。

が、すぐにその願いが叶うことになる。

「なぎ」

「!」


意外な人物。

ひゅうがだった。

「え、、、!」

なぎもみあも驚いた。仮にもファーレンハイトのリーダーだ。フツーにいる。

名前を呼ぶわけにもいかず、とりあえず近づく。神社とか来るんだ、とも思ったが、ひょこ、とアリスが顔を出してきたのだ。

「アリスもいるぞ〜」

納得。ひゅうがはこういう所に来たがらない。アリスだ。

「ひゅうが君。アリス、えーと、あけましておめでとうございます!」

なぎは定番の挨拶をした。

「あけおめ〜、あ、、、妹?はじめまして、アリスです。なぎのお友達です」

アリスがにこりと笑う。

「みあ、ご挨拶して?」

「あ、は、はい、みあです。兄がいつもお世話になってます、、、」

みあは呆然としていた。憧れのひゅうがが目の前にいるので、仕方もない。

「わー、礼儀正しいコ!これは弟のひゅうがです。ひゅうが、ご挨拶して?」

アリスがふざけると、ひゅうがは鼻で笑って、みあの目線にあうようにしゃがんだ。

「ひゅうがです。」

「は、は、、、い」

微笑む。みあが一気に真っ赤になった。

「みあ緊張してるみたい。ひゅうが君に会えてよかったね」

「ふたりで来たのか?」

「ううん、家族もいるよ。」

「なら良かった、みあちゃん、お兄ちゃんを貸してもらる?」

アリスの発言になぎは「え?」と返した。

「ほら、俺が入院してた病院に、今、白鳥せつなが入院してるんだ。、、、恨み言のひとつやふたつ言いに言ってやろうよ。ほんとは年末年始は面会はやってないんだけど、俺はコネあるから、任せて。どうする?」

「、、、、、、」


れいととせつなとそれから櫻井との間の顛末はざっくりと聞いた。

「せつな君、俺に会いたいかな、、、」

「あいつにそんな権利ないよ。行こう?」

「アリス、先に車に戻ってろ。」

ひゅうががアリスに車のキーを渡す。

アリスの後押しもあって、なぎはせつなへの面会を決めた。

みあを家族のもとに連れて行って、家族に事情を話した。ひゅうがも付いてきて、家族に会って、話をしてくれた。突然現れたひゅうがに、当然家族は驚いていた。

駐車場へ行くと、ありきたりな乗用車で、意外なことに運転はアリスだった。

今日は安全運転を心がける、とアリスは冗談っぽく笑った。




ーーーーーーー



「櫻井と話をした?」


病院。広い個室だ。

白い壁、カーテンは水色。いかにも入院用の取手のついたプラコップ。

せつなはライブの後すぐに入院になった。肋骨は折れていた。腕はひびで済んだ。頭は4針縫って精密検査もしたが、脳などに影響はなかった。

ベッドに座るせつなに、れいとと、熊谷がいた。

質問をしたのはれいとだ。

「うん。実はね。僕。あの時の会話とか全部録音してたし、君いたしね。PPCからも君からも手を引けっていったよ。」

「、、、で?」

れいとが神妙な面持ちで続ける。


「頷いてはいたね。大怪我らしいじゃん。僕より重症らしいよ。ほんといい気味!痛い目見てしばらく、、、少しはおとなしくしようと思ったんじゃない?」

「、、、だといいな。」

せつなはからからと笑った。しかし笑うと傷が痛むようで、苦い顔をした。

「櫻井の敗因は、欲張ったことだよ。PPCを潰すか、君か。どちらかにするべきだった。焦って僕とまた手を組もうとした、、、。」

「ひとまずは、という所でしょうが、安心していいと考えましょう。」

せつなは腕を動かせないので入院のめんどくさい書類などは熊谷が代筆した。もう、ふたりは何の関係もない。だが流れでそうなった。

解決したのだ。すべてが。メリの存続の結果発表を除いて。

「僕がやるべきはあとひとつ、、、てことだね。」

せつなが窓を見る。晴天。うざったいくらいだ、とせつなは思った。曇り空の方が好きだ。

なぎにちゃんと謝れ、とれいとが言ったのだ。当然、異論はなかった。が、ここで、熊谷の口から驚くようなことが明かされる。


「なぎ君、これから来るそうですよ」

「は!?」

熊谷が微笑む。せつなが珍しく大きい声を出した。

「ひゅうがと、ひゅうがのお兄さんのアリスさんと、今からこちらに来るそうです。」

「オマエ、性格悪いぞ。心の準備ってものがあるだろうが。」

「ええ、そうですね。」

熊谷は動じない。なぎが来る。

「、、、、、、ど、どうしたらいいんだ」

「はぁ?」

本気で困ったような表情のせつなにれいとは呆れた。

「ごめんなさい、だろ」

「僕は人生で他人に謝罪をしたことがない」

「、、、じゃあ人生初ってことだな。なぎだぞ。別に緊張しなくてもいいだろ。」

「じゃあ、私たちは外しましょうか」

「!ふたりきりにする気か‼︎?れいと、居てくれ!」

「、、、喉乾いた」

「裏切りもの!」


れいとは熊谷と、せつなの病室を後にした。廊下に出る。

すると、、、。

「れいと君、熊ちゃん!」


なぎだ。

「なぎ」

「あけましておめでとう!」

「あけましておめでとうございます、なぎ君 。」

「あ、あけましておめでとうございます。」

定型な挨拶。いつもの3人だ。

「七星兄弟は?」

「カフェにいるよ。、、、せつな君は」

「話せますよ。寝たふりしていたら叩き起こしてかまいません。私たちは席を外しますから、ごゆっくりどうぞ。」

「カフェで待ってる」


「、、、うん。」


熊谷とれいとが去っていく。

病室の扉を見つめる。白鳥せつな、と、名前がある。

せつながここにいる。

考えていても仕方がない。少しばかり心がざわめく。


「入るよ、、、」


なぎが病室に入る。

せつながいた。

「、、、」


なぎは不思議に思った。ベッドの上のせつなが気まずいような表情をしているからだ。こんな顔をするひとだとは思っていなかった。せつなのことを何も知らないと思っていたが本当に自分は何も知らないのだと改めて感じた。


「せつな、、、君、ひさしぶり。けが、大丈夫?」

「、、、大丈夫だよ。よく来たね、なぎ」

「うん、、、」

せつなに近寄る。加湿器を兼ねた空気清浄機が静かに音をたてている。

「、、、、、、」

「、、、、、、」

話すことがない。困った。

なぎは、何をどう切り出すか考えた。謝罪などはいらない。れいとが無事に帰ってきたので、後のことはもうよかった。

「、、、、スペインに」

「へ?」

「スペインの田舎にさ、海沿いで、、、ニワトリとか道にいて、田舎なんだ。そこに、行くんだ。退院したら行く。一日中砂の上でぼーっとしてる。」

「あ、、、そうなんだ、、、海外に、、、」

「れいとがさ、、、僕に、言ってくれた。一緒に歌おうって。、、、あいつ、ああいう奴なの?最初から」

「へ?れいと君?」

「まぁいいや。、、、なぎ」

「え」

「ごめんね。いろいろと。もう消えるから。、、、がんばってね。」

「、、、、、、」

せつなとこの日初めて目があった。自分の感情がわからない。まだ整理がついていないからだろうと考えた。せつなと別れてから、再会するまで、1度も連絡を取らなかったのだ。なんとなく、その必要もなかったから。自分のことに忙しかったからだ。自分はその程度の人間だ。謝罪されるようなこともないし、せつなを断罪する権利もない。

「うん。、、、帰国する時とかあったら、、、良かったら、また会おう」

「、、、気が向いたらね。」

「じゃ、、、また」

「元気でね、なぎ」

社交辞令だった。

なぎは手を振って退出した。

特段すっきりしたとか、そういうこともない、普通の面会だった。

なぎはもう一度ドアを見て、皆の待つカフェへ向かった。


しかし、立ち止まる。

まだ、自分がどんな気持ちかわからない。

怒っている?悲しい?辛い?

、、、そういえば先ほど、せつなは言っていた。れいとがいっしょに歌おうと言った、と。

ふたりはそんな約束をしたのか。それが、せつなが、以前と変わった理由なのか。れいとが、せつなを変えたのか。


自分の相棒が誇らしい判明、せつなに嫉妬した。羨ましい。


「なぎ」

「!」


「れいと君、、、!」


れいとは、カフェに行かずに、まっていたのだ。

「どうだった?」

「、、、うーん、、、」

「そんなもんだろ。」

「うん、、、」

「言っておくけどさ」

れいとが切り出す。

「相棒はあんたひとりだよ」

「えっ!」


なぎは驚いた。まるで心を読まれたかのような発言。

「な、なんで、どうして」

あたふたとするなぎに、れいとは笑った。言わなくても、顔に書いてある。なぎのことは何でもわかる、と。


「でも、白鳥とも歌うって言ったのは本当だし、実現したい。、、、今すぐとかじゃないけど、俺の生涯を、かけて。」


羨ましい。せつなは、れいとから、とてつもない大きなものをもらったのだ。

「あんたに教わったんだぞ」

「へっ」

「あんたが、白鳥を救った、、、」

間接的に、だ。

せつなのことを考える。早く病室を出たのは、もう一つ理由があった。ベッドの上のせつなが今にも消えてしまいそうなほど、儚く、脆い存在に見えたからだ。あんなせつなは、知らない。途端にどう接したらいいかわからなくなった。


「俺は、、、」


もし、風の無い、凪いだ海のように、いつでも穏やかにいられたらと思う。けれど日々の出来事が風のように、感情にたやすく波を立てる。

せつなのことを、どうしたらいいのか。せめて、なぁなぁにしてはいけない、となぎは思った。

せつなのに恨みはない。では、どんな感情なのだろうか。




なぎはもう一度、病室のドアを開けた。今度はひとりじゃない。れいとと一緒に。


「せつな君!」

戻ってきたなぎに、せつなは驚く。


「俺に、音楽を教えてくれてありかとう!」





ーーーーーーー




1月4日がライブの人気投票の結果発表だ。

時間は例年10時ぴったりに発表になる。


「おはよーございまーす!」

午前8時、ようやく会社員が出社するような時間帯、ここPPC、、、Pプロダクションクリエイツは人もまばらな時間帯だ。フレックス制にリモートワーク、この時間、挨拶を返すのはシルバーワークの派遣で早く来ている清掃係だけ。広く大きい吹き抜けのロビーは静寂に肌寒いほどだが、そこを2人の少年が駆け足で通り過ぎる。


なぎとれいとだ。

メリのふたり。


「なぎちゃん、れいと君も、おはよう」

「なぎちゃんはいつも元気に挨拶してくれるね」


初老のふたりがなぎにあいさつを返した。なぎは急いでいて駆け足だが、にこやかに手を振ってお疲れ様です!と返した。そしてエレベーターに乗り込む。清掃員たちはなぎを見送る。それはまるで孫を見るかのような温もりのある眼差しだった。実際、その場があたたまったような気さえした。


「結果発表、、、10時だよね。呼び出されたってことは、良いこと、悪いこと?」

この日はPPCの仕事始めだ。さっそく代表取締役の波々伯部悦子に呼び出されたのだ。代表取締役のオフィスへ向かう。ドアの前で熊谷が待っていた。

「熊ちゃん!おはよう」

「おはようございます、ふたりとも。心の準備はよろしいでしょうか。年末ライブの結果発表があります。」

「、、、、、、」


3人でオフィスへ入った。

悦子がいる。

「あけましておめでとうございます」

なぎが挨拶をした。悦子も返事をする。着席を促される。

「早速ですが、年末ライブの結果について、私から話します」

熊谷にはもう結果を伝えてあります。と悦子は続けた。

なぎは驚いて熊谷を見た。先ほどの挨拶の時、熊谷があまりにもいつも通りだったからだ。それが、何を意味するのか。

「まず、フォトブックは非常に売上が良く、重版もかかりましたので、この点は評価します。」

フォトブック。道明寺が予約段階でランキング1位だと教えてくれた。これもメリの存続の重要なポイントだった。良い評価をもらえた。しかしまだ、わからない。


「ふたりとももう体調は大丈夫なの?」

「あ、はい」

「大丈夫、、、です」

悦子の質問が遠く聞こえる。

メリは、自分たちはどうなるのか。

「人気投票の結果発表をします。1位ファーレンハイト。2位ツインテイル。」

たんたんと、事実が発表される。


3位以内。3位以内に入れなければ、メリは解散する。






「3位。メリ」




「、、、、、、」

「えっ」


「以上です。ライブの人気投票は3位までの集計なので、、、。おめでとう。メリは結果を出しました。」


「、、、、、!」

「や、、、ったーーーーーー!!」

「、、、ほ、本当か?」


なぎが横のれいとに抱きつく。首が閉まって苦しいが、それどころではない。


やった。

やりきったのだ。

メリは存続する。また、これからも、ふたりで歌える。


「れいと君れいと君!熊ちゃん!俺、、、やった!」

「あぁ、、、」

「おめでとうございます、ふたりとも。さっそく今年の活動について打ち合わせしましょうか」


はしゃくなぎに、珍しくれいとも笑顔だった。悦子と熊谷はそんなふたりを見守っていた。

10時ぴったりに、PPCのHPで結果が発表された。

なぎやれいとには、友人や仲間たちから次々と祝辞が届いた。



こうして、なぎたちの大冒険は幕を閉じた。


船は戻り、波は穏やかだ。

それでも、なぎたちの日常は、変わらなかった。メリ。

今年も、これからも、ふたりで歌う。





ーーーーーーー



はぁっ、はぁっ、、、」

見覚えのある河川敷だ。ふたりの少年が走っている。朝6時半。まだ少し空は薄暗くて、月が見えるほどで、それでいて太陽が存在感を表す頃合いで、徐々に街が照らされてゆく。



「はぁ、、、!」


橋の袂でふたりが止まる。片方はだいぶ息が上がっていてバテている様子で、腕を自分のひざについた。

だがすぐに持ち直して、もうひとりに追いつく。


「俺もだいぶ体力ついたよね、、、!」

「そうだな、、、」


ふたりは並んで走る。

「そういえばさ、俺この河川敷でれいと君が中学生って知って、最初すごくびっくりしたんだ」

「そんなこともあったな」

「なんかさーもっとさ、俺が驚くようなことある?」

「ないよ。、、、あんたに秘密とかないんだ。」

「俺もなーい」



ふたりは走りぬける。

太陽光の反射する水面。せせらぎ。いつもの、日常。


メリの存続を達成するという目標を果たしたが、なぎもれいとも相変わらずだった。るきの家へ行く。ジョンの散歩をする。なぎはななみやぎんたと会って、ひゅうがやアリスとも過ごした。れいとはたくとに師事を続け、クリエイティブイベントを通して仲良くなったほまれやふれいとたまに会う。あやがつきはとコラボしていた動画を見たり、本社でいおりとたかひろの言い争いに遭遇する時もあった。とうやは挨拶をしてくれる程度にはなってくれた。すずがエリックの新刊を見せてくれた。とうまの出演するアニメや、りおが宣伝するゲームをチェックするようになったし、ゆうひが言っていた難しい本を図書館で借りた。たまに、バイクで走り去って行くあつしととらちよに遭遇する。つきはとゆうやの関係は秘密にしている。



ふたりは走り抜ける。

ほかにも、この他愛も無い話をした。これからの、未来の話をした。






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メリ ぽーよら @pohjola

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