02.森の中へ



 一応家族と呼ぶべき人々が、扉の向こうで談笑しているのが聞こえる。

 彼らの楽しそうな声とは裏腹に、ズーンと重い気持ちのパウラ。

 深呼吸をして気合を入れてから、中へ入った。


「失礼いたします。森より戻るのが遅くなりました。申し訳ございません」


 何か言われる前に、頭を下げた。

 彼らの声が止まる。

 視線がこちらに集中しているのがわかった。


「ハッ、相変わらず、不気味なやつだな。その黒髪、見ているだけで怖気が立つ」


 冷たく言い放つ若い男の声がした。

 これは兄の声だろう。


「フフ、本当ね。まるで死神よ。不吉だから近寄らないで欲しいわ」


 それに同調したのは姉だ。

 彼らのあざ笑う声には慣れた。

 ゆっくりと顔を上げる。


「二人とも、およしなさい。

 こんなのに構う必要はないわ。

 視界に入れるのも、不快よ。

 ……まったく、歳を追うごとにあの女へ似てくる」


 義母は口元を扇子で隠し、こちらを睨みつけた。

 パウラの産みの母は、この家へ仕えていた使用人だ。

 でもある日、父に手を出され……。

 残念ながら我が子を抱くこともなく、逝ってしまったと聞いた。

 義母がパウラに向ける視線は、憎しみがこもっている。

 自分以外が生んだ“バーンズ家の血を継ぐもの”が許せないのかもしれない。


「話が終わればすぐ下がらせるから、それまでは我慢しておくれ」


 優しい笑みを目の前の妻や、子どもたちに向けているのは、この家の主だ。

 つまり、パウラの父でもある。


「オイ」


 笑顔は一瞬で消え、温度のない眼でこちらを見た。

 父は、パウラを名前で呼ばない。

 いつも……


「卑しい|


 そう呼んだ。

 きっと、パウラの名など覚えていないのだろう。

 自分が名付けたというのに。


「はい、


 彼はパウラに父と呼ばせない。

 子どもの頃一度だけそう言ったら、激怒されその日は食事を抜かれた。

 それ以来『ご当主』と呼んでいる。


「お前は一体何をやっている?

 おまえが怠けているから、壁を越えて何度も魔物が出入りしていると報告を受けたぞ。

 朝早く、それこそ“鶏”のように働かせているのに

 それでもこのような事態をおこすとは……。

 不愉快、極まりない!

 聖魔法を使えるから、その醜い姿に耐えてこの家に置いているのだ。

 早急にその魔物を処理しろ!

 ……それが叶うまで、ここへは戻ってくるな」


 気づいた時には、静かな廊下を一人で歩いていた。

 反論や拒否は許されていない。

 あの狼を倒さなければ、パウラは家を失うことになる。

 

 幼いころから、魔法障壁を張ったり、魔物に対処したりと忙しい日々だった。

 字の読み書きや必要最低限の知識は、使用人たちがこっそり授けてくれたが、外の世界のことは全く知らない。

 パウラは家と森以外、行ったことがなかった。

 ……連れて行ってくれる人など、この家には存在しない。

 一部の使用人は、こっそりよくしてくれている。

 でも『外へ行きたい』と頼むことはできなかった。

 彼らに迷惑をかけることは、したくなかったからだ。

 つまりパウラには、家から出て生きていく術や伝手はない。

 それでも、父の言うことはこの家では絶対なのだ。


(……一人で生きよう。それしか道がない)


 部屋で一人、荷物の整理をする。

 たぶんもう、ここへは戻ってこられない。


(あの狼に勝てるわけがない。あんな膨大な魔力を持つ魔物、初めて会った……)


 戦いを挑んだら、確実に命はないだろう。

 戦わなくても、ここへ戻ってくることはできない。

 父がそんなこと、許すはずがなかった。

 

 部屋の整理を終え、使用人たちへ挨拶に行った。

 彼らはパウラの事情を聴き、涙したり憤ったりしてくれた。


(この温かい人たちがいたから、私はここまでやってこれた)


 感謝の気持ちを伝え、その日は彼らと夕食をともにする。

 バーンズ家で過ごす最後の夜は、にぎやかに過ぎていった。



 翌日、旅支度をして家を出る。

 使用人たちには、決して見送りにこないよう願った。


(みんなの顔を見たら、泣いちゃうかもしれないし……)


 こうして、パウラはバーンズ家を後にした。

 朝日がゆっくりと、辺りを明るくし始める。

 最後に森番のジャンに会うため、森の近くにある彼の家へ向かった。

 ジャンたち家族は働き者だ。

 すでに家の煙突からは、煙が出ていた。


(私がいなくなると、ジャンたちの負担が増える……。バーンズ家の人たちが、きちんと仕事をしてくれることを祈るしかないわね)


 ジャンやその家族に別れを告げ、歩き始めた。

 町へ向かおうとした足が止まる。

 森の方角から狼の遠吠えが聞こえたからだ。


(……なぜだろう、行かなきゃいけない気がする)


 この声の持ち主は、おそらく“彼”だ。

 そんな気がしてならない。

 

 しばらく魔法障壁沿いに歩いた。

 すでに遠吠えは、聞こえてこない。

 

「あっ、あれは……」


 黄金の毛並みが見えた。

 でもそれは、真っ赤な血で汚れている。

 障壁の向こうに、力なく座り込む狼がいた。


「あなた、足を怪我したの?

 見てあげたいけど、障壁の向こうにいるのね……」


 パウラはしばらく考えたのち、目の前の障壁を消した。

 人が一人通れるほどの穴が開く。


「よし、あとは体内に聖魔力を満たして……。これで、どう!」

 

 穴から一歩、障壁の中へ進んだ。

 しかし、眠気に襲われることはない。

 どうやら、成功したようだ。


(やっぱり、この森に入った人が眠くなってしまうっていうのは『呪い』が原因だったのね)

 

 呪いは闇魔法の一種だ。

 闇魔法とは『魔界』という異界からやってくる『魔族』が使う恐ろしい力だった。

 でも、聖魔法にはめっぽう弱いという特徴がある。

 それを知っていたので、体内に自身のもつ聖魔力を満たした。

 結果、成功し『眠りの森』に入っても無事でいられた。


「狼さん、少し待っていてね。【魔法障壁ウォール】」


 念のため、壁の穴をふさぐ。

 狼はその様子を静かに見ていた。


「お待たせ、狼さん。

 怪我の状態を見せて……」


 狼の前で膝をつき、足の様子を見た。

 どうやら何かに噛みつかれたようだ。

 かなり深い傷のため、出血もひどい。


「すぐに治しましょう。

 じっとしていてね。【完全治癒ヒーリング】」


 傷は少しずつ塞がっていった。

 そこで気づく。


「あら、あなた腕に素敵な腕輪をしているのね。

 これは……どこかで拾ったの?」


 金色の毛並みに隠れていて気付かなかったが、見たこともないような装飾の腕輪をしていた。

 狼はそれに答えるかのように、森の奥を見ている。


「……森の奥で見つけたのかしら。

 この森に、人が住んでいるってこと?

 まさか、そんな――」


「ウォフッ!」


 狼が一鳴きした。

 どうやら、正解のようだ。


「もしそうなら……。

 ぜひ私をその人たちのところへ、案内してくれないかしら。

 恥ずかしいのだけど、行くところがない。

 あなたを退治しないと、もう家には入れてもらえないのですって」


 狼が少したじろいだ。

 数歩下がる。


「安心して!あなたに危害を加えるつもりはないの。

 それに、私じゃあなたに敵わないでしょ。

 ……あの人たちの言うことを聞いて、命を落とすような、愚かなことはしない。

 生まれは選べなかったけど、死に方くらい自分で選ぶわ」


 そう、力なく笑った。

 ツンと狼が鼻先で、パウラの背中をつく。

 どうやら、慰めてくれているようだ。


「ふふ、ありがとう。大丈夫よ。

 彼らから自由になったと思って、これからは好きに生きるわ。

 だからぜひ、狼さんがこれを手に入れたところへ、案内して欲しいの」


 狼は森の奥へと進み始めた。

 しかし少し行ったところで立ち止まり、こちらを見ている。

 それはまるで『ついてきて』と言っているようだった。


「案内してくれるの?ありがとう。

 町へ着くまで、よろしくね」


 狼の後に続き、うっそうと茂る森の中を歩いて行った。




 

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