明告鳥と眠れる森の王子様

藤乃 ハナ

01.黄金の狼



 パウラ・バーンズの朝は早い。

 使用人ですら、まだ起きている者がほとんどいない時間に起きる。

 冷たい水で顔を洗い、母譲りの黒く長い髪を結い上げた。

 朝食を自分で用意し、簡単に済ます。

 起きてきた使用人たちと挨拶をかわし、外へと向かった。


「いってくるわね、トニー」


「はい。お気をつけていってらっしゃいませ、パウラお嬢様」


 白髪の目立ってきた家令に玄関で見送られる。

 彼はどんなに早い時間でも、身なりを整え、待っていてくれた。


(トニーが見送ってくれるこの時間だけは、自分が辺境伯の令嬢だって思えるわね)


 パウラはまるで猟師のような出で立ちだ。

 森の中を歩きやすい恰好を突き詰めると、そうなった。

 家に帰れば、ドレスに着替えるが、今ではその機会もほとんどない。

 朝出かけ、屋敷に戻るのは夕飯の時間もとうに過ぎた頃だ。

 湯あみをして寝巻に着替え、すぐに眠る。

 そして、太陽よりも早く起きて森へ行く。


(まぁ、あの人たちと顔を合せないで済むから気楽でいいわ)


 振り返り館を見た。

 バーンズ辺境伯邸は、そこに住まう者たちのごとく白く美しい。

 まるで小さな城のようだ。


(あそこにいると、自分が異物だと思わずにはいられない……)


 パウラの黒髪を彼らはいつも笑った。

 自分たちと違う髪色、違う母親だからだ。

 

 父や兄姉たちは、白い髪、白い肌、黄金の瞳。

 神々しさすら感じる整った容姿を持っていた。

 兄たちの母である義母も、バーンズ家の遠縁の出だ。

 そのため、似たような容姿をしていた。

 彼らは自分の色白髪・金眼を大層自慢気に誇っている。

 曰く“我々は神に選ばれし輝く者たち”だそうだ。


(もしそうだとしたら、もっと存分にその輝くお力を発揮して欲しいところね)


 歩いてさほど経たず、森に着いた。

 果てなどないのではないかと思えるほど広大な森だ。

 そして恐ろしい場所でもあった。

 

 『眠れる森』

 

 そう呼ばれていた。

 この森に入ると、人はだれしも眠ってしまう。

 どんな屈強な戦士や、賢者のごとき魔法使いも。

 皆平等に、夢の世界へ行くのだった。

 

 眠りの森と、バーンズ家の所有する森との間。

 その境目には、うっすらと光る透明な幕のようなものが一面に張られている。

 

「よし、じゃあまずは魔法障壁の状態を見ていきましょうか」


 光る半透明な膜に手をかざす。

 こうするとほころんでいたり、穴が開いたりしていると、すぐにわかった。


(うーん、大きい穴は開いてないかしら。でも、薄くなって壊れそうな“ほころび”はいくつかあるみたい……)


 もちろん、そのほころびはパウラが魔法障壁を張った場所ではない。

 バーンズ家のだれかが気まぐれに張ったところだ。

 それを直しつつ、壁沿いに歩いた。


「これは、パウラ様。おはようございます。

 魔法障壁の修繕ですかい?」


 ひげと髪の境がない、もじゃもじゃとした大男が反対側から歩いてきた。

 まるで熊のようなこの男はジャン。

 パウラが子どもの頃から、森番をしている。

 成人済みの息子たちも、同じく森番だ。

 親子で森の魔物が壁を越えて出てこないか、見守ってくれていた。


「えぇ、この時間から始めないと間に合わないの。

 こーんなに広いのに、ほとんど私一人で直さなきゃだから」


 苦笑いを浮かべ、ジャンに少しだけ愚痴をこぼした。

 壁の端まで歩くのに、半日はかかるだろう。

 だから遠くへ行く必要があるときは、馬で行く。

 でも今日は近場の見回りなので、徒歩だ。


「……お館様やお子さんたちは、気が乗らないと仕事しねぇっていう怠け者ですからね。

 しかも張った障壁は、見た目だけ!

 無駄に光り輝いて目立つのに、やたら脆い。

 魔物が入ってくるのは、いっつもそこからですよ」


 ジャンは首を横に振り、溜息をついていた。

 その気持ちはよくわかる。


「そうね……。

 あの人たちは、自分の力に酔っているのよ。

 聖魔法はバーンズ家以外、ほとんど使える人がいないし。

 だから、満足するまでやらせてあげましょう。

 ジャンたちには迷惑をかけてしまうけれど……。

 ごめんなさいね。

 何かあればすぐに私が駆けつけるから、無理して魔物と戦わないで」


 これから息子と見張りを交代するというジャンと別れ、壁の修繕巡りを再開した。

 しばらく歩く。

 壁の一部に、やたらキラキラとしている箇所があった。

 とても分かりやすい。

 修繕箇所はたぶんそこなのだが、念のため手をかざして状態を確認した。

 

(……うん、間違いなかったみたい)


 やはりほころびそうなのは、光り輝いている部分のようだ。

 そこを直す呪文を唱えようとした時だった。

 森の中から、何かがすごい速さで近づいてきた。


(この感覚は……魔物!?)


 魔力を有する動物を、総じて魔物と呼ぶ。

 魔物は生命力が高く、魔法も使える恐ろしい生き物だ。

 この壁の向こうには、数多く魔物が生息する。

 それをソニア帝国に来させないため、バーンズ家はこんな辺境に住み、守護しているのだった。


「いけない!【魔法障壁ウォール】」


 急いで魔法を唱えた。

 しかし、全て直しきる前に魔物がほころびに突っ込んできた。

 ガラスが割れるような音とともに、輝くだけの壁は砕け散る。

 

(一体どんな魔物が……)


 身構えるパウラは、美しさに息を呑んだ。

 そこにいたのは、眩いような黄金の狼だった。

 唸るわけでもなく、じっとこちらを見つめてくる。

 その瞳からは、敵意を感じない。


「なんで……」


 不思議に思い、見つめ返す。

 その狼からは計り知れないほどの魔力を感じた。

 自分より、はるかに多い。

 もしこの狼に害意があったら、パウラなどひとたまりもなかっただろう。

 しばらくこちらを観察したあと、黄金の狼は壁の穴から森へ戻って行った。


 これ以降、黄金の狼はパウラの前に度々姿を現すようになる。

 パウラに何か伝えたいことがあるかのように、森を見て、パウラを見てを繰り返した。


「……ごめんなさいね。あなたが言っていることが理解できたらいいのだけど」


 残念ながら、魔物との意思疎通方法など知らない。

 狼とパウラは、お互いに頭を抱えた。

 しかし、狼と過ごすその不思議な時間は、パウラの日々の楽しみになるのだった。

 

 

 狼とのやり取りに慣れ始めた頃、恐れていたことが起こった。

 バーンズ家の人々が、黄金の狼に気づいたのだ。

 しかもわざわざ自分たちが張った障壁を、壊していると知ってしまったらしい。


(憂鬱だな。夕食に招かれたから早めに帰ってきて支度したけど……)


 今は彼らの待つ食卓へ行きたくなくて、自分の部屋で溜息をついていた。

 鏡の向こうには、暗い顔をした自分がいる。

 みすぼらしくはないが、まるで“年を重ねた女性”が着るようなドレス姿だ。

 地味な色に、肌の露出を最大限抑えた詰襟のドレス。

 それはどう考えても、17歳の嫁入り前の娘が着るものではない。

 でもパウラはそんなこと少しも気にしていなかった。


(何を着ようがどんな髪型で行こうが、あの人たちにとって私は、馬鹿にする対象でしかないものね……)

 

 今日何度目かわからない溜息をついた後、重い足取りで部屋を出た。

 廊下はいつもより、確実に長い。

 そんな錯覚を起こさせるほど、憂鬱な夕食になるのが目に見えていた。




 

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