第4話 ミーハニア

第4章 ミーハニア



とある病院に、一台の車が止まる。クリニックや医院ではなく病院であることに留意してほしい。(病床数の違いであり、つまりはここが大きい病院だという示唆である)

そのうちの一角の健康診断センターは、人間ドッグや健康診断の専門になっていて、そこの待合室にひとり、項垂れている女性がいた。

ウェーブの長い茶髪。PPCの代表取締役波々伯部悦子だった。顔面蒼白で、いかにも具合が悪く、と言わんばかりの態度で、何度も顔を上げたり、下げたりしていた。しかし、その動きが止まる。眉間に皺がよって、怪訝な表情になった。


「熊谷、、、」

「お疲れ様です。」


メリのマネージャーの熊谷のあだった。

悦子は、この日最大に不快な気分になった。弱っている所を他人に見せるのが得意なタイプではないからだ。人間ドッグではひどい思いをした。採血で過呼吸を起こし、その後の胃カメラと婦人科検診も散々だった。あとは帰るだけだが、動けずにいた。そこにこの男だ。


「送りますよ。タクシー呼ぶ気力もないだろうと思って、来ました。食事は?」

「、、、」


熊谷の目的はわかっていた。しかし、今日に限ってはこの男とやりあう気力もなかった。悦子はバッグを抱えると、大人しく熊谷に着いて行った。駐車場に行くと、もちろんいつもの社用車ではなかった。熊谷のマイカーだろう。助手席に乗る。熊谷が飲み物を差し出す。それを受け取った。


「秘書にでも送迎させればいいのに。あとは、、、ほら、彼なら言うこと聞くでしょう。ひゅうが。こういうところで、性格出ますよ」

「黙って。この間のクリエイティブイベントでのメリの評価が知りたいんですね?」


悦子が問う。

ひゅうがの名前が出たのは、熊谷からのわかりやすい嫌味だ。

悦子とひゅうがの「契約」を熊谷は知っている。それを揶揄したわけだ。悦子から言わせれば、こういうところが、熊谷の嫌いな所だ。

車が発信する。熊谷は悦子が車酔いしやすいのを知っている。運転はずいぶんと丁寧だ。

「いえ、、、本当に心配で来たんです。あなた病院苦手でしょう。」

「嘘つくな。、、、資料は渡せないけれど、今のところメリの採点については心配しなくていいですよ。最初のコラボがツインテイルだったのが幸運でしたね。、、、他には?」

「黒瀬の件です。」

「!」


黒瀬とは、社内の多目的ホールにカメラや盗聴器をしかけて車内の情報を週刊誌に売った社員だ。当然懲戒免職で、現在民事訴訟の手続き中だ。

「黒瀬ひとりであんなリスクあることを考えたのでしょうか」

「、、、黒幕がいると?」

「黒瀬は見た目より小心者で、あんな大胆な手口が使える人間には思えないからです。」

「、、、、、、」

「あなたも気をつけて下さいね。」

最後の言葉は、熊谷の心からの言葉だった。当然悦子にもそれは伝わった。車は悦子の自宅へ走り、やがて街の中へ消えていった。






ーーーーーーー





7月1日。いよいよ夏本番と言える季節だ。既に朝から暑い。湿度も高い。凪屋家では、兄妹たちが朝の支度をしていた。

「お兄ちゃん!ぎんた君出てるよ!」

大きい声でなぎを呼んだのが、下の妹のかれんだ。リビングのソファの上で跳ねている。テレビでは朝のニュースが流れていて、芸能コーナーに、PPC所属ユニット、ミーハニアのリーダー、水島ぎんた(20)が出ていた。朝のニュース番組の中の週一のちょっとしたコーナーで、インテリアに関してアドバイスをする、といった感じの内容だ。今日も椅子の色がどうのこうのと語っている。

さわやかな笑顔が、ちょうど今の季節の朝の日差しのように眩しい。もっさりした銀髪をひとつに纏めていて、片目が隠れている。痩身麗人。スマートな印象だ。

「かれん、お着替えしないと、遅刻しちゃうよ」

両親に代わってなぎが注意するが、かれんはテレビに夢中で聞いていない。かれんはわかりやすく、顔の良い男が好きなのだ。テレビの向こうのぎんたに夢中だ。すると、2階からみあが降りてきた。かれんの着替えを持ってきた。もう支度は万全だ。まだパジャマのかれんを着替えさせる。こういう所は、両親よりもなぎよりも、みあが手慣れていた。


「くりえ、、、てー、、、いべんと?って何?お兄ちゃん?」

「え?」


するとテレビの中のぎんたが、7月のクリエイティブイベントについて楽しみだ、との旨を話していた。そう、メリの次のコラボ相手はこの、ぎんた率いるミーハニアだ。もう既に熊谷には打ち合わせのアポを頼んである。後述になるがミーハニアの全員がそれぞれ忙しいので、全員が揃うのは無理かもしれないとなぎは思っていた。


「お兄ちゃん、スマホなってたよ」

かれんを着替えさせながらみあがなぎに声をかける。スマホを確認すると熊谷からで、今日さっそく、ミーハニアとの打ち合わせがある、とのことだった。


「よし、、、!」


前回、ツインテイルとのコラボでは改めて、自分がれいととメリになった意味や、作曲に関する知識や、れいととのこれからについて考えさせられた。とても良い経験になったし、ツインテイルの実力のおかげもあり、クリエイティブイベントは大成功だった。社内評価も上々だった。なぎたちの目的、、、クリエイティブイベントで人気6位以内に入って、さらに年末のライブで人気3位以内に入る。そのためにも、気を抜かずに次のコラボに取り組む必要がある。

ぎんたのコーナーが終わる。その表情は、なぎに、待っている、と伝えているかのようだった。なぎは立ち上がり、テレビを消す。なぎが映る。ぐっと、気合いの入った表情に見えた。




ーーーーーーー




さて、熊谷の送迎で、なぎとれいとが訪れたのは、とあるビル内にあるおしゃれなレンタルキッチンスペースだった。調理関係用品や食材の通販会社の運営する場所で、貸切で、14、5人で使っても良さそうなひろびろとした雰囲気だ。例によって熊谷はここまで。後はミーハニア側との打ち合わせになる。しかし、前述のとおり、水島ぎんたは先のツインテイルのななみと同様に、なぎの同期で親友だ。なぎはまったく緊張していない様子だった。れいとも同様だ。さっそく、なぎとれいとが室内へ入る。


「こんにちは〜!」


ふたりが1番最初に目にしたのは、ダイニングの椅子をなぜか一直線に並べてぶつぶつ言っているぎんただった。


「うーん、、、安い家具はこんなもんだよな。けど、この値段ならこの質が限界か。」


正直、不気味な光景だった。

「、、、、、、」

もし、夜なら、完全にホラーゲームの世界観だ。イケメンが、12個の、誰も座ってない椅子を並べてぶつぶつ言っている。

ちなみにダイニング用の椅子は背もたれと手すりのある、どこにでもある白い極々普通の椅子だ。

れいとは一瞬面食らったが、すぐになぎの方を見た。しかしなぎは、特段何のリアクションもなく、もう一度大きい声を出した。


「ぎんた君!」

「!」


すると、水島ぎんたは、なぎとれいとに気づいた。

「なぎ!あぁ、えーと悪い悪い、、、」

ぎんたが振り返る。打ち合わせのためには今壁に整列させられている、おそらくこの室内にあったであろうすべての椅子を元に戻さなくてはならない。

なぎに気づいたぎんたは、それまでの表情とは一変した、へらりとした気の抜けるような笑顔になった。

なぎはまったく気にしていない様子で、靴を履き替える。れいとは、いつもこんな感じなんだろうな、と納得することにした。なぎ、ぎんた、ななみ、でいるところを想像すると、どうかんがえてもツッコミが不在だ。

すると、ガタガタと椅子を戻そうとするぎんたよりも、部屋の奥、キッチンの方から、パンパンと手を叩く音が聞こえた。


「はいはいはいはい!全員、個人行動はここまで!かわいい後輩が来てくれましたでしょ!片付けて!ほら!」


場を仕切るような大きな声と裏腹に、対面式のキッチンから出てきた人物はなぎと同じくらい(男性にしては)小柄で、エプロンをしていて、鍋を持っていた。黒髪のおかっぱ。オレンジ色のインナーカラーが入っている。見た目はまるで女の子だ。ミーハニアのサブリーダー、小西あや(20歳)だ。その声に合わせて、室内で各々自由に過ごしていたメンバーが、メリのふたりの存在に気づいて、集まり始めた。


まずは床で筋トレをしていた大柄な男が、ぎんたが椅子を片付けるのを手伝いながら、なぎとれいとによく来たな、と声をかけた。東野いおり(19歳)だ。そして、窓際で外をながめていた南原ほまれ(17歳)が、なぎたちのところまでやってきて、エスコートするかのように、ふたりを中央のダイニングに案内した。

れいとはひとりひとりに、はじめまして、よろしくお願いしますと挨拶をした。なぎは、まったくフランクに、よろしく〜などと言っている。

もうひとりは読んでいた本を閉じて、あやを手伝う。彼は梅北エリック(17歳)と言う。

こうして全員がダイニングに集まると、椅子も元通りに、そしてそのうちにテーブルの上には、あやが用意したさまざまな料理やスイーツが並べられた。焼きたてのキッシュ、ビーフシチュー、パンナコッタ、、、。これらはすべてあやの手作りだ。なぎはその腕を知っているので、表情がぱっと明るくなる。れいとは、そういえば、打ち合わせの前にアレルギーや好き嫌いを聞かれたことを思い出した。

「メリのふたりが来てくれるって聞いてなぁ、うちめっちゃ張り切ったんよ〜!」

あやは、いろんな方言が混ざったような、不思議な喋り方をする。はつらつもしていて、それでいて柔らかさもありながら、ぎんたよりもしっかりと場を仕切る。

「さ、さ座っておふたりさん!顔合わせといきましょ!いっぱい食べてね!ほら、何ぼさっとしてんの、リーダー!挨拶挨拶!」

ここでようやく、ミーハニアのリーダーのぎんたに主導権が渡った。

「それじゃ、改めて、、、ミーハニアです。よろしく。なぎ、白樺くん。クリエイティブイベント、がんばろうね」

あまり、覇気のない、ふわっとした声だ。

なぎとれいとが返事をして、ミーハニア、メリ、ふたつのユニットのミーティングが始まった。



ーーーーーー




広々としたダイニングを彩るあやの料理をつつきながら、和気藹々とした雰囲気でミーティングは始まった。ミーハニアは全員がメリのふたりよりも年上で、全員が年相応に常識的な感性の持ち主のようだった。

「それじゃあ、ミーハニア側から自己紹介しようか。なぎは知ってると思うけど、、、白樺くんは、入ったばっかりって聞いたから」

にこりとぎんたがれいとに笑いかける。

れいとはぎんたを伺った。穏やかな話し方で、柔らかい雰囲気。

しかしひょうひょうとしていて、裏が読めないようにも見える。

なぎの親友という、それだけの情報で信頼しているが、見た目通り印象だったななみと違って、成人していて、落ち着いた点が気が抜けなくて、少し緊張する。

「はい。一通りPレーベル内の人気ユニットについては、レッスン期間中に勉強しましたけど、、、よろしくお願いします。」

れいとが軽く頭を下げた。なぎは横でキッシュを食べている。あやが、なぎにオレンジジュースを注ぐ。ふたりは仲が良いらしい。つい先日のツインテイルとの打ち合わせの時とまったく同じ感想を持った。まるで、女の子がふたりいるようだ。すると、なぎがれいとに話しかける。

「俺は、ミーハニアのみんなとは久しぶりだけど、会社で会うと、みんな必ず話しかけてくれるから、みんなすごく良い先輩だよ!れいとくん、緊張しなくて大丈夫だよ!」 

「そうか、、、」


「じゃあ、改めて、水島ぎんたです。20歳。なぎとは同期。けれどミーハニアとしてはインディーズでメリより前から活動してたんだ。よろしく、白樺くん。」

れいとはぎんたと握手をした。

ここでようやく先ほどの疑問をぶつけた。

「椅子、好きなんですか?」

他に、聞きようがなかった。

「はは。インテリアコーディネーターやってるもんで。ついね。自分で椅子作ってるんだよね。知ってる?人間工学に基づいた、絶対快適ってシリーズの家具聞いたことあるかな。結構売れてるんだよ」

ここで、れいとは以前に見たCMを思い出す。絶対快適シリーズ。確か、リーズナブルな値段のものから高価格帯のものまである、人気の家具ブランドだ。インフルエンサーがこぞって紹介していのを、弟のあやとが羨ましそうにしていた。れいとは正直、インテリアに興味がない。流行り物にも疎い。

「ぎんた君は椅子見るといつも何かぶつぶつ言ってるんだよ」

なぎの補足が入る。ふたりは親友らしいので、フランクな印象だ。詰まるところ、ミーハニアのリーダー、水島ぎんたは、少し抜けた美形で、しかしインテリアコーディネーターの肩書きも持つ男。そしてなぎが言うには、剣道もそこそこ強いし、料理もそこそこやるし、車の運転もそこそこ上手いらしい。あやが、器用貧乏やねん、と揶揄って、ぎんたは笑っていた。

すると今度はあやが、れいとにキッシュとビーフシチューを渡してきた。

「うちの自己紹介の前に感想言うて!」

びしっとポーズが決まる。

本当に女の子に給仕をされているような気分になる。ツインテイルのふたりと並んでいてもおかしくはない。

れいとは、あやの料理を口にする。

「美味しいです、、、」

キッシュもビーフシチューも若者好みの味付け。なぎとれいとのために考えたレシピなのだろう。

「せやろせやろせやろ!れいと君くらいの男の子だとあんまり興味あらへんかもだけど、小西あや言うたら若手料理研究家ではけっこう名前通ってます〜。よろしゅう」

あやは料理研究家で、昼のワイドショーに自分のコーナーを持っていて、そこで料理を紹介している。れいとでもそのくらいは知っていた。平日学校が休みになった時に見たことがある。

「まぁ、この通り、リーダーがぼんやりしてはるから、ウチがきびきび仕切ってるんですよ、ミーハニアは。後3人も天然ボケ入ってますから、ふたりともお気をつけて。ほな、えーと、、、」

あやの言葉の後に、体格の良い青年が立ち上がる。

「東野いおりだ。トライアスロンやってる。俺は、、、そうだな、スポーツブランドと作ったランニングシューズが有名かな。」

短い髪、さわやかな印象。見るからに好青年。しかし、先ほどまで、このキッチンスペースで、筋トレをしていた。天然ボケが入っている、というのは、そういうストイックな所を指しているのだろうとれいとは考えた。れいとも立ち上がる。しかし、れいとよりもずっと背が高い。

「それって、、、幾何学模様のライン入ってる、、、」

「お、知ってたか。」

いおりのシューズはスポーツをやらない人間にも人気だ。ファッションとしてもおしゃれで、これもまたれいとは、弟、今度はまやとの方が欲しがっていたので知っていた。たしか、シューズが一足10000円前後だった。

「前ね、PPCで会った時にね、いおりさんが腕立て伏せしててね、上に乗れって言われて乗ったんだよ。そのまま腕立て伏せしてた。筋肉すごいんだよ〜」

なぎの補足に、いおりが、Tシャツをめくって、腕こぶしを見せてくれた。れいとはそれは普通にすごいな、と感じた。いくらなぎでも、50キロはある。

次に挨拶があったのが、なぎとれいとをダイニングまだエスコートした人物。所作が品がある。きれいな金髪。まつげまで金色に見える。

「僕は南原ほまれ。特段、前の3人みたいに何かを作ってはいないんだけど、、、よろしくね。」

「れいと君、テレビ見る?ほまれ君、有名な美術評論家なんだよ!」

なぎが言うには、なぎの妹のみあがよく見ている教育番組の中のクイズコーナーの常連で、美術品に関するクイズにおいてら殿堂入りらしい。ほかにも、美術史に関する書籍も出している。ただし、本人は画家では無いので絵は描かない。ほかにも高IQの持ち主で、私立の進学校に通っている。

「あとは、実家がめっちゃ金持ちです。今度招待してもろて!」

あやが茶化すと、ほまれは大したことないよ、と笑った。あだ名が王子、らしい。城のような家に住んでいると、ぎんたが言う。さらに言うと、バイオリンやピアノがあたりが当たり前なできて、ゴルフはハンデ3。このあたり、団地住まいのれいとにはいまいち想像もつかなかったが、どうりで上品で、まるで物語の中の王子のような雰囲気があると思った。

「最後が僕だね。えーと、梅北エリックです。海外生まれなんだ。よろしくね。」

他のメンツと違い、控えめな挨拶だった。本人の印象も、やや控えめに感じた。れいとは、ミーハニアは、クリエイティブユニットだと聞いていた。彼にも何があるのだろうか。ふと、エリックの読んでいた本を見る。

「白鯨か。英語ですか?」

「え、わかる?これ、ほまれに借りたんだ。やっぱり原文が好きでさ」

「原作いいですよね。」

「わ!本好き?」

「はい。俺も、海外文学は原文で読みます。親が外国人なんで、英語はわかるので」

「そうなんだ!今度オススメ貸すよ!」

エリックとれいとが盛り上がる。しかしなぎが驚いた顔をしていた。

「え、れいと君、英語わかるの⁉︎」

余談、なぎは、英語が苦手だ。れいとがバイリンガルなのも今知った。

「ああ。言ってなかったか?」

「わかるの⁉︎しゃべれるの⁉︎」

「まぁ、、、」

すると、エリックが何かを英語で話し出す。彼もまた、バイリンガルらしい。それに、れいとが英語で返すと、なぎは、は⁉︎と大きな声をあげた。そこにさらに、ほまれが加わる。3人で、英語で話している。何を言っているのか、なぎにはまったく意味不明だった。単語すらわからない。ちなみに、白鯨の翻訳について話している。ほまれがドイツ語版が良かったと言っていて、エリックとれいとが流石にそれは知らない、と返している。ほまれは英語とドイツ語と中国語と、それから日本語版を読んだと話している。


「あらぁ、何言うてはるかさっぱりやけど、さっそく仲良くなったみたいで、良かったですなぁ」

あやがにこりとすると、いおりが豪快に、そうだな!と笑った。いおりもまったく会話の内容はわかっていない。

「ぎんた君、、、わかる?」

「ははは。さっぱり。」

なぎはぎんたとあやの作ってくれたパンナコッタを食べながら、3人を見守っていた、、、。


さて、ここで、れいとがレッスンの際に学んだ、ミーハニアについての解説をする。

ミーハニアは、昨年の年末ライブの人気投票で3位になった人気ユニットだ。インディーズの頃からの活動歴は5年。PPCに所属してからは3年目だ。

当初は、ぎんたとあやのみではじめたバンドに、いおりが加わった。ほまれとエリックは後から加入したメンバーで、ふたりともまだ活動は2年目。(なぎよりも後になる)

今の所まったく音楽の話が出ていないが元々は音楽ユニットであり、ファーレンハイトやツインテイルと肩を並べる実力派ユニットであることは間違いない。音楽活動の過程でそれぞれがそれぞれクリエイティブな方向で活躍し始めて、その方面でも充分に有名になった。

ぎんたはインテリアコーディネーターとして、あやは料理研究家として、いおりはトライアスロンの選手としても活躍し、ほまれは美術評論家であると同時にゴルフもプロ級だ。エリックに関しては、公式プロフィールに特段記載はないが、クリエイティブユニットの名に恥じない何かがある、、、とだけ今は説明しておこう。

肝心の音楽性は、すっきりときれいで柔らかいさわやかなサウンドで、完全に女性向けに振り切った楽曲が多い。テレビ番組に出演しているのも、時間帯的に主婦層をターゲットにした番組が多い。ぎんた、あや、ほまれに関しては、ファンは9割女性だ。いおりは、男性ファンも多い。ここについてもまた、エリックに関しては伏せておこう。

れいとがレッスンで習った、ミーハニアに関しての内容はだいたいこんな所だ。

そしてメリはこれからこのミーハニアとコラボするわけだが、音楽一辺倒だったツインテイルのコラボと違い、先輩であり、様々なジャンルに広いミーハニアとのコラボはまた、メリにとって多大な経験になることは間違いだろう。


さて、食事が済んで、ミーハニアの紹介が済んだら、次はメリの自己紹介になった。具体的には、れいとの紹介だ。

「こちらが、白樺れいと君でーす。50000人のオーディションから選ばれた、スーパースターです!」

なぎの紹介はかなり冗談が入っていた。もう既にこの場にいる全員が打ち解けていて、充分に冗談とわかるが、れいとはなぎを小突いた。

「本当だよ!俺の自慢の相棒です!」

「白樺れいとです。改めて、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。」

れいとは軽く頭を下げた。あやが身を乗り出す。

「噂のれいと君!うち、1stライブの配信見ましたよ!ほんと、14歳とは思えへんほど歌うまぁ!って思うたら背は高いは顔はイケメンだわで、ほんまに逸材!ようゲットしましたな、なぎちゃん!うち、なぎちゃんは前からやるコやと思ってたけど、ファーレンハイトから奪ったなんて、なぎちゃんに惚れなおしましたわ〜!」

あやの発言になぎは照れくさそうにしていた。

れいとについてはミーハニアのメンバーは充分に予習をしてきたようで、紹介の必要も無さそうだ。

「じゃあさっそく本題ですなぁ。ほんでな、おふたりさん、うちのリーダーからコラボについて、いっこアイデアがあんねん!」

「?」

あやが明るく言う。

ちなみに、なぎはミーハニアとのコラボについて、正直なところ何も、考えていなかった。というか、話の流れで、また、前回のツインテイルと同じように、ライブをしようということになるだろうと漠然と考えていたのだ。

あやがぎんたに視線を振る。ぎんたは姿勢を正して、話し始めた。

「前回、メリはツインテイルとコラボしただろう?ライブすごく盛り上がったって。いいなぁ、俺も、なぎとななみと歌いたいな」

「リーダー!話が脱線してます!」

「あ、えーと、それで、ツインテイルはPレーベルではファーレンハイトよりも作曲能力は高いと言ってもいいだろう?メリはその、最高峰をすでに知って、彼らに学んだわけだ。俺たちミーハニアと同じようなことをしてもつまらないだろ?」

ぎんたの言うことは最もだった。実際今も、れいとは隙を見てツインテイルの片割れ、たくとに師事している。

ミーハニア側には、ライブをやる、以外のアイデアがあるらしい。


「俺たちひとりひとりの企画に、メリに参加して欲しいんだ」


ぎんたの話はこうだった。

ぎんたは、インテリアに関する雑誌の撮影になぎとれいとを参加させる。あやは、自分の持っている動画サイトのチャンネルにふたりをゲストにした動画を投稿する。いおりはゲストとして招かれたトライアスロンの大会にふたりを呼ぶ。ほまれは美術に関するクイズ番組のゲストにふたりを呼ぶ。エリックは、まだ秘密らしい。このように、それぞれの音楽活動以外の活動に、メリのふたりを参加させる、、、とのことだった。


「もちろん、ふたりがよければ、になる。ふたりとも、音楽活動以外に手を広げる予定はないんだろう?まぁ、社会勉強になるかな。芸能界にいると一般社会の常識を忘れがちになるから。それと、、、」

なぎもれいとも真剣にぎんたの説明を聞いていた。思いもしなかった提案だ。

マルチメディアデビューに関しては、先日パパラッチにあったこともあり、なぎは積極的ではなかった。れいとはまだ中学生だ。

「ど、どうしよ、れいと君、、、」

「パパラッチの件、聞いてますよ」

不安そうななぎに、あやが話を振る。

「それから、メリが、年末のライブで3位以内を目指してることも知ってるんよ。そうしたら、メディアを避けるのは無理でしょう。今のうちに、テレビや雑誌との付き合い方、学んでおきまへん?」

「、、、!」

これに関してはなぎより、れいとの方が食いついた。先日のパパラッチの件ではれいとは当事者であった。結局、ふたりの考えを歌で伝えるという、ふんわりした解決方法しか思いつかなかった。良く言えば、れいとの歌の実力で黙らせた。それが何度も通じるかは別だし、道明寺の記事が、何より効果があったのは言うまでもない。

それらを経てようやくぎんたが話の続きを紡ぐ。

「それと、モノを作る、ってことが、どういうことかを、ふたりに教えたい。俺たちは作曲うんぬんより、きっとこれに関してはツインテイルのふたりより、勉強させてやれる。」

「!」


ものを作ること。

創作。

それは作曲の前の哲学だ。やっと、お互いにモチベーションがはっきりしたばかりのメリのふたりにはまだ深く考察したことのない概念だった。

なぎの目がきらりと輝く。

「もちろん、話題のメリのふたりとコラボできるのはうちにもメリットがあるから。楽しんでやろう。どうかな?」

「うん!俺は賛成!」

なぎの返事。リーダーのぎんたと同じくリーダーのなぎの合意だ。これは実質、話がまとまったということになる。

ふと、ほまれが、れいとと視線を合わせた。

「君はどうだい?白樺君」

その微笑みは大理石の彫刻のようだ。

「もちろん。なぎが言うなら。」

「、、、なるほど。じゃあ、君に、、、君たちの勉強になるように、先輩として僕たちもがんばらないとね。」

ほまれはなぎではなく、れいとの方に話しているようだったが、いおりとエリックも、それに賛同はした。これで、全員の意見が一致した。

こうして、コラボの方向性が定まった。あとは日程などを決めて正式な決定となる。

こうして、メリとミーハニアは、音楽以外のコラボレーションをすることに決まった。また、それとは別に、なぎとれいとは、フォトブック用のロケが7月後半に入ることになっていた。忙しくなる。外ではすっかり夏の面影の太陽と風が仲良く季節を彩っていた。



ーーーーーーー



さて、メリとミーハニアのクリエイティブイベントについて、詳しい日程が決まった。

なぎとれいとのふたりはいつも通り本社の会議室で、熊谷とともにスケジュール調整を行っていた。今回、道明寺も同席している。月の後半に、フォトブック用にロケに行く予定があり、その日程を決めるためだ。

まずは東野いおりが参加するトライアスロンの大会にゲストとして参加することになった。当然、ふたりともトライアスロンは未経験なので、いおりプロデュースのスポーツウェアを宣伝のために着る。その後は解説席だ。これに関してはいおりがトライアスロンの基本的な情報をまとめた資料を送ってくれた。ふたりは事前にこれを読む。

次に、あやの動画チャンネルに出る。あやのチャンネルは動画投稿サイトで50万人ほどのフォロワーがいて、料理の作り方を投稿している。たまにゲストが来るので、メリのふたりもゲスト扱いで、これに出演する。テレビよりも気楽ではあった。余談、以前、ファーレンハイトの五十嵐つきはが出演していたことがある。あやとつきはは仲が良いらしい。これが初旬の予定である。

次に中旬は、ほまれが教育番組に出てクイズを披露するらしく、それにゲスト参加することになった。これは、当然、美術をテーマにした回になるらしい。ふたりとも美術の美の字もわからない上に成績も並だが、それでいいらし。予習などは不要だと言われた。

また、ほまれは、どうやら特にれいとに、指導したいことがあるらしい。

それと、梅北エリックは何か考えがあるらしいが、エリックからは後日詳細を伝えると連絡があったそうだ。

そして月の後半に、ぎんたが載る雑誌の撮影に付き合う。女性向けのファッション誌でぎんたの特集が組まれる。インテリアについての記事らしく、なぎとれいとはそこにお邪魔する段取りになった。

そして最後にフォトブック用のロケだ。


「だいぶ過密なスケジュールなので、おふたりには体調を整えておいてもらえると良いかと、、、」

一通りの説明を経て、熊谷はふたりを気遣う。

ふたりとも大丈夫だと答えた。

次に、道明寺からの話になった。道明寺はその場で立ち上がり、腕をおおげさに広げて見せた。

「ロケは沖縄だ!」


ばーん、と効果音がつきそうなくらい豪快に道明寺が言い放った。

「えー!沖縄⁉︎飛行機⁉︎」

「そう!3泊4日だ!ふたりとも沖縄行ったことあるか⁉︎」

「ない!」

「俺もない」

沖縄、の一言でなぎは喜んだ。以前の打ち合わせではあまり海外には行きたくない様子だったので、国内で安心したのだろう。

「ふたりとも、実は会社側が、がんばっているふたりにご褒美だとのことで、最終日は自由行動です。代表取締役に会ったら、お礼を言っておいて下さいね。」

「え!本当に⁉︎」

良かったね、れいと君、となぎはれいとの方を見た。ちなみにこれは道明寺の提案でもあった。最終日が自由行動なら、それまで楽しみながら撮影もできる。ふたりの自然体の姿を撮れるだろう、と。ふたりにご褒美というは当然、なぎに甘い熊谷は即決して、代表取締役の波々伯部悦子に提案をした。悦子もなんだかんだで、それを許可した。

「俺、飛行機久しぶりかも、、、」

「俺は乗ったことない。」

「えへへ、楽しみだなぁ、、、」

なぎが嬉しそうにしている。れいとはそれを見て、自分のカメラのことを思い出した。フォトブックの話が出た時はあまり乗り気ではなかったようだが、今は反応は良い。江ノ島に行った時のように、沖縄でも、なぎの写真を撮ろうと思った。多分、道明寺には撮れない写真が自分には撮れる。

打ち合わせが終わった後、熊谷が送迎を申し出たが、なぎはれいとと歩いて帰りたいと言った。話があるらしい。だいぶ日が長くなったので、ふたりはまだ明るいうちに会社を後にした。




ーーーーーーー




「何か、俺たちも作ってみようよ!」


PPC本社からの帰り道。いつもの河川敷だ。ここをふたりで並んで歩くのも、もう何度目だろう。もう5時を回っているのに暑いし、明るい。夏の匂いがする。なぎの提案は、どういう意味だろう。とんぼが、すらりとふたりの横を駆け抜ける。


「作る?」

「うん。前にグッズ作ったよね。あれ今、サイトで受注の予約してるんだって。熊ちゃん、好評だって言ってたよ。」

「そういえば、、、」

以前、ツインテイルとのコラボの際に、メリはは1stライブのグッズを制作した。これは、デザイナーが考えたもので、なぎたちは許可をだしただけだ。

「ほら、クリエイティブイベント、ミーハニアとコラボするでしょ?ぎんた君、ものを作ることについてどうのこうのって言ってたし、、、俺たちも何か考えられないかな?って思って、、、」

れいとは、作曲も充分にものを作ることだし、フォトブックも充分にそれだと思った。なぎの提案はにれいとはさほどピンと来ていない。

「というか、、、グッズて、あんまりほんとに興味なかったんだけど、、、れいと君との、思い出を作りたいというか、、、記念になるよなものを形に残したいというか、、、そんな風に思って、、、」

「え、、、」

れいとには、その発想はなかった。思い出を残す。ふと、なぎの方を見る。道路側がれいとで、川の方をなぎが歩いているから、オレンジ色の水面に反射した夕陽で、なぎの丸い輪郭が光を帯びている。こういう時に、れいとは、道明寺から預かったカメラを構えたいと思うがその反面、それは無粋だとも感じる。

「どうかな、、、それ、熊ちゃんに提案してさ、フォトブックの初回特典にするとか。なんかね、ミーハニアの皆と話してみてね、音楽だけじゃなくて、れいと君と、いろんなことを一緒にやりたいなって思ったんだ」

「なぎ、、、」

「だって、ミーハニアのみんな、楽しそうだったよね。それぞれ違うことしてるのに、なんか余裕あって、、、。それで、俺もあんな風にれいと君といれたらなって思った。」

なぎがはにかむ。なぎは、こういうことを、自分の気持ちを話すのに、躊躇しない。恥ずかしいとか、揶揄われるとか、そういうことよりもまず、自分のことを打ち明ける。だから、なぎと話すとリアクションが取りやすい。なぎからのアクションに返すだけだ。

れいとは、前回のツインテイルのコラボの際に、たくとに連れて行かれたバーでの、たくとの言葉を思い出した。なぜ、いっしょにいるのか。それは、今は、自分たちはメリだから、だ。音楽のためだ。でも、もし、これから、なぎと人生の長い時間をいっしょにいることになるのなら。そう、音楽という繋がりだけには留まらない関係になっていくのなら。それから先を、れいとはまだ考えていなかった。まだ若い。ここ数ヶ月は怒涛の多忙さで、目の前の課題の消化に必死だった。家でも弟の面倒を見ていると時間が過ぎるのが早い。ひとりで人生について哲学するだけの有閑さと無縁だった。

なぎもそのはずなのに、なぎは随分と、自然体に見えた。いや、あの会見で、大勢の前であれだけの振る舞いができるのだから、マイペースな人間なのだろう。なぎのことを、こういう時に、強いと思う。まぶしいと感じる。そしてれいとは自分はまだまだ視野が狭いと自戒を覚える。

「なぎ、その、、、俺は、そこまで考えられていなかった。」

「そうだよね。忙しかったもんね。」

「けれど、、、そうか、、、いろんなことを、、、か、、、」

れいとがなぎを見つめる顔が、柔らかい笑顔に変わる。

「いいかも。賛成。、、、沖縄も楽しみになってきた。」

「お土産、、、えーと、、、家族と、、、ひゅうが君と、るき君もいるよね。るき君、お揃いのキーホルダーとか買ったら喜ぶかな」

「犬と?」

「ちがうよ!俺たちと!」

ふたりは、少し遠まわりをして帰った。れいとがまた、なぎの家までなぎを送った。記念の何か、についてたくさん話あったが、答えが決まらなかった。もしかしたら、ミーハニアとコラボをするうちに、考えが決まるかもしれない。ふたりを真似するかののうに、川辺の葦の葉先に、とんぼが止まっては離れて、にぎやかにたわむれていた。


ーーーーーーー


晴天。今日はいおりが参加するトライアスロンの大会の当日だ。大規模な大会のようで、メディアもたくさんいる。

熊谷の送迎する車が、会場の関係者用の駐車場に到着した。

「れいと君似合うね!」

いおりがプロデュースしているスポーツブランドの一式をれいとは身につけていた。いおりの提案だ。ランニングの際に着用するような格好だ。本格的に参加するわけではないので、これでも良い。なぎは、サイズが合わなかったので、靴だけだ。

今日の予定はこうだ。大会前にふたりはいおりからトライアスロンについて、ビギナー向けの説明や、軽いストレスや筋トレ、ランニングを習う。これは、テレビの取材だ。その後ふたりは解説席からいおりを応援する。解説席には他にアナウンサーと、元トライアスロンの選手がいて、ふたりにいろいろ話を降ってくれる。

熊谷の車の隣に、いおりの車が停まった。サングラスを外したいおりがさわやかに、おはよう!と挨拶をする。なぎたちも車から降りて、返事を返した。なぎもれいとも今日の予定などについて軽く話があると思っていた。しかし、、、。

「ストレッチだ!」

「えっ」

屈伸、それから体を捻ったり、真似をするように言われ、ふたりは従った。間髪いれずに、次の行動が支持される。

「さっそく走ろう!」

「え」

「行くぞ!なぎ君、れいと君!」

ふたりの動揺に気づいていないのだろうか、いおりが走り出す。速い。見えなくなってしまう。

「まっ、待って〜!」

「熊谷、じゃあ!」

「お気をつけて。」

ちなみに今日は熊谷はふたりと会場にはいる予定だが、ついて回ることはない。なので、ふたりを見送る。

こうして、なぎとれいとは、いおりを追いかけて走り出した。

さて、会場周辺を一周しながら、ふたりはいおりから今日の流れを聞いたが、れいとはともかくなぎはこのランニングだけでもうバテていて、いおりの話が入ってこない。

関係者のために設営されたテントへふらふらになりながら戻る。いおりはこれから、メディア向けの取材に応じたり、トライアスロンに参加する。なぎは信じられないと思った。

「あはは、なぎ君はもう少し体力つけた方がいいな!白樺君はなかなかだぞ!大会、出ないか⁉︎」

「さすがに結構です、、、」

「テレビの取材までまだ少し時間があるから、休んでいるといい!ふたりともまだまだ進化できるぞ!大丈夫!これからだ!」

ふたりははい、、、と力なく返した。ベンチに座って、なぎとれいとはようやく一息ついた。

「はぁ、、、はぁ、、、これから取材、、、」

「大丈夫か。俺だけでもいいけど、、、あんたかなりバテてるな。」

いおりのさわやかな笑顔と、明るくはきはきした声を思い出す。そういえば、進化、と言っていた。何のことだろう、となぎは考えたが、頭が回らない。地面を見つめて、それ以外ができない。なぎはこれでも、体力トレーニングはしている。しかしいおりは、アスリートなのだ。

「水持ってくるから待ってろ」

れいとが立ちあがろうとする。

「これを飲みたまえ。」

「え、、、」

すると、目の前にミネラルウォーターのペットボトルが差し出された。優雅な調べの声だった。俯いていたふたりは顔をあげてぎょっとした。


ファーレンハイトの、四宮たかひろが、そこに立っていた。


「⁉︎」


「えっ、え、えっ」

「え、あの、どうぞ」

驚いて固まるなぎをよそに、れいとは立って、先輩であるたかひろに席を譲ろうとした。

「詰めたまえ。3人で座れる」

たかひろがそう言うので、たかひろ、れいと、なぎの並びでベンチに座る。いったいなぜ、たかひろがここにいるのか。

四宮たかひろ。ファーレンハイトでは服飾担当であるとともに、サブリーダーのひかると全体演出を手がける仕事人だ。他ユニットに衣装提供をしていたりする。なぎは、ひゅうがとるきとはよく会話するが、ファーレンハイトの他のメンバーとは接点がない。れいともまた、知ってはいたが、こうして直接対峙したのははじめてだった。メガネで、高飛車そうな雰囲気だ。タイトめできっちりとした服装。長い足を組んで座る様子を眺めていたら、なぎが声をかけた。


「お、お疲れ様様です。あの、水、ありがとうございます。いただきます、、、」

「気にするな。ほら」

するとなぎにハンカチを差し出す。それをペットボトルの底に当てがう。水滴が落ちないようにしたのだろう。しかし、なぎもれいとも、水滴ぐらいは気にもしない。たかひろは、こういうことを気にするタイプなのだろう。

なぎはペッドボトルの水を飲む。れいとも続いた。たかひろはそれを見て話出す。

「なぜ僕がここにいるか気になるだろう?」

それは、そうである。

しかし、なんというかたかひろはこの、トライアスロンの会場そのものの雰囲気やテントや、安っぽいベンチが非常に似合わない。ちぐはぐだ。

「、、、」

「君たちのスケジュール、うちの新人から筒抜けだよ。仲が良いんだね」

「あ、、、るき君?」

たかひろはどうやら、るきの情報で、メリのふたりがここにいることを知っていたらしい。なぎはしょっちゅうるきに一方的にLINEを送っている。当然、クリエイティブイベントについても話していた。

「でも、俺たちに会いに来たわけじゃないでしょう。何をしにここへ?」

れいとが問う。すると、たかひろが答えを口にするより先に、いおりがふたりの元へ戻ってきた。途端にたかひろの眉間にしわがよる。

「おーい、、、なぎ君、白樺君、あれっ、四宮!どうした⁉︎また大会見に来てくれたのか!」

また、その言葉をなぎもれいとも聞き逃さなかった。いおりは満面の笑みでたかひろに絡むが、たかひろは長い足を組んだまま、盛大に舌打ちした。

「フン、好きで見に来ていると思ったか?、、、それ、新しいウェアか。」

「気づいてくれたか!ありがとう!そうか、ウェアの方を見に来たんだな⁉︎今度持ってくよ!」

「結構だ。自分でもう、あ、いや、違う。そんなことより、このコたち、おまえのペースに合わせていては大変だろう。そのくらい気遣ってやれ!」

「え、ああ、そうか。そうだよな!わかったよ。」

「いいか、なぎに何かあれば、ひゅうがはおまえをただじゃ済まさない。あのボンクラ、、、じゃなかった。リーダーの水島にも伝えてくように。あまり後輩にスパルタ教育をするなよ。それでは、失礼する」

そう言うと、たかひろはさっと立ち上がる。そしてすたすたと歩いて消えてしまった。なぎもれいとも、ぽかん、とするしかない。

「あはは、あいつ、大会よく見に来てくれるんだ。何か話したのか?あいつ面白いよなー!」

「はぁ、、、」

「面白い、、、?」

いおりの話によると、たかひろは多分、いおりのプロデュースしているスポーツウェアに興味があるんじゃないか?とのことだったが、ふたりは、鈍いなぎでさえ、なんとなくそれだけではないのでは?と感じていた。

れいとは、ひゅうがの話が出たがたぶん、なぎはだしにされただけだと思った。いったいどんな関係なのか、このふたりは。れいとの印象だど、いおりはおおらかだががさつで、たかひろはその真逆だ。

たかひろは何の疑問もないようで、取材の準備が整ったと、ふたりをメディアのいる場所へ誘導した。

なぎもれいとも、自分たちの知らない、ユニットの枠を超えた人間関係があることを改めて思い知った。



その後、なんとか残りの体力をふりしぼって、なぎは取材に参加した。ここがふたりにとっては本番だ。

いおりから、ストレッチなどを習う。しかし、、、。

「過酷すぎる、、、」

なぎは途中で、ギブアップした。れいとは最後まで、いおりに着いていくことができていた。

「ははは!なぎ君はここでリタイアか!よく頑張った!すこいぞ!君は進化した!」

取材が終わる。先ほどあれだけ走って、それから体操をして、これからがトライアスロンの本番だと言うのに、いおりは元気だ。信じられない。そしてまた、進化、という言葉を使っていた。

なぎは息も絶え絶えに、いおりに聞いた。

「どうして、、、こんな大変なこと、、、」

「よく聞かれるよ。大変だから楽しいんだろうな!」

いおりはさわやかに答える。白い歯がまぶしい。なぎをベンチに誘導する。しかし、真面目に顔になって話を始めた。

「もちろん、食っていくだけなら、ミーハニアとしての音楽活動だけで十分なんだ」

「!」

いおりから生々しい話が出て、なぎは一瞬驚く。そういう話をしないタイプに思っていた。

「俺が、怠惰な姿勢でいるのが嫌なんだ。自分でそれを許せない。そしていつだって、努力している姿を、ファンには見ていて欲しいんだ。」

「それは、、、」

ファンへの姿勢。

ベンチからいおりを見上げる。遠くではれいとがインタビューを受けていた。れいとが失言をすることはない。放っておいても問題はないだろう。熊谷もいる。

話を戻すと、ファンへの姿勢、といおりは言った。

なぎたちは、パパラッチ対応の際に、それを痛感した。結局は、歌うしかなかった。

「誰にとっても、誠実でいたい。特に、応援してくれるファンにはね。なぎ君、メリのPは何だい?」

「へ⁉︎」

P、、、ぴーとは何だろう。なぎはきょとんとした。

「あれ、知らないかい?うちの社名、PPCは、ピープロダクションクリエイティブって言うんだけど、、、」

それは、なぎでも知っていた。

「最初のPは、自分たちで考えよう。ってことで、何のPなのか決まってないんだ。」

そうだったのか。なぎは聞いたことがあるような、ないような、よく思い出せなかった。すると、れいとがふたりのところへ戻ってきた。話に混ざる。

「研修で聞きました。ファーレンハイトはperfect、ツインテイルはpeace、、、」

れいと曰く、それぞれのユニットが、それぞれのPに意味を持たせているとのことだった。

「ミーハニアは、possbleだ!」

「意味は、可能性がある、かな」

英語の苦手ななぎに、れいとが補足する。

「可能性、、、」

「進化のことさ!だから俺は、進化し続ける。ファンが、俺を次に見た時に、前より良い、前より凄い、と思ってもらえるような自分でありたいんだ。だから、音楽もスポーツも、手を抜かないんだ!」

いおりはそう言って、にかりと笑った。

進化、そういえば、いおりはその言葉をよく口にしていた。

すると、スタッフに呼ばれていおりが去っていく。これから大会本番だ。

「進化、、、」

なぎがぽつりと呟く。なぎの汗が地面に落ちるのと同じように、そのつぶやきも、太陽を受け入れた暑さのアスファルトに吸い込まれていく。

れいとはそれを聞き逃さなかったが、返事はしなかった。

作曲、歌うこと。自分たちはそこまで考えていなかったことを、自分たちがよく理解した。自分たちが楽しいから、れいとくんと歌いたいから。前回のコラボでわかったのは、それがモチベーションだということ。ファンへの姿勢。今の音楽活動からもう一歩踏み込んだ考え方だった。ぎんたがメリに教えたいと言っていた、ものを創るということ。それがどういうことなのか、ミーハニアのメンバーといれば、学ぶことができるということ。

進化し続ける姿勢。果敢に挑む姿勢のことだ。退化して、停滞していてるよりもずっと、難しいことだ。

ただ単に今日、浮き彫りになったのは、決していおりとなぎとの体力の差だとか、そういう単純な話ではなかった。そこに、その明確な差の中にある哲学に、意義に気づくか否かが問題であった。なぎは気づいた。ここで、気づかないようであれば、アーティストには向いていない。想像とは、哲学のことである。ものを創り世に送り出すこと、そこに人間の意思が介入することは、マニュアル化された工業製品の工場のそれとはわけが違うのである。まだ、ほんのりとしか近付いていない答えがある。なぎは、そう思った。それを手繰りよせることができた時、いおりの口にしていた進化に到達できる。叡智と覚醒。それこそが、この、ミーハニアとのコラボの目的である。

くたくたになっていたはずのなぎの表情は今は、鋭い日差しのように真剣さを帯びていた。


その後いおりは何なくトライアスロンの試合の解説にも参加した。いおりはなかなかの好成績で大会を終えたようだった。さて、意外にも、なぎよりも、れいとの方が、トライアスロンに関しては興味を示していた。というか、スポーツ全般に興味があるらしい。なぎは正直なところ、たとえばテレビに、何らかの競技で日本代表が映っていたとしても、テレビの前で応援するほどの興味がない。せいぜい社交辞令や話題作りで商売について話す程度だった。しかしれいとは大会を終えた参加者らに話しかけられ、自分からも積極的に質問などをしていた。興味があればそれを伸ばしていければいい、となぎは思った。

大会の日程はひととおり終わり、なぎとれいとはいおりを待っていた。最後に挨拶をしなくてはならない。空は半分夕陽に染まっていた。

「おつかれ。あんたやっぱり体力ないな」

「うーん、、、そうかも。ちゃんと走ったりしてるんだけど、、、」

「今度、屋内でスポーツできるとこ行こう。」

「えぇー、、、手加減してくれる?」

「するよ。そうだ、るきとふたりでかかってこいよ。」

「言ったね!ぜったい勝つから!」

すると、ふたりに取材陣が近寄ってきた。今日の感想を聞かれる。れいとは当たり障りのない回答をしていた。さすがだな、となぎは感心する。クリエイティブイベントでは、ふたりはミーハニア側には、勉強をさせてもらう立場だった。今日、いおりがこのトライアスロンの大会にふたりを参加させたこと、いおりの考え方を知ったこと。なぎはとても感銘を受けた。すると、いおりがやってきた。なぎ君、と元気に声をかけられる。まだ、全然元気だ。信じられない。すると、いおりがなぎに腕を出してきた。捕まれ、ということらしい。なぎは、いおりの腕にぶら下がった。いくらなぎでも50キロはある。取材陣は喜んでその様子を撮った。ちなみにその写真は後日ネットの記事に使われた。


「やっぱり、筋肉が大事、、、ってこと?」

Tシャツを捲って、自分の腕を見る。ひょろりとした、白くて細いそれは骨に皮がついているだけだった。筋肉などないようにすら見えた。いおりのたくましい腕が羨ましかった。

なぎは、いおりに、別の方面でも、感銘を受けたようだった。



ーーーーーーー




数日後、なぎとれいとは、再び、レンタルキッチンスペースへ来ていた。最初のミーハニアとのミーティングに使用したのと同じ場所だ。あやとの動画制作のためだ。動画投稿サイトに投稿する用の動画を撮る。

まず、なぎとれいとは、その機材の数々におどろいた。

「わぁー、、、すごい、、、」

照明に、パソコン、マイク、カメラ、、、。今は、ライブ配信ならスマホひとつで事足りるが、本格的な動画撮影、そして編集には、様々な機材の準備がいる。

ふたりが驚いたのはさらにそれを、あやひとりで準備してあるところだった。スタッフがいないのだ。てきぱきと配線をして、マイクチューニングをして、パソコンでソフトを立ち上げる。

「個人勢ならこのくらい当たり前ですよ。なんなら動画の編集もうちがやってます。うちのチャンネル、ライブ配信の時もモデレーターいないんよ。ぜーんぶひとりでやってますの!」

個人勢、モデレーター、なぎとれいとにはいまいち馴染みのない単語が飛ぶ。

「さぁ、そんなことより!おふたりさん、今日はうちは口出すだけよ!極々初歩的なカップケーキを作ります!かわいーくデコもしますからね!」

「はい!よろしくお願いします!」

撮影の前に、あやからふたりにざっくりと説明があった。機材の名前やどういった手順で撮影を行っているのか、である。当然ふたりはカメラには慣れていたが、それは大勢のスタッフに囲まれての話であって、このように自分でいちから機材を用意して、企画を考え、、、という機会はなかった。

「ちなみに、どんな動画にしたい、とかはある?」

「それがその、、、お料理動画的なのはあまり見ないので、、、」

「あはは、そうやね!男子高校生やもんね!例えばね、はっきり決めとくといい!ってことが何点かあってね。誰に向けた動画なのか、動画全体のトーンはどんなものか、とかやね。これを決めておくと、動画の方向性がブレないで撮影ができますよ。」

あやが言うのはマーケティングの話にも通じる部分があった。まずは誰に向けた動画なのか、あやのチャンネルは視聴者は女性が大半らしい。あやのファンの若年層と、主婦層などの料理を目的とした層。当然、視聴者層に訴求した動画を作るのが基本である。少年漫画誌に少女漫画が乗らないように、あやの動画は女性向けに、明るく清潔感のあるおしゃれな動画がほとんどだ。性的な話や過剰なおふざけもなく、終始なごやかに動画が進む。動画全体のトーンも、おだやかな色調で、衛生的で、いかにも女性が好むような動画の作りをしている。(ちなみにこのレンタルキッチンスペースを運営している会社はスポンサーだ。)

そこに、今日は今話題のメリ、のふたりが加わる。

「そんでな、メリのファンが欲しい画をウチは提供したい!おふたりさんがまだ思いつかないような、それでいてファンが望んでいるアレ、や!撮れ高欲しいから仲良く頼むでおふたりさん!」

アレ?撮れ高?とふたりは思ったが、エプロンをつけて、手を洗って、撮影が始まった。

そしてあやが高らかに宣言する。


「ファンの心を掴むにはオフショット!!!!!!」



「⁉︎」


「復唱!」

ふたりは困惑しつつも従う。

「え、ふぁ、ふぁんのココロを掴むには、、、おふしょっと、、、」

つまり、あやが言うには、今日の動画のテーマは、メリのオフショット、だった。

なぎ、れいとも言うことはわかるが、ピンとこない。なぜ、自分たちの日常的な面が、動画の取れ高になるのか。なぜそれが料理なのか。しかし、動画撮影が始まるので、疑問は後回しになった。


「はーい、みなさんこんにちは!小西あやのお料理チャンネル!本日もよろしゅう〜!」

あやが、カメラに向かって定番の挨拶をする。それから、今日はゲストが来てます、とフリがあり、ふたりも挨拶をした。その後、カップケーキのレシピについて簡単に説明が入った。そしていよいよ、作りが始まった。

あやは、ほなどうぞ、とふたりに振ると、ここからはふたりでレシピ通りにやることになる。

なぎは、あやに従って、小麦粉などを準備した。軽量をしているうちに、自宅で、妹たちとクッキーを作ったのを思い出した。


「俺、妹とこういうのやったことあるよ」

「あぁ、そうだよな。みあは得意そうだ。」

「それがね、意外とね、かれんの方がこういうの得意」

なぎが、さらさらと小麦粉をふるいにかける。あやが今のええで!と言った。何のことだか、なぎはピンときていない。れいとは横で見ているだけだ。あやがれいとはん手伝って!と口を出すが、どうにもなぎの方が手際が良い。

「れいと君料理しないの?」

「あー、、、しない。弟ふたりにはカップ麺食わせてる。」

「それであんなに大っきくなったの⁉︎」

他愛ない会話が続く。

しかしそれから卵を割ったり、オーブンの準備をするのも、なぎがやった。たびたびあやが話をふったりする。

「れいとはん!もー!」

「すいません、、、予習してくれば良かった。」

れいとの手には、うっかち握りつぶしてしまったままの卵。

かなり面白い画だった。シュールだった。

「え?それはええのよ!ええけど、うちは突っ込むからよろしく!」

「え、、、」

「うちはメリのファンに、ふたりのありのままの姿をお届けしたいんよ!雑談してして!な!他愛ない会話をウチとカメラの向こうの視聴者の皆にお届けして!」

なぎがボウルで、カップケーキの記事を混ぜる。ふたりはあやの発言にきょとんとした。ありのままの姿とは、どういうことだろう。

甘い香りの中、あやがカメラの前で、エプロンの裾を掴んで、さながら物語のおひめさまのようにくるりとひと回転した。

「ファンの子たちは、ふたりのこと知りたいって思ってるんよ、それはわかるやろ?好きなひとのことは、知りたいでしょ?推しのことは知りたいでしょ?」

「はぁ、、、」

「それはね、単にプロフィールを知ったり、メディアの前のふたりを追うだけじゃなくて、もっと、ふたりの日常の姿を知りたいってことなんよ。なぎ君、れいとはんの食べてるものや持ち物を知ったら同じようにしたいし、それが自分の知ってるものやったら親近感を覚えるし、、、もちろん、デメリットもあるで?神秘性は薄れてしまう、、、けど、メリはファンとの交流第一でこれからもいくんやろ?だったら、もっと、ふたりのいろんな姿、知ってもらいましょ!」

いろんな姿。それは、先日なぎが言った、れいとと、いろんなことをしたい、に繋がるような気がした。

「それと料理は何の関係があるんですか」

今日あまり役に立っていないれいとから質問が入る。

「いやー!何言うてますの!ええよええよ!撮れてるよ!50000人のオーディションから選ばれたスーパールーキーのれいとはんが、料理がいまいち苦手、なんておいしいやん!ファンが求めてる姿、ばっちり映ってますよ!」

「はぁ、、、?」

「と、いうのはまぁ、こっちの話やけど、料理は人柄が出ます!丁寧な面雑な面不器用な面、、、そして同じ作業をする、ということで話もはずみます。素がね、出るんよ、料理は。そこがファンにばっちり訴求するんよ!」

「な、なるほど、、、」

あやの話は決して甘いだけではない、動画のエンゲージメント、、、つまりデータに裏打ちされた説得力があった。つまりこれは、単に動画の映えや視聴回数を稼ぐ、などという表面的な話だけではなく、その根底にあるマーケティングの話なのだ。自己プロデュースの話なのだ。それが、あやは、できている。ミーハニアのサブリーダーだけある。あやの言うことは確かに、ふたりにはまだない視点で、それでいて、今後のふたりにとっても重要なことであった。どんな売り方をするか。そして、ファンの視点をもつこと。


「まぁ、あんまり難しく考えんでええよ!つまりな、どんなことも、ふたりで楽しんでやってみるとええよ、ってこと!そんでな、それをファンにもお裾分け!ってことや。それでウィンウィンよ!あ、れいとはん!なぎ君のほっぺ!小麦粉ついてる!」

「なぎ、、、ほら」

「んー、、、」

なぎの頬の小麦粉を拭う。あやはいい!などどはしゃいで撮っていた。撮れ高、とやらにはなったのだろうか。


「だってさ、れいと君」

なぎが、れいとの方を見てふ、と笑う。

「なるほどな。、、、たしかに。何をしたらいいのかって考えたけど、、、」

「オフショット、ってあやさん言ってたもんね。よーし、俺、がんばる!」

あやの動画に出るという手前、少しばかり借りてきた猫のように大人しかったなぎが、いつも通り調子を取り戻す。袖を捲る。れいとの袖も、なぎが捲った。れいとは洗い物をすることにした。片付けに関しては、れいとの方が手際が良かった。カップケーキの型に記事を流し入れ、オーブンへ。なぎが、あやにどんなカップケーキにするかを聞く。ちょうどあやが、カップケーキのデコレーションのために、クリームを用意していた。クリームチーズやバターの混ざった、少し固めのものだ。

「どんな、、、か、そやなぁ、色素いれてな、華やかにしましょ!」

「はい!俺、れいと君をイメージしたカップケーキにします!」

「え、何だそれ。」

「なぎ君名案、ええやん〜!れいと君をテーマに、、、ええね!クリーム何色ににします?はい、手伝って!」

こうして、できた記事にクリームでデコレーションをして、なぎ曰く、れいとをイメージしたカップケーキが出来上がった。

3人で食べて、動画が終わる。ちなみにカップケーキにつけられたタイトルは、河川敷、だった。

「はい、終了〜!ちょっと待ってな今撮影オフにするから!」

撮影が終了した。なんだかんだで慣れないことに緊張していたのだろう。なぎはほっとした。するとれいとが寄ってきて、ふたりで作ったカップケーキをなぎに持たせた。SNSに載せるように写真を撮るらしい。スマホの方を向くが目線を合わせられない。

「えー、、、」

「撮るから。こっち向いて」

かわいこぶっているようで少し恥ずかしい。こういうのはあやの方が向いている、となぎは抗議したが、れいとは普通にそれを無視した。あやがキッチンの片付けや、機材を仕舞う。なぎのエプロンのリボンを外しながら、れいとが話しかける。

「で、何で、河川敷?」

「れいとくんと帰ると、いつも通るから、、、俺的には、なんかこう、そのイメージで、、、」

なぎの作ったカップケーキのデコレーションは、シンプルに、平にクリームが盛られて、それがグラデーションカラーになっていた。オレンジから、黄色へ、夕陽の色だ。

「じゃあ次は、俺があんたをイメージした何かを作る番ってことだな」

れいとが笑う。その次がまた料理かどうかはさておき、ここでこの撮影はひと段落、、、かと思ったふたりに、あやが声をかける。


「はいお疲れさんこれで終わり、、、じゃないんよ。これから編集します」

「え⁉︎」


ぴしゃっと、あやが言い放つ。

「へ、編集、、、?」

「なんでウチがわざわざ動画上げてると思ってますの!」

「え、、、」

「面白い動画を作りたいんです。なぎ君、れいとはん、SNSでライブ配信したことありますか?」

なぎはせつなと、たしかライブの宣伝でそのようなことをしたと思い出した。れいとはないが、弟、、、まやとの方はしょっちゅう家でやっている、それを思い出した。

「正直言いますとね、ライブ配信の方が楽なんです。スマホひとつでできて、はい終了!ですからね。コメ拾ってトークしとけばそこそこ盛り上がりますしね。それをわざわざ動画撮って声別撮りにして、編集ソフト使って編集して動画にして載せる、、、これにはウチの矜持があるんです。」

「えと、、、」

矜持とはプライドのことである。なぎもれいともあやの話に聞き入る。

「時は金成!時間は有限やろ!ウチの動画を見てくれてる人の人生の貴重な10分間をウチは無駄にしたくない!惰性はあかん!自分の満足するものを届けたい!さぁやりますよ!目標は4時間!」

たった10分の動画の編集に4時間⁉︎とふたりは思ったが、あやに従って、編集ソフトの使い方を習い、あとは黙々と作業をするだけだった。

面白く!とは言われたものの、こうしたら面白いかな?といったテロップや編集も、作業を続けているうちにわからなくなってくる。当然最終的にはあやがほとんどの編集を行なっていた。

前回、いおりとトライアスロンに出た際になぎは、あやとのコラボ、動画作成は運動ではないしそんなに大変でもない、と考えていた。しかし、体力面とは別に、頭脳労働、あやの話はふたりがまだまだ到達できていない視点が多く、学ぶことが多い反面非常に頭を使った。

頭を使うと、甘いものが欲しくなる。たくさん作ったカップケーキは、いつの間にか無くなっていた、、、。




ーーーーーーー




「くしゅんっ」

「!」



7月も半ば。真夏日だった。

今日は、クリエイティブイベントではない。新曲のCDのジャケット案についての打ち合わせだった。これは先日、ツインテイルとのコラボの際に作った曲で、作曲と編曲がツインテイル名義になる。今日はカフェだ。たまに熊谷は、なぎをカフェに連れ出した。なぎは熊谷とふたりでカフェに行く時間が好きだった。落ち着いて、ふたりで話ができる。普段から熊谷には何でも相談しているが、こういった場ではさらに話もはずむ。れいとはいない。学校で行事があるらしく、なぎのみが熊谷とふたり打ち合わせを開始した。

すると、なぎがくしゃみを、した。

熊谷がなぎを気遣う。過保護なら熊谷らしい、心底心配している表情だった。自分のジャケットをなぎに差し出す。なぎは大丈夫、といって断った。

「大丈夫、大丈夫。えへへ、、、」

「なぎ君、、、本当に大丈夫ですか?体調は?、、」

「大丈夫!それよりさ、熊ちゃんは、Pって、何か前にせつな君と話したことある?」

「あぁ、、、ユニットそれぞれ独自のpを追求せよ、とかいうアレですね。」

話をしながら、熊谷がタブレットや紙の資料で数点のデザインをなぎに見せる。れいととツインテイル側とは、後日話をすり合わせる。

熊谷が話を続ける。

「なぎ君に身近なユニットですと、ファーレンハイトはperfect、ツインテイルはpeace、ミーハニアがpossibleですね。メリは、、、せつなは、特には決めていませんでした。せっかくですし、英語ネイティブなれいと君と相談すると良いでしょう。決めなくてはならないものではありませんが、あると、ユニットの活動の指標になると思いますよ。」

「そっかあ、、、」

「それと、先日撮ったあやさんとの動画、昨日見ましたよ。再生回数も良くて、話題にもなっていますね。積極的なコラボや、オフショットを公開する、、、今までのメリには無かった新しい試みです。私も勉強になりました。」

熊谷が今度は動画サイトのあやのチャンネルをタブレットの画面に映す。昨日の18時にアップされた動画だが、再生回数はすでに10万回を突破している。

「コメントに関しては、やはりふたりの素の会話に親近感を覚えたとか、ふたりが楽しそうにしているのを見ていると楽しいとか、ポジティブなコメントがほとんどでした。SNSでも話題になっていましたよ。」

「わー、、、ほんとに?そうだよね、せつな君とは、音楽以外の活動は、、、ライブ以外あんまりしなかったから、、、。メリはファン重視で、これからもそうしていきたいけど、こういうことも、ファンは喜んでくれるんだね。」

ミーハニアとのコラボは、なぎ、れいと双方そして熊谷にも、新しい視点をもたらしていた。いおり、あや、そしてさらにこれからほまれ、エリック、ぎんた、それぞれとのコラボが待っている。

「いおりさんが言ってたんだ。進化、って。ファンは進化しつづけるアーティストを見たいはずだよね。だから、もちろん1番がんばるのは音楽活動なんだけど、れいと君といろんなことをして、成長できたらいいなって思って、、、だからね、最初あんまり良く思ってなかったフォトブックも、今は楽しみなんだ」

「これからも、音楽活動を邪魔しない程度に、また、体調面などでも無理のないように、他の活動も入れていくのも検討しましょう」

飲み物が届いた。資料を確認して、これがいいとか、こっちもいいとか話をしながら、なぎは甘くて、それでいて後味のすっきりとした桃のジュースを飲んだ。将来の話をするのは楽しい。

「くしゅん」

「!」

「あ、大丈夫。大丈夫」

なぎがまたくしゃみをした。なぎはあまり冷房に強くない。そしてまた熊谷が心配しないように先に大丈夫だと伝えた。

「3日後に、ほまれさんが出ている教育番組のクイズコーナーへゲスト出演します。体調、気をつけてくださいね?無理をしないように、、、」

「うん、ありがとう熊ちゃん。」


こうは言ったが、なんとなく喉に違和感があった。寒気もするような気がする。おそらく、風邪。しかし、自分は健康だし、今はもう寒いような季節でもない。なんでもない、思い過ごしだ、大丈夫、、、。

なぎはそう自分に言い聞かせた。


しかし、その当日には、なぎはなんとなく嫌な予感がしていたし、その翌日にはその嫌な予感が悪い意味で当たってしまった。


「38度超えた、、、」


翌日の夜中。夕方ごろから発熱があり、12時を回るころには、38度を超えたので、常備していた解熱剤を飲んだ。今日一日は学校も休んで大人しくしていよう、そうすれば翌日のクイズ番組へのゲスト出演はなんとか、、、。

なぎの考えは甘かった。

なぎはこの日から3日間、発熱のために寝込むことになった。



ーーーーーーー



「風邪で、、、熱?」


れいとらしい、ポーカーフェイスだった。しかし内心は十分に驚いていた。

クイズ番組の出演前日。最終的な打ち合わせのために、放課後、れいとはPPCへ向かっていた。ひとり、徒歩だ。なぎに連絡がつかないと熊谷に連絡をしたら、なぎが気管支炎で寝込んでいると聞かされた。医師が言うには、典型的な夏バテだな、とのこと。当然、明日のクイズ番組は病欠となる。熊谷はなぎの家へ行って、なぎの両親と話してきたらしい。1週間ほど、仕事は休むとのことだった。当然だ。


「ですが、出演キャンセルは悪手です。白樺君ひとりで出演してもらいたいのですが、いかがでしょうか」

ちなみに、熊谷から、白樺くんは大丈夫ですか?のような気遣いはなかった。期待などしてはいなかったが、熊谷はなぎとれいとに接する態度に明らかに差がある。

「俺はかまわない。番組側や、南原先輩には、、、」

「こちらから連絡をします。とりあえず、PPCに来て下さい。私もすぐに向かいますので」


電話を切る。熊谷は、れいとに対してはいつもいたって事務的だった。メリはマネージャーがべったりだ、なんて、なぎに対しての話だ。

いつもの河川敷を歩く。しかし、今日はひとりだ。なぎはたまに、送迎を断って、れいととふたりきりになりたがった。その時によくここを通る。あまり遅くなる時はなぎの家まで送る。


「、、、ひとり、か。」


ぽつん、とした気分になった。

ため息が出た。

なぎのことが心配だ。返事がないのだ。それほど悪いのだろうか。

自分がメリに入ってから、1stライブ、クリエイティブイベントなど、なぎは多忙だった。疲れが出たのだろう。

学校のジャージのままだが、すれ違ったひとがこちらを振り向いた。おそらく、自分を知っていたのだろう。どうでもよかった。

いつも、なぎと歩く河川敷は、水面に反射する光がキラキラしていて、空は多彩なグラデーションに、雲の形もおもしろくて、虫や鳥の声がして、行き交う人々も穏やかで、街の様子があたたかくて、もっと魅力的な場所だったように思った。

今日の河川敷は、ただPPCへ向かう道路に過ぎない。そんな風に見えた。


その後れいとはPPCへ行って、熊谷と番組プロデューサーも数点打ち合わせをした。クイズ番組のゲスト自体はなぎがいなくても十分に務まるので、れいとがひとりで出演することになった。

熊谷が、くわしくなぎの様子を説明してくれた。なぎが元気になったらきっと、なぎのほうから連絡をくれる。

れいとは、なんだか終始現実感がなくて、ぽっかりと何か失ったかのような虚無めいた感情で、テレビに出演することになった。楽しいとか頑張るとか、そういう感情が湧いてこない。疲れた時に何もない空間を見つめているような、事務的で空虚で、何の味わいもない、まさに無の感情だった。




ーーーーーーー





翌日。テレビ番組の本番だ。

ほまれの出演する教育番組は真面目で、あまりおふざけの少ない格調高めのスタイルで、それはほまれにぴったりに思えた。なぜなら、ほまれはPレーベル、いや、PPC内屈指の御曹司だ。いや、世界屈指の、かもしれない。城のような家に住んでいて(しかも世界中にあるらしい)5ヶ国語を操る秀才で、見た目も良い。ついでにミーハニアに所属している。キーボード担当。楽器はもっとたくさんできるらしい。


今日、メリのふたりは、、、いや、ひとりだ。れいとのみ。なぎは病欠。

れいとと熊谷は、テレビ局のスタジオではなく、テレビ局にほど近い美術館に来ていた。貸切だ。

「何だこれ、、、」

れいとは目を見開いた。正直、美術館なんて小学校の遠足以来だった。ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を模した展示室。豪華絢爛な壁や柱や天井の総称。そしてカメラやスタッフ。しかし、その真ん中にいるほまれは、あまりにも荘厳な空間に堂々と佇んでいて、まるで彼は王で彼がこの国の支配者であるかのように錯覚させた。

「やぁ!」

れいと、熊谷のふたりに気づいたほまれが近づいてくる。

ほまれのあだ名を、ふたりはは改めて考えたら。王子。その通りだ。所作に品がある。行儀の良いくるぶしが揃ってこちらに近づいてきて、ふたりの前に並ぶ。履いているローファーの値段は、ふたりには想像もつかない。

「来てくれてありがとう。白樺君!今日はいっしょにがんばろうね。熊谷さんもよろしく。凪屋君のこと聞いたよ。彼、体調は?」

「こんにちは、ほまれさん。なぎ君は気管支炎とのことです。急な病欠となり、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」

「そんな、とんでもない。早く回復するといいね!」

さて、ほまれから、今日は番組は全体が美術をテーマにした回で、当然美術を中心にしたクイズが出されると説明があった。ほまれとれいとのふたりで、別スタジオから振られるクイズに答える。ほまれにとっては当然、得意ジャンルだろう。れいとは、美術はちんぷんかんぷんだった。成績も、並だ。知ってる画家は?と聞かれたら困るレベルだ。しかし、問題はそこではない。

ここで、改めてれいとと熊谷は相談した。なぎ抜きでどうするか、である。普段通りで、ということに帰結するのだが、なぎがいれは教育番組にふさわしい明るい雰囲気になっただろう。クールで、落ち着いていて、あまり感情を表に出さないれいとでは、そうもいかない。しかし、どうしようない。なぎは来ない。

その後は番組のディレクターから番組の流れについて説明があった。挨拶をして、それからだいたいの流れのリハーサルがあった。しかし、クイズ内容は本番まで秘密。れいとには明かされなかった。本番が近づくと、ホール内が騒つく。いよいよ撮影が始まるのだが、れいとはまだ、どうにも、身が入っていない。熊谷もこれには気づいていた。

れいとはぼんやりと、機材に囲まれた、マイクをつけられながら、なぎのことを考えていた。

この番組、見たことあるよ。みあがたまに見てるの!

わー、、、すごい。俺も美術は全然知らないよ!あ、これは知ってるかも。

、、、なぎがここにいれば、きっとこんな会話をする。そう、想像した。


「なんだって⁉︎」


トラブル発生らしい。なんでも、MC役のタレントが病欠らしい。なぎと同じ、風邪だ。

熊谷がれいとにそっと説明した。しかし、れいとにはこればかりはどうしようもない。するとざわめくスタッフに人影が近づく。


「僕でよければ」

「⁉︎」


ほまれだ。

その颯爽とした様子に、スタッフの顔は輝いた。

「君なら大歓迎だ!」

みんながほまれを歓迎する。しかし、問題が発生する。

「待て、、、じゃあ、クイズの回答者どうなる」

れいとが発言した。

熊谷も、番組のディレクターも、その場にいたスタッフも、そう思っただろう。

ほまれがれいとへ向き直る。

「君に任せるよ!」

「⁉︎」

ほまれの発言に、その場の全員が目を見開いていた。

「いや、、、えーと、、、」

ディレクターが困った様子で、熊谷を見る。熊谷がすかさず、少し話合うので待つように、とほまれを制した。とんでもない男だ。


「どうする?参ったな、、、白樺君、テレビ出たことないよね?この番組見たことないよね?美術詳しくないよね?ある程度正解してもらわないと、、、メインの司会進行はスタジオだけど、けっこうこのコーナー長いしなあ、、、何より今回は美術特集だし、、、うーん、、、」

ディレクターの悩みも最もだ。生放送ではないものの、つい数ヶ月前まで素人だった新人に、一部だとしてもいきなり番組の進行を任せるなんて、どうにかしている。

すると、熊谷がディレクターに、提言をした。

「私たちふたりで話あっても?」

「え?」

「うちの白樺は、50000人のオーディションを勝ち抜いたんです。その辺の素人とは違います。なので、本人と少し話をします。5分下さい。」

「!」


そう言うと熊谷はれいとの腕を引いて、番組のスタッフから少し離れた場所へ行く。

「どうしますか?君次第ですが。」

れいとは、答えられなかった。

なぎなら、どうするだろう。


遠くで、ほまれが台本を見てリハを始める。聞いたことのあるクラシックがbgm。曲名は何だったろう。優雅な調べの中に、少々不穏な音色が混じる。冷房が寒いくらいに感んじた。


「俺は、、、」

なぎがいれば。

なぎがこの場にいればきっと、やると言う。できなくてもうまくいかないとわかっていても、失敗しても、なぎならやる。何度でもやる。しかし、自分はなぎではない。こんなに急に、ひとりになるとは思わなかった。どうすればいいのか、さっぱりわからない。


ほまれを見る。ほまれがこちらに視線を寄越す。そもそもにして、かなりの無茶振りだ。なぜ、はまれはこのような選択をしたのか。

しかし考え直すと、最初に会った時からほまれは、なぎよりもれいとに、指導をしたいと強く言っていた。そう、自分だ。なぎではなく。

なぎなら、どうする?

今、どうしても、なぎの顔が浮かぶ。

「熊谷、なぎなら、、、」

「なぎ君なら、ではなく、君が決めなくてはいけません。なぎ君を指標にするのは結構ですが、あなたはなぎ君ではない。なぎ君にできることは、あなたにはできないことかもしれない。自分の実力を知るのも成長です。どんな選択をしても、私はそれを支えます。」

「、、、やる。」

「!」


れいとが静かに呟く。意外。熊谷は、れいとは今回の件を冷静に、断ると思ったからだ。

「いいんですね?」

「、、、あぁ。やるよ。」

再度の確認に、れいとは少しだけ瞼を閉じた。以前、河川敷で、なぎと話した時に考えたことを思い出した。

自分は、やりたいことのビジョンがない。金のためにオーディションを受けたし、ファーレンハイトに入るつもりだったからだ。そこからは、なぎと歌いたいと言うモチベーションを見つけた。なぎといっしょにいろんなことをしたいという目標ができた。だが、まだそこまでだった。しかし、その目標を叶えるためにも、守らなくてはいけないものがあると、今思った。そう、メリそのものだ。メリが無くなったら、学校も年齢も違う自分たちは、何の縁もない他人でしかない。メリを守らなくてはいけない。このくらいのこと、軽くこなして、自分が、メリが価値あることを示さなくてはならない。寝込んでいるなぎが元気になった時にきっと、がんばった自分を褒めてくれる。そうしたらなぎに、なんて言おう、、、。


ほまれがこちらを見て笑っていた。なぜほまれがこんなことを提案したのか、後で問いたださなくてはならない。しかしきっと、意味があることだと思った。れいとは、番組のディレクターに向かって歩き出した。

「自分、、、やれます。よろしくお願いします!」

はっきりとした声だった。番組スタッフが湧く。

熊谷も、よろしくお願いします、と頭を下げた。

それから番組の進行についてさらにほまれとスタッフと詳しく打ち合わせをした。クイズを出す役はエリックがやる。れいとは変わらず、答える。

撮影が始まる。れいとの進行は驚くほどスムーズだった。何の問題もなく撮影が進んだ。滞りなく撮影が終了した。スタッフすら、あまりにも何なく撮影が終了したことに舌を巻いていた、、、。



ーーーーーーー




「いやー!すごいね、白樺君!中学生とは思えないよ本当。落ち着いていて、冷静、動じないし!本当に良かったよ!ありがとう!ただし、美術に関しては要勉強だね!今後に期待!」

撮影が終わると、番組スタッフはれいとをほめそやした。視聴率が取れそうだ、と喜んでいる。

「お疲れ様でした。よくがんばりました。」

「あぁ、、、。」

結果、れいとはクイズ全問不正解だった。しかし、真面目に答えた。

ルーカス・クラナッハとかヒエロニュムス・ボスとか、一時間後には忘れていそうな名前の画家(ほまれが好きな画家の特集だったらしい)の知識、クイズを、賢明に考えた。

熊谷は、あっさりとした態度だ。れいとは熊谷について考えた。この場になぎがいればきっと、もっと励まして、もっと寄り添って、もっと褒めている。熊谷が自分をどう評価しているのか、いまいちわからない。

「これからもひとりで仕事する気はありますか?」

「え、、、」

「あなたなら、十分できます。あなた次第でふよ。」

「、、、」

熊谷の提案に、れいとは首を振った。

なぎといたい。

それだけだった。

ほまれが近づいてきた。

「南原先輩、、、」

「ご苦労様。君ならやってくれると思ったよ!」

「どうしてこんな無茶振りしたんすか」

少し、れいとはほまれを睨んだ。

ほまれは全く動じてはおらずに微笑む。

「最善の選択をした。君を信じた。実際、想像以上だった!」

「それは、、、」

「リーダーからも言われていたしね」

「!」

それは、ミーハニアのリーダー、ぎんたのことだった。

「君たちを成長させたい。君たちのために先輩として何かを残せるようなコラボにしたいってね。なぎ君の欠席は想定外だったけど、それならそれなりに、最善を取る。初めて会った時から思ってたけど、君はなぎ君と対等じゃない」

「それは、、、」

「歌唱力や、存在感や、容姿は君のほうが上かもしれない。それでも、なぎ君と君の間には、決定的な差があるよ。、、、それが見えたかな?それを教えたかったんだ」

「あぁ、、、。」

「やりたいことをやる。好きなことをやりたい。この、気持ちの力は何よりも大きなものだよ。僕もまだ探しているものだから。、、、がんばってね、白樺君。」

こう言ってほまれは、れいとに背を向けて歩き出した。

そう言えば、ミーハニアの紹介で、ぎんた、あや、いおりは明確に音楽活動以外に肩書きの紹介があった。インテリアコーディネーター、料理研究家、アスリート、、、。秘密だと言われているエリックはともかく、ほまれの肩書きは、クリエイティブユニットにしては、弱いように感じた。まだ、探している。ミーハニアは先輩だが、ほまれの今後によってはさらに、別の変化をしていくのかもしれない。

すると、れいとのスマホがなった。

「なぎ、、、!」

なぎからのメッセージだった。

まだ熱があるとのことだが、病欠を謝罪して、れいとを心配していた。

れいとは、心配するな、ゆっくり休め、と返事をした。



はじめて、なぎ抜きで、ひとりで仕事をした。

メリに関することで、初めて自分ひとりで決断をした。なぎと違う答え。結論。

この経験がれいとにとって需要なものになった。

しかしそれがわかるのはかなり後のことになる。

れいとすら忘れた頃になる、、、、、、。




ーーーーーーー




「え、エリックさんって、小説家なの?」



数日後、なぎは、順調に回復していた。しかしまだ自宅療養中だ。その間にエリックから連絡があった。その件を、れいとはなぎに報告した。電話ごしに、久しぶりというほどでもないが久しぶりに聞くなぎの声は、いつもよりも弱々しい。かすれている。

「本人は隠しているらしい。ペンネームで書いているそうだ」

「え、じゃあそれ、どこ情報?」

「社内の皆知ってますよ、なぎ先輩」

「あー!るき君の声だ!ふたりいっしょにいるの⁉︎ずるい!」

「おい!バカ!喉大事にしろよ!でかい声出すな!」

れいとが注意する前に、るきの方が先になぎを注意していた。そう、れいとの隣には、るきがいた。ふたりの会話にいたずらに割り込むと、ついでにわん、とジョンの鳴いた。

「今るきの家。学校の帰りにたまたま会ったから。あんたは元気になったら来い」

「いや、おれん家だぞ、何でお前が決めるんだよ!」

いいなぁ、ジョン元気?となぎがこぼす。特段るきの許可は取らずに、なぎが回復したら、3人でお泊まり会をしようと、勝手にれいとは思った。

本題。エリックとのコラボを、なぎが回復してからにずらすかを話合わなくてはならない。

「うーん、、、もし、れいと君がいいのなら、ひとりでエリックさんと会ってきていいよ?」

「いいのか?」

「エリックさんとどんなことするか、まだ何もわからないし、話だけでも聞いてきて!」

「わかった。また連絡する。おとなしくしてろよ。無理するな」

「ひゅーれいと君やさしー」

「さっきまでるきは俺より心配してた。それじゃ」

「あ!おい!」

通話を終了する。るきが横で抗議する。素直じゃない奴だ。照れる必要もないのに。こうやって家に誘ったりするくせに。そもそもまだ喉が本調子でないなぎとの連絡はメッセージで十分だと思ってたが、るきがあまりにも心配するので、声を聞かせてやろうと思い電話にしたのだ。

「てめー、、、ジョン、やれ!」

わん、ジョンはおもちゃで遊んでいた。るきの言うことを、きかない。

「るき、梅北先輩の件は、先輩自身はバレてないと思ってるんだな?」

「あー、、、そうらしいぜ。三宅先輩が詳しくて、そう言ってた。」

三宅先輩、とはファーレンハイトの広報担当の三宅すずだ。社内の事情や、ユニットを越えたアーティスト同士の関係性にも詳しいらしい。いつも笑顔だが、少し底の知れないところがある。

「で、もうすぐ、クリエイティブイベントの人気投票の中間結果発表らしい」

「そうなのか。」

「三宅先輩によると、1位は当然うちだ。ファーレンハイト。」

「ファーレンハイト、コラボやってたか。」

ひゅうがはあまり、こういったイベントに乗り気ではないことは有名だ。

「やってるやってる。ただ、今んとこどいつもこいつもレーベル内での無名の奴ら!混ぜてやってるってるんだよ。てか、俺たちが勉強させてやってるって感じ!」

「意外だな。七星先輩は、ファーレンハイト以外での活動はしないと明言してるだろう。こういう、、、クリエイティブイベントでの他ユニットとのコラボとかはアリなのか。」

るきの話によると、ひゅうがは当然熱心ではなく、義務的に対応していて、コラボ自体はひかるが主に取り仕切っている。ファーレンハイトの活動そのものでは、変わらずひゅうがが権力者だ。

ジョンがうろうろとしている。なぎが来ると喜ぶのに、れいとにはいまいちまだ懐いていない。

「あー、、、なんか、睦月先輩は濁してたけど、契約?とかって。代表取締役の言うことはちゃんと聞くんだよ。よくわかんねーけど、、、」

「、、、」

ひゅうがくらいなら、怖いものがないだろう。それを、代表取締役に、頭が上がらない?むしろ、ひゅうがはたまに重要な会議にも参加するくらい権力がある。契約とは、どういうことだろうか。

「まぁ、うちのこと心配してる場合じゃねぇよ、メリは。しっかりやれよ。クビになんねーようにな。と、いうわけで、これは餞別。三宅先輩からだぞ。ふきょうよう?とかって言ってた」

「布教、、、?」

るきが紙袋を渡してくる。中身をみる。本だ。文庫本サイズ。話の流れからするとつまり、これはエリックが書いている小説ということだろうか。5冊あった。シリーズもののライトノベルのようで、難しいタイトルだ。帯には新感覚古典派SFと書いてある。新しいのか懐古なのか、どっちなのか。エリックに会う日まで読むべきか、否か。知ってしまったことを黙っているのも、なんとなく騙しているようで気まずい。

ひとつ本を手に取る。主人公のイラストだろうか。表紙には中性的な見た目のキャラが描かれている。なぜ、髪が水色なのか。いかにも中高生を対象にしたライトノベルだ。れいとは本を紙袋にしまった。

るきの励ましも受けて、まず、ひとりでエリックに会うことにした。




ーーーーーーー





翌日。7月のちょうど半ば。れいとはエリックに会うためにPPC本社を訪れていた。真夏日だ。なぎはどうしているだろう。

会議室をひとつ押さえていた。エリックと一対一になる。れいとは予定の30分前に、会議室に入った。先輩との待ち合わせに遅れてはいけない。しかし既に、エリックがいた。


「え、あれ、俺、、、時間、間違えました?」

「まさか!僕が早く来たんだよ!よろしくね、白樺君!」

「あ、はい。よろしくお願いします。」


エリックが人懐こい笑顔で近づいてくる。握手をした。くるくるの巻き毛。

「先に連絡させてもらった通りに、なぎは病欠です。すみません。なので、俺と、どんなコラボをするかだけでも先に話せますか?」

「もちろん!というか、こちらこそ、秘密にしていてほんとにごめん!話せないというか、、、こっちの事情で、、、。あ、座って話そうか!僕が先輩だけど、全然遠慮とかしなくていいからね!楽しいコラボにしよう!」

エリックが着席を促す。れいとが椅子に先にかけた後に、エリックが向かい側に座った。腰の低い先輩だ。明るく気さく。ミーハニアのメンバーは全員、人間ができている。ふと、師匠のたくとを思い出す。れいとの頭の中のたくとは、俺が人間ができてねぇみたいだろ、と怒っていた。

「じゃあ、さっそくコラボについて、なんだけど、、、その前に、僕のこと、話さなきゃだから。」

エリックが口の前で人差しゆびをあてるジェスチャーをする。

「はい。」

「でもね、その、秘密にしていて欲しいんだ!だから、オフレコ。なぎ君にもそう伝えて?」

「わかりました。」

「僕ね、、、」

「、、、」

「僕ね、実はライトノベル作家なんだ!」



、、、知ってた。

というか、社内のたいていの人間が知っているらしい。れいとは相変わらずのポーカーフェイスで、エリックだけが、照れて俯いていた。


「あの、、、」

「な、何⁉︎びっくりしたよね、急にごめん!引いた⁉︎僕のこと、オタクっぽくてキモいって思った?」

「いえ、別に。その件は、出版社からそういう風に指示されているとか、契約上そうなっているんですか?それとも先輩が、実力者を試したいからあえて自分の名前を明かしていないとか、重大な理由なんでしょうか」

れいとは至って冷静に、疑問をぶつけた。

「あ、違う違う!出版社はむしろ、売り上げのために、僕がミーハニアの梅北エリックだってことを早くバラせって言ってる!後者でもないよ。その、、、」

「、、、?」

「その、、、恥ずかしくて、、、」

「なる、、、ほど、、、?」

れいとにはピンと来なかったが、なんだか照れるエリックを前に、実は正体を知っていることを打ち明けることや、これ以上の追求ははばかられた。知らなかったことにしよう。コラボの内容によっては、その方がいい。と言うか多分皆、エリックのために、黙っているのだろう。

すると、エリックが、カバンから文庫本を出してきた。それは先日、るきを通してすずからもらったものと同じ、ライトノベルだ。

「あ、これ、、、」

「僕の作品。もしかして、知ってる?」

「あ、はい。まぁ、、、。友人が、オススメしてくれて、、、」

ちなみにれいとは一冊は読み切った。

「えー!恥ずかしい!あの、絶対僕に感想言わないでね!恥ずかしくて死んじゃうから!」

目の前のエリックはひとりで百面相していた。

「そう、ですか、、、。わかりました。」

「もし、どうしても感想送ってくれるなら、サイトにコメするかファンレター形式でお願い!対面はムリー!」

「わかりました。」

ちなみに、れいとは文学作品は好むが、ライトノベルはほぼ読んだことがなかった。児童書なら子供の頃に手に取っていた。またSFもほぼ初めて読んだ。エリックの作品は、遠い未来、宇宙と10の惑星を舞台に、放棄された地球や、未知のエネルギー、謎の宗教機関を巡って人間やドロイドが戦う話だった。れいととしては、主人公はそれなりに気に入って読み進むことができた。性格が少し、なぎに似ているところがあった。それから、難しい用語や設定とは別に、主人公とその相棒の友情がメインのモチーフであり、その点が気に入っていた。ちゃんと第2巻も楽しみにしている。


「って、ごめんごめん!コラボの話が本題だよね!というか、もうわかったかな?あのさ、小説書いてみない⁉︎」

「小説、、、ですか?」

エリックの話はこうだった。

なぎとれいとで、小説を描く。エリックはそれを添削する。そして発表する。小説を描くことは、語彙力や表現力を鍛えることに有効で、作詞の勉強にもなるだろう、とのことだ。当然、素人にライトノベル一冊分を描くように、とは言わない。目標はふたりあわせて一万文字程度。かなり敷居は低い。そして、作った小説は、メリの公式ホームページなどに載せる。見てもらなわなくては、コラボの意味がない。

「なるほど、、、。」

よく本を読むれいとは、小説を自分で書こうととしたことはないものの、単純に興味が湧いた。どんなものを書こうか、とこの時点で考えられるほどに、だ。そしてふと、先日、ほまれに言われた言葉を思い出した。


やりたいことをやる。好きなことをやりたい。この、気持ちの力は何よりも大きなものだよ。


れいとは、気づいた。ほまれの言葉に。遅効性のアドバイス。

「で、でね、、、もし、ふたりがイヤじゃなければ、オリジナルの同人誌として、匿名で、イベントで売ってみない?」

「どう、、、じんし?あの、、、」

「同人誌はね自費で印刷するの本ってことかな。イベントはね、そういう、自費で作った本を手売りするの。今月そういうイベントがあるんだ。僕、参加するんだ。もちろん、梅北エリックとしてじゃなくて、ライトノベル作家として。オリジナルの小説を販売するの。これは、PPCとかクリエイティブイベント全然関係ないから、任意!」

小説を書く。本を作る。手売りする。エリックによると、一万文字程度の小説なら小冊子を今はコンビニで印刷することができるらしい。売らなくても、無料で配布、という形もあるそうだ。イベントのへの参加はともかく、小説を書くことについては、なぎと話し合う必要がある。れいとは、ここまで話が進む頃には、もう乗り気になっていた。


「あの、俺は本をよく読むので、楽しそうだし、嬉しいです。やってみたい。」

「わぁ!本当⁉︎」

「なぎに、今連絡してもいいですか?」

れいとがなぎに、打ち合わせの内容を伝えると、小説を売る件に関してはすぐに返事が来て、OKになった。

「あの、先輩。なぎも、やってみたいそうです。よろしくお願いします。」

「えー!本当⁉︎うれしー!よかったぁ!」

「ただ、イベントの方なんですが、、、」

「外部イベは熊谷さんNG⁉︎」

ちなみに、エリックはいちいちリアクションが大きい。演技ががったあやとはまた違って、おそらく素。熊谷の話が出て、その一言で熊谷が他のユニットからどう思われているのかわかってしまう。

「いえ、なぎが病み上がりなんで、無理させたくないので、まだ伝えてません。イベントは俺ひとりで出ます。熊谷も俺には何も言わないと思います」

「あ!そっか!ごめん!俺、気が効かないよねほんと!わかったよ。なぎ君の体調を優先して!」

「ありがとうございます。それじゃあ、熊谷にも話して、俺からまた連絡させてもらっていいですか?」

「うんうん!よろしくね!楽しみだな〜!」


話はついた。れいとは、これまでにミーハニアの3人とコラボをしてきた。いおり、あや、ほまれ、である。正直なところ、今までで1番楽しそうだと思った。また、考えたこともなかったが、もしこれから時間をやりくりして自分も、継続的に小説を書くのも良いのではないか、とも思った。

エリックに挨拶をして、れいとは帰宅した。なぎ、熊谷双方に、改めて詳しい内容を連絡した。帰り道、どんなことを書こうか、も想像して帰宅するのは、なかなかに楽しかった。




ーーーーーーー




「熊ちゃん、毎日連絡してくるんだよ。心配性だよね〜」


なぎの明るい声は、もう元通りだ。反面、れいとは、そうか、、、と、なぎに対してなんとも形容しがたい声で返答をした。


もう7月も下旬だ。本格的な暑さで、誰もがうだるような太陽。それと対立するかのように冷房のきいた会議室。なぎ、れいとは、エリックと小説を作るためにPPC本社に来ていた。会議室を借りた。と、いっても、ソファのあるリラックスできる部屋だ。なぎの体調も考えて、遠出などはしない。れいとがせっかく冷房を控えめにしたのに、なぎの方から、冷房を下げて、と言ってくる。熊谷からあずかったひざかけを渡すと、今度はもう病人じゃないよ、と。少し観察すると、もう血色の良い頬。れいとは安心した。もう大丈夫だ。しかし、油断はしてはならない。さて、れいとには、熊谷からは事務連絡以外はない。が、なぎが寝込んでコラボの内容が決定するに至るまでに、なぎにくれぐれも無理をさせるな、なぎの体調を優先しろ、なぎに気遣え、、、などと、想像の3倍しつこくてねちっこくて長くてくどい内容のメッセージがあった。これに対ししっかり話を理解しているか要点をまとめて返信するようにあり、れいともまた長いメッセージを返すことになった。さらに、熊谷から、ひざかけやら体温計やらをいろいろ渡された。なぎ用だ。送迎の間はずっと、なぎが心配だったという話。さすがのれいとも疲れた。熊谷め。コラボ当日、楽しみにしていたのに。れいとはなぎの抗議を無視して、ひざかけをかけた。

すると、会議室のドアがノックされる。

「お待たせ〜っ」

入ってきたのはエリックだ。元気な声だ。

「梅北先輩、こんにちは!」

なぎも、れいとも立って挨拶をする。しかしそこで、ある異変に気づく。


エリックが、腕にギブスをしている。


「捻挫しちゃった!」

「え!?」


エリックは明るく言い放つ。ふたりのリアクションは同じだった。

「あはは、駅で転んでさ〜!なぎ君は風邪どう⁉︎無理してない⁉︎」

「い、いやいやそれより、捻挫⁉︎大丈夫なんですか⁉︎」

「へーきへーき!執筆もベースも全然できないけどね!」

「いや、それ平気じゃ、、、」

エリックのペースに思わずれいとも突っ込んだ。平気じゃない。夏服には似つかわしくない業業しいギブス。曰く、階段で転んだ。

「コラボには問題ないよ!俺はふたりに教えるだけだし、いおりみたいにスポーツをするわけでも、あやみたいに料理をするわけでもないから!さっそく書こうか!お菓子も、買ってきたよー!」

そう言うと、エリックの、使えるほうの手には紙袋。れいとが慌てて受け取った。中には老舗の、夏向けのさわやかレモンパイ。ドリンク。なぎがありがとうございます!と言うと、ふたりがスイーツ談義を始めた。れいとは、あやが以前に言っていた言葉を思い出した。リーダーもパッとしないし、他3人はボケ、だったろうか?(ちなみに正しくはリーダーはぼんやり、他3人は天然ボケである。あやはそこまで酷くは言っていない)あやがあれだけテキパキと仕切りたがるのを、れいとは今理解した。


「梅北先輩がそう言うなら、、、よろしくお願いします。」



この空間は、まずい。

れいとは自分がしっかりしなくては、と考えた。



ーーーーーーー




「ふたりは何か、小説の題材を考えてきた?」


3人で会議机に座る。なぎとれいとの向かい側にエリック。とんとん、とノートを整えながらエリックが話す。表紙にはエリック流脚本術とある。

目の前にはエリックが用意したノートパソコン。小説を書くのに特化したアプリがあり、それを使う。しかし、なぎはタイピングが遅い。スマホのフリック入力も、遅い。れいとはブラインドタッチができる。実際に文字にするのはれいとの作業になる。


「俺は少し考えてきました。ロードムービー的な、、、青春とか友人をとかをモチーフにしたら、誰でもとっつきやすいかと思いまして。」

「えっ、ロー、、、何?」

ちなみに、れいとは映画もよく見る。もちろん字幕なし。

「うわー、いいね!イージー・ライダー、ペーパー•ムーン、スタンドバイミー!みたいな?あ、えっとね、ロードムービーってのは、旅の途中でいろんことが起きるのお話!三幕構成にもしやすいし、初心者におすすめだよ!」

「な、なるほど、、、?」

どうやらエリックもまた映画に造詣が深いようだ。なぎは、ぽかんとしている。エリックの説明の後も、だ。

「今回はセンセーショナルなモチーフやテーマを省いて、ハイコンテクトさを避けて、わかりやすさを重視したいです。一作目ですし。主人公のポジティブなアークでテーマを作ります。あとは、脚本術に忠実に、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼを書きたいです。」

「うんうん!えっ、、、てことは2作目、3作目の可能性もあるってこと⁉︎れいとくん!すごいよー!」

「??????」

よくわからない単語の羅列に、なぎだけが頭の上にたくさんのクエスチョンマークを浮かべていた。自分が何をしたらいいのかわからない。

「じゃあまず、プロットを作ろう!なぎ君もばんばん意見だしてね!」

「は、はい!」

れいととエリックが話を進める空間の中で、なぎはなんとかついていこうとした。


れいとの考えた小説の設定が、なぎ、エリック双方に発表された。

主人公はひとりの青年。ヒッチハイクをして、天文台へ行って、星の写真を撮るのが目的だ。彼をたまたま乗せるのが、もうひとりの青年で、こちらが主人公。彼は人生に悩んでいる。しかし、青年との出会いで人生を見つめ直し変わっていく、、、。その間、天文台につくまでに一悶着あったりなかったり、というあらすじだった。


「す、、、すごーい、、、」

まず、感嘆したのはなぎの方だった。物語を書こう、作ろうなんて、考えたこともない。作詞ですら手一杯だ。設定だのプロットだの脚本だのと、れいとの話は未知の世界だった。それを、主人公がこうで、話はこうで、、、と、考えつくだけでも、なぎにとっては凄いと感じることだったのだ。

「いいねー!もう、グラデーションの夜空と満点の星をながめるふたりが目に浮かぶよ!」

エリックのリアクションは詩的だ。そして、紙に、第一幕、、、と書く。

「第一幕で必要なのは、登場人物の紹介。設定、そして強力なフック!厳密なセントラルクエスチョンとかは後にしよう。これを最初の25パーセントまでで書こう!」

ふたりも紙を見つめる。

「あの、これは、、、」

「なぎ君、今僕たちはね、プロットっていうのを作ってます!」

「プロット、、、?」

「いきなり小説を書き始めるよりも、構成を練ってから書いた方がいいんだよ。計画書を作ってるってかんじかなぁ、、、」

「なるほど、、、」

「1番大事なのは、まずキャラクターを知ってもらうこと。なんの興味もわかないキャラクターの話を読み進めようとは思わないからね。それから、何かをさせること。それでキャラクターを表現して、紹介するんだ。ただ棒立ちで、プロフィールだけを捲し立てられても、仲良くなれないよね。」

「なるほど、、、ふたりの性格を書き出してみます。」

「ふたりとも漫画とか読む?こういう技は、漫画でも使われてるんだよ。例えば、大人気海賊漫画パシフィックピース、、、主人公は最初、自分の顔をナイフでわざと傷つけるんだ。この行動の理由は、後のページでわかるよ。大人気忍者漫画マルトもそう。主人公は登場するなり、らくがきしてるんだよね。これも、理由は後からわかる。何か行動をさせて、この理由は後から明かす。それで、読者に興味を持たせるテクニックなんだよ!」

「な、なるほどー!すごーい!」


このようにして、エリックはふたりに脚本のなんたるかを教えていった。エリックの脚本家としての才能は言わずもがな、そのノウハウを知れることは、ふたりにとって、いや誰にとっても垂涎だ。そう、漫画、小説、映画、、、エンタテインメントはもはや、ウケるために緻密な計算に基づいた黄金比やテクニックが確立している。骨組みは大事だ。素人ほど、基本に忠実に。余談、当然この小説も、章ごとと、全体を通しての構成は三幕構成になっている。


れいとは、主人公とその相棒の設定を書き出した。年齢や、職業、外見、性格。キャラクターの設定は、見た目や誕生日などよりも、脚本術の上では、どんなアークをするかとか、三層の性格だとか、どんなゴーストを抱えているか、などが重要だ。アーク、ゴースト、、、これらは脚本術の上での用語であり、言葉の意味どおりのものではない。

「次に、プロットポイントってのがあってね、、、」

エリックが紙に、ファーストターニングポイント、ミッドポイント、セカンドターニングポイント、と記した。れいとは知っていた。なぎは初めて遭遇する単語だった。

「脚本の何パーセント地点に置くか決まってて、イベントを起こすんだ。このイベントに向かって、それぞれの幕は進んで行くんだよ。このプロットポイントがしっかりしてないと、ただだらだら話が続く、面白くないお話になっちゃうんだ。」

なぎはもはや首を上下にブンブンふるだけだ。しかし、エリックの知識に聞き入っている。エリックはなぎに、それぞれのプロットポイントの特徴などを説明していた。その間にれいとの、キャラクター表が完成する。

「わー、見せて見せて!」

なぎとエリックが身を寄せ合い、れいとのノートを見る。エリックが設定を読み上げる。

「主人公、間宮楓悠。フリーター。彼女と別れたばっかり。人生について、就職や結婚、子供をもつといった理想的とされるライフスタイルに重きを置いていて、マジョリティ価値観が強い。なので、フリーターの自分を負け犬と思っている。相棒は祐伯星光。自由奔放で、無職。しかし、自尊心と自我の確立した男。彼に会って、間宮は変わっていく、、、」

「なんかすごーい!」

なぎののんきな声。エリックはとても良いと誉めてくれた。

「けど、なぎ、ふたりで小説を作るんだ。あんたもなんか意見を言え」

「え、、、んー、、、」

れいとがそう言うと、なぎはなぎなりに真面目に考えているのだろう。キャラクター表と睨めっこを始める。

「プロットポイントはどうする?」

「何個か考えたんですけど、、、ファーストターニングポイントで、スマホを失うとか、、、ミッドポイントで天文台に着くけどふたりはケンカになるとか、、、」

「いいねいいね〜!考えよ!」

プロット作成はどんどんと進んで完成した。あとは執筆するだけだ。しかし、問題がひとつ。


なぎが蚊帳の外だ。


当然、れいとも、気遣いのできるエリックもそれに気づいていたので、ふたりは待った。なぎの意見を。しかし、なぎからは次の言葉が出た。


「俺も俺で別の話書く!」



「えー!なぎ君も⁉︎すごいすごい!もちろん僕は賛成だけど、、、」

「俺も別に構わない。」

なぎがれいとに、キャラクター表を返却した。

「この、れいと君の考えた話、後から読みたいな。俺は俺で、別の書くから、れいと君読んでくれる?あの、エリック先輩、俺にも、脚本のこと、教えて下さい!」

「もちろんだよー!なんでも聞いて、さぁ、がんばろー!」


意外な展開になった。なぎはどんな話を書くのだろう。

「なぎ、話、考えたのか?」

「だめ!できるまで秘密!」

「、、、そうか」

れいとは大人しく、自分の執筆作業に取り掛かることにした。今度はエリックがなぎに、キャラクター設定や、脚本術について詳しく教える。

「いちばん大事なのは、キャラクターと、その欲求だよ。」

「欲求?」

「すべての登場人物に、欲しいものを設定すること。コップの水一杯でもいい。それのために、キャラクターは行動するんだ。逆に、目的のないキャラクターなら、そのキャラクターはいらない。そのくらい極端に。登場人物は、目的があってはじめて行動ができるんだよ。そしてその行動がドラマを、、、葛藤を作っていく。それを物語って言うんだ。」

なぎはエリックの話をメモする。そして今度はれいとに尋ねた。

「ね、ね、れいと君さっき言ってたあの、、、はい、、、なんとか、、、」

「ハイコンテクト」

「それだ!あの、エリック先輩、ハイコンセプトって、何ですか?」

なぎが問う。

「映画の用語だよ。誰にでもわかりやすく楽しめるように、って感じのニュアンスかな。」

「なるほど、、、」

「難しい表現やテーマを避けて、誰にでも楽しめるエンタテインメントにするのは、商業的にはとても重要なんだけど、、、」

エリックが立ち上がる。窓際へ移動した。外を眺める。正直に言うと、ぎらぎらと降り注ぐ夏の日差しがあまり似合わない。エリックの白い指先がブラインドに隙間を作る。



「結局は自分が書きたいものを書く、それだけだよ」

「、、、」



空調が静寂を整える。ふたりはエリックの話に聞き入る。

「音楽もそうだと思うんだよね。受けようとおもったり、流行りを追ったり、もちろんそれが好きで、得意でできるひとならいいんだけど、無理に周りに合わせて自分の形を変えるとどんな結果になるか、僕はわかってるんだ。ふたりが、小説を書きたいって思ってくれて本当にうれしいよ。だから、好きなように自分を表現して欲しいんだ。ウケ、とか、流行りのために作られたものよりきっと、君たちにしか作れない、唯一無二のものに価値があると思うから、、、」

エリックが振り向く。優しい微笑みだった。エリックの言葉は綺麗で、わかりやすくて、すっと心に入ってくる。

ふたりははい、と返事をした。その日、れいとは半分ほどまで執筆が済んだ。なぎも、考えがまとまったようだった。次の日も同じ会議室を押さえた。今日と同じ時間に集合することを決めて、解散した。



ーーーーーーー



「できたー!」

なぎの声が響いた。なぎの小説が完成したのだ。エリックに早速、添削を頼む。エリックは待ってました、と言わんばかりの笑みで、クリームあんみつをそのままに(あやからの差し入れである)なぎの小説を読み始めた。れいとも、クライマックスだ。ちょうど、セカンドターニングポイントを過ぎて、最後にひとひねりを加えるところだ。

「なぎ君のオリジナルの良さを消さないように、あんまり極端な添削はしないよ!わかりにくいところは意見させてね。あと、誤字脱字かな?じゃあ少し、時間ちょうだい!」

エリックが添削に入り、れいとも執筆をしていると、なぎは手持ち無沙汰になった。

「ねぇねぇふたりとも、俺、コンビニ行ってくる!お菓子とジュースとアイス買ってくる。ふたりは何がいい?」

「え、なぎ君、いいの?あ、お金!僕アイスミルクティー!」

「なぎ、ひとりで行くな。俺も、、、」

「大丈夫だよ!PPCの隣のコンビニだもん!れいと君は執筆がんばって!何か適当に買ってくる!」

「わかった。スマホ持っていけよ。何かあったら、、、」

「わかってまーす!行ってくる!」


さて、なぎがビルの外に出ると?晴天。かなり暑い。足早にコンビニへ向かうと、声をかけられた。

「凪屋なぎだ!」

「!」


本人にまるで自覚はないが、こう見えて著名人でもある。街で声をかけられるのはまぁある。だいたいが女性だ。しかし、今日は違った。

「、、、」

思わず顔がひきつる。いかにもヤンチャめいたファッションの3人がコンビに入ろうとするなぎを止めた。

「あの、、、」

「だよね。PPCから出てきたし。うわー本物ちっちゃ!」

「、、、あはは、ど、どうも、、、」

3人とも揃って、ブリーチで傷んだ髪に、顔や耳、そこらじゅうにピアスをしていて、ブランドもののTシャツから覗く腕にはタトゥー。しかし、学校の制服のようなスラックス。多分学生、そしてどう考えても、不良。なぎは当然気づいた。メリのファン層ではなさそうだ、と。自分は多分、良くない意味で絡まれている。

「メリ聞いてるひとー、はいゼロ人。ごめんね、俺たちファンじゃないからさぁ、けど応援してるよ!握手して下さい!断んないよね!」

「え、あの、、、」

3人に囲まれる。ひとりがなぎの腕を掴んだ。なぎは、れいとの忠告を受け入れるべきだったと後悔した。3人とも、なぎよりも背が高くて筋肉質だった。ひとりがぐっと、顔を近づけてきて、なぎに聞いた。

「でさ、梅北は出社してる?」

「え、、、」

梅北。エリックのことだ。エリックの知り合いなのか。しかし、そうは見えない。

「そういうことは、答えられないんです、、、けど、、、」

「だよねー!じゃあさ、ちょっと付いてきてよ。秘密のお話しよう。な。」

「あの、俺急いでて、あの、、、」

ひとりに腕を掴まれ、もうひとりは肩を抱いてきた。困惑するなぎを、自分たちの車の方へ連れて行こうとする。駐車場に黒のバンが止まっていて、中が見えない。なぎは3人を撒いて、なんとかPPCまで走ろうと思った。PPCの入り口には施設警備員がいる。なぎもよく挨拶をするひとだ。しかし、車の後部座席のドアが開いて、逃げることもできずに、連れ去られそうになる。

どうしよう。誰か。、、、その時だった。


「なぎ!」


後ろから、声がした。


その人物は、なぎの肩を掴んでいたひとりをあっさりと引き剥がして、後方へ捨てる。不良その1はイテっ、と声をあげて尻餅をついた。次に、なぎの腕を掴んでいた方の不良の腕を掴む。不良その2がなぎから手を離すと、その腕をそのままななめ後ろに捻り上げた。また、不良の悲鳴が上がる。そして、横の方に押しのける。不良その2も地面に伏した。不良その3がおい!と叫ぶ頃には、3人の真ん中で縮こまっていたなぎを引き寄せる。そしてなぎ救出の背後では不良その3が、別の人物に後ろから脛を蹴られて、悶絶してその場にうずくまることになった。



「!」


「なぎ、大丈夫か⁉︎」

「まったく、、、白昼堂々誘拐未遂とは、、、頭の悪い連中は考え無しで困りますね。」


「、、、!」

そこには、ファーレンハイトの七星ひゅうがと、三宅すずがいた。

なぎを助けてくれたのは、ひゅうがとすずだったのだ。


「ひゅうが君!、、、三宅先輩!」

「なぎ、怪我は」

「えっ⁉︎ない、、、え、どうして!ふたりとも、、、」


ひゅうがはなぎの両肩を掴んで、頭のてっぺんからつま先まだをよく確認した。怪我はしていない。なぎの元気そうな声に、安堵した表情を見せた。そして、横にいたすずが間に合って良かった、と発言した。経緯をなぎに説明する。

「今日は広報活動の打ち合わせで、僕とひゅうがだけPPCに来る途中でね、なぎ君がコンビニに行こうとしているのが見えたから、追っかけて来たんだ。良かったよほんと。」

三宅すず。ファーレンハイトこ広報担当だ。良くも悪くも取っ付きにくい側面のあるファーレンハイトの面々の中では、社交的な人物だ。雑誌のインタビューやテレビ出演の際のコメントなど、ファーレンハイトの外交面を担う。明るい髪色にメガネ、そこから除く張り付いたような笑顔が、やや胡散臭い。情報通で、社内の事情やユニットを越えたアーティスト同士の関係性にも詳しい。

「三宅先輩、、、。ひゅうが君、ふたりとも、ありがとうございます、、、」

まだ少し放心しているようななぎがふたりに感謝の気持ちを述べるころ、不良3人はようやく立ち上がる。

「てめぇら、、、」

3人ともいかにも臨戦体制といった表情だ。ひゅうががなぎを抱き寄せる。それを合図にすずが、ひゅうがとなぎの前にでる。

「君たち、制服から高校がバレてるよ。ぼくはその情報だけで、君たちの祖父母や友人、友人の家族に至るまであらゆる個人情報を集めることができるんだ。この情報化社会で暴力よりも怖いものが何かはわかるよね?尻尾巻いて逃げた方が賢明だよ。まぁ、僕、そこそこ強いから、3人まとめてかかってきてもいいけどね。どうする?」

そう言ってすずは3人にスマホの画面を見せた。すると3人の表情がみるみるうちに情けなく変わる。何を見せたのか、なぎにはわからない。3人は、チッと舌打ちをして、車に乗り、逃げた。


「はい、おしまい。」

「三宅先輩、、、」

すごい。と言いかけたが、すずは振り向いていたずらに笑った。

「後半はハッタリだよ!僕ケンカなんてしたことないし。」

「えっ」

「ねぇ、なぎ君、どうしたてあの3人に絡まれていたの?」

「あ、、、えーと、梅北先輩を知ってるかって聞かれて、言えないって言ったから、、、」

なぎはひゅうがとすずに、クリエイティブイベントの件、たった今PPCで小説を執筆している件を説明した。

「熊谷とあのガキ本社にいるのかよ。何してやがるあいつら、、、。なぎ、行くぞ。送る。」

「え」

なぎはまだ、買い物が済んでない、と言いかけたが、言えるような雰囲気ではなかった。

「待ってひゅうが。なぎ君は買い物に来たんだよね?」

ひゅうがを制して、すずがなぎの気持ちを代弁した。なぎはひゅうがの顔色をうかがいつつ、うなづく。ひゅうがは眉間にしわを寄せて、パンツのポケットからサイフを出して、なぎに渡した。

「え!?待ってひゅうが君俺、、、」

「車で待ってる」

「やったぁ〜!なぎ君、良かったね。アイス買おう」

そう言うとひゅうがはひとりで駐車場へ行った。当然なぎはおこづかいと、エリックから預かったお金を持っていたためにひゅうがの財布に手をつけるつもりはなかったが、すずは目につくものをどんどんカゴに入れていく。なぎは、エリックに頼まれたものを選んでいたら、それもすずがひょい、と奪って、自分の持つカゴに入れた。

「あ、あの、三宅先輩、、、」

「ねぇ、なぎ君」

「はい⁉︎」

「あの3人、梅北君のことを聞いてきたの?」

「え、はい、けど、あの3人と梅北先輩が知り合いとは思えなくて、、、」

「わかった。僕がなんとかするよ。あ、でも、この発言は梅北君にはナイショね。だからあの3人はもう会うこともないと思うから、安心して。さ、PPCに行こうね」


にこり。なぎは未だ困惑したままだ。

すずは、なぎの買い物もまとめてひゅうがの財布から支払った。それからひゅうがの車でPPCへ向かった。と、いっても、隣のビルだ。なぎは車内で、ひゅうがにもすずにも改めて丁重に感謝を述べた。当然、コンビニの支払いの分も込めてだった。




ーーーーーーー




PPCへ戻ると、れいととエリックの待つ会議室へ、ひゅうがとすずもついて来た。ちなみになぎの買ったものはひゅうがが持っていて、なぎが持つと言っても聞いてくれなかった。その代わりに手を引かれて歩いた。そんなことをしなくてもPPCの中では不良に絡まれたりしないのに、と思った。

「ごきげんようー」

「え⁉︎」

ノックなしで会議室のドアを文字通りご機嫌に開けて入ってきたのがすずだったため、中にいたれいととエリックは驚いて椅子から立ち上がった。

「み、三宅先輩⁉︎どうして、、、」

「お疲れ様です、、、」

ふたりが近寄って挨拶を返す。すると、その後ろからひゅうがと、ひゅうがに手を引かれたなぎが、ばつの悪そうな顔をして入って来た。

「えええええ!七星先輩まで、、、お疲れ様です!」

エリックのリアクションに、ひゅうがは返事をしない。その代わりに持っていた荷物を机へ置くと、れいとを睨んで、表へ出ろ、と言った。

「、、、」

れいとは無言でひゅうがについていって、ふたりは退室した。

「えっ、えっ」

「え、なんか、、、どういうこと?」

「ふたりとも、いいから。男同士の話し合いだからほっておいて。それより新作のアイス食べよ!」

突然現れたファーレンハイトのふたりに、ひゅうがに外に連れ出されたれいと。なぎとエリックは不安そうで、それでいて困惑している。しかしすずはふたりを落ち着かせて、座らせた。アイスを配る。

「わぁ!これ、、、食べたかったアイスだ、、、なぎ君、ありがとう!」

「えと、えらんだのはすず先輩で、買ってくれたのはひゅうが君、、、」

「そうなんですか?ありがとうございます」

「いいのいいの。なんでいっしょに来たか、説明してあげて、なぎちゃん。」

「あ、、、はい、、、」

アイスを片手になぎは、先ほどコンビニで起こった一連の騒動について、エリックに説明を始めた。



ーーーーーーー



「ぐっ、、、!」



ひゅうがの後を追って、廊下の端まできて、ひとの通らない場所で、れいとはいきなり、振り向きざまのひゅうがから腹に一撃を入れられた。


「しっかりしろ。使えねぇな。」

「、、、」

溝落ちにしっかり拳が入った。咄嗟に腹筋に力を込めたが、普通に痛かったし、息が詰まる。ひゅうひゅうと空気が通らなくて、呼吸ができなくて、返事も返せない。しかし、れいとは、なぎがコンビニに行って、何かがあって、それをひゅうがが助けたのだろうと、そこまでは察した。なぎをひとりにした自分に否がある。しかし、指輪くらいは外せよ、と思った。

「熊谷にも言っとけよ。」

そう言うと、れいとを放置して、ひゅうがはどこかへ消えてしまった。

「、、、」


ふぅ、と息をつく。れいとはなんとか背筋を伸ばして、しばらくかべにもたれかかっていたが、エリックといた先ほどまでの会議室へ戻ることにした。事情を聞かなくてはならない。

会議室へ入ろうとしたその時、中から大きなこえが聞こえた。



「ごめんなさい〜〜〜!」


「!」

エリックの声だった。

れいとが中へ入ると、机に、なぎと、すずとエリック。なぎの手をぎゅっと握って、エリックが泣いていた。


「なぎ、、、」

「れいと君!ひゅうが君は?」

「あー、、、少し話して、どっか行った。」

「え!行っちゃったの?そっか、、、」

すると、すずが立ち上がる。

「それじゃあ、僕も行こうかな。じゃあね3人とも。コラボ、がんばってね」

「はい、あの、三宅先輩、ありがとございました、、、!」

すずが手を振って退室する。

れいとにはいまいち、状況が見えていない。なぜエリックが泣いているのか。

「なぎ、何があったんだ。大丈夫なんだな?」

「あー、うん、俺はね。えっとね、、、」

ここでようやくれいとに、なぎからの説明が入った。なぎがコンビニに行って、不良たちに絡まれたこと。それからその不良たちはどうやらエリックを知っているらしい、ということ。間一髪、ひゅうがとすずに助けられたこと、である。

「そこまで話したら、エリック先輩が泣いちゃって、、、ね、先輩俺、全然大丈夫です。なんともないんです。だから泣かないで下さい。先輩?」

エリックは椅子に座ったままかがんで、なぎの手を握って、泣いている。なぎの一連の話と、何か関係があるのだろうか。れいとはふたりに近寄って、まずなぎを見た。

「なぎ、悪かった。やっぱり着いていくべきだった。」

「ううん!いや、なんというか、俺の態度も悪かったかも、、、なんか、いかにも不良で、悪そうな3人組で、萎縮してうまくしゃべれなくって、、、」

そこでなぎは、コンビニに中に入ってからのすずとのふたりでの会話を思い出した。


わかった。僕がなんとかするよ。あ、でも、この発言は梅北君にはナイショね。だからあの3人はもう会うこともないと思うから、安心して。


なぎは、それは、ふたりには伝えなかった。

「僕の、、、せいだ、、、」

「梅北先輩、どういうことですか」

れいとは、エリックのそばにしゃがんで、肩に手を置いた。背中をさする。まだ溝落ちがズキズキ痛い。しかし、ひゅうがの怒りも最もだ。自分がなぎに付き添うべきだった。

「その3人、、、俺の、、、中学校時代の同級生だ、、、」

「!」


涙まじりの嗚咽もあって要領を得なかったが、エリックはぽつりぽつりと話を始めた。


「僕、中学校は、そのへんの公立だったから、それなりに不良もいて、、、僕、小説とか好きで本を読んでばっかりで暗かったから、友達もいなかったし、よく、悪い奴らに、絡まれてて、、、まだそいつら、僕のこと、、、僕のせいで、、、なぎ君、、、」


いじめ、とまでの言葉は出なかったが、つまるところあの3人がいかに悪いかは、なぎもれいとも想像がついた。なぎがエリックの手を強く握り返す。

「そんな!先輩は悪くないよ!だから泣かないで!」

「先輩は悪くないです。泣かないで下さい。」

なぎもれいとも、あまり気の利いた言葉をかけることができずにいた。

「先輩、今は、学校では何ともないんですか?」

「え、、、うん、、、今は私立で、あんなあからさまに悪いコはいないから、、、今は友達もいるし、、、」

「そんなんですね!良かった。、、、あいつら、余計許せない。梅北先輩が会社に来てるか聞いて、どうするつもりだったんだろう。」

なぎが憤りを見せる。怒らない男だ。珍しいことだとれいとは思った。

「わ、わかんない。昔はよく、お金出すように言われてた。出さないと、その、、、叩かれたりするから、、、。高校入ってからは全然会うこともなかったんだけど、最近見るようになって、逃げるようにしてた。もしくは、いおりかぎんたといると、絡まれないから。なのに、、、なぎ君にまで、、、ひどいよ、、、」

「ミーハニアは去年の年末ライブで人気3位に入って一気に知名度が上がりましたよね。それできっと梅北先輩を思い出したんでしょう。嫌な奴らだな。会社側は何か対策はしてくれているんですか?」

「うん。会社側も、送迎してくれるし、あまりひどい時は警察にって、、、」

話をしているうちに、エリックの涙は止まっていた。自分のせいでなぎを危険な目に合わせてしまった。そのことに対して、申し訳なく思っていたのだろう。エリックは優しい人柄で、決して自分のためだけに涙するような男ではない。

「先輩、何にせよ、ほんとに俺は大丈夫!だから気にしないで下さい!ねっ!」

「うん、、、なぎ君、ありがとう。れいと君も、、、本当、ごめんね、俺、先輩なのに、、、」

場が収まりかける。しかしれいとはひとつ、事実に気がついた。エリックの腕だ。捻挫したと言っていた。直接危害を加えられたわけではないかもしれない。だが、もしかすると、駅で不良3人を見つけて、彼らから逃げようとして、慌てて転んでしまったのではないだろうか。それに、エリックは、同人誌の即売会のイベントに出たいと楽しそうに話をしていた。こんな状態では、ひとりでイベントに行かせることなどできない。しかし、なぎを巻き込むわけにはいかない、、、。

すると、会議室をノックする音が聞こえた。なぎが返事をすると、熊谷が入って来た。

「熊ちゃん!」

「三宅君から連絡を受けまして、、、なぎ君、大丈夫ですか?梅北君も。、、、れいと君も。」

含みのある表現だった。多分、熊谷はれいととひゅうがの間にあったやり取りに勘付いている。れいとは俺のことは気にするなとつっぱねた。

「熊ちゃん、心配してくれてありがと。何もないんだ。ねぇ、梅北先輩、この後はどうする?」

「、、、今日はもう、、、解散しようか、、、その、小説は家で添削するね。れいと君も、できたら、メールで送ってくれる?あとのことはまた連絡するよ、本当にごめん、、、」

この日は3人は熊谷の送迎で帰ることになった。エリックが喜んでいた新作のアイスはあまり口をつけられずに、溶けてしまった。


ーーーーーーー


その日の夜。れいとの家。今日も母親はあわただしく出て行った。れいとの母親は夜働いている。いわゆるスナックのチーママだ。まやとはアプリでずっと、複数人の友人と会話をしていた。食事は母親が用意していった。それを温め直す。まやとは比較的、れいとやあやとと一緒に食事を摂りたがる。あやとはひとりがいいらしく、すきな時間に食べている。それは注意はしない。しかし、帰宅が遅い。もう8時だ。部活もないのに遅い。台所でうろうろして、苛立ちを抑える。すると、玄関が開く音がする。あやとが帰宅したのだ。文句を言うべく玄関部屋向かおうとしたら、スマホが鳴った。なぎだった。


「兄貴ただいま。ラッキー。じゃ!」

通話に出ると、あやとはさっと自分の部屋へ消えた。まやとの呑気なおかえり〜という声がが聞こえる。

「もしもし、れいと君、今大丈夫?」

「あぁ。どうした?」

「えーとね、昼のこと、実は、梅北先輩には話してないことがあるんだ。」

「!」



長くなりそうな話題なので、れいとはダイニングに腰掛けた。

「あのね、コンビニで、三宅先輩に、この件は何とかするから心配しないでって言われたんだ。あの3人がもう梅北先輩に絡まないように消えてもらうって。そのことは、梅北先輩には言わないでって言われたんだ。」

「、、、」

「どういう意味だろう。三宅先輩は。梅北先輩と、仲いいのかなぁ?三宅先輩は何か、いいアイデアがあるのかなぁ?」

「、、、」

れいとは考えた。すずは、ファーレンハイトのメンバーだ。ならば、こういう時は、ファーレンハイトにはひとり、仲の良い奴がいる。

「なぎ、俺の方でその辺は調べてみる。、、、

今日は本当に悪かった。梅北先輩にも、今後のことをどうするか聞いてみるから、待っててくれるか?」

「うん。俺、気にしてないから大丈夫だよ。れいも君こそ、気をつけてね!」

「また、連絡する。それじゃあ、おやすみ。」

なぎとの通話を切ると、弟ふたりがこちらを見ていた。部屋に行ったはずのあやとまでいる。


「兄貴過保護じゃねえー?凪屋さん、別に女の子じゃないんだからさぁ」

「兄貴、俺たちと喋る時と、声のトーン違くない?」

あやと、まやとの順番で揶揄われる。

「うるせぇな。さっさと飯食えよ」

れいとは、食事を温め直して弟ふたりに提供して、自分は外に出て、一本電話をいれた。

相手は、るきだった。れいとは、コラボのこと、それからエリックのこと、なぎのこと、いろいろを同時に考えなくてはならなかった。




ーーーーーーー





「いや、来すぎだろ」


次の日、るきのマンションに、れいととなぎは集まっていた。ほんとは、れいとがひとりで来るつもりだった。しかしなぎは完全に回復したから自分も行きたいと行った。押し切られた。流石にお泊まりはまだだめだ。


「ジョン〜!」

相変わらずコンシェルジュは、なぎとれいとが来ると嬉しそうだった。なぎがコンシェルジュに買ってきた派手な色のとんでもない形のグミをお土産にと渡したら(食べなさそうだが)喜んでいた。ロビーに入った時点で、天国だった。冷房が効いていて、うだるような外界を軽蔑するように静かだった。

るきの家はだだっ広いリビングは整理されていて物がない。しかし今はなぎが途中で買ってきたお菓子とジュースが散らばっていて、それだけが異質に見える。けれど、るきはしっかりと、3人分のグラスを用意して、テーブルにコースターを置いた。コースターは、この間来た時はなかった。グラスも、同じものが3つになっている。不揃いのものでは、なくなっていた。

なぎがジョンと戯れる。ジャーキーの袋をるきが渡す。2本まで、と言った。れいとはキッチンから、なぎがジョンと遊ぶのをれいとは眺めていた。ぼーっとしていた。このキッチンだけで、うちのリビングより広い、とれいとは考えていた。るきが近寄ってくる。高いコーヒーのマシーンから高い豆の香りがする。なぎのためには別にアイスココアを作る。れいとが言わなくても、るきがてきぱきとそうしていた。俺、忙しいし疲れてるんだけど、などと悪態をつくくせに、追い返さない。


「で、三宅先輩が何だって?」

「素性を知りたい。特に、梅北先輩との関係。あと、何がどの程度までできるひとなのか。発言を信頼していいか。」

「ふぅーん、、、」

るきにはあらかじめ、話の概要を伝えてある。

「三宅先輩は、、、敵に回すなよ。」

「は?」

るきがその場にあった雑誌を手渡す。ファーレンハイトの特集があって、メンバーに一問一答というコーナーがあった。こういったものもすずがチェックをするらしい。メンバーが考える、1番「ヤバい」ひとは?というコーナーがあって、半数がつきはで、半数がすずだった。

「つきは、、、五十嵐先輩ってなんか怖いとこあったか」

「顔合わせの時ふつーに話しかけてくれた。元ヤンらしい。」

「なるほど、、、」

「すず先輩はそういう、過去に何かあったわけでもないのに、ひゅうがさんと、睦月先輩と二丸先輩、、、3人がそう言ってるんだぜ。たぶん、頭脳面ってか性格とかの方でやべーんだろ。」

ちなみにるきは角が立たない回答だった。ノーコメント。肝心のすずはつきはと書いてある。一体何をもって、やばい、なのか。

グラスに氷を入れる音がする。製氷機から出てきたばかりの氷の冷気を掻き消すように、熱いコーヒーが注がれる。

「でも信用はできる」

「、、、」

「つまんない嘘ついたり、自分の利益のために人を欺くとか、そういうタイプじゃない。」

「だから、任せてみるといいかも。てか、お前はどうしたいんだよ。」

自分はどうしたいか。そういえば、考えていなかった。

さっきまでキッチンのシンクにもたれかかるように立っていたるきが、しっかりと姿勢を正して、れいとを見つめる。

そして、出来上がったアイスコーヒーを手渡してきた。一口それを飲む。

「コラボイベントを順調に成功させたいのか、梅北先輩のメンタルが心配なのか、まずそっから考えてみろよ。」

「、、、!」

るきの発言は的確だった。

アイスコーヒーは、苦い。慣れない味だ。正直なところ、れいともそんなに、コーヒーが好きじゃない。

「ついでになぎも心配で、、、ってさ、おまえそこまでいろいろできんのかよ。」

「、、、」

「なぎはそんなに頼りないのかよ。なんでも、全部、話してやれよ。俺はおまえより、あいつの方が強いと思ってるけどな」

自分は、どうしたいか。

れいとは考えた。なぎを見る。

自分たちはふたりで、メリだ。

そういえば、ひゅうがに殴られた時。彼は、なぎを守れとは、言わなかった。


「、、、」

るきが、アイスココアを手渡してきた。ふたつある。れいとはそれを受け取ると、なぎの元へ向かった。

「なぎ」

「あ、ありがと!」

なぎがアイスココアを受け取る。

「コラボのこと、、、梅北先輩のこと、どうしたいか、考えたいんだ。一緒に考えてくれるか?」

「うん、もちろん!」

「まだなぎに言ってないことがあるんだ。」

それは、エリックが同人誌の即売会に出たかっていたことだ。なぎの体調を考えて、まだ伝えないでいた。なぎに言えば、答えは見えていたから。

「俺は、、、」

考える。どうしたいか。エリックの言葉を思い出した。キラキラと目を輝かせながら、いつもより少し早口で、好きなことについて話しているのだとはっきりわかる顔で、エリックは語っていた。


登場人物は、目的があってはじめて行動ができるんだよ。


そう、自分は、、、。

「俺は、梅北先輩のやりたいこと、実現させてやりたい。」

「え、、、何の話?それが、言ってないこと?」

「そう。だから、話たい。相談。俺ひとりじゃ、いい考えが出ない。だから、助けてくれ。」

「、、、!」

なぎのまなざしは真剣だった。


「もちろん!」

そんな2人の様子を、るきが少し遠くから見守っていた。その口元は、少し、笑っていた。



ーーーーーーー


「どっ、、、何?どーじんそくばいかい?」

「同人誌即売会」

「???????」


なぎ、れいと、るき、ジョン、全員でリビングのテーブルに集まったが、れいと以外は人生でおそらくはじめて聞く単語に戸惑うばかりだった。 

れいとは、れいと自身もエリックから聞かされてはじめて知った言葉をなぎに説明した。

「そういうイベントらしい。」

るきがノートを渡してきたので、そこに、漢字で、同人誌即売会、と書いた。

「同人誌ってのは、自費で作った本のことだ。自分で書いた話を、印刷所に自分で発注をかけて、本を作る。これを売ったり配ったりするのがその同人誌即売会、だ。」

「な、なるほど、、、」

馴染みのない言葉で、かつ、イメージも浮かばない。本を作る?売る?一生懸命に想像するなぎの頭の中に浮かぶのは学校の教科書のことだった。

「あー、、、アレか?学校のキモい奴らがやってる絵とか?アレとは違うのか?」

「二次創作の同人誌とオリジナルの同人誌は違う。らしい。詳しく話すと面倒なので省く。あと他人をキモいとか言うな」

「だってキモいんだもん。るき氏〜とか言ってくるし。俺の絵描いてた。上手かったから許したけど。」

どうやらるきは学校でオタクに絡まれているらしい。よく不機嫌なるきに絡むものだと感心する。オタクとは度胸のある生き物なのだろうか。

つまるところ、同人誌即売会、というワードだが、なぎはさっぱりわからなくて、るきはどうやらネガティブなイメージを持っているようだった。

「で、その同人誌即売会に出て、自分の小説を売る予定らしい。俺となぎにも、書いた小説を折本?にして配布しないかと言われたんだ」

「そうだったんだ!どうして黙ってたの?」

「梅北先輩はあんたの体調を気にしてくれたんだよ。俺から、なぎの様子を見て話すつもりだった」

れいとがそう告げると、なぎは、もう大丈夫だよ!とか、イベント行きたい、など、案の定な反応をしていた。だから、言わなかったのだ。

「でも、なぎが不良にからまれたことを、自分のせいだと思ってる。だから、イベントに出ることを辞めるって言い出すんじゃないかって考えた」

「言いそうだね。梅北先輩優しいから、、、」

そこで、れいとの、前述の発言に戻る。梅北先輩のやりたいことを叶えてあげたい、だ。エリックの建前や、これは、他人を気遣った言動ではなく、本懐のことを指す。

「じゃあ手っ取り早く、不良は三宅先輩にまかせて、お前ら3人でイベント出りゃいい。複数でいれば、いくは何でも絡んでこねぇだろ。梅北先輩をひとりにしなけりゃいいんだよ」

「イベントがどんなものか、詳細を聞こうよ!」

「あぁ、、、。そうだな。そうしよう。今連絡してみる。るき、三宅先輩って、、、」

れいとが、すずと連絡がつくかをるきに尋ねた瞬間だった。

「うわっ」

るきのスマホが鳴る。すずだ。

「うわ!うわ!こわっ!三宅先輩だ!」

「盗聴されてるんじゃないのか」

「こえーこと言うな!」

「ねぇねぇ、スピーカーにしてよ!皆で話そう!」

おそるおそる、るきが着信に出る。

「お疲れ様でーす、、、」

『るき君、こんにちは。もしかして今、メリのふたりといっしょかな?』

すずの声に、3人はぞっとした。盗聴どころか、盗撮されているのではないかとすら思った。空気が冷たい。すずの、にっこりとした、少し闇を讃えた笑顔が浮かぶ。

「あ、、、ハイ。てかあの、こっちスピーカーなんで、、、おい、お前ら挨拶しろよ!」

「三宅先輩お疲れ様です!」

「お疲れ様です。白樺です。」

『こんにちは。メリのふたり。うちのるき君と仲良くしてくれてありがとう』

「えへへ!仲良し3人組なんで、、、」

「誰がだよ!テキトー抜かすな!」

電話を前になぎとるきがじゃれている。

『なぎ君、コンビニでのこと、話したんだね。』

「、、、あ!話しちゃいました、、、秘密にって、、、ごめんなさい。」

『いや、あれは梅北君には秘密に、っていうことだから、白樺君やるき君には話してもいいんだよ。』

「よかった!それで、、、えーと、、、」

なぎは、れいと君お願い!とれいとに話を振った。

「三宅先輩、まずは先日は、なぎを助けてくださって、ありがとうございました。その件で、今3人で話していました。なぎが絡まれた不良は、梅北先輩の中学時代の同級生だそうだす。梅北先輩に嫌がらせをするつもりで、所在を聞いてきたと思っています。」

れいとが、これまでの話をまとめる。

「俺たちは今、クリエイティブイベントで、ミーハニアのひとりひとりとコラボしています。今、梅北先輩とのコラボの番で、3人で小説を作っています。梅北先輩は、自分の小説を自分で本にして、イベントで販売する予定を立てていると聞きました。ですが、昨日のトラブルを受けて、梅北先輩はイベントをキャンセルしてしまうんじゃないかと思いました。自分のせいだと、思い詰めた様子だったので。俺たちは、梅北先輩のやりたいことを叶えてあげたいんです。」

れいとの話は明確で明瞭で、わかりやすかった。

「三宅先輩はなぎに、不良の件は何とかすると言って下さったんですよね?」

『言ったね。けど、具体的には明かせないなぁ。けど、その作戦が成功すれば、彼らは、梅北君には2度と近寄らない。ただちょっと彼のスケジュールがね、、、あー、こっちの話。だから少し待ってね。』

具体的には、のあたりはひっかかったが、何か策があるらしい。

「俺たちは、どうしたらいいでしょうか」

『そのイベント、出てよ!』

「!」

すずが、作戦を話はじめた。不良撃退方法は秘密。しかし、不良にすずが直接会う必要はあるので、イベント会場に不良を誘い出して欲しい、とのことだった。これはエリックには秘密で、かつ、不良たちの姿をエリックに見せることのないように、安全に行いたい。

「、、、わかりました。るきを巻き込んだのは、正直に話しますけど、先輩が信用できるかどうかわからなくて、どんな人かるきに聞いたからです」

『へぇ、るき君はなんて?』

「信用しろ、と」

『あはは。光栄だな。じゃあ、がんばっちゃう。まずは、梅北君と話あって。それから、連絡ちょうだい。いいね?』

「はい」

通話が終わる。

なぎがふと、疑問を呈した。

「どうして、三宅先輩、助けてくれるの?」

「たしかに、、、」

「梅北先輩の小説のファンなのかな?」

「、、、」

れいととるきが顔を見合わせる。なぎの意見は、もしかしたら、当たっているかもしれない。

「梅北先輩に連絡してみる」

今度はれいとが、エリックに電話をかける。

しかし、留守電だ。メッセージを残すようことにした。


「梅北先輩?白樺です。お話があって、、、」




ーーーーーーー





「え⁉︎梅北先輩⁉︎」




次の日。なぎの学校。放課後。教室に、ゲスト用の名札を付けて来たのは、エリックだった。途端に、まだ残っていた女子がキャー!と悲鳴をあげた。


「なぎ君、突然ごめんね、お話したくて、、、」

「あっ、はっ、、、ハイ!えーと、、、」

おそらく、教室では話にならない。なぎは急いで荷物をまとめて、エリックを外に連れていくことにした。

去り際に応援してます!と、複数の女子が声援を送ると、エリックはにこりと笑って手を振った。小説家の彼ではなく、ミーハニアのエリックとしての顔だった。

ふたりで校門を出た。今日は特に予定が無く、帰宅するつもりだった。エリックに尋ねると、エリックもそのつもりだったが、れいとの留守電を効いて、考えたらしい。

なぎは、コラボについての話なられいとも聞くべきだと思ったし、ふたりでうろつくは危ないかもしれないと思った。熊谷に送迎を頼むか考えたが、れいとの学校まで、歩いていくことにした。

「ほんと、急にごめんね、、、。なぎ君の学校、近いから、来ちゃった。」

「いえ!俺も話したかったから、、、」

「れいと君の留守電、聞いたよ。、、、イベント、出ようって、、、ふたりの気持ちは嬉しいんだけど、、、その、、、」

「梅北先輩、やっぱり、自分のせいだと思ってるんですか?そんなこと、全然ないのに、、、」

「、、、」

「それに、俺が、出てみたいです。だから、いっしょに、、、いえ、俺に教えて下さい、ね、いっしょにがんばりましょう。」

れいとの学校までの道のりをふたりで歩く。なぎの言葉を最後にエリックは無言になってしまった。なぎは、エリックが頑なに嫌だというのなら、本人を尊重すれば良いと考えていた。れいとに考えを合わせたから、イベントに出ようという方向で話を進めている。なぎは、自覚があったが、優柔不断で、他人の決断にまかせがちまなところもある。今回のエリックとのコラボでは、れいとの方がなぎよりも、小説という題材に興味を持っていたし、企画をリードしていたようにも思った。れいとと話せば、何かが変わるかもしれない。自分にはできない、強い意見を出してくれるかもしれない。なぎは、そう期待した。期待して、れいとの学校までの道のりを歩んだ。


「ほんとはふたりにも、体験してほしいと思ったんだ、、、」

「え?」

「イベント、、、どんな感じか。」

「特にれいと君は、小説が好きだって思ったから。視野を広げるのにいい機会かなって、、、。」

「梅北先輩、、、」

エリックだってイベントに出たいはずだと、なぎは感じた。強く、感じた。そしてできればれいととふたりで、イベントに出てほしいと思った。好きなことを、楽しいと思うことを、他人に、邪魔されるような言われはない。

エリック本人を本当に尊重することがどういうことか。

なぎの足が止まる。

いつのまにかれいとの学校まで来ていた。しかし、呼び出す必要はもはやない。

「梅北先輩、、、」

なぎはしっかりとエリックを見据えた。

「イベント、いっしょに出たいです!」

「えっ、、、」

「お願いします!」

「なぎ君、、、」

「先輩に迷惑かけません!先輩が危害加えられないようなことも考えてます!だから、先輩の好きなことを、諦めないで欲しいんです!先輩の好きなことを手伝いたいんです、、、!」

強い気持ちだった。

なぎは、これまでの自分を振り返った。それは、せつなに見初められてメリを結成してから、今までのことだ。自分のことで精一杯で、いつだって保護される側で、守られる側で、尊重される側だった。では自分は、他人にそのように接していただろうか。れいとといっしょに歌いたいと思ったこと。新生メリとして再出発したこと。クリエイティブイベントのこと。前回のツインテイルとのコラボでは、どう考えてもツインテイルのふたりにおんぶにだっこだった。ミーハニアとの今までのコラボもそうだ。お膳立て。今、ようやく、自分が、何かをしてあげなくては、と考えられる所に居る。ここで、エリックを尊重しないという選択をすることは、なぎには考えられなかった。


守られる側だった。

真似したい。

、、、自分も、守りたい!





「、、、そこまで、言ってくれるなら」


「!」

俯いていたエリックが顔を上げて、ゆっくりとなぎに近づいて来た。

「なぎ君、、、そこまで言ってもらえて、ほんとに嬉しいよ。僕も、それに答えたい、、、」

「梅北先輩、、、!」

エリックの顔は明るいように見えた。目尻にすこし涙が浮かんでいた。ぐ、となぎの手を、胸までで包み込む。

「が、がんばってみても、いいかなぁ。迷惑かけても、いいかなぁ」

「迷惑なんて、そんな!」

「そうですよ」


手を取り合うなぎとエリックの背後から声がかかる。

「れいと君!」

れいとだった。いつの間にか、ふたりのすぐそばにいた。

「なぎ。梅北先輩。話、、、聞いてた。俺も協力します。一緒に頑張りましょう」

「ふたりとも、、、」

エリックは目尻の涙を拭いた。ふたりを見て、ありがとう、と言って、それから頑張ろうね、といつもの明るさを取り戻した。道端で3人で、れいとは少し嫌がっていたが、えいえいおー!と、夕暮れのグラデーションに拳を突き出した。



さて、日付が変わる頃に、れいとの小説が完成した。

それをエリックに添削してもらった。

次の日には3人で降り本を作った。パソコンのソフトを使えば、コンビニで折本ができるように印刷ができた。なぎもれいとも初めて見るものだった。なぎは、エリックの持っている、本を閉じるための形のホチキスに驚いていた。ふたりとも、自分たちの書いた小説が、冊子になっているのを見るのは新鮮な体験だった。

ちなみに、なぎはれいとの小説を読んだが、れいとは、なぎの小説を読んでいない。まだ秘密、と言われた。他にもエリックは、ポップや名刺や、ノベルティをふたりに見せた。ふたりは、イベントのことはさっぱりわからない。過去のイベントのエリックのスペースの設営の写真を見て、ふたりは感心していた。エリックは楽しそうに過去のイベントについて語った。なぎとれいとは、必ず、エリックを守って、彼をイベントに参加させようと誓った。



ーーーーーーー




いよいよイベント当日。

そんなに会場は大きくはなかった。

商業施設などが入るビルの多目的ホールだ。

しかし、会場に入る前に危惧していた問題が発生した。


「いる、、、!」

ビルの入り口に、例の不良3人組がたむろしていた。きょろきょろしていて、エリックをさがしているようだ。これでは、会場に入れない。

なぎ、れいと、エリックの3人は、斜向かいの建物の陰から様子をうかがっていた。


「俺がおとりになるとかどうだ」

「えっ」

れいとの提案に、なぎとエリックはぎょっとした。

「だめだよ!スキャンダルだよ!それに、僕のためにそんな、、、」

その発言にぐっ、とれいとも立ち止まる。エリックの発言は最もだった。すると、なぎのスマホが鳴った。

「!」

それは、すずからだった。

なぎとれいとにとっては、待っていました、と言わんばかりの表情になった。すずは今、すぐ近くのビルの路地裏にいる。そこへ不良3人を呼び出して欲しい、とのことだった。その間に、エリックは会場入りすれば良い。

「ね、れいと君、、、」

なぎが、スマホの画面をふたりに見せる。

「じゃあやっぱり俺が、、、」

「ううん!俺がやるよ!俺、顔見られてるから。多分、話通りやすいと思うの。れいと君、梅北先輩をお願い。まだ仲間がいるかもしれないでしょ?」

「なぎ、けど」

なぎは真剣だったが、その表情を見ると、ひゅうがに殴られた場所が痛むような気がした。その提案は、なぎに危険がある。

「大丈夫!ふたりで、梅北先輩のために、がんばろうよ!」

「、、、」

れいとは、さらに詳細に、ひゅうがに殴られた時のことを思い出した。ひゅうがは何と言っていただろう。ひゅうがが、何故なぎに対して過保護なのかはわからない。自分がそうする必要があるかを考えてもみた。

しかし、自分は、ひゅうがではない。

なぎとの接し方も、やり方も、自分で考える。なぎは、弱くないと思っている。


「わかった。頼んでいいか?」

「任せて!」

「気をつけて」

「えっ、どうするの?」


なぎがかけ出す。そして、不良3人に近づいていく。何を話したかはわからないが不良たちはビルの入り口を離れ、なぎについていった。

れいとはその隙に、エリックの手をひいてビルへ入った。

「どうしよう、なぎ君が、、、」

「先輩、大丈夫です。先輩はいつも通りに。なぎはすぐ戻って来ます」

「あの3人と話に行ったの?僕も行くよ!」

「、、、それは」

めんどくさいことになった。

なんとなく、このやりとりが、なぎとのやりとりに似ているような気がした。

「先輩、なぎ、ひとりじゃないんで。大丈夫です。あいつらが、もう梅北先輩に近づくことのないようにします。」

「どういうこと?誰といるの?」

「あー、、、それは、、、とにかく、大丈夫なんで。」

「大丈夫じゃないよ!」

「先輩、、、」


押し問答。エリックの必死な様子に、れいとは折れた。

全てを、エリックに話す。

後はなるようにしかならない。

「三宅先輩が、、、」

「え?誰⁉︎」

「、、、」

すずの名前を出したが、エリックはピンときていない。

「あの、え、、、ファーレンハイトの三宅先輩なんですが、、、」

「え、、、僕、話したことないよ、、、?」

れいとは完全に参っていた。知り合いじゃないのか。こうなっては、エリックにいくら説明しても、なんで、どうして、が返ってくるだけになる。どうしたものか?

れいとはふぅ、と息を吐いた。

「先輩、イベントに、行きましょう。」

「、、、でも、、、」

「なぎも俺も、梅北先輩に、やりたいことをやって欲しいんです。他人にそれを邪魔されるのが、我慢ならないんです。梅北先輩が、小説を作るの楽しそうにしていたから、、、。俺たちも、楽しかったから。先輩が、好きだから。先輩の願いを叶えたいんです。多分、三宅先輩も。」

「白樺君、、、」

「だから、信じて、行きましょう。」

「、、、」


今度はエリックが、深く深呼吸をした。

「、、、わかった。」

「よかった。じゃあ、、、」

「白樺君!売り子だからね!」

「え」

「ちゃっちゃと新刊セット捌いてなぎ君の所に行く!ポップ立てるのはこれ!はいこれお釣り‼︎新刊セット1500円、新刊単品1000円、既刊800円です!ノベルティはひとりひとつね!お会計3000円以上の方にはこっち付けて!ふたりの冊子は真ん中に!これ僕が作ったペーパー一緒に渡して!こう見えて壁サーだからばんばん人来るからがんばってね!偽札、偽硬化に注意!各電子マネーの支払いは説明するからまず搬入と設営からやるよ!」

「え」


普段のエリックからは想像のつかない、はきはき、てきぱきとした口調で、今度はエリックがれいとの腕をひいて駆け出す。。エリックの大荷物を半分渡されて、何を言っているのかさっぱりわからないままに、エリックについていった。


ーーーーーーー




一方、なぎが不良たちに話しかける前に、不良たちの方がなぎに気づいた。

「てめぇ、この間の、、、」

「えーと、話があるんだけど、、、。ここじゃなんだから、人の少ない所に行きたいんだけど、、、」

「へぇ、、、。お仲間でもいるのかな?」

なぎがこくりとうなづくと、不良たちはニヤニヤ笑いながら、なぎについて来た。

ビルの角を曲がって、指定された場所に行く。暗い裏路地だ。ゴミバケツに、冷暖房の室外機に、ガスメーター。汚れていて、澱んでいて、人の通りがない。しかし、すずがいない。なぎは、あれっ、と思った。一瞬、焦る。しかし、きっとすずが来てくれると考え直した。大丈夫。場を持たせなくてはならないので、なぎは不良たちに向き直ると、意を決して話しかけた。あの、と大きな声を出した。自分の鼓舞で、すずへのメッセージで、やはり自分を奮い立たせるために、だ。


がんばれ、俺!と心の中で唱えた。


「3人は、、、梅北先輩の知り合いなの?」

「ん?そーそー!大親友大親友!」

「あのさ、梅北先輩はそうは思ってないよ。聞いたんだ。昔、嫌なことされたって言ってた。梅北先輩に嫌がらせするの、やめてほしいんだけど」

「はぁ?お前こそあいつの何?」

ついこの間、最初こそ戸惑っていたなぎだが、今は彼らがエリックと仲良しなんかじゃないと理解した。そのため、口調が強くなる。悪手かもしれない。痛い思いをするかもしれない。正直怖いし、すごまれると泣きそうだ。しかし、エリックを思うと、言わずにはいられなかった。なぎの性格は、そういうものだった。

「梅北先輩の、、、えーと、、、とにかく、待ち伏せしたりするのやめろよ!ひとが嫌がってることするのは、最低だ!」

不良たちの茶化すような態度に、なぎは強く出た。心底真面目に言い放ったが、当然正論で、性善説にともづいた正義でだが、不良3人ともまともに聞いてはいなかった。なぎは若く、浅くまだ知らなかった。同じ人間の形をしていて、同じ言語を使うのに、話の通じない相手がいることを。

不良たちは顔を見合わせて、少しづつなぎににじり寄って来た。ざり、と靴底がコンクリートを擦る音が不気味に響いて、なぎはびくりとした。

「いいよ、あいつにつきまとうのやめるわ。つか、高校になってからすっかり俺らのこと眼中にないみたいだしな」

「!じゃあ、、、」

「その変わりオマエでいいや」

「えっ」

不良のひとりが背後に回る。もうひとりが目の前で、もうひとりが横に来ると、あとは壁で、なぎは逃げられなくなってしまった。

「あ、、、」

まずい、と思った。そういう運になるように挑発したわけでもない。かと言ってそんな自己犠牲の気もない。少し迂闊だったかもしれない。しかし、言うべきことは言わなくてはならないと思った。自分は間違っていないと心から思った。ついこの間、ハイエースに連れ込まれそうになった時よりも、恐怖を感じた。


「なぎ君!」

「!」


声がする。すずの声だ。それから、駆け寄ってくる足音。しかし、それは複数で、なぎの元に来た助っ人はすずだけではなかった。

「え!?ぎんた君⁉︎」

そこには、ミーハニアのリーダーである、ぎんたがいた。

「これで3対3!」

ぎんたは助走をつけて走る。有無を言わさずに、手前の不良にいきなり飛び膝蹴りを喰らわせた。

「えええええ!」


ザシャー!と派手な効果音で、不良のひとりが地面に上半身からモロに地面にぶつかった。容赦ない攻撃だった。なぎは口をあんぐり開けているしかできない。

まさか、すずの言っていたことが、解決というのが、暴力だったのか。そんなはずは。驚いてあたふたするばかりのなぎだが、ぎんたがさっとなぎを自分の背後は誘導する。なぎの安全が確保される。この出来事に、過去のことを思い出す。ぎんたとの出会いだ。そういえば、彼はこういう人間だった。普段の、ひょうひょうとした、おっとりとした人間性のその裏を、なぎは知っている。

「てめー、、、」

ぎんたの攻撃をくらったひとりは完全に伸びてしまった。残り2人の不良の前に、今度はすずが立ちはだかる。不良たちに、スマホの画面をかざした。

「はい、注目〜」

「⁉︎」

「これ、君たち全員の個人情報。君たちのだけじゃなくて、祖父母から親戚、友人、先輩後輩、、、君たちのかかわりのあるすべての人の住所や指名電話番号、勤めている会社や入ってる医療保険に飼ってるペット、固定資産税まであらゆることは、調べたよ。簡単簡単。口座情報やその動き、、、なんでもわかるんだ。」

「えっ、、、」


すずがスマホの画面をスクロールすると膨大な量の情報が流れていく。

「君たち、人生が大事なら、もう梅北君には近づかないこと。まぁ、近づいても、ほら、わかるよね、彼、ミーハニアのリーダー、強いんだよ。僕も知らなかった!わかったらそこで伸びてるコ連れて、消えること。どうかな?」

さらにすずが画面を操作して何枚か写真を見せると、不良ふたりの顔色がさっと悪くなった。

「そ、総長だ、、、やべぇ!行くぞ!」

総長?となぎには聞こえたが、追求できるはずもなく。不良ふたりは意識のないもうひとりを抱えて去っていった。去り際にすずが、お返事!と大きい声で呼びかけたが、返答はない。しかし、もう大丈夫だと言うようにすずが振り向いて、なぎにウインクを送る。そう、すべて解決したのだ。


「す、すごい、、、これで、、、」

「なぎ君、作戦大成功だよ。お疲れ様!」

すずがなぎに近寄るとハイタッチを求めて来た。なぎが応じる。いまいち状況が飲み込めないが、上手くいったのだ。エリックを、守ることができた、、、!

「白樺君が来ると思ったよ。なぎ君、勇気あるね。けどひゅうがには秘密ね。こんなことさせたってばれたら殺されちゃうから。」

「なぎ〜」

おどけるすずを横目にぎんたがなぎの頭を撫でる、、、というよりは掴んで、ぐりぐりぐしゃぐしゃと、まるで犬にするようなコミニュケーションだった。

「ぎんた君!」

「なぎ君。これでもう大丈夫。ミーハニアのリーダーのぎんた君が強いこと。彼らをいつでも社会から抹殺、、、いや、えーと、とにかく、こちらも彼らの弱みを握っていること。それから、もうひとつ彼らの弱点を突いたから。」

「三宅先輩、、、」

ただ、エリックに近づくなと言うしかないなぎにはない武器で、すずは彼らを追っ払ったというわけだった。スケジュールがどうのこうの言っていたのは、ぎんたのことだろうとなぎは考えた。

「なぎ、うちのエリックのこと、心配してくれてありがとうな。」

「う、うん。」

「さ、もう行って。」

ぎんたに背中を押される。なぎはれいととエリックのことを思い出した。戻らなければ、きっとふたりが心配すると思った。


「このことくれぐれも、梅北君には秘密にね!」

「三宅先輩、ぎんた君、ありがとう!」

なぎがかけ出す。真夏日の路地裏から、真っ白なほどに明るい表通りに消えていった。残されたのはぎんたとすず。

「ひとつ貸しね。水島君。」

「あんたに借り作るとおっかないな、、、。まぁ、いいか。エリックを助けてくれてありがとう。」


ふたりはしつこいやり取りもせずに、その場で解散した。

真夏の路地裏にはすぐn、しんとした空気が戻った。



ーーーーーーー


「うわわわわ」

即売会の会場に来たなぎだが、あまりのひとの多さに、慌てふためいていた。

れいとは、エリックはどこだろう。たしか、ひらがなと英語と数字でエリックのスペースを教えられた。それから壁際だということはわかる。しかし、あとはさっぱりだった。

会場全体を見回すと、長蛇の列があった。その最後尾に並ぶ女性が、最後尾という看板を持っていた。そこに、エリックのサークルの名前があった。

「!」

あそこだ!

なぎは目的の場所へ行く。すると、ありがとうございます!というエリックの声。しかし、どこから近づいたらいいかわからない。人混みで、れいととエリックがいるである場所にいけない。すると、若い女性が声をかけて来た。

「凪屋さん、、、?」

「!」

「ですよね!あの、通してあげて下さい!」

女性がなぎを、サークルの売り子だと言って、列の前方へ送り出す。女性はなぎを、メリのなぎとして知っていたのかそれとも、エリックのサークルの一員として知っていたのか。しかし並んでいた全員のおかげでなぎはようやく、れいととエリックを目視できる所まできた。

「こんにちは、新刊セット、、、」

「れいと君、梅北先輩!」

「!」

なぎに新刊の説明をしようとしたエリックは、そこでようやくなぎに気づいた。れいともだ。

「なぎ君ーーー!!!!」

「お待たせしました!」

「なぎ!」

なぎはふたりに経緯を説明しようとした。もちろん、すずのに言われた通りに秘密は守って、だ。しかし、、、。

「あの、新刊セット下さい!」

「ノベルティ欲しいんですけど、、、」

なぎの背後から声がかかる。ゆっくり話せるような雰囲気ではなかった。

なぎは急いで、机の反対側、れいととエリックのいる側に回って、ダンボールから新刊セットのバッグを出した。

「話は後で!」

元気ななぎの様子に、れいともエリックも安心したようで、あとは3人で列をさばくことに集中することになった。



ーーーーーーー




新刊セット完売です。

と、書かれたポップの他にも、新刊完売です、などのポップがテーブルに置かれる。

エリックの用意した新刊、新刊セットはすべて無くなった。既刊が少し残っているだけだ。それから、なぎとれいとのふたりの冊子が少し。エリックは自身のSNSにもその旨を記載した。イベントが終わりに近づく。もう列はない。

ここでようやく3人は落ち着いて話し始めた。


「ふたりともお疲れ様、ありがとう、なぎ君、無事で良かった!僕、僕、、、!」

「あ、はい、、、」

なぎはまるでセール会場のようなイベントの列に圧倒されっぱなしで、放心していた。

「なぎ、ケガはないんだな?うまくいったか?」

れいとの言葉にようやく自分を取り戻す。

「あ!うん!もう大丈夫!梅北先輩!あいつらはもう先輩に近づかないよ!」

「え、、、本当?どうして、、、」

「とにかく、大丈夫です。良かったですね!」

「う、うん、、、!」

なぎの明るい笑顔にエリックもつられて笑顔になる。すると、エリックに男性が話しかけてきた。相互のナントカです、と言っている。エリックはふたりに断って席をはずした。れいとはまるで歴戦の戦士のように当たり前のように、サークル主不在、の札を机の上に乗せた。

「なぎ。で?」

エリックが居なくなったので、なぎはれいとに経緯を説明した。ぎんたの名前を出すと、そういう人なのか?と、少し驚いていた。確かに、ぎんたは武闘派には見えない。

「とにかく、よくわからないけど、もう大丈夫っぽいよ!総長?ってのはよくわからなかったけど、なんか大丈夫!」

「、、、そうか。良かった。」

れいとはなぎの説明を信じることにした。すずは信頼できる。そしておそらくまだよく知らない水島ぎんたも。

するとふたりの前に数人人が来て、れいととなぎの冊子を欲しがった。これは無料配布だ。

会場を見渡す。ここには、小説が好きなひとしかいない。小説が好きなひとのみで作られた空間だ。


「れいと君、どうだった?」

「凄く勉強になった。俺たちはライブで、、、メリは特にファン重視なこともあってファンの反応を伺えるけれど、こうやって、商業的なくくりから外れて同じものを好きな人間だけで作った空間はまた別だ。」

れいとは、それだけじゃない、と続けた。言いたいことは、たくさんあった。エリックの願いを叶えてやりたいと思った気持ち。なぎが心配だが、信頼しようと思った気持ち。ほかにもいろいろあった。文章にすれば長くなるほどの気持ちをなぎと共有したかった。エリックとのコラボを通して感じた全てをなぎに話したかった。

イベント会場の雑踏に目を許す。話したいことを文章にするのは、難しいと思った。

「俺はね、今回の件で、、、自分のやりたいことだけじゃなくて、他のひとのやりたいことも大事にしたいって、強く思ったよ。」

「!」


パイプ椅子に座るなぎを見る。

なぎの強いまなざしを、瞳を見ることを、れいとは慣れたと思っていた。そんなことはなかった。いつ見ても、新鮮な色を感じた。

それは、れいとが考えていたことの本質だった。

「自分のことばっかりじゃなくて、自分の大切なひとのために何かすること、、、大事なんだなって思ったんだ。」

「なぎ、、、」

れいとは、エリックの願いを叶えたいというその気持ちをスマートに言語化できていなかった。

それは単純なモラルだった。他者の尊重であった。文化的な教育、社会性であり、民主性であり、、、人としての基本だった。

なぎはあっさりと、口にした。そしてなぎも同じ気持ちだった。

感情を、気持ちを共有できること。言葉、文章。それを、今日ほどありがたいと思ったことはなかった。

「れいとくんの小説の冊子、俺も欲しい」

「え。」

「読んで感想伝える。」

なぎが机の上の残り数冊の冊子に手を伸ばす。れいとは思わずそれを静止した。

「いや、待て、それはなんか恥ずかしいな。、、、なら俺も、アンタの読む。」

「え!やだ!恥ずかしい!」

「なんでだよ」

「知らない人に読んでもらうのと、知り合いに読んでもらうのはなんか違くない⁉︎」

少し遠くで、ふたりがじゃれている様子を、戻って来たエリックが微笑みながら眺めていた。こうしてイベントは終わった。


後日、メリの公式サイトにふたりの書いた短編小説が載った。

れいとの書いた小説は先に説明したあらすじ通りだ。なぎの書いた小説は、れいとの書いたものより少し短い。ふたりの少年が出会って、同じ夢を持って進み、仲良くなる。そんな、どこかで聞いたような、夢のような話だった。




ーーーーーー




さて、なぎの学校は明日から夏休みになる。

この日は学校は午前中で終わる。補講や部活動がなければ9月まで学校に用はない。クラスメイトたちはざわついていて、海に行くだとか、祭りがどうだとか盛り上がっていた。なぎも、何か思い出を作りたいと思った。そういえば家族で旅行に行く予定もある。休みとはいえ妹たちの食事の世話などもしなくてはならない。

しかし、なぎの7月の大きな予定はあとふたつだ。

沖縄。そう、フォトブックの写真撮影のためのロケだ。妹たちが羨ましそうにしてあた。どんなお土産にしようか考えた。

その前に、ミーハニアとの最後のコラボだ。ぎんたとのコラボ。

ぎんたには先日、エリックとの騒動で少しばかり顔を合わせた。もともとはなぎはぎんたと非常に仲が良い。しかしそれは毎日連絡を取り合うようなそれとは違った。

ぎんたには、なんでも話すことができる。

ふと、なぎは、以前れいとと話したことを思い出した。何か、れいとと、記念になるようなグッズを作ろう、という話だ。しかしどうにも話が進んでいなかった。これに関して、ぎんたに相談できないかと思った。

沖縄に行く前に会えるか、なぎはぎんたにメッセージを送った。

しかし、驚くべき返事が返ってきたのである。





「すまん、なぎ。コラボ、無理かも」






ーーーーーーーーー




「えーと、、、たしか、ここから歩いてすぐ!」

「歩くのか、、、」

ぎんたから連絡を受けて、夏休み初日、さっそくなぎとれいとはぎんたのアトリエに来ていた。なぎは一度、ななみと来たことがあったのだ。ぎんたのアトリエは、郊外の自然豊かな高台の住宅地の少しはずれにある。バス停からすぐ。閑静な、高級住宅地で、少し傾斜のある幅の広い道路には、街路樹が美しく整備されていて、歩道も広い。見える家々はどれも、一般的な民家よりも、敷地も建物そのものも大きい。人どおりはほとんどない。

「すぐだよ!大丈夫!」

「俺じゃない。あんただよ。ほら帽子ちゃんとかぶれよ」

昨日のメッセージ以降、ぎんたとへのメッセージには既読もつかない。なので、れいとに相談をした所、ふたりで様子を見に行こうといことになった。ミーハニアのメンバーはしばらくぎんたは、ミーハニアの活動ではなく、個人の活動のためにアトリエに籠ると言っていたらしい。そのため、ぎんたのアトリエにふたりで行くことになった。熊谷はへの連絡は、ぎんたと話してからにしようということだ、ふたり、だ。

炎天下。真夏日。湿度も高い。れいとが心配なのはなぎの体調だ。なぎを家に迎えに行った時、なぎは帽子も持たずにに玄関から出て来た。なのでれいとは何かないかと言ったら、妹のみあが、なぎの母親のカンカン帽を用意してくれた。ストロー素材に、紺のサテンのリボン。女物だが、なぎは気にもしていなかったし、似合っているな、とれいとは思った。たまにふとした時に、なぎはすごく、眩しい。


「あ、あれ!」

歩道を進んでいくと住宅地のちょうど外れに、街が展望できるような公園が見えて、その手前に、三角屋根に、壁に蔦の絡まった西欧風の建物があった。

今までの、ガレージやカーポートのある家とは違って、少し、ファンタジックな外見をしている。

「ここか。広いな」

「うん。もともとはぎんた君のお母さんの持ち家だったんだって。今はぎんた君が使ってる」

なぎはそう言うと、門の前で呼び鈴を押した。だが、無反応。門を押すと開いている。

「勝手に入っていいのか?」

「ぎんた君は怒らないよ!」

中に入ると、芝生と、植木と鉢植え。絵本に出てくる外国の家のようにこ綺麗で、絵になる空間だ。

木は、オレンジだろうか?それからベンチ。小さめの池。心地の良い空間に感じた。こんなに暑くなければ魅力的な庭だった。

「待て、なぎ。玄関が開いてる」

れいとがなぎの前に出て、なぎを静止した。玄関のドアが微妙に開いているのだ。不審だった。刑事ドラマなら中でひとが死んでいるか、侵入者がいて、主人公たちと鉢合わせるようなシーンだ。木製の、真ん中がステンドグラス風のおしゃれなドアをゆっくりと押して、れいとが先に中に入った。よく観察する。荒らされているとか、不審な点はない。


「だ、大丈夫、、、?」

不安そうななぎも、れいとに続く。今度は玄関の鍵を内側から閉めた。なぎによるとぎんたのアトリエは裏の方なので、リビングを横切って進む。

しん、と静まり返った室内に、緊張感が走る。

アトリエの前に来て、なぎはまたドアをノックした。

「ぎんた君?いる?開いてたから入っちゃったよ?」

返事がない。ドアを開ける。

そこからは、今までのフローリングの室内とは違って、床はコンクリートだ。硬い足音をたてて、ふたりはアトリへに進んだ。


「!」




床にぎんたが倒れていた。


「ぎんた君!」

なぎが駆け寄る。れいとはあたりを見回した。襲われた気配はない。侵入者の気配もない。それからぎんたを見る。外傷はない。なぎがぎんたをだき起こした。

「ぎんた君!ぎんた君!どうしたの⁉︎しっかりして!死んじゃやだよ!」

「う、、、」

息はある。顔色は悪いが、致命傷を負っているようにも見えない。熱中症かもしれない。アトリエはクーラーが効いているが、この外気温では何があってもおかしくはない。れいとが、救急車を呼ぼうとしたその時だった。


「腹減った、、、」


なぎに抱き抱えられたぎんたが、へろへろとした口調で訴えた。




ーーーーーー





「いやー、すまんすまん。椅子作りに熱中して3日ほど食べてなかった!なぎ、白樺君、ありがとう!」


水分は取ってたんだがな〜、とぎんたはゆるーく笑った。

あの後、なぎが冷蔵庫にある物で極々簡単なフレンチトーストを作った。れいとは近くのコンビニに行って、スポーツドリンクなどを調達してきた。

ぎんたの話どおり、椅子を作るのに熱中していて食事を疎かにして低血糖で倒れていたらしい。ミーハニアのメンバーやマネージャーには、しばらくアトリエに籠ると連絡していたため、アトリエには誰も来る予定がなかった。昨日のなぎのメッセージには、意識朦朧として返事をして、あとは覚えていないらしい。なぎとれいとが来なかったら、どうなっていたことか。

「なぎ、フレンチトースト美味い!」

「おそまつさまです!よかったぁ、元気になって、、、。本当びっくりしたんだから」

食事をした後は、ぎんたはすっかり元気になっていた。

「れいと君の分もあるよ。どうぞ。フランスパンのフレンチトーストだよ。キッチンにね、あやさんのレシピ本があって、その通りに作った!」

「ありがとう」

アトリエにある椅子はどれもぎんたが作ったものだろう。おしゃれなデザインのものや、見たことのあるもの。庭に面した一角は一面がガラス張りで、外は日差しがあまりに強くて、窓際は腕が痛く感じるほどだ。

不揃いの椅子やソファは適当に並べて3人は腰掛けた。

「なぎ、白樺君、ほんと、来てくれてありがとう。」

「いえ、勝手に入ってすみませんでした。」

れいとはなぎの作ったフレンチトーストを口にする。かなり、甘い。ぎんたを見た。しかし、話を進める様子がない。ここで、初めて会った時のことを思い出した。場をしきっていたのは、あやだ。

さらに、ぎんたをよく観察する。よれよれのTシャツに下はスウェット。しかしこの浮浪者のようなファッションが、ぎんたが着ているというだけで抜け感のあるおしゃれな部屋着、だ。

毛量の多い銀の髪をポニーテールにしていて、片目が隠れている。ひょうひょうとしていて、掴みどころのない笑顔。

ミーハニアのリーダー、水島ぎんたとは一体、どんな人物なのか。ミーハニアとのコラボはこの男とのコラボを持って終了する。この男から、一体何を学ぶことができるだろうか。


「ぎんた君、もう大丈夫?体調がいいなら、コラボについて、打ち合わせができたらいいなって思うんだけど、、、」

れいとの言いたいことをなぎが言った。そう、本題はコラボについてだ。確か、ぎんたが雑誌に載るので、それについて行く、そんな話だった気がするが、しかし、昨日、なぎに送られて来たメッセージはどういう意味だろうか。それも聞かなくてはならない。

すると、その話が終わるか終わらないか、フレンチトーストもまだ半分を残して、ぎんたは立ち上がった。え、と驚くなぎからは逆光で表情が見えない。俯いていたが、いきなり天井を仰ぐと、大声が出た。


「そうだったぁーーー!!椅子!!」


そう言って、がたんがたんとものにぶつかりながら、あわただしくアトリエの奥へ駆けていく。そこには作りかけ、、、と言ってもほとんど完成している(ように、なぎとれいとには見える)椅子があって、ぎんたはそれにヤスリがけを始めた。

「明日の撮影で使う椅子!仕上がってない!」


そのセリフを受けて、ようやく、なぎとれいとは、前述の、コラボできないかもしれない、という発言が腑に落ちた。だがそれと同時に、撮影が明日、というワードが出た。

「撮影、明日なんですか?それって、まさかこの間言ってた、俺たちとの、、、」

「え、そうなの?ぎんた君。でも、ぎんた君、珍しいね。いつは、スケジュール管理ばっちりなのに、、、」

「そうそう!その連絡も、するはずだったんだ!それが、先週風邪ひいて1週間寝込んでて、それですべてが狂ったんだよ、、、」

なぎも、そのあたりは体調を崩していた。

つまり、明日、ぎんたと雑誌撮影に参加する、というコラボが急遽決まったということになる。しかし、ぎんたは問題を抱えている、といわけだった。誰が見ても明らか。撮影用に使う椅子が完成していない、ということだ。

さてここで改めて、ミーハニアのリーダー、水島ぎんた(20)について解説をする。

音楽活動、つまりミーハニアとしては、彼はボーカルであり、フロントマンだ。すらりとした痩身麗人、人好きのする笑顔だが、ちょっと抜けていて、ミーハニアではしきり役はサブリーダーのあやの役目になっている。そして、自身は母の影響で、インテリアコーディネーターとしても活躍していて、椅子を自分でも作っている。海外の著名歌手や俳優からオーダーが入るほどの人気で、彼自身アーティストであると同時に、クリエイターである、というわけだ。ちなみに、料理や運動もそこそこできて、剣道もやっている。もちろん、歌も上手い。


「椅子が出来なければ、撮影には行けない、、、!内容を変えてもらうか、撮影自体キャンセルか、、、あ〜、大丈夫大丈夫、できるできる、、、」

ぶつぶつ言いながら、ヤスリをかけ終わった場所に息をふーと吹いて、立って、全体を眺め、また、同じ場所を調整していた。なぎもれいともぎんたの背中を見つめるしかない。何もできることがない。しかし、このままではどうしようもない。

「あの、先輩、俺には完成しているように見えるんですが、、、」

ふたりも、れいとのいる方へ向かう。木工用の大型の機材があったり、木の板が重ねて立てかけてあって、他にも床にのこぎりやペンキやらがある。それらを避けて、ぎんたの元へ向かう。

れいとが控えめに声をかける。

「完成、、、完成か。それはどこを持って完成したということにするかによるなぁ、、、。」

腕を組んで、最もらしいことを口にするぎんたの表情は、れいとの側からは、前髪が邪魔で見えない。なんとなくぼんやりと、きれいな顔をしているな、とれいとは思った。

アトリエの雰囲気と合っている。薄暗くて、ランプはガラスで、びいどろのように見える模様が入っていて、緑だったりオレンジだったり、ざまざまな色が、無機質なコンクリートと、ぬくもりのある木材を彩る。ぎんたは、このまま映画のワンシーンにも使えそうなほど、絵になっている。

するとなぎが横かられいとに話かける。


「ぎんた君は、いつもはね、プロは時限のある中で、クオリティの統一されたものを提出できる人間のことって言うんだけど。俺とななみ君といっしょに遊んでる時とかにそういう話するんだ。だから、こんなに〆切に追われているの、珍しいかも」

れいとはぎんたを知らない。今の所あまり、威厳を感じないと言うか、どんな人間なのか、掴めずにいる。しかし、ミーハニアのリーダーなのだ。何かきっと、見た目や歌唱力やものを作る実力以外に人を惹きつけるものがあって、それが勉強になるはずだった。


「そうだ!」

それまで椅子に話しかけるような体勢だったぎんたが立ち上がる。ふたりの方にいきおいよく振り向いた。


「この椅子は、ふたりで完成させてくれ!」

「え⁉︎」


なぎ、れいと、双方の声が重なった。さすがにふたりとも椅子を作った経験は、ない。

「ほとんど完成しているし、、、これは撮影用かつ、試作品なんで。だから工業品としての規格基準は気にしなくていい!ふたりのセンスを見せてくれ!」

「でも、ぎんた君、倒れるような思いでこれを作ったんじゃ、、、なのに、俺たちの手を加えていいの?」

「いい!今からもうひと作る!」

なぎとれいとはまた、え、と声をあげた。

ぎんたは腰に手を当てて、片方の足に体重をかけて語りだした。

そもそも、体調を崩したほかに、何故こんなにスケジュールが推しているか。それを説明しはじめた。ふたりに、どんなことを勉強させたいかを、ずっと悩んでいたらしい。いおり、あや、ほまれ、エリック、、、自分はリーダーとして、コラボのまとめ役として、ふたりに何を伝えられるか。今やっと思いついた、と言った。満足気にしているが、最初の打ち合わせでかっこよく語っていたことは何だったのか、とれいとは思った。


「この椅子を、どんなひとに使ってもらいたいかを考えて、完成させてくれ」

「どんな、、、ひと?」

なぎが椅子に近寄る。しゃがんで、椅子を眺める。表面を触る。なめらかな木の色は、なぎの手の甲の色と、同じくらいの色だ。

「ああ。5w1hだな。いつ!どこで!誰に、どんな理由で、、、シチュエーションを考えて完成させて欲しい。そして明日の撮影に使おう!これは、ふたりが、クリエイティブイベントでミーハニアの、、、うちのメンバーもコラボしてきて学んだことの集大成だと思って完成させて欲しい!その時に、ふたりの、これまでの話を聞かせてくれ!」

ぎんたの提案はなかなか筋が通っていた。が、どうにも、学生の宿題のようにも聞こえる。しかし、明日の撮影のネタにもなる。ふたりは顔を見合わせた。


「れ、れいと君、どうする?」

「、、、いいんじゃないか?先輩、じゃあつまり、明日の撮影、行くんですね?」

れいとの確認に、ぎんたはふ、と笑った。

「うん!、、、よし、やろう!」

なぎが決定を下す。ぎんたはやすりや、ペンキをなぎに説明していた。れいとがその間に、熊谷にスケジュールの連絡を入れた。ミーハニアとのコラボはこれで最後だ。気合いをいれて取り組まなくてはならない。熊谷からは、くれぐれもなぎにケガをさせるな、とのお達しが出た。

「れいと君」

なぎがれいとに近寄り、エプロンを手渡す。すこし絵の具などで汚れたエプロンを着けると、なぎはかっこいいね!映画みたい!と言った。

ぎんたは、何かあったらいつでも声をかけて、言って、少し遠くで、自分も作業に入った。


ーーーーーーー




「まず、5w1h、、、だっけ?」

なぎとれいとは、床に紙を広げて、まずは作戦会議から始めた。

流石にふたりとも、いきなり椅子に手をつけはしない。

「だれが、、、か。椅子、か。というか、家具に関して、そんなふうに考えたことなかったな。」

「俺たち、ふつー、椅子買ったりはしないもんね。」

「、、、あんたの家、ダイニングテーブルあったよな?」

以前、れいとがなぎの家に行った時のことだ。なぎとれいとに、なぎの妹ふたりも加わって、ダイニングテーブルを使った。

「ああ、あれは、、、フツーの4人がけ。ちょっと大きめかなぁ?ファミリー用、、、家具の量販店で買ったはず。えーと、、、かれんが生まれる前だよ。だから、かなり古いかも」

しかし、テーブルも椅子もまだまだ現役だった。当然小キズや、使用感はあるものの家族の団欒の基礎であり、愛着がある。

そんなことを思い返しながら、ほぼ完成している椅子を見る。椅子は足が4本、丸い座面。それだけの、シンプルなものだ。

「俺背もたれほしいな、、、」

「背もたれか。そうだな。」

「あ、うーん、、、でも、、、ね、れいと君、座ってみてよ!」

なぎに促され、れいとは座る。

「あー、、、ギター持ってくれば良かった。俺ね、誰が使うかって考えたら、やっぱりれいと君が浮かんだんだ。れいと君が、これに座ってギター弾いてる、、、とか、、、」

「それならアンタだろ。」

れいとはたくとに師事していて、今習っているのは主に、エレキギターだ。座って弾くのはかっこつかないとれいとは考えた。立ち上がると、なぎを座らせた。それから少し離れる。

「肘掛けはなくていいな。背もたれはあってもいいかも。高さは少し高いな。色は、、、」

「色さ、じゃあさ、メリのイメージカラーにしようよ。ミントグリーンみたいな。あれ再現できるかな」

「ああ、そうだな、、、よし、なぎが、ギターを弾く時に座る椅子、というイメージにする。」

「え!?俺!?れいと君は!?」

「俺は立ってる方が楽だし好きだ。」

こうして、コンセプトが決まった。

れいとの頭の中でははっきりと、完成した椅子に、なぎが腰掛けていて、ギターを弾く様子が浮かんだ。それを想像すると、少し楽しくなった。

木材は勝手に使ってよいそうなので、力仕事はれいとの役目だ。切ったり測ったり。アトリエには木工用の業務用のカッターや器材があり、それはぎんたの指導のもと使った。背もたれにカーブが欲しくて、木をカットして、ヤスリをかけたりした。れいとはなんとなくだが、昔やっていたアメリカのテレビドラマの主人公が、地下室で船を作っている様子を思い出した。あれは結局、どうやって外に出したのだろう。


「れいと君、ペンキどれ使ってもいいって!」

「種類があるのか」

「これがいいなって思った。自然素材で、匂いとかが少なくて、、、優しい色合い!」

なぎらしいチョイスだが、白と緑に、イエローやブルーまぜて、理想の色を作らなくてはならない。なぎは四苦八苦していた。

夕暮れになるころには椅子は完成した。


「出来たー!」

「ニスが乾いたら完成だな。」

形、色も完璧だ。れいとが、椅子を作る前に想像した、なぎがこの椅子に座って、作曲や、練習のために、アコースティックギターを膝に乗せている様子は、より、鮮明に感じられた。それは少し、小気味良い心地だった。

なぎはこの椅子で、どんな音楽を作るだろうか。この椅子はその手助けになるだろうか。

もうれすっかり夕暮れで、アトリエの奥の方は暗くなっている。完成の報告のために、ぎんたのいる方へ向かうと、ぎんたは木の板に線をひいていた。

真剣な横顔は端正なあまり近寄り難いくらいで、普段は片側だけ伸びた前髪に隠れている瞳が、窓からの夕暮れの特有の暖色の光の梯子を受けて、きらりと光る時があって、それはなんとも祝福めいた光景だった。

木材の香り。静まり返ったアトリエ。冷たいコンクリートの床。居心地が良い程度に汚れていて、散らかったもの。手作業の仕事という原始的な美徳を本能に受けて、誰もがうっとりとするような映像がそこにはあった。


なぎとれいとは足を止めて、邪魔をせずに、並んで、その作業が終わるまで、彼を見守ることにした。しゃ、しゃ、と控えめな音が響く。

「なぎ、聞いてもいいか?」

「ん?」

「あんたは、ツインテイルの音村先輩と、ミーハニアの水島先輩と同期なんだよな?仲がいいって聞いた。どんな出会いだったんだ?」

なぎとななみは同じ歳で話も合うかもしれない。ぎんたは20歳でふたりよりも上だ。れいとは疑問だったことをここぞとばかりにぶつけた。

「最初はフツーに、、、顔合わせで、、、その後はえーと、、、あ。それとは別に、俺とななみ君が変質者に絡まれた時に助けてくれたんだ」

「は?」

緊張感のないなぎの発言だが、かなりの出来事だ。

「変質者って、、、」

「えとね、全然昼なんだけど、なんかつけてくるひといるな〜って思って、、、なんか追い越したり、すれ違ったり、道全然広いのにぶっかってこようとする変なおじさんいて、帰るに帰れなくて困ってたらぎんた君が助けてくれたんだ。やめろよって言って追い払ってくれた。もう3年前かなぁ、俺もななみ君も子供だったから、、、」

いまでも子供だろ、とれいとは言いかけたし、多分ふたりとも女の子だと思われたんだろうな、とかも考えたが、言わなかった。

「それですごく仲良くなったんだよ。よく3人で遊ぶんだ〜」

なぎはそう言うと、スマホの画面を見せてきた。なぎとななみと、その間に挟まれたぎんたが写っていた。特に加工も何もしていない写真なのに、どう見ても、女の子ふたりに挟まれた男ひとりに見える。両手に花、に見える。たいていの男が嫉妬して羨ましがるシチュエーションに見える。れいとは何となく、ひゅうがやたくとはぎんたを好きではないだろうな、と感じた。いや、なんとなく、たいていの男は、ぎんたを好きじゃないかも、ぐらいまで思った。ぎんたへの印象はますますカオスにぐちゃぐちゃに、わからないものになっていく。


「ふぅ、、、」

ため息が聞こえた。ぎんたが、ひとつの作業を終えたようで、なぎとれいとは話しかけた。椅子が完成したことを伝える。

ぎんたは、ふたりの方に近寄る。さらに奥のスペースを見た。

「おー!あれか!いいな!よくがんばった!」

ぎんたはなぎの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。そのままれいとの頭も、、、とはいかず、れいとが後ずさり拒否をしたために、それは叶わなかった。

ぎんたは椅子の前に立つと、顎に手を当てて、じっくりと椅子をながめた。口角が上がっている。満足そうな表情だ。

「コンセプトは明日聞かせてもらおうかな。じゃあ、場所は熊谷に連絡してとく。ふたりともお疲れ様!」

最後にぎんたは本当にありがとう、と言った。そういえば、朝来た時、ぎんたは死にかけていたのだ。ふたりが来なければどうなっていただろう。

ものを作ることに対してシビアで真剣な職人のまなざしをもつぎんたと、どこか抜けていてひょうひょうとした好青年のぎんたと、つくりもののように美しい表情を見せるぎんたと、それからミーハニアのリーダーとして人を束ねる手腕をもつぎんたと、フロントマン、つまりアーティストとしての側面を持つぎんた。彼には、様々な顔がある。そしてそれを使いこなすぎんたがいること。

なぎはあまりわけて考えたことはない。ぎんたはぎんただ。結局れいとは、ぎんたに対しての印象や人柄を、この日最後まで掴めずにいた。彼のもつ多面的な構造を完全に理解する者はいないかもしれない、そう思った。




ーーーーーー




次の日、急遽スタジオ入りしたふたりだが、そのスタッフの数に驚くことになった。熊谷からしっかりと、ここまでの道中聞いたのは、女性向けファッション誌の取材であり、ぎんたはインテリアコーディネーターとして、テーブルウェアからダイニングテーブル、椅子、ラグに至るまでを一式を選び、センスの良いインテリアを読者に指南するとのことだった。他に、各インテリアブランドの新作の紹介や、インタビューやスナップが載る。スタジオには、いくつかのダイニングテーブルがあって、女性が好みそうな柔らかでエレガントな色合いのテーブルウェアの並んでいたり、また別のテーブルはビビットな配色でまとめられ、また別のテーブルはシャビーな印象を受けた。すべてぎんたがセッティングしたらしい。昨日自分のアトリエで死にかけていた男の仕事とはまるで思えない。いつものスタジオとはまるで違う雰囲気になぎとれいとは借りてきた猫のようになっていた。スタッフは男女半々だったが、当然、雑誌は女性向けのものであり、この企画も女性向けのものであり、このスタジオ、この場のすべてが、女性のために動いている空間だった。このような仕事を、なぎとれいとはしたことがない。なぎは過去にcm撮影やインタビューを受けた経験はあるが、ここまで女性向けに振り切った空間ではなかった。


「なぎ!白樺君!」

「わ、、、」

先にスタジオに来ていたぎんたがふたりに近寄る。ぎんたは青みがかったスーツで、胸元には生花。

「わー!かっこいいね!」

なぎの目が輝く。正直な所、インテリア、なんて言われてもティーンエイジャーは大抵話の本質に遠い。なぎにとっては周りの高価な食器だのカトラリーだのよりも、よっぽどぎんたの方がわかりやすかった。スーツが似合っていて、かっこよかった。それと、なぎは、スーツにほんのり憧れがあった。たまに、熊谷のジャケットを拝借するが、肩幅がかなり合わない。ボトムスは、松の廊下を想像するばかり。しかし、自分も成人する頃には熊谷や、ぎんたのようにスーツを着こなしているだろうと想像した。

いまいち現場の雰囲気にも付いていけていないのはれいとも同じく。撮影とはどのように進むのか。何をするのか。できれば打ち合わせがしたいとも思った。

「あれ、、、」

しかし、なぎが気づく。ぎんたの背には、ギターケース。

「これはなぎに。」

「え、、、」

ふたりは楽器を持って来なかった。持ってくる必要がないと思ったからだ。

「え、俺?あ、、、なんか、忘れた?」

「いいや。さ、ふたりとも、撮影だ。」

何か、そういう話が進んでいたのだろうかと、ふたりは顔を見合わせたが、そうでもないらしい。

話もそこそこに、撮影開始の合図。ふたりはまずはぎんたが写真を撮られるのを眺めていることになった。

「な、なんか、なんか、、、」

「言わなくていい」

ぎんたはひととおりテーブルウェアのコンセプトなどを説明した。その間ばしばしと眩いフラッシュに照らされて何枚も写真を撮られる。慣れた様子だ。れいとはじっと、ぎんたを観察した。昨日からだ。どんな人間なのか見極めようと考えている。

ぎんたから何を学ぶべきなのか。まだ、よくわからない。ぎんたの人柄のように、つかめていないことがある。

そしていよいよぎんたから、ふたりの話がふられた。


「今、クリエイティブイベントで、メリのふたりとコラボレーションしてるんですよ」

ようやく、ふたりの出番ということらしい。スタッフに促されカメラの前へ移動する。

すると、別のスタッフが、昨日ふたりが作った椅子を運んできた。

「で、これってわけ。」

なぎは、ぎんたに渡されたギターケースをそのまま持っていた。それを、ぎんたは、指先でトントンと叩いた。

この椅子は?とインタビューをしているスタッフが質問を、する。ぎんたは、これはメリのふたりが作ったものだということ。まだ、制作のコンセプトは聞いていないことなどを説明した。

「俺はこの椅子のコンセプがわかった!なぎが、ギターを弾くための椅子、だ!」

ばーん、と効果音が付くような、そんな自慢気な様子で、ぎんたは答えた。

「おお!あってる!」

ぎんたが屈んで、なぎを見つめる。合ってる。昨日の、アトリエでのれいととの会話を、聞かれていたわけではない。けれど、彼にはわかったんだ。

「なので、その通りに。」

ぎんたは胸の前で手を平行に動かした。ステージの上かのように。つまり、この場で、なぎに歌を歌うように求めている、というわけだ。それはなぎにもれいとにもはっきり伝わった。


「えー、、、!なんか恥ずかしい!聞いてないよー!」

しかし、スタッフが拍手を始める。歓迎されてる、というわけだ。外堀は埋められている。

「れいと君は⁉︎」

「俺は見てる。」

「ええー、、、あー、、、」

いつの間にか、完全に、なぎひとりで、曲を披露する流れだった。

椅子を見る。昨日、れいととふたりでがんばって完成させた、それ。

そういえば、ミーハニアとのコラボの集大成と、ぎんたは言っていた。

なぎは、ミーハニアとのコラボのことを回想した。前回のツインテイルとのコラボでは、音楽活動そのもののコラボだった。作曲を学び、その学びを大いに活かしてライブができた。しかし、今回のコラボは、音楽のことは一切やっていないのだ。ものを作ることに関しての師事だった。ここにきて、初めて、久しぶりに、ギターに触れた。


「、、、、、、」

初めは、いおりとのコラボだった。トライアスロン。いおりは、進化し続けたいと語っていて、とても感銘を受けたのを思い出す。次にあやとのコラボだ。ファンとの距離感。ほまれとのコラボは自分は欠席だっただが、れいとの話は楽しかった。ほまれは充分に、れいとの先生をやってくれたのだ。そしてエリックとのコラボ。ここでやっと、自分たちのことだけではなく、自分たちが好きなひとのために行動することができた。

ミーハニアとのコラボの、、、集大成。それは一体、何だろうか。ちらりと、ぎんたを見る。みんなが、期待しているのがわかった。れいとを見る。れいとも、なぎを見ていた。

なぎは椅子に腰掛けた。ちょうどいい高さだ。

ものを作ること。それは、どんなことだろう。そういえば自分は、なぜ曲を作り、歌うのだろう。

創作とは、何だろう。


もう一度、れいとを見る。

そうだ。


そう。

彼と出会ってからはいつだって、彼が、自分のモチベーションと、イマジネーションの原動力だ。

なぎは、ギターを見て、少しはにかんだ。

そして、歌い始めた。


ぎんたが手拍子でのると、スタッフも手拍子を始めた。これは、なぎがれいとのために初めて作った曲だ。会見で披露した曲。

いつのまにか、れいとが隣にいた。見てると言ったくせに。コーラスが入る。

もう、わかった。

わかってしまった。


結局、自分は、音楽が好きなのだ。


もちろん、スポーツや料理だって楽しい。けれど、何が、心を震わせるのか。何が、人生の主題なのか。今、1番、は何なのか。


ぎんたはにこり、としてた。

ぎんたの言葉を、なぎは思い出した。


それと、モノを作る、ってことが、どういうことかを、ふたりに教えたい。俺たちは作曲うんぬんより、きっとこれに関してはツインテイルのふたりより、勉強させてやれる。


なぎは、せつなにスカウトされてこの世界へ足を踏み入れた。それまでに、何が好きだとか、将来のことなどすら、まともに考えたことがなかった。せつなといると、庇護されて、尊重されて、困ることがなかった。れいととふたりになってはじめて、ざまざまな壁にぶつかり、ひとつひとつを手探りで乗り越える、そんな日々になったのだ。

ミーハニアのメンバーのことを思い出した。彼らのモチベーションは、何だろう。

作詞も作曲も、今のモチベーションはれいとののことだ。

ぎんたが、最後まで悩んでいたわけが何となくわかるような気もした。

良いものを、売れるものを、ではない。自分が良いと思ったものを。だから、椅子が完成しないと嘆いていたし、自分とれいとに何を教えるべきかを最後まで悩んでいたんだ。

内面の吐露、自分の昇華。日々の機微や情緒。それら全てを内包して、作る。確かにそこに、魂というものが宿る。

ツインテイルとのコラボで学んでこと。モチベーション。れいとのことだ。それから、ミーハニアとのコラボで学んだことが加わる。

自分が、良いと思うものを。

誰でもない。自分が。

ものを作ることに向き合うと、哲学が入る。

これからも、作り続けることはできるだろうか。

それは、自分次第。


少し遅いかもしれない、やっとなぎは自分にも向き合った。

その機会が与えられた。

他者と自分がどう違うか。漠然としたそれに答えがあるとようやく掴んだ。

それは「欲求」にあると思った。

じぶんのやりたいことを考える。他者との違い。

自分らしさ、それを考える。

それは、作ることができる。



曲が終わると、拍手喝采。

楽しいな、と思った。れいとと歌うことは、楽しい。


「なぎ、ありがとう。急に無理言ったのに。俺が、なぎの歌聞きたかったから、、、」

ぎんたが近づいてくる。

「俺こそ、、、俺たちこそ。」

なぎも返事をした。

「こんどは俺が、れいと君に何か作ってあげたい。、、、ぎんた君手伝ってくれる?」

「もちろん。」

ぎんたが微笑む。

「よかった、、、」

ぼそりと、れいとが呟いた。

「俺の作った椅子で、よかった。なぎと作った椅子で、なぎが歌ってくれてよかった。なぎが、、、」


世界にひとつしかないそれは、少し歪で、工業製品ほど完璧ではなくて、きっと売れるものではない。けれど、それが良い、と思った。それで良かったと思った。 

ものを作るということ、それは自分との対話であり、自問自答であり、それが認識を覚醒させる。

れいとには、いまだにぎんたがとんな人物か掴めない。しかし、それで良いような気がした。これから迷うことがあれば、ミーハニアのメンバーを思い出せば、それが暗い海に聳え立つ灯台のように、指標になる。そんな気がした。




ーーーーーーー




「コラボ終わりかぁ〜」


こうして、あっさりと撮影は終了して、メリとミーハニアのコラボは終了した。

なぎとれいとは、自分たちの作った椅子といっしょに、端に避けていた。

スタッフらが機材を片付けている中、ぎんたが近づいてくる。

「おつかれ、ふたりとも。来月のコラボ、決まってるんだっけ?」

「そういえば、、、」

コラボ相手は抽選ですでに発表されている。実際にコラボできるかどうかはまた別だ。

ツインテイル、ミーハニアとのコラボを経て、残りは3組。


「その前に、中間結果発表がある。」

れいとが言うには、沖縄に行っているころがちょうどその中間結果発表の時期らしい。メリは、コラボで良い成績を出して、さらにPレーベル内の上位6位に食い込まなくてはならない。そこから更に目指すのは人気上位3位以内だ。ハードルが高い。

昨年のクリエイティブイベント、年末ライブで人気2位のツインテイル、そして3位のミーハニア、上位陣と偶然にもこうしてコラボが叶った。

なぎはじっとぎんたを見た。

幸運だった。せつなと別れ、れいととの日々を手探りで進む中で、ツインテイルと、ミーハニアとコラボした経験は羅針盤のように強い味方になってくれた。

いきあたりばったりだったことや、考えもしなかったことが、目を見開いたようにわかる感覚。過去の自分が少し愚かに感じる感覚。それでいてまだまだ、何もわからないという、感覚。

ツインテイル、ミーハニア、双方にあって、自分たちにはないものは何だろうか。コラボが終わったからといって、それまでではない。まだ、そしてこれからも、勉強はつづく。


「なぎが大変なのは聞いてるよ。」

神妙な面持ちのなぎを見てぎんたはなぎの頭に手を乗せる。体温は少し、なぎより低い。

「ひとつ、、、メリにとってはいいことかも、ってのは、ウチは今年は去年より音楽活動が減ってる。それに上位を目指したりしてないから、コラボも今後は決まってないんだ。」

「、、、!」

つまり、ミーハニアはクリエイティブイベントにさほど熱を入れていない。これはライバルがひとり減ったことを示唆する。なぎもれいとも、正々堂々ライバルを打ち破ることに意味がある!とか意気込んでいたわけではない。なので、僥倖、うれしいニュースだった。

「メリだから、コラボしたんだ。メリが無くなったら、悲しいよ。、、、ふたりとも、がんばれよ。」

「うん。ありがとう、ぎんた君」

ざわざわとめまぐるしいスタジオを横目に、3人のいるそこだけ、少し静かで、時の流れがゆっくりと感じられた。

「あと、次のコラボ、ポップコーンじゃないといいな!」

「え、ポップコーン、、、?」

ポップコーン。

いや残念ながら、まさにそのポップコーンはメリの次のコラボ相手だ。

じゃないといいとはどういうことなのか、ぽかんとしていた。

「この間襲撃されたから。」

「⁉︎」

「あはは、うそうそ。じゃれてきただけ。」

どういうことなのか。襲撃?驚くなぎに、ぎんたはじゃれていただけだと訂正を加えるが、あまりにも不穏だった。

ポップコーンは3人組にサブカルユニットだ

なぜぎんたと仲が悪いのか。どんなユニットなのか。

「こ、怖いひとたちならコラボしたくない、、、かも。そういう時ってどうするんだっけ?」

「会ってみて考えよう。」

「うーん、、、いいひとたちとコラボできますように」


なぎが祈るポーズをする。フラグにならないといいな、とれいとは思った。

「ぎんた君、お土産何がいい?」

「お土産?どこに行くの?」

「沖縄!フォトブックの撮影!」

「ああ、、、。そうなぁ、うーん、、、」

考える素振りをみせたあとに、ぎんたはいつものへらーっとした笑顔で、なぎにこう言った。


「無事に帰ってきてくれれば、それでいいよ。」




ーーーーーーー





その日ついになぎとれいとは、沖縄に降り立った。7月の最後の1週間だ。フォトブックの撮影と、それから、自由時間がある。

快晴、本土とは違うような匂いの海風。

空港のラウンジは大賑わいで、アロハシャツや開放的な服装の観光客とすれ違うと、仕事とはいえ、自分たちも旅の気分が盛り上がる。一大観光地だ。

撮影を渋っていたはずなのになぎはもう、楽しみで仕方がないといわんばかりだった。

それはもう、飛行機に乗る前、熊谷が車で迎えに行った時から楽しそうだった。

そしてついに、沖縄、那覇。相変わらず冷静なれいとと熊谷に対して、明らかにはしゃいでいるのはなぎと道明寺で、それが対照的だった。

「それではまず、ホテルに移動しましょう」

空港から、レンタカーでホテルへ移動する。

「うわ!でっかいホテル!」

「うわ、、、マジか。」

「ちなみに、なぎ君、れいと君、勝手にツインで予約しましたけど、同部屋で良かったですか?」

熊谷が問う。

れいとは問題ない。他のグループのことを考えた。多分ツインテイルは同部屋がいいと言う。ミーハニアはひとり一部屋だろう。ファーレンハイトも。なぎはどうだろう。れいとは隣を見た。

なぎはきらきらとした笑顔で、もちろん!と答えた。



ーーーーーーー


「わー!海が見えるよ!プールもある!」

部屋は14階で、ふたりでも十分に広かった。ダブルベッドぐらいの大きさのベッドがふたつ。それから窓にはテーブルとソファ。洗面室もシャワーも広い。

「けっこういい部屋だな。奮発したな、会社。」

悦子に社内で会った時に、自由時間について感謝したが、こんなに良い部屋を用意してもらえると知っていたら、もっと丁重にした。

「熊ちゃん、ひとつ上の階だって。道明寺さんたちは別のホテルだって。」

その情報は、ここに来るまでに熊谷たちが話していたことで、既知だが、黙って聞いていた。思わずれいとは頬が緩むのを感じた。なぎが楽しそうにしている。それがれいとには重要だった。

「今日は、、、えーと、、、」

「この後ホテルのレストラン。簡単な打ち合わせと食事。撮影は明日。」

「了解であります」

レストランへの集合は6時だ。熊谷が迎えに来るので何の心配もない。仮に来なくてもれいとは、なぎよりしっかりはしているという自覚と自負があった。国内有数の観光地。なぎを見ていなくてはいけない。まったく不安がないわけではない。仮にも有名人だ。

「ねぇ、夜、海行ったらだめかな。9時とか。行こうよ〜」

「熊谷に聞けよ。あいつがダメって言ったらダメだ。俺もついてくけど、、、。あんまりハメ外すなよ。」

まるで弟たちとの会話だ。しかし弟たちだったら、れいとを疎ましがる。

はーい、と気の抜けた声がする。なぎはスーツケースを部屋の端っこに移動させて、それからソファに座る。れいとに、ぐーを作ってみせた。

「じゃんけんで勝ったほうからベッド選ぼう!」

れいとはべつになぎが先に選んでもかまわなかった。しかし、乗った。れいとが勝って、窓際ではない方を選んだ。

夕食時に、日程やタイムスケジュール、それから諸注意が説明された。熊谷や道明寺、大人がいるから、特段危険なことはないが、小さい離島に船で行ってそこで撮影をするらしく、虫やカタツムリに触るな、とか、海での注意点などを熊谷が細かく伝えた。しかし、熊谷は、長い付き合いから、なぎは聞いていないなと考えていて、実質これらの注意点はれいとに向けたものであった。


ーーーーーー




「べろ痛い、、、」

「パイナップルの食べ過ぎだろ」

熊谷から、午後10時までは出歩いて良いと言われた。ただしホテルの敷地内だ。ふたりでホテルを探検しようという話になった。プールを見て、それからロビーを彷徨く。キーホルダーを買うことになった。その場で名前を掘ってくれるので、それを待つ。家族へのお土産も選ばなくてはならない。

「最後の日の自由時間、どうする?」

「あぁ、、、。あんた、どこか行きたいところあるか?」

「あのね、俺の学校、修学旅行沖縄なんだ。だから、来年また来るんだよね。」

「そうなのか?あー、、、じゃあ、有名地は避けるか。水族館とかお菓子館とか以外にしようか。」

「ううん!えっと、水族館がいいんだ。今しか見れないかもしれないのがいてね、れいと君といっしょに見たい」

「何?魚?」

「え、なんだろ。俺もわかんない」

「?」

なんとも、とんちのような会話になった。何を見たいのだろうか。

さらにそういえば、とれいとは思い出した。

何か作りたい、と言っていた話はどうなっただろうか。撮影の合間にでもまた話そうと思った。おそろいのキーホルダーが完成した。サーフボードの形のチャームとハイビスカスの形のチャームがついている。それに名前が彫ってある。なぎがれいとに、自分の名前のついている方を渡してきた。なぎが、れいとの名前の方を持っていることになる。それもありか、とれいとは思った。




ーーーーーーー




翌日いよいよ撮影本番だ。なぎ、れいと、熊谷。道明寺とアシスタント。

れいとは道明寺から預かったカメラを持ってきていた。道明寺より良い写真を撮ってやろうという気はあった。

撮影が始まるが、特にポーズを指定されたりはしない。緊張するとなぎはどうにも不自然になる。普通に遊んでいいよ、と言われ、その最中にふたりを撮ることになっている。

海での撮影だ。

小さいカニを見つけたなぎ。それから、ふたりで波打ち際で遊ぶところ。

撮影は順調だった。

そして、離島へ行く。遠泳でも行けるような距離の小島だ。管理人がボートで乗せてくれる。


「うみがめだー!」

上陸してすぐに、なぎが、うみがめを見つけた。

「ほんとだ。」

近づくが、うみがめは動かない。触ったりせずになぎはうみがめを観察した。

「かわいいね」

「そうか、、、?」

その時だった。急に空が薄暗くなる。とたんに大粒の雨がたたきつけた。

スコールだ。

まずい、とあわてて、道明寺とアシスタントが機材を庇う。亜熱帯特有の前が見えないほどの大雨だ。管理人に促されて、浜辺の小屋へ入る。


「、、、!」


熊谷が気づいた頃には、なぎとれいとの姿が無かった。

「あれ!?ふたりともどこいった!?」

「はぐれた、、、みたいですね。」

「大丈夫か?この島ハブとかいないか?」

以外にも熊谷よりも道明寺のほうがあわてていた。熊谷は大丈夫です、と言った。

「れいとくんがついていますから。」

なぎだけが見えないのならともかく、ふたりともいない。つまりふたりは一緒にいる。管理人によるとこの島は浜辺を一周しても一時間かからないそうだ。遭難することもない。登山のような心配もない。

大人たちはおとなしく、スコールが過ぎるのを待った。


ーーーーーーー


「わ〜〜〜!」

れいとは、痛い痛い、と言うなぎの手をひいて走った。雨がうちつけて、それが痛いくらいなのだ。少し森の方へ入ると、大きな木があって、なんとか雨宿りができた。

「、、、」

まずい、と思った。熊谷や道明寺の姿が見えない。そういえば、上陸時に、砂浜に小屋が見えた。たぶんそこだ。自分たちだけはぐれてしまった。

「あれ?みんなは?」

なぎも気づいたようで、きょろきょろとあたりを見回す。れいととなぎ。ふたりしかいない。雨はまだ強い。動けない。

「雨が止んだら、上陸した桟橋に行こう。そこに小屋があっただろ?そこだと思う」

「はぐれちゃった、、、」

「急に降ったからな。迷うほどの島じゃないから、大丈夫だ。」

なぎもれいともびしょ濡れだ。れいとはカメラの水滴を拭った。それからスマートフォンを出した。圏外だ。

あんなに暑かったのに風があって少し肌寒い。

なぎを見ると。髪からぽたぽたと水滴が落ちている。

カシャ、と音がした。カメラの音だ。

「えー、今?」

「今」

ふ、となぎが笑う。そんなに、深刻な状況じゃない。あんまり道明寺さんの仕事奪っちゃだめだよ、となぎが言った。それからスマートフォンで、ふたりで自撮りもした。

そのうちに、雨の音が静かになる。スコールが遅やみになった。

行こうか、と行って立ち上がる。どうせもう濡れているので、小雨の中を歩きだした。遊歩道に戻るが、小屋は見えない。

「どっちから来たっけ?」

「一周してれば会えるよ」

「算数のさ、点pみたいに、ずっと会えないかもよ?」

「はは。なんだそれ。会えるよ」

ゆっくりと浜辺を歩く。

カメラを構えてファインダーを覗くと、江ノ島に行った時のことを思い出した。

もう昔のことのようだ。たまになぎに感じる眩しい気持ちは無垢なものに対する憧れに近いように思っていた。今はそうでもないと思う。なぎは強いから。

すっかり雨は止んで、そうなると濡れた服が不快だった。そのうち乾く。

「海撮って!海!ジャケットに使う写真とろうよ。あれは?あの椰子の木とか」

なぎの提案どおりに、風景を撮った。遠くに船が見える。海はカレンダーやテレビで見るのとまるで同じ色だった。

結局れいとのフレームはなぎを追っていた。

前を歩いていたはずのなぎのねぇ、という声をが、いつの間にか真横から聞こえる。

さくさく、と砂浜を進む音。

「明日、水族館とどこ行く?」

「自由時間か?あー、、、なんだっけ?なんとか通りとか」

「管理人さんがね、さとうきびの畑に来ないかって。黒糖食べ放題!」

「砂糖の塊そんなに食ってどうするんだよ」

決まらない。それでもいいような気がした。それから、ふたりは他愛もない話をして歩いた。クリエイティブイベントのこと。れいとがたくとに習っているエレキギターのこと。たくとが相変わらずスパルタだということ。なぎもエリックの小説を読み始めたということ。ライブのこと。新曲のこと、、、。

「なにか作ろうって行ったの覚えてる?」

「ああ、、、記念の、何かだっけ」

「写真集の特典!、、、やっぱりさ、曲作りたいかも。写真集のURLからアクセスしたひとだけ聞けるとか、、、んー、CDつけちゃう?あれはどうかな、レコード、れいとくん、レコード見たことある?大きいまる」

「ああ、、、見たことはある。インテリアってイメージかもな」

ああでもない。こうでもない。どれくらい経っただろうか。そろそろ、島を一周したような気がする。

「あ!」

なぎが小走りになる。

「さっきのうみがめだー!」

れいとも近寄る。そうだろうか?同じ個体なのだろうか?よくわからない。あのスコールの中、いつまでも同じ場所にいるだろうか。

「さっきのコだよ!ここが別れたところなんだ!つまりもうすぐ、熊ちゃんたちに会えるよ!」

「え、、、」

「熊ちゃんたち、どっち?」

なぎがうみがめに話しかける。反応はない。耳をすます動きをする。

「無事だって言ってる、、、!」

「うそつけ」

なぎは勝手にうみがめの心理をアテレコする。うみがめにそんなこと、わかるはずがない。

しかし、どこからか、声がするような気がする。何度も聞いた声だ。これは、、、。

「なぎ君!」

「あ!熊ちゃーん!!」

少し遠くから、熊谷が小走りでなぎの元へ来た。熊谷の声だった。合流だ。一件落着。ひとつ遅れて、大丈夫かー!と大きい声がして、道明寺とアシスタントと管理人も続く。

「熊ちゃん!良かったー!」

「なぎ君、白樺君、怪我はありませんか?」

「ないよ!」

「大丈夫だ」

過保護な熊谷にしてはあまり取り乱していない。れいとは意外に思った。しかし、視線がかち合う。多分、信頼されているのだと思った。

「ねぇ、熊ちゃん、さっきのうみがめが、、、」

なぎが、うみがめのいた場所を振り返る。

「あれっ」

うみがめは消えていた。

「なぎ君?」

「、、、」

何だったのだろうか。不思議な出来事だった。そのまま、撮影できる範囲で撮影をして、それからホテルに戻った。

その後も撮影は順調に進んで、いよいよ、なぎの楽しみにしていた自由時間になった。


ーーーーーー


「わぁ〜!」


水族館。送ってもらってきたはいいが駐車場から入り口まであまりにも遠い。そういえば八景島の水族館もそんな感じだったと、れいとは思い出した。小さい頃に弟ふたりと行った。今となりにいるのは、相棒。

午前中は、昨日の島の管理人のさとうきび畑で遊ばせてもらって、黒糖ができる様子を見た。なぎは黒糖を平気でかじっていたが、れいとには甘すぎた。昼食を終えて、ここへ来た。

海の生き物を模したモニュメントや、整えられた木々を見送って、色素の薄い髪が海風にふわふわとなびいている。青の水平線とのコントラストを感じる。けれど、なぎに似合う海は、こういう感じではないな、とも思った。

なんとなく、真昼間よりも、少し夕方の、翳りと憂いを感じるような空が、なぎには似合う。

券売機でチケットを買う。

なぎの見たいものとは、何だろう。

「ジンベイザメ見たことある?」

「ない。でかいってのは知ってる」

順路に沿って、すすむことにした。なぎのお目当てに会えるのはかなり後とのことだった。

なぎとは、手を引かれまではしないものの、もう少しでも手が触れるくらいの距離だった。

館内は少し薄暗くて、けれど水槽はライトアップされていて、幻想的な演出だ。人気のある生き物のいるコーナーは特に人で溢れていた。

タッチプールは見るだけにした。ヒトデや貝やナマコがいた。ハンカチを持ってきていなかったし、子供がたくさんいた。次に、珊瑚の周辺にすむ生き物のコーナーに向かう。大きな水槽に色とりどりの生き物がいた。なぎがわぁ、と感想をこぼす。れいとは、きのこのような珊瑚や、枝のような珊瑚を見ていたが、なぎは魚の方に興味があるようだった。イロブダイ、ナンヨウブダイ、ウメイロモドキ、ヨスジフエダイ、、、。なぎが、展示パネルに乗っている名前を唱える。どれがどれかを探していた。合っているかどうか、わからない。進むと今度は、小さめの水槽に個別に生き物が展示してあって、それはわかりやすかった。

「これきれい!」

「ああ、そうだな、、、?」

「あー!かわいい!」

次いでなぎが何かのキャラクターの名前を言った。聞いたことがある。水槽にはニシキアナゴ、チンアナゴ、クマノミ、、、誰もが知ってる海のアイドルたちが戯れていた。

小さくて、ひらひらとした魚を見ると、なんとなくなぎに似ているように感じたが、言わなかった。

それからタコやタツノオトシゴやウナギのいるコーナーへ行った。その次が、サメの展示のコーナーで、賑わっていた。

骨格の標本なども展示してあって、なぎの写真を撮ったら、親切な老夫婦が、ふたり並んでの写真を撮ってくれた。

メインの巨大水槽。ギネスに乗っている世界一のアクリルパネルらしい、、、を見て、また写真を撮ったりもした。

ジンベイザメ、カツオ、ロウニンアジ。巨大な水槽を前にすると、ついれいとも、俗っぽい空想に手を出してしまう。この水槽が割れたら、どうなるんだろう。大量の水が流れ込んできて、、、。

そうなったら、なぎのいっしょに死ぬしかない。そうなったら、なぎの腕を掴んでできるだけ離れないようにして死のう、と考えた。

「この水ぜんぶでどのくらいあるんだろ」

「!」

心を読まれたかと思って、少し驚く。

どうしたの、というなぎから目を逸らす仕草は、少し不自然だったかもしれない。

そしてまた、いくつかの小さめの水槽並んでいるコーナーにきた。今までのコーナーより特に暗くなっていて、素通りする人もいた。わかりやすく人気者がいるわけではないので、人もまばらだ。

「これだ!」

なぎが小走りで、とある水槽に向かった。れいともついていく。ついに、と思った。水槽の前でなぎがかがむ。真上のパネルにはナノハナスズメダイ、ツルグエ、ホクロキンチャクフグ、と書かれている。

見ると、深海魚だと説明がある。水槽にはいくつかの魚が見える。しかしなぎは、水槽の下の方を見ている。一体どれが、なぎのお目当てだったのだろう。

「れいと君、これ知ってる?カイロウドウケツっていうんだよ」

「、、、?どれだ、、、?」

なぎが砂を指差す。聞いたことのない名前だった。仄暗い海水を観察する。

「これ。この白いの」

「なんだこれ、、、」

それは、白い、網目状の筒のようなもので、それが一体何なのかわからない。生き物なのか。それに、パネルには名前がない。

「生き物か?」

「うん!中にね、エビが入ってるよ!」

「ほんとだ。動いてる」

、、、地味だ。非常に、地味だった。男子高校生が興味を示すものには見えなかった。すると、なぎはれいとの手を取って、手のひらに、自分の指で漢字をなぞって書いた。

偕老同穴、だ。

「なんかね、このエビはね、ずっとふたりでこの中で過ごすんだって。それで、カイロウドウケツは、一緒に生きて、一緒にお年寄りになって死んで、同じとこで眠る、、、っていう意味がこめられてて、夫婦円満の縁起物なんだって」

「へぇ、、、」

なるほど、なぎがふたりで見たいと言い出すわけだ、と思った。

「れいと君とずっといっしょにいられますように!」

「願掛け聞いてくれるのか?こいつら」

ふ、とれいとが笑う。カイロウドウケツの写真を撮った。れいとはぽつりとつぶやいた。

「見れて良かった。」

「うん!」

それからまたふたりで順路を進んで、最後にお土産コーナーに行った。初日のホテルのロビーでおそろいのお土産を買ったがまた、お揃いのものを買った。なぎはぬいぐるみも買っていた。

こうして、自由行動は終わった。水族館での目的も果たした。また、最初の出入り口。だいぶ日が傾いていた。海はオレンジ色で、太陽を吸い込みそうで、それを見て、いつも、なぎとふたりで歩く河川敷を思い出した。なぎに夕日が似合うと思っているのは自分だけかもしれない。今だけかもしれない。これから、長くいればきっと変わる。それでも、、、。


「ねぇねぇ、うみがめのキーホルダーとかどう?」

「え?何が?」

「フォトブックの特典!昨日のあのコ!」

「あぁ。あいつ、どこいったんだろうな。」

「あ、別館があるよ。海亀館だって!行こうよ」

別館に行って、なぎが、昨日のかめだ!と騒いでいたがそんなわけない、とれいとが目をあわせたうみがめが、なんとなく昨日離島で会ったうみがめの面影を宿していたのはまた別の話、、、。




ーーーーーー




「、、、、、、」




まさに顔面蒼白。

なぎの頬から血色がさっと無くなっていくのが、誰の目にもわかる有様だった。

明日から8月だ。なぎは熊谷と、いつものカフェに来ていた。クリエイティブイベントの中間結果発表を聞くためだ。野外は猛暑日で、なぎの頼んだアイスティは2杯目だった。

先日の沖縄での撮影と、その後のフォトブックの進捗などを話して、本題だ。

熊谷はタブレットを取り出して、資料を見せて、懇切丁寧に、なぎに結果を伝えたのだった。


「け、、、圏外?」

「はい。厳しい表現になりますが、6位はおろか、10位にも入ってません。」

クリエイティブイベントに関して、なぎは手応えを感じていた。なぜなら、先々月、先月とコラボしたのは、昨年の年末ライブでそれぞれレーベル内人気2位と3位に輝いたグループだ。ツインテイル、ミーハニアとのコラボはメディアにも取り上げられて、確かに自分たちにとって非常に有意義なイベントになったと思っていたのだ。

なぎの表情は固い。それは、現実に打ちのめされている人間の顔そのものだった。カラン、とアイスティの氷が音を立てた。

努力が実を結ばないことなどよくある、いや、むしろ9割がそうだ。そんなものだ。世の中は運だ。しかし、なぎはまだ若く、浅く、経験不足で、世の中に擦れていなくて、対面するあらゆるものごとに誠実に心を動かしていた。結果に動揺し、ショックを受けて、悲しくなって、残念に思って、心のすべてがネガティブな感情に占拠される。

どうして、だめだったのだろう。自分たちの感じていた手応えは、メリの実力ではなくて、ツインテイル、ミーハニアの名声と実績にただ乗りしただけのものだったのかもしれない。

いや、れいとは違う。彼は実力がある。力が及んでいないとすればその大部分は自分のせいだ。れいとに何と言おう。何と伝えるべきか、、、。

なぎに、熊谷が声をかける。

「なぎ君、そんな顔をしないで。いつもみたいに、笑ってください。大丈夫です。ね。」

「、、、」

当然、とてもじゃないが、笑う気分ではなかった。いつもの楽天的な所も消え失せている。


「良いニュースもありますから、聞いてくださいね。クリエイティブイベント後半のスケジュールが決定しました。」

「!」

「11月までにあと3ユニットとコラボします。前半はひと月にひと組とコラボするというハードなスケジュールでしたが、後半は8月から11月までに3組です。また、その間にメリの単独ライブなどもありますから、今伝えた結果に気を取られずに、ひとつひとつ確実にやるべなきことをやっていきましょう」

「う、うん、、、」

なぎの表情はいく分かましになった。そう、まだまだこれからだ。挽回しなくてはならない。なぎは自分のスマホを見た。待ち受けは、先日沖縄に行った時に水族館で撮った、れいととのツーショットだった。それから、カイロウドウケツ。れいとの顔を思い出す。すると、不思議と、ネガティブな感情は和らいで消えてゆく。それだけではない。

「なぎ君」

熊谷がなぎを見つめる。

「この結果を受けて、今までの努力全部を否定されたかよような気分になっていると思いますけど、、、」

図星だ。どきっとする。熊谷にとってはなぎの心理を見抜くことは容易い。

「私にとってはなぎ君が世界で1番です。それに、メリの力になってくれたツインテイルやミーハニアの皆さんのためにも、前を向いて進みましょう。ね、大丈夫です。いつか必ず、結果が出ますから。ずっとそばにいますから。」

「熊ちゃん、、、」

力強い言葉だった。

クリエイティブイベントではユニットの、アーティストそれぞれの自主性を重んじるために、マネージャーはあまり前に出ない。しかし、まだまだ経験不足で未成年でもあるなぎとれいとのふたりがメリとして活動することができているのは、確実にこの、熊谷のあの力ありきだった。送迎やマネジメントといった業務上のことのみならず、特になぎにとっては良き理解者で、精神的な支えでもある。

熊谷の言葉はすっと、なぎの心に染み渡った。

なぎはぐっと、姿勢を正した。

「うん、、、!そうだね。熊ちゃん。俺たちに力を貸してくれた皆をがっかりさせちゃだめだよね。俺、がんばるよ。ありがとう、、、!」

熊谷がにこりと微笑む。


「それでは、クリエイティブイベント後半のコラボユニットを改めて確認しましょう。まず、ポップコーンです。」

「!」

ポップコーン。先日、ぎんたから聞いた名前だった。ぎんたは要注意と言っていた。そのため、ポップコーンのメンバーも、活動内容も知らないくせに、なぎはなんとなく苦手意識を持っていた。

「ポップコーンは昨年結成した3人組のユニットです。ですがメンバーふたりはそれぞれユニットを組む前から個人で活動をしていて、若年層を中心に絶大な指示を得ています。そこに3人目が加わってユニットとしての活動を始めたようです」

「どんなユニットなの?」

「一言で言うとサブカルチャー系ユニットです。リリースする歌やライブの演出もそうですが、所謂、オタクっぽいというか、、、。若者が好きそうな感じです。実際、リーダーの青木君は人気声優でもありますし、赤井君は本業はゲーム実況だそうです。黄瀬君は歌い手、というらしいです。個人の活動として企業案件があったりと、もしかしたら今Pレーベル内では1番多忙と言っても過言ではないかもしれません」

「へー、、、」

サブカルチャー系。なぎは正直なところ、アニメや漫画に興味が薄い。数年前に流行って、映画が300億の興行収入を突破した国民的アニメですら、見ていない。妹たちの話でなんとなく知っているくらいだ。今話題のアニメや漫画も、名前くらいは聞いたことがあるがわからない、というものがほとんどだ。

オタク、という単語と、ぎんたが言った凶暴な一面がいまいち結びつかない。

「なぎ君、ユニットとコラボするかしないかは、なぎ君と白樺君で相談して決めていいので、、、無理なようでしたら、遠慮せずに言って下さいね。スケジュールだとか、先方に悪い印象を与えないように断りますから」

熊谷の発言は意味深だった。それは、ポップコーンのことなのか。それとも、次のユニットのことなのか。

「次が、、、次が、サンライズ、です。」

「あつしさん、、、!」

「少々、問題ありかもしれませんね。彼らはよく炎上していますから。」

サンライズ。なぎはリーダーの不破あつしとは挨拶の延長線上程度の、社交辞令的な会話や日常会話程度をしたことがあった。まだせつながいた頃の話だ。それと、サンライズに関しては、多少メディアをチェックしていれば嫌でも話題が目に入る、お騒がせユニットでもある。

「問題?サンライズって、、、えーと、4人組だっけ?あつしさん以外あまり知らなくて、、、」

「はい。サンライズは4人のバンドです。問題は、それぞれが、社会問題や政治的主張をはっきりと掲げている点です。」

「しゃ、しゃかいもんだい?」

「リーダーの不破君は動物愛護に熱心で、過激な発言やパフォーマンスで度々炎上しています。話してみると、本人は落ち着いて見えるですけどね。松岡君は、、、不思議な所があります。陰謀論の支持者らしいです。竹見君は環境保護に熱心で、五十嵐君は日本の古い家父長制に反対しているそうです。それぞれ音楽活動は自信の主張のプロパガンダのためだと割り切っているようです。熱狂的な支持者がいる分、アンチも多くいるので、コラボするとしても、無難な落とし所を見つけたいですね。」

「あつしさん、そんな感じなんだ、、、」

熊谷の言う通り、なぎは、あつしと話をした印象では、炎上、のイメージとは遠いと感じていた。なぎは、あつしを、落ち着いた大人で、余裕があってかっこいい、と思っていた。バイクに乗っていた。それから容姿も良くて背も高く、何よりあつしの声が好き(余談、PPC Pレーベルイケメンアーティストランキングという非公式ファン投票一位がこの男である。熊谷が現役の頃は、熊谷だった。)で、なぎは個人的にサンライズのCDをいくつか持っている。あつしは、まだ音楽活動を始めたばかりの頃のなぎに、がんばれ、と声をかけてくれたのだ。なので、政治だとかプロパガンダだとか言われても、悪い印象と結びつかない。

「それと、、、」

「それと?」

「不破君は、ひゅうがと犬猿の仲です」

「、、、」

ひゅうが君と、仲悪いんだ。

聞いたこと、あるかも。

なぎはなんとも微妙な、気まずい気分になった。アイスティを口にして、その場をやり過ごす。

しかし、納得だった。高度なパフォーマンスでエンタテインメントの頂点に君臨するファーレンハイトと、音楽活動はプロパガンダと割り切るサンライズとでは、方向性が真逆だ。あつしは、自分がひゅうがと仲が良いと知ったら、嫌な気持ちになるだろうか?なぎは少々、不安を感じたが。話題を変えようとなぎは話を振った。

「最後にコラボするユニットは?」

「最後は、、、説明不要ですよね。」

「けど、一応!」


「最後にコラボするユニットは、ファーレンハイトです」


ひゅうがの顔が浮かぶ。それから、るき。ファーレンハイトと、コラボするなんて、、、。

ぐ、と背筋が伸びる。

「ね、それ、ひゅうが君もう知ってる?」

「告知されているかと」

「コラボって、ランダムで抽選なんだよね!?」

「ええ。凄い偶然ですね。良かったですね、なぎ君。ひゅうがはメリとのコラボは断らないでしょう。勉強させてもらいましょう。」

「うん!うん、、、!」

なぎは嬉しそうにしていた。先ほどまで、中間結果発表に打ちひしがれていたようにはもう見えない。

明るいなぎの表情を見て、熊谷はほっとした気持ちになった。ふたりのことは良く知っている。なぎとひゅうが。ひゅうがが、なぜなぎに過保護に尽くすのかも。せつなのことを思い出す。なぎには申し訳ないことをした。ひゅうががいてくれて良かった。これからたとえ何があっても、ひゅうがは、後生、なぎの味方だ。それから、悦子との「契約」を守る。愚直で健気な男。ひゅうがは信用に足る人物だ。

「楽しみですね、なぎ君。白樺君には、私の方から伝えましょうか」

「ううん!俺が言うよ!最初中間結果を聞いた時はほんと、この世の終わりかと思うくらいだったけど、、、やっぱり、ファーレンハイトとコラボできるなんて、すごく嬉しい!改めて聞いて、すごくやる気出た!俺がんばるよ!」

なぎは笑顔で、顔の前で拳を作ってみせた。ファーレンハイトとの、コラボ。ひゅうがと、歌えるかもしれない。

「なぎ君、白樺君ともよく話し合ってくださいね。白樺君はファーレンハイトに入るはずだった。それを蹴ってメリにいます。彼としては気まずいコラボかもしれないでしょう?」

「あ!そっか、、、そうだよね、、、」

「ポップコーン、サンライズとのコラボもどうするか、よくふたりで話し合ってください。変更があれば連絡を下さいね。」

れいとの気持ち。

なぎは当然、ひゅうがと懇意なので、コラボは純粋にうれしかった。ツインテイル、ミーハニアとの件もそうだ。しかし、ファーレンハイトはどうだろう。


夕方ごろには帰宅して、なぎは、れいとに中間結果発表について伝えた。

自分がファーレンハイトとのコラボを楽しみにしていることは、伏せた。れいとに気を遣わせるかと考えたからだ。れいとが自分の考えを曲げて、なぎの気持ちを優先する、、、そんなことを危惧した。なので事務的に必要事項を伝えて、れいとからの返信を待った。夕食のあと妹たちとリビングで過ごしている頃に、れいとから、着信があった。


「!」


メッセージが返ってくると思っていたのでなぎら驚いたが、すぐに電話に出た。

「も、もしもし!」

「なぎ?今大丈夫か?」

「ちょ、ちょっと待って!部屋行く」

なぎは妹たちに断って自分の部屋は向かった。冷房が効いていたリビングと違って、暑い。

「もう大丈夫!あの、、、」

「中間結果、、、」

「あ、あー、、、ん、、、」

「悔しいよな。後輩頑張ろうな。俺ももっと、、、努力する。あんたの力になるようにする」

「れいと君、、、」

中間結果を受けて、ショックを受けて固まっていたなぎとは違う反応だった。いつも冷静な、れいとらしい。こういう時、れいとを頼りに感じる。

「やれること、やっていこう。」

「うん、、、!」

窓を開ける。夜風が入ってきて、少しは室温がマシになったように感じる。

「あとは、コラボ相手の件だけど」

「あ、うん。」

「俺は、全部OKで」

「え!?そう!?」

「あんたは?」

意外にも、れいとからは、ポップコーン、サンライズ、ファーレンハイト、どのユニットともコラボokの返事が返ってきた。

なぎは自分の気持ちを伝えた。

「俺は、、、俺も、全部大丈夫。むしろ、ファーレンハイトとコラボするの楽しみなぐらいで、、、れいと君、いいの?」

「ん?」

「ファーレンハイトとコラボするの、気まずくない?い、いろいろあったよね。や、俺のせいだけど、、、」

「別に。るきの反応楽しみなくらい」

「そっか。良かった、、、」

れいとは、自分とは違う。冷静で、前向きで、しっかりしている。

「じゃあ、熊ちゃんに連絡しておく!今までの、ツインテイルとミーハニアと違って、ポップコーンはひとりも知ってるひと、いないんだ。だから今までとは勝手が違うかも。けど、頑張ろうね!」

「もちろん。」


通話を終了する。

昼間、熊谷から、中間結果を聞いた時、あんなに絶望していたのが、嘘のようだ。れいとの声ひとつで、ここまで違う。ひとりより、ふたり。それを実感する。

ポップコーンとのコラボがどのように運ぶか想像もつかない。ツインテイル、ミーハニアとのコラボは運が良かっただけだ。それぞれのユニットのリーダーとは親友だったし、コラボの内容もお膳立てをしてもらっていたようなものだ。ここからは自分たちで自立して、考えなくてはならない。状況を挽回しなくてはならない。運命を、打破しなくてはならない。

熱帯夜。なぎはリビングに戻らずに、しばらくひとりで部屋にいた。



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