第六章 サンライズ

第六章 サンライズ


 イベント会場は異様な雰囲気だった。

 というか、物理的に、燃えていた。


「なにこれ……」

「なぎ君、帰りましょうか」


 イベント会場は十階建ての商業ビルの一室だが、ビルの外に人がたくさんいて、それぞれがそれぞれの主張を書いたプラカードなどを掲げていた。人々の容姿はどうにも派手で、ヘアカラーが緑だったり、そもそもにして何故か半裸だった……。奇抜な容姿で気を引いて、主張を訴えているのだろうか。

 そんな中、アザラシ保護を訴えるボランティアと、犬ぞり反対派の団体が衝突したらしい。片方が植え込みに火炎瓶を投げ込み、炎上、結果的に消防が出動し、イベントは中止になったとのことだ。

 警察や消防がちらほらいて、現場はいまだに混乱している様子だ。

 ビルの前は普通にサラリーマンや学生風の若者なども通る。喧騒に目をやるものの、素通り。都会ではよくある程度の混乱のようだった。


「サンライズの皆は、だ……大丈夫なのかな」

「もうビルへ入れません。安全のためにも、今日は諦めて帰りませんか?」 

 熊谷がなぎの安全を優先しているのは明らかだった。というか、熊谷は最初からあまり今回のコラボに乗り気では無い様子だ。サンライズのこういった点を危惧していたのだ。なぎもこの混乱には驚くばかりだが、サンライズのメンバーが気になった。巻き込まれてはいないだろうか。こういう騒動に対してどんなアプローチでいるようなひとたちなのか……。気になることがたくさんある。

 夜二十時の街は賑わっていて、商業ビルや飲食店はネオンや看板が輝く魅力的な時間だ。冬の足音が聞こえるように、ビル風が冷たい。普段ならなぎはもう帰宅している時間で、妹や家族が気になる。マンションから漏れる暖色の灯りを見ると、帰りたくなる。夕飯はなんだろう。しかし、やることがある。どうにか、サンライズに会いたい。

 すると、ふたりに、戦争反対! のプラカードを持った青年が近づいてきた。環境保護のイベントではないのか? となぎは思ったが、その青年がなぎと熊谷に助け舟を出したのだ。

「あんた、凪屋なぎか?」

「え」

 正直に言うとその青年の見た目がかなりファンキーだったので警戒した熊谷がなぎを庇って前へ出た。

「裏口から控室に行きな」

 彼はそう言うと消えた。控室とは、サンライズの控室のことだろうか。

「く、熊ちゃん……」

「なぎ君がついて行くというのなら、私も行きます」

 なぎはこくりとうなづいた。

 ふたりはビルの裏口に回った。人はいなかった。トラックなどの搬入のための入り口があって、熊谷がそこへ向かった。なぎは熊谷の後をついて行く。熊谷は従業員用の通路から、中へ入った。壁に控室を誰が使用しているかが書いてあるのを見つける。

「あ! サンライズだ!」

「ここですね。中は静かですね。危険がないなら良いのですが……」

 ふたりは非常階段から、控室のある階へ向かった。かん、かん、と無機質な足音に緊張がうかがえた。五階まで来て、廊下へ入った。控室の扉にしっかりと、サンライズ様控室とあるのを見て、なぎは扉をノックして、それからドアを開けた。

「しつれいしまーす……」

 なぎと、それからなぎの頭ごしに室内を見た熊谷は、しばし反応に困ることになった。



 室内が、オレンジ色だ。


 と、いうのは、壁紙の色だとか、ソファの色だとかではなく、スプレーやペンキのようなものがぶち撒けられている、という意味のオレンジ色だ。鮮やかな、気持ちが晴れるような彩度の高いマンダリンに、濃厚で新鮮なペンキ臭。寒いと思ったら、窓が空いている。

 次に床を見ると、人が座った状態で、拘束されている。猿轡も。サンライズのメンバーではない。オレンジ色にまみれていて、黒いTシャツにはNO WARと書いてある。戦争反対。


「あー! なぎ! 熊谷! どうやってここに!」


 とらちよがふたりに気づいて、声を上げた。

 すると、室内にいた他の、サンライズのメンバーもふたりに気づく。とらちよが拘束されている男たちの上を、ぴょん、と飛んで、ドアを開けたまま固まるふたりへ近づいた。なぎは驚いた。なんて足が長いんだろう。座っているとはいえ、成人男性の頭を軽く飛び越えた。


「驚いた? こいつら、敵だよ! 侵入してきたの! でも弱い尖兵! バカだから捕まってるの……もし、ヴァハグンの工作員だったら、俺たちもただじゃ済まなかったかもね……」


 とらちよがいつもどおり、よくわからない世界観を一生懸命に説明してくれた。しかし、身体はだらりとしていて、アンバランスだ。わけのわからない単語を除けば、だいたい状況は察することができた。おそらく、サンライズと話のあわない活動家に襲撃されたのだ。以前もこのようなことはあり、それはニュースになっていた。なぎ、熊谷は、改めて室内をよく観察した。蛍光灯が割れて落ちていて、室内は半分暗い。テーブルは壊れていて、ペンキが入っていたボトルが散乱し、他にもいろいろ散らばっている。


「よかったね。あっくんが倒してくれた後で」


 にこり、とらちよが首を傾けた。視線の先に、長身の男性。

 しかし、暗くて、半身も見えない。

 すると、カチ、とジッポの音がした。それから、窓を開ける音。タバコに火がつく。ふぅ、と吸って、煙を窓の外の夜の帷へ逃す。

 くゆる炎に、ようやくそのかんばせがうかがえた。確かな美貌。絵になる光景だった。そう、サンライズのリーダーの、不破あつしだ。(ちなみに、館内は禁煙だ)

 ゆっくりと、落ち着いた、美声。なぎはあつしの声が好きで、サンライズのCDを買っている。歌声ではなく、話し声も、そこらの有象無象とはあまりにも違う。


「なぎに、熊谷。何しに来た?」


「え、えと、お疲れ様です。松岡先輩。不破先輩。サンライズの皆さんも……なんだか、外も騒がしくていろいろあったみたいで……チケット、貰ったんですけど……」

「ああ……? あー……それでか。とら、お前だろ」

 あつしは眉をひそめてとらちよを見た。他のメンバーもとらちよを見る。

 とらちよは、せいかーい、と言った。なぎは光のなんちゃらで〜と話しを続けるのを、全員はいはい、と受け流していた。

「悪いね、荒れてて」

「い、いえ! えと……」

「不破君、お久しぶりです。私の方から説明させていただいても?なぎは混乱しているようなので」

 あつしと何とかコンタクトを取ろうとしたなぎを、熊谷がそっと止めた。両方の肩を後ろからそれぞれ手で包む。あつしは、それを見て相変わらずだな、と笑った。とらちよと、残りのふたりのメンバーもそれぞれ、そのあたりにちらばっていた椅子を直して座ったり、壁にもたれたりして、熊谷に聞き入る。


「この度クリエイティブイベントでメリがサンライズとコラボすることになりました。打ち合わせと顔合わせ双方を兼ねた話し合いの場を持ちたいので、まず挨拶に伺った次第です」

「は、はい、あの、よろしくお願いします!」

 なぎが深々と頭を下げた。

「あぁ……そういえば、そんなのあったな。そっか、よろしく、なぎ」

「はいっ……」

 あつしがなぎを見つめた。あつしはひととしっかり目をあわせて話す男だ。

 なぎはどきまぎとしていた。

 暗がりでも充分にわかる。

 おそらくPレーベルでも一、二を争う美貌が、優しく微笑む。蓮っ葉な口調だが、声色は穏やかで、人格を窺わせた。この場がペンキまみれで、拘束された謎の人物たちがいなければ、今のシーンはファンが有料でも観たがるような特典映像だ。

 かっこいー……と、なぎは思わず見惚れていた。大人で、容姿、存在感、歌声やその強いスタンス……。なぎは自分を優柔不断で、ぼんやりとした性格だと評価をしていた。それに比べるとあつしは、何もかも理想だ。なぎのなかの、こんな風になりたい、の延長線上にいる男。


 あつしはタバコの日を消して、まずとらちよに近づいた。

「まず、こいつが、松岡とらちよ。知ってるな? あっちのが、竹見ゆうひ。そっちが五十嵐ふれい、皆、メリのなぎだ。いい子だから」

 あつしがざっとメンバーを紹介する。サンライズは四人組のバンドだ。あつしがボーカル、とらちよがベース。ゆうひがドラムスで、ふれいがギター。

「よろしく。悪いな、こんな状況で」

 ゆうひがやや遠くから手を振った。

「はい! よろしくお願いします! 竹見先輩! えと……い、五十嵐……」

「あぁ。兄貴たち、知ってる感じ? そういやメリはファーレンハイトと仲いいんだっけ。そ、五十嵐三兄弟の一番下が俺ね。よろしく〜」

 ふれいもまた、やや遠くからなぎに声をかけた。五十嵐。本人の説明通りだ。兄は、ファーレンハイトのマネージャーの五十嵐たまきと、ファーレンハイトのメンバーの五十嵐つきは。これは、有名な事実で、なぎも知ってはいたことだ。

 あつしは気さくだし、他のメンバーも反応は悪くない。サンライズはコラボに乗り気なのかもしれない。なぎは来てよかったと思った。熊谷は、なぎの今後を案じて複雑な心境だった。


「けど悪い、俺たち別のイベント控えてて、忙しいんだよ。だから、コラボできないな。それと……」

「えっ……」



「それと、伝えたいことのないヤツらとは、俺たちはコラボしない」



 あつしがそう言い放つ。

 それと同時に、熊谷となぎのいるあたりまで、ゆっくりと歩いてきた。明るい場所。あつしの顔がよく伺えるが、表示は穏やかだ。

「えっ…と……」

 なぎは、いまいち言葉の意味を理解できていない。

 んー、んー、と、拘束され、猿轡をされている男たちが暴れる。それをとらちよがしたたかに蹴った。なぎはびくりとした。思考が止まる。


「なぎ、つまりな、俺たちは、ひとりひとりがちゃんとメッセージを持ってる。それを伝える手段として音楽活動をしてる。……ファーレンハイトみたいに、テーマ性や主張を放棄してエンタメに振ったパフォーマンスじゃねえってこと。これは、魂の問いかけの問題なんだよ」

 あつしが少しかがんで、なぎに視線を合わせて説明した。ファーレンハイトの名前を口にするが、しかし多分きっと、快いような心境ではなかったはず。なぎは一生懸命に、あつしの話を考えた。

「だから、今日は帰って、熊谷と、もうひとりのあいつ……なんだっけ、新人のやつとよく考えな。俺たちとのコラボがどういう風に行くか……」

 あつしがちらりと、拘束されている男たちを見る。

「それでも俺たちとコラボしたいってなら、また来な」

 最後にあつしはぽん、となぎの頭の上に手を置いた。なぎは、はい、と返事をして、その場を後にすることになった。しかし、あつしの問いかけに明確な返事をできなかった。


 伝えたいこととは。


 なぎは熊谷に促されるままに退出した。未だに騒つくビルを後にした。家に帰るまで、いや、帰宅しても、あつしの問いかけの意味がよくわからなかった。




——————





 翌日。


 なぎはサンライズとの一件をれいとに相談すべく連絡をした。しかし、返事がない。連絡をしたのは帰りのHR。それから放課後になった。三十分はあったが、既読にもならない。メリのライブももうすぐだ。なぎはれいとのことが心配になった。れいとの学校へ向かうことにした。


「勝手に来ちゃった……」


 れいとの中学校。なぎの高校から、歩いてもすぐだった。初めて来た建物なのに、中学校というだけで懐かしさを感じた。

 野球部がなんとか杯に出場したとかいう垂れ幕。渡り廊下。少し大きめの制服の、まだまだ垢抜けていない生徒たち。

 なぎはぼんやりとあたりを見回してゆっくり歩いた。

 その間も既読がつかない。

 大丈夫かな? と思ったが、学校に入り、事務からゲスト用のバッジをもらい、れいとの教室へ向かった。もう放課後で、ホームルームを終えた生徒が、制服の違うなぎを珍しそうに眺める。そこで、なぎはあることに気づいた。校舎の至る所に、段ボールや、何か作りかけのもの。

「あ、文化祭か……」

 そう、れいとの中学校では、もうすぐ文化祭で、その準備が進められているのだ。もしかしたられいとはそれで忙しいのかも、となぎは考えた。そして一年二組。教室を覗き込む。

「れいと君いるかな……」

 教室は、後ろの方に机が追いやられていて、生徒たちがざわざわと中心に集まっていた。

生徒たちを観察する。中学生らしい身長の大勢の中、頭ひとつは飛び抜けて、どう見ても存在がある、素人じゃない容姿の学生。


「れいと君!」

「!」


 なぎはれいとを見つけ声をかけた。探すまでもなかった。あまりにも目立つ。手を振った。

 その場にいた全員が振り向いた。当然、凪屋なぎだ! と歓声が上がる。

「なぎ、どうして……あ、あー……」

 れいとはすぐに、制服のポケットからスマホを出す。

「悪い。気づかなかった」

「いえいえ……急に来てごめん。何かあったのかと思って……」

 教室に入る。男子も女子も、物珍しそうになぎを見ている。

 写真を勝手に撮ろうとした生徒をれいとか制した。なぎは気にしないつもりだったが、れいとはなぎとは対応が違うようだった。いや、なぎだからかもしれない。

 れいとと数名は、教室の真ん中で、紙を広げて何かをしていたようだ。れいとは作業の中断を申し出て立ち上がる。なぎの方へ行った。それから、なぎの手をひいて教室の中へ。横に並ばせて、肩をぐっと寄せた。

「えーと、メリのなぎ。俺の……相棒。知ってると思うけど。みんなより年上だから敬語な」

 クラスの人間になぎを紹介する。

 なぎは驚いた。こんなにちゃんと紹介をしてもらえると思わなかった。

 なぎはぺこりと頭を下げた。女子が、写真を撮りたいというので、応じたら、何故かその場にいたみんなで撮ることになった。

 その後でれいとは、作業を別のクラスメイトに任せて、なぎとベランダに出た。

 各々の活動を再開する生徒たちをバックにふたりは話すことにした。

 中学生の文化祭。なぎにはこれもまた懐かしい光景だ。


「邪魔しちゃったみたいで、ごめんなさい。何してたの?」

「こっちこそ、連絡つかなくて、ごめん。ウチのクラス、簡易的なプラネタリウムやるんだ。ほら、梅北先輩とさ、小説書いたの覚えてる?」

「うん。今メリの公式サイトに載ってるよね」

「あれを……元にした、みたいな? 俺は……なんか、恥ずかしいから嫌だったんだけど……クラスに、星に詳しい奴いて、どうしてもって言われて」

「えぇ、すごいね……!」

 なぎは少しかがんで、れいとを覗きこんだ。

「だめだぞ」

「まだ何も言ってない!」

「来たいとか言うと思って。今年は外部も来れる年だから。るき君と行っていい〜〜? とか、言うと思った」

「う……なんでわかるの」

「……もうちょっと準備進んだら、考えるから。チケットひとり五枚だから……」

「うん……」

 普段冷静で、あまり感情を出さないれいとだが、確かに目立つ容姿と存在感だが、同級生に囲まれていると年相応に見えた。これは、なぎにとって新鮮な発見だった。

「で、用事は? わざわざ来たくらいだし、何かあって来たんだろう?」

「あ、そうだ。クリエイティブイベントの件だよ。サンライズとのコラボ……」

「昨日……俺が休みの間に何かあったのか?」

 風が吹き抜けると、なぎは少し身震いをした。九月も下旬だ。もう寒い時がある。

「実は……」

 なぎは、順を追って、れいとに、昨夜のことを説明した。


——————


「伝えたいこと……?」

「うーん……。けど、そう言ってた。ほら、サンライズって、なんかメンバー全員それぞれ主張がかって、それを音楽で伝えてるらしいから……。それで、どうしたらいいかなって」

「主張……」

 れいとも渋い表情だった。主張。伝えたいこと。ピンと来ない。

 なぎも一晩考えたことだ。

 ちなみに熊谷に相談したが、話がうまくまとまらなかった。熊谷のせいではなく、なぎのせいだった。

「なぎは作曲の時何考えてるんだ。それとは違うのか」

「え……作曲の時は……うーん、それとは違うような……」

「あ、……」

「ん?」

「あれだ。あんたはいなかったけど、ミーハニアとのコラボ……南原先輩とのコラボの時の話と近いかも。来て」

 そう言うと、れいとはなぎを連れて教室を後にした。所せましと生徒の作品の並ぶ廊下を抜けて、階段を降りる。

 美術室へ向かう。廊下には美術部員の絵が飾ってあった。美術室前の廊下は窓が他の廊下と違っていて狭く、光が絞られて、薄暗い。静かで、しん、としている。なぎにはここが、れいとの雰囲気に合った場所のように感じられた。


「この桜の絵……説明にいいかも。南原先輩が言ってたんだ。モチーフとテーマの違い、だ」

「モチーフとテーマ……?」

「この絵のテーマは?」

「え、さ、桜?」

「この絵のモチーフは?」

「桜……?」

「つまり、そこだよ。違うんだ」


 れいとはなぎの横に並んで、同じように桜の絵を見た。

 れいとが説明する。つまりこの絵のモチーフはずばり、桜で正解だ。テーマは違う。モチーフを使って表現するのがテーマだ。この絵のテーマは桜というモチーフを使って、学校に通う若者たちの輝きや薄暗い感情、それらすべてを内包した青春の機微や情緒を表現している。

 この、テーマとモチーフの違いは、意外と知られていないし、プロでさえ混合している時がある……と、れいとに講釈したのが、前述の、ミーハニアのほまれあしい。彼は絵画や美術品のプロフェッショナルだ。

「なる……ほど……。俺たちの歌は……」

「モチーフであり、手段。何を伝えたいかは別だってことだな」

「俺は……ひとつはわかる」

「……?」

 れいとを見つめていたなぎが桜の絵に向き直る。

「れいと君と歌いたくて、作曲してる」

「! なぎ……」

 四月を思い出す。出会った季節。もう、葉桜だった。

「来年は、ふたりでお花見しようか」

 にこり、となぎが振り返る。

 来年。来年もふたりでいるためには、クリアしなければならない課題がある。

 吹けば飛ぶような可能性、チャンス。それは、サンライズとのコラボを、無碍にしては掴めないものかもしれない。

「……逆に、教えてもらうのはどうだろうか」

 へ、と、なぎは少し間の抜けた返事をした。

「サンライズにこう言うんだ。伝えたいことをこれから考えるから、サンライズから学びたいって。だから、コラボさせて下さいって」

「な、なるほど!」

 れいとの提案はなかなか良い線を行っていた。なんだかんだで面倒見のいいあつしなら、この提案を一瞥はしないとも考えられる。

「今度は、俺もいっしょに行って頼む。どうだ?」

「うん! うん! いいと思う! そうしよう!」

 れいとの提案を持って、なぎは熊谷に頼んであつしにアポを取ってもらった。翌日返事がきた。話を聞く、とのことだった。ふたりは放課後、あつしと話し合うことになった……。



——————


「く、熊ちゃん、どこ向かってるの?」

 次の日、放課後。なぎとれいとを乗せた車は、熊谷の運転で、どんどん街を離れていった。郊外を抜けて、ついには森に入る。県道の一本道はたまに車がすれ違う程度だ。

「あ、サルいた」

「うそ! どこ⁉︎」

「動物、いるんですね。もう少しかかりますよ」

 熊谷はどこに向かっているかをふたりに説明した。それは、あつしの指定の場所……というわけではなく、あつしは今日はオフだったらしい。作曲や事務仕事をしようとした所、とらちよが朝から家に来た。というか、とらちよが、寝ているあつしの上に乗った。それであつしは目が覚めた。とらちよは、仲間からの通信を傍受するために山奥に行きたい、と言うので、あつしとふたり、バイクで山奥のダムのダムセンターに来ている……とのことだった。熊谷、なぎ、れいとが向かうのもそこだ。


「だむ……」

「そんなのあったんだな」

 道中、細い一車線の道になったと思えば、ぽつりぽつりと集落を過ぎたり、古めかしい神社や道祖神を見つけたり、廃校になったレトロな木造の学校を見つけたりと、同じ町内のはずなのに、生活にほぼ無縁の場所はまるでちょっとした旅行のようで、ふたりは車窓に釘付けだった。やがて、大きな橋を渡る。谷をまたぐ長く大きな橋。眺めは絶景だった。街を一望する。落ちたら苦しむこともないような高さで、そこを過ぎると、ダムが見えた。公園が併設されていて、ダムセンターではダムの仕組みを解説したジオラマやパネルが展示されていたり、地域の昔話や、川に住む希少な魚を飼育していたりと、ちょっとした見学にはもってこいの場所だ。

「こんなところがあるなんて……」

「初めて来た」

 ダムの駐車場に入る。熊谷が若い頃にこのダムはできた。なぎはおろか、れいとも生まれていないような頃だ。

「見える範囲にバイクは停まっていませんね。少し探しましょう」

 三人で車を降りる。ダムの真上は芝生で整地され、公園のようになっている。

「うわぁ……絶景!」

 そこからは、街とは少し離れた地域が一望できた。雄大な自然。広大な空。

 それでいて、整備された空間。なぎはここが気に入った。

 端まで行って、戻る。ふたりはいない。バイクもない。

「ダムセンターかな? ……というか、何しにきたんだろ……松岡先輩は」

 とらちよの目的など、凡人には理解不能だ。奇抜な言動。しかしそれをもってしても、ベースの才能はズバ抜けている。ボーカルをすることもある。高く抜けるような声。ツインボーカルの時はあつしの声とそれは良く合っていて、サンライズの魅力のひとつだ。

 三人でダムセンターに入る。熊谷はあつしに電話をするためにロビーに残る。あつしととらちよを探す……はずだが、なぎとれいとは普通に、ダムセンターを見学した。観光のようで、楽しい。ジオラマを見て、パネルを読んで、地域にゆかりの武将もいる。それから、昔話とダムの成り立ちを組み合わせた短いアニメ。

「れいと君見て、大蛇伝説だって……ほんとかな」

「さぁ……いっ……」

「え?」

 アニメの画面を見ていたなぎがれいとを振り向くと、れいとは後頭部をさすっていた。床に、紙飛行機が落ちている。ふたりに声がかかる。


「ほんとだよ! だからここに来たんだもん」

「松岡先輩!」



 件の人物そのいちがいた。

 なぎとれいとは立ち上がる。

「探しました!」

「なぎに……えーと?」

「白樺れいとです。よろしくお願いします」

「ほっほっほっ。そなたれいとと申すか。くるしゅーないぞ〜」

 しっかりと挨拶をしたれいと。いつも、後輩だとか新入りだとか呼ばれる。今回はちゃんと名前を呼んでもらえた。

「あの、話があって……こないだの続きなんです。不破先輩は……」

「ロビーで熊谷と話してた。難しい話〜」

「わ、わかりました。れいと君、行こう」

 なぎが合流を促す。しかし、とらちよが動かない。大蛇伝説のアニメが終わるまで動かないようで、それが終わってから、れいとと三人で、なぎが仕方なくとらちよの手をひいて、ロビーまで戻った。



 ロビーに戻ると、入り口に熊谷とあつしがいた。

「おー、悪い悪い」

「不破先輩、お疲れ様です。あの……」

「聞いたよ」

 熊谷より、あつしが一歩なぎに近づく。

「マネージャーさんの方は俺らとのコラボに反対みたいだけど、どうする」

「え……」

 なぎは熊谷を見た。車中、昨日ふたりで話し合ったことは伝えた。熊谷は肯定してくれた。

「……なぎ君が心配なんです。サンライズ自体を危険視しているのではなく、問題に巻き込まれることを」

「それは……」

 熊谷は実際に、先日の、サンライズが襲撃を受けたと言う惨状を目の当たりしている。サンライズのメンバーに怪我はなかったがそれは、サンライズのメンバーだからだ。もし、メリが、なぎが巻き込まれた時にどうなるか。熊谷の危惧は最もだった。

 しかし、れいとは少し、妙な点に気づいた。熊谷とあつしはしばらく話していたようだが、それが本題だったのだろうか。なんとなく、話を逸らしたかのような雰囲気を察する。何か、変だ。

 その時だった。なぎのスマホが鳴った。

「あ……」

「出ていいよ」

「あ、はい、すみません……。もしもし……」

 あつしは、タバコに火をつける。もちろん、ここも禁煙だ。あつしはそんなことは気にしない。



「えっ!」



 なぎの声色が、変わる。その場の全員に緊張感が走る。


「わ、わかった。できるだけ、急ぐ!」

 なぎの様子は明らかにおかしい。慌てている。それから、不安そうで、焦っている。

 れいとはなぎのそばに近寄った。熊谷も同じようにする。

「あの、ごめんなさい。大事な話の途中なのに……今の電話、病院からで……」

 なぎはスマホを見たり、熊谷を見たりした。再度、様子がおかしい。

「なぎ君、大丈夫ですか? 何が……」

「えと、妹が、かれんが、下校途中で自転車に轢かれて、たいした怪我じゃないんだけど、病院で、それで、俺に懐いてるから、俺の電話言って、俺に会いたいって泣いってるって」

「!」


 話を受けて、まず反応したのはあつしだった。

「そりゃまずいな。じゃあ今日の所は解散だ。行ってやりな」

「す、すみません!」

「なぎの妹ってなぎに似てる?」

「今度見舞いに行けよ。ほら早く行きな」

 あつしは空気を読まないとらちよを制して、なぎを気遣う。なぎは顔面蒼白で、明らかに動揺している。熊谷はなぎを落ち着かせようと、かがんで、なぎに視線を合わせた。それから肩に手を置いてゆっくりと話す。

「なぎ君、行きましょう。ご家族へは?」

「なんかそれが、泣いてて話にならないみたいで、俺から電話する! えと、ほんとにごめんなさい。不破先輩、松岡先輩、話……」

 あつしもとらちよも何も言わなかった。なぎに手を振った。行け、という意味だ。なぎは頭を下げて、車へ走り出した。

 こうして、サンライズとの話し合いの破談は二度目となった。熊谷、なぎ、れいとは、事故現場からそう遠くない病院へ向かうことになった。救急車で搬送されたが、意識もあって、怪我も大したことはない。頭を打ったかもしれないので、検査をしている、とのことだ。

 なぎは車の中で両親に電話をしたが、留守電だ。ふたりとも共働きだ。

「なぎ、落ち着け。職場に電話して、事情を話すんだ」

「あっ! そうだ! わかった……っ」

「貸して」

 なぎは両親の職場の電話番号を控えていなかったが、調べると出てくる。しかし、指先が冷たくてよく動かない。れいとはそれを見てなぎのスマホを受け取り、代わりに操作しようとした。

「れいとく……あ……」

 それから、スマホを持っていない方の手で、なぎの手を、つつみこむように、ぎゅっと握った。

 なぎの手は、指先までひどく冷たくなっていて、れいとの方が驚いた。

 仮にれいとは、弟が自転車に轢かれても別に構うことはない。凪屋家は違うのだ。

 なぎの顔を見ると、今まで見たことのない顔をしていた。

 なぎはいつだって、強かった。

 今は、違うように感じた。

「白樺君、私のスマホになぎ君のご両親の連絡先が控えてあります。なぎ君のご両親とは懇意ですから、話も進みやすいかと」

「頼む」

 熊谷が、運転しながら、スピーカーでなぎの両親へ連絡をした。直接はつながらず、本人に伝える、とそれぞれの会社は返答した。それが、より一層なぎを不安にさせた。

 れいとは俯くなぎの肩を抱いた。病院につくまで、ずっとそうしていた。

 病院へ着く。なぎはこの大きな病院に来たことがあった。祖母のお見舞いだ。しかし、熊谷が普段の受付とは違う方に駐車する。熊谷は、緊急搬送される患者が処置を受けるのは外来とは違う場所だと説明した。なぎは健康で、あまり病院に馴染みがない。

 れいとはなぎの肩をさすった。車を降りて、救急外来に進む。受付から、処置室を案内された。廊下にひとり、ひとがいた。そしてなぎを見つけるなり、これでもかも勢いよく頭を下げた。すみませんでした! と。

 まだ名乗ってもいない。しかしおそらくなぎの顔を見て、どう考えてもかれんと似ていて、気づいたのだろう。


「あ……えと……」

「凪屋さん?」

 困惑するなぎだが、看護師が声をかける。

 処置室へ通されて、カーテンが開いて、ベッドの上にかれんが座っていた。


「お兄ちゃん‼︎‼︎」

「かれん!」


 ふたりが抱き合う。

 医師から、軽症であることと、内臓にダメージなどがないことが伝えられる。

 なぎは医師の話をしっかりと聞いた。

「かれん、良かった……!」

「お兄ちゃん〜」

「元気そうで良かった」

「あ! れいと君!」

 れいとが話しかける。かれんは嬉しそうに答えた。自分より大人が、自分を取り囲んでいるのが楽しいのだろう。

「かれんさん、大事なくて安心しました」

「きゃあ! 熊ちゃんだ! 熊ちゃんお兄ちゃんを連れてきてくれたの? ありがとう!」

 かれんのお気に入りの熊谷が話しかける頃には、かれんはもう元気になっていた。

 すると、熊谷のスマホのバイブが鳴る。なぎの母親からだった。熊谷はその場になぎたちを残して退出して、話をした。

「なぎ君、お母さんが迎えに来るそうですよ。お父さんは、みあさんと一緒にいるとのことです」

「う、うん……! わかった、ありがとう……」

 かれんが軽症で元気だったこと、両親と連絡がついたこと……ふたつの要素がなぎを安心させた。偏頭痛がするような気もした。

「なぎ、大丈夫か?」

 なぎを気遣って、れいとが声をかける。

 なぎはれいとを見た。母親が来るまで、しっかりとしていなくてはならない、まだ気を抜けない。なぎは、うん、と返事をした。

 熊谷が、かれんと事故を起こした男性の話している。熊谷、れいと。ふたりがいてくれて良かったと、なぎは心底思った。ふたりの存在に、心から感謝した。

 深呼吸をする。病院特有のエタノールや薬品の匂いがした。


 それから、三人は、かれんを連れて、待ち合い室へ移動した。

 れいとが、かれんを抱っこしていた。

「お兄ちゃん、ジュースのみたい」

「え」

「なぎ、ここに居ていい。俺がかれんと行ってくる。自販機少し遠いんだ」

「あ、ありがとう……」

 れいとが、かれんと、廊下を進んでいく。

 しかし、それを見るなぎは神妙な面持ちをしている。かれんが無事とわかったのに、だ。

「……熊ちゃん」

「はい、なんでしょうか」

 緊急外来の待合室から見ると、夕方の外来の待合室はひどく混雑しているように見えた。

「熊ちゃんが、俺を心配してる時も、こんな気持ちだった? 俺……かれんのこと、すごく心配で……生きた心地しなかった。熊ちゃんの気持ち……やっとわかった……かも……」

「なぎ君……」

 熊谷は、なぎをソファに座らせた。病院の匂い。落ち着かない気持ちにさせる。

「なぎ君のことをいつでも大切に思っているんですよ」

「うん……でも……俺……」

「ええもちろん。そう言うと思ってましたよ」

「無理しないし、危ないこともしないから……」

「今日、ダムセンターのロビーで、不破君とそのことを話しました。彼は、話のわかるひとですから」

「!」

「どうか、なぎ君を危ない目にあわせないようにと頼んだんですよ」

「熊ちゃん……」

 熊谷が、なぎの膝上で、手を重ねた。

 見つめ合う。

 熊谷が自分をどれほど大切に思ってくれているか、なぎは知っている。知っていて、甘えている。

 さらになぎは、熊谷がサンライズとのコラボを反対していることを理解していたし、その上で、自分が頼めば折れてくれるであろうとも、心のどこかで理解していた。

 熊谷がどれほど自分を大切に思っていて、どれほど心配しているか……それが今日、再度、痛いほどわかった。

 そして、だからこそ、コラボを成功させなくてはならないと改めて思った。

 熊谷、れいとといっしょにいたい。これからも。

 そのためには、メリの存続が不可欠だ。

 今まで、ツインテイル、ミーハニア、ポップコーン、どのコラボもコラボをするに至るまではもはや決定事項だった。それが今回サンライズとのコラボでは、コラボをするという意思決定や打ち合わせの段階からうまくいかない。三度目の正直。次こそ、サンライズとのコラボが決定するか否か。


 勝負に出なくてはならない。


「熊ちゃん、ありがとう……」

 なぎは、熊谷の手を握り返した。

 微笑む。

「ええ。いいんですよ。かれんさんも無事で良かった。なぎ君のお母さんももうすぐ来ると思いますから。今日はがんばりましたね。なぎ君はとても立派です」

「へへ……熊ちゃんがいてくれたからだよ。れいと君も……ほんとにありがとう……。あ!」

 ふたりが話していると、救急外来の入口から、なぎの母親が入ってきた。

「お母さん!」

 ちょうど、れいとも、かれんを連れて戻ってきた。医師からの話しを受けた後、なぎは母親とかれんと帰宅することになった。熊谷はれいとを送る。今日は解散になった。


——————





「あ、靴下わすれた!」



 すっかり辺は暗い。帰宅すべく母親の車に乗り込んだところで、かれんが忘れ物に気づいた。

「俺とってくるよ、待っててね」

 なぎは再び、緊急外来の入口に戻るが、受付が不在だった。どこかにいるかも、と廊下を探索する。入院病棟に繋がる廊下へ来る。しかし、見つからない。そこはフロア全体がしんとしていて、何の音沙汰もない。まるで現実と切り離された映画のセットのようだ。延々と続く、規則正しい規格の廊下に目眩すら覚える。照明はこんな青みかかった色をしていただろうか。



「大丈夫? 迷子?」

「へっ」



 なぎに背後から、声がかけられた。

 驚いて振り向くと、きれいな男性がいた。入院患者が着る検査着に、カーディガン。

柔らかな物腰。白い肌。背が高い。綺麗な顔の青年だった。

「あ、いえ……緊急外来に忘れ物したら、あ、子供の靴下なんですけど……。受付のひといなくて……」

「あぁ、今日はえーと……彼か。タバコ休憩だね。おいで」

「え……」

 なぎは言われるままについていく。するとその青年は勝手に、受付のカウンターへ入る。

「え」

「あった、これかな?」

 カウンターの下から勝手にプラ製のかごを取り出して、メガネやら手帳やらをあさる。

そして子供用の靴下が見つかる。

「あ! それです! ありがとう!」

「受付のひとには僕が伝えておくよ」


 病院のことに、詳しいのだろう。職員と仲の良いような素振りだ。

 青年はにこやかに微笑む。受付の中からなぎに手を振った。

「あ……ありがとうございます!」

 なぎは忘れ物を受け取ってお礼を言って、去った。出る頃にふと、先ほどの青年が、誰かに似ているような気がした。しかし、誰に似ているのか、いまいち思い出せない。

 振り返るともう青年はいなくなっていた。

 よく見ると病院の廊下はあたたかい薄ピンク色の壁で、先ほどまでの雰囲気が幻覚かのようだった。

 不可思議な気分のまま、なぎは病院を後にした。



——————





 夜。食事をとって、かれんは早く休んだ。疲れたのだろう、いつもよりもおとなしかった。今日はみあが、かれんと寝てあげる、と行っていた。いつもならはしゃぐ妹たちの世話をする時間だが、今日はその必要がないので早めに自室へ行った。学校の勉強の復習や作詞作曲、考えたいこともある。シャワーの後、机へ向かう。すると、なぎのスマホにメッセージが入った。

「!」


 ひゅうがだ。

 かれんを心配するメッセージだった。それから、なぎなことも。

 なぎはふと、病院で会った青年のことを思い出した。誰かに似ている。しかし、思い出せない、あの青年だ……。

 デスクライトのみで薄暗い部屋を一周して、返事を考える。

 ひゅうがの顔を思い出す。病院で会った青年がどことなく、ひゅうがに似ていたような気がした。しかし、ひゅうがから兄弟の話をされたことはない。きっと、気のせいだ。いや、今度、聞いてみよう。ひゅうがといるといつも自分ばかりが喋っていて、ひゅうがが聞き役だ。だから今度は自分が聞いてみよう。そう、思った。

 お礼や近況を送った。

 あつしのことは伏せた。

 考えを戻す。

 なぎは、どうやってサンライズとコラボの話しの決着をつけるかを考えることにした。



——————



 さて、三度目の正直、

 なぎは一晩考えて考えて考えて考えてついに答えをだした。いかにしてサンライズとコラボするか、だ。

 そう、話し合いを飛ばす、そういう結論に至った。


「今日、サンライズはこのイベントに参加するの。俺たちも飛び入りで行こう!」

「……」


 土曜日。なぎはれいとと駅前のカフェに来ていた。作戦会議だ。

 あたたかいココア。もう、秋もかなり深まった。街の木々は色づき、冬が近づく。

「飛び入り……?」

 れいとが疑問を呈した。

「話し合う話し合うっていつまでも進まないんだもん! 強制的にコラボしちゃえばいいんだよ! サンライズのステージに、乱入する‼︎」

 なぎはぐっと拳を突き上げて、効果音がつくならばーん、と言った所だろう。やる気まんまん、といった感じだ。

「あんた熊谷に危ないことはしないって誓ったんじゃないのかよ」

 れいとがあきれたようにため息をつく。

「しない! けど、俺たちやる気見せなきゃ! 伝えたいこと、なんてはっきりしないけど、メリの存続っていう目的があるじゃない! それが主張だよ!」

「まぁ……それはそうだが……」

「あつしさんたちは、俺たちをきっと知らない。知ってもらわなきゃ!」

「けど、乱入なんて……」

「段取りは済んでるよーん」

「!」


 いつのまにか、れいとの背後にとらちよがいた。

「松岡先輩……!」

「とらって呼んでよ〜。苗字ってつまんないよね」

「実はね、松岡……えと、とら先輩にだけ話したの」

「なぎの考えは面白いね」

「俺の……」

 とらちよはれいとの横へ無理やり座る。ふつうに半分くらいれいとに乗り上げた。邪魔で重い。そしてれいとの飲んでいたアイスティーを勝手に飲んだ。次になぎの頼んでいたフライドポテトも食べた。

「あっくんは強い考えを持ってる人間が好きだよ。弱くてもね」

 とらちよはたまに、的確で本質をついた発言をする。

 なぎたちに協力しているのかいないのか、先の発言は、ふたりにはアドバイスのように聞こえた。

「松……とらちよ先輩、今日はよろしくお願いします!」

「ま、待て、飛び入りはわかった。何をするんだ」

「歌う! ふたりの最初の曲!」

つまりそれは、四月(もう遠い昔のような)の会見の日になぎがれいとに歌った曲だ。

「そういうことはもっと早く……」

「さ、いこいこ〜」

「はい!」

「……」

 れいとの顔には、事前に言ってくれ、と書いてあるようだった。はぁ、とため息をつく。仕方がない。

 こうして、なぎ、れいと、はとらちよの協力のもと、サンライズのステージに飛び入り参加することにした。


「サンライズのステージは一時間後でしたよね?」

「あ、順番変わったんだ。次だよ〜」

「え」


 なら、なぜとらちよがここにいる。ふたりはそう思ったが、素早く会計を済ませて、急いでイベント会場へ向かった。


——————


 会場はやはり、プラカードを持った活動家などがいて、大騒ぎだ。

 顔を緑に塗ったひと、グロテスクなプリントTシャツの集団、半裸の女性、スモークやペンキを使ったパフォーマンス……。狂乱といっても差し支えない。

 れいとは、先日のビルでの件を知らない。目の前の光景に引いている。熊谷が、なぎを心配していたわけを理解した。それどころか、自分がなぎを守らなければ、と思った。


「あ、もう始まってる〜」

「えっ、ホントですか⁉︎」

「よーし、ステージ行くよ! おーい!」

 ライブ会場のように観客席が整備されているわけではない。野外フェスのように立ちっぱなしだ。

 すでに会場のメインのステージでは、サンライズのメンバーが揃っていて曲が披露されていた。

 しかしよく見えないし、音響もいまいち。なぎたちはひとをかき分けて前へ進む。


「うわぁ! あつしさん生歌上手い!」

 なぎの目がきらきらとしている。ようやくステージが見えた、あつしが歌っている。

できれば乱入なんてしないで、あつしの歌声をずっと聞いていたい。

「すごいな……」

 さあにひとをかき分け前へ進む。横にそれて、ステージの袖へ向かおうとしたが、とらちよに止められた。

「正面からよじのぼったら? インパクト大事!」

「えっ」

 しかし、最前列の前には警備員がいて、とてもステージには近寄れない。とらちよが手を振ると、ステージのあつしはとらちよに気がついた。

「下がって」

「あはは! 敵だ!」

 警備員がとらちよを静止すると、とらちよは警備員を羽交締めにした。

「ええええ!」

 すると周りの観客がなぜか盛り上がる。とらちよの周りに一気にひとだかりができる。警備員はいつの間にか排除されていた。その場がモッシュのような雰囲気になって、横にも後ろにも戻れない。危険なので、前に進むしかない。

「ほら行けふたりとも!」

「なぎ、行くぞ」

 とらちよの応援と観客の喧騒をバックに、ふたりはステージに向かった。

「なぎ」

「れいと君……!」

 れいとがなぎの足を支えて、なぎが先にステージに登った。れいとはその後あっさりとステージに登る。

「よぉ、ふたりとも」

 あつしがしゃがんで、ふたりに話しかける。

 とらちよがどこまで手配したかわからない。あつしは余裕そうな表情だ。なぎとれいとが次に何をするのかを、楽しんでいる。

 ちょうど、AメロとBメロの間だ。間奏の隙になぎは大きな声を出した。


「俺たち、歌います!」

「へぇ……」

「サンライズとコラボしたいんです! この曲のあとに……」

「いや、今歌えよ、ほら」

「えっ」


 なぎはあつしに手を引かれて、ステージの中央に連れ出される。れいとも続く。あつしは下がった。

 演奏が止むと、観客もしん、として、ふたりに注目した。

「あ……」

 あつしは後方でふたりを見ている。コラボする気があるのかないのか気まぐれか。本懐の読めない男だ。

 なぎは、正直なところ、ステージに乱入して、歌う。それ以外を考えていなかった。何か、発言するべきか。

 いや。

 そう、サンライズは、自分たちの主張を伝えるために音楽という手段を取っている。メリも彼らに倣うのなら、そこに、余計な説明は蛇足だ。


「れいと君」

「ん……」

 持ってきたエレキギターをセットする。れいとはたくとのスパルタを受けて、かなり音楽の技術は上達した。しかしまだ本人は、人前で披露できるような実力ではないと考えていた。しかし、その考えは間違っている、と指摘された。当然、師匠のたくとからだ。たくとは、まだ下手だからとか、上手くなったら見せよう、なんて奴は一生うまくならない、とばっさり切り捨てた。たくとの顔を思い浮かべる。その理屈は、よくわかった。れいとにとっては絶好のチャンスでもあった。

 会見の時に初めて聞いたなぎの曲。ふたりが歌い出す。静まり返っていた観客がまた、熱を帯びるのがわかった。


「へぇ……何もないお人形さんってわけじゃないってことか」

 

 ステージの後方で、ふたりを見守るあつしがつぶやく。すると、とらちよが近づいてきた。警備員がどうなったかは聞かない。

「あっくん」

「よう、とら。ベース俺がやったぞ」

「なぎ、どう?」

「なぎ?なぎはハナから問題ねぇよ。あいつは優秀だ。……ひゅうがの野郎と仲がいいってのは置いてもな。問題は新人の方だろ」

「れいとだよ」

 とらちよは、ここが自分のポジションだと言わんばかりにあつしの隣に並ぶ。肩に腕をかける。体重を寄せる。ステージの前方の、なぎとれいとを見る。

「ま、これからってとこだもんな」

 メリのふたりを見る。人生これからの若者(あつしも十分若いが)だ。ましてやメリは実際に存続の危機にあり、その悩みは決してカッコつけのおままごとや背伸びやごっこ遊びではない。とらちよには最初から、あつしがどのような選択をするかわかっていた……。



 ふたりの曲が終わる。

 するとあつしが前に出て、なぎからマイクを受け取る。

「さて、コラボの内容だが……」

「え⁉︎」

 ステージ上で、いきなりコラボを許可されたのと、その内容について話そうとしている。なぎは驚いて、あたふたとしていた。

「俺たちのイベントに出ること。それでいいだろう。ほら、下がって。おとなしく後ろで聞いておけよ、特等席だ」

「えっ……」

 するとあつしたちの曲の演奏が始まる。

 ゆうひ、ふれいは、あつしからの言葉なくても演奏を操る。ひとりひとりが違う主張を持つ個人主義のように見えて、四人は意思疎通に言葉を必要としない。

とらちよがいつの間にかベースを演奏していた。なぎは急いで、れいととふたり、ステージの後ろへ下がる。


「れ、れいと君……」

「ああ。コラボするって言ってた……」

「これ! 聞いたことない! 新曲かな⁉︎」

「え」


 そっちかよ、とれいとは思った。

 なぎはコラボが認められた事実よりも、すっかりライブに夢中になっていた。観客に引けをとらない応援をする。そういえはなぎ自身が、サンライズのファンでもあることをれいとは思い出した。

 れいとは高いステージから、あたりを見渡した。観客はそれぞれが様々な主張が持つ。相容れない考えの者同士もいるだろう。しかし、サンライズのライブを前にそれらはすべて許容され、内包され、ひとつになっていた。カオスな宇宙のように、煌めく銀河のように、カラフルな会場が盛り上がる。伝えたいこととは、何だろう。攻撃ではない、武器でもない、主張、だ。音楽に主張を乗せる……それは、なぎやれいとにはまだない概念。それでも、楽しい、と感じる部分は同じだった。ひとの本質だ。れいともサンライズの楽曲の持つパワーにひどく感心した。自分たちにはない、パワフルで強い音楽性。それは単純に、効果的に、交感神経を刺激した。いやでも気分がポジティブな方に上がるのを感じた。このまま進め。やる。やってやるぞ。そういう気持ちにさせた。


 コラボが認められた。ここへ来たのも、飛び入りライブも功を奏した。なぎは大胆で、勇敢だ。自分の相棒ながら、学ぶところがたくさんある。なぎを見ると、あつしの歌声にはしゃいでいた。

 れいとはその姿を見て、ふ、と笑った。



——————




「やることはただひとつ、メリ、来週のイベントに参加しろ。ただし前も言った通り、伝えたいことのない奴と歌う気はない。だから、当日までにお前らなりの伝えたいことの答えを出せ」


 ライブ終了後。バックヤードで、あつしはきっぱりとなぎに伝えた。コラボについての条件であり、詳細だ。

「あっくん、それだけ? あっくんは地球代表なのに、サオシュヤントの使徒にそんな態度でいいの?」

「さ……あ? なんとかの使徒なら、このくらいできるだろ。どうだ?」

 イベントは、次は別のステージを展開していて、スタッフが慌ただしく動いている。あたりは暗くなり、照明が映える。観客の歓声も相まって、パワフルなムードに包まれていた。当然、勢いで、はい、となぎは返事しそうになった。しかし。

「他のメンバーを紹介してもらえますか?」

 なぎを抑えて、れいとが意見を言った。なぎは、以前サンライズが襲撃を受けたあつしととらちよ以外の二人、ゆうひとふれいともビルで顔合わせをした。

「ああ」

 あつしが声をかけると、休んでいたゆうひとふれいがなぎとれいとの前に揃った。れいとはよく観察した。あんなに盛り上がったライブの後でもれいとは冷静だった。危険な人物ではないか。コラボして、なぎの安全を確保できるか。

「メリの白樺れいとです。よろしくお願いします」

 なぎが挨拶をすると、まずひとりが握手をしてくれた。

「竹見ゆうひ。サンライズのドラムだ」

「よろしくお願いします!」

 ゆうひは真面目な印象だった。今までのクリエイティブイベントで会った中でも特にそのような印象を受けた。

「俺は五十嵐ふれい。兄弟のハナシは厳禁な」

「よろしくお願いします」

 五十嵐。五十嵐三兄弟の確か一番下。れいとは先日ポップコーンのゆうやの誘拐騒動で、兄の五十嵐つきはと縁があった。ちょっとばかり荒っぽい話でなぎには内緒にしている。あまり兄に似ていないように感じた。

 今、挨拶をした限りでは、ふたりとも悪い印象はない。これなら、とれいとは考えた。

「なぎ。コラボ……どうする。決めよう」

「もちろん俺は最初からそのつもり!」

「わかった。……よろしくお願いします」

 こうしてようやく、メリはサンライズとのコラボにこぎつけた。……と思った。

「あつし、これは命令か?」

 ゆうひが、あつしに振り向く。

 あつしは腕を組んで不遜に立ったまま、にやりと笑った。

「違う」

「そうか。じゃあ、俺はパス。忙しいから」

「え⁉︎」

 なぎの驚く声が響く。

「メリのふたり、俺もまた今度!気が向いたら連絡する!」

 そう言うとゆうひとふれいはさっさとその場からいなくなってしまった。

「い、いや、あの……」

 困惑するなぎに、あつしが声をかける。

「イベントは俺ととらだけだよ。今のところ、な。あいつらにも、ってなら、説得してみな」

 個人主義。

 メリならありえない展開だ。クリエイティブイベントに出るメンバーと出ないメンバーがいるなんて。

 なぎはパニックだった。しかし、やるしかない。ゆうひとふれいの説得。イベントの参加。

 なぎは、ライブのあとの疲れた頭と体に鞭を打って、ありったけの大声で返事をした。


 あとから聞いた話だが、サンライズは滅多にクリエイティブイベントに参加しない他、人気投票や売り上げも興味がなく、悦子を困らせている、とのことだった。個人主義で、イベントなどはそれぞれの利害が一致しないと四人で揃わない、それもサンライズの特徴らしい。

 それは、今現在、今後の商業的価値を見出せるかどうかを示そうとしているメリとはあまりにも対極に感じた。

 それでもサンライズは十分に売れていて、熱狂的な信者がいる。

 あつしたちの活動は、あくまで主張を伝えるための手段であり、四人でいるのも利害の一致、らしい。

 これもまたメリとは対極である。良し悪しは別として、である……。

 サンライズとのコラボは再び波乱と危機に直面した。




——————



 さて、数日後、今日はなぎたちメリのライブだった。1stライブ同様に、まだまだれいとのお披露目、といった目的が強い。つつがなくライブは終了した。あれこれを済ませて楽屋に戻った。やっと一息。そんなふたりのもとにひとりの人物が訪ねてきた。



「竹見先輩⁉︎」

「や。見させてもらったよ」


 竹見ゆうひ(二十三歳)サンライズのドラマーだ。

 なぎもれいとも、コラボのことが正直頭から抜けていた。目の前のライブを成功させることに必死だったからだ。

 満身創痍だったが、楽屋に迎え入れて、なぎはその辺にあった紅茶のティーバッグにお湯をいれてを出した。

「これ、フェアトレード?」

「えっ」

「……我慢するよ。お客様だしね」


 フェアトレード。多分、ちゃんと意味のある単語(とらちよの言語と違って)だろう。しかし、なぎもれいとも、わからない。

 ふたりは、よくゆうひを観察した。余裕のある立ち振る舞い。隙が無い。いったい、どんな人物なのだろう。ゆうひがことり、とマグカップを置いた。


「今来るのは賢明じゃなかったかもな。ライブの余韻とかあるしな。……出直すよ」

 ふたりの心情を察したのか、ゆうひは帰ろうとするが、なぎが止めた。

「え! いえっ、待って下さい! コラボの話ですか⁉︎ わざわざ来て下さったんですか? 忙しいって……」

「うん」

「聞きたいです!」

「……」

 今度はゆうひが、ふたりをじっと見た。

「忙しいっていうのはさ……んー、わかってくれない奴らに割く時間はないって意味」

「え……と……」

 ゆうひが節目がちに話し出す。なぎとれいとは顔を見合わせる。なぎは、衣装のネクタイの首をゆるめて、それから座った。ゆうひの真向かい。れいとも続く。

「……」

「あの、聞かせて下さい。聞きたいです、竹見先輩のお話」

 なぎは、真剣な表情だった。

 これは、コラボのためだとか、自分たちの将来のためだとか、そういう打算のない、なぎの本心からの気持ちだった。ゆうひを、知りたい。まだライブの熱の引かないなぎの顔を、れいとは見ずとも、どんな表情かわかっていた。


「そうか。熱心で何より。あつしに言われてたよな。説得しろってさ。……じゃあ、明日ここに来て。待ってる」

「!」

 ゆうひはメモを残すと静かに去った。


 メモには駅からバスで行ける場所の住所が残されていた。

「な、なんだろ」

「なんかの法人が入ってる施設だな。……どうする?」

「もちろん行くよ」


 まず第一に、ゆうひを知りたい。

 ゆうひは何故わざわざ尋ねてきてくれたのだろうか。それが気になる。

なぎたちは当然、自らゆうひとふれいを尋ねるつもりだった。しかし、チャンス。

 ゆうひをうまく説得できれば、サンライズとのコラボとの皮切りになる。ふたりは次の日、待ち合わせをした。



——————




 さて、次の日、なぎとれいとがメモの通りの場所に行くと、そこは数社の法人の入った施設で、ちょっとした会議、講演、展示会、演劇、などに使える会議室があるほか、広めのコンベンションホールもあった。今日はシンポジウムをやっていた。その名も、「企業および国家の利潤目的ではない真のSDGsのための会」である。


「な、なんだっけこれ……」

 もう一度。企業および国家の利潤目的ではない真のSDGsのための会。

なぎもれいとも、SDGsとは、なんとなくは聞いたことがあった。しかし、具体的には知らない。

「えすでぃーじーず……ってのは聞いたことあるけど…真の? 何だろう。これが、竹見先輩の伝えたいことなのかな?」

「ふたりとも」

 会場のロビーの看板の前で佇むふたりに声がかかる。ゆうひだった。スーツ。ばっちり決まっている。

「か、かっこいい!」

 スーツに弱いなぎは釘付けだ。れいとはため息をついた。

「あのー……」

「ふたりは助手。俺の横で書類持ってて」

「え⁉︎」

 説明はそれだけ。ゆうひはふたりを問答無用でで連行した。

 会場内のステージ袖で書類の束や荷物を渡される。

「あの……」

「こういうイベント、若いコこないから。ふたりがいてくれるだけで印象が違う」

 それはつまり、客寄せパンダだった。

「行くぞ」

「え!」

 ふたりはゆうひの後をついて行った。

 シンポジウムの始まりだ。ゆうひの講演。客席は三百人以上いる。長い拍手。

 そしてゆうひからまさに会の命題のとおりの真のSDGsについての説明がなされる。ちなみに会場には著名な作家や、有名な金融系のインフルエンサーや、元官僚や、資産家などがいるらしい。なぎたちはわからない。ふたりはゆうひの少し後ろに立って、それをおとなしく聞くことになった。

 しかし……なぎはまず、企業の利潤、のあたりからもうわわからない。マルクスだの、資本主義だの、ふんわりと聞いたことのある単語がちらちら出るが、どうにもちんぷんかんぷんだ。


「なるほどな……」

「え」


 れいとのつぶやきに、なぎは驚愕した。れいとはこの話をわかっていると言うのか。

「れ、れいと君……わかるの? 本当に?」

「多少は……」

「え、あの、解説して?」

 なぎはれいとにより近寄った。身長差がある。少し背伸びした。れいとの肩に、自分の肩が振れる。

 れいとは少し、なぎの方に体を倒す。ひそひそと、ゆうひの話を解説する。

「まずSDGsってのは二〇三〇年までに、世界全体で達成すべきとされている十七種類の目標のことだ」

「!」

「わかったか」

「そうなの? わ、わかりやすい! すごい! 誰もそれ教えてくれなかったよ……!」

 れいとは、なぎの知りたいことをピンポイントで教えてくれた。なんとなく聞いたことはあるし日常で使うが本当の定義や意味をよくわかっていないような言葉はたくさんある。

「それで、その十七種類ってのが、たとえば、貧困を無くそうとか、ジェンダー平等を目指そうって内容だ。」

「おー……なんとなく聞いたことある! 良いことだね!」

「竹見先輩はこれを否定している」

「え⁉︎ なんで⁉︎」

 なぎが思わず大きい声を出す。

 ゆうひが振り向く。れいとは口に人差し指をあてて、しー、と言った。なぎは自分の口を自分の手で塞ぐ。

「SDGsそのものを、大国の資本に操られたもので、企業の利潤のための綺麗事だと言っている」

「……?」

 れいとは、竹見が発表していることを、噛み砕いてなぎに説明しているだけだ。しかし、なぎのリアクションは新鮮で、話しがいがある。

「SDGsがあまりにも企業に都合の良い内容だから、って先輩は言ってる」

「どのへんが……?」

「たとえば、貧困を無くそう……雇用の推進。企業にとっては人材こそ力だ。労働力の確保そのものが企業の目的だ。世界的少子化で、人材は奪い合いだからな。補助金なんかの利権の恩賞になる」

 「はぁ……」

このあたり、れいとはかなり噛み砕いて説明したが、なぎの顔は険しい。なぎは、勉強はしているが、そもそもにして企業の利益の仕組みなどに疎い。興味がない。成績は並。

「ジェンダー平等なんかも、そう言っておけば、マイノリティの雇用の推進になる。まぁ、穿った見方にも聞こえるが……」

「……」

 ステージの方へよばれる。ふたりはゆうひのもとへ行って資料を渡した。やることはこれだけだ。また、袖へ戻る。

「真のSDGs……竹見先輩は、企業が嫌いってこと? 企業って悪いの?」

「まさか。今は自由主義市場、資本主義……企業はこの世の法律だぞ」

「普通に、企業にそんな反抗する? 何か理由があるのかな……」

 れいとには、それは答えられない。個人的な問題ならわからない。サンライズのメンバーはプロフィールもあまり公表されていない。調べても出てくるのは身長だとか、誕生日だとか。だが、情報としては、売上に興味がない、ということを知っていた。

 ゆうひを見る。ライトアップされたステージに、背中しか見えないものの、情熱的な語り口で、今話していることがゆうひの心からの訴えだというのは、よくわかる。

 しかし、なぎには、ゆうひの話の内容がよくわからない。そしてそれでは、ゆうひをわからないままだ。

 なぎは一歩前へ出た。


「俺、聞いてくる」

「え」


 するとなぎは、なかなか勇ましい表情で、持っていたものを雑にれいとに預ける。そのままステージの前へ向かって行った。


「質問があります!」

 びしっ。

 手を上げて、ゆうひに近づく。

 観客がざわつくが、ゆうひは落ち着いている。

「助手君……いいよ。何かな?」

「企業って悪者ですか⁉︎」

「そういうわけじゃないけど……。失礼、皆さん、こちらは助手の凪屋君。彼の質問に答えます。彼は若く、まだ知らないことが多いので、皆さんも是非、彼にアドバイスを」

 ゆうひが会場へ声をかける。すると、会場からは拍手が上がった。

「あの、ごめんなさい。助手……だけじゃイヤで……」

「ん?」

「コラボ、なんです。先輩の考えを知りたいんです。わからないからって、難しいからってなぁなぁにしたくないんです。本気なんです!」

「!」

 なぎはサンライズのメンバーの持つ強い主張のようなものと無縁の人間だ。おだやかで、できるだけ争いを好まない。自分より他人のために怒る男。しかし、サンライズとのコラボにあたって、あつしをはじめメンバーの主張をバカにする気や軽んじる気は一切無かった。過激な発言の真意や、パフォーマンスのエネルギーを知りたかった。たとえそれが今後の人生に何の関係もなくても、尊重する気だった。だから、助手だけでいるつもりは無かった。


「……ふ、いいよ、さ、何でも聞いて」

「はい! えっとまず……」

 れいとは舞台袖からなぎを見守った。そのうち、客席から来た別の人間がなぎとの質疑応答をしていた。どうやら大学の教授らしく、なぎと熱心に会話をしている。すると、ゆうひがステージの後ろの方へくる。れいとから資料を受け取るためだ。


「彼、面白いね」

「!」

 れいとの耳元あたりで、ゆうひがつぶやく。

「凪屋君。……バカにしないんだ」

「バカに……?」

「そりゃSDGsだのダイバーシティだのポリティカルコネクトレスだのは、今や嘲笑の対象だからね。その単語を聞いただけで侮蔑や敵意を剥き出しにしてくるようなひともいる」

「……なぎは、他人な真面目に考えてることを笑ったりはしません」

「ふぅん。……あつしが気にいるわけだ。もったいない」

 もったいない、そこに、れいとはひっかかったが、そう言うと、再び、ゆうひは舞台へ戻って行った。



——————



「頭が混乱してる……」

 シンポジウムが終わる。なぎはすっかり頭脳労働に参っていた。学校の勉強よりもずっとわかりやすかったが、ひとつの疑問が解決すると次の疑問が出てくる。あくなき研究。

「凪屋は進学すべきだね。向いてるよ大学」

「え……」

 ロビーの片隅のソファでぐったりしていたなぎのもとにゆうひが現れる。手には自販機のココア。

「これはフェアトレードの企業のカカオを使ってるココア」

「! さっき聞いたやつだ!」

「甘いものを摂るといいよ」

「あ、ありがとうございます!」

「僕はもう行くよ。今日はありがとう。……面白かったよ」

 ゆうひはなかなか機嫌がいいようで、ふたりにはにかむ。

「え、もう行くんですか?」

「マイノリティ差別反対運動の打ち合わせ、LGBTフレンドリー推進の会のイベント、ヴィーガンイベント、ホームレスへのボランティア、児童養護施設の訪問に少年院への慰問活動……」

「……」

「忙しいんだ」

 さっさと荷物をまとめるゆうひになぎが声をかけようとしたが、やめた。れいとはそれを見逃さなかった。

「それじゃあね、ふたりとも」

「お、お疲れ様でした」

 建物を出ていくゆうひを見送る。一見気さくに見えて、距離を感じる。どこか浮世離れしていて、掴めない。結局、ゆうひの主張はわかった。しかし、ゆうひ本人の内面を知るには至らなかったように思う。

 なぎはふと、思いついたことがあった。


「南原先輩にちょっと感じ似てるかも」

「!」

 ぽつりとなぎが呟く。

 意外な人物の名前が出た。ミーハニアの、南原ほまれのことだろう。なぎはあまり知らない。れいとはコラボの際に交流した。しかし、なぎの発言に一理あると感じた。


「あ。竹見ってもしかして……」

 れいとが、ひとつ気づく。スマホで調べ物をする。なぎに画面を見せた。

「竹見グループ?」

 南原にも劣らない大企業だ。

「お金持ちってこと?」

「そうみたいだな」

「だから、企業を嫌ってるのかな。なんか搾取とか、格差の是正とかいろいろ言ってたけど……」

「真意は、俺たちで答えを出すしかないな」

 ゆうひ本人に聞けば早い。しかし、それでは意味がない。伝えたいことは、歌や、言動で主張を、しているはずだ。その本懐や真意を紐解くとしたら、本人に聞くのは野暮だし、敬意が無い。

 結局、今日、ゆうひをイベントへ誘う説得に至らなかった。ゆうひが忙しいのは本当のようだ。しかしゆうひは、自分たちを誘ってくれた。また、ゆうひの主張に真意なものを無闇に遠ざけるようなことはなかった。話せば、わかる。


「俺たちも考えなきゃな。伝えたいこと」

「うん……!」

 それはメリの本質に迫るものだ。

 それが決まれば、ゆうひも、他のサンライズのメンバーも、もっとメリに取り合ってくれるだろうか?

 せつながいない、なぎとれいとのメリの、だ。ふたりがどこまで自分たちの内面と戦えるか、がこのサンライズとのコラボで試される真の問いかけだった。



——————




「冬服、そんなだったっけ」


 十月になった。れいとはなぎの衣替えになんとも微妙なリアクションをした。

 ある日の放課後、ふたりはPPC本社に向かうべく、並んで歩いていた。

「あ、中のカーディガンが春の時のと違う」

「指定?」

「指定のダサいから着ない! 自分で買ったんだ。カーディガンてか、腕ないの、なんていうのこれ、チョッキ?」

 なぎがブレザーの前見頃をぱたぱたとする。夏服が終わると一気に秋めく。冬が迫ってくる。それはメリにとっては重大な問題の結論が迫っていることに近い。高い空と、少し冷たい風がそよぐと、なんとなく感傷的になった。

「れいと君、うちね、ほんとはカーディガン禁止なんだ。ボタンありがだめで、セーターとかならいいの。だけど、隣の高校は逆に、セーターだめでカーディガンはOKなんだって。変だよね。校則ってテキトー書いてるよね。れいと君は、校則ゆるいとこ進学した方いいよ!」

 なぎとの雑談。他愛ない時間。いつまで続くだろうか。れいとは少し止まって、荷物からカメラを出した。

「あ、道明寺さんのカメラ!」

 カシャ、衣替えをしたなぎを撮る。不意のショット。

「あー! ねぇ言ったじゃん、俺ばっかになるって! 貸して! 俺も撮る!」

「だめ」

 PPC本社のロビーについても、ささやかな攻防戦が続いた。しかし、突如終戦。なぎとれいとはとある人物に呼び止められた。


「こんにちは、メリのおふたり」

「! 五十嵐さん!」


 この場合の五十嵐とは、五十嵐環のことである。ファーレンハイトのマネージャーで、五十嵐三兄弟の長男。

 グレーのスーツ。熊谷とはまた違う、なぎたちの知る大人。熊谷とは比べ物にならない、比べてはいけないほどの常識人だった。モラルと、社会規範に準じる穏やかな大人。

「少しお話しがありまして……。お時間はありますか?」

 神妙な面持ちの五十嵐に、ふたりのじゃれつきが終わる。ふたりはこういう切り替えができた。ティーンでもまだできないような人間がいる。大人でも。しかし、真面目にやるべき時はやる。けじめの問題だ。

「はい。えと、熊ちゃんとメリについての打ち合わせに来たんですけど、集合より早くついたので……」

 なぎが答える。環はほっとしたような表情になった。

「弟のことなんです。弟の五十嵐ふれい。サンライズのギター。今メリはサンライズとコラボを、していると聞きまして……。一言伝えて欲しいことがあるんです」

「はい……?」

「いつでも帰ってきていいよ、と」

「!」

「それでは。失礼します」

 環は丁寧に会釈して去って行った。

「……」

「……」

 ふたりは、無言だった。なかなか気まづい内容に思えた。あまり親しくない者の家庭環境を勝手に覗き見してしまったような、そんな気分だ。


「よ、予習する?」

「え?」

「サンライズのCD俺持ってるから、一緒に聞く……それで、考察とかする」

 なぎからの提案。サンライズを、知らなくてはならない。本当に、前途多難だ。コラボに至るまでにここまで上手くいかないとは。打開策を考える。基本に帰るのだ。サンライズの曲を、聴く。彼らは音楽に主張を込めている、のだ。つまりやることはひとつ。


「……やるか。あ、ウチ来るか?」

「えっ」

「今弟ふたりいないから。片方宿泊学習。片方部活の遠征で泊まり……まぁ、なぎの家みたいに、綺麗ではないけど……」


「い、行きたい!」


 なぎの目がきらきらする。なぎは大きな声で返事をした。

 れいとの家。なんとも魅力的なひびき。

 れいとは以前なぎの家に行ったことがある。自分もなぎを招待すべきだと考えていたと言う。なぎは喜んで返事をした。CDを持ってれいとの家に行く。サンライズはMVをほとんど出さない。公式のチャンネルなどもない。翌日は土曜だ。なぎは午前中かられいとの家へお邪魔することになった。




——————




「おじゃましまーす」

「どうぞ」

 れいとがスリッパを出した。ちなみにれいとは朝から掃除を頑張った。家具を綺麗にして、床や壁を掃除した。ゴミをまとめて、なぎに見せられないものや不審なものは全て片付けた。弟の部屋は封印した。

 リビングに案内する。ダイニングはテーブルだけではなく、椅子までよく拭いた。


「なぎ、何飲む」

「え、なんでも……。お茶?」

「わかった」

 なぎは持ってきたCDを出す。れいとの家にCDを聞く機材があるか不安だったが、テーブルの上にはMDコンポが用意してあった。古いものに見える。女性向けのデザインだ。母親のものだろう。ステッカーが貼ってある。

「あゆって誰?」

「あー……母親の好きな歌手。ガキの頃よく車で聞かされた」

「うーん……微妙にわからないかも」

 なぎはCDをいつもパソコンで聴いている。ラジカセやMDコンポの使い方がわからない。コンセントに繋ぐ。するとMDコンポは虹色に光出した。なぎは驚いた。はやりの、ゲーミングなんとかだろうか? 適当にボタンを押す。

「下が開いた⁉︎」

「そこカセットいれるとこ。その上はMD。CDはその5段のとこだ」

「えー、すごい」

 なぎはおおいに平成の文化に喜んだ。令和においてはなかなかない体験だ。MDに、カセット。一昔前のガジェット。

 なぎは持ってきたCDを入れた。

「これがサンライズの曲か……」


 飲み物を用意したれいとがなぎの隣に座る。ライブで聞いたのとは別の曲だ。歌手カードを見る。

 作詞、作曲はほぼ竹見ゆうひ、五十嵐ふれいの名目だ。

「不破先輩は?」

「こっち。ソロで歌う時は作詞作曲どっちも不破あつしって」

「サンライズの曲は竹見先輩と五十嵐先輩で作ってるってわけか……」

 れいとは歌詞に注目した。伝えたいことがある、強い主張がある。それを前提に作られた楽曲とは、どういうものだろう。

 自分もツインテイルのたくとに師事してはいるが、技術面と、たまにメンタル面の話しが出てくるがそれも技術的なものの一面に感じる。

 ふと、以前、たくとと共に、バーに行ったのを思い出した。コピーバンドが熊谷の曲を演奏していた。熊谷の歌詞を思い出す。

 れいとが、感じた印象。

 スマートな熊谷の印象とはずいぶんと違う、閉塞感すら感じる鬱屈したフレーズ。泥臭い歌詞の曲だ。

 いつか、すべてを置いて出ていくとか、やるしかないとか、そういう歌詞がだったのを思い出した。


 少し、サンライズの曲は、それに似ている気がした。

 あつしの歌声だから、尚更かもしれない。


「なぎは、サンライズ好きなんだよな。どういうところ?」

「んん……? んー……メロディかなぁ……」

「歌詞は?」

「俺もともとあんまり歌の歌詞気にしないかも…。あつしさんの声は好き! ひゅうが君の声も好き! れいと君の声も好き! ……そんな感じ?」

「……」

 れいとは考えた。なぎが対面で、好きだと言ってくるのは今更だ。いちいち照れていても仕方ない。なぎにとっては、声も、楽器のうちに入っているのではないだろうか。

「ねぇ、ネットで考察とか読んでみようよ。しっくりくるのあるかも」

「ああ……」

 ふたりはサンライズのアルバムを流したまま、それぞれのスマホで調べごとをはじめた。

サンライズにファンによる曲の解説のブログがあった。例えばこの歌に出てくるこの道路はどこどこがモチーフでそこで〜、とか、それぞれの生い立ちに基づく歌詞の考察などが載っていた。


「うー……なるほど……?」

「あまりしっくりこないな」

「俺たちなりの解釈を見つけるしかないのかもね」

 そもそもにして、それぞれ主張が違うのに、なぜいっしょに歌っているのか。あつしやとらちよは作詞作曲はしなくていいのか。疑問が残る。

「帰ってきてって、五十嵐さん言ってたよね」

「まぁ、そうだな。正しくは、いつでも帰ってきていい、だ」

「家出中? 家族嫌いなのかな……」

「嫌い……そういえば、竹見先輩の時もそんな話しだったな」

 嫌い。

 なぎはゆうひを企業嫌いと考察した。実家の大企業との関連は不明。

しかしここで、れいとがようやく、主張の一貫性と、共通点に気がついた。


「……アンチテーゼか」


「え、何?」

「つまり、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼだ。あー……主題、テーゼに対する反対意見だ。つまりふたりとも、自分の環境がいやなんだ。自分のいる環境……というか家庭問題それに対して反論してる……と、思った」

「え……と……ふたりとも、家が……例えば竹見先輩はお金持ちの実家が嫌で、五十嵐先輩も家が嫌いで、それを歌にしてるってこと?」

「……どうだ?」

なかなか、筋の通った考察だった。しかし……。


「正解だとしても、納得できない!」

 なぎは険しい表情をした。

「俺家族好きだから、理解できないよ! 何が嫌いかを歌にするより、大切な人への気持ちとか、好きなことを歌詞にすればいいのに! ……サンライズの曲、聞けなくなっちゃうよ……」

「なぎ……」

 創作のモチベーションは人それぞれだ。そこに正解はない。ただ、自分の魂をどう反映させるか。なぎは、楽しくて歌う、まだ「そこ」のなぎには、わからない概念だった。


「俺は……」

 れいとは、少し、わかる。と、いうか、その解釈にたどり着くだけの素養があった。夜働く母親。弟たちは父親が違う。何回か、母親の彼氏だという人物に会った。狭い市営の団地の部屋。

 一方、なぎには、わからなかった。平凡で、決して富裕層というわけではないが、一軒家に三人兄妹。おだやかでつつましく、他愛ない日々。

 ふたりの意見の相違を讃えるように、サンライズの曲が流れて続ける。あつしの甘い声。議論とは、葛藤とはドラマだ。

 れいとはふぅ、と息を吐いた。


「なぎ、よく見てみろ。歌詞、ほら」

「え……」

「俺には、エールに思える」

「……」

 確かに、家庭や環境といったテーゼに対する皮肉めいた強かなアンチテーゼを感じる。しかし、しっかりと、ジンテーゼがある。努力しろ、味方だ、そばにいる。

今、自分のいる場所で苦しんである人間のために歌う。寄り添う。


「……」


「サンライズのPは……Primitive、か。これもいろいろ解釈できるな。なぁ、なぎ、好きとか嫌いとか、そんなに単純じゃないんじゃないか?」

「……確かに、あのシンポジウムのステージで竹見先輩は、何も知らない俺に丁寧に教えてくれた……。竹見先輩はいいひとだと思う……」

「五十嵐先輩と会おう。作詞作曲について、聴いてみないか? きっと、また別の考えが浮かぶ。」

「うん……俺……は……」

 サンライズの楽曲への気づき。主張や、伝えたいこと。なぜ、嫌いだとか、苦しい気持ちを歌詞に、歌にするのか。なぎには、理解はできても納得いかないことばかりだ。しかしだからこそ、サンライズとのコラボには意義があった。

 ここでなぎはようやく、自分の作詞作曲と向き合う気持ちを持てた。他者との比較。サンライズとの比較で出た疑問のおかげだった。


「俺の作詞作曲って、正しくできているかな?」

「……? なぎ……? 何か言ったか?」

 ぽつり、なぎのつぶやきは、サンライズの歌に溶け込むように消え行って、れいとには伝わらなかった。



——————



 翌日。

 日曜日だ。なぎの顔はいまいちぱっとしない。険しいようにも見える。

 とらちよをツテに、ふれいに連絡を取った。意外にもあっさり話は通った。ふれいからは、新曲についてネタ出しをするので、それを手伝って欲しい、と言われた。なぎたちとしてはまさに、格好の頼みだった。話の流れでふれいを誘いたい。

 ふたりはPPCは向かった。


「なぎ、大丈夫か?」

「あんまり……」

 珍しく、なぎにしては不機嫌だった。そのように見えた。

 れいとは、なぎが、サンライズの曲の作り方に対して憤っているのかと思った。いや、なぎは、他者に対して勝手な義憤を持つようなタイプではない。では、どうして。れいとには、いまいち、そこがわからなかった。


「おっすー」

 PPCの指定された場所へ行くと、五十嵐三兄弟……の、末弟のふれいがいた。

 廊下の端にある、休憩スペースだ。自販機と、テーブルと椅子が数個。じっくりと話し合うような場所ではなくて、カジュアルなスペースだ。ふれいはなんとなく、その雰囲気が似合っていた。

 ふたりの兄、環は、温和でいて冷静だ。なぎたちよりもずっと大人だ。つきはどこか厭世的でピリっとした印象がある。影を感じる。そのふたりとは、また違う。


「お疲れ様です」

 なぎがいまいちぱっとしないので、れいとが積極的に前に出た。なぎなら、答えが出ればきっと持ち直す。

「まあまあ座って座って!」

 着席を促される。ふたりはふれいの向かいにそれぞれ座った。

「ゆうひの……なんだっけシンポジウム? 行ったって?」

「え、あ……はい」

「ゆうひの言ってることって難しくない?」

「あー……まぁ」

「俺、話通じるのリーダーだけなんだよね〜。あつしだけ。とらちよはアレだし! だから、メリのふたりとコラボできてすげー嬉しい!」

 ふれいがにか、と笑うと、さすがのなぎも多少の警戒心が解ける。人懐こい印象。

「特に凪屋! 年近いじゃん! 仲良くしよ! なぎって呼ぶわ。白樺……れいとも、俺のことは兄と思ってくれていいよ!」

「え……」

 兄弟の話しは厳禁ではなかったのか、とふたりいたたまれない気持ちになった。まだ、ふれいがどんな人物像が掴めない。

「じゃあ行こうか」

「えっ」

「こんなとこ引きこもってていい曲できるわけねーじゃん! 行くよ! ほら!」

 ふれいが立ち上がる。

「行くよ!」

 ふたりも続いた。三人でPPCを出る。どこへ行くと言うのだろうか。

 秋晴れの空の下をしばらく歩くと住宅街を抜けて、急に人通りが増えた。

 笛と太鼓の音。


「わ! お祭りやってる!」

「俺はこの町内会育ち! 小学生から通ってる祭りよ」

この頃にはなぎの顔色は良くなっていた。

「神社か。けっこう大きいんですね」

「本番つーか、メインイベント……メイン神事? は夜なんだけど、出店は昼からずっとやってんよ。行こう!」

 神社の境内には出店が並ぶ。地元の住民で賑やかだ。祭りにはぴったりの季節。どうやら収穫祭のようだった。

「祭りって、夏のイメージだったな……」

「れいと君のうちの方って、なんかお祭りあったっけ?うちの方はね、二月ごろにお寺のお祭りあるよ。すごーく寒い時にやるんだ。」

「はい、三人分のこれが予算な!」

 境内に入ってすぐ、ふれいが一万円をふたりに見せた。三人なら、十分すぎる額だ。

「え、あの……」

「わぁ! いいんですか! 俺、フルーツ飴食べたいです!」

「なぎ……」

 なぎは素直だ。れいとはすぐに、何かあるな、と察した。



「この一万円を手にするには条件がありまーす!」

 え、となぎが言う。うまい話には裏がある。

「これ見て」

「これは……?」

 ふたりの前に、ふれいが、お守りを見せる。

 それは動物が二匹くっついたような形の変わったお守りだ。神社の名前が書いてある。

「大人気のこれを皆買いに来てるわけ。ほら並んでるだろ?」

 よく見ると売店には長蛇の列。

「ふたりとも手伝いよろしく」

「えっ、ここ、五十嵐先輩の家なんですか?」

「んー……厳密にはちょっと違う。けど、俺の仕事なんだ。付き合ってくれたら、イベント出る件考えるよ」

「!」

「さ、行こうぜ〜」


 なぎはすっかり機嫌も治っていた。考えると言われたら、やるだけだ。ふたりはふれいと神社の中の建物へ入った。

 そこで、テレビで見たような、浅黄色の装束に着替える。

「あ、ふれい君遅いよ!」

「助っ人連れてきたから許して! ふたりとも、バイト経験……ないか。簡単簡単、商品の代金を受け取って、お釣りを渡す! 以上」

 ふれいの雑な説明を受け、ふたりは強制的に現場に出動させられた。


「えーと、えーと……」

 さて仕事能力だが、なぎはいちいちもたつく。何もかもが丁寧すぎる。

「お釣り五百円です。すみません、ご朱印帳は別の受付になります」

 一方れいとはてきぱきと仕事をこなした。要領が良い。


「え、お守りのご利益? えーと……種類が……」

「縁結びでしたらこちらを。合格祈願ならこちらですよ」

「! 五十嵐先……」

「こちらは種類がいくつかありますが、ビジュアルで選んでいただいてよろしいかと」

 てきぱきしているのはふれいも同様だった。なぎへ助け船、列を捌いていく。


「……」

「なぎ、どうした」

「ふれい先輩……家のことが嫌いなように見えないよ。ちゃんとお手伝いもして……慣れてるし」

「まぁ、確かに……」

 ひそひそと話していると、ふたりのもとにふれいがやってきた。

「なぎ、れいと、休憩だって!」

「!」

「遊びに行こう!」


 それから祭り定番のたこやきだの射的だのおみくじだの、本当にただ遊んだだけの時間を過ごした。意外にもなぎが、射的で思わぬ才能を発揮していた。

 だいたい境内の出店を一周した後に、ふれいは神社の奥へ続く道へとふたりを案内した。竹藪で鬱蒼としていて、祭りの喧騒から遠ざかるとどんどん静かになる。


「わー!」

 するといきなり開けた場所に出て、そこから街が一望できた。あまり登って来たつもりはないが、やや小高い坂の上というだけで、絶景が広がる。夕日が出ている。少し寒い。秋の夕暮れは釣瓶落とし。すぐに暗くなる。

「いいとこでしょ。よくばーちゃんと来たんだ」

 ふれいが前へ進む。憧憬に心を寄せている表情だ。しかし、ここまでは神社からの一本道だった。そうそうよく来る場所だろうか。

「やっぱり、神社の関係者なんですか?」

 れいとが尋ねる。

「あー……それは」


「おい!」


 ふれいが口を開くか否かの間際に、大声が響いた。驚いてなぎとれいとが振り返ると、和装の、初老の男がひとり。


「何をしに来た! おまえにウチの境内に入る資格はないと言ったはずだ! 帰れ! 呼んだのはオマエじゃないはずだ!」

「え……」


 男が怒鳴る。ふれいを指差す。ふたりは知り合いのようだった。

なぎもれいともふれいを見る。


「あーはいはい帰るよ。うるせーのに見つかったし。ふたりとも、行こう」

「……」

 なぎとれいとは男の横を通って、ふれいに続いて、来た道を戻った。


「……」

 さく、さく、と土や木の葉を踏み抜く音が響く。竹藪が風に揺れて、乾いた笹の擦れる音がこだまする。

 しばらくは無言だったが、最初に発言したのはふれいだった。


「この神社親戚なんだよね。」

「え……」

 ふれいはどうやら、事情を話してくれるようだった。

「ただ後継者がいなくて、親戚の俺たち三兄弟に白羽の矢が立った。それが、揉めてね〜……。養子にするとかしないとか誰がふさわしいとか占いがどうとか」

「……」

「父親と母親の実家も巻き込んで大騒動になって金目当てのわけわからない奴らが出てくるわばーちゃんは心労で死んじまうわ兄貴はグレて不良グループのリーダーになるわ……」

「……」

「家族ってなんだろね……」

「……」


 なぎは黙って話を聞いていた。ようやく、ふれいの事情がわかった。ふれいが言うには、、神社側のご指名はつきはらしい。しかし、つきはにその気はない。だからたまきがマネージャーとしてそばにいて、彼を守っているそうだ。ふれいがぼやく。ふたりは仲良いんだよね、と。その横顔は寂しそうに見えた。


「なぎさぁ、俺に不満あるでしょ」

 ふれいが足を止めて、なぎに振り向く。もみじが舞う。なぎは無表情でふれいを見つめる。


「……」

「言ってよ。怒らないから」

 れいとは口を挟まなかった。なぎを信頼している。

 竹藪がざわざわと蠢く音が沈黙を彩る。

「はい。えと……サンライズの作詞作曲って、竹見先輩と五十嵐先輩でやってるんですよね?」

「うん」

「ふたりのモチベーションが……主張っていうのが、自分たちのいる環境とか家庭への不満から来るもので……嫌いなものをモチーフやテーマにして曲を作ること、俺は正しくないんはじゃないかって思って……」

 なぎの発言は整理されていてわかりやすかった。考えてきたのだ。なぎなりに。


「なるほどね……」

 ふれいは何か考える。あごに手を当ててくるりと回った。

 これは決して、ディベートでは無いが、ただの他愛ない雑談では済まない。ふたりには折り合いが必要になる。


「何かを作るモチベーションか……あー、なぎさぁ、」

「はい……」

「正しい、正しく無いって、誰がジャッジするの?」

「!」

 ふれいは、怒るわけでもなく、蔑むわけでもなく、ゆっくりとなぎへ問いかけた。

「そんなの、ないの思うんだよね……」

「それは……」

 れいとは、正直なぎがどうしてサンライズの作詞作曲につっかかるのかを、その本質を見抜けていなかった。なぎは家族仲が良いから、ゆうひやふれいのことが理解できないんだろう、とそこまでは出ていた。しかし、その奥に、あと一歩奥に、本懐があった。

「俺たちみたいな作詞作曲のやり方が、凪屋のやり方を否定してるわけではないからね」


「!」


「家族を大切に思ってない俺が作る曲が好きでも、凪屋の家族が大切だって気持ちを否定したり侵そうとしているわけじゃないよ。攻撃してない」

「……」


 ふれいは、今日はじめてまともに話して、今、数回の会話で本懐に踏み込むか否かの手探りをしている状態から、なぎの心理を当てた。

 なぎがなぜ、何に、つっかかっていたか。

 それは、自分の理解できないものへの不理解と浅はかな思い込みから来るものだ。

「あの……俺……」

「まちがった感情を持っちゃって急に自分が恥ずかしくなった、申し訳ないってところかな?」

「!」

 「凪屋、間違いじゃない。……正しいとか、間違いとかじゃ無いんだ。だから、面白いと思わないか?」

「……!」


 面白い。

 その言葉を受けて、なぎの表情が変わる。

 ふれいがにこ、と笑う。


「あ……五十嵐先輩……俺……」

「聞いてるよ。まぁ、メリはいろいろ考えなくちゃいけなくて大変だろうけど……どうせなら、楽しくやろうぜ?」

「五十嵐先輩は、作詞作曲楽しいんですか?ネガティブな歌詞とか、曲でも……」

「楽しいよ。愚痴って楽しいだろ?」

「え、えー……?」

 ふれいに駆け寄ったなぎの肩を、ふれいは激励するように叩いた。なぎがようやく笑顔になる。

 ぱ、と神社周辺の街頭がつく。それから祭りの提灯に火が灯される。あたたかな暖色の光が、夜の闇と手を取り合う。祭囃子、それから人々の声。

 れいとからしたら、このふたりは正反対だ。正反対の理由で作詞を、作曲をしている。けれど、まだたったの数時間を過ごしただけのふたりの間に、正反対だからできる何か、通じるものがあるように感じた。


「今日は、なぎとれいとと祭りが楽しかったけど、あのクソジジイに会った最悪な日でもあるっていう……二面性のある曲を作るぜ!」

「ん、んん〜?」

「イベントのライブでやる! いっしょに歌おうぜ! れいとも!」

「俺はかまいません」

「え、それって……!」


 なぎが期待のこもった目でふれいを見る。

「イベ行くよ! てか、ゆうひも行くっていってたし。俺仲間はずれじゃん」

 れいとからは、え、と声が出た。ゆうひの説得にいつのまにか成功していたようだ。


「やったぁ!」

「結果オーライ……か?」


 竹藪を抜けて、また神社の敷地へ戻る。ついに、ファーレンハイトの全員を説得したのだ。

 境内は親子連れや、友人どうしで祭りに来たひとで、賑わう。

「もうちょっといる? 友達とお祭りひさしぶりなんだ〜」

 なぎがにこにこしていいる。すっかり機嫌が治ったようだ。

 わたあめに近づいていく。

 友達。

 その発言を聞いて、なぎの背中を見るふれいの横顔からはもう、寂しさは消えていた。

三人はしばらく祭りを楽しんで、それから並んでPPCへ戻った。




——————




「緊急事態発生! 緊急事態発生!」


 さて、平日。なぎの教室に、まさかの人物。そう、サンライズのとらちよだ。

 しかも大きな声で、さらに追加でもう一回、緊急事態発生、と言った。


「と、とら先輩⁉︎」

 キャー、と女子が湧く。

 しかしとらちよはそれには反応しない。なぎは慌ててとらちよのもとに駆け寄った。

肌も髪も真っ白。オーバーサイズの服装に、手錠。学校が似合わない。あまりにも非現実的な男。


「敵がここまでやるとはね。油断したよ」

「て、敵? 何かあったんですか?」

「イベントが中止になった」

「えっ……」

「イベント会場は爆破されて、主催者が反対派に誘拐された!」

「え⁉︎ 本当ですか⁉︎」

「ボコボコにされて! 怯えて飛んだ!」

「うそ……」

「作戦会議するよ!」

 あまりの情報量。とらちよの発言になぎは一喜一憂した。

 今度はとらちよが、しっかりとなぎの手をひいて、なぎを連れて廊下を走る。


「あ、あの、どこへ⁉︎」

「あれ、バイクって三人乗りできないな……なぎ小さいし、できるかな」

「え」

 校門へ連れていかれる。するとバイク。サイドカー付きだ。

「さすがあっくん!」

「ようなぎ。ほらヘルメット。とら、どっちだ」

「後ろ!」

 なぎはさっぱり状況がわからないまま、サイドカーに乗せられた。それからは、バイクの爆音で、ろくに話も進まなかった。



——————




 さて、着いたのは、件のイベント会場だ。

 すこし、不気味な雰囲気だった。遊園地の跡地なのだ。なんとか沼なんとかランド、という名前だった。大きい観覧車に、コーヒーカップ、メリーゴーランド。すべてが止まって錆びていて、苔むしている。そして、今にも雨が降り出しそうな曇り空。

 イベント会場として使われる予定だったのは手前の駐車場のスペースらしいが、遊園地の廃墟をバックにしたイベントというのは何とも意味深だ。いや、だからこそここだったのだろう。

 それから、爆破、は大袈裟だったかもしれないが、設備が明らかに壊れていたし、燃やされた跡がある。今はブルーシートで覆われている。


「なぎ、どう思う?」

「え……」

「ティモクラティアの工作員だよね?」

「え……えと……」

 問題は、なぜここに連れてこられたか、である。自分だけ。それを考えなくてはならない。うろうろとするとらちよと対照的に、あつしは半身をバイクにあずけてタバコをふかしている。

「あの、そういえば聞いてなかったんですけど……」

「ん?」

「イベント、何のイベントだったんですか?」

「あー……環境保護だっけか……」

「えぇ……そんな適当な……。あつしさん、動物愛護を訴えているとかって聞いたんですけど……」

「違う。バランスだ」

「へっ」


 あつしはゆっくり姿勢を正して、そこらじゅう荒れ果てた会場を進む。破壊されたステージの上に乗る。ステージからなぎを見下ろした。

「この世はバランスだ。実際、俺たちサンライズのロゴは天秤がモチーフだしな。自分の主張はあって結構。お人形さんじゃねぇんだ。喋って、動いて……。アクションとリアクション。それがコミュニケーションだ。社会の基本、な」

「はぁ……」

「たが自分の主張に傾倒しすぎて他人をないがしろにするのはダメだ。まずは自分を愛さないとな。自分の主義主張を。自分を愛さなきゃひとを愛せない。その辺のバランスを大事にしろろって言ってる。で、動物愛護ってのはそのひとつ。俺は……別に野良猫を保護しろとかは言わない。ほっとけって言ってる。あいつらにはあいつらの世界があるだろってな。ニンゲンとのかかわりも、バランスだ。調和。人生をコントロールしろって話だよ。日々の機微や情緒……世界情勢、すべて、バランスだ」

 あつしの話はまるで歌うかのようになめらかで、退廃めいた遊園地の跡地を背にその主張は実に蠱惑的に響いた。なぎは釘付けだった。どうしてこんなにもこの男は画になるのか。おそらく、あまり自己主張のないものほど、惹かれるだろう。あつしにはカリスマ性があった。ひとが、着いて行く男だ。その証拠が、個人主義で、個性的なとらちよや、掴みどころのないゆうひ、難しい立場のふれい。彼らの居場所であること、だ。

「はぁ…」

「なぎ、サンライズに来い」

「はぁ……。……は⁉︎」


 なぎが大きな声を出した。

 今まで、せつなの脱退、つまりメリの解散に関して、ななみやぎんたがいつでもうちへ……と気を遣ってくれていたことはあったが、こうして面と向かって勧誘されたのは始めてだった。


「え……え⁉︎」

「本気だよ」

「あっくんは嘘言わないよ〜」

 後ろからとらちよが声をかける。あつしが不誠実でないことは、なぎはよくわかっていた。

 あつしはステージから降りて、なぎに近づく。


「お前だけだ。れいとは捨ててこい」

「!」


 途端に、冷たい風が吹き抜ける。

 緊張感がただよう。

 もう何年も動いていない遊園地のアトラクションがきしきしと鳴る。雨が近い。

「お前は合格だよ。いつだって、バランスが良い。自分のやりたいことを、意見を通す強さと、他人からの影響を受け入れようとする努力をしてる。常に、自分と状況を改善しようとする気概がある」

「それ……は……」

 あつしはなぎに一歩一歩近づく。

 曇り空だからかもしれない。なぎからはあつしの顔がよく見えない。あつしはなぎの目の前まできて、なぎの顔に手を寄せた。

 なぎをここへ連れて来て、なぎは真っ先に、なぜここへ来たのかを考えた。何か意味があるのだろう、と。あつしはそれを見抜いていた。

「あいつは違う。あいつはダメだ。五万人のオーディションから選ばれたひとりだとか、歌が上手いとかそんなことどうでもいい。おまえについていってるだけで、他がない。だから、なぎの方がいい。なぎ、おまえだけ、ウチに来い」

「で、できません!」

 なぎはとっさに、半歩ほどあつしから遠ざかった。

「どうして? なぎ、条件反射で答えてる」

 そう言ったのはとらちよだった。

「それは、けど、れいと君を捨てるなんて……そんなの、俺できません! 主張とか、伝えたいこととかよくわからないけど……それだけは言えます」

「じゃあ、ファーレンハイトに……ひゅうがの野郎に誘われたら? 白鳥せつなが戻って来たら?」

「……!」

「それでもあのガキを選ぶか?」

「……」

 どういうことなのか。

 なぜ、こんな質問をされるのか。

 なぎは困惑と、それから、よくわからない感情に支配されていた。どうしたらいいかわからない。指先が冷たい。ぐっと、制服の袖を握る。今すぐにこの空間から逃げ出したかった。

 すると、後ろから車の音がした。スピードを出して駐車場に入って来て、急ブレーキで止まった。

「なぎ!」

「! 熊ちゃん!」

「おっと」

 熊谷だった。

 熊谷がいつものバンから降りてくる。なぎは、安堵した。味方。

「なぎ君、連絡がつかないので……。学友に聞いたら松岡君と出て行ったと聞いて、探しましたよ」

 熊谷にしては、焦っているような雰囲気だ。

「熊谷、ここ圏外なんだよ」

「どうも、不破君、松岡君。……なぎに話があるので、連れ帰ってもいいでしょうか」

「もちろん」

「なぎ、ばいばーい」

「……」

 熊谷は慇懃無礼な態度で、なぎの手を引いて車に乗せた。駐車場には、あつしととらちよ、ふたりが残された。


「あっくん、じゃあ、ほんとなんだね?」

「あ?」

「だって、今敵の名前を口にした! 彼、帰国してるんだ。どうりでエーテルが安定しないわけだ」

「空港で見たんだよ。……あいつには近づくなよ」

「うん、もちろん。破壊者のエネルギーは非常に有害だよ。ほら、紙飛行機が落ちてゆく……」

 とらちよはいつの間にか手にしてた紙飛行機を、その長身からひゅう、と飛ばした。しかし、さほど飛ばずに地面に吸い込まれた。あつしはそれを拾い、帰るぞ、と言った。バイクに乗る前にタバコを一本、火をつける。


「まぁ、熊谷のあの様子じゃ、本当に本人だろうな。……今更何をしに戻って来た? ……白鳥せつな……」


 あつしのつぶやきは、今にも泣き出しそうな曇天に消えていった。



——————




「なぎ君、大丈夫ですか?」

「え、あ……うん。ごめん……連絡つかない場所だと思わなくて……」

「いいんですよ」

 熊谷となぎの乗る車内もまた、どんよりとした雰囲気だった。

「何かありましたか?」

「あ、いや……。熊ちゃんこそ、話って……?」

「はい。数日後に、メリとサンライズが出演予定だったイベントが中止になりました。……さきほどの遊園地の跡地の駐車場でのイベントのことですね」

「あ、それ、聞いた……」

「サンライズとのコラボですが、打ち切りといった形になるかと……これ以上話を続けても、埒が明かないかと。それを決断して欲しいんです」

「……」

 サンライズとのコラボについては最初から波乱だった。まず打ち合わせの段階で何度もうまくいかずにいた。ゆうひやふれいの手伝いをしたことだって、(先にコラボしたユニットのように)特段メリにとってなにかメリットがあったかと言えば、そうでもない。

 この、サンライズとのコラボ自体を見直すよりは、打ち切る、という選択を熊谷は迫っている。


「あの、れいと君と相談したい……」

「白樺君は、文化祭の準備で今日はPPCには来ないと連絡がありました。なぎが先に決断をしてくれれば、白樺くんも考えやすいかと思いますが……」

「……」


 曇り空の下、郊外の道は周りは木々ばかりが鬱蒼としてあまりにも何もない。無感情な風景だった。

 途端になぎは、れいとの顔が見たくなった。

 なぎは、自分のことを考えた。

 もとは、せつなに勧誘されて音楽活動を始めた。音楽は好きだ。歌うのも、曲を作るのも楽しい。せつなが脱退した折に、なぎには選択肢がいくつかあった。

 このままメリを解散し、自分も引退する。ソロになる……。消えていった選択肢を、なぜ選ばなかったのか。なぜ、新しいメンバーを、れいとを勧誘したのか。なぜ、れいとじゃなければだめだと思ったのか。なぜあの日、会見に乱入したのか。

 空は、雲が細かく波打つように広がり、まるでフィンランドの、灰色の海のようだった。


「熊ちゃん」

「はい、なぎ」

「れいと君の学校に行く。送って?」

「もちろんです」


 なぎは、自分の心に従うことにした。



——————


「なぎ!」

「れいと君!」


 れいとの教室まで行くと、気を利かせたれいとの学友がれいとを呼び出してくれた。廊下も、教室も、それぞれの出し物のために飾り付けられている。生徒たちがざわざわと活動していて、なぎはやっとれいとの近くまで行った。文化祭は、今週末だ。


「どうした? ごめんな、今日行かなくて。熊谷からイベントのこと聞いたけど、そのことか?」

 れいとはいつだって誠実だ。なぎを覗き込む。

 雑踏の中、れいとの声に集中する。

 れいとは、なぎがあまり顔色が良くないことに気がついた。

 なぎを見る。浮かない顔だ。


「なぎ、大丈夫か?」

「うん……」

 なぎもまた、少しだけ、じっと、れいとの顔を見た。

「顔見たくてきた……」

「なんだそれ」

 れいとがふ、と笑う。

 何も考えられない。顔を見たら、満足したのか、思考が止まる。

「時間あるか?」

「え」

「プラネタリウム完成したんだ。今から試写会やるから、ボックス席で見よう」

「ボックス席って……」

 中学生のプラネタリウムにしては気の利いた話だ。れいとがなぎの手をひいて、教室へ案内する。ちょうど、プラネタリウムが始まるところだ。

 暗い中、足元に気を使いながら、れいとについてゆく。ダンボールで囲まれた席があった。そこに座る。

 定刻通りに、プラネタリウムが始まった。

「ナレーションのヤツ、上手いだろ。声優志望だってさ」

 れいとの小説をモチーフにした、プラネタリウムの演目。ゆったりとした語り口の物語。

「れいと君の小説の一行目だ……」

「あー……そう。なんか恥ずかしい」

「そんなことないよ……」

 なぎはいつもより覇気がない。

 れいとは、暗がりの中なぎの横顔を見つめた。何かあったのは、わかる。顔が見たいなんて、はじめて言われた。

 プラネタリウムは、れいとの小説をベースに、星座に関する知識を交えながら進行していく。試写会なので、クラスの生徒が、ああでもないこうでもないと話をしている。窓をダンボールとカーテンで遮光した暗い教室。簡易的な家庭用プラネタリウム。それでも十分に幻想的な雰囲気だった。

「なぎ」

「……ん」

「何かあっただろ」

「……」

 なぎは体勢を崩して、ひざをかかかえた。うずくまる。れいとは少しなぎの方に寄った。肩と肩が触れ合う。

「ごめん。今月、俺、学校のことばっかりだったな。話してくれるか?」

「……」

 どこから話せばいいのか。いろいろ考えてきたのに、なぎはれいとの顔を見たらすべてがどつでもよくなってしまった。

 れいとは何も言わなかった。ただ、なぎのそばにいる。それだけだ。

 プラネタリウムが進行する。

 ふたりの男のロードムービー。出会いと、それからトラブルと、最後はふたりは別れることになる。ハッピーエンドのはずなのに、最初このれいとの小説を読んだ時、なぎはこのエンディングに、もやりとした。

 いっしょにいればいいのに。

「どうして……」

「ん?」

「どうして、最後ふたりは、別れちゃうの?」

 なぎは聞いた。顔はふせたままだ。聞き取りにくい。それでも、れいとにだけ、届いた。

「それは……」

 それは、小説を読めばわかることだった。ふたりは行きずりだ。それぞれの生活があり、それは交わらない。一夜の、夢。

 れいとは返答に困った。フィクションの話と、なぎの話が多分、混同している。

「俺の……なのに……」

「え?」

「俺……言い返せなかった、……」

何の話なのか、れいとにはわからない。

「俺が選んだのに……」

「……」

 すると、少しだけ、暗い教師は明るくなる。夜明けの色だ。演出が入る。物語が佳境に入るからだ。

「なぎ」

「……」

「なぎ、聞いて」

 物語が進む。

 すると、最後が、れいとの書いた、オリジナルの小説と違う。

「え……」

「変えたんだ。プラネタリウム見たひとだけの特別なエンディングにした」

「……!」

 ナレーションが進む。ふたりの男は街までいっしょに来る。片方の家の前で別れるが、再会する……。そういうエンディングになっていた。ふたりはその後も、良い友人であり続けた……。

 少し余韻を残して、教室に灯りが戻る。生徒たちの反応は上場で、本番が楽しみな様子だ。

 なぎはようやく、顔をあげた。

「……れいと君」

「何があった? ……話せるなら。話したくないなら、聞かない」

「れいと君〜!」

 なぎがれいとに抱きつく。れいとは首が閉まって、うっ、とささやかなうめき声を上げた。

 なぎの背中をタップする。

 クラスメイトはふたりに注目した。

「俺、俺……!」

「わかった。なぎ、ちょっと……」

 なぎはれいとに、遊園地の跡地であったことを話そうと思った。正直に、あつしの言った事を一字一句できるだけ正確に。それから、それを受けて、自分の思ったことを、話したかった。

 サンライズとのコラボがうまくいっていないことや、あつしの質問に答えられなくて、どうしたらいいかわからなくなって、来たこと。れいとは何も話せずにいるなぎをしばらくそのまま抱きしめていた。れいとのクラスメイトはふたりをほっておいてくれた。

 話したかった。けれど、れいとには言いたくなかった。自分より絶対に、れいとの方が、価値がある。あつしの考え方ではそうではないかもしれないが、普段あまり強い主張を持たずに優柔不断に生きている自分でも、それははっきりと、否定できる。それだけははっきりと、違うと言える。

 自分が、れいとを選んだ。

 彼と歌いたいと思ったから。


 なぎが、れいとから離れた。少しだけ。

「れいと君」

「ん……」

「サンライズが出るイベントに出る予定で……それまでに、自分たちの伝えたいことを考えてこいってことだったけど、……イベント、無くなったんだ」

「うん」

「俺、主張とか、伝えたいこととかわからないよ。けど、これだけは言える。れいと君と会った時からずっと思ってた。これだけは、絶対に言える。何百何千何億のひとの前で、いつ、どんな時だって言える……! れいと君と歌いたい。れいと君と、メリでいたい……!」


 ようやく、なぎの顔が見えた。

 強い主張とともに。

 でも、れいとは、このなぎの告白に、無感動だったわけではないが、突き動かされるほどのことがなかった。なぜなら、知っていることだったからだ。れいとの中で、今のなぎの言葉は不動の、絶対的な揺るぎない価値観だった。

 なぎは、自分と歌いたいから、いっしょにいる。れいともまた、この事実を、何億の人間の前で、いつだって、どんな時だって、言える。

「なぎ、それ、知ってる」

「え」

「俺もだ」

「あれ、言ったってけ……」

「言ったかもな? けど、言わなくても、わかる。俺もそう思ってる」

「……」

「……」

「じゃあ、えと……これは? 俺、ひゅうが君にファーレンハイトに誘われたり、ななみ君にツインテイルに誘われたり、ぎんた君にミーハニアに誘われたりしても、行かないよ。れいと君を選ぶよ」

「それは初めて聞くかも。けど、それも知ってる」

 ふ、とれいとは笑った。

 言わなくても伝わることはある。聞くまでもないことが、ある。

 わかっていることがある。

 なぎがあつしに、反論できなかったこと。きっとその場にれいとがいても、気にしなかったはずだ。ふたりの絆はもはや、言葉ひとつでどうにかなるほどのものでは、ない。


「イベント、やり直せないかな」

「!」

 今度はれいとから、提案があった。

「や、やり直す?」

「熊谷なんて言ってた?」

「あ……サンライズとのコラボを打ち切るか決断しろって……」

「続けよう。俺たちでイベントの主催者になるんだ」

「ど、どうやって……」

「予定通り場所借りて、あそこ場所代は安いらしいし。内容考え直して、逆にサンライズを誘う」

「逆に誘う⁉︎ あつしさんを⁉︎」

「驚かせてやればいい」

「で……できるかな……」

 れいとの提案は突拍子もないものだった。実現可能か否かはわからない。イベントとして成功するかも。

「もともと、大規模なフェスとかじゃなくて、地元の空き地を借りた有志のイベントだったっぽいし……出る気だったヤツに声かけてさ、戻って来てもらおう」

「……」

「俺には伝えたいことがちゃんとある。でもそれは、なぎにだけ伝わってればいいことだからさ。他のひとにもって思ったこと、ない」

「それは……俺も……」

 だから、サンライズのように、主張を歌にのせることがなかったのかもしれない。なぎは今ようやく、ふれいの作詞作曲の方法の本懐が腑に落ちた。ふれいが、自分の家族のことを歌にするその本懐、誰かに聞いて欲しい、伝えたいという外側へ向けた気持ち。それがなぎには無かった。れいとに伝わっていれば、それで良かったから。

 ここで、はっと、あつしに、れいとの価値が低いと言われ、どうしたらよいかわからなくなったことを思い出した。


 そうだ。

 違うと言えばいい。

 歌で、反論すればいい。

 れいとがいかに素晴らしいかを、あつしに示せばいいのだ。


 自分にも、強い主張が、ある。


「……っ」

 あつしは、自分を焚き付けるつもりだったのかもしれない。今はわからないが、この、強い主張を自覚することが、今後の音楽活動で大切で、それを教えようとしたのかもしれない。あつしは無闇にひとを不愉快にさせようとするような男ではない。

「れ、れいと君」

 あつしに、聞いてもらわなくてはならない。

 自分の答えを。


「やろう!」

「よし」

 ふたりの問題が解決したことを察したのか、教室から拍手が出る。

 れいとの級友はみんな温かい。

 なぎは照れくさそうに、笑った。




——————





「だめかぁー……」


 翌日。

 PPC。急に熊谷を呼んだので、会議室が取れなかった。廊下の片隅の休憩スペースに三人。

 なぎとれいとは、計画を熊谷に話した。熊谷は真剣に取り合ってくれた。そして、主催者や、運営を担当するはずだった会社、その下請けなど、さまざまな機関に再度イベントの開催に協力してくれないかを要請してくれたのである。しかし。


「肝心の、遊園地の跡地の管理会社が、先のイベント襲撃事件を受けて、しばらく場所を貸すようなことはしたくないとのことで……」

 場所がなければ、どうしようもない。

「さすがにだめか……」

「うーん……。熊ちゃん、いろいろありがとう……。コラボ打ち切りの決断のはずだったのに……俺……」

「いいんですよ、なぎ君。さ、どうしますか? 次を考えましょう」

「次……」


 せっかく捻り出したアイデアが潰れて意気消沈するふたりを熊谷が鼓舞する。七転び八起き。熊谷は社会人だけあって、打たれ強い。

「イベントでなくてはならないのでしょうか。不破君を呼び出して、ふたりの歌を聞かせてさしあげては?」

「それは……そうなんだけど……」

 熊谷の提案になぎは考える。

「今はね……あつしさんだけじゃなくて、もっと大勢に、俺のれいと君を自慢したい気分で……」

「しばらくメリはライブないですしね……」

 手詰まり。

 どんよりとした空気だ。

 れいとが気遣って、別の話題を振った。


「あー……なぎ、熊谷、ふたりは、文化祭来るか?」

「あ……外部のひとも行ける年なんだっけ?」

「うん。だから……」


「白樺君それって、ライブのステージとかないんですか?」

「‼︎」


 凝光。

 一筋の光だ。


「え、中学……だよね? そういうのあるの?」

「あー……待て、えーと、あったような。聞く」

「本番は明後日でしたよね」

「なんか、軽音部のやつらが、そんな話してた気はするだけが、俺は部活に入ってないし……あー、あった」

 れいとががさがさとかばんから、クリアファイルを取り出す。大量のプリント。読んでいるのかいないのか。れいとの子どもらしい一面に、なぎと熊谷はくすりとした。普段は冷静なスーパースターなので、なおさらだ。

「これだ、えーと……ライブステージがあって……出演したい時は……今日までだぞ!」

「ほんとに⁉︎」


 れいとがふたりにプリントを見せる。確かに日付は今日の放課後になっている。つまり、今。

 れいとはプリントに載っている連絡先へメッセージを送る。

「あとは、不破君たちが来てくれるか、ですね」

「う、うん!」

「それと、これがPPCからコラボとみなされるかどうか、もありますね」

「サンライズはさすがに出演だめ……か。文化祭だもんね……てか、俺出演していいのかな。他校の高校生なんだけど」

「なぎ、熊谷」

 スマホ片手に、れいとが神妙な面持ちでふたりを見つめる。

「出演許可出た」

「!」

 やったぁ! となぎは飛び上がって喜んだ。あとはサンライズが来てくれるかどうかだ。一番歌を聞かせたい張本人は、あつしだ。

「しかもあと三十秒で締め切りだったし、なんなら俺たちがトリだ」

「え、れいと君、俺出ていいの?」

「メリって言ったし、ばれなきゃいい」

「ええ……」

 もう無茶苦茶だ。しかし、やるしかない。

「会社からコラボだと認められなかったり、コラボ打ち切りとかの場合って、どうなるの?」

 なぎが熊谷に問う。

「そういうユニットも珍しくはありませんよ。加算されないだけで、ペナルティなどはありません。」

「ステージにサンライズを、乱入させる?」


「うーん、場合による!」

「!」


 なぎの少し恐ろしい提案に後ろから声がかかった。

「とら先輩!」

「松岡君、聞いていたんですね」

 神出鬼没。松岡とらちよ。相変わらずだらりとした雰囲気で、気だるそうにしている。

ふらふらと三人に近寄る。


「聞いてたよ。と、いうか、使徒の会話は俺にはぜーんぶ筒抜け」

 紙ひこうきがすっ、と三人の囲むテーブルに乗る。なぜかいつもしている手錠がちゃらちゃらと鳴る。

「ステージ、俺たちにも登ってほしいの?」

「え、れいと君、学校に怒られない?」

「無礼講だろ。松岡先輩、どうでしょうか」

「君たち次第! 君たちの歌を当日聞いて……あっくんが納得した時は君たちに従うように俺からあっくんに言ってあげる〜」

 とらちよがなぎの頭に、自分の頭を乗せて、両手でピースサインを作った。

「とら先輩!」

「ありがとうございます」

「熊谷、聞かなかったことにしてね。学校より、会社におこられそ〜」

「クリエイティブイベントでは時折常識や一般論よりもクリエイティブかどうや自主性が重んじられます。点数に関しては審査員次第。あとは何ごともなければ……でしょうか」

「楽しみにしてるよ、メリ」

 そう言うと、とらちよは去っていった。なぎはやはり、あつしが自分を焚き付けるためにわざとれいとを貶したのではないか、と考えた。答えは、おのずとわかる。

「曲、練習しないと。本番すぐだぞ」

「うん! そうだね!」


 メリのふたりは何千の人が集まる場所で歌ったことがある。せいぜいたかが数百人の、市立中学校の会場など、わけないステージだ。しかし、手を抜く気はない。サンライズに、あつしに、聞いてくれる皆に、本気の歌を届ける。

 七転び八起き。あとはやるだけだ。次の1日を練習に費やし、あっと言う間に、文化祭の日になった。



——————




 さて、本番当日。いよいよ、という段階でまずいことが発覚した。


「うちの中学のやつしかステージに立てないらしい」

「やっぱり……」


 完全に確認不足だが、よく考えれば当たり前のことだった。これは文化祭だ。

校門の前で、なぎとれいとは項垂れる。しかし、次のアイデアを考えなくてはならない。今更引くことはできない。

「午前中のリハは、とりあえず俺ひとりで行く。それまでに何か考える」

「何かって……」

 すっかり意気消沈のなぎがじとりとした視線をれいとに向ける。

「バレなきゃいいんだよ。……なぎ、あんた身長一六〇くらいか?」

 れいとがなぎを見つめる、頭の先から、つま先まで。身長一六〇ほど。痩せ型。

「そうだけど……」

「よし、行くぞ」


 校内へ。もうすぐ一般入場開始だ。なぎはれいとと共に、校内へ。生徒であるれいとが手をひいているので、誰も気にしない。

 れいとの教室のプラネタリウムへ連れていかれる。

 クラスメイトはなぎをもう見知った仲で、部外者のなぎの存在に驚かない。なぎは皆におはよー、と声をかけた。しかし、れいとの考えがわからない。

「なぎ、リハと……制服調達してくる。俺の代わりにこれ」

「えっ」

 なぎにプラカードが手渡される。光る素材で、出口と書かれている。

「みんな悪い、よろしく」

 その場にいた数名がはーい、と返事をした。

 なぎはわけのわからないままその場に取り残されて、何か会った時の安全のための出口の誘導員として、プラネタリウムの最初の公演の間を過ごした。



——————



「れいと君……」

「すまん。それしかない」


 なぎは、ちょっとだけ怒っているのと、恥ずかしいことで顔を赤くしていた。手には、この中学校の制服。ただし、下がスカートだ。

「俺、女装するの⁉︎」

「俺はそのサイズは入らない」

「う……」

「前、ポップコーンのライブで女装したろ」

「あの時はみんなだったじゃん! 俺ひとりだよ⁉︎」

 なぎは思わずれいとに肩パンを喰らわせた。しかし、いくらわめいても、問題は解決しない。

「……わかった。うー……これ、短くない? 改造してない?」

「貸してくれたヤツが、あー……ギャルだから」

 ギャルとは。なぎの頭にはちょっと派手な女の子が思い浮かんだ。れいとの体操着をまくって着る、という選択肢もあったのだが、れいとは言わなかった。

「洗って返した方いいの? 俺が着た後の、ヤじゃない?」

「なぎのこと話したら、いいって言ってた」

「うー、ごめんなさい! 借ります!」

 なぎは見ず知らずのギャルに心の中で謝り、感謝して、制服に袖を通した。上はセーラー服、下のスカートは短い。切ってあるのだ。

 スカーフをどうやって通すのかわからなくて、れいとが手伝う。

 文化祭真っ最中で誰も来ない空き教室の片隅。妙な光景で、雰囲気。

 着替えを終わり、なぎが立ち上がる。れいとは自分のあごに手を添えてじーっとなぎを見た。なぎは真っ赤になった。

「ああ……うー……」

「なぎ、似合ってる」

「うれしくない!」

 れいとの精一杯の気遣いに、なぎはもう一回肩パンで応酬した。

 すると、ひとりの生徒がばたばたと廊下を走ってきた。

「良かった! 見つけた!」

 なぎとれいとを探していたらしい。



「あの、実はっ……」


——————




 いよいよ、本番。

 さて、一方の熊谷には重大な役目があった。

 サンライズを、サンライズとばれずに、ライブ会場である第二体育館へ誘導すること。

が、熊谷は早々にそれは諦めていた。

 よう、と声をかけられる。あつしに、とらちよ、ゆうひ、ふれい。全員いる。ばっちり目立っていた。周りの人物が写真を撮っている。サンライズだ! と。もうバレている。パニックになっていないだけまだマシだ。ふれいはギャラリーに手を振っていた。小さい中学校で良かったと熊谷は安堵した。なんというか場違いだ。四人とも、学校が似合わない。しかし、こうして来てくれた。

 四人を案内する。会社に怒られた時は、その時だ。


「なぁ、熊谷」

あつしが熊谷に声をかける。

「この間、空港で、見たぞ」

「……何のことでしょうか」

 雑踏。熊谷は足を止めずに進んだ。人と人の間を進む。あつしではなく、とらちよが声を上げた。

「ふつー誰をって聞くよ! 熊谷、やっぱりまだ工作員なんだ……!」

「ふーん……まぁ、白鳥せつなの脱退、急で、おかしかったもんな。何かあるとは思ってたけど」

「なぎと仲良くなったんだ。何かあったらフツーに俺怒るぞ」

 それからゆうひ、ふれいの順で発言が続く。熊谷はそれらを背中で受け止めて、無視をした。サングラスの下から、あつしの鋭い瞳が、熊谷の背中をじっと見つめていた。



——————




「えっ、出演時間が早くなった⁉︎」


 なんと、出演予定だった二組が、逃げた。

リハの時点では誰もいなかった体育館に、百人程度が集まっているのだ。それを見て、逃げたらしい。

 なぎ、れいとの前の二人だ。

 本番まで、もうすぐになってしまった。

 ふたりは呼びに来た生徒とともに小走りで体育館へ到着した。

「あの、それで、おふたり、よければ最後まで時間を使ってもらえると……」

 運営の生徒がふたりに懇願する。尺を埋めろ、というわけだ。はぁはぁと息があがっている。

「なぎ、どうする」

「俺はいいよ?」

「……なぎ」

「あっ! わたっ、私はいいよ! できます!」

 なぎの微妙な振る舞いを怪しまれたかと思ったが、ふたりが快く条件を飲んだことから、運営の生徒は喜んでふたりをステージへ案内する。もう、前の生徒の歌が終わりそうだ。次が出番だ。ふたりにとっては小さいステージかもしれない。しかしメリはファン重視の姿勢をとって来た。どんなライブも、真意に歌ってきた。

「! あつしさんたちいる、……!」

「わかるのか?」

「目立ちまくってる!」

 なぎがこっそりとステージ袖から観客の方を覗く。熊谷に、サンライズの四人。サンライズ側からは見えないはずなのに、なぜかなぎの気配を察知したとらちよがなぎへ手を振っていた。

 前の生徒が演奏を終わる。メリの番だ。ふたりとも目を見合わせる。あわただしく、心の準備をする暇もなかった。ふたりはステージへ駆け出した。


 わっ、と生徒たちが盛り上がる。

 自己紹介、それから曲名は抜きだ。一曲目。

 なぎとれいとからはばっちり、サンライズと熊谷がいるのがわかった。

 なぎはぐ、とギターの弦に力を込めた。

あつしに、答えを伝える。

 れいとと歌いたい、それが自分の考えであることを。


「あんなコいた?」

「れいとの隣誰?」


 生徒たちがちらほら、そんな会話をしているのが、熊谷の耳に入った。強引な手段に出たようだ。なぎらしい、と思った。くすりと笑う。

 肝心のあつしを見ると、あつしもまた、笑っていた。元凶のくせに、優雅なものだった。

「なんでなぎスカートなの?」

「さぁ……?」

「凪屋……へぇー……こんな感じなんだ……」

 ゆうひとふれいが、なぎたちのパフォーマンスに見入る。

 そう、言葉は不要だ。


 メリ。ふたりともまだまだ荒削りで、拙い。

 サンライズのように確固たるものもないし、ファーレンハイトのように割り切ってもいない。

 進化の途中で、伸び代があって……。いや、何より、楽しそうだった。

ふたりでいることの意味。


 メリの、なぎの、れいとの、伝えたいこと。


 ゆうひもふれいもわかっていた。

「よし、行こう」


 ゆうひとふれいの間に、とらちよが割り込む。ふたりの肩を抱く。

「え、いいのか? 大混乱にならない?」

「こんなちっちゃい体育館で? 大丈夫大丈夫! さっと歌って、退散!」

 ふれいがにやりと笑う。大歓迎だ。ゆひも頷く。めずらしく浮ついた表情に見える。

 とらちよに促されるままに、とらちよと、ゆうひとふれいがステージへ向かう。あつしはそれを見送る。

「不破くんもどうぞ」

 熊谷が促す。

「あー、ガキのステージに乱入するのはちょっとな。……それに、すぐに、なぎと歌うことになるさ」

「……不破くん、それは……」

「熊谷。……白鳥せつなと、どんなこと考えてるかは知らねぇ。だが……」

「なぎはお前らよりデカくなるぞ」

「……」

「れいともな」

 そう言うと、あつしは体育館を後にした。タバコが吸いたくなったのだろう。校内に喫煙所などない。ここはつまり、あつしのいる場所ではない。

 ステージから歓声が上がる。

 ステージにはとらちよと、ゆうひとふれいが乱入していた。


 曲が、サンライズのカバーになる。あつしはそれを背中で聞いた。これから社会へ巣立つ、自分よりもずっと若いものたちの場所。希望に満ち溢れた場所。世界はバランスだ。より良い世界。歌うのなら、希望がいい。絶望感や、閉塞感や、無力感を知るからこそ、夢と無知と全能感を与えられる。あつしは校外に出てから、一本、タバコを燻らせた。



——————





「先日の白樺君の学校の文化祭でのステージが、正式にコラボだと認められました」




 PPCのとある会議室。

熊谷から伝えられた事実。


「やった〜〜〜〜‼︎‼︎」

 なぎが大きなリアクションを取った。

 ばんざい。それにふさわしい内容だ。

「良かったな」

 相変わらず冷静なれいと。

「呼んでくれよー! 中学の学園祭なんて、絶好の撮影チャンスだったのにー!」

 それから、道明寺。

「不破君が、口添えしてくれたようです」

「え、あつしさん……? そうなんだ……」

 熊谷の言葉どおり。正式にコラボをしたと会社に言ってくれたそうだ。だが、メリはともかく、サンライズ側に恩恵があったようには思えない。あつしに至っては、なぎは迷惑をるかけっぱなしだっただけに思う。あつしらしい行動に思えた。


「それと……我々にとっては朗報なんですけど、ミーハニアが順位を落としています」

「え」

 なぎ、れいと双方ミーハニアのメンバーとは懇意なので、熊谷はあくまでふたりに事実として伝えた。ミーハニアはメンバーのそれぞれの活動が忙しく、メリとのコラボ以降コラボをしていない。ミーハニアの人気自体に問題はないが、クリエイティブイベントでの順位、という点を鑑みると、昨年よりは順位が落ちるのでは、とのことだった。

 その話を聞いて、なぎは複雑そうにしていた。確かに、最近ぎんたは忙しそうだった。体調などは大丈夫だろうかと心配になる。れいとは、別の視点だった。

「次のファーレンハイトとのコラボ次第では、メリが六位以内に入るのも、あり得るか?」

「……そうだといいですね。逆に、ポップコーンが追い上げてきています。ですが、他ユニットとのコラボに積極的ではないので、最終予想が見えません。気を抜くのは良くないかと」

 つまりは、何にせよ、最後のコラボ、ファーレンハイトとのコラボで実力を出し切る。それ以外にない。ここで人気六位に入れなければ、それまでだ。

 会議室はしん、と静まり返って、神妙な雰囲気になる。メリ解散か否か。時間だけは誰にでも平等だ。もうすぐすべての結果が出る。


「まぁまぁ、これでも見てくれよ」

 道明寺が話をさえぎり、テーブルの真ん中にノートパソコンを置く。

 ファイルを開くと、それは電子書籍のファイル形式で、フォトブックのだいたいのページのレイアウトが決まったものだった。まだ一部写真やコメントなどが抜けているが、八割完成している。

「え、わー! すごーい!」

 なぎとれいとが、ノートパソコンに見入る。

「マネージャーさんのチェック済みでーす。いやー厳しいのなんの……おっと。でな、まだ空いてるとこあるだろ? 入れたい写真とかあるか考えて俺に教えてくれるか? ほかにも、これは嫌だとか、こうしたいとか、最終決定になるから、そうだな、来週までにじっくり考えてもらえるか?」

 道明寺はなぎ、れいとにそれぞれファイルを送ると言った。

 なぎはいまいち聞いていない。フォトブックに夢中だ。れいとに話しかける。

「ねぇこれ、あの海行った時の!」

「あぁ……なんか外国みたいに見えるな」

「これ、湘南? 江ノ島の? れいと君撮ったやつ?」

「そうだな、懐かしいな……」


 ふたりは写真を見て、これまでのふたりよ思い出を振り返った。その様子を、熊谷と道明寺が見守る。


 四月、なぎとれいとの出会い。内部情報のリーク事件や、会見での騒動を経て、れいとと「メリ」になった。

 五月、クリエイティブイベントで結果を残さなくてはならなくなったこと。それからゲリラライブ。

 六月、はじめてのクリエイティブイベント。ツインテイルとのコラボだ。

 七月にはミーハニアとコラボした。沖縄に撮影に行った思い出。八月のコラボはポップコーンと。それからつい先日の、サンライズとのコラボ。

 フォトブックでメリの軌跡振り返ると、ここ数ヶ月、なぎはれいととの時間が、どれほど大変で、それでいてどれほど楽しくて、どれほど大切なものなのかを、改めて実感した。タブレットを持つ指先に力が入る。


 失ってはならない。

 れいとと、歌いたい。

 メリでいたい。


「……ファーレンハイトとのコラボ、がんばろうね」

 泣いても笑っても、最後のコラボだ。

「あぁ」

 れいとが頷く。

「れいと君、俺……これからもずっとれいと君と歌いたいな。だから……」

「なぎ……」

「だからこれからも、ずっと仲良くしていようね」



 この日の話し合いは、フォトブックの件と、それから、ファーレンハイトとのコラボにあたり、打ち合わせの日取りを決めた。

 もうす十一月。もし、メリが人気投票六位以内に入れたとして、そこからさらに人気投票3位以内に入らないといけない。年末のライブは十二月の末だ。

 新しい曲を考えたりもしなくてはならない。メリとしての仕事もある。

 ここから年末まで、駆け抜けるような忙しさになるだろう。

 すっかり葉の落ちた街路樹が木枯らしに打たれる。すべてを決める冬が、目前にいた。




——————





 十月末、ファーレンハイトとの打ち合わせが決まった。ファーレンハイトは十一月半ばにライブがあり、そのためメンバーができるだけ集まっているらしい。ファーレンハイトのスタジオに来るようにと、マネージャーの環から連絡があった。


 熊谷からその連絡を受けたのは、れいとが先だった。熊谷と、なぎとれいととのグループでのメッセージの方で、なぎの既読がつかない。なぎも授業中なのだろうか? 先日のなぎの様子を思い出す。


 れいと君、俺……これからもずっとれいと君と歌いたいな。だから……だからこれからも、ずっと仲良くしていようね


 自分も同じ気持ちだ。

 言えば良かった。

 熊谷と道明寺がいて、恥ずかしかった。

 なぎのように、堂々としていられない。なぎは、すごい。


 文化祭も終わり、期末テストへ向けてぴりぴりとする雰囲気の教室で、れいとは窓の外を見た。この教室で、なぎとプラネタリウムを見たことを思い出す。すると、教師が、よそ見しているれいとを名指しして、問題を解くように言った。れいとは黒板へ向かって、それからあっさりと数学の問題を解いた。

「まったく……おまえ当てがいないぞ!」

「……」

「よそ見して何考えてたんだ。大丈夫か? 仕事で疲れてるのか?」

「あー……すいません」

 教師がれいとを気遣う。れいとがメリであるということは周知の事実だ。すると、前の方の席の男子が、彼女のことだろ、とからかった。

「メリの白樺れいとに彼女ぉ? そりゃスキャンダルだ」

「彼女じゃないです。あれは……あー……」

 なぎのことだ。文化祭で、なぎが制服を借りて、この学校の生徒になりすまして歌ったこと。それを揶揄われている。

「彼女とか作ってる暇ないんで」

 れいとはそう言うと席に戻った。

 れいとが、メリの活動に熱心であることは、同級生は皆知っていた。もともと幼稚園と小学校からほぼメンバーの変わらないような学校だ。幼馴染がいつの間にか芸能人。それでも、同級生の態度は変わらない。

「メリ仲いいよな」

 どこかの席の生徒がつぶやいた。

 そうだ。

 なぎと、このままでいたい。

 そのためにも、コラボを成功させなくてはならない……。

 スマホに目を向ける。すると、別のメッセージが入っていた。

 弟だった。弟とはそれぞれメッセージをやり取りしている。次男の、あやとからだった。珍しい。あやとからメッセージなんて、いつぶりだろうか。


「……」


 メッセージを開いて、れいとはすぐに閉じた。




 どうして。




 どうしてこのタイミングで。

 大事な時なのに。

 心臓がどきどきとして、嫌な汗が出るのがわかった。教師の声が教室にたんたんと響く。黒板の音。生徒たちは静かだ。なのに、妙に大きい音に聞こえる。上履きが小さいような気がする。空調が暑いような気がする。今この瞬間の、すべてが不快だった。




 弟の、あやとからのメッセージは、こうだった。



『あんたの親父が母さんと会ってた。兄貴しばらく帰ってくんな』






——————




「うわ、どした?」


 るきの声だった。

 れいとは、はっとした。

 学校で、弟からのメッセージを受けてから、今までの記憶が曖昧だった。ぼんやりとしていた。


「あ……」

「おい、大丈夫かよ」

「……」

「れいと?」

 れいとはあたりを見回した。ここは、るきのマンションのロビーだ。コンシェルジュが入れてくれた。るきの部屋ではない、ゲスト専用の個室で飲み物を出してくれて、帰宅したるきが今、目の前にいる。少しかがんで、ソファに座るれいとに、目線をあわせる。れいとの目の前で手のひらを上下した。もう一度、大丈夫か、れいと? と聞いた。

「……あぁ」

「やっとしゃべった。めずらしいな連絡無しに来るなんて。ま、別にいいけど? 俺忙しいから、良かったな、たまたま俺が早く帰ってきて」

 るきはいつもの様子で、演技がかった高飛車なそぶりを見せた。さっきまでれいとの様子がおかしいことを本気で心配していたのに、だ。

「なぎは?」

「いや、俺ひとりだ……」

れいとは自分の両方の手で顔をおおった。冷静に、しっかりしろ、頭を冷やせ……。心で唱える。深呼吸をした。

「だ、大丈夫かよ、本当に……」

るきの声色は、心底自分を心配してくれている人間のそれで、安心した。なぎに会いたくなった。

「今日、泊まっていいか? ……いや、しばらく」

「別にいいけど……なぎは? あいつ拗ねるぞ。ジョンもなぎに会いたがる」

「俺の……家庭の事情なんだ……」

 れいとはそれだけは、るきに言った。こういう形で頼れる友人がいたことをありがたく思っている。るきはしっかりと察したのだろう。れいとが家庭に問題があり、帰れないこと。なぎにそれを言っていないこと。言うつもりがおそらくないこと。るきは、それ以上は聞かなかった。

 それからふたりで、るきの部屋に向かった。静寂と無言。しかし途中の専用のエレベーターで、るきが目を合わせてきて、それから逸らして、れいとに問う。




「……なぎとケンカとかしてるわけじゃない?」

「は? 何で……」

「なら、いいけど……」

 随分と唐突な話だった。

 エレベーターのドアが静かに開く。るきが先に降りようとした。しかし、ばん、と大きい音をたてて、れいとが手を壁について、るきの行く手を塞いだ。

「さっきの、どういう意味だ」

「あ? どけよ、別に何も意味ねぇよ」

「……」

「れいと」

「るき、何だ。何で……何かあったんだろ⁉︎」

「うるせぇな! でかい声出すなよ!」

「るき!」

 れいとはるきの腕をぐっと掴んだ。

 おかしい。何かがおかしい。最初の違和感は、いつだろう。そうだ。ダムセンターだ。熊谷が、あつしと何かを話していたのを、隠すような素振りだった。何かを隠している。


「なぎの、……熊谷となぎとのメッセージ、なぎの既読がついてない…」

「あ……それは、あー……多分、ひゅうがさんといるから」

「何で」

「何でって、仲いいだろあのふたり、それで」

 るきが、れいとの腕をどかして、エレベーターから降りる。れいとも続いた。スマホを見る。まだ、なぎの既読がつかない。

 るきが部屋のドアを開ける。れいとも中へ入った。

 大理石の玄関。れいとの家のリビングより広いような空間だ。空のシューズクロークすら、おそらくれいとの部屋より広い。物がない、無機質な空間。

 るきが立ち止まる。

 れいともそれに気づいて、立ち止まった。

 るきが振り向く。

「……俺さ」

「何……」

「お前たちには、メリには……仲良くしててほしい」

普段、高飛車ぶって演技がかったような言動のるきにしては珍しい、落ち着いた、素の様子だった。

「……」

「だから、言う。……今日聞いたんだ。関係ない……ことはないと思うから」

「何だ……」

「白鳥せつな」

「……」

「わかんないよな。俺も知らないヤツだ。白鳥せつな。前のメリのメンバー。なぎを誘ってメリを結成したやつ。そんで、いきなりなぎを捨てて外国行ったヤツ」

「……」

 るきの家は、音がしない。れいとの団地は、手前のじゃりの駐車場や、隣の部屋の乳幼児の泣き声がいつもしている。

 静寂。何もない。

 嫌な予感がした。

 続きを聞きたくなかった。


「帰国してるらしい。マネージャーが、不破先輩通じて、五十嵐先輩経由で、ひゅうがさんに情報きて……」

「……それが、何だ。白鳥せつなはもうPPC辞めたんだろ?」

「辞めてる。……けど」

「けど?」

 るきは、目をあわせなかった。



「個人事務所たちあげて、そこになぎを連れてくつもりらしい」


 既読がつかない。

 ひゅうがは、なぎといる。熊谷と、あつしらと何を話していた?

 れいとは指先が冷たくなるのを感じた。


 なぎに。


 

 なぎに。



 なぎに、捨てられる。



 れいとは、未だに既読のつかないスマホを見て、それから電話をかけた。出ない。

「れいと、落ち着けよ。何もなぎは……」

 るきが心配そうに近寄ってくるのを、無視した。出ない。出ない!


『留守番電話サービスです。御用の方は……』


「なぎ……」


 れいとの学校の文化祭で、プラネタリウムの試写会が終わった後に、なぎが言ったことを思い出す。

 なぎの笑顔を思い出す。



 何百何千何億のひとの前で、いつ、どんな時だって言える……! れいと君と歌いたい。れいと君と、メリでいたい……!








 ピー、と、留守番電話にメッセージを残すための音が聞こえる。るきにも聞こえた。れいとはスマホを、顔からゆっくりと離すか、離さないかのタイミングで、おそらく無意識に、つぶやいた。













「嘘つき……」

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