知ってる?

 大嫌いな古文の授業を流し聞きしながら校庭へ目を配らす。


「自由……」


 サッカーがかなり盛り上がっている様子で仲間とコンタクトをとる男子たちの声が響いていた。

 キーパーの位置にいる彼は相手チームの強力な蹴りを受け止める。よくもあんなに細い体で受け止めきれるものだ。(彼が細く思えるのは相手チームのガタイが良すぎるせいかも)

 佐伯洸弥に向かってボールが蹴り込まれるたびに自分の握るシャーペンに力が加わっていくのが分かった。芯はとっくに折れていた。


 教室のカレンダーによると今日は7月20日みたいだ。

 

『来てよ』


 彼がそう言ってから3日が経っていた。来たよ。廊下ですれ違ったのに目も合わない。今朝だって、男女グループの中心となり雑談しながらひかりとすれ違っていったのを覚えている。


「見過ぎでしょ」


「わっ」


「わって何よ。ひかり好きな人できたりして?」


 未来はわざとおどけた顔をしてみせた。


「わけないでしょ」


 叶子と未来には病気のことはまだ伝えていない。休んでいる間は少しだけ連絡をとっていて、風邪がかなり長引いていると伝えている。今日久々に会った時、最初こそは体調を気にする素ぶりを見せたけど、私に大して異変が見られないため「心配したわー」「なんだ元気じゃん」と以前と変わらずな空気感に戻っていた。



「ちょっと待ってよー」


「やっと来た」


「遅すぎ」


「つか移動教室だる」


「それなー」


「くそだるい」


 廊下で私を追い越した女子が前を歩く友達と合流して文句を言い合っている。

 私も家族の前だとこのくらい口が悪くなっているのかもしれない。


「ひかり!」


 高音の明るい声のする方を振り向く最中、

 一瞬、佐伯洸弥と目が合った。

 すぐにそらし、手を振る白石桃に笑ってみせる。

 全ては桃のいる場所が7組の教室であるせいだ。

 そのせいで


「友達?」


「うん中学からの」


 そう桃が友達と話している声を背中で聞きながら早足で7組を横切った。



「良いよね、湘南の人達は。明日 相模川さがみがわ祭りでしょ?」


 お弁当を食べながら携帯を触り、叶子は口を開いた。


「そうじゃん、ウチら免除されないもんね」


「免除?」


「湘南地域に住んでいる地元民は免除されるから文句言われずに昼から学校休んでお祭り行けるんだよ」


 未来はメロンパンを左手に携帯を右手に持って私を見やった。


「そういやお姉ちゃんの彼氏、去年行ってたな」


「お祭りはいいから、ウチはその後の花火見たいわ」


「花火ならもしかしたら間に合うんじゃね?」


「でも行くのだるいし……え! 捕まったの? この人」


「そう! 私もさっき授業中に見た。覚醒剤だってさ」


「えーこのおじさんの芝居結構好きだったのに」


「名前なんだっけ?」


「忘れた」


「そういえばさ、さっき佐伯が学校側に捕まったらしい」


「まじ?」


「佐伯って?」


 ずっと2人の話を聞く側になっていたけれど、名前を言われて気づいたら口にしていた。


「7組の佐伯洸弥。知ってるでしょ?」


「うん」


「アイツ何やらかしたの?」


「なんかネックレス? アクセサリーをね、つけてたみたいなんだけど、それがよりによって主任に見つかってさ」


 ネックレス


「で?」


「没収するから渡せって言って取り上げようとして揉めて、佐伯が主任突き飛ばした時に転ばせちゃったみたいで。主任、窓の枠に頭打って出血したらしい」


 叶子はどこから仕入れたのか、やけに詳しかった。


「ねー、それ私は殴ったって聞いた」


「まじ?」


 近くでご飯を食べていた別グループの女子が言った。


「流石に手は出さないでしょ。そんな風には見えないよ」


「確かに」


「いや、7組の子が言ってたから絶対に突き飛ばしたんだって」


「えーなんかショック」


「ねー」


 痛い。これは気圧の変化でたまにある現象だ。天気予報では明日は晴れのはずなのに雨かと思うほどにズキズキとした頭痛が私を襲った。

 


 美術室の清掃に向かう時、生徒指導室から出てくる佐伯洸弥を見た。ルーズに履いた学ランのズボンを揺らしながら廊下の向こうへ歩いていった。


 清掃が終わり他の生徒たちが出ていく。

 開けていた窓からの風が心地よくて、机に座り空を眺めた。

 何も無い。ただの水色の空。

 飛行機雲さえ見あたらない、一色の水彩絵の具で塗りつぶしたような__


「来てんじゃん」


「……来てって言ったじゃん」


 彼の首にネックレスは無かった。


「今度は家が嫌になった?」


「ううん、家庭環境は良い方だから」


「じゃあ友達と仲直りしたとか?」


「喧嘩してないし、友達環境も良いよ」


「なんだよ」


「ただ、私が超ダメ人間なの。私ごときの為に皆仲良くしてくれてありがとうって感じ。こんな努力もしない与えてもらってばっかの人間に」


「すげえ自虐するじゃん」


「恵まれすぎて困っちゃう。いつ死んでも良いや」


「そんなこと言ってると本当に死ぬぞ」


「死んじゃうの、私」


「は?」


「皆には内緒だけど、心臓の病気。あと1ヶ月もしないうちに寝たきりになるって。移植すれば治るみたいだけど、待ってる人もいっぱいいるし、その間に死んじゃうと思う」


「冗談?」


「じゃない。でもいいの。私は移植を受ける気ない。もう充分幸せ味わったから。行きたい大学も無いし、将来の夢も無いし、だから親孝行もできないだろうし。なんか家族には申し訳ないな。本当に」


「……」


「てな事でここ最近、残りの人生、てか約1ヶ月どう過ごそうか迷ってた。結局何もしてないけど」


「……」


「佐伯くん、私、佐伯洸弥、知らない」


 知らない。だから、ちょっとで良いから、教えてくれても良いと思う。どうせ私はもうすぐ死ぬんだから。

 彼は私を見つめると、ゆっくりと微笑んだ。

 

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