知ってる

 彼からネックレスが外れて落ちた。相手は気づかず歩き出す。


「あ、あ、あのこれ……」


 佐伯洸弥はゆっくりと振り返った。

 ひかりは自分のか細い声が本当に届いたことに同様した。

 そもそもなぜ彼がここにいるのか。ここはひかりが通う病院である。


「……落ちました」


「へ?」


「ネックレス」


「危ねえ、ありがとう」


 くしゃっとした笑顔。


「水沢さんだよね?」


「あ、はい」


 まさか名前を呼ばれるなんて。耳の方に血が上っていく様子が自分でも分かった。


「やっぱり。俺、知ってる?」


「たしか生物の授業で一度同じクラスに」


「そうそう、今日は風邪?」


「そんなところ」


「そっか、お大事に」


 運動場側の窓際の席で座って寝ていた。2年の時だ。おそらく夏休み中に茶色に染めたものだから先生に叱られ、やむ負えなく黒染めさせられたその髪が、カーテンの向こうから差し込む光でキラキラと光っていた。しばらくして起きたかと思ったら、机に何かを書いて前の席の女の子に見せては2人でクスクス笑い合っていた。



「うま、味噌汁うま」


 晩ご飯に母が作ったきゅうりのお味噌汁を頬張る。


「コロッケうま」


「良かった。ひかり好きだもんね、かぼちゃコロッケ」


「明日から学校行かないから」


「友達に合わなくていいの?」


「うん」


 それから2週間くらいほぼ家から出なかった。学校に行かなくても病院とか公園とか本屋とかで気分転換はできると思っていた。



「あ」


「水沢さんじゃん、また会った」


 ガーゼを額に当てた青白い顔がそこにはあって、でも表情は前回と変わらず、彼は白い歯を見せてはにかんだ。


 自販機と観葉植物だけの小さな休憩室は2人だけだった。


「3年いたけど同じクラスにならなかったね」


「そうですね」


「あのさ、最近学校いる?」


「いない、かな」


「来てよ」


「……うん」


「サボり?」


「うん」


「ふーん」


「……この前、凄かったよね」


「え?」


「あの、サッカーボール」


「あーあれか。まじ4組ごめんって感じ」


「楽しそうだね、毎日」


「そう思う?」


「うん、ワイワイしてて」


「ワイワイ……水沢なんて言うの?」


「えっと……水沢ひかりです」


「なんで敬語なの?」


「あ、えっと」


「ひかりは楽しくないの? 毎日」


「普通」


「ふーん」


「……でも、1日くらいワイワイしたいっていうか、弾けたい」


「弾けたい」


「なんか言い方ダサいね、弾けるって」


「弾けたら?」


「性格上無理かな」


「へー」


「……頭、大丈夫?」


「え?」


 その怪我、と言う前に相手の携帯が鳴った。


「はい、……あー分かった……行く行く、オッケー……」


 電話を切ってまじかーと呟いて首を鳴らす。


「あ、じゃあ私はこれで」


「あー待って」


 呼び止められ振り返る。


「俺、佐伯洸弥」


 まっすぐ見つめられ、色素の濃いくっきりとした瞳で、分かり切った自己紹介がなんだかおかしく思えた。


「……知ってる」


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