第三章 ツインテイル

第三章 ツインテイル



「それでは……メリのおふたり、俺たちが、写真集の担当のスタッフだ、よろしく!」


 五月末、PPCになぎとれいとは呼ばれていた。

 例の写真集の件だ。


 スタッフとの顔合わせの他、出版社の編集担当や、PPC側の人間も居合わせる。もちろん熊谷もいた。

 なぎは大人数での打ち合わせに緊張しているのか椅子の上でこじんまりとしていた。れいともそれに気がついたが、なぎよりは堂々としていた。

 長机に各々が着席する。資料や写真なそが広げられていく。


「カメラマンの道明寺だ。よろしくな! 今回の写真集の発案者! 俺が仕切るから、なんでも聞いてくれよ」

「よろしくお願いします……」


 正直なところ、なぎは、写真集に乗り気じゃない。そもそもにして写真を撮られるのが苦手だ。自分のデビューの経緯と、アーティストととしてそれはどうなのかという話だが、苦手なものは苦手だった。

 出版社の編集だという人が、こんな感じのものを作りたい、と本をだしてきた。それは今は二十代後半の女優が十代後半の頃に出した写真集で、どちらかといえばフォトブックの位置付けのものだった。写真は小さめだったり、大きめだったりするが、水着などはなく、私服のおしゃれな写真のほかに、その女優のオフショットや、ロングインタビューが載っていたりして、B6サイズで一三〇pほど、価格は一一〇〇円(税抜き)だ。

 なぎが想像していた写真集とは違っていた。(なぎは三千円前後で、サイズも大型の本で、写真ももっと一ページをまるごと使った大きい写真が乗ったような、本格的なものを想像していた)


「思ってたのと違うかも……」

 れいとも同意した。そもそもふたりとも、誰かの写真集を買ったことがなかった。

「そうだろ? 緊張しないでさ、楽しく作ろうよ! ファンにふたりのことを教えてあげよう。こっちが用意した衣装とかじゃなくて、私服使ってさ、自然体でリラックスした写真撮ってさ。君たちを身近に感じてもらうんだよ」

 少しなぎの表情が明るくなった。これならできるかも、と思ったようだ。

「ほかに、こんなことを載せて欲しいとか、君たち自身が撮った写真を載せたいとか、アイデアがあれば何でも俺に話してくれよな」

 道明寺は若く、一見すると軽薄そうに見えたが、気さくで、話しやすそうでもあった。

 なぎたちにも明るく話かける。

「なぎ君、白樺君、どうですか? できそうでしょうか」

 熊谷が問う。

「うん、これなら……。大丈夫かも」

「俺も、なぎと同じ意見だ」

「わかりました。後ほど、契約書を書きましょう」

「よーし、じゃあ、スケジュール感を発表するな」

 なぎ、れいと双方の同意を受けて、道明寺がはりきる。

 道明寺にも、メリの存続の条件や本の売り上げがいかに重要かは伝わっている。それでも、深刻になるよりもピンチを楽しもう、というスタンスのようだ。

「まず、六月から、君たちの仕事の合間なんかに俺がたまに現れて写真を撮る! 十一月までだ。出版は十二月初旬の予定。できればロケもしたいんだよなー。どっか行きたいとこある? 学生だもんな。夏休みは開くかい? 沖縄か、海外がいいんだけど。海で撮ろう!」

「海外⁉︎」

「じゃ、沖縄で。飛行機が嫌なら江ノ島でどうだ!」

 なぎの反応が芳しくなかったので、道明寺は海外は取り下げた。なぎに、緊張して欲しくないのだ。なぎの性格が、決して活発で外交的ではないと見抜いた。

「う……うーん……」

「そんなに緊張するなリーダー! な!」

「タイトルは決まっているんですか?」

 れいとが話題を変える。道明寺がすぐに反応した。

「タイトルは……んー……君は何歳だっけ? 年齢入れたいなー……」

「却下で」

 熊谷がすかさずNGを出した。

「え……」

「メリにはいろいろとブランドイメージを守るためのルールがありますので、ご理解を。」

 熊谷的に、タイトルに年齢をいれるのはNGらしい。他にはじめての、や、いっぱい、などのワードが却下された。熊谷はかなり細かく指定をしていた。なぎとれいとは、黙って聞いていた。

「メリのマネージャーさん、手強いって聞いていたけど、本当だねぇ。こりゃ波々伯部さんも大変だ。わかったわかった。タイトル、君らが決めていいよ」

 こうして、初のフォトブックのタイトルはふたりで決めることになった。道明寺は熊谷に、熊谷も少しだけ撮りたいと交渉していたがこれはどうなるかはわからない。

「ど、どうしよっか……」

「フォトブックだし、あまり仰々しいタイトルはやめよう」

 ふたりが話ていると、カシャ、と音が鳴った。道明寺のカメラだ。

「いいね、ふたりとも。そうそう、俺のこと、いないと思って無視していいから! 自然体で頼むよ!」

 こうして、他にもロングインタビューの内容や、ふたりのプロフィールをどこまで載せるか、他のコーナーのアイデア出しなどを経て、最初の打ち合わせは終わった。結局写真以外のことも、熊谷がかなり細かく、あれはだめだとかこれだといいとか、進言をしていた。

そして最後に道明寺が、れいとにバッグを渡した。

「?」

「カメラだよ。一眼レフ。初心者向け。ガイドもついてて、アプリでスマホと連動するんだ。これを君に預ける!」

「はぁ……何を撮れば……」

「君にしか撮れないもの」

「……?」

「十一月まで貸すからさ。SDカードも容量のデカいやつだから、好きに使ってくれ。頼んだぜ、れいと君」

 そう言って、道明寺は去っていった。出版社の編集者も帰り、なぎとれいとと熊谷だけになった。すると、熊谷のスマホが鳴った。熊谷はふたりを残して会議室の外へ出た。

 なぎがまじまじとカメラを見つめる。


「わぁ、スマホのじゃないカメラだ。いいな! すごいね。重そう! 重い?」

「いや……でも、なるほどな。俺にしか撮れないもの、か」

「何を撮るの?」

「秘密」


 れいとは笑った。

 最初は身構えて緊張していたなぎも、もう笑っている。

 メリのことこれからのこと、どんな困難があっても笑い飛ばせして乗り越えていきたい。それを記録するというのだから、堂々としてればいいのだ。

 なるようにしかならないが、足掻く。

 ひとりじゃない、それだけでこんなにも心強い。

 ガチャリと会議室のドアが開き熊谷が部屋へ戻ってきた。通話は終わったようだった。


「ふたりとも、引き続き話があります。今年のクリエイティブイベントについて、詳細がたった今決まりました。」

「!」



——————



 熊谷のタブレットには、社内機密の、これからのクリエイティブイベントについての詳しい内容が記載された資料が送られてきていた。熊谷らのマネージャー陣は後日改めて会議があるらしい。アーティストたちにも開示される資料を画面に表示する。

なぎとれいとも資料に見入る。

まずは、毎月のクリエイティブイベントで、コラボレーションする相手だ。これは完全な抽選だった。


「六月、ツインテイルだ!」

 なぎの声がひびく。驚きと、それよりも喜びが混ざっていた。

 ツインテイルはななみのユニットで、なぎはななみと同期であり、親友だ。

「ツインテイルは昨年のPレーベル内の人気TOP3に入った実力があります。コラボできるのは、メリにとっても勉強になるでしょう」

「七月がミーハニアだぞ」

「え! 本当に⁉︎」

 七月はミーハニアとのコラボが決まった。ミーハニアは、こちらもまたなぎの同期で親友のぎんたのユニットだ。

「すごい! ふたりとコラボできるなんて、楽しみ!」

 なぎははしゃいでいた。幸運だ。

 しかし後半は両者とも知らないユニットだった。

「九月が……ポップコーン……知らないひとたちだなぁ……」

「三人組のサブカル系ユニット……らしい」

 れいとが答える。れいとはオーデションで一通りPレーベル内の人気ユニットについての勉強会があったと説明した。

「はい、三人とも声優や歌い手、ゲーム配信者として活躍しています。その一方で三人でユニットを組んでいます。楽曲の売り上げより、個人の活動のほうがメインと言ってもいいぐらいの方たちですね」

「う、歌い手? ……そ、そうなんだ」

 なぎはあまりそいったものに詳しくない。熊谷の補足にも、あまりピンときていない様子だ。

「……次はあまり好ましくないユニットとのコラボになりますね」

 熊谷の表情が険しくなる。

「サンライズか……」

 サンライズは四人のユニットだが、全員が過激な思想派としての一面を持つ。動物愛護や環境保護を訴えて、それを楽曲のテーマにしてパフォーマンスをするので、しばしば炎上もしている。また、リーダーの不破あつしは、ファーレンハイトのひゅうがとは犬猿の仲だ。

「だ、大丈夫なのか?」

 れいとが不安そうに、熊谷のタブレットを覗き込む。意外にもなぎの方があっけらかんとしていた。

「あつしさん、いいひとだよ?」

「……なぎが言うなら」

 曰く、サンライズのリーダーのあつしは、イケメンで、声もかっこよくて歌もうまくて、会った時は気さくに話をしてくれるそうだ。いささか熊谷や世間の共通の情報と齟齬があり、何が真実なのかはっきりしない。

 三人ともどうしたものか、といった雰囲気だったがしかし、十一月のコラボ相手を見て、状況は一変する。


「ファーレンハイト……‼︎」



 十一月、年末ライブを前にした最後のコラボ相手が、ファーレンハイトだった。

「これは、良いのか悪いのか……」

「そうですね……。ファーレンハイトとコラボするまでに、どれくらいメリが実力を伸ばせるかがカギかと思います。昨年度もファーレンハイトを前にして霞んでしまうようなユニットは、上位には残ることはできませんでした……」

 このクリエイティブイベントでの他ユニットとのコラボはメリにとっては前哨戦だ。目的は上位六位に入りライブに出ること。最終結果発表で、人気ユニットの上位三位に食い込むことだ。実現しなければ、メリはなくなる。

「もうひとつ、今年は昨年とは違った試みをするようなのですが……」

 熊谷が資料をスクロールする。そこには、年末のライブで、ファンによる人気投票が行われるとあった。昨年まではクリエイティブイベント、および年末のライブは、社内の独自の集計方法で人気が決まっていた。

 今年はファンからの人気投票も含めて、社内での独自の方法で人気ユニットのランキングを出すとある。つまり、ファンの声が如実にランキングに反映されるかもしれない。

「なるほどな……」

「人気投票、かぁ……」

 ふたりとも神妙な顔つきだ。

「メリはもともとファン重視の活動をしてきたので、この点有利かもしれませんね。これからも誠実に、堅実に音楽活動を続けて行きましょう。まずは来月からのクリエイティブイベントです」

「うん! れいと君、熊ちゃん、がんばろうね!」


 メリの直近の目標は、クリエイティブイベントで好成績を残すことだ。クリエイティブイベントの成績に関しては、社内の独自の計算で行われる。これも、中間発表があるが、それまではわからない。

 そして人気ユニット六位以内に入れれば、年末のライブへの出場権が得られる。そこからさらに三位以内に入ること……。

 あまりにもハードルは高くて、遠い道のりだった。しかし、やる、以外の選択肢はない。


「なぎ」

「え?」


 カシャ、と音がした。

 れいとが、道明寺から預かったカメラだった。振り向きざまのなぎを不意打ちの形で撮った。


「え! わー! 待って待って! 俺変な顔してない⁉︎」


 れいとのカメラの液晶を、熊谷も覗き込む。

 ふたりはくすりと笑う。

「なんで笑うの⁉︎」

 ひとりでわたわたとしているなぎを前に、写真のなぎは、これからのメリの活動にワクワクしている、明るく元気な表情だ。

 誰が見てもわかる、なぎの良い一面を切り取ったかのような一枚。これは、プロのカメラマンにはきっと撮れない。道明寺がカメラを渡してきた意味がわかった。

 れいとは、これをフォトブックに載せてもらうよう頼もう、と考えた……。




——————




 六月はじめ。まだ春を引きずり肌寒い日と、既に夏の気配を感じる暑い日と、その間に確かに梅雨を感じる雨の混ざる複雑な季節の変わり目だった。

 今日は晴天で、新鮮な新緑で満たされた木々は青々として、高い空からは瑞々しい太陽光がふりそそぐ。まぶしいくらいに爽やかで、清々しい天気だった。

 さて、メリのふたり、凪屋なぎと白樺れいとは、五月を非常に忙しく過ごした。せつなの脱退からのれいとの加入、それに関する手続き多々、プレスリリース、取材、シングルのレコーディング、フォトブックの件……。

 ひとつひとつを堅実に、誠実にこなしていった。

 また、六月半ばに、新生メリとしてのふたりでの初ライブがある。そんなに大きくない会場でのミニライブだが、れいとにとっては初めてのライブだ。まだ加入一ヶ月。しかし、レッスンは済んでいるし、何よりれいとには人前に出てパフォーマンスをするだけの実力、下地がもうできていた。これに関してもふたりはボイトレを初めていたり会場の下見やリハがあったりと忙しくしていた。もともと、せつなとなぎがライブをする予定で抑えてあった会場だったが、セットリストを変えたりする必要があった。マネージャーの熊谷や会社と、何度もああでもないこうでもないと会議を重ね、またその間にも学業にも取り組み(PPCは学生のアーティストは学業優先で、成績が下がると最悪活動停止になる)忙しなくもそれは非常に充実した日々だった。

 そして月初め。

 これからいよいよクリエイティブイベントだ。幸いなことに、最初のコラボ相手は、なぎの同期にして親友の音村ななみのユニットだ。ふたりはさっそく、ツインテイル側と打ち合わせができるように、熊谷に調整を頼んだ。


「なぎは、クリエイティブイベントは過去にやったことがあるんだよな?」

 ふたりともいつも通りの放課後。いつも通りの社用車のバンで、熊谷がふたりを送迎していた。車の窓からの日差しは腕を焼くようにもう暑いのにそれなりに快適なのは冷房おかげだ。目的地はPPC本社。れいとがなぎに聞く。

「えーとね、去年だけ。ひとつだけ。しかも簡単にコラボしただけ」

 ふたりは後部座席に並んで座っている。ふたりとももう夏服だ。ここで改めて、ボーカルデュオ「メリ」のふたりを紹介する。身長の高い黒髪の少年の方がが、白樺れいと。十四歳にして五万人のオーディションから選ばれた新人アーティストだ。真面目そうな印象どおり、冷静で年よりも落ち着いているが、三兄弟の長男らしい乱暴な面もあったりする。彼のメリ加入までのセンセーショナルないきさつは、説明不用だろう。

 そして、その隣の少年が凪屋なぎ。十六歳。れいとよりも小さいが年上で、アーティストとしても先輩だ。この物語の主人公である。こちらも、説明不用、ふわりとしたぬるい海風のような、人畜無害そうな見た目に騙されてはいけない。頑固で、侃々諤々めいた性格がある。

 そしてここで、なぎかられいとへ今までのメリとしての活動の略歴が説明された。まず、三年前に、せつながなぎを誘って、メリが結成された。この時のなぎは、芸能界などとは無縁のただの十三歳だったらしい。そのため、一年間は、なぎを気遣って、ゆったりとしたスケジュールで活動していたらしい。ライブやファンとの交流はなく、CDをリリースすることが中心。インタビューなどの音楽活動意外の仕事は控えめだった。二年目になってようやく、ライブやCMタイアップなどが解禁された。三年目、つまり昨年、ようやく、クリエイティブイベントにも参加した。しかし、スケジュール調整が難航したことと、せつながクリエイティブイベント自体そのものに興味がなく、また、年末のライブに出る気がなかったことから、イベントはあくまで参加程度に止まり、コラボしたユニットもひとつだけで終わったそうだ。なので、なぎもクリエイティブイベントへの本格参戦は初と言っても過言ではない。

 運転をしていた熊谷が、ミラー越しにふたりに話しかける。

「イベントに関しては、ツインテイルのお二人の方が詳しいでしょう。昨年の年末ライブの結果、ツインテイルはPレーベルの人気ユニット第二位に輝きました。ファーレンハイトの次、ということです。音村くん、歌川くん共に、公私共に真面目で問題なども聞きません。メリを敵視したりもしないでしょうし、勉強させてもらうといいかと思います」

 この熊谷のあ、彼がメリのマネージャーである。赤信号で止まる。車外を歩く通行人が熊谷を見て、かっこいいと言った。当然車内には聞こえはしない。容姿端麗で、彼も元アーティストで、仕事もできる、メリのふたりにとっては頼れる大人だ。

「ななみ君とね、俺、同期なの。もうひとり同期のぎんた君とね、三人でよく一緒に出かけたりしてるんだ。ななみ君もたくと君も、音楽学校に行ってるんだよ」

「へぇ……」

 なぎがれいとに、にこにこと説明を重ねる。

 こういった内情に関しては、PPC歴一ヶ月のれいとよりやはり、なぎは確実に先輩だ。

「年末までにPレーベル人気三位以内に入らないといけないっていうすごく大変なことを成し遂げなきゃならないんだけど、俺ね、楽しみなんだ」

そして、れいとをしっかり見据えて、さらににこりと笑う。

「これかられいと君とたくさん歌ったり、曲を作ったりできると思うと、ワクワクするんだ!」

 れいとは、道明寺にもらったカメラを構えていなかったことを後悔した。

 なぎは衣替えで夏服になっていた。上は半袖のシャツにベストだけ。そのせいかもしれない。まぶしい。

 こうして、意気込みも新たに、新生メリは、ツインテイルとの打ち合わせへ向かった。


——————


「ななみ君!」

「なぎ君〜‼︎」


 PPC本社の会議室。明るくて、広い部屋を取ってもらった。ソファやテーブルもあり、名目上は会議室だが休憩室のようだ。ここならリラックスして打ち合わせができるだろう。

 早速、なぎとななみは手を取り合って再開を喜んでいた。

 れいとはななみとは初対面だ。金髪が肩につくくらいだ。なぎと身長はほぼ同じ。一六〇センチメートルぐらいだろう。そして何より女の子のような容姿をしている。華奢で肩幅もなくて痩せている。

 なぎといるところをちょっと遠くから見ていると女の子がふたりいるように見える。れいとは不思議な気持ちになった。

「それでは、あとは四人で。音村君、歌川君、メリをどうぞ宜しくお願いします。私はオフィスに居ますので何かありましたらいつでも呼んで下さい」

「熊ちゃん、ありがと!」

 熊谷が会議室を後にする。

「いいのか? 打ち合わせだろう?」

 よく見ると、ツインテイル側のマネージャーもいない。れいとが不思議そうにすると、後ろから声がかかった。



「クリエイティブイベントはアーティストの自主性を重んじてるんだよ、新人!」


 れいとが声の主へ視線を移すと、そこにはまた、小柄な少年が立っていた。

 腕を組んでいて、不遜な態度。だが、こちらもまたもや女の子のようで、れいとは面食らった。ななみよりは短いボブヘアで、少しウェーブのかかったグレーの髪。制服がななみと同じ。しかし、ぽやんとしたななみと違いキリッとした雰囲気だ。というか、キツイ印象がある。しかし、どう見ても、容姿だけなら、ななみもたくとも女の子だった。そこになぎが加えると、まるで女子の集まりに、れいとひとりだけ男が混ざってしまったかのような錯覚だ。

「たくと君、こんにちは! 久しぶり〜」

「よぉ、なぎ。いろいろ大変だったな。けど、こうしてお前とクリエイティブイベントでコラボできて嬉しいよ」

 たくと、と呼ばれた少年がツインテイルのもうひとりの方だろう。れいとは、オーディションの際の勉強会でPレーベルの人気ユニットについて一通り習っただけなので、個人を深くは知らない。

「自己紹介といくか、ななみ」

「うん! それじゃ、ふたりとも座って?」

 れいとは不思議に思ったが、なぎが何の疑問も持たずにソファに座り、れいとにもそのように促すので、おとなしく従って、革張りのソファに腰かけた。するとツインテイルのふたりが取り出したのは、フルートとバイオリン。ななみがフルート、たくとがバイオリンだ。

 なぎとれいとの前に並ぶ。

 そして何の前振りもなく演奏が始まった。

 しかしものの三十秒で、なるほどこれが自己紹介か、とれいとは納得した。

 ふたりの奏でる曲は、どれも聞いたことのあるものばかり。CMソングや、映画のテーマソング、教育番組のオープニングや、ニュース番組の音楽……有名なものばかりのメドレーだった。「ツインテイル」の自己紹介はこれで充分だった。そう、二人組の作曲ユニットだ。なぎとれいとのメリと違って、歌わないが、国民的アーティストと言っても過言ではない。ファーレンハイトと肩を並べるユニットだ。

 それから曲の最中だが、なぎかられいとへ、ツインテイルのふたり個人について説明が入った。

 まず、音村ななみ。なぎの同期で親友。高校一年生。優しく穏やかな性格とのことだ。音楽学校に通っていて、楽器はなんでもできて、特にフルートが得意。音楽性も、明るく美しいメロディの、老若男女に受け入れられる曲が多いとのことだ。

 次に、歌川たくと。高校一年生。ななみと仲が良く、同じ音楽学校だが、ふたりは寮ではなくふたりでマンションを借りてそこで一緒に過ごしているとのことだった。たくとはバイオリンとピアノが得意とのことだ。

 れいとにとっては、るきや熊谷以外の、PPCの現役の先輩(ななみとは同期だが、たくとが先輩であり、またツインテイルの結成がメリの結成より前である)しかも超人気ユニットと深く関係するのは初めてだ。このふたりは作曲のレベルも日本トップクラスと言える。これは勉強になる、とれいとは確信した。なぎにとって、メリにとってもだ。これからのふたりにとって、確実に良い影響を与えてくれる、そう言えるコラボレーションとなるだろう。

れいとはふたりをよく観察した。いや、観察しようとした、しかし観察は不用だった。いや、観察などできなかった。座って、ただ聞いているだけでも、バックに壮大なオーケストラが控えているかのような鮮やかで華やかな演奏を前に、観察や偵察といった人並みの野暮な思考は無意味とばかりに停止させられてしまう。ななみのフルートが、たくとのバイオリンが、七色の五線譜が虹の弧を描くような音色を紡ぎ出し部屋全体を包むと、たとえこの目の前のソファにどんなに偉大な権力者がいようとも、彼らの演奏を前には肩書きを無意味にして全ての人間をただの観客と化する、それだけの優美さと力を持つ……そんな音楽だ。

 れいとに、それを前に何ができたというのだろう。


 演奏が終わる。なぎが盛大に拍手を送った。スタンディングオベーションだ。

「すごーい! メドレーになってるの初めて聞いた!」

「えへへ、今日のために特別にね。喜んでもらえて良かった」

 ななみがにこやかに答える。

「なぎ君と……メリとコラボできるの本当にうれしいんだぁ。ツインテイルは普段歌わないから、メリとコラボするのはとても良い勉強になるし、何より絶対楽しいと思うの! と、いうわけで……改めてよろしくね、ツインテイルの音村ななみです!」

 ななみがれいとに近づく。なぎが、れいとを立たせると、前に少し押して、ツインテイルのふたりに紹介した。

「ななみ君、たくと君、こちら、新生メリのれいと君、よろしくね!」

「よろしくお願いします」

 ななみに手を差し出すと、ななみは快く握手に応じた。れいとは小さい手だな、と思った。力を入れないようにした。次に、たくとの方に向き直る。ななみと同じように手を差し伸べようとした、しかし……。


「ななみ、俺、悪いけどこいつらとコラボできない」

「「「え?」」」


 たくとを除いた三人がハモる。

「え、どうしたのたくと君……」

 ななみが心配そうに近寄る。たくとは眉間にしわを寄せて、腕を組んで、目を伏したまま答えた。

「ななみの親友のなぎにこんなこと言うのは気がひけるが、はっきり言うぞ。メリは、レベルが低い。メリ側にはツインテイルとコラボするメリットがあっても、俺たちにはない! 俺たちはクリエイティブイベントで上位を目指しているわけでもないし……だったら、いつも通りななみとふたりで曲を作ってたほうが有意義だ」

「たくと君!」

 たくとの意見にななみが喚起する。そして、なぎとれいとへ謝罪した。

「ご、ごめんね、ふたりとも。その……」

「ななみ、謝るな。事実だ」

「たくと君! そんなこと言っちゃだめだよ!」

 非常に、ピリピリとした空気だ。

 たくとは不遜で尊大な態度で、部屋を支配している。

 れいとは、たくとの発言は一理あると思っていた。しかし意外にも、なぎが発言をしない。ショックを受けているのかと思い、れいとはなぎの顔を覗き込んだ。

「なぎ……」

 なぎが顔をあげる。強気の表情だ。笑ってすらいる。

「!」

「たくと君……俺たちのCD聞いてくれた?」

「いや、聞いてない。けれど、メリは白鳥せつなありきのユニットだった。白鳥が抜けて、そこに新人をいれたところで、たかが知れていると想像してる」

「俺たちも自己紹介だ!」

 なぎが明るく言い放つ。つまりここで、先ほどのツインテイルがやったのと同じように、自分たちも実力を披露しよう、というわけだ。

「ウチのれいと君の歌声聴いて、それでもまだコラボしないなんて言ってられるかな?」

挑戦的なまなざし、なぎにしては珍しい。今度はツインテイルのふたりがソファに腰掛けた。なぎとれいとがふたりの前に立つ。

「れいと君、歌える?」

「もちろん」

「俺のれいと君が凄いってこと、ふたりに教えてあげよ!」

 俺の? ……なるほど、なぎは、自分がれいとを見そめた気でいるのか、とれいとは思った。なぎに選ばれた、というのは悪くない気分だった。

 ツインテイルのふたりの前に並んで立つ。ななみはいかにもワクワクした表情だったが、たくとは相変わらずぶすっとして、腕を組んで、足を組んで座っている。れいとを睨んですらいる。

 駅前のゲリラライブの際に使った歌のない楽曲の音源をなぎはスマホに持っている。

 それを再生して、ふたりが歌いはじめた。




「……!」


仏頂面だったたくとの表情が、明らかに変わる。

「わぁ、ふたりとも……前のメリとは全然違う!」

 ななみも感嘆する。

 以前のメリは、なぎをメインボーカルに、せつなのコーラスとデュオで構成されていた。あくまでなぎがメインで、せつなはサブといった構成だったが、今は、なぎ、れいと両者が同じくらいのパートを受け持つデュオとなっている。そう、メリは生まれ変わったのだ。以前のメリとは違う、新生メリなのだ。

 れいとの歌声は、まさにフロントマンのそれだった。十四歳とは思えない貫禄。パワフルで、重たいストロークの進み。しっかりと声帯から鳴る柔らかくほぼ地声に近い歌声が、あまり上下せずにフラットに響く。ここは、なぎの歌い方に近い面もある。その点が、牧歌的で素朴な印象のメリの楽曲のメロディにぴったりとハマる。なぎとのデュオ部分では、高音ぎみのなぎと非常に相性よく響いて、時折のファルセットもまた抜群のセンスだった。

 聞けばわかる、れいとの歌声は天の賜物だ。さらに、ライブへ向けてボイストレーニングを重ねたことや、なぎとの練習、それらは、オーディションでのレッスン時よりもさらに、れいとの実力を増す要因になった。


 上手い。

 その一言につきる。


 ななみは、親友であるなぎの新鮮なスタイルに喜んでいたが一方でたくとは、冷静にふたりを見極めようとしていた。

 たしかに、上手い。だが。

 れいとの方が明らかに声量もあり音域も幅広いため、パートごとでもデュオでもなぎが負けがちでバランスがあまり取れていない。れいとがそのため声量を抑えると、彼の良さが薄くなる。れいとは明らかに才能がある。持って生まれた天性の歌声を、本人も分かった上でここにいるのだろう。なぎとデュオをやるより、ソロの方がいいかもしれない。バンドのフロントマン向きの存在感と歌声だ。容姿もいい。なぎはなぎで相変わらずだ。なぎという人物の音楽のすべてが、白鳥せつなの影響が大きい。良くも悪くもれいととそこが噛み合っていない。新生メリは、まだまだ荒削りだ。しかし……。



「……相変わらずだな、凪屋なぎは。お前の親友は。類は友を呼ぶ、か……」

「え?」

 たくとのつぶやきは、ななみにはちゃんと届かなかった。


 そう、ふたりは楽しそうだった。

 たくとの目にもしっかりと、そう映った。

 ふたりで歌う。ひとりではなく。そこに、しっかりと理由があるように映った。

 なぜひとが歌うのか、その本質を持っているように見えた。


 たくとがななみと居る理由が、同じ理由が、メリにはあった。


 ふたりの歌が終わる。ななみが拍手する。なぎも、たくとの反応が良かったことは見抜いていた。なぎは満足そうにしていたし、れいともまた、充分に手応えを感じていた。なぎと歌うことは楽しい。それを披露するのも。満足感、多幸感……歌う最中も、歌い上げた後も、すべてが心地良い。確信。そしてそれも、このふたりには伝わっていただろう。

 たくとは、腕を組んだ下を見ていたが、ため息をつきながら、顔をあげた。


「思ってたよりは、まぁ良かった。はぁ……。仕方ねぇなぁ……」

「! じゃあ……」

「コラボしてやる。六月はクリエイティブイベントに専念だ。……いいか?ななみ」

「もちろん!」

「よろしくお願いします。歌川先輩」

「チョーシ乗んな新人!」

 結局、れいとはたくとと握手を交わしてもらえなかった。

 しかしこれで、四人はお互いを認め合うこととなった。クリエイティブイベントの具体的な案を考えなくてはならない。

 四人は引き続き、話し合いを続けることにした。




——————




「やっぱりライブがしたいの!」


 そう提案したのはななみだった。

 引き続き、四人は打ち合わせをしていた。なぎとれいと、ななみとたくと、それぞれがソファに腰掛け、向かい合う。センターテーブルには、ノートや飲み物。初回らしい、リラックスした打ち合わせだ。


「ライブかぁ……れいとくん、したことないよね。ライブデビュー大丈夫?」

「駅前のゲリラライブは数に入れないわけか。……俺は大丈夫だ。」

「待て。」

 ななみの提案、というかそれに対するれいとの返事に待ったをかけてのはたくと。たくとはれいとに当たりが強い。いや、ななみ以外にだ。なぎには多少優しいが、同じななみの親友枠のぎんたには冷たい。たくとの中で何か基準がある。

 ソファに足を組んで、れいとが用意した(新入りがやれ、と言われたれいとが用意したティーバッグの)紅茶を一口。

「メリはなぎと新人になって初めてのライブをコラボイベントで消費してしまっていいのか?」

 つまり、たくとが言うには、生まれ変わった新生メリとして、なぎとれいとふたりでの初ライブはとても大切だということだった。それをクリエイティブイベントで、ツインテイルが関わる形で費やしてしまうのは、メリのスタートとして、精神的にも商業的にも、ファンにとっても良いとは言えない。

「なるほど……。確かに……」

 なぎが頷く。たくとは態度と言い方こそキツめだが、多角的な視点を持ち、物事を俯瞰から考えられるようだ。

「わ〜、気が利かなくてごめんなさい!」

 ななみが謝るが、たくとは謝らなくていいと言った。たくともまた、メリとのコラボはライブしかないと最初から思ってたいたようだ。

「えーと、じゃあ、どうしよう……」

「熊谷に調整してもらえ。1stライブは日程が決まっているんだろ?つまり、俺たちツインテイルとのコラボライブは六月の後半にしよう」

 たくとの提案を、なぎは熊谷にメッセージで送る。返事を待つ。そして話を進める。

「四人でライブとなると、どんなことしようか」

 メリはデュオだが、ツインテイルは作曲ユニット。歌は歌わない。単にツインテイルのふたりが曲を作り、メリのふたりが歌う、ではただの楽曲提供だ。さらに一歩踏み込んだ計画が必要だ。

「二手に別れて楽曲を作るのはどうだろうか」

 これもまた、たくとの提案だった。

「ななみがなぎと、俺は新人と。二手に別れてマンツーマン。二曲新曲を作る。歌うのはお前らで、俺たちは演奏。そこは変わらない。ただ、これなら付きっきりで作曲を教えてやれる。そうしたらメリは今後のためにもなる」

「わ〜、それいいね!」

 ななみは賛成のようだ。

 なぎ、れいとにとっても、ツインテイルのふたりに指導してもらえるのはまたとない機会だった。なぎはせつなに師事していたが、つい先日に初めて作曲をしたばかりで、レベルはまだまだ低い。れいとはそもそも、ダンスアンドボーカルユニットのファーレンハイトに入るつもりでいたので、作曲や、楽器の分野に疎い。

「俺もいいと思う。れいと君は?」

「賛成。けれど、逆に俺たちも、ツインテイル側に何かメリットを提供できないと不公平だな……」

「そんなの気にしないで! ふたりとコラボできるのは充分メリットあるよ。それに今からどんな曲を作ろうかすごく楽しみ」

「……だ、そうだ。ななみに免じて俺も、見返りは求めない」


 こうして、メリ、ツインテイル双方で、イベントの方向性が決まった。あとはスケジュールを組んで、実際に楽曲制作をして、ライブをする。ふたりはこのことを各自のマネージャーにも報告した。一応、会社の承認が必要になるが、よほどのことがないと却下はない。また、会場の手配などはあらかじめクリエイティブイベント用にいくつか抑えてある所を使用できる。クリエイティブイベント自体は広報されているため、ライブなどの発表が直近でも毎回応募殺到のためにチケットは抽選になる。


「ねぇ、聞いたんだけど、メリは、クリエイティブイベントを成功させて、Pレーベル内の人気六位以内に入って、年末のイベントに出るっていう目標があるんだよね?」

 ななみが問う。小首をかしげると、持っていたボールペンの尻が、頬にぷに、と押しつけられる。

 なぎは苦笑いして、そこからさらにライブを成功させて、人気三位以内に入らないといけない、と説明をした。

 ここで、れいとから疑問があがる、

「人気……というのはどうやって決まるんだ?たしかツインテイルは去年、ファーレンハイトに次ぐ人気を納めたと聞いてる」

「クリエイティブイベントは、そのイベントがどれだけ盛り上がったかとか、話題になったかとか、売り上げがあったかとか、そのアーティストが成長できたかとか、クリエイティブで有意義なイベントだっかとか、ちゃんと審査項目があって、それを社内のひとが、秘密で審査するんだよ。点数とかバロメータがあるらしいんだけど、僕たちアーティスト側には詳細は知らされないんだ」

「ただ今年はファンの直接の人気投票があると聴いている。去年とはまた違った基準でアーティストたちの人気が測られるはずだ」

ななみ、たくとの順で答えた。

「何にせよ、がんばって良い曲を作る! それだよね! みんなで楽しいライブにしよう!」

 なぎがその場を締める。今日はこれで解散だ。また後日集まって、それからが作曲の本番となる。

「俺はさっそく、曲作ってみるよ。それを次に集まる時に、ななみ君に見てもらいたいな」

「わぁ、楽しみ!」

 ただし、メリは1stライブまで時間がないことと、ツインテイル側ふたりも多忙なため、会うのはライブの後となった。

「俺は作曲は完全に素人なんだが」

「なぎと考えてこい。あとはどんな曲にしたいとか、完全じゃなくても歌詞のワンフレーズくらいなら考えられるだろ。イメージだけでもいい。次会う時はいちからみっちりレッスンだ。覚悟しとけよ新入り」

 にや、とたくとの口角があがる。笑顔は今日初めてだ。

「なぎ君は、作曲は白鳥さんに習ったんだよね?」

 ななみが問う。

「うん、メリは今までは全部せつな君が作曲してたから……せつな君に習ったこと、思い出してがんばるよ!」


 こうして、別れの挨拶をして四人は解散した。なぎはれいとに、次にふたりと会う時までにいっしょに曲を作るように提案した。




——————





 さて、なぎは、その日の夜中に熊谷に連絡をした。熊谷はいつ連絡をしてもなぎの電話に出てくれる。むしろ、なぎとふたりで話したがるので、なぎも遠慮なく連絡を取る。

クリエイティブイベントがどういう方向になったかの報告と、ひとつ個人的な相談があった。


「熊ちゃん、せつな君って、どんな感じだったっけ?」


 シャワーを浴びて、濡れた髪をタオルで乾かしながら、なぎは聞いた。

 なぎの疑問は今までのメリの振り返りでもあった。作曲ペースや、CDのリリースのペースや、それよりも懇願的なメリの曲のコンセプトや、せつなの活動に対するスタンス……。

 せつな脱退に伴い、なぎがせつなと歩んできた日々が唯一の指標でもあった。

 改めて、今までの軌跡を確認したかった。

 熊谷から、メリの結成時に会社の内部で使用した資料やデータ、作曲ペースや売り上げなのどのデータなどの説明を口頭で受けた。

 難しい話もあったが、しっかりと聞いた。

 なぎにはひとつ、決意があった。


 自分が、れいとをリードしなくてはならない。そう思っていた。せつなが自分にそうしたくれたように。

 自分はれいとより先輩で、自分がれいとをメリに誘った。彼の人生に対して責任がある。今までどおりの、せつながしてくれていた据え膳上げ膳でのただ楽しくやる、は通用しない。


 れいとの歌を、皆に届ける。

 れいとの活動を守る。

 その義務がある。


 なぎはれいとと出会った時よりも成長し、変わらなくてはいけない。そう、考えていた……。




——————




 数日後。メリ、ツインテイル四人の計画は承認され、正式にコラボが認められた。双方のマネージャーと会社側の人間で、ライブの日程は協議段階に入る。

 このようなことが、熊谷からなぎ、れいと各自に連絡された。今日は学校が終わったあと、1stライブについて打ち合わせをしなくてはならない。なぎとせつなはPPCに来ていた。


さて、メリ1stライブだがもともとはせつなとれいと使うために抑えていた会場があり、そこをそのまま今回は使う。

 日程は六月九日(土)開演 十八時、六月十日(日)開演 十七時で、各日二千人。

 しかし、せつな脱退に伴い、一応払い戻しの告知があった。新生メリは、以前のメリではないからだ。会社は相当数の損失を覚悟いていたようだが、結果払い戻しは数名で、またその再抽選に応募が殺到した。チケットは売り切れ。満員御礼だ。

 れいとにとっては初ライブだが、大々的に派手な規模でデビューさせるのではなく、せつながなぎのために活動をセーブしていたように、れいとにも無理なく音楽活動をしてもらうために、1stライブも規模を抑えた開催となった。あくまでれいとのお披露目といった感じで、動画サイトでは同時にライブの様子が配信される。新生メリを知って欲しい、れいとにライブの感覚を掴んで欲しい……そんな感じの1stライブとなる。

 セットリストや演出の変更も決まって、なぎとれいとふたりで過去のメリの曲も歌うことになった。トリが、なぎが初めて作曲したあの歌だ。

 最後のリハについても日程が決まり、今日からライブまで約一週間。


「おふたりとも、グッズはどうしますか?」


 熊谷がふたりに問う。

 PPCの会議室。熊谷と、社内デザイナーと、道明寺もいた。真剣に資料に見入るふたりを撮影する。

「グッズ?」

 聞き返したのはれいとだ。

「はい、今後も、我が社の通販サイトなどでメリの公式グッズを出すかどうか、おふたりに決めていただきたいんです。まずは、1stライブのグッズ等をどうするか、を決めましょう。もちろん、ふたりの考え次第ではいつでも販売を停止したり再開したりできますから、あまり気構えずに考えてもらって大丈夫ですよ」

 なぎがれいとに訊ねる。どうする?

 なんでも、せつなの方針で、メリはグッズというものが販売されたことがほぼないらしい。CDやそれに伴う早期購入特典などで、ステッカーや色紙の制作があった程度だと言う。

「まずは、制作をするかしないかを決めてもらえると良いかと思いますが……どうしますか?」

「いいんじゃないか?」

「俺も……いいかも……?」

 なぎ、れいとも、双方グッズ制作に対しては特段こだわりがなかった。もしかしたら、活動を続けていく内にまた意見が変わるかもしれない。熊谷が、それでは制作する方向で、と仕切る。社内デザイナーがいくつかの資料を出した。道明寺も今のグッズってこういうのか〜、と感心を示した。


「1stライブまでにグッズ販売は間に合わないので会場では販売はないのですが、ライブ当日予約開始で受注生産にするのが良いかな、と思いまして、企画部と私とで考えておきました。デザインをおふたりに見て欲しいのですが、何か意見はありますか?」


「グッズかぁ……」

「せつながいた頃はグッズ販売はほぼありませんでしたからね。なぎ君もはじめてのことだらけですね」

 熊谷がほほ笑む。

 なぎはしっかりと資料を見る。

「なんか、グッズって、顔の入ったうちわとか写真とかだと思ってけど、……おしゃれだね!」

 キーホルダーや、タンブラー、キャップにサコッシュ、Tシャツ、タオル……日常使いにもってこいのグッズが、メリのロゴやイメージカラーと、ふたりを象徴したモチーフでデザインされている。


「なぎ君、白樺君の写真を直接使うようなグッズは今回はありません。今後、法務部と肖像権などを整理した上でふたりが良ければそういったものも考えていきましょう」

 ふたりが、これが欲しいとか、これがカッコいいとか話しているところをすかさず道明寺が撮る。今後も、ふたりの活動にたまに道明寺が現れて、ふらっと写真を撮っていくことがあるらしい。またそのほかにも、何点か打ち合わせがあった。今後のライブのスケジュールや、CDを出すスケジュールなどだ。クリエイティブイベント、グッズ……。

 ふたりでのはじめての経験は、楽しい。

 なぎは先輩だけあって、打ち合わせや諸所の契約についてはどんな時もれいとより慣れた様子だ。れいとはじっくり、さまざまなタイミングで、なぎを観察した。

 好き嫌い、価値観、倫理基準、考え方……。

 なぎを、知りたかった。

 と、いうのも、れいとの中で、疑問というか、なんとなく答えを知りたいか感覚というか、よくわからない感情が頭をもたげて来ていたからだ。

これは、ななみとたくとのふたり、つまりツインテイルのふたりと話すうちに考えるようになったことだった。それだけはわかっていた。

 なぎを見る。機嫌良さそうに、笑っている。

 それは、自分にとっても心地良いことのような気がした。

 では何故か? ……疑問とはその感覚のことだった。


 ふたりは熊谷の送迎ではなく、歩いて帰ることにした。だいぶ日が伸びた。まだまだ明るい。

 いつも通る河川敷へ来た。あたたかくなって、雨の降らない日は人が多い。


「ねぇねぇ、れいと君、うちに遊びに来てよ」


「……?」

 なぎの突然の誘いにれいとは困惑した。遊んでいる暇があるだろうか。

「今日話したクリエイティブイベントの曲、一緒に考えよう」

「……あぁ。そうだな。一応図書館で作曲の本を借りるつもりだったが、基本はあんたと歌川先輩に教わるのが良さそうだしな」

「妹たちいるんだけど、子供平気?」

「平気だ」

「じゃあ明日! 楽しみだね!」

「あぁ」

 ……なぎの家へ行く? 意外な展開になった。そういえば、出会って間もない頃に家まで送ったことがあるのと、妹ふたりとは聞いてはいたが、どんな生活をしているのだろう。

 なぎを知るチャンスだ。

 自分たちはまだまだ互いのことを知らない。

 実はれいとは、とあることをずっと考えていた。


 なぎをもっと知りたい。

 知れば、わかるだろうか。

 新曲のリハで芽生えた感覚。

 その後あの、ゲリラライブの時にはっきりとした感覚。それから何回かリハで歌った時も同じ感覚を覚えたし、もうしっかり体に馴染んだ。


「楽しい」という感覚


 歌う、ということに対する、快感。多幸感。ふわふわとした恍惚。酔いしれるかのような高揚。


 ではそれがなぜ、どこからきて、なぜなぎといっしょだとわかるのか。


 何故なぎじゃないと、今までこの感覚に辿り着かなかったのか。

 そして、それは、良いことなのか。

 自分はどういうスタンスでなぎのそばにいればいいのが。どういうスタンスで音楽活動をしていくのか。


 わからないことがたくさんあった。

 知りたいことがたくさんあった。

 れいとはまたなぎを自宅まで送って、また明日と言って別れた。なぎの家の窓からはぬくもりを感じるような暖色系の灯りが漏れていた。





——————




 きゃあ、となぎのふたりの妹、みあとかれんから歓声が上がった。


「おじゃまします」


 翌日の、放課後のなぎの家だ。両親(共働き)のうち母親は帰宅していたが、買い物に出かけたので、なぎと妹ふたりで、れいとを出迎えた。

 梅雨めいたあいにくの曇り空だが、今日は室内で過ごすので問題ない。

なぎの家は、想像しうるごくごく一般的な一軒家だった。一階が吹き抜けの玄関にLDKに水回りと和室、洋室。二階に三部屋とフリースペースとベランダ。多少の芝生の庭に、駐車場が二、三台分。散歩をすれば目につくありふれた民家。玄関前には妹たちのピンク色の子供用自転車やバケツがあって、リビングのカーテンは明るくイエローで、そこそこ片付いていて、そこそこ汚れていて、そこそこ生活感がある。そんな家に凪屋家は住んでいる。知っての通り、両親に三兄妹。

「お兄ちゃん! ちょ……ウソでしょ! 本物、映像より百倍かっこいい‼︎」

「お兄ちゃんの隣のお兄ちゃんだ!」


 妹たちは当然、なぎの新しい相棒のれいとについてはニュースや動画で知っていた。かっこいいね〜、なんて話はしていた。しかし、本物はやはり映像とは別格だ。なぎは、れいとの容姿についてはざっくりと背が高いしイケメンだよ〜くらいに説明していたが、実物はそのような言葉では言い表せない存在感と迫力があった。

「はじめまして、白樺れいとです。」

「はっ、はじめまして! 私、凪屋みあ! こっちは妹のかれん。お兄ちゃんがいつもお世話になってます!」

「こんにちは。しっかりしてるな」

 れいとがみあを褒める。なぎはかれんにねだられかれんを抱き上げていた。

「下の方、あんたにそっくりだな……」

 まじまじと見ると、みあの方はなぎより美人、といった顔立ちだ。かれんはなぎをそのまま小さくしたようだ。すべてのパーツが似ている。ふたりとも私服だが、みあの方はお出かけ用のワンピースのようで、少し良いもののように見えた。おめかししたい年頃だろう。来客が来客だ。髪もきれいにしていて、靴下にスリッパ。きちんとしている。それに対してかれんはいかにも部屋着のTシャツに短パンで、髪もボサボサ。裸足だった。ふたりの違いは一目瞭然だ。

「よく言われるんだ。さ、どうぞ上がって下さい、れいと君」

 両親にも友達を連れてくることは話していた。れいとをリビングに通す。ダイニングでひとまずは休憩だ。それから作曲について考える。

「あの、お兄ちゃん、れいとさん、私、かれんと2階で遊んでます。うるさいと思うから……」

 なぎがキッチンで飲み物を用意していると、みあが控えめにふたりに話しかけてきた。

「えー! かれんここがいい! お兄ちゃんとれいとくんといたい!」

「かれん、ふたりはお仕事するんだよ。邪魔になっちゃうよ」

 なぎがどうするか聞く前に、れいとがみあに答える。しゃがんで、目線を合わせる。

「ここに居ていい。お前たちの家だろう。俺に気を使うことはない。……俺も弟がいるから、ひとがいても邪魔だと思わない」

れいとの声色は優しい。なぎもそれを受けて、ふたりに話しかける。

「ほんと? じゃあみあ、かれん、ふたりともここで宿題する? 騒がしくしちゃだめだよ、いい?」

「は……はい!」

 こうして、なぎとれいとに加えて、みあとかれんもダイニングにいることになった。れいととなぎが向かいあって座ると、かれんはなぎにべったりで、なぎの膝に座りたがるので、必然的にみあがれいとの隣になった。みあは緊張しているようだったが、勉強道具をひろげて宿題を始める。かれんは勉強をする様子はないが、なぎに抱っこされて、おとなしくしている。

「女の子は偉いな。言えば聞くんだな。ちゃんとしてる。ウチと大違いだ」

「あやと君とまやと君もふたりともいいコだったよ」

「まさか。……ふたりともこんな大人しく座ってなかったよ」

 みあとかれんを前にだいぶ言葉を選んでいる様子のれいとに、なぎは苦笑いした。さっそくふたりは、ツインテイルとのコラボライブに向けた作曲を始めた。


——————


「うーーん……」


 なぎの表情は、浮かない。作曲が捗らない。れいとの方もれいとの方で、歌詞のワンフレーズどころか、テーマすら思いつかない。


「なんだろな……なんかこう、……なんか…なんか……」

「なぎ、さっきからずっとそれだぞ。」


 メロディ、フレーズ、楽器、コーラス……いろいろなところから考えてみるも、ぱっとしない。

「前にはじめて作曲した時はどうだったんだ」

「あの時は……最初ぜんぜんだめで……えーと後からはもう……あれ……どうしたんだっけなぁ……」

「俺もあんたも、プロだ。作れない、はまずい。どんなのでもいいから作ろう」

 そう言うれいとも、まったく歌詞が思いつかない。まず、曲のテーマはどうしよう。ラブソング? 友人について? 希望や未来をテーマに?



 ふたりは完全に行き詰まっていた。

 ちなみに、ふたりとは対照的に、みあは宿題を終わらせて、かれんの面倒を見ている。


「せつな君は、定期的に作曲できてたのに……」

 なぎの発言に、机上の紙とにらめっこしていたれいとが顔をあげて、なぎを見る。

 せつなの名前が出たからだ。

「せつな君に習ったのに……せつな君みたいにできなきゃならないんだけど……せつな君なら、どうするかな……」


 ぶつぶつとなぎは何かを考えいるようだった。

 できることならば、スランプなら、無理に考えるよりも別のことをしてリフレッシュした方がいいかもしれない。

 しかし、自分たちには後がない。結果を出さなくてはならない。

 ここでれいとが提案をする。


「どうだろう。……自分たちを追い込んでみるか」

「え?」

「期限を設ける」

「今度ふたりに会う時までじゃなく……?」

「一週間後、1stライブでアンコールに使う」

「え⁉︎ 本気⁉︎」

「あんたが前回どんな作曲法を成し遂げたかは知らないが、これは自分を追い込んでみる作曲法だ。……試す価値はある」

「うーん……」

 外は曇りで、降り出しそうで、降り出さない。まるで今のふたりの作曲の進捗のように、ぱっとしない。

 ふたりはまた、紙にあーだこーだ考えて、とりあえず、なぎは三分ほどの曲ができたので、これに肉付けする方向にした。なぎの母親が帰宅したので、れいとは挨拶をして帰った。次の日の放課後はリハがあり作曲は進まなかったものの、できた曲に歌詞を考えたり、編曲を考えたりした。また、れいとは、たくとに言われたように、イメージだけでも、歌詞だけでも、と思いいくつかのアイデアを作っていた。


——————


 新生メリ1stライブ三日前。

 PPC本社のとある会議室。なぎ、れいとは、それぞれが作った曲、およびイメージ、歌詞のフレーズなどを熊谷に披露した。意見をもらうためだ。自身もつい三年前までシンガーソングライターとしてかなり売れていた熊谷なら、的確なアドバイスがもらえるだろう、とふたりは考えた。

 なぎの作った新曲は三分半ほどの長さになった。なぎとれいとのデュオで、シンプルで、静かな曲だ。


「……なるほど」

 なぎが忌憚のない意見が欲しい、と言ったので熊谷は考える。これは、どうするべきか……。

「まず……」

 ごくり、ふたりが身構える。

「また一曲作りあげたこと、本当に凄いことです。頑張りましたね、なぎ君」

「ありがとう、くまちゃん」

「白樺君も、よく考えたと思います。歌詞のフレーズや、どういう曲にしたいか……しっかりとまとまっていますよ」

「あぁ」

「それで、私にアドバイスを……とのことですが、なぎ君の作曲するもの、すべて良い、満点だと言えるのですが……そうですね、マネージャーとして、音楽の先輩として、おふたりに答えてみますね。まず、なぎ君」

「は、はい!」

 なぎが姿勢を正す。

「これって、本当に心から、なぎ君が歌いたい曲でしょうか?」


「!」


「白樺君もです。作曲のビギナーだとかそういうことを抜きにして、ふたりに聞きたいのですが、本当に心からこの曲を作りたい、と思って作りましたか?」

「……」

「メリの苦境は私が一番わかってるつもりです。おふたりの心境にも寄り添っているつもりです。ですが、だからこそ、クリエイティブイベントを成功させなくてはならないとか、人気六位以内に入らないといけないとか、……そういった、良いもの、を作らなくてはならないという気持ちが先行してはいないでしょうか」

「それ……は……」

 熊谷の指摘は全く的確だった。

 ふたりは、現状の打破のために、作曲し、ライブをし、クリエイティブイベントに参加し……と目標があり、行動をしている。

 しかし、それに良し悪しがあるのか。

 また、なぎの友人であるななみとのコラボレーションを楽しんでいない、はなぎにはあり得ない。一体何が悪いのかがわからない。ただ、良くはないということはわかる。ふたりとも、だ。

「つまり、モチベーションの話ですね。……ですが、そうですね、この曲をアンコールに使うというアイデア、試してみましょうか」

「え……いいの?」

「ええ。せっかくですし、1stライブで披露して、それこそリアルなファンの反応を伺ってはどうでしょうか」

「……」

「もちろん、無理強いはしませんが……」

「……いや、やる。やってみるよ……!」

「なぎ……」


 こうして、なぎの作った曲をライブで披露することになった。ライブはもうすぐだ。

なにか、何か、大切なことを忘れている。そんな気がした。

 しかしそれが何かわからない。


 ふたりは、これから1stライブを控えているとは思えないような、どんよりとした空気のまま、ライブ当日を迎えた。


——————




 ライブ当日。結論から言うと、初日も二日目も、滞りなくライブは終了した。

なぎも、せつな脱退以降いろいろあったが、やはりファンの歓声はうれしかった。

なぎは終始笑顔でライブを終えることができた。

 また、れいとを皆に自慢できた、というのが何より嬉しかったようだた。新生メリをファンは受け入れてくれたようで、ライブは盛り上がり、大成功だった。


 問題はそれ以外だった。

 ライブ後、ネットの反応などを伺うと、れいとがかっこいいとか、れいとがいかに歌が上手いかとか、れいとに対して好意的な反応が多かった。しかし、曲についての反応がほぼなかったのである。れいとのお披露目的なライブでもあったため、もちろんそれは正しい反応だったかもしれない。しかし、元のメリはせつなの実力が大きいユニットでもあり、いつもファンの間の論争はどの曲がいいとか、どの曲がメリらしいかとか、楽曲に関することがほとんどだった。


 そう、れいとの存在感に、なぎの作った曲は負けていたのだ。


ふたりは何がだめで、どこが良くないのかが結局わからないままだった。決して、悪くはない。そのはずなのに……。


 ライブ会場には道明寺も来ていた。ふたりを撮っていた。

 スタッフの打ち上げにも来ていた。打ち上げにはなぎとれいとも参加したわけだが、そこで道明寺がれいとに話かけた。

「写真、撮ってるかい?」


 れいとは、まぁ、とか今度見せます、とか、そういった感じの返事をするしかなかった。


 こうして、ふたりにもよくわからないもやもやを抱えたまま、ツインテイルのふたりと再開することになった。




——————



「とりあえず、1stライブお疲れさん」


 メリ1stライブが終了して数日後の放課後、四人はまたPPC本社に集まっていた。前回と同じ会議室だ。しかし互いに諸事情で集まるのが遅くなった。もう十九時を回っている。

 メリのふたりを、ななみとたくとが労った。

「ライブ配信でふたりで見てたんだよ〜! すごく良かった!」

「ありがとう……ふたりとも」

「ああ……どうも」

 しかし、なぎもれいとも、いまいち覇気がない。たくとは、その原因に気づいていた。そして彼なりの対処法も考えていた。

 ななみが、さっそくなぎに問う。

「そういえば、ライブでアンコールの時に歌った曲は、はじめて聞いたよ!」

「あ……うん、あれが、この間話した……新しく作った曲なんけど……」

 なぎの歯切れが悪いので、その場がなんともいえない空気になった。

 話を切り替えたのはたくとだった。


「クソみたいな曲だったな」


「!」

「ちょ……たくと君!」

 ななみがたくとに詰め寄る。たくとは無表情で言い放った。

 れいとは、なぎの表情を見逃さなかった。たくとに言われた瞬間の表情。その後は俯いてしまった。

「まぁ、世間一般の音楽がわからねぇ奴らには充分な出来だろ。俺からしたら、って話だから」

「あの、ふたりとも! たくと君がごめんなさい! 僕は、とても良い曲だと思ったよ! 試行錯誤して作ったんだな、ってのが伝わって……」

「それがダメだって話だ。ななみ、甘やかすな。こいつらのためにならない。……なぎ、新入り、おまえらは何のために一緒にいるんだ?」


 ここでようやく、なぎが顔を上げた。

 困惑している表情に見えた正直れいとも、先ほどのたくとの言動の是非はともかく、今の たくとが言いたいことがわからない。


「行くぞ、新入り、来い」

「!」

 たくとが退室を促す。たしかに、二手に分かれてマンツーマンの予定ではあったが、れいとはなぎが気になった。ひとりにしておけないと思った。

「なぎはななみに任せろ。来い」

 「……れいと……君……」

なぎを見る。ななみは何も言わない。もう一度なぎを見る。行かないで、と顔に書いてあるようだ。行くわけにはいかない。

「新入り!」

 ドアのあたりから、たくとが強くれいとを呼ぶ。たくとに着いていくべきだというのもわかる。しかし、今、なぎをひとりにしておきたくない。

「なぎ……」


「行って」

「!」


 なぎの顔には未だに行かないでほしい、と書いてある。それでも、ここで、行くべきだと言えるのがなぎだった。

 れいとはそれを知っていたはずだった。いや、知らなかったのかもしれない。なぎの性質を。なぎが、どんな人間かを。


「わかった。……また」


れいとは大人しくたくとの後に続いて部屋を出た。会議室には、なぎとななみが残された。

そのまま、PPCの駐車場まで連れて行かれた。車が待っていた。

「……!」

 そこには、ファーレンハイトの、睦月ひかるがいた。たくとがひかると、何かを話している。ふたりは懇意なのだろうか。ひかるはにこやかに、れいとにひらひらと手を振った。車に乗るように促される。

「よう、話聞いたぜ。一枚かませろよ」

 ひかるが近づいてきて、れいとはまずその身長に驚いた。背が高い。一九〇センチメートル以上ある。顔立ちは美しのに、いささか粗野な雰囲気。

 ますます、たくととの関係がわからない。

 警戒とそれから流石のれいとでも疑問が表情に出る。

 たくとから何も明かされないままに、れいとはどこかへ行くことになった。



——————




たくととれいとを乗せた車が夜の街を走る。もう二十時を過ぎた。まだ中学生ということもあるし、夜遊びに行くようなタイプでもないので、この時間帯にまだ外出しているということに、少し高揚感があった。

 人をもてなすために作られた様々なネオンは、交感神経を刺激する。

 れいとはしばらく無感情でぼんやりと車窓をながめていた。

 すると、たくとがシャツを渡して来た。サイズに不安を覚えて受け取るのを躊躇したが、ひかるが自分のだと言うので、自分の制服を脱いで、インナー変わりのTシャツの上からそれを来た。一八〇センチメートルあるれいとが着ても、大きい。

 れいとは、運転をするひかるを観察した。

 ファーレンハイトのサブリーダー。モデルで、噂話では遊び人。それがどうして、たくとに、自分にこうして付き合うのか。多分渡された服がいいものなのだろうとは思う。着心地が良いのに、どこか、自分には合ってないように思えた。

 着替えを終える。ボトムが制服でもこれなら私服のように見える。たくとも同じように、れいとの横で、いつの間にか私服になっていた。

 そうしているうちに、一軒のバーについた。当然、十八歳未満立入禁止と書いてある。ひかるはふたりを置いて、迎えに来るといって消えた。

 ふたりはどういう関係なのだろうか。改めて、れいとは疑問に思った。

 たくとが、バーの正面のドアではなく、路地裏へ向かう。

「おい……」

「話は通してあるから。裏から」

 れいとはまた、たくとに着いていく。いったいこのままどうなるのか。たくとに着いていけば、自分たちの抱える何かもわからない問題が解決するのだろうか。すると、路地裏に面したドアがひとつ開いて、中年の男が出できた。


「や、たくと君」

「無理言ってすみません」

「いいよいいよ、二階から見て。たくと君のことは、睦月からよろしくって言われてるからさ」


 知っている名前が出た。ひかるのことだ。れいとは疑問に思った。ひかるとたくとは、いつからこの話しを通していたのか。しかし、聞くことはなかった。

 そして、たくととれいとは、いかにも勝手口めいた安っぽいドアから厨房に入った。路地裏は暖色の伝統でオレンジ色に照らされているのに、非常口を示す彩度の高い緑色のライトが異様に明るい。厨房は寒色の電灯で、三色のコントラストが昼間は想像とできない夜の街をささやかに彩る。そこは、コピーバンドがライブをやっているバーだった。すでにちらほら客がいる。

「ここは……」

「さっきのマスターは元PPCのアーティスト。俺らの先輩だよ」

 その人が配慮してくれたらしく、吹き抜けの二階席はたくととれいとたちとのふたり以外に誰もいない。

 すると、演奏が始まる。

「これは……熊谷の曲か」


 ふたりは黙って二、三曲を聞いた。

パブを意識したレンガ調の内装に、暗めの照明。たくとは欄干に頬杖をついて、バンドを無表情で見下ろしている。よくは見えない。

 れいとは一歩後ろから考えた。

 たくとが何の考えもなしにここに連れてくるはずがない。

このコピーバンドだが、演奏自体はごくごくありふれたバンドだ。何か、何かを教えるためにたくとは自分をここに連れてきた。何か……。

 ふと、れいとは気付く。

 すべて熊谷の曲だ。熊谷の曲自体は、数年前に熊谷が現役だった頃にヒットした曲が数種類あるので、サビだけは聞いたことがある、といっ感じの曲が多い。しかし、フルで聴くのは初めてだ。

 れいとがぽつりと呟く。

「……歌詞が暗いな。メロディ自体はポップなのに」

「なんでだと思う」

 すると、たくとが反応した、今の発言の中に正解があるのか、とれいとは思う。

 たくとの背中を見つめる。華奢な背中だ。この背中にツインテイルを、日本を代表する作曲ユニットを背負っているとは到底想像もつかない。たくとは振り返りもしない。

 れいとは考えた。自分はたくとに歌詞のフレーズだけでも書いてくるように言われた。熊谷はまとまっているとは言ってくれた。自分は、どんな歌詞を書いたろう。たしか、メリの雰囲気に合わせて考えたはすだ。自然的で、牧歌的な雰囲気にしようと。そう、せつながいた頃のメリに合わせようと……。


「……!」

「気づいたか」

 れいとが、はっ、と顔を上げた。

 コピーバンドが歌う。熊谷の歌だ。大ヒットした1stアルバムと2ndアルバムにB面集。その中からピックアップしているのだろう。今の曲は知らない曲だった。スマートな熊谷の印象とはずいぶんと違う、閉塞感すら感じる鬱屈したフレーズに、泥臭さがある歌詞の曲だ。

 いつかすべてを置いていく、とバンドのフロントマンが歌った所は音程がずれていた。

 強引な、そんなメロディだ。

 マネージャーながら、熊谷のことはロクに知らない。しかし、曲を聞けばどんな環境で、どんなモチベーションそれが作られたのか、そのくらいはれいとですら想像ができた。

 バンドを眺めていたたくとがれいとへ向き直る。欄干へもたれかかる態度とはまるで違う、真剣な眼差しだった。 


「お前のさ、モチベーションはなんだ」

「……俺は……」

「聞いたぜ。金のためにオーディション受けたらしいじゃねぇか。ファーレンハイトに入るのが決まっていた。なのに、なぎを……メリを選んだ」

「歌いたいのか。作曲したいのか。自分のやりたいことは何だ? 自分のモチベーションは何だ?」

「……」

 れいとは立ち尽くすしかなかったが、当然だった。本当に、金のためにオーディションを受けた。カラオケで、同級生にオマエ歌上手いし、などと言われて、それがきっかけだ。書類面接を経て、一次オーディションを突破したあたりでやっと、その気になった。上手くいけば家系の足しになる。親も親戚も大卒者なんていない。弟たちは大卒になれるかもしれない。いい職業につけるかもしれない。しかし、なぎの誘いに乗った。ファーレンハイトへの誘いを蹴った。それからはがむしゃらに進んできて、今ここにいる。それ以下でも以上でもなかった。哲学するだけの余裕も有閑も持っていなかった。

 しかし、その哲学が、自問自答が、自分の内面を曝け出すことが、作曲において、創作活動に置いて重要であることをたくとは知っていた。れいとに美学がないことも知っていた。だから、連れてきた。


「なんで、なぎを選んだ! なんでなぎと一緒にいる! ……考えろ。その答えが、これからのお前たちを作る。今答えが出せなかったら、お前はあいつといる資格はない。俺たちツインテイルで、なぎを引き取る。俺は、はっきりと言える。ななみと演奏したいから、ツインテイルをやってる。お前はなんだ?新入り。メリじゃなくても、なぎじゃなくてもいいのか⁉︎」


「イヤだ……」

 これは、とっさに出た言葉だった。


「じゃあ、なぎはどうだ! せつなが消えたから、新入りを探しただけなのか? ……おまえじゃなくてもいいんじゃないのか⁉︎ せつなの変わりなら誰でもいいと思ってるんじゃないのか⁉︎」


「違う‼︎」


 なぜ、なぎか?

「なぎ……は……」

 れいとは未だにはっきりと、あの、会見の時のことを思い出せる。

 光の衝撃。

 あの歌。あの瞬間を。

 違う。誰でもいいわけがない。自分だ。他の誰でもない、白樺れいとのために、あの瞬間、なぎは歌った。


 自分だ。


 他の誰でもない。

 白鳥せつなでもない。


「俺は……なぎが……なぎが、楽しそうにしてるから。なぎと歌う……。俺も歌う……そうしたら、なぎは……」

 れいとにしては珍しく、いささか支離滅裂だった。絞り出すような声だった。バックバンドに消え入るかのような声だった。

「そうしたら、きっと、ずっと、楽しいから、……! 俺は……歌いたい。なぎと……! なぎは俺を、選んでくれた」


 そう、選ばれたのだ。

 自分が。


 せつなの後追いではだめだ。

 自分はせつなではない。

 白樺れいとだ。

 なぎとこれから作る新生メリは、今までのものとは違う。

 自分と、なぎにしかできないもの。

 それを追わなくてはならない。


 まだ数少ない、歌っている最中を思い出す。

 多幸感や、高揚は、他者とは得られない。

 必要とされてそこにいるという承認が満たされることや、自分の好意的な人物との共同作業に感じる幸福……それは、なぎがくれたものだった。

 作曲がうまくいかなかった原因が、今ならわかる。きっとなぎも同じだ。

 モチベーションはひとつだった。


 なぎ、だ。


 なぎと歌いたい。


 それだけじゃない。なぎがいい。なぎじゃなくてはだめだ。理由は、ない。だが、今、それがはっきりとした。


 いつの間にか、たくとは目の前にいた。

 今度はれいととたくとは向き合っていた。

 たくとが笑ったように見えた。


「……俺、行きます。ありがとう!」

 れいとはたくとを残して、階段を降りていく。バーのマスターとすれ違うが、心なしか微笑んでいた。たくとの笑顔を見てマスターは、役にたてたようで良かったと言った。


——————


 一方、たくととななみがバーにつく頃。

 なぎもまた、ななみと話し合っていた。広い会議室ぽつりとふたりぼっち。ソファで肩と肩を寄せ合う。

「ごめんね、たくと君、音楽に対して真剣だからつい言葉がきつくなっちゃって……」

「ううん、いいんだ。たくと君の言う通りだと思うから……」

 ななみが困ったように眉を寄せる。親友の力になりたい。なぎの、いつもの笑顔が見たい。すると、俯いたままなぎがぽつりと話しだす。


「なんで作曲うまくいかないんだろう。はじめて作った時はあんなに楽しく、すぐできたのに……」

「え? そうなの……?」

「うん……あの会見の前に……。それに、熊ちゃんに聞いてもらった時も、自信を持って、これが俺の気持ちだ! って感じて……なのに今は違う……どうしてだろう……」

ななみもつられて、表情が暗くなる。なぎの手に自分の手を重ねた。



「せつな君なら、こんなことになってない……俺は……」


「……!」


 その言葉を聞いた途端、ななみがなぎの肩を掴んだ。

「なぎ君は白鳥さんじゃないよ!」

 ななみがこんなに大きな声を出すのは、なぎは初めて聞いた。

「白鳥さんと自分を比べるのはやめよう! なぎ君にはなぎ君にしかないものがあるよ。なぎ君はなぎ君だよ……!」


 白鳥せつな。なぎの元相棒。メリの立役者その人。そして、天才音楽家でもあった。実力はおそらく、ツインテイル以上だったろう。熊谷以上だったろう。

 ななみは白鳥せつなをよくは知らない。しかし、なぎを捨てるかのように海外へ発った。それに、どんな理由があるかは知らない。なぎのためだとか言い出すかもしれないし、実際そうなったとしても、許せなかった。

 どんな理由があれ、親友に、ひどい扱いをした。せつなに対して、印象が良くないのだ。言葉が強くなるのは、なぎへの感情移入だ。

 PPC本社から見える向かい側のビルの照明が消える。ふたりのいる会議室までもが、暗くなる。

 ななみの表情は真剣だった。普段朗らかで、強い言葉を使わないななみの初めての表情に、なぎは困惑する。

「たしかに、なぎ君にとって白鳥さんは先生で、指標かもしれない。困った時の道標のはずたけど、だけど、自分と悪い意味で比べないで欲しいんだ」

「ななみ君……」

「さっき、初めて作曲した時のこと、話してくれたよね! そこから考えよう! 僕、一晩中でも付き合うよ!」


 ななみがまた、なぎの隣に座り直す。

 なぎは、さっきよりは表情が明るくなった。

 せつな脱退の折も、ななみはなぎに寄り添ってくれた。なぎは改めて、問題解決のために、最初に作曲した時のことを思い出す出した。


「最初は……」

 初めて作曲した時を回想する。せつなの脱退や、情報がリークされた件や、れいとに勧誘を断られたこと……。もう遠い昔のことのようだ。夕暮れの河川敷が目に浮かぶ。しかし、何よりはっきりと浮かんだのはれいとの顔だった。

「れいと君……」

「?」


「はじめは……れいと君のために、曲を作ったんだ……」


 小さい声だった。しかし、なぎの困り果てた様子を尻目に、ななみの方は表情が明るくなる。

「そ、それだよ!」

「え?」

 ななみは何かに気づいた。


「れいと君だよ!」


「……?」

 ななみの発言になぎはまだ着いて行けていない。


「なぎ君の今のモチベーションは、れいと君なんだよ!」

 ななみが立ち上がり、なぎの前に立つ。

「れいと君に歌って欲しいとか、れいと君と歌いたいとか……そういう気持ちで作曲をしてみて!」

「え……」

「クリエイティブイベントを成功させなきゃとか、ツインテイルに学ぼうとかじゃなくて!なぎ君の、ワクワクすることを……楽しいと思うことを思い出して!」

「俺の……」

 再び、なぎははじめて作曲した時のことを回想した。

 あの時、帰宅するなり部屋に駆け上がり作り上げた一曲。その時の気持ち。


 ひとりではなく、ふたりが良かった。

 誰がじゃなく、れいとが良かった。

 それが、事実だった。

 れいとが、メリに入ってくれなくてもいい。れいとのために曲を作りたい。彼に聞いて欲しい。彼のために歌いたい。


「……!」


 なぎが顔を上げる。ななみを見上げる。

 ななみは、れいとに対しては、まだ何の印象もなかった。才能のある子。それだけだった。しかし、親友のなぎが、ここまで思う相手だ。すでにせつなの好感度よりは上の位置にいた。今のななみのモチベーションが彼だというのなら、背中を押すまでだった。

 ななみがそっと語り出す。

「僕と、たくと君の話してもいい……?」

「え……」


 それは、ツインテイルのふたりの結成に関する話だった。ふたりの出会いは中学校の入学式だったという。たくとは、元々は劇団の子役だった。とあるドラマに出演した際にそのドラマが大ヒットし、たくとは一時期CMやバラエティに引っ張りだこだったという。しかし、小学校低学年で、子役はきっぱり辞めた。そして、音楽の道に進んだ。そして、中学校でななみに出会った。ふたりは出会ってからずっと、ふたりでいること、にこだわってきた。ななみも幼少期から音楽を専攻してきた。その中で様々なひとに会った。しかし、このひとじゃなきゃだめだ、と思うのは、たくとだけだ、とななみは語った。


「どうして……」

「それは、僕もよくわからない。けれど、たくと君とじゃないと、だめなんだ。ふたりでツインテイルなんだ……」


 そして、たくとは、子役時代に所属していたPPCに復帰した。ななみとユニットを作るためだ。ななみは三年前、なぎと同時期にPPCに入った。

 なぎも、ふたりが仲睦まじいことは知っていた。しかし、話を聞くかぎりは、劇的な出会いがあったとか、互いに互いが必要な理由はあまりにも弱い。わからない、とななみがいうのだから尚更だ。それでも。


「理由なんて、いらないんだよ。このひとだ、って思うことに。だから……」


 それでも、ななみの言いたいことは充分になぎに伝わった。


 なぎも、おなじだからだ。

 れいとがいいと思った。れいとでなくてはだめだ。理由は、ない。


「俺、行かなきゃ……!」


 今度はなぎが立ち上がる。

 そして、ドアへ向かおうとした。

「えっ、もう外暗いよ⁉︎」

「れいと君に会いたい! ななみ君、ありがとう! 俺行くね!」

 なぎが走り出す。もう、表情は明るくなっていた。いつものなぎの表情だった。明るく、元気で、力強い。

 実はななみはたくとがれいとをどこに連れて行ったかを知らない。呆気に取られて動けずにいたが、なぎが会議室を出たあたりでなぎを追いかけた。しかし、エレベーターで分かれてしまった。なぎがどこへ向かったのか、ななみにはさっぱりわからなかった。




——————




 いつもの河川敷は真っ暗で、もう人もいなかった。なぎは走った。川の水が真っ黒で、木々ややぶの根元は闇そのものだった。

 れいととの思い出が蘇る。レコーディングや1stライブなどの華々しい日々よりも鮮明に思い出せるのは、他愛もない会話をして歩いた家までの帰り道。

 たしかに、れいとに、メリに入って欲しいと思ったのは、彼の歌声やダンスを見て、その才能を知ったからだった。

 今はどうだろうか。どうして彼と歌いたいのか。……よくわからなかった。しかし、今、れいとに会いたかった。

 わからないけれど、れいとじゃないとだめだと、はっきり言える。


 少し立ち止まって息を整えた。

 れいとがどこへ連れて行かれたか、なぎは知らない。しかし、そんなことはどうでも良かった。絶対にここで会える。そんな気がした。


 橋の下から人影が見える。

 こちらへ走ってきている。長身だ。


「れいと君!」


「なぎ……!」


 れいとだった。

 れいともかなり走って来たようだが、何故か出て行った時と服装が違う。

「れいと君、服……」

「あぁ、これは……いや……いい、それより、なぎ、俺……」

「れいと君、俺……」

 ふたりが話すタイミングがかぶる。

 しかし、きっと言いたいことは同じのはずだ。

 なぎが、ぐっと、れいとの腕を掴んだ。

「れ、れいと君、俺……」


「今なら、書けるよ! どんな曲も作れるよ。わかったんだ。れいと君に……君に歌って欲しいんだ。いっしょに歌いたいんだ!」


「なぎ……」


「どんなフレーズがいいかなとか……ここはこういう風に歌って欲しいとか……今なら、たくさん、たくさん、時間が足りないくらいに……」


 その時だった。なぎが涙を流していた。

「!」

 れいとは驚いて、なぎの涙を拭った。他人のシャツだったことは忘れていた。


「なぎ……」

「お、俺ごめん、先輩なのに……良くできないことばっかりで……れいと君はファーレンハイトじゃなくてメリを選んでくれたのに、俺、せつな君みたいにはできない……」


 泣くな、とは言えなかった。

 白鳥せつな。れいとは、名前と実績こそ知るものの、その本人をまったく知らない。しかし、なぎが影響を受けた人物であることは間違いない。……大切な人物であることは、間違いない。話を聞けば聞くほど、偉大だったと思うような人物だ。


「なぎ、あんたは白鳥せつなじゃない。……上手く出来なくて当然だ。俺だって、何もできてない」

 それは、ななみが言ったことと同じだった。


「……」

「でも、あんたを選んだ。メリを選んだ。あんたも、俺を選んだ。……わかるだろ。俺は……わかる。誰でもいいわけじゃないんだ。あんたが……あんただから……俺は……。だから、俺たちは俺たちなりに、手探りで、失敗しながら、迷いながらやっていくしかない」

「れいと君……」

「俺たちで、新しいメリを作るんだ。俺が歌う。一緒に歌おう」

 今度はれいとが、なぎの肩をぐっと掴んで言った。

「あんたと一緒に歌いたい。」


 街頭のせいで逆光で、れいとの顔はあまり良く見えなかった。けれどはっきりと聞こえた。なぎは、もう泣いていなかった。

「うん……!」


 なぎは今度は自分で、涙と、鼻水もぬぐった。

 河川敷と並走する道路方からクラクションが鳴った。熊谷の車だった。後部座席にななみが乗っていた。あの後、ななみが、本社に残っていた熊谷に、なぎとれいとがどこに行ったかを尋ねて、熊谷のカンを頼りにここまで来たのだった。ななみが車から降りてふたりの方へ向かう。同じようにたくとも降りて来た。合流したのだ。

 ななみがなぎに駆け寄る。たくとも続いた。

 なぎとれいとの表情から、ふたりの問題が前に進んだことを察したのだろう、安堵したななみの方が、今度は涙目になっていた。




——————





 次の日。

 平日だが、なぎとれいとはは学校をサボっていた。神奈川県、江ノ島。平日だが人気の観光地だけあって、人だかりだ。

 晴天で、もう六月なので、少し暑い。雨がさっと降って上がった後で、ひんやりとした空気感で、それでも半袖でも充分だった。

 なぎはTシャツの上にシャツを一枚羽織っていて、れいとはTシャツ一枚。ふたりとも私服だ。

 完全に、サボりだった。しかし、今のふたりには必要な、精神のサボタージュだった。

 なぎは、サボりで学校を休んだことはない。はじめての経験だ。

 心なしか、足取りもはずむ。

 アスファルトのへこみの水たまりが鏡のように道行くふたりを映すと、下手な小説家がモラトリアムを解くようなエモーショナルな画に変わって、ふたりの逃避行をそっと彩った。

江ノ島への道を歩く。なぎが先に進む。れいとはゆっくり歩いた。波のように、なぎの背中は遠ざかったり、近づいたりする。ふたりには初めての場所だ。海風、潮のにおい。

 なぎがはしゃいでいる。

「あれカモメ⁉︎」

「多分な」

 単純に、江ノ島に来たのは、以前に道明寺の口からその名前が上がって、なんとなく耳に残っていたからだった。

 今日は熊谷の送迎はない。電車で、ふたりで来た。江ノ電にも乗った。ただ、学校をサボって、観光をしているだけだが、なぎは、駅や入ったカフェで、少しづつ、新曲を考えた。れいとを見ていると、れいとと過ごしていると、自然と、曲が頭に浮かぶ。

 そう、サボりであって、サボりではなかった。

 先行していたなぎが、れいとの隣に戻り並んだ。歩きながら話す。

「メリって、海って意味なんだって」

「あぁ……なんだっけ、北欧の……」

 でも、きっとこんな感じの海じゃないよ、と、なぎは言った。北欧の、たしかフィンランドの言葉だったはず。フィンランドの海はどんな感じだろう。曇り空に、灰色の冷たい海水が思い浮かんだ。どうして、この名前になったのだろう。誰が、この名前にしたのだろう。

 江ノ島の入り口あたりで、れいとがカメラを構えた。久しぶりに、撮りたいと思った。

「ねぇそれ、俺ばっかり映ることにならない?」

「これは俺のカメラだから」

 階段を登るなぎを撮った。

 ねこを触るなぎも撮った。

 木陰で休む所や、カメラから逃げようとする所や、歌詞を考えている所を撮った。道明寺には悪いが、ロケで撮るのは別の場所にしてもらうしかない。絶対に、これ以上のものは撮れない。れいとは、はじめて、スマホのそれではないしっかりとした一眼レフの存在意義を知った。

 れいと君そこ立って、となぎが言うので、海を背に立った。なぎも写真を撮るのかと思ったが、特に何もなく、ただ、立っているところを観察されて、もういいよ、と言われた。なぎは、ニコニコしていた。ふたりで、頂上まで行って、またふたりで下った。

 帰りも、電車を乗り継いで帰った。

 夕日を見たかったが、その前に帰ることになった。また来ようと約束をした。

 その頃には新曲が完成していた。

 次の日に、ふたりで、熊谷に聴いてもらった。熊谷は何も批評めいたことは言わなかった。ただ、ふたりを褒めた。とても良い曲だと喜んでくれた。そして、ツインテイルのふたりに連絡を取った。曲ができたから見て欲しい、と頼んだ。




——————




 数日後。

 こうして、紆余曲折を経て、ようやくふたりは自慢の新曲をななみとたくとに披露した。

ななみは涙ぐんで、すごく良いと褒めてくれた。ふたりらしくて良いと言ってくれた。歌詞もメロディも褒めてくれた。あとは、たくとの評価だ。



「微妙」


えー‼︎‼︎ と、なぎがかなり大きなリアクションをした。

「正直言うと、この前のクソ曲の方がまだ、試行錯誤してできたごちゃごちゃ感が面白みがあったかもしれねぇ……」

 楽譜を確認しながらたくとが言い放つ。

 オイ、とさすがにれいとも突っ込んだ。

 しかしたくとはしかめっ面だが、どこか優しい雰囲気だ。

「いや、吹っ切れすぎだろ。どこでこんな曲になったんだよ」

「実は江ノ島行って来まして……」

 なぎが照れたように答える。ななみはいいなぁ、と言った。

「この辺はその……ななみ君とたくと君に助言してもらったこと思い出して書いた……」

 凪が控えめに歌詞カードを見せる。

 曲は、ふたりが悩んでいたことや、ツインテイルのふたりにアドバイスをもらったことや、サボって江ノ島に行ったことが、比喩や暗喩を持って、歌詞に反映されていた。

「僕たちも歌詞に登場してるの? なんだか照れるね」

「ふん、当たり前だろ! 俺たちのおかげでこいつらは成長できたわけだ! ……まぁ、ななみが少し手を加えりゃ最高にいい曲になるだろうな。……どうする?」

「もちろん! コラボだから! よろしくお願いします!」

 なぎが明るく答えた。

 こうして、数日かけてレコーディングスタジオやななみとたくとの部屋などで四人で会って作曲をした。

 ななみが、なぎと話し合って新曲に手を加えることになった。新生メリらしさと、ツインテイルらしさを両立させることは、ななみにとっては難しいことではない。

 一方でたくとは、れいとにマンツーマンで作曲や、作詞について指導した。れいとは、自分は作曲には向いていないと考えていたが、なぎを助けるためには、知識がいるし、まったく何も浮かばなかったあの時と違って、ひとつ、明確にアイデアが浮かんでいた。だから、たくとのスパルタ指導を真面目に受けた。

「ここ……鉄琴いれたら変かな?」

「いいね! 試してみようよ。なら、ドラム抑えようか! 前にマンドリン持ってきたいなぁ……」

「オイ! 新入りお前、昨日はアコギやりたいって言ってたろ! 今日はエレキがいいってどういうことだ!」

「気が変わった。お願いします、先輩」

「師匠と呼べ師匠と!」


 和気藹々と四人は作曲を、していた。

 本番の近づいたある日、四人が借りたスタジオに、道明寺が来た。フォトブック用の写真のためだ。たくとはカメラに興味があるようで、プロの写真に見入っていた。


 そのうちにライブの日程が決まった。月末、ミニライブだ。ボイトレやリハをして、メリ、ツインテイルそれぞれの活動などもしているうちに、あっという間にライブの日が近づいた。

 ……が、ライブ前日、問題が起きた。




——————




 ライブ前日の放課後。

 なぎ、れいとはふたりともPPCに来ていた。

 打ち合わせではない。呼ばれたのだ。


「所謂パパラッチ……ですかね」


 PPC本社、会議室。

 熊谷が、何枚かの週刊誌の記事をだした。

 それは、道明寺が仲間内からこっそり持って来てくれたもので、明日、ライブ当日に発売される週刊誌の記事だった。当然、ライブ当日にあわせて発売される、と考えて良い。

 記事は決して見開きで掲載されている大きなものなどではなかったものの、しっかりと、メリのふたりについて書かれていた。

 なぎとれいとは記事を読む。


「え⁉︎ 俺とれいと君が、不仲?」


 記事には、ふたりが実は不仲なのではないか、ということが書かれていた。というのも、そこには、先日江ノ島へいった時の写真があって、絶妙に離れて歩いている所がわざわざ掲載されていて、距離がある、と書かれていた。メリの今後は怪しいとか、年内を待たずに解散だとか、まだれいとはファーレンハイトに未練があるとか、なぎやれいとに聞いたわけでもない嘘八百が並び立てられたいた。

 余談、せつながいた頃こういう、週刊誌に記事が載るようなことはなかった。それはまた別の話だが、なぎとれいとにとっては初めての経験になる。

 もちろん、会社としては無視、の方針のようだ。本来いちいちこのようなことには対応しないが(名誉毀損や、あまりにもひどい誹謗中傷の場合は厳粛な対応を取る)ふたりの意見次第では、協議の上会社から何かしらの対応を取るという。今日呼ばれたのはその確認のためだった。


 なぎ、れいとは当然、第一の反応として、困惑した。

 なぎは更に詳しく記事を読んだ。自分のことより、れいとのことが中心だった。れいとのプロフィールや性格、付き合っているコがいるかとか、どんな学校だとか……不仲説よりも単に、れいとのことを記事にしたかったようにも思う。

 れいとは、良くも悪くもなぎよりも目立つ。会見のこともあった。1stライブ以降、彼のことは連日ネットで話題だし、せつな脱退で存続まで危ぶまれたメリのファンクラブもうなぎ登りに増えている。


 れいとも記事をよく読んだ。もともとファーレンハイトに入るつもりでいたので、パパラッチも誹謗中傷も覚悟の上だった。有名税だと割り切っていた。また、記事の内容も、ありがちなでたらめで、特段、困るような個人情報が載っていたりとか、ひどい中傷というわけでもない。

 もちろん、クリエイティブイベントのメインであるライブ当日にわけのわからない記事が出るのは不本意だが、人の噂もなんとやら、反応せずに、ほとぼりが収まるのを待つのが一番だ。

 熊谷が、ふたりに問う。

「なぎ君、れいと君、どうしますか?」

「俺は……」

 れいとが発言しようとした、その時だった。


「許せない!」


 なぎが、記事をテーブルに叩きつけて立ち上がった。


「なぎ……」

 れいとは、俺は別にどうでもいい、と言おうとしていた。なぎのこの反応は予想外だった。びっくりして、そのままなぎを見つめるばかりだ。

「れいと君はまだ中学生なのに! こんな、週刊誌だなんて……」

 なぎは、れいとのために怒っていた。

 れいとはなぎの方を見ていたが、それがわかるとまた、驚いたような顔をしていた。

 熊谷は、予想していた反応だったようだ。

「メリに……なぎ君に今までパパラッチの目が向かなかったのは、せつなの方針も大きいものでした。一年目はメディア露出なしで活動はCDリリースのみ、二年目からライブやCMでビジュアル解禁になりましたから。その後もライブ中心の活動で、良くも悪くも話題性が抑えられていたんです。もちろん、ふたりとも品行方正でしたし……」


 そう、言うなれば、せつながなぎを守っていた。


「せつな君……」


 自分はせつなとは違う、そう考えた。せつなを追って完璧に似せようとするのは間違いだと。しかし、せつなとは違う方向を見ようとしても、良い時も悪い時も、せつながなぎの道の先にいる。

 せつなから、メリが始まった。せつなと、歌って来た。せつなから、作曲を習った。


「熊ちゃん、ひとつ、提案が、ある……」


 今度は、なぎは、落ち着いた声だった。

 パパラッチへの対応をどうするか。なぎは考えたのだ。

「俺は……」


「俺は、れいと君が大事なんだ。守りたいんだ。せつな君が俺にしてくれたみたいに……」

「なぎ……」


「けれど俺は、せつな君みたいに、スマートにいろいろできないから……俺なりに、がんばりたいんだ。熊ちゃん、俺が考えてること、話すね? 問題になったり、する……かな……」

 なぎが何を考えているのか、れいとは検討がつかない。しかし、なぎは、自分を守ると言った。自分よりも小さいくせに。さっきからなぎには驚きっぱなしだ。

 熊谷はきっとなぎの提案に乗るだろう。そうしたら、自分も従う。

 れいとは不思議な気分だった。

 なぎが守ると言ったそれがたとえ無茶なことで、叶わなくても、それでも良かった。


 嬉しかったのだ。


 なぎの気持ちが。

 なぎが、自分をどれだけ大切に思ってくれているか。


 れいとはなぎがどうしたいかを聞かなかった。なぎが熊谷と何を話していた。れいとは、なぎの気持ちに、自分を委ねることにした。




——————




「メリ、ツインテイル、ふぁい、おー!」


 あまり格好のつかない円陣だった。四人とも円陣に慣れていなかった。ライブ当日。

 なぎは、週刊誌の件をツインテイルのふたりにも話した。そして、アンコールの前に少し時間が欲しいと言った。ふたりは何も言わずに了承してくれた。もちろん、れいともなぎが何を考えているのかわからない。少しの期待と、不安があった。


 いざ、公演開始。舞台袖で四人は最後の話をした。本当はもう、話すことなんてないはずなのに。演奏と、歌、それだけで四人には言葉はいらないはずだった。

「ごめんね、なんか……ほんと……ふたりには、いろいろ……」

「気にしないで! 僕はなぎ君と、れいと君といっしょで、今日までほんとに楽しかった!」

「俺はななみとふたりでいいんだけどな」

「もう! たくと君だって家に帰っても、メリのふたりにどんな指導してあげようかってずっと考えてたじゃない!」

「ななみ!」

 そんなことだろうな、と思ってれいとが笑うと、たくとのあまり威力のないパンチを肩にお見舞いされた。

 和やかな雰囲気だ。

「みんな……本当にありがとう。ライブ、成功させようね!」

なぎの一言を最後に、四人は、ステージに向かった。



 今日は四人で作った新曲のほかに、ツインテイルのメリのアレンジメドレーも演奏もする。そしてトリが、なぎには秘密の、れいとが初めて作曲した曲だ。

 当然ツインテイルのふたりは人気が高く、老若男女様々な客層で会場は埋まっていた。

なぎもれいとも、改めて、このふたりとコラボできたことがどれほどの経験かを思い知った。客層の違いや、生の演奏に、アレンジやアドリブも加え、演奏そのものを、楽器を弾くというということそのものを楽しんでいること……。これは、パフォーマンスを含めた歌唱を聞かせるメリと、楽器の演奏に集中するコンサートである両者の方向性の違いでもあっただろう。

 その上、あらゆる面でなぎやれいとが歌いやすいように配慮してくれたりと、ここで、なぎは、ななみとは同期ながらもツインテイルのふたりとの場数の違いを感じた。

 ライブは十分に盛り上がり、クリエイティブイベントの審査員らしき社員も来ていたが、反応は上々だったように思う。


 あとは、例の問題だけだった。

 今日、例の記事の載った雑誌が販売された。もちろん、ネットの記事としてとHPに載ったらしい。


 アンコールの直前。最後は四人で作った曲だ。

 一旦、四人はステージから袖へ下がった。

 なぎだけはマイクを持って、ステージの前方へ来た。ななみとたくと、れいとは、なぎを見送る。


 なぎが、何かをする。

 パパラッチの件へのなぎなりの対応だ。こうして公の場で何かすることが許可されたのなら、それは熊谷も会社も公認の手段であり、奇抜なことではないはずだった。例えば、れいとはまだ中学生だから見守ってほしいとか、週刊誌の記事は嘘だとか説明をするのだろうと三人は思っていた。ファンなら、なぎの訴えに真剣に耳を貸すはず。

 三人はなぎを見守った。どんなことがあろうとも、どんなことが訪れようも、味方だった。


「みんな……今日はありがとう!」

 ステージからの反応も凄まじい。声援がなぎを包む。ライブではあるが、普段のライブとは違って、サムネイルなどはない。観客席はほどよく暗い。

 れいと、ななみ、たくとで、なぎの背中を見守る。しかし……。


「俺たちを……よく、見ていてください!」


 それだけだった。


 なぎが三人のところへ戻ってくる。

 たくとは思わず、え?と言った。もちろん、ななみとれいとも面食らっていた。

舞台袖のスタッフも、四人を見守る。余計なことはしない。クリエイティブイベントはアーティストの自主性を重んじている。ただの商業目的のイベントではない。創作とは何かを、全員が考えるのだ。

 観客席は、多分事情がわかっていないのだろう。アンコールが来るとわかり、盛り上がっていた。


 ななみが問う。

「今のが、パパラッチ対策……だよね……?」

「うん!」

 なぎは自身満々だった。

「俺たちの歌ってる所を見て、不仲なんて思わせない。俺が、れいと君をどれだけ大事に思ってるかは、歌で伝える。だから、今はこれでいいんだ! ……と言いたい所だけど、その、明日、道明寺さんが、このライブの写真をネットの記事にしてくれるんだ」

「そうなのか……?」

 なぎ以外の三人とも、道明寺の名前を聞いて、ようやくなぎの作戦に気がついた。急遽、道明寺に、記事を作ってもらうことにした。このクリエイティブイベントの特集という形だが、なぎが言うにはそこに、会社からのコメントもあって、なぎもれいともふたりともまだ学生だ。暖かく見守って欲しい、そういった記事が載るとのことだった。


「だからね、俺たちはね、あとは……ほんとに楽しく、アンコールでライブを終わるだけ! ……きっと伝わる……だから……」


 なぎはさっきまで自身に溢れてる表情だった。それが少し陰る。


「このくらいしか……思いつかなくて……れいと君が大事だって……」

 ななみが近寄ってなぎを支える。

「大丈夫だよ! 伝わるよ! きっと……」

 たくともそっと、近づいた。なぎを、ツインテイルのふたりが両側から、そっと肩を抱く。


 れいともなぎに近寄った。


「充分だ」

 れいとが言う。

「行こう。なぎ」

「れいと君……」

「考えても、仕方ない。あんたが、俺を守ってくれるって言っただろう。……それでいい。俺は……俺たちは歌うだけだ」

なぎに、その場の全員の視線が集まる。

「なぎ、ひとりで考えるな。俺たちはふたりで、新しいメリだ」

れいとが、なぎの手を引く。ステージへ走り出す。


「行こう! あんたとなら……俺は……」

 その続きは、歓声で、なぎには届かなかった。

 ななみとたくとも顔を見合わせて、頷いて、進む。四人がふたたびステージに揃った。



 四人が再びステージに立つ。

 いよいよ、れいとの曲だ。しかし、なぎは知らない。というか、ななみも知らないはずなのに、たくとと演奏の準備を始める。つまり、なぎだけが知らなかったのだ。

「えっ……」


「なぎ、はじめて曲を作るなら……あんたにって思ったから。これは、俺からの……あの日の返事の続きだ」


 あの日。会見の日だ。

 でももう返事はもらったし、ふたりで「メリ」だ。これ以上何があると言うのか……。


 れいとが、なぎの方に向き直る。

 なぎが慌てる。れいとは、何を考えているのか。

 れいとが、マイクを通して言った。それは、まだ決まったいなかった新曲のタイトルだった。

 そしてれいとは、観客の方ではなく、なぎの方へ向かって、歌い始めた。


 なぎが、ぴたりと止まる。


 なぎだけではなかった。


 舞台袖の熊谷も、観客席の道明寺も、一瞬、仕事を忘れた。

 その場に観客も、れいとの歌声に、全員が聞き入る。

 コンサート会場はライブ会社とは違って、派手なネオンも、大きなスクリーンもない。ただ、ステージと観客席は白と黒のように強烈なコントラストを示した。


 時が止まったかのような静寂と、静寂のような歓声と、れいとの歌声。


 この日最後のステージ、それは最初のフレーズだけで、充分だったかもしれない。れいとの実力だとか、ツインテイルの演奏だとか、それを抜きにして、その曲には明確に、メッセージがあった。魂があった。パワーがあった。


 なぎは、れいとの歌声を前に、立ち尽くすしかなかった。


 さて、週刊誌では、ふたりの不仲だとか、年内で解散するだろうとか、下世話なことが書かれていたが果たして、この今の、なぎへのれいとのソロを聞いて、その記事を信じる人間がいるだろうか。

 なぎが、道明寺に頼んで考えた対策よりも、会社の声明などよりも、優雅に、雄弁にそれはその会場の人間に伝わった。


 曲が終わる。なぎは動けずにいた。

 頭が真っ白だった。

 れいとが、自分のために、この曲を?

 瞬間を開けて、拍手喝采だ。

 ライブはこれで終わりだ。

しかしなぎはいつまで経っても、頭を直接揺さぶられたように、思考が戻ってこなかった。




——————


「なぎ君!」

 ライブ後の楽屋で、ななみに話しかけられて、ようやくなぎは現実に戻ってきた。

楽屋は極一般的なもので、大きい鏡。ドレッサーとソファにテーブル。四人でひとつの部屋だ。特段記載するほどのこともない見慣れた場所に4人は戻ってきた。しかし、なぎの心はそこにいない。


「……え?」

「おい大丈夫か? 酸欠起こしたか?」

たくとがなぎの様子を伺う。おでこに手を当てる。平熱だ。

「……?」

「何がだ? なぎ?」

「なぎ君、大丈夫?」

 今度はれいとと、ななみもなぎに近寄った。れいとが歌って、最後に挨拶をした時もどことなく上の空だったが、ぽーっとしている。

「れいと君……」

「ん、何だ?」


 れいとが、歌ってくれた。

 なぎのためにと、初めて作詞作曲をした曲を。

 その事実。そしてあの場で、目の前で、なぎのために歌ってくれた、その事実。


「夢みたいで……」


 自分が、れいとを誘った。だから、自分がれいとを守ろうと、れいとをリードしようと躍起になっていた。

 空ぶっていたし、大切なことを見失ったり、見つけたりした。


 でも、もう、わかった。

 れいとも、自分を、メリを、ふたりで歌うことを大切に思ってくれている、と。

 自分がれいとを守りたいと思ったように、れいともまた、自分のために考えていてくれるということを。

 それが、れいとからなぎに、充分に伝わった。


 ふたり。


 ひとりで悩むことはない。

 ふたりで、頑張っていけばいい。


「ありがとう……俺……」

なぎは、れいとの手を取る。

「ななみ君も、たくと君も、ありがとう……!」

 ななみも、たくとも笑っていた。

 れいとも。



 作曲の、歌うことへのモチベーション。ふたりでいる意味。これはツインテイルのふたりだからこそ、メリのふたりに教えることができたことだろう。ツインテイルのふたりが、ふたりでいることに拘るユニットだからこそ、だ。ななみとたくとの話はまた別の機会に。


 こうして、新生メリとしては初のクリエイティブイベントが終わった。




——————


「結局、道明寺さんの記事の方が話題になりましたね」


 イベントから数日。

 もうすぐ七月になる。快晴。暑いくらいだ。もう、夏なのだ。

 今日もまた熊谷の送迎で、なぎとれいとのふたりは後部座席に並んでいた。

 熊谷の一言に、なぎがそうだね、と答えた。れいとも頷く。

 会社からの帰りだ。グッズが完成したので、現品をチェックしに来たのだ。

 現品をなぎもれいとも貰った。

 なぎはそれを、さっそく開封していた。

 熊谷がイベント後の反応などをふたりに伝えた。もちろん社内では難しい数字などで、きちんとした資料が作られたものを、熊谷が、ふたりのために砕いて話をしている。

 結局、パパラッチが書いた記事……クリエイティブイベントのライブ当日の、デマめいた記事は、雑誌の方もたいして話題にならず、ネット上の記事もたいした再生回数もなく流れていった。と、いうのも、ライブ後に、なぎが道明寺に頼んだ記事が話題になったのだ。なぎとしては、ふたりの不仲説は嘘だとか、れいとを詮索して欲しくないとだとか、そういった内容をメインに頼んだのだが、それよりも、道明寺による熱いメリのふたりへの語りが話題になった。フォトブックのためにふたりに接したこと、ふたりの様子、ふたりの印象、なぎの作曲のことや、れいとの今回の歌を聞いて、写真を撮る手が止まったほど感動しただとか……なぎの依頼を大幅に超えた熱量の記事が掲載されるとネットでは多いに話題になった。それは、決してビジネス面だけではない、道明寺の心からの感想だった。


 また、ライブで披露した曲がCD化されるかとか、ライブのDVDは発売になるかとか、フォトブックがいつになるかなど、問い合わせも多く、メリとツインテイルのクリエイティブイベントは大成功した、と言えるだろう。

会社側もとても良く二組を評価しているという。


「いろいろあったけど……クリエイティブイベント楽しかった!」

「まだあと四回イベントがあるんだぞ」


 ふたりも、今回の件を経て、よりメリとしての活動に意欲的に、前向きになった。ツインテイルのふたりには感謝しかない。

 それだけではない。ライブの後、れいとは、たくとにこれからも師事したいと頼んだ。たくとは少しわざとらしく笑って「途中で投げ出したら許さねぇからな」と言ってくれた。ふたりの師弟関係はどうやら今後も続くようだ。


「来月はミーハニアとのコラボですね。こちらも、ユニットのリーダーの水島君はなぎ君の同期で親友とも言える方ですから、クリエイティブイベント前半は、トラブルなく進めることでしょう」


 そう、またすぐに、次のクリエイティブイベントが迫っている。

 幸いにも、クリエイティブイベント前半はツインテイル、ミーハニアと、なぎの友人率いるユニットであり年末ライブの常連だ。前半で勉強をして、後半に備えることができるのだ。

 いや、そんなことよりも。


 有意義なイベントにできるか……もう、悩むことはない。ふたりでもがきながら進む。それだけだ。ふたりなりに。ふたりのやり方で。

 なぎが、れいとと視線をあわせる。


 もはや昼前の日差しは充分に存在感があり、ひと夏の再訪に高揚を感じずにはいられない。春は過ぎた。迷うような六月は、終わりを告げた。









 車が、とあるホテルに到着する。

 熊谷がそれでは楽しんできて下さい、とにこやかにふたりを送り出した。

 ふたりがホテルに入ると、ななみとたくとが待っていた。四人だけでの打ち上げだ。ホテルのビュッフェは、ななみのリクエストだ。スイーツが有名らしい。席に着く。端っこのあまり目立たない席で、たくとはななみと何回か来ているらしい。ななみとなぎが先に料理……ケーキを取りに行った。


「おい、おまえ腹八部にしとけよ。あいつら残すから」

「了解、先輩」

 おそらくたくとの言う通りなるだろうな、とれいとは思った。どうやら男気を見せなくてはならない場面らしい。なぎとななみが楽しそうにケーキを選んでいるのを眺める。れいとの方から、たくとに話しかけた。ずっと言おうと思っていたことがある。

「クリエイティブイベントは終わったけど……また、あんたに師事したい。よければだけど……これからも俺にいろいろ教えて欲しい。あんたがいいなって思った。歌川先輩」

「そう言うと思ってた。……途中で投げ出すのはゆるさねぇからな」


 たくとは頬杖をついてわざとらしく笑った。ふたりの師弟関係はどうやら続くらしい。

 なぎとななみが戻ってきた。

 ふたりで何を話していたのかを、ななみが問う。たくとが答える。

「俺は厳しいぞ。覚悟しとけよ、れいと、って言ったんだ。」

 なぎが、ケーキをれいとに差し出す。れいとの分も取ってきたらしい。甘い。


 新入り、という呼び方は過去のものになっていた。

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